臆病少女と仲間たち
「スコルピ!!『どくどくの牙』ッ!!」
トレーナーの指示に応え、スコルピが猛毒の針を構える。
『ぐッ…!』
逃げようとしていたストライクはまともに攻撃を受け、足に鋭い痛みが走った。
しかし今、それには構っていられない。
この調子だと、トレーナーは遠からず自分を捕まえようとボールを投げてくるだろう。
体力的にも、そうなったら抵抗しきれる自信がない。
そう考え、ストライクは刺された足を半ば引きずるようにして走り、草むらを突っ切った。
「スコルピ、追うぞ!」
後方から、トレーナーの声とそれに応じるスコルピの鳴き声が聞こえる。
この近辺を逃げ回っていたのでは、見つかるのは時間の問題だ─────。
ストライクは一瞬考えてから、いったん草むらから出て他の場所に移ることに決めた。
******
ちらりと後方へ目を遣る。
足音はだいぶ遠い。トレーナーは充分に引き離せたようだ。
草むらから出れば、近くにいた他の人間に見つかる可能性もあるが、やむを得ない。
ストライクは近くで物音がしないことを確認し、ザッと草を薙ぎ払って姿を現した───────
驚きに見開かれた鳶色の瞳が、こっちを見上げている。
固まってしまっているのはその少女だけではなく、ストライク自身とて同じことだった。
ぶつかる寸前で何とか踏みとどまったが、まさか誰かいようとは考えていなかったから危なかった。
ストライクはハッと我に帰るとズザッと後退り、用心して相手を観察する。
何のことはない、ただの小さな子供だった。
ふわふわした栗色の髪を左側でまとめて結い、右手には買い物袋。
どう見てもトレーナーではなさそうだったので、ストライクは少しばかり安堵した。
が、今はそんな場合ではなかった。
後方から、ガサガサと草を掻き分けて近づいてくる音がした。
ストライクは逃げようと身構え、それから少しだけ少女を見て考えを巡らせた。
少女は未だにすくみあがって動けずにいるが、今自分を追いかけているトレーナーは、この少女に自分が何処へ向かったか聞くだろう。
そうなったら、今度こそ逃げ切れそうにない。
だが、それ以上考える時間は彼には残されていなかった。
ひとまず、出て来た所とは反対側の、丈の高い草むらに逃げ込む。
しばらくはなるべく音をたてないように、だが死に物狂いで前へ進んだ。
バトルで負った傷がズキズキと痛んだが、それにかまっている暇は無い。
後方で、追ってきたトレーナーが少女に何か話しかけるのが聞こえてくる。
それに対する少女が答える声もしたが、何を言っているのかは聞き取れなかった。
トレーナーが礼を言い、駆け出す足音がした。
あぁ、きっとすぐに追いつかれる。
俺はついに捕まって、バトルに明け暮れる日々を送らなきゃいけないのか……
諦めにも似た気持ちで、ガクリと膝をついた。
…が、足音は一向に近づいては来なかった。
『…?』
草むらに踏み入る音すらしてこない。
足音は近づいて来ないどころか、あっという間に遠ざかって聞こえなくなった。
……俺を捕まえるのを諦めたのか?
…いいや、まさか。
トレーナーもスコルピも、俺と比べて、まだかなり余力があった筈だ……
よく分からないが、ストライクは安堵して体の力を抜いた。
それと同時に、ズキッと一段と激しい痛みが襲ってくる。
『…ッ…』
息が、苦しい。
先程受けた毒が回ってきたようで、眩暈がする。
『…ぅう…あ…』
ほとんど這うようにして前に進むと、少し開けた場所に出た。
ストライクはそこにあった木の根元に、ドッと倒れこんだ──────。
彼はしばらくそのまま、地面に倒れていた。
だが、またいつ別のトレーナーが現れるか分からない。
なので、無防備に気を失う訳にはいかなかった。
残った力を振り絞って身体を起こし、周囲を見張ることの出来るように木に寄りかかって座る。
人の気配が無いのを確かめてから、やっと身体の力を抜いた。
意識が朦朧として、少しずつ目の前が霞んでくる。
毒が着実に体内に回ってきているせいだ。
呼吸が苦しくて浅く荒い息を繰り返すうちに、喉が痛くなってくる。
あぁ、水が欲しい。
苦しい。痛い。
誰か、誰か助けてくれないか。
…『誰か』?
おかしい…俺は、「誰」とも遭遇しないように願っていたのではなかったか。
俺は、「誰か」から逃れようとしてこんな目に遭っているのではなかったか?
誰も信じられない。
静かに、放っておいて欲しい。
けれど、独りは嫌だ。
苦しい。寂しい。怖い。
毒は、ずっと安静にしていればいつかは消えるだろう。
じっとしていれば、傷もいつかは癒えるだろう。
だが、それまでの苦しみの間に不安で押し潰されそうだった。
独りでいるのには慣れているつもりだった。
それなのに、こうして弱っただけでこんな簡単に心が折れそうになるなんて。
自分で思っていたよりもずっと、俺は精神的に弱かったようだ。
自分でも分からない。
俺はどうしたいんだ?
誰も俺を無理に捕まえようとしない、つまり誰もいない場所に行きたいのか?
それとも、誰か信頼できる人に側にいて、安心させて欲しいのか?
『…っ、くぅ…』
……弱っていたところに加え、不毛なことを考えすぎた。
頭が痛い。
ひとまず気を落ち着かせて、休もう──────
そう考え、息をついた時だった。
近くの草むらから、カサリと小さな音と人の気配がしたのは──────。
最初、何が起こったのか分からなかった。
だが、咄嗟に振り返った先に先程見かけた少女の姿を認めた瞬間、自然と身体に緊張が走った。
長い間、トレーナーというトレーナーに追われた経験のせいで、人間というものを見るだけで警戒してしまう。
ギッと睨むと、少女は慌てて草むらの向こう側に身を隠す。
そのまま何処かへ行ってくれればいいのに、と思ったが迷っている気配はすれど立ち去る気配は無い。
ストライクは念の為に木を支えにして何とか立ち上がり、両手の鎌を構えた。
しばらくしてまた恐る恐る姿を現した少女は、それを見て怖がり、涙目になる。
相手がぐずぐずと迷い、何も言わないのでストライクは自ら声を発した。
『…何を…しに来た…っ』
声を張り上げようとしたが、喉から辛うじて発せられたのは苦しげな掠れ声だった。
それと同時に、無理に立とうとしたせいで、毒の牙を突き立てられた足の傷が痛み、こらえきれずに僅かに呻く。
少女は最初こそおどおどしていたが、その様子を見て心配そうに呟く。
「…だ、だいじょうぶ…?」
ストライクはそれを聞いていくぶんか拍子抜けしたような気分になった。
まだ疑いを捨ててはいなかったが、少女が尚も心配そうにこちらを見上げ、ポケモンを出してくる様子も無いのを知って、本格的に脱力した。
ポケモンも連れずに、いったい何をしに此処まで来たんだこの少女は。
ひとまず害を為す気は有りそうに無い。
そう考え、再び木に背を預けて座り込み、呟く。
『…大丈夫に見えるのか、これが…』
気が抜けたせいで、思いがけず弱音を吐くような形になってしまった。
だが、どうせ少女1人ではどうしようもあるまい。
少女はしばらくそんな様子を見てオロオロしていたが、やがて何か思いついてこちらに背を向けて行こうとした。
「ま、待っててね!今、他に誰か呼んでくるかr『…! 余計なことをするなッ!!』
「きゃっ…!?」
少女を止めようと、狙いこそわざと外したが、咄嗟に「真空波」を放ってしまった。
その衝撃によって彼女の足元の草が薙ぎ倒され、中でも直撃を受けたものはバッサリと途中から切られている。
どうしても人を呼ばせる訳にはいかなかった。
他のトレーナーに知られては、それこそ休むどころではなくなる。
少女は泣きそうな顔でぶるぶる震えている。
…少し、酷なことをしたな…。
そう思ったが、致し方ない。
彼には、人間全てが信じられなかった。
何故わざわざ争い事を起こし、それに勝つことに───強くなることに固執するのか理解出来なかった。
そして不幸なことに、彼はもともと強い方だった。
捕まりたくなくて、追ってくるトレーナーのポケモンを倒している内にその強さが噂を呼んで、ますます狙われるようになって。
ますます、人間不信に陥った。
目の前のあどけない少女でさえ、彼の目には憎悪の対象にしか映らない。
『…俺は人間が嫌いだ。…だからお前の助けも受けない。…分かったら、何処かへ行ってくれ』
そう言うと、彼女は相変わらず泣きそうになりながらこくこく頷くと走って逃げていった。
***
少女の姿が見えなくなってからも、ストライクはまだ辺りを警戒していた。
また、先程の少女のように人間に突然現れられてはたまらない。
捕まる訳にはいかない。
人間に、争いを好むような輩になど屈する訳には……
…意地になってそう考えていたら、ふと引っ掛かったことがあった。
………さっきの少女は、いったい何故、わざわざ俺を探しに来たんだ?
最初に遭遇した時には、動けないほど怯えていたはずだ。
……そうだ、それに何故、あの子に俺の行方を聞いたトレーナーは違う方へ行った?
どう考えても、あの少女がわざと嘘の方向を教えたとしか考えられない。
………何の為に?
トレーナーを騙して自分が捕まえよう、などという意図は無さそうだった。
そもそもあの少女はポケモンも連れていなかったし、モンスターボールのひとつも持ってはいなかったから、それは有り得ない。
……ただ純粋に、俺のことを心配してくれていたのか………?
あれこれ考えを巡らせた末、彼はそれ以上考えるのをやめた。
何もかもが分からない。
あの子がいったい何を考えていたのか、人間は結局は自分にとって何なのか、
一番分からないのは自分の心だ。
あの子に、心配そうな声で
『だいじょうぶ…?』
と聞かれた時、少しだけ心を動かされた。
いつもなら、人間の声を耳にするのさえ気分が悪かった。
けれどあの声は違った。
一瞬、弱さを全部曝け出してしまいたくなった。
今までずっと強がって、色んなものを遠ざけてきた。
否、臆病すぎて誰にも心を開くことが出来なかった。
そんな弱さを、本当の自分を、全て白状してしまえればきっとずっと楽になるだろうに…。
…あぁ、俺は何を考えているんだ。
相手は人間だぞ?
そもそも俺は、人間のせいでこんなに弱らされているというのに……。
…だが…これからも、こんな風に独りで逃げ続けるのか…?
分からない。
…俺は…どうしたいんだ…
混乱する思考の中、徐々に視界は霞んでいった─────────。
・
・
・
足音が聞こえる。
目を閉じて、しばらくの間意識を手放していた。
そのせいで、最初それは何処か遠くの世界での音を聞いているような心地だった。
ぼんやりと薄目を開け、その音の聞こえる方へ目を遣る。
カサ、と草を踏み分ける音がした時、急に辺りの景色が現実味を帯び始めた。
毒によってかなりのダメージを受けているせいで視界がはっきりしない。
ただ、誰かがこちらに近づいてきているのは分かった。
その「誰か」が近くまで歩いて来た時、漸くそれが少し前に逃げていった少女だと分かった。
彼女は恐る恐る、といった様子で、躊躇いながら一歩ずつ近づいてくる。
『………何故…』
ストライクには威嚇するだけの力も残っておらず、ただそう呟いた。
少女はいったん足を止めてそっと様子をうかがっていた。
その様子は、まるで臆病な小動物のようだ。
ストライクが威嚇したり攻撃したりするような気配がないのを確認すると、少女はさらに近づいてきて、彼の傍らにしゃがんだ。
人間と此れ程近づいたことなど今までに無い。
相手はほんの小さな少女だというのに、情けないことに怖じ気付いてビクッと身動ぎしてしまう。
少女はストライクのそんな様子を見て驚いて、大きな目をぱちくりさせた。
それから、周りに聞こえないように、抑えた声でおずおずと語りかける。
「…ゴメンね……人、嫌いだよね…」
その声は優しかった。
彼のことを、珍しいか珍しくないかでなく、
強いか弱いかではなく、
対等に、心ある者として心配してくれていた。
そんな優しい声を、彼は今まで知らなかった。
彼を追ってくる人間はいつも、彼の珍しさや強さだけを見ていたから。
それに、彼もただ人間全てを拒絶して逃げ回ってばかりだったから。
すぐそばに屈んだ少女は、小さなショルダーバッグの中から木の実を取り出して、そっとこちらへ差し出した。
「お願い、これ…食べて?そうすれば、治るから…」
『……』
ストライクは薄目を開けたまま、無言で、じっと##NAME1##の様子をうかがっていた。
そのまま、何十秒、いや何分が経過しただろうか。
彼は一度深く息をついた後、ようやくモモンの実を一口かじった。
しばらくまだ疑い深く吟味していたが、モモンの実には何の細工もない。
毒で消耗した身体には正直言ってとても有り難く、だいぶ楽になったように感じた。
ひとつ気になる事といえば、それを差し出している少女の手がさっきからずっと震えていることか。
しかし彼女はストライクが素直に木の実を食べ終えたのを見るとホッとしたように微笑んだ。
そして、おずおずと切り出す。
「…オボンの実も、あるんだけど…」
『………』
ストライクはいまだにこの少女の真意をはかりかねていた。
恐らくこの子は、本当にただ自分を助けたい一心でこうしているのだろう。
でも、それを丸ごと信じるのは危ういような気がして。
なかなか、今までに根付いた人間不信は拭い切れなくて…。
ところが、そんなことを考えて手を出せずにいたら、だんだん目の前の女の子は泣きそうな表情になってきた。
ストライクは狼狽えて、躊躇いながらも返事を返す。
『…すまない………少し休んだら食べる…』
女の子は一瞬驚いたように目をぱちくりさせて、それから笑った。
「じゃあ、ここに置いておくね」
そう言った時の、ふわりと笑った優しい表情を見たら彼女を信じずにはいられなかった。
胸の内で凝り固まった、人間に対する疑念をすぅっと溶かされたような、そんな気がした。
少女は必要以上にびくびくするのを止めたが、何を言ったら良いのか分からないようで挙動不審に陥っている。
不必要にきょろきょろしたり、途方に暮れて空を見上げていたりする彼女をストライクはじっと観察していた。
じっと見られていたから余計に挙動不審にならざるを得なかったのかもしれなかったが、そこまで考慮する余裕が彼にはなかった。
ふと、少女が視線を戻す。
するとストライクと真っ正面からバチッと目が合った。
彼女は狼狽え、ものすごく焦った表情をした後でぎこちなく微笑んだ。
それを見たら何だか脱力して、ストライクは今まで自分が疑い深くじろじろと観察していたことに対して決まりが悪くなった。
だから、置いてあったオボンの実に視線を落とし、誤魔化すように片手の鎌の先にサクッとオボンの実を刺して拾い上げ、ゆっくり食べ始める。
そうしたら、気付けば今度は少女の方がじっとこちらを見ていた。
何だか居心地が悪くなり、チラッとそっちに目を遣る。
すると彼女はまだ何も言っていないのにハッと気がついて目を逸らした。
「あっ、ゴメン、注目しちゃって…」
『…いや……』
それにしてもこの子はどうしてポケモンに対して限りなく下手(したて)に出るのだろうか。
人間は自己中心主義者ばかりだと思っていたストライクには、どう対応したら良いものかさっぱり分からなかった。
オボンの実を食べ終わって一息ついたストライクは、じっと##NAME1##の様子をうかがっていた。
『……聞いていいか』
「へ?あ、どうぞ」
『…お前は……どうして戻って来た…?あれ程震え上がっていたのに…』
そう聞くと、彼女はしばらく考えた。
「…なんか、じっとしていられなかったの…。あ、私の勝手だから…気にしないで…」
まだ幼いというのに随分と控えめな答えが返ってきた。
ストライクはだんだん、この子についてもっと知りたいような、不思議な気持ちになってきた。
…こんなのは、初めてだ。
『……あとひとつ、気になっていることがある…』
「なに?」
『俺を追って来たトレーナーが違う方に行ったのは…』
すると彼女はまるで悪い事でもバレたかのように縮こまって頷いた。
「あ、それは…私が全然違うトコ教えたから……」
ストライクはしばらく黙っていた。
どうして、とか、何の為に、とか色々な言葉が口をついて出そうになった。
でもそれは控えめな彼女を困らせてしまうだろうから、止めた。
きっと、傷ついていた俺のことを純粋に心配してくれたんだろう。
そう思って、ただ一言だけ呟いた。
『……ありがとう』
警戒するのをやめて、まっすぐに少女の目を見る。
その眼差しが穏やかになったのを悟って、彼女もほっと息をついて微笑んでいた。
自分は今までこんな風に人間と接したことが無かった。
最初の様子から考えて、たぶん彼女もポケモンには不慣れだったのだろう。
だからどことなくギクシャクしているが、もしかして俺とこの子は、少し似ているのかもしれない。
少女はちょっとだけ気が楽になったらしく、ひょいと水筒を取り出して言った。
「喉渇いてない?」
少しためらってから、素直に答える。
『……少し。…渇いてはいる、けど…』
「?」
『生憎、俺にはその入れ物は掴めそうにない』
自分の片手(鎌)を少し持ち上げてみせる。
すると彼女は、しばらく考えを巡らせた末に、おずおずと近寄ってきた。
「…じゃあ、モモンの実の時と同じ感じで?」
ストライクは反射的に身構えてしまう。
少女も自分から近寄っておきながら、まだちょっと怖いようで、そのまますくんでしまっている。
それからお互いにハッとして、気まずくなった。
…またやってしまった。
たぶん、お互いにそう考えているんだろう。
しばらくしてストライクは呟いた。
『…何だか、俺とお前は…似ているな』
少女はきょとんとしてこちらを見上げた。
1人と1匹は、顔を見合せる形になる。
それから、どちらからともなくクスッと笑い合った。
「そうだね。…ねぇ、ちょっと触ってもいい?」
少女からの問いに、ストライクはもうな躊躇わなかった。
『あぁ、別に…お前なら構わない…』
他のポケモンにも、人間にも心を開いたことは無かった。
誰も信じられなくて、ずっと独りで生きてきた。
でも、お前なら信じられそうな、そんな気がするから………
それからというもの、少女は毎日のように俺の所へ訪れるようになった。
最初は怪我の様子を見に、お見舞いのような感じで来ていたようだが、
その内にまるで友達の所へ遊びに来るような感じになった。
後で分かったことだが、その子の名前は「##NAME1##」といい、今までポケモンが怖くて近寄れなかったらしい。
不思議なことに##NAME1##は、俺以外のポケモンのことはまだ怖がっている。
俺と比べたらどう考えても数十倍は「小さくて可愛い」部類と思われるようなポケモンでも、目の前にすると足がすくんで動けなくなっている。
どうして俺は平気なんだ?
幾度となくそんな疑問を口にしたが、##NAME1##はしばらく悩んだ末にいつも「なんだか、一緒にいると安心するの」と答えた。
それから、「なんだか私とあなたは似てる気がするから」と答えたこともあった。
確かに俺達は、どこか似ている。
バトルが嫌いなこと。
他者を怖がること。
それから、いやに他人に気を遣うこと。
よく、同時に話し出そうとして譲り合いになって、結局どちらも喋らずに気まずくなったことがあった。
でも、一緒にいられる間は居心地が良かった。
そんなぎこちない空気でさえも、好きだった。
それが後にあんな事態を呼ぶなんて、考えもしなかった────────。
##NAME1##が、父親の仕事の都合で遠い地方へ引っ越すことになった。
今日はその、出発の日。
午前中のうちに出発しなくちゃいけないからと、##NAME1##は朝早くに家を抜け出して俺に会いに来た。
抜け出したのがバレた時の為に、「どうしても牛乳飲みたくなったのでカフェまで買いに行ってきます」と置き手紙を残してきたらしい。
…そんな意味不明な言い訳があるか、普通。
つい呟いたら、##NAME1##はそうだよね、と笑ってから俯いた。
最後だと思ったら、動揺して、何も考えられなくなっちゃったの。
泣きそうな、声だった。
この時に、言ってしまえば良かった。
「俺も連れていってくれ」と、ただその一言だけで良かった。
引っ越しの事を伝えられてから1ヶ月、ずっとそれを言おうか言うまいか、そればかり考えきた。
…けど。
いつも、後ろ向きな考えが邪魔をする。
図々しくはないか。
そもそも、##NAME1##にとって俺はそんなに大きな意味のある存在なのか?
##NAME1##は優しいから。
優しすぎて、気を遣いすぎるから、俺と会うのをキッパリ断ち切れなかっただけかもしれない。
だとしたら、無理についていって隣に居座るのは##NAME1##の重荷になるだけじゃないのか?
何も言えずにただ黙っている俺を、##NAME1##が見上げる。
それから、ふいに彼女が抱きついてきた。
しばらく、驚いて何も出来なかった。
##NAME1##はぎゅうっと抱き締めてくる。
必死に泣くのをこらえている姿が愛おしくなって、抱き締め返そうとして、
ふと気づいた。
この手では、##NAME1##を傷つけてしまう。
そう思うと、また後ろ向きな考えに支配された。
戦うことが嫌いなくせに、俺には戦うことくらいしか能が無い。
口下手なことは自覚しているし、外見もよく怖がられるし(初対面の時の##NAME1##が良い例だ)、こんな時に抱き締め返すことも出来ないなんて。
##NAME1##が、ゆっくり体を離した。
顔を上げて、俺に笑いかけた。
泣いているけれど、頑張って笑おうとしていた。
「バイバイ、」
やはり##NAME1##の隣には、俺のような奴は似合わない──────。
『……また、な』
もう会えないだろう、なんてこと分かっている。
##NAME1##は遠い遠い地方へ行くんだ、よりによって他のどの地方よりも遠いホウエン地方へ。
野生で生きているからにはそんな遠くへ移動するなんて有り得ない、もし##NAME1##がまたシンオウへ来たとしたって、巡り会える確率なんてきっと1桁くらいしかない。
だけど、「さよなら」なんて言えなかった。
それは俺がまだ迷っていたから、望みを捨てたくなかったからなのか、
何も言えない内に、はっきりした答えが出せない内に##NAME1##の背中はどんどん遠くなっていった。
遠くで一度振り返って、それから弾かれたように走っていって見えなくなった。
きっと泣いているんだろう。
いや、これは願望だ。
泣いていて欲しいと思う俺は最低だ。
少しでも##NAME1##にとって自分が特別な存在だったならと、今更そんな事を考えている。
…これからも、出来るなら特別な存在でいたかった。
でも、もう遅い。
もう、俺と##NAME1##が関わることは無い。
考えに囚われる余り、ストライクが見逃したことがあった。
それは、「バイバイ、」の後に##NAME1##が何か言おうとして、言えずに口をつぐんでいたこと──────────────。
『バイバイ、…なんて本当はしたくないんだけど…』
どちらも同じだったことに、似た者同士の1人と1匹は気づけないまま───────
Fin.