夢100部屋
昼下がり、一日で一番の陽射しがカーテン越しに降り注ぐ中。真っ直ぐ向けられたライトブルーの瞳と、向かい合っている。
ザントさんの眼差しは強い。照れ隠しで逸らされていることも多い。だからこそ、しっかり向けられた時、大地そのものような肌に映える涼やかな白と鮮やかな青のコントラストは、私にとって、とてつもない引力を持っている。今にも喜んで飛び込んでしまいそう。
「……もう一度、言ってくれないか」
いけない。私達は今、互いに一歩も引けない交渉の最中にいるんだった。
例え、いつもより近い距離で、いつも以上に優しく囁くような声で頼まれても、こればかりは私も私を貫くと決めている。
「いえ、違いました。忘れてください……」
しばし、そのまま視線がかち合う。
やがて、すっと青い瞳が下に逸らされた。
「そうか……」
一言だけぽつりと発された、落胆の表れる小さな声音と、表情。きゅうっと胸が締め付けられ、気づけば先程の決意は何処へやら、背を向けた彼の襟巻の端をはっしと捕まえていた。
「!」
驚いて振り返ったザントさんは、見開いた目をふっと細めて、こちらへと向き直って優しく、そして少しだけ悪戯っぽく微笑む。
「……言ってくれるのか?」
こくりと頷けば、そのまま真っ直ぐ見つめて、じっと待っていてくれる。
ずるい。これが駆け引きじゃなくて、本気なんだから。真っ直ぐ誠実に向き合ってくれる彼に、私も一切の誤魔化しなく自分を晒け出すしかなくなってしまう。息を吸う。顔に熱が集まるのを感じる。言うんだ。
「野菜がたっぷり入った、美味しい夏野菜カレーが食べたいです……!」
言っちゃった。
はっきり声に出したら余計食べたくなって、口の中に唾が溜まる。食欲いっぱいで赤くなっている私とは対照的に、ザントさんは向かい側で世界一かっこいい頼もしい笑顔でその欲望を受け止めていた。
「……ありがとう。必ず作るから、待っていてほしい」
ああ頼んでしまった。
ただでさえ普段から頼り切りなのに、テラマートルの美味しい食べもの無しではもう生きていけないほど胃袋をガッチリ掴まれているのに。その上さらにワガママを言うなんて恥ずかしい……!
◆◆◆
時は、その日の朝まで遡る。
隠れ家で過ごす休日の朝、起きたらザントさんの姿はなかった。
基本的に朝が早いテラマートルでの日々にも慣れてきて結構早くに目が覚めるのだが、それでもザントさんの方が先に起きていることが多い。夏の陽光が朝から燦々と降り注ぐなかぼんやり目を擦っていると、扉についた鈴がシャラシャラと音をたてた。次いで足音、水道のハンドルを捻る音、大きめの水音、水道を止める音。冷蔵庫を開ける音、何か置く音、閉める音。
しばらくすると階段を上がる足音が聞こえ、ザントさんが姿を現した。
「おはよう」
「おはようございます」
ちょうどよかった、そう言って歩み寄ってきた彼が差し出した手のひらに、鮮やかな赤いミニトマトがのっていた。
朝の陽射しに、果実をつたう水滴がキラリと反射する。
「わ! 今日の一粒も最高ですね」
いただきます、と手を合わせたあと、ぽかりと口を開ける。
すると、口の中にそっと「今日の一粒」を入れてもらえる。モゴモゴと滑らかな表面の質感を楽しんだあと、ミニトマトに歯を立てれば、みずみずしい果実が口の中で元気に弾けた。爽やかな酸味の中にほのかな甘みが宿り、目覚めにぴったりの味わいだ。
「おいしい……!」
頬に手をやって堪能していると、ザントさんが柔らかく微笑む。以前よりもずっと増えたとはいえ、彼の笑顔は朝の陽射しより眩しく感じる。
「アンタ、毎日初めてみたいに喜んでくれるな。俺も選ぶのが楽しい」
いつの間にか習慣化した「今日の一粒」。
以前、プレイアで収穫を祝い豊作を祈る「実りの日」の祭りに招待された時、出来上がった料理を手づから食べさせてもらう機会があった。
その時から、何だか機会があれば雛鳥のように食べさせてもらうようになって。
最初はもちろん恥ずかしかったけれど、食べさせてもらうと高確率で彼からの「かわいい」を聞けることに気づいた。
その、シャイなところがある彼の口から零れる「かわいい」の威力には敵わない。彼自身も言ってから僅かに照れるのに、言わずにはいられないようで、その様子が本当にたまらなく、ミニトマトと同じく弾けてしまいそうな気持ちになる。かくして、私は自ら雛鳥のように口を開けて待つようになったのだった。
選び抜かれた赤い実を食べ終えて目が合うと、大きなあたたかい手が優しく頭にのせられる。そして、やはり聞けた。
「……かわいい」
まだそこまで暑くない時間なのに、もう溶けそう。
◆◆◆◆◆
そこまで回想して思い出し溶けしてから、はっと我に帰った。そう、端的に言えば、とてつもなく甘やかされている。
そのうえ更に美味しい夏野菜カレーのことを夢想していたらぽそっと口から出ていたようで、近くにいたザントさんから詳しく聞き込み調査を受けたというわけだった。
「待ってください! せめて何か手伝わせてください……!」
それからの日々は賑やかに過ぎていった。
私は「アンタの為に俺が用意したいんだ」と手伝いを遠慮しつつも決して拒まないザントさんを追い、「今はカレーのことじゃない」と聞いては退却していく。
たまに背中に周囲からの「仲がいいですね」といった温かい視線を感じた。あれ。この感覚、なんだか懐かしいな。
終いには諦めた様子で準備の時は前もって呼んでもらえるようにまでなった。今日はテーブルに揃えたスパイスの材料と本を見ながら、向かい合った席で一緒に配合料を考えている。ふと、何だか懐かしいこの感覚に、ひとつ足りないものを見つける。
「もう、あれは言ってくれないんですか?」
「……なんだ、あれって」
思い出したのだ。私は以前にも一度、こうして毎日ついて回って、そしたらいつの間にか不器用でまっすぐで優しい彼のことを好きになっていて。
そして、よくこう言われていた。
「『変な奴』だって」
真剣に配合を考えていた彼の顔が、少し目を見開いてこちらに向けられる。ややあって、こらえかねたように表情が崩れ、小さく忍び笑いが聞こえた。
「だから、アンタはそういうところが……」
そこまで言いかけると、ふと何か思い当たったようで言葉を止めてしまう。
「いや、間違えた。忘れてくれ」
「え……」
もう少しで聞けるところだった「変な奴」が差し止められてしょんぼりしてしまったことに自分でも驚いている。どうして止めたのだろうと様子をうかがうと、開いて持った本の影に半分隠れて、珍しく悪戯っぽい微笑を浮かべているザントさんと目が合う。
その、してやったりといった様子に、彼が何を意図しているのか察する。
「もしかして、仕返しされてます?」
悪戯に完敗して悔しい感情と、貴重な表情を見られた喜びとで訳が分からなくなる。
ところが、貴重な表情はいつの間にやら目を伏せた憂いの表情へと変わり、返ってきた言葉はそんなにお茶目なものではなくなっていた。
「……そう思ったんだけど。自信がなくなってきたな」
「え! 私、いまかなり変な奴ポイント高いはずなのに。自信もって呼んでください」
「そこじゃない。……アンタが、俺の為にわざと陽気に振る舞ってくれてるんじゃないかと、少し……考えただけだ。アンタと話していると、すごく楽しい。でもそれはいつも、アンタのおかげだろ」
よく分からずに詳しく聞く態勢に入っていると、彼は本をテーブルに置いて、わずかに目を逸らしながらも、心の内を打ち明けてくれる。
「……アンタはいつも俺を支えてここまで引っ張ってきてくれたのに、俺から返すのが『変な奴』扱いなのは、情けないと思った」
俯いてため息をつく姿に、心が痛む。だからといって、何故いまこんなにも変な奴と呼ばれたいのか、うまく言葉が見つからない。ところが、次の一言にはじっとしていられなかった。
「アンタは俺を甘やかしすぎだ」
ガタっと立ち上がった私を見て、ザントさんが驚いて青い瞳で見上げている。驚かせてしまったことを反省して、すっと元通りに座る。
一呼吸置いて、これ以上話が混乱しないように、今の「それだ」を整理した。
「私、その言葉をそっくりそのまま返したくてここ暫く変な奴だったんです。逆ですよ、ザントさん。私……そんなに貢献してません。
むしろ、ザントさんに甘やかしてもらってばかりで、これ以上寄りかかっちゃいけないと思って……」
そこまで言ったところで、切なそうな声で先を遮られる。
「そんなわけないだろ……! 寄りかかりすぎなのは俺の方だ」
今度はザントさんが椅子から立ち上がっていた。
「今でも時々、自分の力が引き起こしたことを思い出して、足が竦む。後悔に飲まれそうになる時がある。そんな時に俺はいつも……アンタが、美味しそうに食べる姿を思い出して……」
「ザントさん……」
「こんな自分にも、出来ることがあると思って、こうして前を向いていられるんだ。……アンタはいつも、俺が欲しい言葉をくれる。その温かさに少しでも応えたいから……もっと、頼ってほしいと……いつも思ってる」
自らの力の暴走により両親を失った彼の抱える苦しみは、そう簡単に癒えるものではない。何度か、魘されている姿も見たことがある。そんな時、何も出来ないことをずっと、歯痒く悲しく思っていた。向かい側の席から立ち、傍へ行って、握り締められた手を取って両手で包んだ。まっすぐに視線がぶつかる。
「ザントさん。私……嬉しいです。そんなにも、支えになれていたなんて。これからは遠慮なくお願いしに行きます。美味しい夏野菜カレーが食べたくて、涎が垂れそうです」
実はひとつ、すごく聞きたいことがあるのだけれど、今は胸にしまってカレーの味を夢見よう。
◆◆◆
「おいしい〜!!」
テラマートルで採れた何種類もの野菜を活かした、スパイスを効かせながらもまろやかでクリーミーな絶品カレーを夢中で頬張って、幸せを噛み締めている。
今朝は一足先にカレーを食べる夢を見ていて、寝起きと同時に口元の涎をそっと拭われ、「今夜まで待ってくれ」と温かい眼差しをもらってしまった。
それから、夕方になって隠れ家のキッチンを覗き込むも出来上がってからのお楽しみだと帰されてしまい、テーブルを磨き上げ終わってソファで本を読んでいる内に、うたた寝してしまい。鼻をくすぐるいい香りでお腹が鳴って目覚めると、盛り付けたカレーが運ばれていて、大はしゃぎの末、今に至る。
ここ暫く夏野菜カレーを夢見て過ごして、ずっとカレーの舌になっていたから、誇張でも何でもなく泣くほど美味しい。目尻の涙を指にのせて拭っていると、向かい側で静かに食べていたザントさんがギョッとして食器を置く。
「どうした。辛かったか……?」
「いえ。どうしたんでしょう。ザントさんと一緒に美味しいカレーを食べられて、しかもそれで支えになれるなんて、幸せすぎて感極まったのかも……?」
言葉にしたら、もっと感極まってしまった。
美味しい……と呟きながら泣き笑いする私を見つめ、ザントさんは困ったように、でも心の底から愛おしそうに、ついにあの言葉を言ってくれた。
「……変な奴」
本当は、過去への後悔に駆られたときに思い浮かべるのが「美味しそうに食べる姿」なのは、いち乙女として複雑で、もっと他にないんでしょうか……。そう聞きたいと思って胸にしまっておいたのだけれど。「しょっぱくなるぞ」と言いながらティッシュを持ってきてくれるザントさんのこの上なく優しい声音を聞いていたら、その複雑さは溶けて消えてしまった。
しょっぱくなるぞ、だって。
やっぱり、ザントさんは自分で思っているよりずっと一言一言が面白い。風味豊かなカレーを一口一口味わいながら、変な奴は愛を込めてそう思うのだった。
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