序章 謎の糸張る商店街

日和は思ったよりも大変な場面に出くわしてしまっていた。



まず、鳩を追っていった先には、白スーツのマジシャンらしき人はいた。

さっきの鳩はしっかり肩にとまっていた。予想大正解だ。

ここまでは問題がなかった。

しかし、白スーツの人は、日和が以前トンボを捕まえて誤魔化した「黒い糸のお化けみたいな男の人」と合流していた。

あの人も芸の道の人だったのかと、むしろ安堵した。謎めいた言動も出で立ちもそれなら納得がいく。
あの不思議な糸だって、ただ単に上着のほつれを照れ隠ししただけかもしれない。

興味本位でひっそり見ていたら、彼らは深刻な表情で何らかの相談をしながら商店街を通り、真ん中の広場へと向かっていった。

そして、そこで待っていたのは美しくウェーブのかかった白髪を手で梳きながら、黒のサングラス越しにアーケード越しの空を見つめ、1ミリたりとも姿勢を緩めることなく真っ直ぐに立つ紛れもないおばあちゃんだった。

品のいいブラウスに、紫のロングスカート、白のロングカーディガンが秋の風に揺れている。

彼女は黒糸お化けの人と白鳩マジシャンの人を見つけると、一瞬だけ微笑んだ。
目尻と口元に柔らかな皺が入る。
しかし次の瞬間には靴音高く歩み寄り、朗々とした声で開口一番こう宣言した。

「今日こそ理解して頂きます、私の只一人の兄よ。
この世は確かな約束の下に生まれた、大いなるひとつの物語。
宇宙が生まれたその時から、私達が協力し、約束を叶えることは定められているのです。
自ら力を封じるような真似はやめ、共に行きましょう______」


「っで、」


「電波の人だ」と言いかけて、日和は口を押さえて看板の陰に隠れた。

幸い、振り返ったのはマジシャンの肩にいる鳩だけだった。

「何度来ても同じことだ。我々の邪魔をしないでもらおうか!」


マジシャンが力強く反論する。声が大きくて凛としてよく響く。

黙っていても雰囲気がのどかな商店街にそぐわない3人だったが、2/3が尋常ではない発言をしだしたおかげで、まるでイベントの出し物を見ているようだ。

当然のことながら、近くの店から野次馬たちが顔を出す。

看板の陰から見てみれば、黒糸お化けの人がマジシャンを手で制止して静かに一歩前へ出たところだった。

灰色のハイネックに黒のロングコート、まだ秋なのにまるでそこだけ冬であるかのように空気が張り詰めていた。

端的に言えば、少々暑苦しい。


「……お前の信じる《約束》が、私達に何を与えた?」


コツ、コツ。


彼の杖先が、石畳を静かに叩く。


「作られた《物語》に試練と不運は付き物だ。
汗だ涙だ感動だ、好きに盛り上がっていればいい。

……だが、私は生憎、天邪鬼な性分でね。
お前がこの世を「約束通りの物語」にしようと言うならば……

私は、この世界の下らぬ約束ごとなど全て壊そう。

……あぁ、見るといい。どうやら天も私に向いてきたようだ」

アーケードの屋根を雨垂れが叩く音が聞こえる。

かっこいいおばあちゃんはサングラスを外して目を細め、目を見開き、ッカーン!と小気味いい音を立ててサングラスをその辺の石畳に投げた。


「……どうして……? 今日の降水確率はたった20%のはず…!」

「ヒントを出そう。軒先の小さな戦士のおかげだよ」

するとマジシャンの方が驚いた声をあげた。

「師匠!? まさか……吊るしたのですか!何故!」

「私に奇跡を信じる資格は無い……しかし、たまには信じてみたくなるのさ。
分かったか、嘗ての妹よ。私の力を利用してどうなるというんだ。
てるてる坊主達の無念でさえも、この世の《約束》とやらには必要な痛みなのか?」



思ったより頓珍漢な話についていけなくなり、日和は「もしかして黒い人はただの寒がりなのかな」と物思いに耽り始めたていた。


無情にも、日和がその不審な会話から解き放たれることはなかった。

背後でキッと自転車が止まる音がし、雑な物思いは中断される。


「ちわっす。パン屋のオレなんすけどー」


身も蓋もない挨拶をしてきたのは先日おつかれっしたパン屋の大学生だった。
茶髪だと思っていたが、よく見るとオレンジも混ざっている。強い。
しかし、不思議と警戒心を抱かせない絶妙な脱力感があった。

ぽりぽり頭を掻いて、いかにもダルそうにハンドルにもたれかかっている。

「悪いんスけど、今アレどうなってんのか教えてくんね?
オレ、今からあの話に入らなきゃなんねんスわ。あ~ほんっとダリィ」

「大変っスね」

若干つられながらも、てるてる坊主まで吊るしたのに天気予報が大外れした話で盛り上がっていると告げると、大学生は意外と素直に理解した。
その様子から鑑みて、どうやらあの人達は日常的に頓珍漢な話をしているらしい。

というか、アレに参加しなければならないなんて……いったい何者なのだろう。

「あざっす。話変わっけど、それアンタ…いやオネーサンが拾ったやつ?」

「公園で見つけたいい感じの枝っす」

まさかこの空気の兄ちゃんがいい感じの枝に興味を持つとは思っていなかった日和は、動揺して要らん情報を口走ってしまった。


「ふ〜ん。いやオレ、ワケは分かんねーけど、実はある人から、そういう人見つけたら知らせるように言われてんだよね」


そう言って、彼はちらっと、まだてるてる坊主論争で何やら言い合っている謎の集団に目をやった。

わからないことが増えた……私の身にいったいこれから何が起ころうとしているのか。

これはエクスカリバー(仮)。

エクスカリバーたり得る可能性が1%くらいは無いとも言いきれないだけの、ただの丁度いい手頃な枝。

しかも私が選ばれたのではなく私が選んだ枝だ。もしかして、「もうやだ俺エクスカリバーやめる!」と思っているかもしれない。

「どうして?あの中にいい感じの枝マニアがいるの?」

「いやいやいや、何スか? いい感じの枝マニアって! オネーサンまじウケるわー!
オレも好きか嫌いで言ったら好きっスけど。
まぁとにかく、ちょうどいいや。いますっげー入りづれーから、いっそ一緒に行ってあの流れブチ壊しちまいやしょうぜ」

「ちょっ 待」

「ダイジョブっす!ちょい変スけどメタメタに面白い人ばっかなんで!お願いしますよ!」


かくして、いい感じの枝が大好きな日和は、マジウケされたダメージを引きずったまま、自転車を脇に置いて枝の先を捕まえた人懐っこいパン屋の大学生に連れられて謎の集団の前に姿を現わす羽目になってしまった。



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「待って 心の準備が」

「だーいじょぶですって!そう、頭おかしいと思うのはほんの最初だけ!…って、アレ?おーい……?どした?目ぇキラキラさせて……」

捕まった枝を振り回して抵抗していた日和が、突然ひとりでに歩いていく。

パン屋の大学生が驚いて枝から手を離したため、バチバチと火花を散らす電波おばあちゃんと黒糸男の方へ日和だけが先に歩いて行く。


バチバチと。

火花が散っている。


お分かりいただけただろうか、これは比喩ではない。


2人の視線が交差する点に、本当に線香花火のように火花が散っているのだ。

あと3mほどになった時、2人が日和の接近に気づいてはっと同時に振り向いた。


「お兄様、この方は……?」

「いや、私も知らないな……」

「あっ、お気になさらず」

「そう言われても……なぁ爽馬、お前の友達?」

「お疲れーっす、黒出さん!そっすね、話したのは今日で2回目っす!」

黒糸男は黒出という名前らしい。年齢がおかしい以外はとても分かりやすい。しかし今はそんなのどうでもよい。

「お二人とも、お気になさらず向かい合ってください。今いいところなんで」

「師匠……彼女は敵ですか!?味方ですか!?」

「いや私に聞かないで、ホント全然わからん。向かい合えばいい?
わ、わかった……糸乃(しの)、おとなしく言うこと聞いておこう」

糸乃と呼ばれた白いおばあちゃんは戸惑いながらも「兄」へと視線を戻す。

「まさか、これもあなたたちの作戦の内ではありませんか……?
しかし、嘘をついていれば様子で分かるでしょうね……」

暗に他全員演技が下手そうだと言われているのだが、誰も気づかないため問題なかった。

彼女が黒出へと視線を戻した途端、またパチパチと火花が散った。

「よし…」

両者の気が逸れたせいか、さっきより勢いが控えめだ。

日和はしばらく火花を眺め、そっと手にした枝の先を火花に近づけた。

パン屋の兄ちゃんと白鳩マジシャンとが、ゴクリと息を呑む。


パチパチ……パチ……


30秒後、枝をゆっくり引っ込めて状態を眺め、日和は宣言する。


「焦げてる」

「えっ マジで?」

「温度が…あったというのか!?」

いいリアクションをするヤンキー&マジシャンに対して、当の発生源2人は何とも言えない顔でこちらを見ている。

「あっ、まだ続きがあります。どうぞ向き合って」

2人が素直に向き直ったところで日和はスマホを構えた。

「はいチーズ」


カシャ


画面を覗くと、向き合ったまま反射でピースしてしまった大の大人2人と、火種が落ちる直前の線香花火のような控えめな火花が写っていた。


「写ってる」

パン屋の兄ちゃんとマジシャンが寄ってきて日和のスマホを覗く。

「レアじゃん。あとでMOINに送ってよ」

「何、だと……幻覚ではなかったというのか!? あっ私にもくれ」

「アカウント知らないのに」

「じゃあID教えてよ」

「凝ってるからやです」

「え〜?オレだってぶっちゃっけかなりアイタタ感あるし平気だって!」

「ちなみに私はhatohato969だぞ」

「はとはとクロック?」

ちょうどマジシャンのハトハトクロック氏がドヤ顔しているあたりで、置いてけぼりになっていた糸乃おばあちゃんが急に呟いた。

「思い出したわ。あなたは、いつもそうやって現れては私たちを日常へと引きずり戻した……」

靴音の方に向き直れば、おばあちゃんが何処か遠い感傷的な眼差しで訳の分からないことを言いながら日和を見ていた。

かなり控えめに言って めちゃくちゃ怖い。

「人違いです」

何だかスピリチュアルな方向へ行きそうな流れだ。
話題を変えようと視線を動かした先に、日和はある物を見つけた。

「あっ 上着の糸ほつれてますよ」

場所を問われて、背中を向けてもらって、糸を引っ張って気づいた。

これは上着の糸ではない。私の墓穴に繋がる糸だ。

上着につながっておらずフワフワ漂う白糸を、背後から覗き込んだ黒の「お兄様」が見下ろして低く呟いた。

「きみ、やはり《見えている》な……?」

これがマンガだったら冷や汗ダラダラといったところだろう。

そっと振り向けば、長身を猫背気味に屈めて日和を見ている彼、の、肩越しにそよりとこっちへ伸びる複数の黒い糸。

前門の白糸、後門の黒糸。

得体の知れない糸が絡みついてくる前に、日和は自然とカニ歩きした。

「なんすか、霊感の話?志半ばでちょん切られた糸屑の亡霊でもいんの?」

「チョッキリーナと名付けよう」

どうやら見えていないらしい周り2人のズレズレ会話を背に、日和は逃走していた。

全てはひとえに平穏な日常の為。

不思議に目がない自分への対策の為。

遠くの方で「えっ、オレのせいじゃないっしょ?!」という声が聞こえたが、幸い追ってくる様子はなかったため、アーケードを抜けて一旦道を曲がったあとは普通にゆっくり歩いた。美味しいごはんのことを考えながら。





その夜、日和は好奇心に負けてhatohato969さんに友達申請を送る。

火花写真のお返しには、例の白鳩が誰かのつむじをつついている写真を貰った。


誰かのつむじを心配しながら床についたその日に見たのは、黒と白の糸で特大繭玉にされる夢だった。







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