創作断片しまい場所
疼痛費
私が所属しているパーティーには、寡黙なハンターがいる。
森で魔獣相手に苦戦している際に無言で現れ仕留めた時にスカウトされた彼は、長く独り生き抜く内にその長駆にいくつか深い傷を負っているらしい。
古びたよれよれの旅装束で、いつも無言で何処かへ行ってはぬっと現れて食事用の獲物を狩ってきてくれるほど強いが、時折、どこかを押さえて顔を歪め、目を伏せてじっと古傷の疼きに耐える様子が垣間見えた。
そういう私は、パーティーをひっそりと支えるヒーラーをやっている。攻撃にはまるで役に立たない。アンデッド系にはヒールが効くかもしれないが、他の皆が強いのでそこまでの危機は訪れたことがない。ありがたいことです。
今日の活動はお休みで、ヒーラーの仕事もなく、ギルド兼大型宿屋の裏手の穴場のベンチで風にあたって本を読んでる。
ふと、人の気配を感じて振り返る。
「クオン」
そこにいた人物の名前を読み上げると、塀に背を預け、塀が作り出す日陰の内で静かに息をついていた鋭い瞳が、ゆらりと持ち上がってこちらを見た。
胸の下あたりを押さえている様子から、いつもの古傷と思われる。
「フィ、オ……?」
低く呟かれた名前が途中から疑問形になったのは、私が本をパタリと閉じて歩いていったからだ。
伸ばしっぱなしの灰がかった砂色の長い前髪の陰から、黒の瞳が驚きの色を示している。
「よっ」
「……?」
ヒール、やっぱり効かないか。
いつものように回復術をかけたあと、治まった様子がないかじっと見ていたが、謎の見つめ合い時間が増えるばかりで相変わらず彼の手はあばら辺りを押さえていた。
「ごめん、調子のって余計なお世話した」
「……いや」
風に吹き消されていきそうな低く小さな声が、初めて戦闘時と誰かの名前以外で発せられるのを聞いた。
「……少し、あたたまった」
それからは話す機会が増え、休日に無言で釣りをする、なんとなく落ち合って本を読んで終わる、など不思議な距離感が続いた。
それから、申し訳無いからやめろというのに何かしら奢ってくる。やめろというのに。
なにか彼を奢りに駆り立てる深い理由があるのだと、最近は諦めて奢られている。実は狩人の生態なのかもしれない。
フィオはクオンを見習ううち待機時間の流れ技回避がうまくなり、クオンはといえばシンプル感情なフィオといることで気難しそうな印象が消え、驚くほどコミュニケーションが円滑になった。
フィオは静かに元気いっぱいなぶん、クオンが相変わらず古傷モードに入るのを心配してしまう。
「つらくない?探索とか」
今日の古傷は左の二の腕だ。
ヒーラーなのに役に立てないことがやるせなくて治まった頃に聞けば、彼は答えた。
「問題ない、疼痛費が出ている」
時が止まった。
なんだそれは。トウツウヒ?
口を開けているフィオとは対照に、こちらへ向いた黒の瞳はいたって真面目な色だ。
それから、はっと表情を変えた。
よかった、彼の当たり前が私の当たり前に含まれていないことに気づいてもらえた。
「俺の給与明細だ」
懐から、なめらかに取り出される折り畳まれた紙。
促されるまま開くと、確かに獲物調達手当の回数歩合の横、見たことの無い「疼痛費」がある。
これがまた、結構ある。
「契約説明とかあったの……?気になる……」
「…………」
彼は、今までで一番長く話した。
怪獣を横から倒して去ろうとしたらスカウトされたあの日。
構わないが、この通り不自由な身だといくつもの傷を晒したあの時。
パーティーの経理も担当する吟遊詩人から示された、衝撃の特殊待遇。
「それらの古傷が疼くから、頼るならもっと他を当たった方がいいというのですね?」
「ああ」
「安定した生活には興味がおありで?」
「……正直、同じ理由で諦めて街に出ようかと考えているところだ」
「そうですか、では……」
「疼痛費を追加支給します。何とか入っていただけませんか?」
途切れ途切れに語るクオンの横顔をまじまじと見つめる。シンプルメンタルなフィオはもう口がおとなしくしていられなかった。
「おもしろ……」
その時のクオンは見ものだった。
ぐるりと首を勢いよくこちらへ向け直した彼は、普段の3倍意気込んだ声をあげ、立ち上がった。
「面白い、だろう?
手当の面白さに居ても立ってもいられなくなった俺は、自然と頷いていた」
そしてそのまま、気を取り直してもう一度座った。
「あの発想は特例のユーモアだったのか、それともそういう常識があるのか、まだ聞けずにいる。俺は冗談で釣れたのだろうか。面白いと思っているが、この痛みに対して手当を貰っていることを自分で笑うのは不謹慎にあたるのか?……何も分からない」
その途方も無い、どこか熱い激白に耳を傾け、私ははたと気づいた。
「もしかして、私、疼痛費のお裾分けをもらっているの?」
彼は頑なに奢る。
休憩すればいつの間にか飲み物を手にやってきて、一緒に食事したぶんの支払いはいつの間にか済んでいる。やめろというのに。やめろというのに、あんなにやめろと言ったのに聞かなかったのは、もしかして。
「…………」
再び隣に腰を下ろしている長駆で猫背の薄暗い狩人は、いつも表情に乏しく、たまに全く感情の色を掴めなくなる。
長らく見合ったあと、ぽつりと呟かれた一言。
「……楽になる、から」
「ラクニナル?」
新種の魔術かと思った。唐突に聞いた言葉はすべて何らかの詠唱と思ってしまいがち。
ラクニナル。使ってみたい。
「ラクニナル!」
試しに復唱する。
何が起こるのかワクワクニナルしていたら、そっと手に何か握らされた。
手の平のひんやりと、彼の手の熱が真逆で驚く。
彼と握り拳を何度か見比べ、手を開いた。
「魚と杖と弓矢のブローチ……?」
感動を押さえきれない。
どうすれば、こんなにごちゃついたハーモニーを見つけられるのだろう。こんなに綺麗なカオスの調和は見たことがない。
急いで服につけて顔を上げた。
彼はベンチの肘掛で頬杖をついて笑っていた。
「面白いだろう、疼痛費3ヶ月分した」
効いてしまったフィオは、疼痛費の賜物のブローチをつけた。
ブローチとプロポーズ、かなり響きが似ている。
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