第1章:無知の片鱗。
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05:02.内通者の定義。
──いよいよ、銃殺刑かなぁ……。
思った以上の現実に、ラシードは重苦しいため息を着いた。
乱気流に飲まれた“ストライク”を無理な体勢からどうにか制御に成功し、気を失っている少年を覗きこむ。
パイロットとしての訓練を受けていない常人に、乱気流に飲まれる際の身体にかかるGに対しての免疫はない。しかもパイロットスーツも着込んでいなかった。顔色に変化はないから、なんらかの後遺症が見られることもなさそうだ。
『──あなたも、士官ですか?』
アーク・エンジェルから離れて、ストライクと合流した時。
気絶させる気満々で、誘われたコクピット内へ身を乗り出したラシードは結果的に目的を遂げることができなかった。
柄にもなく、同僚たちが殉職していくのを静観していることしかできなかった。
それほど、ラシードにとってこの少年は地雷だったのだ。
「こいつは……アスランの幼馴染だ。優秀なのにいい加減な」
キラ・ヤマトは、同僚であるアスラン・ザラの関係者だ。本人同士の会話からして間違いない。
一人ごちりながら、大きくため息をつく。停滞していた思考が上手く機能し始めているかを最終的に判断する。
正常とは言えない。動揺はまだ残っている。けれども、それは現状況においては全く関係ないものであり、ずっと昔の関係性の話。
今、重要なのは、同僚とこの民間人が知人同士で、敵対してしまったこと。
双方にとって、好ましくない状況だ。そんな状況を回避できたはずの自分が動けなかったのが最大の原因。
この状況を招いたのは、ラシードの失敗が大きい。
猛省しつつ、静かに外の空間を見つめる。目の前に浮かぶ瓦礫の山。それは今まで、自分達のいたコロニーのそれだ。
生存者は避難を終えていたろうか。少なくとも、逃げ遅れに含まれる数名の学生たちはアーク・エンジェルにいるだろうが。
他にも同じように逃げまどっていた者がいたならば、その生存は絶望的だろう。
ZAFTの人間であるラシードは、このままストライクを操縦して仲間たちの元へ戻り、まず上官をぶん殴る必要があった。その後に、今回の事態を引き起こした件について処理しなければならない。
積極的に攻撃した自軍。排除する為には手段は選ばなかった事実。
「……おーい、そろそろ起きろー!」
そこまでわかっていながら、ラシードは大きなため息をついて。
失神している少年の肩を強めに揺さぶった。
通信機から雑音に混じった外部からの声が繰り返される。恐らくアーク・エンジェルからのものだろう。気だるそうな様子のキラに、体の調子を尋ねる。不具合は今のところなさそうだ。
《無事なら応答しなさい。キラ・ヤマト!》
通信機から聞こえて来た少年を呼ぶ声。急遽アーク・エンジェル艦長に任命された女性士官マリュー・ラミアスだった。
慌ててそれに応答するキラ。ラシードも続いて無事である事を報告。そのまま、自力で帰投することとなり、キラがストライクの操縦を引き続き担う。
「キラはさ、戦場は初めてだよな?」
唐突に尋ねられて、キラは驚いたようだった。機体に異常がないかをチェックを同時に行っていた彼は手を止めてしまう。
ちょっと意地の悪い話の振り方をしてしまった。
「経験しないで済むならそれが一番だった。人を傷つけずに済むし、痛い思いもしないですむし、人を恨まなくてもいいしさ」
「……うん、そう、ですね……」
顔を俯かせ、キラは声音を落とした。幼馴染であるアスランと対立してしまったことを思っているのか。アスランの同僚を殺してしまった事にまで気を回しているのか。
ZAFTの人間であることを明かす気のないラシードは、そこまで深いところに触れてやるつもりはない。「さっきのZAFT兵、知り合いだったみたいだけど」ぎくっと、少年の体が強張ったのがわかる。
さすがに、その事実が大変まずいことだと自覚しているようだ。
「さっきの通信の記録は抹消しよう」
驚いたような顔でラシードの振り返るキラ。その大きな紫色の目は、ちょっと心臓に悪い。視線から逃げるようにすっと身を乗り出して、ぽちぽちと作業を開始する。
「お前を不審に思わせる要素は極力伏せておく方がいい。コーディネイターだって知られるのも時間の問題かもしれないし」
「内緒にしてくれるんですか?」
息を飲む様子に、思わず苦笑いになってしまった。
大好きな同僚の幼馴染が困った事態になるのを傍観できるほど、割り切れる自信はない。それに、学生たちにも彼の事を頼まれている。
「俺は内緒にするけど、お前の友達は軍人だ。上官への報告義務がある。相手の動きが変わってくるかもしれないから、簡単に関係性だけ聞かせてもらえるか?」
既にアスランからは聞いているのだけど、キラからもアスランとの関係性を聞いておきたい。でないと、後で矛盾が発生したとき、キラがラシードに不審を抱く可能性がある。
結果的に、聞いている方が胸焼けする程、アスランとキラの話はかみ合っていた。大雑把な性格のキラと、真面目な性格のアスランとで立場的なニュアンスは違っていたけれど。
口がへの字になりそうになるのを必死で我慢する自分は健気だと思う。
「あくまで今後の予想だけど、キラほどストライクを操縦出来る人間はあの艦にはいない。それにお前自身、大人しく座ってるだけなんてもう無理だろ。また幼馴染と対峙することがあると思う」
傷ついたような顔で唇を噛む様子を横目に、ラシードは内心平謝りするしかなかった。操縦は出来ても戦闘はとてもじゃないが変わってやれない。自分にもう少し機械と通じ合える才能があればよかったのだが。
「完成してないとかで片付けられるようなOSのレベルじゃなかったし」
「……機体が可哀そうって悔しがってた技術者もいたんだよ」
モルゲンレーテ社の涙ぐましい努力を知っているだけに、キラの途方に暮れた一言にラシードは思わずフォローを入れてしまった。口にしてはいけなかった気がするけど、多分話の中身をあの艦の中で話して理解してくれる人間はどれだけいるか。
やっぱりそうですよねえ、と素直に納得したキラの表情は明るい。幾分か気持ちを吐き出せて気分が変わったのだろう。ラシードの歩み寄りと配慮の態度に、気を許してくれたのかもしれない。
「いいか。お前は決める権利を持つ立場になってるんだぞ」
だから、ラシードはまだ現実を理解できていないキラの鼻っ面に、人差し指を突き付けた。相手は困惑顔だ。
「どういうことですか?」
「簡単に言えば、友達に助けを求めてもいいってことだ」
可哀そうなくらいに悲壮な顔で、キラが息を飲んだ。
さっきまでのように、友達の為に守る為にストライクを使ってもいいし、もう耐えられないとアスランに助けを求めてもいい。その選択肢をキラは持っていて、選べる立場なのだと指摘してやった。けれど、その選択の結果を、キラ自身は背負わなければならない。
中立国のコロニーに、地球軍の新造艦と新型機体があったこと。そこにZAFTが乗り込んで襲い掛かってきたこと。巻き込まれたキラや学生たちは事情を放せば保護して貰えるかもしれない。
けれど、地球軍の人間たちはどうなるかわからない。
ラシードはキラに、ラシードを含めた地球軍人を見捨ててもいいと言ったのだ。
「お前は巻き込まれた側なんだから、そこまで責任感じなくても本当はいいんだけどな」
青い顔で沈黙しているキラを、急かすわけでもなくラシードは見守った。こればかりは自分の気持ちで決めて貰わないと。彼は軍人ではないのだから。
静かな空間内に突如、電子音が響いた──救難信号だ。
どうしたらいいか、というような紫色の目が見上げてくる。だが、機体を救難ポートへ寄せているところをみると、したい事ははっきりしているのだろう。
「早速だな。──お前は、どうしたい?」
それが背中を押す言葉になったのか、ストライクはしっかりと、ポートを抱え込んだ。
とはいえ、アーク・エンジェルにも余裕があるわけではない。けれど、地球軍の人間は“民間人を巻き込んだ側”だ。責任は取るべきだと思う。
「ちょっと一悶着ありそうだが。まあ、そこは任せとけ」
不思議そうに見上げてくるキラに、白い歯を出して笑ってやる。
案の定、帰投する段階で通信機越しに口論に至るわけだが、人道的な倫理観を失っていなかったマリューが承諾してくれた。けれど、軍人としての観点から、ナタルは不満そう。
聞き入れてはもらえたが、アーク・エンジェルへの不信感を抱くキラの肩をぽんと叩いたラシードは、ひとつ咳払い。
「バジルール少尉、『目を背ける事で得る平穏に何の意味がある』んでしょうね?」
「……艦長が了承されたのだ、私に異論はない」
ぐっと言葉につまった後に続けられた言葉に、ラシードは「ですよねー」と頷きながら敬礼し、通信を切った。やっぱりあの女性士官、可愛げがあるな。
「凄い。あの人、中々話聞いてくれなかったのに黙らせちゃった」
「オレ、毒舌弾丸マシーンって呼ばれてるんだ~揚げ足取りなら任せてくれ!」
その後は艦内へ潜り込み、指示された場所に救命ポート下ろして。ストライクを格納スペースへ固定したところで、ラシードはキラに言い含める。
「いいか、ここは地球軍の艦だ。自分からコーディネイターであることは明かさない事。特に幼馴染の事は!」
「わかった──じゃない、わかりました!」
キラは返事をしながらも、急に不安そうになる。身の危険を感じるほど自分の出自について気にすることはなかっただろう。周囲と自分の何らかの違いに関しては、違和感を覚えることはあったかもしれないが。
「そんなに怖がらないでいいよ。ばれても、なんとかするからさ」
ぽんぽんとキラの頭を叩き、開いたハッチからひょいと飛び出す。躊躇しているらしい少年に手を差し伸べてやれば、不安そうにしながらも手を握り返してくれた。
ハッチから出て来た少年を見て、整備班やデッキに集まっていた人間達は呆気にとられたようだった。その中から、いくつかの影が飛び出して来る。例のキラの友人達だ。
彼等によってキラがもみくちゃにされる様子を繁々眺めていたラシードは、歩み寄って来る気配に気付いて視線を向けた。
「ご苦労さん。調子はどうだ?」
「自分も彼も特に問題はありません」
エンデュミオンの鷹の異名を持つムウ・ラ・フラガ大尉が、愛想のよい笑みを浮かべて語りかけてくる。
「それなら何より。いやあ、あの機体があそこまで動けるなんてなあ」
「あー……本来のパイロットたちの様子をご存じで」
困ったなあ、とラシードは頭を捻る。恐らく、ムウはキラがコーディネイターである可能性に気づいている。
視界の端で、救難ポートから出てきた民間人の中にキラ達の友人がいたようで再会を喜び合っていた。場違いなくらい、平穏な光景だ。
「そう構えなさんな。こういことは、早めに明かしておいた方がいい」
ムウがラシードの肩をぽんと叩いて、キラの方に歩み寄って行った。
確かに地球軍の艦の中で出自を伏せたままでいること、後々悪影響になる場合はある。ふとした拍子に素性がばれてしまった時、それまで築いた関係性は簡単に壊れるのだから。
「きみ、コーディネイターだろ?」
なんの邪気もない風に、ムウがキラへ尋ねた。自分から出自を明かさないようにとラシードから念を押されていたキラは、一瞬躊躇しながらも、肯定する。
それを聞いて過敏反応した地球軍兵士達が、銃を構え少年たちへ一斉に向けた。
彼らの敵は“コーディネイター”。中立国の民間人とわかっていようとも、敵愾心は多くの兵士達の身体には刷り込まれてしまっている。
「コーディネイターでもキラは敵じゃない! ザフトと戦って俺たちを守ってくれただろ!」
ヘリオポリスで、キラの事を殊更心配してた少年がキラを庇うように前に出た時、ラシードは銃を構え一列に並んだ兵士たちの一番端っこにいた男のこめかみに銃口を突き付けて。
「パークス少尉、何をしているの!」
血の気を失う兵士が銃を落とし両手を上げる様子に、銃を構えた男たちはその場で固まり、マリューたちも制止の声をあげた。
本当は銃を使い物にならなくすることもできたけど、今後何がわかるかわからないことから断念する。
「同じ陣営内でも、民間人を殺す同僚に対して背後を取ることもあるんだけどな──て。ま、今回は未遂ですけど」
はい、他の人も銃降ろして──ラシードの号令に、仲間の命がかかっているものあってか、銃を構えていた兵士たちがそれを仕舞った。
今にも死にそうな顔をしている兵士に、「怖がらせてごめんな」と一言謝って解放したラシードは、びっくりして固まっている学生たちに小さく手を振った。
その後、マリューとムウにもがっちりガードされるような形でキラは救われ、また友人達もそれを取り巻くように側を離れず。
「あんま、無茶するなよなぁ~」青年が笑って、ブリッジへと戻って行く。ナタルには思いきり睨まれた。
「パークス少尉」
降格処分くらいは覚悟しておこうと思いながらそれに続こうとしたのだが、不意に呼び掛けられて顔を向けると、マリューが苦笑しながら歩み寄ってくるところで。
「あの行動は嫌いではないけど、しばらくはブリッジへ不用意に近づかず、整備の方の担当に回ってもらいます。謹慎……とはまた違うのだけれど」
また、彼女は他にも特務を彼に与えた。キラ・ヤマトの監視──とは言うものの、護衛だろう。随分と話のわかる、目の行き届く艦長だ。
幹部級のムウとマリューが表立ってキラの事を贔屓目にしては、部下たちの士気に影響が出る。対して、ナタルは私情を挟まないから一般的な地球軍兵士の支持を得るだろう。
ラシードは目に見えてコーディネイターを全て悪とするのはおかしいと行動で示した。表立って守ることはできるのは彼だけだ。
「改めて自己紹介だな。俺はラシード・パークスだ。一応少尉だけど、呼び捨てでいい」
手を差し出しながらそう言えば、キラを始めとした少年達がきょとんとしていた。唐突に始まった自己紹介に、様々な事がありすぎて思考が着いていかないのかもしれない。
「俺はトール・ケーニッヒ! で、これがカノジョのミリアリア・ハウで──」
固まっている空間を、直ぐさま打ち砕くようにのってきたのはトールだった。一人ひとり自己紹介をしてくれていたが、覚える気はない。
トールは覚えた。ミリィというのも長い名前だなと思っていた矢先に短い愛称を教えて貰ったからすんなり覚えられた。
だが、後は『眼鏡』『ちび』『お嬢』で決まりだ。
「それじゃ、早速居住区に案内してやる。特にキラは、まず、休まないと──?」
「ラシード!?」
ノリでトールと肩を組んでいたラシードは、不意にずるずるとその場にへたりこんでしまった。
周囲が慌てる中、遠くなって行く意識で彼は思う。
「ああ、しまった」
「ちょっとラシード、しっかりして! どこか痛いところ……」
自分は口に出せただろうか。
ここ四日間、そういえば、一睡もしてなかっただけなのだと。
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ラシードがZAFTに入ることを考えていなかった大きな理由としては、16時間も眠り込んでしまうからだった。その間何があっても起きないから使い物にならなくなる。
一方で、状況によるが二日程度であれば余裕で起きて活動できた。四日目ともなると
医務室で目を覚ましたラシードを迎えたのは、軍服姿の学生たちだった。16時間というのは、状況を一変させる時間には十分なのである。
すっかりラシードに気を許してくれた少年たちが色んなことを一気に話してくれた。医務室の場所がわからなくて混乱していたら、ムウが戻ってきてくれてラシードを運んでくれたとか。再びZAFTが襲ってきたとか、紅い機体にストライクが鹵獲されかけたとか。
その間、キラはずっと曖昧に笑ったまま黙り込んでいた。
「あーはいはい。ご心配おかけしやした! つか、お前らウルサすぎるから一旦散れ」
具合の悪そうな声で、厄介払いをするように手を振った。だが、しっかりと空いた方の手でキラを掴んでおく。
それを指摘してくるトールに「キラは癒し」と即答すれば、「無茶苦茶な理由!」と笑い飛ばされて。
それでも元学生たちが大人しく医務室を出ていったのは騒がしくした自覚があった為か。彼らを見送ったラシードは、まず大きく欠伸をした。
「心配かけてごめんな。オレ、一度寝ると16時間起きないんだ」
「なにそれ、病気?」
気づかわし気に覗き込んでくるキラに、首を振る。病気というには健康的で規則正しい。これは体質だ。
「ある程度調整できるんだけどさ。こんなことになったから」
「寝る前でよかったね。危なかったじゃない」
言われてぞっとした。
当初、エンデュミオンの鷹の様子を伺って、その後睡眠をとり、帰投するはずだったのだ。そういう風に報告も送っていたけど、妨害されていたならば仕方がない。実際に休んでしまっていたら、ラシードは今頃、屍となって宇宙空間を漂っていたのだと思う。
怖いこと言うなよお、とキラの首に抱き着くと、よしよしと背中を撫でてくれた。こいつ、いい奴だなあ。アスランが世話をやいていたのがわかる気がする。
「お前、幼馴染と一緒に行けなかったんだな」
途端、喉を鳴らして硬直したキラの頭を、よしよしと撫でてやる。アスランの事だ。敵陣についているからという理由だけで友を撃つはずない。
「一緒に来いって……言ってくれたんだ……」
沈んだ声。キラは突っぱねてしまったのだ。アスランからの呼びかけを。差し伸べられた手を。
兄弟のように過ごした相手。三年前に離ればなれになって、それから音信不通だった者たち同士。
やっと再会が叶ったと思えば、あんな場所。こんなところ。
「仕様のない奴だなあ」ラシードは、ベッドの脇に腰掛け直してから、鳶色の髪を思い切りぐしゃぐしゃにした。
「守るために奮った力は、何を守るものなんだろうな」
「なんか、ラシード難しい事僕に要求してる?」
乱れた髪を直しながら、キラは意味を図りかねるように首を傾げる。ちょっとむっとした様子だ。沈んだ気持ちが少し持ち直したんだろう。
「さあ、どうだろう──腹減ったな、キラは食べた?」
食べたと返答を得たが、精神的に参っていて食事への意欲が薄れているようだ。だから、ラシードは提案した。
「食べてる最中に、俺が突然、また寝落ちしたら迷惑かけちゃうじゃん?」
「うん? そうだね……?」
「だから、隣で見ててやって!」
何がキラのツボをついたのか不明だが、お腹を抱えて笑い出した少年の手を引いて、ラシードは意気揚々と食堂へ向かう。ずっと眠り続けていたのだから空腹で、このままでは体力が持たない。何かしら固形物と水分だけ取りたいところだ。
「お? 起きたか、ラシード!!」
不意に男の声。食堂に向かう途中で“エンデュミオンの鷹”と遭遇した。あちらも眠たそうに大あくびをかましている。
「名高い鷹さんが、人目をはばからずにのどの奥を晒すとか」
「そんなもんだよ。個人の人格はそこにないんだから」
からから笑いながら、だが、もっともな事を言う。長身の相手を見上げながら、ラシードも笑った。キラの方は、何の事かと目をぱちくりさせていて。
「にしても、お前さん普段何食ってんだ?」
突然、ムウの口調が真剣なものへと変わる。そのギャップに驚いて、少年二人は顔を見合わせた。
「お前さんが倒れたってんで、オレが医務室まで運んだじゃない? ほんと、軽いったら……キラ、お前の身長と体重は?」
尋ねられて、キラはわけもわからず答えている。ああ、ここでもその話題があがってしまうんだな、とラシードはげんなりした。
アカデミーで寝落ちする度にお世話になっていた同僚たちからも、体重に関してはよく指摘を受けていた。仮面上司も、自分に不利になるといつもその話題を出してくる。
「キラ、こいつ抱え上げてみろ」
「──はっ!?」
ぽけーっとしていたキラは、突然の試みに素っ頓狂な声を上げた。キラとラシードの背丈はそんなに変わらない。けれど、軍人であるラシードとキラでは、人を持ち上げるなどの筋力が違う。
「でっでも……僕そんなに力持ってないし……」
「ダーイジョウブだって! ほんっとに軽いから」
一応と言った感じでムウが許可を求めてくるが、断れば上官命令になるのだろう。ラシードは大人しく頷いた。
その後は、驚愕の表情のキラとムウに、もっとしっかり食べよう、と諭される始末。そう思うならば早く食堂に行かせてくれ。お腹と背中がくっつきそうです。
「ま、気が済んだならそれでいいんっすけど。フラガ大尉、手間を取らせて申し訳ありませんでした」
すかさず運んでもらった事について礼を言うと、ムウは首を振って。気さくで話しやすい上官だ。そして会話の流れで、このままユーラシアの軍事要塞“アルテミス”へ入港すると告げられる。
「そりゃ……よく決断したもんだ……」それがどういう事かわかっているから、ラシードは眉を寄せる。
一つそれに頷いてから、ムウは“ストライク”にロックをかけるようキラに言って、去っていった。
首を傾げるキラの背中を叩き、ラシードは食堂とは別の方へ向かって歩き始める。
「学校とクラスと同じだよ。同じ教室の中にいて、運動会とかの行事では協力するけど、普段はグループで固まってるだろ」
「あ、うん……でも、それがなんと関係が……?」
地球軍は、連合体であるから多くの他国籍軍の寄せ集めだ。アーク・エンジェルの乗組員は『大西洋連邦』の軍人で構成されているが、これから向かう軍事要塞は『ユーラシア連邦』の軍属である。
そして、この地球連合の一番の欠点は、その国益によって対立や摩擦が生じる事。自国に対する不利は避けたい。自国に有益な事には大きく関わりたい。
大西洋連邦がオーブと秘密裏に製造したアーク・エンジェルとストライク。この二つの存在を知れば、ユーラシアの軍人達がそのデータを欲要求してくるだろうことは必至。逆に何もしてこなかったら不気味だ。
「ふーん……軍も色々あるんだね」
理解したようでいて、どこか現実離れしたような内容についていけないといった様子で“ストライク”のコクピットに潜り込むキラを覗き込みながら、ZAFTの同僚たちはどうしているだろうかと思いを馳せる。
命じられた事を最終的に実行するかしないかは自分で決める。
それが気に入らないならアカデミーに入ることはお断りだ。そう時の権力者に啖呵をきったことが懐かしい。
「ラシード、気分悪い?」すっかり追憶に浸かっていたラシードは、キラに呼ばれて一つ肩を竦めた。
「平気。これから行くアルテミスにいい思い出なくってさ──それで、ロックはかけ終わったのか?」
「うん。僕にしか動かせないように」
これでキラ自身がロックを外せなくなっていたら意味がない。そんな事を思いながら、しげしげと相手を覗き込む。
「なっ何?」たじたじと身を引くキラに笑ってやる。「お前が艦から降りるまでは、オレはここにいてやるよ」
キラとアスランの仲を何とかしてやりたいという発想ではなかった。ただ、せめて軍から離れるまで、彼自身がいるべき場所を選択できるまでは傍にいてやるのが責任だと思ったのだ。
「もしかして、ラシードはここに留まれない人なの?」
まさかZAFTの人間だとまでは思っていないだろうが、若干不安そうな様子でキラが尋ねてくる。友人達以外に頼れる人物が、弱みを見せられる相手がいないのから当然か。
「オレは、アーク・エンジェルの正式クルーじゃないんだよ」
せめて、同じコーディネイターであることは言うべきかとも思った。けれど、きっとそうしたらキラはラシードの意見に同調するだけになってしまう危うさがある。
可哀そうだが、まだ明かすことはできない。
──十数分後。
武装した“アルテミス”の兵士達に銃を突きつけられて、一同は食堂に集められていた。
ほぼ自主的にそこにいたようなものであるキラは、暢気に水を飲んでいるラシードに小声で尋ねる。
「わかってたの?」
「言ったろ。いい思い出がないって……うーん、腹が減った」
食事にありつけなかったせいか機嫌が悪い自覚がある。
それを邪魔したユーラシアの連中を冷ややかに見据えていたが、やがてテーブルに突っ伏す。
「士官は三人だけかね?」
食堂の入り口では、ユーラシアの士官や銃を装備した兵士たちに囲まれたマリューとナタル、ムウの姿があった。ラシードも立ち上がろうとしたのだが、「ええ。私たち三人のみです」とマリューが割り込む。
彼女らと共に食堂へやって来たブリッジのメンバーが、ラシードに目配せしてきた。このまま、ラシードを残すことに決まっていたようだ。
消えていく士官三人を見送ると、途端にそわそわと食堂の時間が動き出す。
「ユーラシアって味方のはずでしょ?」
「黙れメガネ。世界はそんなに簡単じゃねえんだよ」
訳がわからないと眉を寄せながら尋ねて来たサイを一蹴し、ラシードは空腹の為に再びその場へ突っ伏した。キラが心配そうにしながら、空っぽになったコップに水を注いでくる。
「なんだぁ? 頼りねぇなぁ~もっとシャキッとしてくだせぇよ?」
「文句を言うなら食いもん寄越せ」
背後から、無精髭の男・マードックがどやしてくるが、それに答える気力が今はない。キラがさっきまで眠っていたのだと告げると、話を聞いていた何人かが驚きの声を上げた。
そんなに長時間眠り続けるというのは、一種の才能だと。
「格納庫に行けば非常食とかあるけどなあ」
「私、飴なら持ってるわよ?」
ヒゲを弄りながらぼやくマードックの隣で、ミリアリアが申し出てくる。腹をごまかすくらいはできるかと素直にいくつかの飴玉を受け取った。
机に突っ伏すラシードをみな心配する。特に、キラの場合は感受性が豊かなのか殊更気になるようで健気だった。少し考えてからその場を和ませるつもりで言う。「そんなに心配するなら、キラの膝を貸せ」
マードックたちが間抜けな声を上げる中、トールとカズイは笑い始め、キラに至っては目を丸くしたまま動かない。
あれ、滑ったかも。気まずくなって、ラシードは会話を繋げる。
「もーちょっと横になってりゃよかった。さすがにミリィに頼めないだろ」
「なによりオレが承諾しませんから」
ミリアリアの隣で、トールがけらけらと笑う。その様子に、みんな笑った。ここにフレイもいたが、彼女にしてもらおうと言う意識は全く浮かばない。
キラも笑いながら、だが続いた彼の発言は場を凍らせた。
「いいよ。別に」
そういって、自分の膝を指し示す。本人は純粋に希望を叶えてやろうという気持ちなのだろうが、場を和ませようと言ったものだとまったく気づいていない。
「キラ……」表情を作る余裕すらないから、ラシードは相変わらず真顔だった。恐らく、ふざける場合は顔に出るとキラは思っているのだろう。それが勘違いに拍車をかけているようで。
名前を呼ばれて、キラが不思議そうに何かと先を促してくる。
「さすがに恥ずかしいから、今度頼むわ」
「そう?」
本当の事をここで言っては、キラが恥ずかしい思いをするだ。ラシードとキラ双方の爆弾発言という事でここは締めくくる事にした。みな、それに異存はないのか苦笑したまま黙っている。
「にしても、どうして何の説明もないわけ? 艦長達、連れてかれちゃったしさ……」
カズイが、不安そうに呟くと、特にキラ達学生は肩を落とす。不安でたまらないといったところか。
対して、軍人達は今の状況がわかっているから、黙ったままだ。
“アルテミス”は軍事拠点としては大したものではないから、ザフトは積極的にここを攻めたりはしない──それ以前に簡単には攻め入れない。
この基地は光波防御帯によって普段はすっぽりと覆われていて、難攻不落の“アルテミスの傘”と称されてもいる。
けれど、ブリッツの性能に気づいているなら、ここはもう安全地帯ではない、早々に離脱した方がいい。
「ノッポ──じゃない。ノイマンだっけ?」アーク・エンジェルの操縦をしている青年にこっそりと話しかける。
「“合図”があったら行動を起こせ。艦長たちはオレが何とかしてやる」訝るような表情の青年を一瞥しながら立ち上がった、その時。
「この艦に積んであるMSのパイロットと技術者はどこだね?」
どこか落ち着かない様子で現れたユーラシアの士官。素直に名乗ろうとするキラをマードックが押さえこんだ。
ノイマンがむっとした口調でそっぽを向く。
「なぜ我々に聞くんです? 艦長達が言わなかったからですか?」
これで明らかにユーラシアのやっている事がおかしいと、聞いていた者達は自覚したはずだ。
尚も尋ねて来ていた士官──ガルシアはミリアリアに目をつけ、その腕を掴み上げた。
「やめてください! あれに乗ってるのは僕ですよ!!」
その後はすったもんだで投げ飛ばしたり投げ飛ばされたりと暴動一歩手前の状態に発展。その中にサイが含まれ、フレイが悲鳴を上げながら叫んだ。
「だってその子、コーディネイターだもの!!」
大勢が唖然とする空気の中、ラシードは舌打ちして拘束していた二人の兵士を突き飛ばす。そしてガルシア達の好奇の視線を浴びる少年を振り返った。キラは気丈にも、相手を睨み返していて。
「ほぉ……君はコーディネイターなのか」
「──はい、たんま!」
にやりと笑んだガルシアがキラの顔を覗き込むのを遮って、ラシードはにっこりとした表情で敬礼した。
要塞の長官が顔を真っ赤にさせ睨みつけてたが、みるみるうちに青くなっていく。
「随分と、いいご身分になったもんだな」笑みを消して、敬礼をといて。真っ直ぐに相手を睨む。
パクパクと口を開閉する事しかできなかった男は、一度悲鳴のような弱々しい声をあげた。
「……きっ貴様はっ……ラシード・パークス!?」
掠れた声をあげて目を見開いているユーラシアの軍事要塞・アルテミスの司令官であるガルシアが少年の名を口にした。
元より補給を受ける為に立ち寄った場所が悪かった。いや、最悪だ。
「ご無沙汰です。『あの時』はどーも」
「ははは……君も乗艦していたなんて思わなかったよっははは……」
あたふたとした様子のガルシアに対し、彼の部下と兵士、それとアーク・エンジェルのクルーはぽかんとした様子でそれを見遣っている。
「先ほどまで寝ていたもので、名乗り出られず大変失礼しました。わたくしも勿論『士官』なので、艦長たちのところへ案内していただけます?」
「もっもちろんだとも!!」
手をすりあわせながら、ガルシアは副官に命じてラシードを“アルテミス”内部へ案内するよう言った。
「それにしてもっ君がこんなところにいるなんて思っても見なかった!“彼女”とは連絡を取っていないのかね? 二人が揃えば怖いものなしだろうに!」
親し気に語りかけてくる相手をひと睨みすれば、ガルシアは痛恨の表情で固まり、一言詫びながら尚も話しかけてくる。はっきりいってうざったい。
「軍属も違うし、お友達作りしていたわけじゃないんだ。つかキモいから寄るな」ガルシアの方が立場上では上官なのに、ラシードよりも腰が低い。その様子にぽかんとしているキラの肩を叩く。
「遅くもなく、早くもなく。ロック外す時のタイミングは大事だぞ」
去り際にキラに耳打ちしてノイマンを振り返る。青年がこくりと頷いてくれたところを見ると、大丈夫そうだ。今は自分のするべき事をしなければ。
本当は、ここでザフトの攻撃を受けて降参する方法もある。だが、こんな奴らと同類項なのは真っ平ご免だ。
だから、先導していたユーラシアの副官と数人の兵士をさっさと昏倒させ、入り組んだ道を抜け、何やら騒がしい地帯へ踏み込む。
ある一室の前に見張りとしてついている二人の兵士が顔を見合わせて困惑していた。
「何してるんっすか?」
声をかけると同時に襲いかかり、それぞれのみぞおちと後頭部を打った。眠りについている兵士を跨ぎ、扉を開け放つと、二方向から来た攻撃を片腕と片足でさっとさばいて、背後へ下がる。
今さっき昏倒させたどっちかの腕か足を踏んずけてしまったので、心の中で謝った。
「三人とも無事みたいっすね。来なくてもよかったか?」
「パークス少尉!!?」
マリューとムウの背後から、ナタルが驚愕の声をあげる。
対してマリューは力強く頷いて、
「状況は?」
「ノイマンに“合図”があったら動けって言っときました。それと──ほい」
三人を先導するように走り出しながら、ムウに兵士から奪った銃を放る。
「生身じゃ下手って事はないですよね?」
「…………言ってくれんじゃない」
不適な笑みを浮かべて答えたムウと頷き合い、アーク・エンジェルを目指す。
「ストライクは?」
「キラが行ってます。オレたちが戻るだけ!」
走りながらマリューに答え、前方で彼らに気づいた兵が銃を構えるより早く相手の肩に銃弾を打ち込んだ。
女性陣をアーク・エンジェルのハッチ内へ導き、強制ロックをかける。共にブリッジへ飛び込めば、待ちかねたと言わんばかりのクルー達がいた。
「よくやった、ボーズ共!!」
ムウがサイの頭をぐしゃっと荒らすのを横目に捉えながらすかさず通信機を取る。「キラ!」
遅くもなく早くもなく。大雑把過ぎる指示を出したままだった少年に呼びかければ、返事が。
交戦しているようだ。相手は“ブリッツ”に間違いないだろう。
潜伏していた当初、偶然にもOSのチェックに携われたのはその機体だ。“ミラージュコロイド”と呼ばれるステルスシステムを作動させる事で“見えない存在”となる。
せわしなく動き始めるブリッジ内の、空いている席についたラシードは「ああ、腹減った」と呻いた。
その後、うまくザフトからの追撃を逃れた彼等は、限られた資源の補給という最大の問題をどう解決するか話し合っていた。
ヘリオポリスが崩壊する前、大急ぎで詰め込むだけ詰め込んだとはいっても、水や食料といった物資には限りがある。
この状況では、月から彼等のいる場所まで救援がくるのを待つか、自力で月基地まで行くしかない。到底、前者などありえないから、何とか打破せねばならないというわけだ。
航路予定のコースを、士官達が知力を絞って組み立てて行く。
だが、どれもこれも頼り無いものばかり。そんな地球軍士官達の背中を見遣りながら、ラシード一人、別の場所に視線を向けていた。
ブリッジから見える外の景色。そこから見える青い地球。そして、その周りにある、“デブリ帯”。
“デブリ帯”地球を取り巻く宇宙ごみの辿り着く宙域。人類は宇宙へ進出して以来の廃棄物のたまり場。地球の引力に引き寄せられてたまっている。かの“ユニウスセブン”もこの宙域を漂っていた。
そこには、意外にもたくさんの“資源”がある。コロニーを組み立てる際の廃棄物がほとんどだったが、戦争が始まって以来、そこには敵味方問わず艦の亡骸も漂っていた。
血のバレンタインの直後、ラシードはちょくちょくこの場所には赴いていたから、普通のZAFTの人間よりは資源には詳しい。でもそれを、惨劇を引き起こした者たちに教えることはしないけれど。
「待てよ、デブリか……」
ムウが口元に手をやって、何か閃いたように口にした。どうやら、彼は気付いたらしい。中々目のつけ所がいい男だ。
それ以上話を聞きたくなくて、ラシードは真っすぐにキラの元を目指し、ストライクの整備を終えたキラの首根っこを引っ掴んで、注目を浴びながら自分に割り当てられた部屋に連れ込む。
「アルテミスから脱出してきた直後からなんか、おかしいよな。お兄さんに言ってみなさい」
単刀直入に尋ねれば、目を見開いて固まるキラ。
やはり、ラシードがマリュー達を助ける為にキラと一時離れたあの後、ユーラシアの軍人達に何か言われたのだ。
彼をコーディネイターと知ったあいつらが何を言うか。考えただけで虫酸が走る。
「僕が、コーディネイターだっていうのはどうしようもないし……普通に考えたら、裏切り者なんだと思うから」
日に日にやつれていくように見える。コーディネイターだから思っているほど脆弱な肉体ではないけれど。
目を伏せて項垂れるキラは、今にも消えてしまいそうだ。本当は自分で培っていく必要があるからあまり助言をしたくないのだけど、さすがに見ていられない。
「お前を取り巻く周囲の人間は、“コーディネイター”だけか?」
裏切りとは、“味方”は密かに“敵”に通ずる事だ。
キラの味方は誰だ。敵は何だ。
「お前は今まで、コーディネイターとかナチュラルとか、いつも考えながら生活していた?」
小さく首を振るキラ。
「裏切り者って言うのは、その事実に理由づけし確定させたところから始まる概念だ」
ユーラシアの連中からしてみれば、本来はZAFTに所属するはずのキラが地球陣営についている事実から、コーディネイターにとってキラは裏切者であると理屈をつけたに過ぎない。
確かに、アスラン達からすれば、キラは裏切り者なのかもしれない。キラにとって、アスランにそう思われる事は望んでいないだろうし、アスランだってそう思っていないから鹵獲しようとしたのだと思う。
というより、裏切者と罵られるのはラシードの方だ。事情を知るガルシアは内心そう思っていたはずである。
「俺、言ったよな。お前には決める権利があるって。お前はいま、この艦を裏切ることが出来なかったこと、後悔してる?」
「っ僕は、そんなこと、まで……考えてなくて」
掠れた言葉は、その後も続かなかった。
きっと、自分の判断に不安を感じているだろうな。
可哀そうなことをしているとは思う。けれど、自分の心構え一つで何かが変わる大事な部分だ。それは実際はとてもちっぽけな世界のことだけど、団体や個人にとって根底となるものでもある。「例えばさ」
「トールがコーディネイターで、今のキラみたいに守ってくれてたら、あいつは裏切者?」
「そんなことないよ! きっと、トールは……」
具体的な話題を出されて、キラは「ああ」と声を漏らした。そして、ぼろっと涙をこぼす。「でも、我慢させたくないなあ」自分の心情を、一緒に吐露してくれる。
「後悔すんなって言ってるんじゃないぞ……ただ、自分は裏切っているつもりはない! って、キラが胸を張れる日が来たら、俺は嬉しい」
膝を抱えて泣きじゃくるキラが、やっぱり君は難しい事要求してくる、と言い返すまで、ラシードは椅子に座って見守ってやるのだった。