始まった日常
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「そういえば、詩音ちゃんはテスト大丈夫かな。」
防衛任務を終え、明日からは歌川、菊地原が、その次の週からは三上が学年末のテスト週間ということもあり、シフトを減らすことにしていた風間隊。特にトラブルが起こったわけではないためほぼ形だけの反省会を終えた直後、三上がそう呟いた。
「どうせボーダー推薦もらうんでしょ。普通校の進学ならどんだけバカでも大丈夫でしょ。」
「太刀川のようなやつでも大学に進学できるくらいだ。あいつは真面目さはきちんとあるし、問題ないだろう。」
「うーん、学力の心配もありますけど、そもそもテスト週間が大丈夫かなって。」
「どういうことですか?」
菊地原の棘のある言い方にもすっかり慣れた三上は、風間と同じようにその言葉選びを指摘するでもなく話を続ける。(風間の言葉もなかなかにひどいが。)そんな三上の言葉に対し疑問を呈した歌川に彼女は自分の思いを説明する。
「だって、詩音ちゃん。ついこの間中学生になったばかりですよ?今まで定期テスト受けたことないはずですよね?小学校にはそういうのないですし。それなのにいきなり学年末テストって言われても、困ってるんじゃないかなって。」
「確かに。」
三上の指摘に、改めて彼女が置かれている本来ならあり得ない状況に気づいた3人。しかし、誰もこの状況をどうにかする術を持っていなかった。詩音と同じ学校に通う菊地原だが彼女の行動を気にかけているとはいえ、クラスの違う彼女の様子を全て知っているわけではなく、風間と歌川はボーダー内部で顔を合わせれば声をかける程度、三上はその2人よりは彼女に何か話しかけているが、それでも詩音の現状を知るには至っていなかった。そして、
「誰か、詩音ちゃんの連絡先知ってますか?」
三上の問いかけに応えるものは誰もいない。それは誰も彼女とこちらから連絡を取る手段を持ち合わせていないことを示していた。
「そもそもあいつ、スマホとか持ってるの?」
「支給の端末なら持ってるだろうが…」
「…。」
風間は無言のままそっと取り出した端末をしまう。彼の端末にも詩音の連絡先は入っていなかったのである。
「風間さん、」
「どうした?」
「明日、作戦室使っていいですか?詩音ちゃん呼んで勉強会したいんですけど…」
「別に構わない。が、連絡はどうする?」
三上と風間の会話に、歌川と菊地原も耳を傾ける。
「帰りに詩音ちゃんの部屋に寄ってみようかと思って。」
その手があったか、男3人は三上の言葉に密かに感心していた。と、同時に自分にはできないという諦めも抱いて。ここは世話を焼くのがうまい三上に任せておこうと3人とも声には出さず、内心頷いていた。三上の問いに特に問題ないと風間が許可を出したところで今日のところは解散となった。そして翌日、
『あの、本当にいいんですか?』
「私から誘ったんだもん。良いに決まってるじゃない。風間さんにも部屋を使う許可は取ってるし。」
本部の中では珍しくトリオン体ではなく、制服で生身のままの姿で詩音は三上についていく。昨日三上が部屋に訪ねたところ、やはりテスト週間には戸惑っているようで。それをフォローしてくれる友人を作るにはまだ時間も足りないようだった。早速学校が終わってからラウンジで待ち合わせを取り付けた三上は、詩音を予定通り作戦室へと案内したのだった。
「遅かったね。」
『!?』
「菊地原くん?」
作戦室に入ると、ソファには菊地原が座っていた。その前の机には教科書とノートが広げられている。そして彼の横には同じくノート類を広げた歌川の姿。
「お疲れ、如月。」
『お、お疲れ様です…。え、っと、』
「俺は、こいつの付き添い。」
「…。範囲、わかんないでしょ、どうせ。」
歌川の言葉に少しムッとした表情をした菊地原だったが、それに対して何か言うことはなく、代わりに詩音へとそう言葉を投げる。対してこの場には三上だけだと思っていた詩音は作戦室にいた菊地原と歌川の姿に驚き、彼ら彼女らの顔を順に見ていくしかなくて。その光景に詩音と同じく驚きはしながらも、様々な含みを持った笑いを零す三上。
「おんなじ学校に通ってる菊地原くんなら、いろいろ教えてもらえそうだね。」
「え、ぼく、勉強教えるとは一言も言ってないんだけど。」
「まあまあ、そう言うなよ。」
『…。』
「とりあえず突っ立ってないで座ってさっさと教科書とか出せば?」
3人に促されて詩音はソファーに座りながら、言われるままに、教材を取り出す。そんな詩音にテスト範囲をまとめたメモを投げるように渡す菊地原をたしなめる歌川と、範囲を確認しつつ彼女の教科書を捲り印をつけていく三上。
「なんだ、菊地原たちもいたのか。」
詩音が慣れないテスト勉強に四苦八苦しながら三上たちの助けを借りて問題集に取り組み始めて1時間ほどたった頃だった。ふいに作戦室の扉が開き、手にビニール袋をぶら下げた風間が入ってきてそう言った。お疲れ様です、と口々に言う風間隊の面々に遅れて、突然の風間の登場に目を丸くしていた詩音もたどたどしく彼らに続いて同じ言葉を発する。それに答えるでもなく机に近づいてきた風間は袋をそこに置くとおもむろに中身を取り出し始めた。
「差し入れだ。」
多めに買っておいて正解だったな、と並べられたのはお菓子とジュースと、
『牛乳...?』
「これはストック用だ。」
ペットボトルの飲み物が並ぶ中一つだけ異質なものが紛れていたことに、思わず詩音が声を漏らす。それに風間が当然だと言わんばかりに説明し、スタスタと冷蔵庫がある給湯室へと歩いていった。
「風間さん、牛乳好きだからいつも冷蔵庫に置いてあるの。」
『そう、なんですか。』
じっと風間が向かった先を目で追っていた詩音に三上がそう教えてくれる。その声にはっとした詩音は再びシャーペンを握り解きかけの問題に向き合おうとした。
「そういえば、」
その言葉に詩音は再び顔を上げる。そこには先ほど持っていた牛乳の代わりにポケットから取りだした端末を持つ風間の姿。それは詩音の前に突き出され、彼女はそれに視線を落とし、再び風間の方を向き首を傾げる。
「できればお前の連絡先を知っておきたいのだが。」
『…私、ボーダーからもらったやつしか持ってないです。』
「今、端末は持っているか?」
頷いた詩音がゴソゴソと鞄をあさり、ボーダー支給の端末を取り出す。
「風間さん、私たちのも。」
三上の言葉にわかったと返した風間は、先に詩音の端末を受け取り当然のように操作する。詩音はといえば少しだけ首を傾げながら、大人しく目の前で起こることの成り行きを見守っていた。そうしてしばらくしてから詩音の元に戻ってきた端末は連絡先一覧が表示されていてそこに新たに並んでいる四人分の名前。
「三上たちにも如月の連絡先を送った。お前も、何かあれば遠慮なく連絡してくるといい。」
『あ、りがとう、ございます。』
端末と風間の顔を交互に見た後、ペコリと頭を下げた詩音はそう言ってまた端末に視線を戻す。その表情はほとんど変わらないものの、喜んでいることが雰囲気でわかって、三上がくすくすと笑いをこぼすのだった。
「じゃ、続きしようか?」
『あ、はい!』
そうして詩音との連絡手段を手に入れた風間隊の面々。そのおかげで彼女はテストまでの期間、誰かしらに勉強を教えてもらうことができた。と言っても、基本的に声をかけるのは三上で、そこに風間や菊地原、歌川が顔を出すという方式だったのだが。それでも必死に慣れないテスト勉強に取り組む詩音を邪険にするものは誰もいなかった。
そして無事、テストが終わった日のことだった。
「…?」
その日偶然、詩音と学校ですれ違った菊地原は彼女の違和感に気づいた。とは言っても、それは強化聴力のサイドエフェクトを持つ菊地原にしかわからないもので。それを誰かに、本人にも伝えることはなかった。そして放課後。自分のテストは終わったものの三上はまだなため、今日は混成部隊での任務が入っていて、本日の拠点となる弓手町支部へと足を向けた頃にはその違和感のことも忘れかけていたのだが。
「お疲れ。」
支部に着く途中、同じく本日混成部隊で任務につく歌川に声を掛けられ適当に返事をする菊地原。それを歌川もわかっているので気にすることはなく、適当な話題を振る中で彼は詩音の様子を尋ねる。
「さぁ?」
「さぁ、ってお前な…。」
「あいつのテストの出来なんて聞くだけ可哀想でしょ。」
どれだけ詩音が努力したところで数年間も学業から離れていれば、学力の遅れを取り戻すのが難しいのは容易に想像ができる。言葉はあまり良くないが、それでもそれが菊地原なりの気遣いだとわかり、歌川はそれ以上彼女の様子を菊地原に聞くのはやめた。しかし、
「…まあ、違和感はあったけど。」
「違和感?」
珍しく、菊地原の方から話題を振られその内容を掘り下げようとしたが、タイミング悪く本日共に任務につく隊員が後ろから声を掛けてきて、それ以上を聞くことはできなかった。そして、そのことをのちに2人は後悔することになる。
「如月を見なかったか?」
今日はテスト終わりで、学校が終わるのも早く、結果的に任務が終わったのも日が暮れてすぐの時間だったため、菊地原と歌川は任務後本部へと足を向けた。ひとまずラウンジにやってきた2人は今日は夜からこちらも混成部隊で任務だという風間に会い、挨拶もそこそこにそう聞かれたのである。歌川が理由を尋ねると、彼経由で連絡先を知った宇佐美が詩音に連絡をしたのだが、一向に返事がないという。
「電池切れ、は、トリオンで充電できるからそうそうないですよね?」
「持ち歩いてないんじゃない?」
「それなら尚更本人に聞くしかないな。」
誰も彼女を見ていないことが分かり、3人の間に沈黙が走る。しかしその時、歌川があることを思い出した。
「そういえば。菊地原の言ってた違和感ってなんだったんだ?」
「違和感?」
話を振られた菊地原は少しだけ眉間にシワを寄せる。なんのことかわからない風間が彼の方を見て無言で話の先を促すと、菊池原は短く言葉を発するした。
「心拍と呼吸。」
「…詳しく説明しろ。」
「いつもより、心拍数が早い気がした。呼吸も、浅い気がした。ただそれだけです。」
「お前な、最初からそういえばいいだろ。」
「…。」
風間と歌川は気にも留めていない、というよりも気づいていなかったが、それは菊地原が彼女の様子について普段から気にかけているいうことを示す発言だった。だからこそそれを口に出したくなかった菊池原。それでもその様子を2人はただ、いつものようにめんどくさがっただけど判断したようで、菊池原はそのことに内心安堵した。しかし、菊地原の見つけた詩音の違和感はよくよく考えれば放っておいても良い類のものではなく。
「三上、は明日からテストだったな。なら俺たちで少し探してみるか。」
「というか、宇佐美先輩もテストってことですよね。そんな時に如月に連絡とか何やってんのあの人。」
「いや、でも、そのおかげで今の状況があるんだろ?お前の言ってた違和感が本当なら如月を見つけたほうがいい。」
「何、俺が勘違いしたって言いたいの?」
「仮にそうだったとしても、テストの手応えや様子を気にかけてやることは悪いことじゃない。というよりもどちらかといえば、お前が感じたものが気のせいである方がいい状況だろう。」
「でも風間さん、今から任務じゃ?」
歌川の問いかけに、任務は深夜からでまだ時間があることを説明した風間は、彼女の居そうな場所にあたりをつけ、ひとまず食堂に向かうことを提案する。それに同意した歌川と少し怪訝そうな顔をした菊地原。
「どうした?」
「いや…」
「おやおや、風間隊の皆さん、お揃いでー。」
「何してるんですか?」
そこに現れたのは、国近と出水だった。人手は多い方がいいと判断した風間が状況を説明しようと口を開いた瞬間、それを遮るように口を開いたのは菊地原で。
「あんたがいるならちょうどいいや。ついてきてよ。」
「私?」
「おい菊地原、どこ行くんだよ。」
「あいつの部屋。女子がいるなら話が早い。」
そう言ってスタスタ歩いていく菊地原に訳がわからないままついていく国近。同じく疑問符を頭に浮かべる出水に状況を改めて説明する風間と俺は一応食堂見てから向かいます、と別行動を申し出た歌川。その後、説明を聞いた出水は歌川と共に本部内をある程度探してから彼女の部屋に向かうことを風間に提案してきたので、風間はそれに頷き、すでに見えなくなった菊地原と国近を追いかけた。一応通路なども適当に見ながら詩音の部屋に向かった風間は彼女の姿を見つけることはできず、目的地の手前までたどり着いてしまう。
「詩音ちゃん!」
と、突然。国近の声が風間の耳に届き、弾かれたように顔をあげ目の前の通路の角を曲がった風間。見ると、彼女の部屋の扉は開いたままになっていたがそこには誰の姿も見えなかった。
「どうした。」
風間が部屋を覗き込む。その瞬間目に映る光景に彼は珍しくその目を見開いた。赤い瞳が映すそこにはぐったりと横たわった詩音とそのそばに駆け寄ったであろう国近と菊地原の姿。予想外の…というよりも心のどこかで予想しつつもそうなって欲しくないと思っていた光景がまさにその通りになっていた。
「心臓は動いてるし、息もしてるけど…あっつ。」
詩音の傍らにしゃがみ込んでいた菊地原が、彼女に触れた瞬間、そう言葉を漏らした。それに気づき風間も詩音に手を伸ばすように近づくとその顔は真っ青を通り越し白くなっていて、届いた手に伝う体温は恐ろしく高いのに汗はそれほどかいていなかった。
「詩音ちゃん!しっかりしてぇ!」
「どけ、国近。」
「ぼくが背負います。」
狼狽える国近を風間が宥めようとしていると、それを押し退けるように菊地原が自ら詩音を背負い始める。自分が彼女を抱えるつもりでいた風間は軽々と彼女を背中に乗せた菊地原に口を開きかけ、それを止めると自分は国近を立たせた。医務室に向かいながら歌川と出水に詩音を見つけたことを連絡しつつ、ふとよぎった己のこの後の予定。シフトまでの時間はそれなりに残っているがこのまま任務に着くには彼女の状態が気掛かりだった。と、そんな折彼の端末が震えた。迅からの着信だった。
「今忙しい。」
[うん。やっぱりね。]
「わかっているなら切るぞ。」
[風間さん、お困りじゃない?]
いつもより数段低い声で風間が応答するも、迅はそれをわかっていたかのように、いや実際わかっていたようで普段通りの飄々とした様子でそう尋ねた。
「要件を言え。」
[怖いなー。]
「早くしろ。」
[はいはい。いやね?風間さんが今夜緊急脱出(ベイルアウト)してる未来が見えてさ。]
「…。」
[強敵が来るって感じでもなかったから、風間さんが心乱される何かが起きたのかなって。そしたら宇佐美が詩音ちゃんと連絡つかないって言ってたからなんか関係あるかなーっと。]
迅の言葉を受けて風間は盛大に顔を顰める。見るものが見れば竦み上がるようなはっきりと怒気を含んだ表情。緊急脱出(ベイルアウト)するかもしれないという己の弱さに対し、その理由を見透かしたかのように軽い口調で話す迅に対しての怒り。しかし、なんとなくそれだけでは無い気がして、けれどそれが何なのかははっきり分からない。その事にもまた苛立ちを感じた。
「どこまで見えている。」
[風間さんが医務室の前に立ってるとこ。その後はそこから立ち去る未来も入ってく未来も見えるよ。]
「如月が倒れていた。俺には如月を支える責任がある。」
[...うん、そうかもね。]
八つ当たりのように低く冷たい声で話す風間とその理由すらも分かるのか、そう答える迅の声は先程の軽さが随分となくなっていたが、どこか面白がっている様子はそのままだった。
[じゃ、風間さんに1つ提案なんだけど。]
「お前がシフトを変わるか?」
[残念。俺明日朝一だからさすがに無理。けどアテはあるよ。]
その後少しだけ迅と話した風間は通話を終えると盛大にため息をついた。と同時に医務室の前へとたどり着く。そこは迅が見たという未来への分岐点。その前で立ち止まり手にした端末である人物へとメッセージを送ると、数十秒後、そこから返信があったことを告げる音がした。その内容を確認した彼はもう一度ため息を吐き、端末をポケットへのしまいながら医務室へと足を踏み入れたのだった。
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22.10.16
防衛任務を終え、明日からは歌川、菊地原が、その次の週からは三上が学年末のテスト週間ということもあり、シフトを減らすことにしていた風間隊。特にトラブルが起こったわけではないためほぼ形だけの反省会を終えた直後、三上がそう呟いた。
「どうせボーダー推薦もらうんでしょ。普通校の進学ならどんだけバカでも大丈夫でしょ。」
「太刀川のようなやつでも大学に進学できるくらいだ。あいつは真面目さはきちんとあるし、問題ないだろう。」
「うーん、学力の心配もありますけど、そもそもテスト週間が大丈夫かなって。」
「どういうことですか?」
菊地原の棘のある言い方にもすっかり慣れた三上は、風間と同じようにその言葉選びを指摘するでもなく話を続ける。(風間の言葉もなかなかにひどいが。)そんな三上の言葉に対し疑問を呈した歌川に彼女は自分の思いを説明する。
「だって、詩音ちゃん。ついこの間中学生になったばかりですよ?今まで定期テスト受けたことないはずですよね?小学校にはそういうのないですし。それなのにいきなり学年末テストって言われても、困ってるんじゃないかなって。」
「確かに。」
三上の指摘に、改めて彼女が置かれている本来ならあり得ない状況に気づいた3人。しかし、誰もこの状況をどうにかする術を持っていなかった。詩音と同じ学校に通う菊地原だが彼女の行動を気にかけているとはいえ、クラスの違う彼女の様子を全て知っているわけではなく、風間と歌川はボーダー内部で顔を合わせれば声をかける程度、三上はその2人よりは彼女に何か話しかけているが、それでも詩音の現状を知るには至っていなかった。そして、
「誰か、詩音ちゃんの連絡先知ってますか?」
三上の問いかけに応えるものは誰もいない。それは誰も彼女とこちらから連絡を取る手段を持ち合わせていないことを示していた。
「そもそもあいつ、スマホとか持ってるの?」
「支給の端末なら持ってるだろうが…」
「…。」
風間は無言のままそっと取り出した端末をしまう。彼の端末にも詩音の連絡先は入っていなかったのである。
「風間さん、」
「どうした?」
「明日、作戦室使っていいですか?詩音ちゃん呼んで勉強会したいんですけど…」
「別に構わない。が、連絡はどうする?」
三上と風間の会話に、歌川と菊地原も耳を傾ける。
「帰りに詩音ちゃんの部屋に寄ってみようかと思って。」
その手があったか、男3人は三上の言葉に密かに感心していた。と、同時に自分にはできないという諦めも抱いて。ここは世話を焼くのがうまい三上に任せておこうと3人とも声には出さず、内心頷いていた。三上の問いに特に問題ないと風間が許可を出したところで今日のところは解散となった。そして翌日、
『あの、本当にいいんですか?』
「私から誘ったんだもん。良いに決まってるじゃない。風間さんにも部屋を使う許可は取ってるし。」
本部の中では珍しくトリオン体ではなく、制服で生身のままの姿で詩音は三上についていく。昨日三上が部屋に訪ねたところ、やはりテスト週間には戸惑っているようで。それをフォローしてくれる友人を作るにはまだ時間も足りないようだった。早速学校が終わってからラウンジで待ち合わせを取り付けた三上は、詩音を予定通り作戦室へと案内したのだった。
「遅かったね。」
『!?』
「菊地原くん?」
作戦室に入ると、ソファには菊地原が座っていた。その前の机には教科書とノートが広げられている。そして彼の横には同じくノート類を広げた歌川の姿。
「お疲れ、如月。」
『お、お疲れ様です…。え、っと、』
「俺は、こいつの付き添い。」
「…。範囲、わかんないでしょ、どうせ。」
歌川の言葉に少しムッとした表情をした菊地原だったが、それに対して何か言うことはなく、代わりに詩音へとそう言葉を投げる。対してこの場には三上だけだと思っていた詩音は作戦室にいた菊地原と歌川の姿に驚き、彼ら彼女らの顔を順に見ていくしかなくて。その光景に詩音と同じく驚きはしながらも、様々な含みを持った笑いを零す三上。
「おんなじ学校に通ってる菊地原くんなら、いろいろ教えてもらえそうだね。」
「え、ぼく、勉強教えるとは一言も言ってないんだけど。」
「まあまあ、そう言うなよ。」
『…。』
「とりあえず突っ立ってないで座ってさっさと教科書とか出せば?」
3人に促されて詩音はソファーに座りながら、言われるままに、教材を取り出す。そんな詩音にテスト範囲をまとめたメモを投げるように渡す菊地原をたしなめる歌川と、範囲を確認しつつ彼女の教科書を捲り印をつけていく三上。
「なんだ、菊地原たちもいたのか。」
詩音が慣れないテスト勉強に四苦八苦しながら三上たちの助けを借りて問題集に取り組み始めて1時間ほどたった頃だった。ふいに作戦室の扉が開き、手にビニール袋をぶら下げた風間が入ってきてそう言った。お疲れ様です、と口々に言う風間隊の面々に遅れて、突然の風間の登場に目を丸くしていた詩音もたどたどしく彼らに続いて同じ言葉を発する。それに答えるでもなく机に近づいてきた風間は袋をそこに置くとおもむろに中身を取り出し始めた。
「差し入れだ。」
多めに買っておいて正解だったな、と並べられたのはお菓子とジュースと、
『牛乳...?』
「これはストック用だ。」
ペットボトルの飲み物が並ぶ中一つだけ異質なものが紛れていたことに、思わず詩音が声を漏らす。それに風間が当然だと言わんばかりに説明し、スタスタと冷蔵庫がある給湯室へと歩いていった。
「風間さん、牛乳好きだからいつも冷蔵庫に置いてあるの。」
『そう、なんですか。』
じっと風間が向かった先を目で追っていた詩音に三上がそう教えてくれる。その声にはっとした詩音は再びシャーペンを握り解きかけの問題に向き合おうとした。
「そういえば、」
その言葉に詩音は再び顔を上げる。そこには先ほど持っていた牛乳の代わりにポケットから取りだした端末を持つ風間の姿。それは詩音の前に突き出され、彼女はそれに視線を落とし、再び風間の方を向き首を傾げる。
「できればお前の連絡先を知っておきたいのだが。」
『…私、ボーダーからもらったやつしか持ってないです。』
「今、端末は持っているか?」
頷いた詩音がゴソゴソと鞄をあさり、ボーダー支給の端末を取り出す。
「風間さん、私たちのも。」
三上の言葉にわかったと返した風間は、先に詩音の端末を受け取り当然のように操作する。詩音はといえば少しだけ首を傾げながら、大人しく目の前で起こることの成り行きを見守っていた。そうしてしばらくしてから詩音の元に戻ってきた端末は連絡先一覧が表示されていてそこに新たに並んでいる四人分の名前。
「三上たちにも如月の連絡先を送った。お前も、何かあれば遠慮なく連絡してくるといい。」
『あ、りがとう、ございます。』
端末と風間の顔を交互に見た後、ペコリと頭を下げた詩音はそう言ってまた端末に視線を戻す。その表情はほとんど変わらないものの、喜んでいることが雰囲気でわかって、三上がくすくすと笑いをこぼすのだった。
「じゃ、続きしようか?」
『あ、はい!』
そうして詩音との連絡手段を手に入れた風間隊の面々。そのおかげで彼女はテストまでの期間、誰かしらに勉強を教えてもらうことができた。と言っても、基本的に声をかけるのは三上で、そこに風間や菊地原、歌川が顔を出すという方式だったのだが。それでも必死に慣れないテスト勉強に取り組む詩音を邪険にするものは誰もいなかった。
そして無事、テストが終わった日のことだった。
「…?」
その日偶然、詩音と学校ですれ違った菊地原は彼女の違和感に気づいた。とは言っても、それは強化聴力のサイドエフェクトを持つ菊地原にしかわからないもので。それを誰かに、本人にも伝えることはなかった。そして放課後。自分のテストは終わったものの三上はまだなため、今日は混成部隊での任務が入っていて、本日の拠点となる弓手町支部へと足を向けた頃にはその違和感のことも忘れかけていたのだが。
「お疲れ。」
支部に着く途中、同じく本日混成部隊で任務につく歌川に声を掛けられ適当に返事をする菊地原。それを歌川もわかっているので気にすることはなく、適当な話題を振る中で彼は詩音の様子を尋ねる。
「さぁ?」
「さぁ、ってお前な…。」
「あいつのテストの出来なんて聞くだけ可哀想でしょ。」
どれだけ詩音が努力したところで数年間も学業から離れていれば、学力の遅れを取り戻すのが難しいのは容易に想像ができる。言葉はあまり良くないが、それでもそれが菊地原なりの気遣いだとわかり、歌川はそれ以上彼女の様子を菊地原に聞くのはやめた。しかし、
「…まあ、違和感はあったけど。」
「違和感?」
珍しく、菊地原の方から話題を振られその内容を掘り下げようとしたが、タイミング悪く本日共に任務につく隊員が後ろから声を掛けてきて、それ以上を聞くことはできなかった。そして、そのことをのちに2人は後悔することになる。
「如月を見なかったか?」
今日はテスト終わりで、学校が終わるのも早く、結果的に任務が終わったのも日が暮れてすぐの時間だったため、菊地原と歌川は任務後本部へと足を向けた。ひとまずラウンジにやってきた2人は今日は夜からこちらも混成部隊で任務だという風間に会い、挨拶もそこそこにそう聞かれたのである。歌川が理由を尋ねると、彼経由で連絡先を知った宇佐美が詩音に連絡をしたのだが、一向に返事がないという。
「電池切れ、は、トリオンで充電できるからそうそうないですよね?」
「持ち歩いてないんじゃない?」
「それなら尚更本人に聞くしかないな。」
誰も彼女を見ていないことが分かり、3人の間に沈黙が走る。しかしその時、歌川があることを思い出した。
「そういえば。菊地原の言ってた違和感ってなんだったんだ?」
「違和感?」
話を振られた菊地原は少しだけ眉間にシワを寄せる。なんのことかわからない風間が彼の方を見て無言で話の先を促すと、菊池原は短く言葉を発するした。
「心拍と呼吸。」
「…詳しく説明しろ。」
「いつもより、心拍数が早い気がした。呼吸も、浅い気がした。ただそれだけです。」
「お前な、最初からそういえばいいだろ。」
「…。」
風間と歌川は気にも留めていない、というよりも気づいていなかったが、それは菊地原が彼女の様子について普段から気にかけているいうことを示す発言だった。だからこそそれを口に出したくなかった菊池原。それでもその様子を2人はただ、いつものようにめんどくさがっただけど判断したようで、菊池原はそのことに内心安堵した。しかし、菊地原の見つけた詩音の違和感はよくよく考えれば放っておいても良い類のものではなく。
「三上、は明日からテストだったな。なら俺たちで少し探してみるか。」
「というか、宇佐美先輩もテストってことですよね。そんな時に如月に連絡とか何やってんのあの人。」
「いや、でも、そのおかげで今の状況があるんだろ?お前の言ってた違和感が本当なら如月を見つけたほうがいい。」
「何、俺が勘違いしたって言いたいの?」
「仮にそうだったとしても、テストの手応えや様子を気にかけてやることは悪いことじゃない。というよりもどちらかといえば、お前が感じたものが気のせいである方がいい状況だろう。」
「でも風間さん、今から任務じゃ?」
歌川の問いかけに、任務は深夜からでまだ時間があることを説明した風間は、彼女の居そうな場所にあたりをつけ、ひとまず食堂に向かうことを提案する。それに同意した歌川と少し怪訝そうな顔をした菊地原。
「どうした?」
「いや…」
「おやおや、風間隊の皆さん、お揃いでー。」
「何してるんですか?」
そこに現れたのは、国近と出水だった。人手は多い方がいいと判断した風間が状況を説明しようと口を開いた瞬間、それを遮るように口を開いたのは菊地原で。
「あんたがいるならちょうどいいや。ついてきてよ。」
「私?」
「おい菊地原、どこ行くんだよ。」
「あいつの部屋。女子がいるなら話が早い。」
そう言ってスタスタ歩いていく菊地原に訳がわからないままついていく国近。同じく疑問符を頭に浮かべる出水に状況を改めて説明する風間と俺は一応食堂見てから向かいます、と別行動を申し出た歌川。その後、説明を聞いた出水は歌川と共に本部内をある程度探してから彼女の部屋に向かうことを風間に提案してきたので、風間はそれに頷き、すでに見えなくなった菊地原と国近を追いかけた。一応通路なども適当に見ながら詩音の部屋に向かった風間は彼女の姿を見つけることはできず、目的地の手前までたどり着いてしまう。
「詩音ちゃん!」
と、突然。国近の声が風間の耳に届き、弾かれたように顔をあげ目の前の通路の角を曲がった風間。見ると、彼女の部屋の扉は開いたままになっていたがそこには誰の姿も見えなかった。
「どうした。」
風間が部屋を覗き込む。その瞬間目に映る光景に彼は珍しくその目を見開いた。赤い瞳が映すそこにはぐったりと横たわった詩音とそのそばに駆け寄ったであろう国近と菊地原の姿。予想外の…というよりも心のどこかで予想しつつもそうなって欲しくないと思っていた光景がまさにその通りになっていた。
「心臓は動いてるし、息もしてるけど…あっつ。」
詩音の傍らにしゃがみ込んでいた菊地原が、彼女に触れた瞬間、そう言葉を漏らした。それに気づき風間も詩音に手を伸ばすように近づくとその顔は真っ青を通り越し白くなっていて、届いた手に伝う体温は恐ろしく高いのに汗はそれほどかいていなかった。
「詩音ちゃん!しっかりしてぇ!」
「どけ、国近。」
「ぼくが背負います。」
狼狽える国近を風間が宥めようとしていると、それを押し退けるように菊地原が自ら詩音を背負い始める。自分が彼女を抱えるつもりでいた風間は軽々と彼女を背中に乗せた菊地原に口を開きかけ、それを止めると自分は国近を立たせた。医務室に向かいながら歌川と出水に詩音を見つけたことを連絡しつつ、ふとよぎった己のこの後の予定。シフトまでの時間はそれなりに残っているがこのまま任務に着くには彼女の状態が気掛かりだった。と、そんな折彼の端末が震えた。迅からの着信だった。
「今忙しい。」
[うん。やっぱりね。]
「わかっているなら切るぞ。」
[風間さん、お困りじゃない?]
いつもより数段低い声で風間が応答するも、迅はそれをわかっていたかのように、いや実際わかっていたようで普段通りの飄々とした様子でそう尋ねた。
「要件を言え。」
[怖いなー。]
「早くしろ。」
[はいはい。いやね?風間さんが今夜緊急脱出(ベイルアウト)してる未来が見えてさ。]
「…。」
[強敵が来るって感じでもなかったから、風間さんが心乱される何かが起きたのかなって。そしたら宇佐美が詩音ちゃんと連絡つかないって言ってたからなんか関係あるかなーっと。]
迅の言葉を受けて風間は盛大に顔を顰める。見るものが見れば竦み上がるようなはっきりと怒気を含んだ表情。緊急脱出(ベイルアウト)するかもしれないという己の弱さに対し、その理由を見透かしたかのように軽い口調で話す迅に対しての怒り。しかし、なんとなくそれだけでは無い気がして、けれどそれが何なのかははっきり分からない。その事にもまた苛立ちを感じた。
「どこまで見えている。」
[風間さんが医務室の前に立ってるとこ。その後はそこから立ち去る未来も入ってく未来も見えるよ。]
「如月が倒れていた。俺には如月を支える責任がある。」
[...うん、そうかもね。]
八つ当たりのように低く冷たい声で話す風間とその理由すらも分かるのか、そう答える迅の声は先程の軽さが随分となくなっていたが、どこか面白がっている様子はそのままだった。
[じゃ、風間さんに1つ提案なんだけど。]
「お前がシフトを変わるか?」
[残念。俺明日朝一だからさすがに無理。けどアテはあるよ。]
その後少しだけ迅と話した風間は通話を終えると盛大にため息をついた。と同時に医務室の前へとたどり着く。そこは迅が見たという未来への分岐点。その前で立ち止まり手にした端末である人物へとメッセージを送ると、数十秒後、そこから返信があったことを告げる音がした。その内容を確認した彼はもう一度ため息を吐き、端末をポケットへのしまいながら医務室へと足を踏み入れたのだった。
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22.10.16
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