第1章:無知の片鱗。
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05:03.揺らぐ大義。
《──戻って来たな、このじゃじゃ馬どもが!》
モニターの向こうで、唖然としている軍服コスプレの学生たち。
ラシードはでかい図体の両腕を腰にやって、ぷんすこしている事をアピールした。
サイが眼鏡を直しながら指さしてくる。「ええと、ちょっと待って、ラシードだよな?」
大声を張り上げて尋ねてくる相手に、スピーカーを通して肯定。
《そうだよ。支援物資そっちのけで女子を追いかけていったお前らの代わりにパシられてた名ばかり士官だよ!》
「うわあ、凄いことやってるのに卑屈になってる! かっこ悪っ」
聞こえてるぞチビ! 言い返すと、カズイが怖がるように両手を頭にやってしゃがみこむ一方で、トールたちも負けじと言い返してくる。
「キラが乗る必要ないじゃんかよ!?」
《フラガ大尉も言ってたろ、的になるだけだ!》
「でも、操縦出来てるじゃん!」
《戦闘できるくらいの技量あったら早々に替わってるわ、そこまで人でなしじゃねえし! これは、動かせてるだけ!》
ストライクが威嚇する猫のように四つん這いになって学生たちと喧嘩している様は何とも言えない光景である。
大きな巨兵の手がぶおんと音を立てて、けたけたと笑っている作業服の集団を指さした。
《こいつら、キラと比較して文句ばっかりいうんだ! 俺だって頑張ってるのに! うっかりつぶしてやろうかと──》
「ラシード、それは冗談でも言っちゃダメ!」
作業をしていたクルーが足早にストライクから離れていった。焦っているというよりは笑いながらのあたりラシードとの関係性は良好だ。
苦笑いでストライクの手元に身を寄せるキラを、ゆっくりとした動作で腕に乗せて、ハッチまで誘導する。
「冗談じゃなかったのに!」「駄目だってば!!」
ハッチを開けて訴えると、キラはびっくりした様子だった。いや、冗談だから本気にしないで。
ラシードはそのままシートの後ろに移動して、キラに操縦席を譲る。
「フラガ大尉が乗ってみた時は全然だったよ。ほんと、凄いと思う!」
「あの人もキラの操作を見てたら少しは違ったろうな。体格あるから無理だろうけど」
後からトールたちも納得したと謝罪してくることになるのだが、ラシードとキラではストライクの俊敏さが大きく異なる。若者と、腰を曲げて一歩一歩がゆっくりな老人のような明確な違いがあった。
簡単な作業程度ならラシードで可能だが、戦闘などの技術はない。だから、キラの代わりは務まらないのだ。
「僕の操作を見ていたから、操縦出来たってこと?」
「ストライクがどの動きをしている時に、キラがどう動いてるか見てたから。OSの中身全部を把握できなくても、最低限ならなんとか」
もとよりアナログ人間のラシードは、見て覚えるタイプ。体が動いてしまうから、MSの戦闘など始めたら、蹴りの動作を自分の足でしてしまい負けてしまうパターンだ。
「そっちの方が凄いと思うけどなあ」
「そりゃどうも。それより、あれをあそこに──」
軍事要塞アルテミスでの補給を断念し、デブリ帯で物資調達の調査を終えたのち、ユニウス・セブンという悲劇の場所から氷塊を得るという結論に至ったアーク・エンジェル。
その際に、キラが搭乗するストライクはZAFTのMSと遭遇。これを撃破した後、救命ポートを保護してきた。その中から出てきた少女は自分たちと同年代だったから、学生たちは気になるのだろう。
キラはまた、ちょっと違うところを気にしているようだけど。「どうなるのかな……あの子」ほら、やっぱり。
確実にプラントの側の──コーディネイターである少女。彼女の処遇をキラはひどく気にしているようだった。
彼と違い、彼女はプラントの人間だ。地球に戻ることができれば親元へ戻れるキラたちと違い、彼女の帰る場所は真逆の場所。
「あの子、僕のせいで帰れなくなっちゃったんじゃ」
ラシードはシートの後ろから手を伸ばしてキラの鼻を摘まんだ。びっくりして慌てて身を引くキラの髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
「少なくともアーク・エンジェル内なら大丈夫だろ。彼女に危害が咥えられないよう俺が動くしさ」
もとより、彼女──ラクス・クラインとは既知だ。彼の父親の出身国であるスカンジナビア王国へ、ラクスが一時的に保護されることになった時に付き添ってもいる。
少々手荒い出国の仕方をさせてしまったから、時々話題を持ち出されて苦しいのだが。ああ、憂鬱だ。逃げたい。
「あの子が出てきた後、ラシードどっか行っちゃったから関わりあいたくないのかと思った」
「なにそれ酷くない? お腹痛くて社会的に死ぬ危機だったのに!」
悲壮な感じで訴えると、キラが笑い出した。不名誉な感じになってしまったが事実を言うよりはいいだろう。ラシードも一緒になって笑う。
実際はラクスに名前を呼ばれたりとか、球体ロボットに認識されて事件に発展しないよう、慌てて近場のトイレに逃げたというのが真相だ。
ところで、キラが問題視しているラクスのことは本当にどうしよう。
素性について彼女は素直に明かしているはずだ。プラント最高評議会議長の娘。人質としては十分な大物である。
クルーゼ隊がこの後追ってきたとしよう。
彼女を盾に攻撃をやめさせることが出来る。クルーゼ隊にはラクスの婚約者もいるから、まあ味方の艦内は紛糾するに違いない。
問題はその後だ。アーク・エンジェルはどこへ向かう?
月基地へ辿り着いてしまった場合、ラクスは地球軍に渡る。
軟禁されプラントとの交渉材料にされるのは目に見えている。どうにかその前に彼女の事は逃がすかどうかしなければならない。
月基地へ辿り着く前に第八艦隊の旗艦が合流してくれれば、まだ手の打ちようもあるのだが。
でもタイミングを間違えるとZAFT側から集中砲火になりかねない。さすがに撃沈されるのは嫌だ。キラたちのことも助けてやりたいし。
ああ、困ったなあ。
「嫌ったら嫌!」
困っている時というのは割りと問題が山積みになるものだ。さっそく、起きるだろうなとは思っていた事案発生である。
コーディネイターへの偏見を普通に抱いているフレイの癇癪である。
これは個々人レベルの話だし、ラシードがわざわざ矯正するような筋合いはない。寄って集まると戦火を引き起こすくらい大きな問題になるけれど、そんなのヒトの歴史上で散々繰り返されてきたことでもある。
こっちはラクスをどうやってこの艦から出すかで頭が痛いのに。
配膳の押し付け合いで言い争いをするなんて平和だなあ。
キラの存在に気付いて弁明したりしているけど、今更である。キラはフレイに恋慕の情を抱いているようだから不憫だ。
「まあ、誰が誰に飛びかかったりするんですの?」
そこへ来て、背後から闖入者登場である。
騒いでいた一同がそちらに注目する中、なんとか振り返るという動作を自制したラシードは慌てて厨房に飛び込んだ。そうだった、あの球体ロボットはロックの解除が得意だった。アスランのアホ!
食堂内がまた荒れる。
「“コーディネイター”のくせに、馴れ馴れしくしないで!」という最大級の拒絶がさく裂した。キラとラクスだけでなくラシードに突き刺す言葉の刃である──いや、ラシードはどうとも思わないけど。
「はいはい皆の衆、ラシード先輩に全員注目!」
凍てつく食堂内の雰囲気をいい事に、ラシードは手を打って全員の注目を自分に向けた。こうすれば、ラクスが仮に名前を思わず口にしたところで問題ない。多分。
「ミリィ、気遣いありがとうな。こんなつまんないことでお前らの仲を険悪にさせるのも悪いから、調理から配膳まで俺が引き受けるよ」
偏見など特に抱いておらず、ただ自分たちと違い艦の仕事を何もしていないフレイの立場を慮ってのことだったと思う。ミリアリアは申し訳なさそうに頷いた。
「というわけで、俺が飯を作ってやるけどさ。アレルギーとか食べれないのとかある?」
驚いた顔で固まっているラクスに、ラシードは声をかけた。「ああ、俺はラシード・パークス少尉な」と自己紹介しながら。
初対面は終えてやったのだ。話しかけてもらったところで問題ない。ほっと息をついた様子で大きく頷いたラクスがお辞儀をしてくる。
「ラクス・クラインと申します。お心遣い感謝しますわ。好き嫌いなどは特にないのですけど……その、一日ほど食事をしていなかったので」
「そっか。俺はさっき起きたばっかだし、キラは食欲ないだろうから、食べやすいのにしようか」
遠慮がちの申し出。救命ポートで漂っていた時間が一日なのか、脱出させられるまでを含んでの一日なのかは不明だが。
何万人もの犠牲者が眠る地で漂っている間、心細かったろうな。
一瞬口元を歪ませたラクスを見て、二つ分のコップに水を入れ、キラに持たせた。
「後から行く。ラクス嬢を」
《ハロ! ラシード、ゲンキ、ダッタカー!》
「あーはいはい。それなりに元気だよ。ありがとな!」
びょんびょんと跳ねている球体を鷲掴み、ラクスにしっかり持たせた。このピンクの物体が変な事喚く前に大人しくさせろ。
「キラは彼女の部屋把握してるんだろ」
「え、いや、知らないけど……」
野次馬しにいってたじゃん? ラシードが首を傾げると、まだ顔を青くさせていたキラは生返事だったのか、ハッとなる。
「ええと、さっき艦長たちと話していた部屋なら」
「そうそう、先ほどは押しつぶされてましたけど、大丈夫ですか?」
ラクスが気づかわし気にキラに問いかけ、キラはさっきはお見苦しいところを、と恐縮している脇で、ラシードはギロっと食堂内の学生たちを睨む。貴様ら、俺の可愛いキラを下敷きにしやがったのか。
不可抗力だったんだよ! と弁解するカズイとミリアリアを追いかけながら、遠のいていく二人の背中を見追った。
その後は、色々材料をごちゃまぜにして味に少し手を加え、特性粥を完成させたラシードは、ずるい! と喚く食堂に居合わせた連中を無視し、ミリアリアに教えて貰った部屋でラクスたちと食事を始める。
食堂での出来事から、キラが落胆していると思ったのだが、思いのほか元気な様子なのでほっとした。ラクスが何か言ったのかも。
「いいか、外に出たくなったらまず俺に通信入れる事。一人で出歩くな、一体多数じゃどうやったって適わないんだからな」
先ほどの騒動を引き起こした自覚があるのか、ラクスは大人しく従ってくれる。キラの、ここは地球軍の艦ですから本当に気を付けて、という念押しもきいたのかもしれない。
銃を向けられたことがある人物が言うと説得力あるなあ。
「と、いうわけで。俺はしばらくここで寝泊り確定だな」
「寝てるラシードじゃ使い物にならなくない?」
可愛い顔して厳しい事を言ってくれるな。
くすくすと笑うラクスを横目に、ラシードはこめかみを押さえた。
「一般的には過労で倒れたってことになってんの。事情を知ってるのはお前ら学生とブリッジ要員、一部の整備の連中だけ」
だから、ラシードがラクスの護衛をしているという話にしても問題ないのだ。コーディネイターへの偏見がないことはキラの件でマリューたちから頼まれているから、ラクスに関しても意向は通るだろう。
早速話を通すためにマリューに連絡を入れる。艦長室で話をしようということになり、その旨を二人に伝えようとすると、
「では、足の裏にいたずら書きをしても気づかれなそうですわね!」
足の裏どころか顔に落書きされたことがあるから笑えない。不穏なコメントを、ラシードは聞かなかったことにした。
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「……なぜに鷹さんがいるんでしょーか?」
艦長室には先客がいた。
ムウは、持っていたカップに口をつけながら「いちゃ悪いか?」と逆に聞き返して来るが、無視する。酷く沈んだ様子のマリューの様子からして、ラクスの扱いに関してナタルと揉めたんだろう。
「民間人であるキラ達を戦闘に参加させておきながら、ピンクのお姫さまは守りたいんですか?──とさ。ま、正論っちゃ正論だよな」
黙り込んでいるマリューに変わり、ムウがカップの中身を揺らしながら答える。
やっぱりな──と思いながら、艦長自ら注いでくれたコーヒーを一口いただきつつ、ラシードは扉に寄り掛かった。
「まあ、ラクス嬢の場合は特殊でしょーね。現在のプラントの最高権力者の娘だし、利用価値がある」
うまくすれば、戦争が終わる。そして、また理不尽な要求などを突き付けられ、コーディネイターとナチュラルの確執は大きくなるだろう。
あるいは、ラクスを犠牲にしてさらなる戦火を生むか。
「俺としてはバジルール少尉も甘っちょろいと思いますけど」嘆息しながら訴えると、マリューは怪訝そうな顔をする。
「そうかしら、彼女のいうことは──」
「戦果をあげ過ぎてるキラが、高い確率で処分対象になる可能性を失念してるところとか?」
ぎくりと、士官二人が体を硬直させた。
人質として上質なラクスに比べて、対コーディネイター戦をしている地球軍にとって、いつかはキラの存在が邪魔になるに違いないのに。
「気になっちゃいたんですが。キラが未だにストライクに乗っている件なんすけど」
ヘリオポリスが崩れてすぐ、ラシードは寝落ちした。トールたちとの会話なんとなく把握してはいたが、要請した彼ら側の見解はまだ聞いていなかった。
「フラガ大尉では、ストライクの操縦はやはり難しいですか」
「不甲斐なくて申し訳ないけどね」
キラが民間人なのをわかっているムウのことだ。キラが戦わなくてすむならば彼自身がストライクを操縦していただろう。
先ほどキラも言っていたが、ムウではストライクの操縦が出来ない代物になってしまっている。
「フラガ大尉と私は、もともとの機体に手を付けたことがあるからわかるのだけど」
キラがストライクのOSを書き換えている現場に居合わせたマリューならばその機体の性能の切り替わりを内部から把握している。ムウはパイロットの視点で。
ふう、とラシードは息をついた。
「つまりはZAFTの方でも可能性を抱きますよね。ストライクに乗る人間が何者なのか」
奪取された機体は4体。OSは全て一緒だったはず。
地球軍が初期に搭載していたOSを使用しているはずがない。ZAFTの技術者が、キラのようにOSを書き換えたはず。
地球軍にコーディネイターがいるか、はてまたナチュラルの中に目覚ましい能力をもつ人間がいて、サポートしたか。
「何か問題でもあるのか?」
「大ありでしょ。ストライクに乗っている人間がコーディネイターということは、彼らにとっては“裏切者”。後者であれば、脅威でしかないんすから」
そもそもの戦争の発端が、優秀さを求めて遺伝子を弄って出来た生命体への畏怖・憧憬・遺恨を抱くものと、求めた相手から差別を受けたものたちによるぶつかり合いだ。コーディネイターはどうしたって、ナチュラルを劣るものとして認識してしまう。
劣っていると思っていた相手が、正攻法においても脅威に存在となったら。
うんざりしたような唸り声をムウがあげる。
「ああ、くそ! 解放してやれたとしても、坊主が報復を受ける可能性があるってことじゃねえか!」
「その可能性を提示したうえで、家族を含め安全を保障するってカードを切ることは想定しておくべきでしょうね」
寄りかかっていた扉から身を起こし、顔色の悪いマリューの様子を伺った。ムウの場合は、現在エンデュミオンの鷹という二つ名をつけられた経緯から軍の裏事情を少しは把握していたろうが。
「現状の地球軍は様々な軍属の集合体ですから。判断を下す立場の人間に左右されることはお覚悟を」
「プラントに核を打ち込んだ連中とかな。そう考えると、月基地に着く前に穏健派の権力者と合流したいところだね!」
がしがしと乱暴に自分の頭を掻くムウに、そっすねー、と頷いた。
穏健派といったところで、コーディネイターに仲間を殺されまくっている現実からすると、よっぽど出来た人間でないと難しいとは思うけど。
「なんというか、あなたは不思議な人ね」
ラクスの世話を、基本的にはラシードがすることで話がまとまり、艦長室を辞そうとしたその時。
心底不可解そうな顔のマリューを見て、ラシードは首を傾げた。何か変なことをいったろうか。
「坊主たちとそんな年も変わらないのに尉官だもんな。それなりに功績をあげたか俺みたいな経緯での拝命か?」
調子に乗り過ぎた。ラシードは思い切り二人から視線を外す。
どうしよう。今持っているIDは少尉っているだけで中身がない。一応MAのパイロット枠だけど。それで戦闘に出ろって言われるとちょっと困ったことになる。
アルテミスの将官とも知り合いだったんでしょう? とマリューに重ねられてしまい、二人の士官からの好奇の目が痛い。答えてもいいけどやっぱり偽造IDだと辻褄が。
「あー……大西洋連邦に引き抜かれる際の見返り的な拝命なんで」
ギリギリなんとかごまかせる範囲。これ以上は突っ込んでこないでほしい。
偽造IDは軍籍が移ってからの内容しかないのだということにすればなんとかなると思う。嘘はついていないし。
嫌な汗びっしょりの背中。そろそろ逃げよう。「自分の移籍は政略方面のことなんで」元々有利な立場で連合軍の中核を担う大西洋連邦籍の二人を、真っすぐ見据えた。
「戦時中に起きたあらゆる行為とその結果は、軍に所属する限りはその大義の元、裏切られることはないとはいえ──だからこそ、あんまり素直に妄信し過ぎない方がいいですよ」
軍人でなくなったら、その責任は個人に降りかかってくるのだ。例えばキラの場合、用済みになったら捨てられる。ずっと戦争が続けば使われ続けるだろうけれど。
ラシードの場合は──まあ、殺されることだけはないけれど。
「母さん!?」
医務室から自室へ戻る途中。
ロビーのところで見知った女性の姿を見つけ、ニコル・アマルフィは思わず大声を出していた。
自分の母親が、大泣きしながらアカデミー同期の少年に抱き着いていたら誰だってそうなると思う。
ロミナ・アマルフィは息子の姿を認め泣きながら走り寄って来て。
「ニコル! よかった、よく無事で」
アカデミーの実習中。ニコルが乗っていたMSが突然制御不能に陥ってしまった。コクピット内で放電が起きて、発火。外部から助けが来なかったら大火傷どころではなかったと思う。
助け出してくれたのは、今し方母親が抱き着いていたラシードだ。彼は対戦相手のチームだった。外から強制的にハッチを開けてくれたのだ。
「怪我の程度は、どうだね」
尋ねてきたのは、パトリック・ザラ国防委員長である。アカデミーで起きた不祥事の為にわざわざ出向いてくれたのか。
ニコルの両腕は包帯に包まれている。一週間程度は安静にするよう言われていた。
パトリックの隣で、服に着いた涙と鼻水を無言で拭いているラシードに目線で謝意を向けると、彼は気にするなというように笑ってくれて。
「調査の為、しばらくMSの演習は中止となる。対応が遅れてしまい悪い事をした」
最後の謝罪は、どうやらロミナに向けてだったようだ。むっとした顔で去っていくパトリックの背中をにらんでいる。
ニコルは困惑した。不測の事態を事前に対応するなんて無理なのに。でも、確かに──チェック体制がもう少し厳しければよかったかもしれない。
「ラシードのおかげね、さすがだわ!」
「お前いい加減にしろ、俺がユーリに怒られるんだぞ!」
涙ぐみながら、またロミナがラシードに抱き着いた。友人は両手をニコルの母から遠ざけるように振り回し、ニコルに助けを求めてくる。
息子の立場から見ても、両親は仲がいい。この場面を父が見たら、確かにラシードにやきもちを──妬くだろうか?
「ラシード、母さんと知り合いだったんですね」落ち着きを取り戻した母親を見送った後、ニコルは共に寮へ戻るラシードに尋ねる。
「まあなー。それよか、痛い思いさせて悪かったな」
優しい手つきで片手に触れてくる相手に、ニコルは首を振った。
この同期生には変な異名がつけられていた。疫病神。
なぜか、今回のニコルのような不運の現場に、必ずと言っていいほど居合わせるのがラシードだからだ。演習で彼と一緒になったら誰かが怪我をする。だから、疫病神。
先日はアスランが怪我をした。その前はイザーク。他にもあげるとキリがないが、ニコルとしてはそんなに気にする必要はないと思っている。
演習に怪我はつきものだ。自分たちの不注意もある。今回みたいなことは予想しろと言われても簡単にはできないのだけど。
「ラシードも痛かったでしょ。治りがただでさえ遅いってわかってるのに助けてくれて、ありがとうございました」
ハッチをあけて、ニコルを引っ張り出してくれた時。
発火によって熱せられたコンソールパネルに片手をついて、あっという間にニコルを担ぎ上げて助け出してくれたのだ。パイロットスーツにも多少耐火性があるとはいえ、限度がある。
「間に合ってよかったよ」
包帯にまかれていない方の手で、乱暴に頭を撫でられた。
お互い、無事でよかった──。
「おい、ニコル!」
真っ暗な部屋の中を眺めていたニコルが、はっとなって振り返る。
通路にはイザーク・ジュールと、ディアッカ・エルスマンがいた。二人は仏頂面だ。
「ミゲルとラシードの部屋なんか覗いて、どうしたんだよ」
殉職した先輩兵士と、行方不明の同期生。
ニコルは返す言葉を見つけられず、口ごもる。意味などない。ただ、いなくなってしまった事実が受け入れられていない──というわけでもないと思う。
何故と聞かれると、難しい。「感傷に浸るにはまだ早いだろ」ディアッカの言葉に、ニコルはぱっと顔をあげた。
待ち構えていた相手の顔は笑っているけど、目は怒って見えた。その隣で、不機嫌そうに舌打ちしたイザークが、くるりと踵を返し。
「俺たちで仇を取る。それまで、取っておけ!」
そういうこと──先に行ってしまうイザークに同意しながら、ディアッカはその場を動かない。
ニコルは少しだけ部屋の中に視線を向けて、扉を閉めた。
《ザフト軍に告ぐ!!》
ナタルの機械的な声が、全周波数に乗せて響き渡る。
ラシードは、出て行ったキラの機体がいつも置いてあるMSの格納庫の壁に寄り掛かりながら、それを聞いていた。
《当艦は現在、“プラント”最高評議会議長シーゲル・クラインの令嬢、ラクス・クラインを保護している!》
第八艦隊との合流前。そこから派遣された三隻の先遣隊はザフト軍の攻撃を受けた。
そのまま転進し、この宙域を離れろという指示をはね除けてアーク・エンジェルはその戦闘に介入して行った。
だが、結果は惨澹たるもので、先遣隊の艦隊は次々に沈んで行く。
そして、今──最悪の状況に陥ったらしい。
ブリッジにいないラシードでも、ナタルの放送が“先遣隊の全滅”と同時に、それらに向けられていた戦火が“こちら”を向いたのだと手に取るように理解できた。
そして、それから逃れる為には、“かっこうの餌”がある。
大きなため息をついて、彼は身を翻した。本当は、ここに戻って来るはずの少年を出迎えたかったのだが。
一度カタパルトデッキの方を振り返って、無理矢理それを、前方へ向けた。
《──戻って来たな、このじゃじゃ馬どもが!》
モニターの向こうで、唖然としている軍服コスプレの学生たち。
ラシードはでかい図体の両腕を腰にやって、ぷんすこしている事をアピールした。
サイが眼鏡を直しながら指さしてくる。「ええと、ちょっと待って、ラシードだよな?」
大声を張り上げて尋ねてくる相手に、スピーカーを通して肯定。
《そうだよ。支援物資そっちのけで女子を追いかけていったお前らの代わりにパシられてた名ばかり士官だよ!》
「うわあ、凄いことやってるのに卑屈になってる! かっこ悪っ」
聞こえてるぞチビ! 言い返すと、カズイが怖がるように両手を頭にやってしゃがみこむ一方で、トールたちも負けじと言い返してくる。
「キラが乗る必要ないじゃんかよ!?」
《フラガ大尉も言ってたろ、的になるだけだ!》
「でも、操縦出来てるじゃん!」
《戦闘できるくらいの技量あったら早々に替わってるわ、そこまで人でなしじゃねえし! これは、動かせてるだけ!》
ストライクが威嚇する猫のように四つん這いになって学生たちと喧嘩している様は何とも言えない光景である。
大きな巨兵の手がぶおんと音を立てて、けたけたと笑っている作業服の集団を指さした。
《こいつら、キラと比較して文句ばっかりいうんだ! 俺だって頑張ってるのに! うっかりつぶしてやろうかと──》
「ラシード、それは冗談でも言っちゃダメ!」
作業をしていたクルーが足早にストライクから離れていった。焦っているというよりは笑いながらのあたりラシードとの関係性は良好だ。
苦笑いでストライクの手元に身を寄せるキラを、ゆっくりとした動作で腕に乗せて、ハッチまで誘導する。
「冗談じゃなかったのに!」「駄目だってば!!」
ハッチを開けて訴えると、キラはびっくりした様子だった。いや、冗談だから本気にしないで。
ラシードはそのままシートの後ろに移動して、キラに操縦席を譲る。
「フラガ大尉が乗ってみた時は全然だったよ。ほんと、凄いと思う!」
「あの人もキラの操作を見てたら少しは違ったろうな。体格あるから無理だろうけど」
後からトールたちも納得したと謝罪してくることになるのだが、ラシードとキラではストライクの俊敏さが大きく異なる。若者と、腰を曲げて一歩一歩がゆっくりな老人のような明確な違いがあった。
簡単な作業程度ならラシードで可能だが、戦闘などの技術はない。だから、キラの代わりは務まらないのだ。
「僕の操作を見ていたから、操縦出来たってこと?」
「ストライクがどの動きをしている時に、キラがどう動いてるか見てたから。OSの中身全部を把握できなくても、最低限ならなんとか」
もとよりアナログ人間のラシードは、見て覚えるタイプ。体が動いてしまうから、MSの戦闘など始めたら、蹴りの動作を自分の足でしてしまい負けてしまうパターンだ。
「そっちの方が凄いと思うけどなあ」
「そりゃどうも。それより、あれをあそこに──」
軍事要塞アルテミスでの補給を断念し、デブリ帯で物資調達の調査を終えたのち、ユニウス・セブンという悲劇の場所から氷塊を得るという結論に至ったアーク・エンジェル。
その際に、キラが搭乗するストライクはZAFTのMSと遭遇。これを撃破した後、救命ポートを保護してきた。その中から出てきた少女は自分たちと同年代だったから、学生たちは気になるのだろう。
キラはまた、ちょっと違うところを気にしているようだけど。「どうなるのかな……あの子」ほら、やっぱり。
確実にプラントの側の──コーディネイターである少女。彼女の処遇をキラはひどく気にしているようだった。
彼と違い、彼女はプラントの人間だ。地球に戻ることができれば親元へ戻れるキラたちと違い、彼女の帰る場所は真逆の場所。
「あの子、僕のせいで帰れなくなっちゃったんじゃ」
ラシードはシートの後ろから手を伸ばしてキラの鼻を摘まんだ。びっくりして慌てて身を引くキラの髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
「少なくともアーク・エンジェル内なら大丈夫だろ。彼女に危害が咥えられないよう俺が動くしさ」
もとより、彼女──ラクス・クラインとは既知だ。彼の父親の出身国であるスカンジナビア王国へ、ラクスが一時的に保護されることになった時に付き添ってもいる。
少々手荒い出国の仕方をさせてしまったから、時々話題を持ち出されて苦しいのだが。ああ、憂鬱だ。逃げたい。
「あの子が出てきた後、ラシードどっか行っちゃったから関わりあいたくないのかと思った」
「なにそれ酷くない? お腹痛くて社会的に死ぬ危機だったのに!」
悲壮な感じで訴えると、キラが笑い出した。不名誉な感じになってしまったが事実を言うよりはいいだろう。ラシードも一緒になって笑う。
実際はラクスに名前を呼ばれたりとか、球体ロボットに認識されて事件に発展しないよう、慌てて近場のトイレに逃げたというのが真相だ。
ところで、キラが問題視しているラクスのことは本当にどうしよう。
素性について彼女は素直に明かしているはずだ。プラント最高評議会議長の娘。人質としては十分な大物である。
クルーゼ隊がこの後追ってきたとしよう。
彼女を盾に攻撃をやめさせることが出来る。クルーゼ隊にはラクスの婚約者もいるから、まあ味方の艦内は紛糾するに違いない。
問題はその後だ。アーク・エンジェルはどこへ向かう?
月基地へ辿り着いてしまった場合、ラクスは地球軍に渡る。
軟禁されプラントとの交渉材料にされるのは目に見えている。どうにかその前に彼女の事は逃がすかどうかしなければならない。
月基地へ辿り着く前に第八艦隊の旗艦が合流してくれれば、まだ手の打ちようもあるのだが。
でもタイミングを間違えるとZAFT側から集中砲火になりかねない。さすがに撃沈されるのは嫌だ。キラたちのことも助けてやりたいし。
ああ、困ったなあ。
「嫌ったら嫌!」
困っている時というのは割りと問題が山積みになるものだ。さっそく、起きるだろうなとは思っていた事案発生である。
コーディネイターへの偏見を普通に抱いているフレイの癇癪である。
これは個々人レベルの話だし、ラシードがわざわざ矯正するような筋合いはない。寄って集まると戦火を引き起こすくらい大きな問題になるけれど、そんなのヒトの歴史上で散々繰り返されてきたことでもある。
こっちはラクスをどうやってこの艦から出すかで頭が痛いのに。
配膳の押し付け合いで言い争いをするなんて平和だなあ。
キラの存在に気付いて弁明したりしているけど、今更である。キラはフレイに恋慕の情を抱いているようだから不憫だ。
「まあ、誰が誰に飛びかかったりするんですの?」
そこへ来て、背後から闖入者登場である。
騒いでいた一同がそちらに注目する中、なんとか振り返るという動作を自制したラシードは慌てて厨房に飛び込んだ。そうだった、あの球体ロボットはロックの解除が得意だった。アスランのアホ!
食堂内がまた荒れる。
「“コーディネイター”のくせに、馴れ馴れしくしないで!」という最大級の拒絶がさく裂した。キラとラクスだけでなくラシードに突き刺す言葉の刃である──いや、ラシードはどうとも思わないけど。
「はいはい皆の衆、ラシード先輩に全員注目!」
凍てつく食堂内の雰囲気をいい事に、ラシードは手を打って全員の注目を自分に向けた。こうすれば、ラクスが仮に名前を思わず口にしたところで問題ない。多分。
「ミリィ、気遣いありがとうな。こんなつまんないことでお前らの仲を険悪にさせるのも悪いから、調理から配膳まで俺が引き受けるよ」
偏見など特に抱いておらず、ただ自分たちと違い艦の仕事を何もしていないフレイの立場を慮ってのことだったと思う。ミリアリアは申し訳なさそうに頷いた。
「というわけで、俺が飯を作ってやるけどさ。アレルギーとか食べれないのとかある?」
驚いた顔で固まっているラクスに、ラシードは声をかけた。「ああ、俺はラシード・パークス少尉な」と自己紹介しながら。
初対面は終えてやったのだ。話しかけてもらったところで問題ない。ほっと息をついた様子で大きく頷いたラクスがお辞儀をしてくる。
「ラクス・クラインと申します。お心遣い感謝しますわ。好き嫌いなどは特にないのですけど……その、一日ほど食事をしていなかったので」
「そっか。俺はさっき起きたばっかだし、キラは食欲ないだろうから、食べやすいのにしようか」
遠慮がちの申し出。救命ポートで漂っていた時間が一日なのか、脱出させられるまでを含んでの一日なのかは不明だが。
何万人もの犠牲者が眠る地で漂っている間、心細かったろうな。
一瞬口元を歪ませたラクスを見て、二つ分のコップに水を入れ、キラに持たせた。
「後から行く。ラクス嬢を」
《ハロ! ラシード、ゲンキ、ダッタカー!》
「あーはいはい。それなりに元気だよ。ありがとな!」
びょんびょんと跳ねている球体を鷲掴み、ラクスにしっかり持たせた。このピンクの物体が変な事喚く前に大人しくさせろ。
「キラは彼女の部屋把握してるんだろ」
「え、いや、知らないけど……」
野次馬しにいってたじゃん? ラシードが首を傾げると、まだ顔を青くさせていたキラは生返事だったのか、ハッとなる。
「ええと、さっき艦長たちと話していた部屋なら」
「そうそう、先ほどは押しつぶされてましたけど、大丈夫ですか?」
ラクスが気づかわし気にキラに問いかけ、キラはさっきはお見苦しいところを、と恐縮している脇で、ラシードはギロっと食堂内の学生たちを睨む。貴様ら、俺の可愛いキラを下敷きにしやがったのか。
不可抗力だったんだよ! と弁解するカズイとミリアリアを追いかけながら、遠のいていく二人の背中を見追った。
その後は、色々材料をごちゃまぜにして味に少し手を加え、特性粥を完成させたラシードは、ずるい! と喚く食堂に居合わせた連中を無視し、ミリアリアに教えて貰った部屋でラクスたちと食事を始める。
食堂での出来事から、キラが落胆していると思ったのだが、思いのほか元気な様子なのでほっとした。ラクスが何か言ったのかも。
「いいか、外に出たくなったらまず俺に通信入れる事。一人で出歩くな、一体多数じゃどうやったって適わないんだからな」
先ほどの騒動を引き起こした自覚があるのか、ラクスは大人しく従ってくれる。キラの、ここは地球軍の艦ですから本当に気を付けて、という念押しもきいたのかもしれない。
銃を向けられたことがある人物が言うと説得力あるなあ。
「と、いうわけで。俺はしばらくここで寝泊り確定だな」
「寝てるラシードじゃ使い物にならなくない?」
可愛い顔して厳しい事を言ってくれるな。
くすくすと笑うラクスを横目に、ラシードはこめかみを押さえた。
「一般的には過労で倒れたってことになってんの。事情を知ってるのはお前ら学生とブリッジ要員、一部の整備の連中だけ」
だから、ラシードがラクスの護衛をしているという話にしても問題ないのだ。コーディネイターへの偏見がないことはキラの件でマリューたちから頼まれているから、ラクスに関しても意向は通るだろう。
早速話を通すためにマリューに連絡を入れる。艦長室で話をしようということになり、その旨を二人に伝えようとすると、
「では、足の裏にいたずら書きをしても気づかれなそうですわね!」
足の裏どころか顔に落書きされたことがあるから笑えない。不穏なコメントを、ラシードは聞かなかったことにした。
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「……なぜに鷹さんがいるんでしょーか?」
艦長室には先客がいた。
ムウは、持っていたカップに口をつけながら「いちゃ悪いか?」と逆に聞き返して来るが、無視する。酷く沈んだ様子のマリューの様子からして、ラクスの扱いに関してナタルと揉めたんだろう。
「民間人であるキラ達を戦闘に参加させておきながら、ピンクのお姫さまは守りたいんですか?──とさ。ま、正論っちゃ正論だよな」
黙り込んでいるマリューに変わり、ムウがカップの中身を揺らしながら答える。
やっぱりな──と思いながら、艦長自ら注いでくれたコーヒーを一口いただきつつ、ラシードは扉に寄り掛かった。
「まあ、ラクス嬢の場合は特殊でしょーね。現在のプラントの最高権力者の娘だし、利用価値がある」
うまくすれば、戦争が終わる。そして、また理不尽な要求などを突き付けられ、コーディネイターとナチュラルの確執は大きくなるだろう。
あるいは、ラクスを犠牲にしてさらなる戦火を生むか。
「俺としてはバジルール少尉も甘っちょろいと思いますけど」嘆息しながら訴えると、マリューは怪訝そうな顔をする。
「そうかしら、彼女のいうことは──」
「戦果をあげ過ぎてるキラが、高い確率で処分対象になる可能性を失念してるところとか?」
ぎくりと、士官二人が体を硬直させた。
人質として上質なラクスに比べて、対コーディネイター戦をしている地球軍にとって、いつかはキラの存在が邪魔になるに違いないのに。
「気になっちゃいたんですが。キラが未だにストライクに乗っている件なんすけど」
ヘリオポリスが崩れてすぐ、ラシードは寝落ちした。トールたちとの会話なんとなく把握してはいたが、要請した彼ら側の見解はまだ聞いていなかった。
「フラガ大尉では、ストライクの操縦はやはり難しいですか」
「不甲斐なくて申し訳ないけどね」
キラが民間人なのをわかっているムウのことだ。キラが戦わなくてすむならば彼自身がストライクを操縦していただろう。
先ほどキラも言っていたが、ムウではストライクの操縦が出来ない代物になってしまっている。
「フラガ大尉と私は、もともとの機体に手を付けたことがあるからわかるのだけど」
キラがストライクのOSを書き換えている現場に居合わせたマリューならばその機体の性能の切り替わりを内部から把握している。ムウはパイロットの視点で。
ふう、とラシードは息をついた。
「つまりはZAFTの方でも可能性を抱きますよね。ストライクに乗る人間が何者なのか」
奪取された機体は4体。OSは全て一緒だったはず。
地球軍が初期に搭載していたOSを使用しているはずがない。ZAFTの技術者が、キラのようにOSを書き換えたはず。
地球軍にコーディネイターがいるか、はてまたナチュラルの中に目覚ましい能力をもつ人間がいて、サポートしたか。
「何か問題でもあるのか?」
「大ありでしょ。ストライクに乗っている人間がコーディネイターということは、彼らにとっては“裏切者”。後者であれば、脅威でしかないんすから」
そもそもの戦争の発端が、優秀さを求めて遺伝子を弄って出来た生命体への畏怖・憧憬・遺恨を抱くものと、求めた相手から差別を受けたものたちによるぶつかり合いだ。コーディネイターはどうしたって、ナチュラルを劣るものとして認識してしまう。
劣っていると思っていた相手が、正攻法においても脅威に存在となったら。
うんざりしたような唸り声をムウがあげる。
「ああ、くそ! 解放してやれたとしても、坊主が報復を受ける可能性があるってことじゃねえか!」
「その可能性を提示したうえで、家族を含め安全を保障するってカードを切ることは想定しておくべきでしょうね」
寄りかかっていた扉から身を起こし、顔色の悪いマリューの様子を伺った。ムウの場合は、現在エンデュミオンの鷹という二つ名をつけられた経緯から軍の裏事情を少しは把握していたろうが。
「現状の地球軍は様々な軍属の集合体ですから。判断を下す立場の人間に左右されることはお覚悟を」
「プラントに核を打ち込んだ連中とかな。そう考えると、月基地に着く前に穏健派の権力者と合流したいところだね!」
がしがしと乱暴に自分の頭を掻くムウに、そっすねー、と頷いた。
穏健派といったところで、コーディネイターに仲間を殺されまくっている現実からすると、よっぽど出来た人間でないと難しいとは思うけど。
「なんというか、あなたは不思議な人ね」
ラクスの世話を、基本的にはラシードがすることで話がまとまり、艦長室を辞そうとしたその時。
心底不可解そうな顔のマリューを見て、ラシードは首を傾げた。何か変なことをいったろうか。
「坊主たちとそんな年も変わらないのに尉官だもんな。それなりに功績をあげたか俺みたいな経緯での拝命か?」
調子に乗り過ぎた。ラシードは思い切り二人から視線を外す。
どうしよう。今持っているIDは少尉っているだけで中身がない。一応MAのパイロット枠だけど。それで戦闘に出ろって言われるとちょっと困ったことになる。
アルテミスの将官とも知り合いだったんでしょう? とマリューに重ねられてしまい、二人の士官からの好奇の目が痛い。答えてもいいけどやっぱり偽造IDだと辻褄が。
「あー……大西洋連邦に引き抜かれる際の見返り的な拝命なんで」
ギリギリなんとかごまかせる範囲。これ以上は突っ込んでこないでほしい。
偽造IDは軍籍が移ってからの内容しかないのだということにすればなんとかなると思う。嘘はついていないし。
嫌な汗びっしょりの背中。そろそろ逃げよう。「自分の移籍は政略方面のことなんで」元々有利な立場で連合軍の中核を担う大西洋連邦籍の二人を、真っすぐ見据えた。
「戦時中に起きたあらゆる行為とその結果は、軍に所属する限りはその大義の元、裏切られることはないとはいえ──だからこそ、あんまり素直に妄信し過ぎない方がいいですよ」
軍人でなくなったら、その責任は個人に降りかかってくるのだ。例えばキラの場合、用済みになったら捨てられる。ずっと戦争が続けば使われ続けるだろうけれど。
ラシードの場合は──まあ、殺されることだけはないけれど。
「母さん!?」
医務室から自室へ戻る途中。
ロビーのところで見知った女性の姿を見つけ、ニコル・アマルフィは思わず大声を出していた。
自分の母親が、大泣きしながらアカデミー同期の少年に抱き着いていたら誰だってそうなると思う。
ロミナ・アマルフィは息子の姿を認め泣きながら走り寄って来て。
「ニコル! よかった、よく無事で」
アカデミーの実習中。ニコルが乗っていたMSが突然制御不能に陥ってしまった。コクピット内で放電が起きて、発火。外部から助けが来なかったら大火傷どころではなかったと思う。
助け出してくれたのは、今し方母親が抱き着いていたラシードだ。彼は対戦相手のチームだった。外から強制的にハッチを開けてくれたのだ。
「怪我の程度は、どうだね」
尋ねてきたのは、パトリック・ザラ国防委員長である。アカデミーで起きた不祥事の為にわざわざ出向いてくれたのか。
ニコルの両腕は包帯に包まれている。一週間程度は安静にするよう言われていた。
パトリックの隣で、服に着いた涙と鼻水を無言で拭いているラシードに目線で謝意を向けると、彼は気にするなというように笑ってくれて。
「調査の為、しばらくMSの演習は中止となる。対応が遅れてしまい悪い事をした」
最後の謝罪は、どうやらロミナに向けてだったようだ。むっとした顔で去っていくパトリックの背中をにらんでいる。
ニコルは困惑した。不測の事態を事前に対応するなんて無理なのに。でも、確かに──チェック体制がもう少し厳しければよかったかもしれない。
「ラシードのおかげね、さすがだわ!」
「お前いい加減にしろ、俺がユーリに怒られるんだぞ!」
涙ぐみながら、またロミナがラシードに抱き着いた。友人は両手をニコルの母から遠ざけるように振り回し、ニコルに助けを求めてくる。
息子の立場から見ても、両親は仲がいい。この場面を父が見たら、確かにラシードにやきもちを──妬くだろうか?
「ラシード、母さんと知り合いだったんですね」落ち着きを取り戻した母親を見送った後、ニコルは共に寮へ戻るラシードに尋ねる。
「まあなー。それよか、痛い思いさせて悪かったな」
優しい手つきで片手に触れてくる相手に、ニコルは首を振った。
この同期生には変な異名がつけられていた。疫病神。
なぜか、今回のニコルのような不運の現場に、必ずと言っていいほど居合わせるのがラシードだからだ。演習で彼と一緒になったら誰かが怪我をする。だから、疫病神。
先日はアスランが怪我をした。その前はイザーク。他にもあげるとキリがないが、ニコルとしてはそんなに気にする必要はないと思っている。
演習に怪我はつきものだ。自分たちの不注意もある。今回みたいなことは予想しろと言われても簡単にはできないのだけど。
「ラシードも痛かったでしょ。治りがただでさえ遅いってわかってるのに助けてくれて、ありがとうございました」
ハッチをあけて、ニコルを引っ張り出してくれた時。
発火によって熱せられたコンソールパネルに片手をついて、あっという間にニコルを担ぎ上げて助け出してくれたのだ。パイロットスーツにも多少耐火性があるとはいえ、限度がある。
「間に合ってよかったよ」
包帯にまかれていない方の手で、乱暴に頭を撫でられた。
お互い、無事でよかった──。
「おい、ニコル!」
真っ暗な部屋の中を眺めていたニコルが、はっとなって振り返る。
通路にはイザーク・ジュールと、ディアッカ・エルスマンがいた。二人は仏頂面だ。
「ミゲルとラシードの部屋なんか覗いて、どうしたんだよ」
殉職した先輩兵士と、行方不明の同期生。
ニコルは返す言葉を見つけられず、口ごもる。意味などない。ただ、いなくなってしまった事実が受け入れられていない──というわけでもないと思う。
何故と聞かれると、難しい。「感傷に浸るにはまだ早いだろ」ディアッカの言葉に、ニコルはぱっと顔をあげた。
待ち構えていた相手の顔は笑っているけど、目は怒って見えた。その隣で、不機嫌そうに舌打ちしたイザークが、くるりと踵を返し。
「俺たちで仇を取る。それまで、取っておけ!」
そういうこと──先に行ってしまうイザークに同意しながら、ディアッカはその場を動かない。
ニコルは少しだけ部屋の中に視線を向けて、扉を閉めた。
《ザフト軍に告ぐ!!》
ナタルの機械的な声が、全周波数に乗せて響き渡る。
ラシードは、出て行ったキラの機体がいつも置いてあるMSの格納庫の壁に寄り掛かりながら、それを聞いていた。
《当艦は現在、“プラント”最高評議会議長シーゲル・クラインの令嬢、ラクス・クラインを保護している!》
第八艦隊との合流前。そこから派遣された三隻の先遣隊はザフト軍の攻撃を受けた。
そのまま転進し、この宙域を離れろという指示をはね除けてアーク・エンジェルはその戦闘に介入して行った。
だが、結果は惨澹たるもので、先遣隊の艦隊は次々に沈んで行く。
そして、今──最悪の状況に陥ったらしい。
ブリッジにいないラシードでも、ナタルの放送が“先遣隊の全滅”と同時に、それらに向けられていた戦火が“こちら”を向いたのだと手に取るように理解できた。
そして、それから逃れる為には、“かっこうの餌”がある。
大きなため息をついて、彼は身を翻した。本当は、ここに戻って来るはずの少年を出迎えたかったのだが。
一度カタパルトデッキの方を振り返って、無理矢理それを、前方へ向けた。