地上編
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page007:歪められた真実。
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「──ねえ、いい加減機嫌を直しなよぉ」
白いスーツの男が、情けない顔で前方のシートへ訴えた。
乗客など彼を含めて、行政官やSPがいるだけで、閑散としている。
そんな中、駆動音に紛れて聞こえるのは、キーボードをひたすらに叩く音だけだ。
「予定を変更して、ちゃんとアラスカに向かってるからさ」
うんともすんとも返ってこない。
相当怒ってるな。男は途方に暮れた様子で肩をすくめて、座席に腰を下ろした。
大西洋連邦の国防産業理事を務めるムルタ・アズラエルだ。ブルーコスモスの盟主でもあり、国や軍にも顔の利く彼を“こんな風に”扱える人間など、母親と彼女くらいだと思う。
せっかくこうやって迎えに来たのに。現在、自分たちは世界を二分する戦争をしているのだ。こうやって外交とはいえ他国へ飛ぶなんてなかなか覚悟のいることなのに。
再会の抱擁すら許してもらえず、開口一番税金を無駄遣いするな、と怒られてしまった。本当に、可愛い。
忌々しい中立国から出る上で、大人しく従う代わりに提示された条件は二つある。うちの一つが、行き先はアラスカであること。もう一つは、手渡された資料にあるMSの開発だ。
後者の件に関しては正直意外に思ったが、もとより義妹は機械弄りが得意だった。自宅の警備システムや、家具の自動動作環境など、彼女が整えてくれているから両親は快適に生活している。
組み立てなどは不得意分野であったはずが、“誰に手ほどきされたのか”、いつの間にか油まみれに工具を片手にうろついている姿を見るようになった。
「何のために艦を降ろしたんだか。ほんと、肝が冷えるよ」
行き先については大分もめたが、最終的に男の方が折れる形になった。用事を済ませたらすぐに発つことで合意を得られたのだ。とはいっても、一方的なものではあるから前途多難であるのだが、こればかりは“命に関わる問題”である為、聞いてもらわねば困る。
「ねーえー、食事の準備するけどさすがに手を止めてくれるよねえ? いい加減にしてくれないと僕も泣いちゃうかもしれないよ」
盛大に不満を訴えたが、キーボードの音はしばらく続いた。
さすがに打ちひしがれた気持ちで項垂れたところ、ぱたんとノートパソコンが閉じられる音。ぱっと顔をあげて振り返ると、目当ての人物が立ち上がってこちらに視線を寄越したところで。
やっと相手にしてもらえた。嘆息する相手の表情には、仕方ないなあという諦めがある。そうそう、この顔。いつも通りだ。
例えお説教や理詰めで責められても、大嫌いだと言われても──いや、実際言われたら泣くかもしれない──手放したくない存在だ。
-----------------------------
数日前のこと。
ザフトのヘリが遠ざかっていくのを、ティアは見送った。
アーク・エンジェルから齎された救助要請と座標の報せを受け、オーブはすぐさま動いてくれた。人命救助という名目であれば、中立国である彼らは大義名分を受け動くことが出来る。
更に言ってしまえば、データにもなる。大いに活用して貰って構わない。
ティアは、オーブよりも詳細に、自分が降りた艦に何が起きていたのか知っていた。ストライクに密かに忍ばせておいた設備のおかげで、通信を拾っていたのだ。
誰が亡くなったのかも、知っている。
「ティア。そろそろ日没だ、私たちも引き上げよう」
ストライクに取りついて、自爆したイージスの残骸。後者のパイロットは無事所属の軍へ明け渡したところだが、前者はいまだに見つからない。自力で抜け出しているか、連れ去られたかのどちらかだろうが、目当ての少年の姿を見つけることができなかった。
もしもの時、パイロットの生存率をなんとかあげられないかと、整備班たちと試行錯誤していた緊急シャッターは正常に作動していた。けれど、内部のシートは焼けただれていたから、爆発による高温を逃がすことはできず、脱出出来ていなかったら──。
「トール君は、もう?」
「既に本土へ。明日も引き続き捜索する予定だ」
かつてカガリが乗っていたスカイグラスパーは、爆散してぼろぼろだ。潰されたコクピットには、生きていた血潮だけが生々しく残っている。
生きていた歴史が、そこにあった。
「なあ、本当に普通のホテルに移るのか? 私のところでもいいんだぞ」
「何を言っているんですか、私は地球軍籍なんです。駄目でしょう」
移動のヘリの中、カガリが不満そうな顔をしている。アスランとのことや、キラのことで色々話したいのだろう。
気持ちはわかるのだが、迎えの飛行機は既にオーブへ来ている。大西洋連邦の行政官が外交的な用事を済ませたら一緒に発たなければならない事を考えると、身軽のほうがいい。
「じゃあ、せめて夕食だけでも!」
「食欲があるのはいいことですが、羨ましい限りです」
アーク・エンジェルがオーブを出て、二日が経つが、そういえばティアはほとんど食事を取っていなかった。さすがに体が求めていたから水分は取っていたけど。
困ったなあ、と──相変わらずカガリに付き添ってくれているレドニル・キサカ一佐を見上げた。彼は苦笑いを寄越しつつ、肩をすくめて。
「アスハの粥は絶品だと、以前カガリは言っていなかったか」
「ああ。マーナの料理はお腹にいいんだ。体調不良もすぐに治る!」
自慢気に言ったカガリは、そこで察してくれたようだ。すぐに、無線を取ってどこかに連絡している辺り、夕食を共にとる場所は定まってしまった。
なし崩し的にお泊りになったらどうしよう。アスハの危機意識レベルに期待したい。
「気の毒なことになってしまったな」
思いがけないことに、食事の席にはカガリだけでなく、彼女の父であるウズミ・ナラ・アスハの姿もあった。キサカも同席しているとはいえ、ちょっと気を許してもらいすぎではないだろうか。
しかも、ティアに合わせてみなお粥。居たたまれない。
「キラ君と、ザフト兵が友人同士で、とは。何の因果か」
「自分も驚きました。軍人には向いていない、気の優しい穏やかな子でしたから」
カガリが知りえた情報を、ウズミとキサカが神妙な面持ちで交わす。
唯一、途中からとはいえ付き合いの長い、地球軍籍のティアからしてみると責められている気がして、手に持つスプーンは粥をすくったり、戻したりと遊ばせるばかりで。口に運ぶ気力がわかなかった。「ティアは知らなかったろ」
カガリの断定的な言葉に、ティアはえっと顔をあげた。
隣の席で、覗き込むようにして待ち構えていた彼女の皿は既に空っぽだ。彼女はお行儀悪く、頬杖をついて。
「お前が知ってたら、キラはストライクに乗っていられなかったと思ってさ」
「そんな、買いかぶり過ぎですよ」
ティアがアーク・エンジェルに関わったのは、第8艦体が壊滅する直前だ。
ヘリオポリスからそれまでの航行に関するデータは報告書で読んでいた。キラからアスランが友達あることを伝え聞いた時、色々と辻褄が合うことに気付けたのも、その資料のおかげだ。
それ以外で、ティアが気づけるタイミングはなかったと思う。
「私は彼に甘えていましたから。試みもせずに」
キラは軍人ではないのだから、成り行きとはいえストライクに乗せ続けることをいい事だとは思っていなかった。
かといって、パイロットとしての権限を取り上げられるような精神状態にキラはなかったというのも要因ではあるが、ティアはキラにドクターストップをかけることをしなかった。
自分がストライクを操縦できる可能性があることは、わかっていたのに。わが身可愛さで、キラを戦わせ続けたのだ。「君の立場では、それも無理はないのではないか」窘めるように口をはさんだのは、ウズミだった。
彼は口元をナプキンで奇麗に拭い、お冷の入ったグラスに手を伸ばす。
「君の義兄は大西洋連邦の国防産業理事ムルタ・アズラエルだ。君に何かあれば、アーク・エンジェルの乗員たちはどんな扱いを受けるかわかったものではなかったろう」
「なんだよ、ティアも結構なお嬢さんなんじゃないか」
行政官が飛んでくるくらいなのだから、さすがにティアの事情を把握していたのだろう。
ウズミの指摘通り、ティアが守りに徹するのはそういう部分もある。例えばティアが艦内で怪我をしたりしたとばれれば、関わった乗員は激戦区前線に飛ばされてもおかしくない。
実際、士官学校時代にちょっかいをかけてきた連中は、前線に配備されて、今はどうしているかわからない。
「ままならぬものだな、君も。我々も」
キサカに送られて、ティアはホテルの自分の部屋にようやくたどり着き、そのままベッドに倒れ込んだ。
あれっきり、返す言葉が浮かばなくて、カガリに心配をかけてしまった。ちゃんと自分は、おやすみと挨拶をして別れただろうか。
思い出せない。
がばっと起き上がって、ティアはパソコンを立ち上げた。何かしていないと泣いてしまいそうだ。
先日操縦したディンの設計図は既に起こしてある。奪取されたMSから、必要な部分を足して引いて、アルテミスの光波防御帯の効果を採用する。バッテリー駆動を考えると、何を優先させるか選択を迫られる。
戦える機体でなくていい。守れる機体が欲しい。
エネルギー稼働時間の制限をどう凌ぐべきか。守りたくても、バッテリー切れで守れなくなるなんて事はあってはならない。
そう考えると、ミラージュコロイド・ステルスシステムを搭載した──ニコルの乗っていた機体ブリッツを再現するやり方が手っ取り早いか。
陽電子シールドは大型すぎるからMSに採用するのは難しい。どうすれば思い描く形に成していけるか。
「随分と寝坊したねえ、ティア・ラードナー」
気づいたら寝落ちしており、ティアは慌ててシャワーを浴びて、身支度を整える。朝食というには難しすぎるランチで賑わうホテルのレストランに顔を出すと、紫の色合いが目立つ青年が手を振ってきた。
どうやら相手は自分の事を知っているらしい。オーブ官僚の格好だから、ウズミたちと会った時に一緒にいたんだろう。
気後れしながら歩み寄ると、青年は「起きてる?」と目の前で大きな掌を振って見せた。
「久しぶり。二か月ちょっとの留学時はお世話になったね」
あてが外れた。ティアは記憶の引き出しを総動員して目の前の青年の事を思い出そうと必至だ。どうしよう、なんの手がかりも見つからない。
「ユウナ様、会食の準備が整いましたのでこちらへ」
「ん、ご苦労様。すぐ行くよ」
ホテルの支配人らしき男の発言で、ティアは思い出した。ユウナ・ロマ・セイランだ。確か、士官学校に併設されていた──士官学校が併設か──アカデミーの短期留学生。その頃はまだ他国とも交流は盛んだったから、制限付きではあるが外交的な学術協力はあったのだ。
「お元気そうですね、ユウナ」
「お互いね。何度か部屋にコールして貰ったんだけど時間切れ。機会があったら話そうよ、ディナーとかでさ」
じゃあね、と軽やかな足取りで去っていく青年を見送りながら、ティアは小首を傾げた。彼が留学して来ていた時、不思議とよく話しかけられたのだ。周りは遠慮してあまり近づいてこなかったから、ティアとしては嬉しかったのだけど。
やっぱり食欲がないので、それを店員に伝えたら、シンプルなパンケーキとホットミルクが運ばれてきた。気遣いに感謝する。
さすがに三日もきちんとした食事を取らずにいたら、カガリたちに迷惑になりそうだ。無理やりにでも、今日からは少しでも食べていかなければ。
──なんて思っているうちに、義兄自らが迎えに来ていたことを知り、カガリと慌ただしく別れを済ませて、帰国の途について。
アラスカ基地についたのは、アーク・エンジェル着艦の直後のことだった。
慌ただしかったから仕方ないのだが、一週間も経っているなんて思えないほどあっと言う間だった。体感時間としては、オーブを離れてから三日程度なんじゃないかと思う。
「いいかい。二日後の晩には出発するからね」
「わかりました、義兄さん」
応接室から出ていこうとするティアに言い含める相手の目は真剣だ。
アーク・エンジェルに戻りたいことは許してもらえなかった。どうやら、同型艦の建造が進んでいるらしく、ティアにはそちらに着いて貰うためだという。
実戦には一切携わってはいないとはいえ、内部構造などは確かに知っている。そのうちナタルも配属されるというから、仕方ないかなとティアは提案を受け入れた。対して自分の我儘も聞いてもらっているのだから、相手の言い分にも従うことは必要だろう。
「あの、色々、無理言ってごめんなさい」
「うん? いやあ、構わないよ。ティアの我儘なんて、士官学校に行きたいって言われて以来だったからね」
扉に手をかけつつ、相手の様子を伺った。男は全く気にした様子もなく、どこか嬉しそうな様子で笑っている。
実際、ここ数年避けていた相手だ。自分の大人げないこれまでの態度に、大変申し訳ない気持ちになった。しかも、無茶ぶりを多数した後である。
「ほら、制限時間つきなんだから、用事があるなら済ませておいで。待ってはあげられないんだから」
「はい、行ってきます」
促されて、ティアは応接室を飛び出した。向かう先はアーク・エンジェルだ。みんな、疲れ果てているだろう。査問会が開かれている話は聞いたが、もう始まってから随分時間がたった。終わっているに違いない。
マリューは、きっとショックを受けただろうな。
彼女はハルバートンという現場の指揮官の元にいた人物だから。ムウも、ナタルも、きっとみんな、驚愕で言葉を失ったことだろう。地球軍の中核を担う者たちの考え方を目の当りにしたら。
「失礼します!」
「──な、センセ?!」
アーク・エンジェルの士官たちが査問会議を行っている部屋に、ティアはノックもせずに乗り込んだ。扉の前で見張りとしてついていた軍人に腕を掴まれながら。
中にいた士官たちが一斉に視線を寄越して、ムウが真っ先に立ち上がる。
疲れた様子ながらも負傷などもない様子なのを見て、ティアは思わず涙ぐんだ。「こんなところで泣くな!」とナタルに言われて、慌てて手の甲で目元を拭う。
「まだ査問会の最中だ、離席したまえ」
「承服致しかねます。サザーランド大佐。辻褄合わせを強要するだけならば書面でも結構かと」
中央に座していた将校が不機嫌そうに退席を促してくるが、ティアは引かなかった。嫌がらせを続けるようならば容赦しない。自分も先日やられたところなので引くつもりはなかった。
「センセ、やめろって。大丈夫だから」
「何時間拘束されてるんですか。休憩時間挟んでますか、お食事は?」
年下の軍医からの咎めるような眼差しに、ムウがたじろいだ様子で黙り込んだ。戦闘中などであれば仕方ないだろうが、彼らは今軍本部にいるのだ。緊迫した状況下でもない。
突然の事態にも対処できるよう、体調は万全にしてしかるべきなのだ。
「ヘリオポリスが崩れたのも、アルテミスが壊滅したのも、第8艦体が全滅したのも全部“コーディネイター”のパイロットが悪いんでしょう」
険しい目を向けてくる将校に向けて尋ねれば、相手はにやりと嫌な笑みを向けてくる。「その通りだ、納得していただけたようで安心したよ、ラードナー少佐」
ハッとした様子でムウたちが顔を強張らせるのを見て、ティアは口元に人差し指を立てる。軍医であったティアの階級は中尉だったが、現在は二階級昇進して少佐の立場にあった。
会いに来たくても会いにこれなかった理由は、その為の土台作りの為だ。その話は後でちゃんと、彼らに話そうと思っている。
「カリフォルニアへ発ったと思っていたのだがな」
「二日後には向かいます。頼まれていたOS開発や量産型設計図の改案も既に提出済です。また無茶ぶりでもするんですか」
ティアを足止めするために、採用するかも怪しい色んなレポートを押し付けてきた男だ。正直お近づきになりたくない。
とりあえず、相変わらず腕を放してくれない門番殿の腕を捻り上げて逃れる。すると、ムウが腕を引いて引き寄せてくれた。
「興が削がれたが、まあこの辺でいいだろう」
パタン、と分厚いファイルを閉じたサザーランドが席を立った。マリューたちが、目に見えて疲れた様子で息をつくけれど、続けられたムウ、ナタル、フレイの転属命令に目を白黒させていた。
「ラードナー少佐、わかっているだろうね」
疑惑の目をむけられて、ティアはぷいっとそっぽ向いた。
これでも優等生なのだが。命令違反とかもそもそもしていないし。無理やり転属したことはあるけど軍は許可したではないか。
問題行動だってしたことはないはずだから、そんなに警戒されるに至るやらかしなど身に覚えはないのだけど。
「それで、何がどうしてセンセが少佐だって?」
軍司令部の人間が部屋を出てすぐに、ムウが途方にくれたような顔をした。ナタルも不可解そうな顔をしている。
ティアは、アーク・エンジェルの士官たちを見回してから、笑う。
とりあえず、愚痴は艦に戻ってからにしませんか、と提案して。
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「──ねえ、いい加減機嫌を直しなよぉ」
白いスーツの男が、情けない顔で前方のシートへ訴えた。
乗客など彼を含めて、行政官やSPがいるだけで、閑散としている。
そんな中、駆動音に紛れて聞こえるのは、キーボードをひたすらに叩く音だけだ。
「予定を変更して、ちゃんとアラスカに向かってるからさ」
うんともすんとも返ってこない。
相当怒ってるな。男は途方に暮れた様子で肩をすくめて、座席に腰を下ろした。
大西洋連邦の国防産業理事を務めるムルタ・アズラエルだ。ブルーコスモスの盟主でもあり、国や軍にも顔の利く彼を“こんな風に”扱える人間など、母親と彼女くらいだと思う。
せっかくこうやって迎えに来たのに。現在、自分たちは世界を二分する戦争をしているのだ。こうやって外交とはいえ他国へ飛ぶなんてなかなか覚悟のいることなのに。
再会の抱擁すら許してもらえず、開口一番税金を無駄遣いするな、と怒られてしまった。本当に、可愛い。
忌々しい中立国から出る上で、大人しく従う代わりに提示された条件は二つある。うちの一つが、行き先はアラスカであること。もう一つは、手渡された資料にあるMSの開発だ。
後者の件に関しては正直意外に思ったが、もとより義妹は機械弄りが得意だった。自宅の警備システムや、家具の自動動作環境など、彼女が整えてくれているから両親は快適に生活している。
組み立てなどは不得意分野であったはずが、“誰に手ほどきされたのか”、いつの間にか油まみれに工具を片手にうろついている姿を見るようになった。
「何のために艦を降ろしたんだか。ほんと、肝が冷えるよ」
行き先については大分もめたが、最終的に男の方が折れる形になった。用事を済ませたらすぐに発つことで合意を得られたのだ。とはいっても、一方的なものではあるから前途多難であるのだが、こればかりは“命に関わる問題”である為、聞いてもらわねば困る。
「ねーえー、食事の準備するけどさすがに手を止めてくれるよねえ? いい加減にしてくれないと僕も泣いちゃうかもしれないよ」
盛大に不満を訴えたが、キーボードの音はしばらく続いた。
さすがに打ちひしがれた気持ちで項垂れたところ、ぱたんとノートパソコンが閉じられる音。ぱっと顔をあげて振り返ると、目当ての人物が立ち上がってこちらに視線を寄越したところで。
やっと相手にしてもらえた。嘆息する相手の表情には、仕方ないなあという諦めがある。そうそう、この顔。いつも通りだ。
例えお説教や理詰めで責められても、大嫌いだと言われても──いや、実際言われたら泣くかもしれない──手放したくない存在だ。
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数日前のこと。
ザフトのヘリが遠ざかっていくのを、ティアは見送った。
アーク・エンジェルから齎された救助要請と座標の報せを受け、オーブはすぐさま動いてくれた。人命救助という名目であれば、中立国である彼らは大義名分を受け動くことが出来る。
更に言ってしまえば、データにもなる。大いに活用して貰って構わない。
ティアは、オーブよりも詳細に、自分が降りた艦に何が起きていたのか知っていた。ストライクに密かに忍ばせておいた設備のおかげで、通信を拾っていたのだ。
誰が亡くなったのかも、知っている。
「ティア。そろそろ日没だ、私たちも引き上げよう」
ストライクに取りついて、自爆したイージスの残骸。後者のパイロットは無事所属の軍へ明け渡したところだが、前者はいまだに見つからない。自力で抜け出しているか、連れ去られたかのどちらかだろうが、目当ての少年の姿を見つけることができなかった。
もしもの時、パイロットの生存率をなんとかあげられないかと、整備班たちと試行錯誤していた緊急シャッターは正常に作動していた。けれど、内部のシートは焼けただれていたから、爆発による高温を逃がすことはできず、脱出出来ていなかったら──。
「トール君は、もう?」
「既に本土へ。明日も引き続き捜索する予定だ」
かつてカガリが乗っていたスカイグラスパーは、爆散してぼろぼろだ。潰されたコクピットには、生きていた血潮だけが生々しく残っている。
生きていた歴史が、そこにあった。
「なあ、本当に普通のホテルに移るのか? 私のところでもいいんだぞ」
「何を言っているんですか、私は地球軍籍なんです。駄目でしょう」
移動のヘリの中、カガリが不満そうな顔をしている。アスランとのことや、キラのことで色々話したいのだろう。
気持ちはわかるのだが、迎えの飛行機は既にオーブへ来ている。大西洋連邦の行政官が外交的な用事を済ませたら一緒に発たなければならない事を考えると、身軽のほうがいい。
「じゃあ、せめて夕食だけでも!」
「食欲があるのはいいことですが、羨ましい限りです」
アーク・エンジェルがオーブを出て、二日が経つが、そういえばティアはほとんど食事を取っていなかった。さすがに体が求めていたから水分は取っていたけど。
困ったなあ、と──相変わらずカガリに付き添ってくれているレドニル・キサカ一佐を見上げた。彼は苦笑いを寄越しつつ、肩をすくめて。
「アスハの粥は絶品だと、以前カガリは言っていなかったか」
「ああ。マーナの料理はお腹にいいんだ。体調不良もすぐに治る!」
自慢気に言ったカガリは、そこで察してくれたようだ。すぐに、無線を取ってどこかに連絡している辺り、夕食を共にとる場所は定まってしまった。
なし崩し的にお泊りになったらどうしよう。アスハの危機意識レベルに期待したい。
「気の毒なことになってしまったな」
思いがけないことに、食事の席にはカガリだけでなく、彼女の父であるウズミ・ナラ・アスハの姿もあった。キサカも同席しているとはいえ、ちょっと気を許してもらいすぎではないだろうか。
しかも、ティアに合わせてみなお粥。居たたまれない。
「キラ君と、ザフト兵が友人同士で、とは。何の因果か」
「自分も驚きました。軍人には向いていない、気の優しい穏やかな子でしたから」
カガリが知りえた情報を、ウズミとキサカが神妙な面持ちで交わす。
唯一、途中からとはいえ付き合いの長い、地球軍籍のティアからしてみると責められている気がして、手に持つスプーンは粥をすくったり、戻したりと遊ばせるばかりで。口に運ぶ気力がわかなかった。「ティアは知らなかったろ」
カガリの断定的な言葉に、ティアはえっと顔をあげた。
隣の席で、覗き込むようにして待ち構えていた彼女の皿は既に空っぽだ。彼女はお行儀悪く、頬杖をついて。
「お前が知ってたら、キラはストライクに乗っていられなかったと思ってさ」
「そんな、買いかぶり過ぎですよ」
ティアがアーク・エンジェルに関わったのは、第8艦体が壊滅する直前だ。
ヘリオポリスからそれまでの航行に関するデータは報告書で読んでいた。キラからアスランが友達あることを伝え聞いた時、色々と辻褄が合うことに気付けたのも、その資料のおかげだ。
それ以外で、ティアが気づけるタイミングはなかったと思う。
「私は彼に甘えていましたから。試みもせずに」
キラは軍人ではないのだから、成り行きとはいえストライクに乗せ続けることをいい事だとは思っていなかった。
かといって、パイロットとしての権限を取り上げられるような精神状態にキラはなかったというのも要因ではあるが、ティアはキラにドクターストップをかけることをしなかった。
自分がストライクを操縦できる可能性があることは、わかっていたのに。わが身可愛さで、キラを戦わせ続けたのだ。「君の立場では、それも無理はないのではないか」窘めるように口をはさんだのは、ウズミだった。
彼は口元をナプキンで奇麗に拭い、お冷の入ったグラスに手を伸ばす。
「君の義兄は大西洋連邦の国防産業理事ムルタ・アズラエルだ。君に何かあれば、アーク・エンジェルの乗員たちはどんな扱いを受けるかわかったものではなかったろう」
「なんだよ、ティアも結構なお嬢さんなんじゃないか」
行政官が飛んでくるくらいなのだから、さすがにティアの事情を把握していたのだろう。
ウズミの指摘通り、ティアが守りに徹するのはそういう部分もある。例えばティアが艦内で怪我をしたりしたとばれれば、関わった乗員は激戦区前線に飛ばされてもおかしくない。
実際、士官学校時代にちょっかいをかけてきた連中は、前線に配備されて、今はどうしているかわからない。
「ままならぬものだな、君も。我々も」
キサカに送られて、ティアはホテルの自分の部屋にようやくたどり着き、そのままベッドに倒れ込んだ。
あれっきり、返す言葉が浮かばなくて、カガリに心配をかけてしまった。ちゃんと自分は、おやすみと挨拶をして別れただろうか。
思い出せない。
がばっと起き上がって、ティアはパソコンを立ち上げた。何かしていないと泣いてしまいそうだ。
先日操縦したディンの設計図は既に起こしてある。奪取されたMSから、必要な部分を足して引いて、アルテミスの光波防御帯の効果を採用する。バッテリー駆動を考えると、何を優先させるか選択を迫られる。
戦える機体でなくていい。守れる機体が欲しい。
エネルギー稼働時間の制限をどう凌ぐべきか。守りたくても、バッテリー切れで守れなくなるなんて事はあってはならない。
そう考えると、ミラージュコロイド・ステルスシステムを搭載した──ニコルの乗っていた機体ブリッツを再現するやり方が手っ取り早いか。
陽電子シールドは大型すぎるからMSに採用するのは難しい。どうすれば思い描く形に成していけるか。
「随分と寝坊したねえ、ティア・ラードナー」
気づいたら寝落ちしており、ティアは慌ててシャワーを浴びて、身支度を整える。朝食というには難しすぎるランチで賑わうホテルのレストランに顔を出すと、紫の色合いが目立つ青年が手を振ってきた。
どうやら相手は自分の事を知っているらしい。オーブ官僚の格好だから、ウズミたちと会った時に一緒にいたんだろう。
気後れしながら歩み寄ると、青年は「起きてる?」と目の前で大きな掌を振って見せた。
「久しぶり。二か月ちょっとの留学時はお世話になったね」
あてが外れた。ティアは記憶の引き出しを総動員して目の前の青年の事を思い出そうと必至だ。どうしよう、なんの手がかりも見つからない。
「ユウナ様、会食の準備が整いましたのでこちらへ」
「ん、ご苦労様。すぐ行くよ」
ホテルの支配人らしき男の発言で、ティアは思い出した。ユウナ・ロマ・セイランだ。確か、士官学校に併設されていた──士官学校が併設か──アカデミーの短期留学生。その頃はまだ他国とも交流は盛んだったから、制限付きではあるが外交的な学術協力はあったのだ。
「お元気そうですね、ユウナ」
「お互いね。何度か部屋にコールして貰ったんだけど時間切れ。機会があったら話そうよ、ディナーとかでさ」
じゃあね、と軽やかな足取りで去っていく青年を見送りながら、ティアは小首を傾げた。彼が留学して来ていた時、不思議とよく話しかけられたのだ。周りは遠慮してあまり近づいてこなかったから、ティアとしては嬉しかったのだけど。
やっぱり食欲がないので、それを店員に伝えたら、シンプルなパンケーキとホットミルクが運ばれてきた。気遣いに感謝する。
さすがに三日もきちんとした食事を取らずにいたら、カガリたちに迷惑になりそうだ。無理やりにでも、今日からは少しでも食べていかなければ。
──なんて思っているうちに、義兄自らが迎えに来ていたことを知り、カガリと慌ただしく別れを済ませて、帰国の途について。
アラスカ基地についたのは、アーク・エンジェル着艦の直後のことだった。
慌ただしかったから仕方ないのだが、一週間も経っているなんて思えないほどあっと言う間だった。体感時間としては、オーブを離れてから三日程度なんじゃないかと思う。
「いいかい。二日後の晩には出発するからね」
「わかりました、義兄さん」
応接室から出ていこうとするティアに言い含める相手の目は真剣だ。
アーク・エンジェルに戻りたいことは許してもらえなかった。どうやら、同型艦の建造が進んでいるらしく、ティアにはそちらに着いて貰うためだという。
実戦には一切携わってはいないとはいえ、内部構造などは確かに知っている。そのうちナタルも配属されるというから、仕方ないかなとティアは提案を受け入れた。対して自分の我儘も聞いてもらっているのだから、相手の言い分にも従うことは必要だろう。
「あの、色々、無理言ってごめんなさい」
「うん? いやあ、構わないよ。ティアの我儘なんて、士官学校に行きたいって言われて以来だったからね」
扉に手をかけつつ、相手の様子を伺った。男は全く気にした様子もなく、どこか嬉しそうな様子で笑っている。
実際、ここ数年避けていた相手だ。自分の大人げないこれまでの態度に、大変申し訳ない気持ちになった。しかも、無茶ぶりを多数した後である。
「ほら、制限時間つきなんだから、用事があるなら済ませておいで。待ってはあげられないんだから」
「はい、行ってきます」
促されて、ティアは応接室を飛び出した。向かう先はアーク・エンジェルだ。みんな、疲れ果てているだろう。査問会が開かれている話は聞いたが、もう始まってから随分時間がたった。終わっているに違いない。
マリューは、きっとショックを受けただろうな。
彼女はハルバートンという現場の指揮官の元にいた人物だから。ムウも、ナタルも、きっとみんな、驚愕で言葉を失ったことだろう。地球軍の中核を担う者たちの考え方を目の当りにしたら。
「失礼します!」
「──な、センセ?!」
アーク・エンジェルの士官たちが査問会議を行っている部屋に、ティアはノックもせずに乗り込んだ。扉の前で見張りとしてついていた軍人に腕を掴まれながら。
中にいた士官たちが一斉に視線を寄越して、ムウが真っ先に立ち上がる。
疲れた様子ながらも負傷などもない様子なのを見て、ティアは思わず涙ぐんだ。「こんなところで泣くな!」とナタルに言われて、慌てて手の甲で目元を拭う。
「まだ査問会の最中だ、離席したまえ」
「承服致しかねます。サザーランド大佐。辻褄合わせを強要するだけならば書面でも結構かと」
中央に座していた将校が不機嫌そうに退席を促してくるが、ティアは引かなかった。嫌がらせを続けるようならば容赦しない。自分も先日やられたところなので引くつもりはなかった。
「センセ、やめろって。大丈夫だから」
「何時間拘束されてるんですか。休憩時間挟んでますか、お食事は?」
年下の軍医からの咎めるような眼差しに、ムウがたじろいだ様子で黙り込んだ。戦闘中などであれば仕方ないだろうが、彼らは今軍本部にいるのだ。緊迫した状況下でもない。
突然の事態にも対処できるよう、体調は万全にしてしかるべきなのだ。
「ヘリオポリスが崩れたのも、アルテミスが壊滅したのも、第8艦体が全滅したのも全部“コーディネイター”のパイロットが悪いんでしょう」
険しい目を向けてくる将校に向けて尋ねれば、相手はにやりと嫌な笑みを向けてくる。「その通りだ、納得していただけたようで安心したよ、ラードナー少佐」
ハッとした様子でムウたちが顔を強張らせるのを見て、ティアは口元に人差し指を立てる。軍医であったティアの階級は中尉だったが、現在は二階級昇進して少佐の立場にあった。
会いに来たくても会いにこれなかった理由は、その為の土台作りの為だ。その話は後でちゃんと、彼らに話そうと思っている。
「カリフォルニアへ発ったと思っていたのだがな」
「二日後には向かいます。頼まれていたOS開発や量産型設計図の改案も既に提出済です。また無茶ぶりでもするんですか」
ティアを足止めするために、採用するかも怪しい色んなレポートを押し付けてきた男だ。正直お近づきになりたくない。
とりあえず、相変わらず腕を放してくれない門番殿の腕を捻り上げて逃れる。すると、ムウが腕を引いて引き寄せてくれた。
「興が削がれたが、まあこの辺でいいだろう」
パタン、と分厚いファイルを閉じたサザーランドが席を立った。マリューたちが、目に見えて疲れた様子で息をつくけれど、続けられたムウ、ナタル、フレイの転属命令に目を白黒させていた。
「ラードナー少佐、わかっているだろうね」
疑惑の目をむけられて、ティアはぷいっとそっぽ向いた。
これでも優等生なのだが。命令違反とかもそもそもしていないし。無理やり転属したことはあるけど軍は許可したではないか。
問題行動だってしたことはないはずだから、そんなに警戒されるに至るやらかしなど身に覚えはないのだけど。
「それで、何がどうしてセンセが少佐だって?」
軍司令部の人間が部屋を出てすぐに、ムウが途方にくれたような顔をした。ナタルも不可解そうな顔をしている。
ティアは、アーク・エンジェルの士官たちを見回してから、笑う。
とりあえず、愚痴は艦に戻ってからにしませんか、と提案して。