その他短編
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「鋼は鋼のやり方で強くなっていいんだよ。」
そう言いながら僕が目の前にいる鋼以外のことも考えていた、って知ったら鋼を悲しませてしまうだろうか。でも、鋼のことも彼女のことがあったから、その悩みとか辛さとかほんの少しだけでも分かってあげられたのも事実で。
それから吹っ切れたように元に戻って行くどころか、前よりぐんぐん成長する鋼の姿を見て僕の言ったことはひとまず間違っていなかったのだろうと思えて安堵する。と同時に、いつか鋼に彼女のことを話してみたい気にもなった。
「来馬さん、」
その日、ランク戦をしに来ていた所を珍しく本部にいた迅くんに呼び止められた。
「来馬さん、このあとどこかに行く予定あります?」
「え?いや、ないけど…。」
僕がそう答えても迅くんはなんとも言えない顔をするばかりで、黙ったままだった。どうしようかと思ったものの、鋼と同じように彼にもサイドエフェクトがあることを知っているから,僕は思わず聞いてしまって。
「ひょっとして、何か見えたの?」
「...土砂降りの中、女の人に会ってる来馬さんが。」
「女の人?」
帰ってきた答えに僕自身どんな顔をすればいいかわからなかった。女の人、という言い方から察するに、多分その相手を迅くんは知らないんだろう。そして先ほど本部に来るまでの道は晴れていて、今日の天気予報でも雨が降ると言っていた記憶はない。けれどいろいろな人の未来が見える彼が、わざわざ僕にそう話してきたということはきっと何か意味があるんだと思う。
「うーん、誰かと会う約束はないけど、心に留めておくね。」
「はい。すみません、なんか、変なこと言って。」
「いや、教えてくれたってことは、何か意味があるんだろう?サイドエフェクトを持ってない僕には便利そうに見えることもあるけど、そういう能力に本人が辛い思いをさせられるのは、知ってるつもりだから。」
知ってるつもりなんて烏滸がましいとは思うけど、と付け加えると、迅くんは少し目を見開いた。僕が鋼や迅くんのことを言っていると思ってくれればいいけれど、と心の中で呟いていると、ゆっくり息を吸い込んだ彼が再び口を開く。
「やっぱり、もう一つ言ってもいいですか。」
「うん?」
「その人のこと、助けてあげてください。」
「その人、って…さっきの女の人のこと?」
「はい。俺が言うのもおかしいですけど。その方がいい未来になりそうだなって。」
“でも、未来は無限に広がってますから。”そう言って迅くんはどこかへと行ってしまった。結局僕には何もわからないまま会話は終わってしまったけれど、心には留めつつ必要以上に考えないようにしていれば、迅くんが言っていたような出来事は起きないままその日は過ぎて。けれど迅くんの見た未来がやっぱり現実なんだと思ったのは、次の日、スナイパー合同訓練に行った太一を本部に迎えに行くことになった時だった。
「じゃあ、行ってくるよ。」
夕方から降り出した雨が強くなりだし、傘を持っていかなかった太一にそれを届けるため部屋に残っていた今ちゃんに声をかけ、鈴鳴支部を出る。どんどん強くなる雨足に濡れないよう気をつけながら歩く速度を上げ、そろそろ警戒区域に差し掛かるかというところで、視界の隅に見慣れない影を見つけた。
「…?」
警戒区域に入っていないとはいえ、ここまでの距離になると人通りはほぼなくて。だからこそ建物の間に隠れるようにしてうずくまっているその人に気がつくことができたというのもあるけれど。
「あの、大丈夫ですか?」
『…っ。』
思わず声をかけると、その人はびくりと肩を振るわせた。近づけばすぐその人が女性であることがわかったものの、よく見なくてもびしょ濡れの彼女はスカートの裾や髪の先から水滴がボタボタと落ちていた。
「あの、」
反応の薄い女性にもう一度声をかけながら、傘を傾ける。こんな雨の中屋根のない場所をわざわざ選んで座り込んでいるのはなぜだろうという疑問より先に体が動いた。さっきまでは濡れないようにと考えていたのに今は自分が濡れることを気にしていられなかった。そういえば太一のために持ってきた傘を開いてあげればよかったと、頭の隅に浮かんだ考えが何故だか同時にある言葉を思い出させる。
“その人のこと、助けてあげてください。”
土砂降りの中、女の人に会っている未来が見えたと言っていた迅くんの言葉だった。彼の言葉がなくても僕はこの人を助けたと思う。けれどその言葉を思い出してしまえば、より自分の行動に自信が持てた。
「大丈夫ですか?動けますか?」
できるかぎり優しく声をかけるとようやくその人は顔を上げた。僕の顔が傘の影のせいか見えないらしい女性は僕の顔をじっと見てきた。とりあえず怯えられたり、怖がられたりしているわけではないと判断して、言葉を続けた。
「僕はボーダーの人間です。ここは警戒区域が近いのでよければ一緒にもう少し離れた場所まで移動をお願いします。」
『ぼー、だー。』
初めて僕の言葉に返ってきた声はとても小さくて。でも、なぜか聞き覚えがある気がした。そういえばどこかでその顔も見たことがある気がするのだけれど、思い出せない。それでもまずは彼女を安全と言える場所まで連れて行って、なぜこんな場所でこんな状況になっているのかを聞いてみることが先だと判断して。僕は彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「立てますか?僕は、」
『辰也、くん…?』
「えっ。」
相手を不必要に警戒させないように、まず名乗ろうとした矢先のことだった。僕が自分の名前を明かす前に彼女は僕の名前を口にした。苗字ではなく、名前を。そしてその音が、僕の記憶をさらに呼び起こした。
「ひょっとして、なまえちゃん?」
『…そっか、辰也くん、だったんだ。』
僕の問いには答えずにそう呟いた女性…幼馴染だったなまえちゃんは力なく笑った。彼女の言葉、彼女のその笑い方で僕は気づいた。彼女もまた、迅くんと同じように今日のこの日この時をすでに「見た」んだと。
「久しぶり、だね。」
『うん。ごめんね、こんなで。驚いたでしょ。』
なまえちゃんとは、ずっと話したいと思っていたはずなのに、いざ顔を合わせれば言葉が出ない。あまりに唐突で、久しぶりすぎる出会いのせいで言いたいことがまとまらず彼女も基本黙り込んだままで、僕らの間にはほとんど会話のないまま気がつけば鈴鳴支部に戻ってきていた。
「どうしたんですか!?」
玄関を開けて声をかけると出てきた今ちゃんは、僕と隣に立つびしょ濡れのなまえちゃんに驚いて声を上げた。僕は基地に向かう途中に彼女に会ったこと、彼女が幼なじみであること、僕が戻るまでの間彼女をここに居させてほしいことを今ちゃんに伝えると、今一度当初の目的のために基地へと向かおうと扉を開ける。
「私が太一のところ行きましょうか?」
「うーん...。同性の方が話しやすいこともあると思うんだ。まずは彼女の話を聞いてあげないといけないと思うから。」
察しのいい今ちゃんは彼女がただ雨に降られただけでは無いらしいことを僕の言葉で理解してくれた。彼女のこと、よろしくねともう一言かけて、僕は改めて基地に向かう。でもこれは、はっきり言って自分のためだった。なまえちゃんと何を話そうか、彼女に何があったのかどうやって聞き出そうか、それを考えるための時間が欲しかった。
・
・
・
『お見合いから逃げ出してきたの。』
危うく太一とすれ違いになりそうなりながらも何とか合流して少し早足で鈴鳴支部に戻れば、今ちゃんの服を借りたなまえちゃんが髪を乾かし終えて、2人でお茶を飲んでいた。今ちゃん曰くお風呂に入って温まってもらったとのことで、ひとまずは風邪をひく心配もなさそうだった。戻ってきた時談笑していた姿は昔から物おじせず、誰とでも仲良くなれる子だった僕の記憶の中にあるなまえちゃんの面影が色濃く残っていた。そんななまえちゃんに話しかけてもらえたからこそ、僕は彼女と親しくなれたのだと思い出し、自分と太一の分のお茶を淹れて彼女の隣の席に腰掛けた。そして一通り太一の質問攻めに合ったなまえちゃんは「どうしてここにきたんですか?」の質問に先のように答えたのだった。
「え。」
太一が固まっているのが視界の端に見えた。けれど僕も一瞬同じようになっていたと思う。彼女の向かいに座っている今ちゃんも驚いていることから考えて彼女は今ちゃんにも話していなかったんだろう。けれどそれほど衝撃的な内容を彼女は自分の歳を太一に明かすのとほぼ同じトーンで語ったのだ。
「...それであんなとこ、行ったらダメだよ。」
『ふふ。辰也くんは変わらないね。』
僕が絞り出した言葉に、そういったなまえちゃん。話の内容にそぐわない楽しそうな彼女に僕も太一も今ちゃんも面食らってしまう。が、そこで今までも彼女の姿を見てからずっとあれこれ喋っていた太一が元の調子を取り戻す。
「いや、いやいや!そもそも逃げ出しちゃダメでしょ!」
「太一は黙ってなさい!事情もわからないのに首突っ込んじゃダメ。」
「けどっ」
『大丈夫だよ、結花ちゃん。太一くんが正しいから。もちろん、辰也くんも。』
いつものように太一にストップをかける今ちゃんに僕に向けたのと同じような笑みを浮かべるなまえちゃん。けどその顔が、ただ嬉しくて笑っているだけではないと、僕は知っていた。言葉は悪いけれど、この笑顔に騙されて僕は、苦しんでいる彼女にかけるべき言葉をかけられず、まともにお別れを言うことすらできなかったのだから。
「なまえちゃん。そうやってはぐらかさないで。」
『辰也くん?』
「そうやって笑って、でも、僕らが言ってることが正しいってわかってるんだよね?お見合いから逃げるのも、あんな危ないところに行くのも、本当はダメだって。」
「く、来馬さん?」
「太一は黙るっ!」
「は、ハイっす。」
「君はどうするべきか、どうなるか、わかってるんだろう?でもそれは、君の気持ちとは、理想とは、違うところにあるんだね。…君は、僕に変わらないねって言った。確かに変わってないかもしれない。それでも、あれから理解したこと、わかったこともあるんだよ。」
『わかったこと?』
僕の雰囲気がいつもと違うことを感じ取った太一と今ちゃんが押し黙っているのに対しなまえちゃんの表情は変わらないままだ。でも僕にはわかる。これは変わらないんじゃない。変えないように彼女が必死に作ってるだけのものだと。
「君は君のままでいいんだよ。」
『え…?』
「ずっと、そう言ってあげたかった。笑顔の奥に押し込んだ君の気持ちは何も悪いものじゃない。未来が見えるのは、君のせいじゃない。見えた未来を変えたいって思うことも、わがままなんかじゃない。」
『…。』
「僕には話してくれたのに、側にいてあげられなくてごめんね。もっと頼っていいんだよ。君の見た未来を、夢をもっと共有してほしかった。君が感じている責任を少しでも一緒に背負いたかった。そう言えるほど、まだ僕は大人じゃなかったけど。」
『やめて、辰也くん。やめてよ…。』
「僕は君を責めてる?君はそう感じる?そうじゃないなら、止めない。」
『違う…。違うけど、でも、』
彼女の声が震える。その顔から笑顔が消える。ああ、その顔も見たことがある。あの日、君が初めて僕に夢で未来が見えるんだと、打ち明けてくれた時の顔。真剣で、緊張していて、いつもは天真爛漫に怖いものなんて何にもないって顔してる君が隠している、怯えの色。この顔が見れて、この顔を引き出せて安堵している自分はなんてひどい人間なんだろう思う。けれど、ずっと心の奥底で持ち続けてきた彼女への想いがそれを打ち消していく。
『本当にやめて、辰也くん。私これ以上、迷惑かけたくない。もう、ちゃんと戻るから、』
「迷惑だなんて思わない。だから、もっと僕を頼ってくれていいんだよ。」
「未来が、見える?」
「どういう、ことですか…?」
僕たちの話に置いていかれた状態にあった太一と今ちゃんが、流石に黙っていられなかったようで恐る恐るそう尋ねてきた。そこでようやく自分ばかりが話しすぎていたことに気づいて、僕は努めてゆっくりと息を吐いた。
「みんなごめんね。僕ばっかり話して。」
「いや、それはいいんですけど...」
「それより、未来が見えるってどういうことですか!?迅さんと同じサイドエフェクト持ってるってことですか??」
『さいど、えふぇくと?』
「いや、彼女の迅くんとは少し違うんだ。そもそも、彼女はサイドエフェクトそのものを知らないから。僕も彼女の能力がサイドエフェクトだって分かったのはボーダーに入ってからだしね。」
「...俺、入ってもいいでしょうか?」
「鋼さん!おかえりなさい。」
「ただいま、でいいのか?この雰囲気は。」
個人ランク戦に行っていた鋼が鈴鳴支部に帰ってきたのをきっかけに5人で長い長い話をすることになった。と言っても、話すのは主に僕となまえちゃんだったけど。
「私やっぱり帰る。ボーダーと関わったなんて知れたら、パパにも相手にも何言われるかわかんないし。」
そういった彼女に僕と会う未来を見たんだろう?と指摘するともっと先も見えてるという答えが返ってきてまずは彼女の話を聞くことになった。彼女があの場所にいた経緯や、幼い頃から持っていた人とは違う能力、彼女の現状についてだった。そして僕もなまえちゃんとの出会いや別れも含めた僕らのことを話した。
「つまり来馬さんとなまえさんは幼馴染で、パーティで出会うとか、ホントにそんな事あるんですね...。私たちには想像つかないわ。」
「サイドエフェクト、話すの難しいですよね。俺もそうだったんで少しだけわかります。理解してもらえないのも利用されるのもしんどいはずです。」
「で、夢で未来が見えるなまえさんは、今日来馬先輩に会う夢を見たんスね!ロマンチック〜!」
『正確には、辰也くんって分かってなかったけどね。』
「でも、疎遠になってるとやっぱり知らないことも多いね。年の近いご子息やご令嬢の話は、時々噂で聞くけど、君のお見合いの話は聞いたことがなかったよ。」
直ぐに帰ることを諦めたなまえちゃんはどこか吹っ切れたように話しだした。少しだけサイドエフェクトのことを話す時、鋼が自分にもそういう力がある言い始めたことが、彼女を引き止めた理由になった気がする。太一も相変わらず質問が止まらないし、今ちゃんもかなり積極的に話を聞いているから、なまえちゃんもより話す気になったのかもしれない。
『パパ、頑固だから。ボーダーへの嫌悪感を持つのは勝手だけど、そこと仲良くしてるっていう理由で辰也くんや、辰也くんたちのご家族と仲良くしちゃいけないのも、ボーダーを嫌ってる人たちと仲良くなりなさいっていうのも、いつもおかしいって思ってるんだけど。そのくせ私の意見は無視して、見えたことは教えろ、家のために自分に与えられたものは差し出せって、ほんとふざけてる。』
「いや、それを言うならなまえさんが見た先の未来の方が...」
「そうです!そんな女の敵ならお見合いから逃げて正解です!」
「今先輩、さっきは俺に口出しするなって言ったのに!」
「まあまあ、落ち着いて。でも、僕もそれ、気になる。正直そんな男の所になまえちゃんを行かせたくない。」
『...なんでそんな優しいかなぁ、辰也くん。みんなもだけど。』
さっきまでの作った笑顔ではなく困ったように笑うなまえちゃん。それを隠すように俯いた彼女を見守る僕達の間にようやく沈黙が流れる。が、
ぐぅぅ。
『っ。』
「なまえさん腹減りっすか?」
「太一…」
「随分長く話し込んじゃったからね。今日は僕が奢るから、何か頼もうか。」
『いや、そろそろ流石に…』
「そういえばなまえさん、スマホとか持ってるんですか?」
彼女のお腹がかわいい音を立ててなり、自分の空腹にも思ったより流れていた時間の長さにもそこでようやく気づく。沈黙にこれ以上耐えられなかったから救われたと思ったけど、鋼の質問になまえちゃんが首を横に振るとまた少しだけその場に沈黙が走り、今度は太一がそれを破った。
「なまえさんみたいな人がずっと見つからなかったら、事件になってたりして!」
「…それ、は」
太一の言葉に、さっと顔が青くなったのは僕とそれを察した今ちゃん。苦笑いをしているなまえちゃんも先のことを想像してしまったらしい。
『あは。洒落んなんないね。迷惑かけたくないとか言っときながら。あー…とりあえず家じゃなくてパパの会社の方に連絡入れとく。うっかり警戒区域に入りそうになったところをボーダーに保護されたってことにするね。事実ほぼそうだし。』
そう言って電話を借りたいと続けたなまえちゃんに自分のスマホを差し出そうとすると、事務所の電話みたいなのがあればそっちがいいと制され、彼女を支部の事務所に案内するためその場を後にした。鋼たちには好きなものをどうぞと、出前の注文を頼んで。そしてようやく彼女を保護した時ぶりに2人きりになれた。
「家、大丈夫?」
『大丈夫じゃないね。けど、辰也くん言ってくれたでしょ。私のままでいいって。』
「それは、そうだけど。」
『慰めのつもりだった?』
「そのつもりがなかったって言ったら嘘になる。でも、本心だよ。ずっと言いたかったことも本当。」
『…そっか。』
そこまで話して、事務所で事情を説明し電話を借りた彼女は無事自分の安否を然るべきところに伝えられたようで。けれどここで聞くのは無粋かもしれないけれど、疑問が残る。
「家族には、連絡しないの?」
『辰也くんならする?』
「えっと…。」
『辰也くんみたいな真面目な人は、そもそもこんな状況にならないか。』
「君だって十分真面目で、」
『しょっちゅう家出してるって言っても?』
「…。」
『あは、困ってる。大丈夫、しょっちゅうってのは言葉のあやだから。ただ、家出自体は初めてじゃないよ。まあ、今回のは家出とも違うけど。』
電話をする前までは作っていなかった表情に、またあの笑顔が戻ってきていた。連絡をして、彼女の気持ちに何か変化があったのだろうか。どんな会話をしたのかは聞かないように少し離れたところで待っていたから、ほとんどわからない。けれど、ボーダーがその活動を公にしたあの日の大規模侵攻で、大きな被害を被り、その後も苦労して会社を立て直したらしい家の娘である彼女が、しかもボーダーに良い印象を持っていないどころか毛嫌いしているらしい親を持った彼女が、ボーダーに保護されているという連絡を受けたらきっと僕たちの思いもよらないさまざまな感情が大きく動くことは想像に難くない。そしてそれを受けるのは他でもない彼女なのだ。
「…僕は、やっぱり君を守れないんだろうか。」
『辰也くん?』
なまえちゃんが見た未来。それは一回り以上年上のお見合い相手に振り回され、苦しめられる自分の姿。それが結婚後なのかただの交際期間の話なのかは彼女本人にもわからないようだけど。そんなこと、経験してほしくない。自分なら彼女にそんな思い絶対させないのに。…ああ、そうか。僕は、
「僕は君を守りたい。君を悲しませたくない。君の痛みを分けてほしい。」
『辰也くん。あんまり優しいと私勘違いするよ?ただでさえ、状況が状況で、』
「なまえちゃんの言う勘違いが、僕が君を好きってことなら、そう受け取ってもらって構わない。」
『えっ…。』
鋼たちのいる部屋に戻る、扉一枚隔てた通路で彼女への抱えていた思いを伝えた。好きという気持ちにはずっと気がつかないふりをしていた。彼女と疎遠になってから、いやその前からも。なんとなく環境的に実らない恋なのだろうと本能が抑え込んでいたんだと思う。それでも今伝えなければ、今また離れてしまえば、彼女とは二度と会えなくなる気がして。
「“未来は無限に広がっている。”そう教えてくれた人がいる。だから僕は、君を助けたい。君が幸せな未来にいられるように。君が、好きだから。」
『辰也、くんっ。』
迅くんの言葉を借りて、彼女にさらに想いを伝えれば、その瞳から溢れ出す涙。彼女が泣いた姿を見るのは、そういえば初めてだ。そしてそのまま歪んだ顔で僕の名前を呼んだ彼女は次の瞬間、こちらに飛びついてきて。
「わっ。」
『…辰也くんは、なんでそんなに私のほしい言葉ばかりくれるの。』
「なまえちゃん?」
『意にそぐわない未来が見えれば、どうしてそんなもの見たんだって。思った未来が見えたら、それが確実になるよう力を尽くせって。私の力を知ってる人は、そんなのばっかり。でも、辰也くんだけは、言ってくれた。“大丈夫だよ”って。』
「それ、あの日、」
啜り泣く彼女を抱きとめながら、思い出す。僕の記憶が正しければそれはなまえちゃんが大規模侵攻の情景を夢で見たと、僕に打ち明けてくれた日のことだったと思う。それは、多くの人が犠牲になった後のことだった。それまで怖くていえなかったのだと、そう言っていた気がする。自分の見た夢と実際に目にした光景が同じになってから、必死に不安を隠そうとする彼女に言った言葉。でも、自分に言い聞かせるためでも合ったその言葉を今のいままで忘れていた。
『あの時から,私もずっと好きだった。』
「なまえ、ちゃん。」
『夢で見た時、もしかしてって期待もしたくらい、また会えたの、嬉しかった。だからこそ、困らせたくなかった。でも、でも…もう限界。』
“助けて。”
その言葉に、まだ僕は彼女の背に腕を回すことしかできないことが歯痒かった。それでも、心が通じ合えた、その事実があればどんな困難でも乗り越えられる気がした。
ーーーーーーーーー
22.2.28
そう言いながら僕が目の前にいる鋼以外のことも考えていた、って知ったら鋼を悲しませてしまうだろうか。でも、鋼のことも彼女のことがあったから、その悩みとか辛さとかほんの少しだけでも分かってあげられたのも事実で。
それから吹っ切れたように元に戻って行くどころか、前よりぐんぐん成長する鋼の姿を見て僕の言ったことはひとまず間違っていなかったのだろうと思えて安堵する。と同時に、いつか鋼に彼女のことを話してみたい気にもなった。
「来馬さん、」
その日、ランク戦をしに来ていた所を珍しく本部にいた迅くんに呼び止められた。
「来馬さん、このあとどこかに行く予定あります?」
「え?いや、ないけど…。」
僕がそう答えても迅くんはなんとも言えない顔をするばかりで、黙ったままだった。どうしようかと思ったものの、鋼と同じように彼にもサイドエフェクトがあることを知っているから,僕は思わず聞いてしまって。
「ひょっとして、何か見えたの?」
「...土砂降りの中、女の人に会ってる来馬さんが。」
「女の人?」
帰ってきた答えに僕自身どんな顔をすればいいかわからなかった。女の人、という言い方から察するに、多分その相手を迅くんは知らないんだろう。そして先ほど本部に来るまでの道は晴れていて、今日の天気予報でも雨が降ると言っていた記憶はない。けれどいろいろな人の未来が見える彼が、わざわざ僕にそう話してきたということはきっと何か意味があるんだと思う。
「うーん、誰かと会う約束はないけど、心に留めておくね。」
「はい。すみません、なんか、変なこと言って。」
「いや、教えてくれたってことは、何か意味があるんだろう?サイドエフェクトを持ってない僕には便利そうに見えることもあるけど、そういう能力に本人が辛い思いをさせられるのは、知ってるつもりだから。」
知ってるつもりなんて烏滸がましいとは思うけど、と付け加えると、迅くんは少し目を見開いた。僕が鋼や迅くんのことを言っていると思ってくれればいいけれど、と心の中で呟いていると、ゆっくり息を吸い込んだ彼が再び口を開く。
「やっぱり、もう一つ言ってもいいですか。」
「うん?」
「その人のこと、助けてあげてください。」
「その人、って…さっきの女の人のこと?」
「はい。俺が言うのもおかしいですけど。その方がいい未来になりそうだなって。」
“でも、未来は無限に広がってますから。”そう言って迅くんはどこかへと行ってしまった。結局僕には何もわからないまま会話は終わってしまったけれど、心には留めつつ必要以上に考えないようにしていれば、迅くんが言っていたような出来事は起きないままその日は過ぎて。けれど迅くんの見た未来がやっぱり現実なんだと思ったのは、次の日、スナイパー合同訓練に行った太一を本部に迎えに行くことになった時だった。
「じゃあ、行ってくるよ。」
夕方から降り出した雨が強くなりだし、傘を持っていかなかった太一にそれを届けるため部屋に残っていた今ちゃんに声をかけ、鈴鳴支部を出る。どんどん強くなる雨足に濡れないよう気をつけながら歩く速度を上げ、そろそろ警戒区域に差し掛かるかというところで、視界の隅に見慣れない影を見つけた。
「…?」
警戒区域に入っていないとはいえ、ここまでの距離になると人通りはほぼなくて。だからこそ建物の間に隠れるようにしてうずくまっているその人に気がつくことができたというのもあるけれど。
「あの、大丈夫ですか?」
『…っ。』
思わず声をかけると、その人はびくりと肩を振るわせた。近づけばすぐその人が女性であることがわかったものの、よく見なくてもびしょ濡れの彼女はスカートの裾や髪の先から水滴がボタボタと落ちていた。
「あの、」
反応の薄い女性にもう一度声をかけながら、傘を傾ける。こんな雨の中屋根のない場所をわざわざ選んで座り込んでいるのはなぜだろうという疑問より先に体が動いた。さっきまでは濡れないようにと考えていたのに今は自分が濡れることを気にしていられなかった。そういえば太一のために持ってきた傘を開いてあげればよかったと、頭の隅に浮かんだ考えが何故だか同時にある言葉を思い出させる。
“その人のこと、助けてあげてください。”
土砂降りの中、女の人に会っている未来が見えたと言っていた迅くんの言葉だった。彼の言葉がなくても僕はこの人を助けたと思う。けれどその言葉を思い出してしまえば、より自分の行動に自信が持てた。
「大丈夫ですか?動けますか?」
できるかぎり優しく声をかけるとようやくその人は顔を上げた。僕の顔が傘の影のせいか見えないらしい女性は僕の顔をじっと見てきた。とりあえず怯えられたり、怖がられたりしているわけではないと判断して、言葉を続けた。
「僕はボーダーの人間です。ここは警戒区域が近いのでよければ一緒にもう少し離れた場所まで移動をお願いします。」
『ぼー、だー。』
初めて僕の言葉に返ってきた声はとても小さくて。でも、なぜか聞き覚えがある気がした。そういえばどこかでその顔も見たことがある気がするのだけれど、思い出せない。それでもまずは彼女を安全と言える場所まで連れて行って、なぜこんな場所でこんな状況になっているのかを聞いてみることが先だと判断して。僕は彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「立てますか?僕は、」
『辰也、くん…?』
「えっ。」
相手を不必要に警戒させないように、まず名乗ろうとした矢先のことだった。僕が自分の名前を明かす前に彼女は僕の名前を口にした。苗字ではなく、名前を。そしてその音が、僕の記憶をさらに呼び起こした。
「ひょっとして、なまえちゃん?」
『…そっか、辰也くん、だったんだ。』
僕の問いには答えずにそう呟いた女性…幼馴染だったなまえちゃんは力なく笑った。彼女の言葉、彼女のその笑い方で僕は気づいた。彼女もまた、迅くんと同じように今日のこの日この時をすでに「見た」んだと。
「久しぶり、だね。」
『うん。ごめんね、こんなで。驚いたでしょ。』
なまえちゃんとは、ずっと話したいと思っていたはずなのに、いざ顔を合わせれば言葉が出ない。あまりに唐突で、久しぶりすぎる出会いのせいで言いたいことがまとまらず彼女も基本黙り込んだままで、僕らの間にはほとんど会話のないまま気がつけば鈴鳴支部に戻ってきていた。
「どうしたんですか!?」
玄関を開けて声をかけると出てきた今ちゃんは、僕と隣に立つびしょ濡れのなまえちゃんに驚いて声を上げた。僕は基地に向かう途中に彼女に会ったこと、彼女が幼なじみであること、僕が戻るまでの間彼女をここに居させてほしいことを今ちゃんに伝えると、今一度当初の目的のために基地へと向かおうと扉を開ける。
「私が太一のところ行きましょうか?」
「うーん...。同性の方が話しやすいこともあると思うんだ。まずは彼女の話を聞いてあげないといけないと思うから。」
察しのいい今ちゃんは彼女がただ雨に降られただけでは無いらしいことを僕の言葉で理解してくれた。彼女のこと、よろしくねともう一言かけて、僕は改めて基地に向かう。でもこれは、はっきり言って自分のためだった。なまえちゃんと何を話そうか、彼女に何があったのかどうやって聞き出そうか、それを考えるための時間が欲しかった。
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『お見合いから逃げ出してきたの。』
危うく太一とすれ違いになりそうなりながらも何とか合流して少し早足で鈴鳴支部に戻れば、今ちゃんの服を借りたなまえちゃんが髪を乾かし終えて、2人でお茶を飲んでいた。今ちゃん曰くお風呂に入って温まってもらったとのことで、ひとまずは風邪をひく心配もなさそうだった。戻ってきた時談笑していた姿は昔から物おじせず、誰とでも仲良くなれる子だった僕の記憶の中にあるなまえちゃんの面影が色濃く残っていた。そんななまえちゃんに話しかけてもらえたからこそ、僕は彼女と親しくなれたのだと思い出し、自分と太一の分のお茶を淹れて彼女の隣の席に腰掛けた。そして一通り太一の質問攻めに合ったなまえちゃんは「どうしてここにきたんですか?」の質問に先のように答えたのだった。
「え。」
太一が固まっているのが視界の端に見えた。けれど僕も一瞬同じようになっていたと思う。彼女の向かいに座っている今ちゃんも驚いていることから考えて彼女は今ちゃんにも話していなかったんだろう。けれどそれほど衝撃的な内容を彼女は自分の歳を太一に明かすのとほぼ同じトーンで語ったのだ。
「...それであんなとこ、行ったらダメだよ。」
『ふふ。辰也くんは変わらないね。』
僕が絞り出した言葉に、そういったなまえちゃん。話の内容にそぐわない楽しそうな彼女に僕も太一も今ちゃんも面食らってしまう。が、そこで今までも彼女の姿を見てからずっとあれこれ喋っていた太一が元の調子を取り戻す。
「いや、いやいや!そもそも逃げ出しちゃダメでしょ!」
「太一は黙ってなさい!事情もわからないのに首突っ込んじゃダメ。」
「けどっ」
『大丈夫だよ、結花ちゃん。太一くんが正しいから。もちろん、辰也くんも。』
いつものように太一にストップをかける今ちゃんに僕に向けたのと同じような笑みを浮かべるなまえちゃん。けどその顔が、ただ嬉しくて笑っているだけではないと、僕は知っていた。言葉は悪いけれど、この笑顔に騙されて僕は、苦しんでいる彼女にかけるべき言葉をかけられず、まともにお別れを言うことすらできなかったのだから。
「なまえちゃん。そうやってはぐらかさないで。」
『辰也くん?』
「そうやって笑って、でも、僕らが言ってることが正しいってわかってるんだよね?お見合いから逃げるのも、あんな危ないところに行くのも、本当はダメだって。」
「く、来馬さん?」
「太一は黙るっ!」
「は、ハイっす。」
「君はどうするべきか、どうなるか、わかってるんだろう?でもそれは、君の気持ちとは、理想とは、違うところにあるんだね。…君は、僕に変わらないねって言った。確かに変わってないかもしれない。それでも、あれから理解したこと、わかったこともあるんだよ。」
『わかったこと?』
僕の雰囲気がいつもと違うことを感じ取った太一と今ちゃんが押し黙っているのに対しなまえちゃんの表情は変わらないままだ。でも僕にはわかる。これは変わらないんじゃない。変えないように彼女が必死に作ってるだけのものだと。
「君は君のままでいいんだよ。」
『え…?』
「ずっと、そう言ってあげたかった。笑顔の奥に押し込んだ君の気持ちは何も悪いものじゃない。未来が見えるのは、君のせいじゃない。見えた未来を変えたいって思うことも、わがままなんかじゃない。」
『…。』
「僕には話してくれたのに、側にいてあげられなくてごめんね。もっと頼っていいんだよ。君の見た未来を、夢をもっと共有してほしかった。君が感じている責任を少しでも一緒に背負いたかった。そう言えるほど、まだ僕は大人じゃなかったけど。」
『やめて、辰也くん。やめてよ…。』
「僕は君を責めてる?君はそう感じる?そうじゃないなら、止めない。」
『違う…。違うけど、でも、』
彼女の声が震える。その顔から笑顔が消える。ああ、その顔も見たことがある。あの日、君が初めて僕に夢で未来が見えるんだと、打ち明けてくれた時の顔。真剣で、緊張していて、いつもは天真爛漫に怖いものなんて何にもないって顔してる君が隠している、怯えの色。この顔が見れて、この顔を引き出せて安堵している自分はなんてひどい人間なんだろう思う。けれど、ずっと心の奥底で持ち続けてきた彼女への想いがそれを打ち消していく。
『本当にやめて、辰也くん。私これ以上、迷惑かけたくない。もう、ちゃんと戻るから、』
「迷惑だなんて思わない。だから、もっと僕を頼ってくれていいんだよ。」
「未来が、見える?」
「どういう、ことですか…?」
僕たちの話に置いていかれた状態にあった太一と今ちゃんが、流石に黙っていられなかったようで恐る恐るそう尋ねてきた。そこでようやく自分ばかりが話しすぎていたことに気づいて、僕は努めてゆっくりと息を吐いた。
「みんなごめんね。僕ばっかり話して。」
「いや、それはいいんですけど...」
「それより、未来が見えるってどういうことですか!?迅さんと同じサイドエフェクト持ってるってことですか??」
『さいど、えふぇくと?』
「いや、彼女の迅くんとは少し違うんだ。そもそも、彼女はサイドエフェクトそのものを知らないから。僕も彼女の能力がサイドエフェクトだって分かったのはボーダーに入ってからだしね。」
「...俺、入ってもいいでしょうか?」
「鋼さん!おかえりなさい。」
「ただいま、でいいのか?この雰囲気は。」
個人ランク戦に行っていた鋼が鈴鳴支部に帰ってきたのをきっかけに5人で長い長い話をすることになった。と言っても、話すのは主に僕となまえちゃんだったけど。
「私やっぱり帰る。ボーダーと関わったなんて知れたら、パパにも相手にも何言われるかわかんないし。」
そういった彼女に僕と会う未来を見たんだろう?と指摘するともっと先も見えてるという答えが返ってきてまずは彼女の話を聞くことになった。彼女があの場所にいた経緯や、幼い頃から持っていた人とは違う能力、彼女の現状についてだった。そして僕もなまえちゃんとの出会いや別れも含めた僕らのことを話した。
「つまり来馬さんとなまえさんは幼馴染で、パーティで出会うとか、ホントにそんな事あるんですね...。私たちには想像つかないわ。」
「サイドエフェクト、話すの難しいですよね。俺もそうだったんで少しだけわかります。理解してもらえないのも利用されるのもしんどいはずです。」
「で、夢で未来が見えるなまえさんは、今日来馬先輩に会う夢を見たんスね!ロマンチック〜!」
『正確には、辰也くんって分かってなかったけどね。』
「でも、疎遠になってるとやっぱり知らないことも多いね。年の近いご子息やご令嬢の話は、時々噂で聞くけど、君のお見合いの話は聞いたことがなかったよ。」
直ぐに帰ることを諦めたなまえちゃんはどこか吹っ切れたように話しだした。少しだけサイドエフェクトのことを話す時、鋼が自分にもそういう力がある言い始めたことが、彼女を引き止めた理由になった気がする。太一も相変わらず質問が止まらないし、今ちゃんもかなり積極的に話を聞いているから、なまえちゃんもより話す気になったのかもしれない。
『パパ、頑固だから。ボーダーへの嫌悪感を持つのは勝手だけど、そこと仲良くしてるっていう理由で辰也くんや、辰也くんたちのご家族と仲良くしちゃいけないのも、ボーダーを嫌ってる人たちと仲良くなりなさいっていうのも、いつもおかしいって思ってるんだけど。そのくせ私の意見は無視して、見えたことは教えろ、家のために自分に与えられたものは差し出せって、ほんとふざけてる。』
「いや、それを言うならなまえさんが見た先の未来の方が...」
「そうです!そんな女の敵ならお見合いから逃げて正解です!」
「今先輩、さっきは俺に口出しするなって言ったのに!」
「まあまあ、落ち着いて。でも、僕もそれ、気になる。正直そんな男の所になまえちゃんを行かせたくない。」
『...なんでそんな優しいかなぁ、辰也くん。みんなもだけど。』
さっきまでの作った笑顔ではなく困ったように笑うなまえちゃん。それを隠すように俯いた彼女を見守る僕達の間にようやく沈黙が流れる。が、
ぐぅぅ。
『っ。』
「なまえさん腹減りっすか?」
「太一…」
「随分長く話し込んじゃったからね。今日は僕が奢るから、何か頼もうか。」
『いや、そろそろ流石に…』
「そういえばなまえさん、スマホとか持ってるんですか?」
彼女のお腹がかわいい音を立ててなり、自分の空腹にも思ったより流れていた時間の長さにもそこでようやく気づく。沈黙にこれ以上耐えられなかったから救われたと思ったけど、鋼の質問になまえちゃんが首を横に振るとまた少しだけその場に沈黙が走り、今度は太一がそれを破った。
「なまえさんみたいな人がずっと見つからなかったら、事件になってたりして!」
「…それ、は」
太一の言葉に、さっと顔が青くなったのは僕とそれを察した今ちゃん。苦笑いをしているなまえちゃんも先のことを想像してしまったらしい。
『あは。洒落んなんないね。迷惑かけたくないとか言っときながら。あー…とりあえず家じゃなくてパパの会社の方に連絡入れとく。うっかり警戒区域に入りそうになったところをボーダーに保護されたってことにするね。事実ほぼそうだし。』
そう言って電話を借りたいと続けたなまえちゃんに自分のスマホを差し出そうとすると、事務所の電話みたいなのがあればそっちがいいと制され、彼女を支部の事務所に案内するためその場を後にした。鋼たちには好きなものをどうぞと、出前の注文を頼んで。そしてようやく彼女を保護した時ぶりに2人きりになれた。
「家、大丈夫?」
『大丈夫じゃないね。けど、辰也くん言ってくれたでしょ。私のままでいいって。』
「それは、そうだけど。」
『慰めのつもりだった?』
「そのつもりがなかったって言ったら嘘になる。でも、本心だよ。ずっと言いたかったことも本当。」
『…そっか。』
そこまで話して、事務所で事情を説明し電話を借りた彼女は無事自分の安否を然るべきところに伝えられたようで。けれどここで聞くのは無粋かもしれないけれど、疑問が残る。
「家族には、連絡しないの?」
『辰也くんならする?』
「えっと…。」
『辰也くんみたいな真面目な人は、そもそもこんな状況にならないか。』
「君だって十分真面目で、」
『しょっちゅう家出してるって言っても?』
「…。」
『あは、困ってる。大丈夫、しょっちゅうってのは言葉のあやだから。ただ、家出自体は初めてじゃないよ。まあ、今回のは家出とも違うけど。』
電話をする前までは作っていなかった表情に、またあの笑顔が戻ってきていた。連絡をして、彼女の気持ちに何か変化があったのだろうか。どんな会話をしたのかは聞かないように少し離れたところで待っていたから、ほとんどわからない。けれど、ボーダーがその活動を公にしたあの日の大規模侵攻で、大きな被害を被り、その後も苦労して会社を立て直したらしい家の娘である彼女が、しかもボーダーに良い印象を持っていないどころか毛嫌いしているらしい親を持った彼女が、ボーダーに保護されているという連絡を受けたらきっと僕たちの思いもよらないさまざまな感情が大きく動くことは想像に難くない。そしてそれを受けるのは他でもない彼女なのだ。
「…僕は、やっぱり君を守れないんだろうか。」
『辰也くん?』
なまえちゃんが見た未来。それは一回り以上年上のお見合い相手に振り回され、苦しめられる自分の姿。それが結婚後なのかただの交際期間の話なのかは彼女本人にもわからないようだけど。そんなこと、経験してほしくない。自分なら彼女にそんな思い絶対させないのに。…ああ、そうか。僕は、
「僕は君を守りたい。君を悲しませたくない。君の痛みを分けてほしい。」
『辰也くん。あんまり優しいと私勘違いするよ?ただでさえ、状況が状況で、』
「なまえちゃんの言う勘違いが、僕が君を好きってことなら、そう受け取ってもらって構わない。」
『えっ…。』
鋼たちのいる部屋に戻る、扉一枚隔てた通路で彼女への抱えていた思いを伝えた。好きという気持ちにはずっと気がつかないふりをしていた。彼女と疎遠になってから、いやその前からも。なんとなく環境的に実らない恋なのだろうと本能が抑え込んでいたんだと思う。それでも今伝えなければ、今また離れてしまえば、彼女とは二度と会えなくなる気がして。
「“未来は無限に広がっている。”そう教えてくれた人がいる。だから僕は、君を助けたい。君が幸せな未来にいられるように。君が、好きだから。」
『辰也、くんっ。』
迅くんの言葉を借りて、彼女にさらに想いを伝えれば、その瞳から溢れ出す涙。彼女が泣いた姿を見るのは、そういえば初めてだ。そしてそのまま歪んだ顔で僕の名前を呼んだ彼女は次の瞬間、こちらに飛びついてきて。
「わっ。」
『…辰也くんは、なんでそんなに私のほしい言葉ばかりくれるの。』
「なまえちゃん?」
『意にそぐわない未来が見えれば、どうしてそんなもの見たんだって。思った未来が見えたら、それが確実になるよう力を尽くせって。私の力を知ってる人は、そんなのばっかり。でも、辰也くんだけは、言ってくれた。“大丈夫だよ”って。』
「それ、あの日、」
啜り泣く彼女を抱きとめながら、思い出す。僕の記憶が正しければそれはなまえちゃんが大規模侵攻の情景を夢で見たと、僕に打ち明けてくれた日のことだったと思う。それは、多くの人が犠牲になった後のことだった。それまで怖くていえなかったのだと、そう言っていた気がする。自分の見た夢と実際に目にした光景が同じになってから、必死に不安を隠そうとする彼女に言った言葉。でも、自分に言い聞かせるためでも合ったその言葉を今のいままで忘れていた。
『あの時から,私もずっと好きだった。』
「なまえ、ちゃん。」
『夢で見た時、もしかしてって期待もしたくらい、また会えたの、嬉しかった。だからこそ、困らせたくなかった。でも、でも…もう限界。』
“助けて。”
その言葉に、まだ僕は彼女の背に腕を回すことしかできないことが歯痒かった。それでも、心が通じ合えた、その事実があればどんな困難でも乗り越えられる気がした。
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22.2.28