個別の物語
16時27分
大きな窓から射し込む西陽の眩しさに目を覚まし、ぼんやりした頭で時計の針を読む。
さして大きくない図書館にしては気の利いた、柔らかな背もたれにもたれかかり、小さく欠伸をした。
眠る前に15頁ほど読んだ本は、主人公が遺跡に記された暗号を解読しようと頭を悩ませたまま止まっている。
「(ミステリーにすれば良かったかな)」
最近流行りの冒険小説を閉じつつ、カモフラージュ用だからと適当に選びすぎたことを僅かに後悔した。
椅子の背に掛けた上着を羽織り、席を立つ。
本はもとより書店で買って持ち込んだものだ。
秋の風が目覚ましに丁度いい。
毎週変わらない、穏やかで少々退屈な休日だった。
*****
ある日、目覚まし代わりにしていた眩しさが訪れなくなった。
閉館時間の案内と椅子を引いて立ち上がる音で目覚めた俺は、寝ぼけ眼でいつも叩き起こしてくれる窓の方を向く。
すると何故かそこだけカーテンが閉められていて、首を傾げて立ち上がる俺の目の前を館職員が順々に他の戸締まりをしながら通り過ぎていった。
「俺、こんなに昼寝できるんだ」
小さく呟いたところで、ふと人の気配に気づく。
大きなフードをかぶって若干だぼついた、古ぼけた暗い色の服を着た小柄な人物が、書架の間から慌てた様子で現れた。
彼だか彼女だかも分からない人物は、椅子の上に丸ごと置き忘れられた大きなトートバッグを覗き込み、「あった……!」と嬉しそうに少女とも少年ともつかないトーンの声をあげる。
「忘れ物?」
飛び上がらんばかりに全身で驚いた小柄な人物がこっちに向き直った。
垂れ下がったフードの暗がりギリギリから、見開かれた大きな夜色の瞳がのぞいている。
抱きかかえられたトートバッグの中に、ふと目を惹くものが見えた。
天敵に見つかって動けない小動物のようになってしまった相手の警戒を解こうと、俺は困り笑顔を作る。
「ごめんごめん、もしかして君が恩人かもしれないって思ってさ。つい話しかけちゃった」
「おんじん……?」
「そ、誰かがカーテン閉めてくれたおかげで今の今までぐっすり眠れたの。どう?心当たりある?」
フードと肩にかかるふんわりした黒髪の間で、大きな瞳がぱちくりしている。
数秒してから「あ」と小さな声があがった。
「そっか、ありがと。最近寝つき悪くて困っててさ、おかげですっきりしたよ。
俺の名前はユーイ。君は?」
「……!」
名乗った数秒後。相手が明らかに動揺したのが表情で分かった。
その不自然で分かりやすい反応を確認して、俺は目を細めて笑みを深める。
「名前、知りたいな」
にこにこしながら席を立って1歩近づくと、相手はその場であわあわキョロキョロして3歩遠ざかって書架に背中をぶつける。
「あっ、ごめん大丈夫?」
「す、すみません、ぼく男ですので……!」
彼はトートバッグをぎゅっと抱え込んで小さな声でそう言うと、書架の間に引っ込んでしまった。
ぱたぱたと小走りする足音が遠ざかっていく。
「あ〜ぁ、俺そんなチャらく見える?見えるかぁ、よく言われるしな……」
取り残された俺はいったん座ってぶつくさ呟いていたが、図書館職員の無言の圧を感じて真面目な顔をして上着を羽織り、さっさと退室した。
殺風景な自室へ帰ると、ベッドに体を投げ出す。
横を向けば、サイドテーブルの上にちょこんと座った、継ぎ接ぎだらけの猫のぬいぐるみが、左右非対称なボタンの瞳でこちらを見ていた。
チェック柄の額を人差し指で撫でながら、目を閉じて軽いため息を吐く。
「別に、分かんなくたっていいんだけどさ……くっそ、急に距離詰めすぎた……」
親の記憶など1つもない内に捨てられていたらしい俺が、唯一最初から持っていたもの。
継ぎ接ぎだらけでパッチワークのようになった、年季の入った猫のぬいぐるみ。
そっと持ち上げて、タグに書かれた癖のある丸い文字を読む。
『わたしの大好きな、大切なユーイ』
あの時、抱えたトートバッグの中には確かにこれとそっくり同じぬいぐるみが顔を覗かせていた。
ヴィンテージ風だとしても有り得ないくらい哀愁漂うこいつ。
布の柄とボタンの種類ががところどころ違う程度で、綺麗にそっくりそのままだった。
……待てよ、そっくりそのまま?
「……逆に、なんで同じなんだよ……?」
すっかり感傷的な気分になっていたが、奇妙な謎に突っかかってしまった。
よくよく考えてみればわざわざ同じ繕い方するワケないだろ。
そういう作風の作品にしては、縫い方が素人のそれすぎる。
「……決めた。相手は男、たぶん年下だ。絶対友達になって聞き出してやる。
こうなりゃ話は簡単だ、俺のコミュ力なめんなよ」
*******************
結論から言うと、話は簡単どころの騒ぎではなかった。
「………………」
俺は今、どこからどう見ても逆さまに本を持って真剣に読んでいる素振りをしている、この前の小柄な彼を横目でときどき見ながら、どうしたものかと考えて寝たふりを続けている。
何なら、さっき本を取りに行くのかと思いきや本棚の影から遠目にこっちを見ているのと目が合った。
大慌てで引っ込んだものだから、わざとらしく「気のせいか……」と呟いたら、ほっとした顔で席に戻っていったのまで確認した。気づいてくれよ、俺が気づいていることに。
「ん……」
そうこうしている内に、西陽が射し込む時間になって眩しくなってきた。
寝たふりをしたまま眩しくて目が覚めそうな素振りをすると、彼がそーっと立ち上がる音がして、ひそめた足音がぺたぺた窓辺まで移動していく。
ちょっとずつカーテンを引く音がして、西陽が遮られて快適になる。
俺が静かに寝息をたてると、それを確認してか「ふぅ」と一仕事やり遂げた感じの息遣いが聞こえた。
こらえきれなくなって、つい笑いが漏れてしまう。
ゆっくり目を開けば、この前と同じようにフードの下からびっくり顔で目を大きくしている小動物がいる。
あんまりニヤつくのも悪いので片手で口元を覆いながら話しかけた。
「すげぇ優しいじゃん。俺、もう来なくなっちゃうかと思ってたよ」
さぁ、君は俺の何?
手がかりをあちこちに落としていく小動物を前に、不安など忘れてわくわくしている自分がいた。
大きな窓から射し込む西陽の眩しさに目を覚まし、ぼんやりした頭で時計の針を読む。
さして大きくない図書館にしては気の利いた、柔らかな背もたれにもたれかかり、小さく欠伸をした。
眠る前に15頁ほど読んだ本は、主人公が遺跡に記された暗号を解読しようと頭を悩ませたまま止まっている。
「(ミステリーにすれば良かったかな)」
最近流行りの冒険小説を閉じつつ、カモフラージュ用だからと適当に選びすぎたことを僅かに後悔した。
椅子の背に掛けた上着を羽織り、席を立つ。
本はもとより書店で買って持ち込んだものだ。
秋の風が目覚ましに丁度いい。
毎週変わらない、穏やかで少々退屈な休日だった。
*****
ある日、目覚まし代わりにしていた眩しさが訪れなくなった。
閉館時間の案内と椅子を引いて立ち上がる音で目覚めた俺は、寝ぼけ眼でいつも叩き起こしてくれる窓の方を向く。
すると何故かそこだけカーテンが閉められていて、首を傾げて立ち上がる俺の目の前を館職員が順々に他の戸締まりをしながら通り過ぎていった。
「俺、こんなに昼寝できるんだ」
小さく呟いたところで、ふと人の気配に気づく。
大きなフードをかぶって若干だぼついた、古ぼけた暗い色の服を着た小柄な人物が、書架の間から慌てた様子で現れた。
彼だか彼女だかも分からない人物は、椅子の上に丸ごと置き忘れられた大きなトートバッグを覗き込み、「あった……!」と嬉しそうに少女とも少年ともつかないトーンの声をあげる。
「忘れ物?」
飛び上がらんばかりに全身で驚いた小柄な人物がこっちに向き直った。
垂れ下がったフードの暗がりギリギリから、見開かれた大きな夜色の瞳がのぞいている。
抱きかかえられたトートバッグの中に、ふと目を惹くものが見えた。
天敵に見つかって動けない小動物のようになってしまった相手の警戒を解こうと、俺は困り笑顔を作る。
「ごめんごめん、もしかして君が恩人かもしれないって思ってさ。つい話しかけちゃった」
「おんじん……?」
「そ、誰かがカーテン閉めてくれたおかげで今の今までぐっすり眠れたの。どう?心当たりある?」
フードと肩にかかるふんわりした黒髪の間で、大きな瞳がぱちくりしている。
数秒してから「あ」と小さな声があがった。
「そっか、ありがと。最近寝つき悪くて困っててさ、おかげですっきりしたよ。
俺の名前はユーイ。君は?」
「……!」
名乗った数秒後。相手が明らかに動揺したのが表情で分かった。
その不自然で分かりやすい反応を確認して、俺は目を細めて笑みを深める。
「名前、知りたいな」
にこにこしながら席を立って1歩近づくと、相手はその場であわあわキョロキョロして3歩遠ざかって書架に背中をぶつける。
「あっ、ごめん大丈夫?」
「す、すみません、ぼく男ですので……!」
彼はトートバッグをぎゅっと抱え込んで小さな声でそう言うと、書架の間に引っ込んでしまった。
ぱたぱたと小走りする足音が遠ざかっていく。
「あ〜ぁ、俺そんなチャらく見える?見えるかぁ、よく言われるしな……」
取り残された俺はいったん座ってぶつくさ呟いていたが、図書館職員の無言の圧を感じて真面目な顔をして上着を羽織り、さっさと退室した。
殺風景な自室へ帰ると、ベッドに体を投げ出す。
横を向けば、サイドテーブルの上にちょこんと座った、継ぎ接ぎだらけの猫のぬいぐるみが、左右非対称なボタンの瞳でこちらを見ていた。
チェック柄の額を人差し指で撫でながら、目を閉じて軽いため息を吐く。
「別に、分かんなくたっていいんだけどさ……くっそ、急に距離詰めすぎた……」
親の記憶など1つもない内に捨てられていたらしい俺が、唯一最初から持っていたもの。
継ぎ接ぎだらけでパッチワークのようになった、年季の入った猫のぬいぐるみ。
そっと持ち上げて、タグに書かれた癖のある丸い文字を読む。
『わたしの大好きな、大切なユーイ』
あの時、抱えたトートバッグの中には確かにこれとそっくり同じぬいぐるみが顔を覗かせていた。
ヴィンテージ風だとしても有り得ないくらい哀愁漂うこいつ。
布の柄とボタンの種類ががところどころ違う程度で、綺麗にそっくりそのままだった。
……待てよ、そっくりそのまま?
「……逆に、なんで同じなんだよ……?」
すっかり感傷的な気分になっていたが、奇妙な謎に突っかかってしまった。
よくよく考えてみればわざわざ同じ繕い方するワケないだろ。
そういう作風の作品にしては、縫い方が素人のそれすぎる。
「……決めた。相手は男、たぶん年下だ。絶対友達になって聞き出してやる。
こうなりゃ話は簡単だ、俺のコミュ力なめんなよ」
*******************
結論から言うと、話は簡単どころの騒ぎではなかった。
「………………」
俺は今、どこからどう見ても逆さまに本を持って真剣に読んでいる素振りをしている、この前の小柄な彼を横目でときどき見ながら、どうしたものかと考えて寝たふりを続けている。
何なら、さっき本を取りに行くのかと思いきや本棚の影から遠目にこっちを見ているのと目が合った。
大慌てで引っ込んだものだから、わざとらしく「気のせいか……」と呟いたら、ほっとした顔で席に戻っていったのまで確認した。気づいてくれよ、俺が気づいていることに。
「ん……」
そうこうしている内に、西陽が射し込む時間になって眩しくなってきた。
寝たふりをしたまま眩しくて目が覚めそうな素振りをすると、彼がそーっと立ち上がる音がして、ひそめた足音がぺたぺた窓辺まで移動していく。
ちょっとずつカーテンを引く音がして、西陽が遮られて快適になる。
俺が静かに寝息をたてると、それを確認してか「ふぅ」と一仕事やり遂げた感じの息遣いが聞こえた。
こらえきれなくなって、つい笑いが漏れてしまう。
ゆっくり目を開けば、この前と同じようにフードの下からびっくり顔で目を大きくしている小動物がいる。
あんまりニヤつくのも悪いので片手で口元を覆いながら話しかけた。
「すげぇ優しいじゃん。俺、もう来なくなっちゃうかと思ってたよ」
さぁ、君は俺の何?
手がかりをあちこちに落としていく小動物を前に、不安など忘れてわくわくしている自分がいた。