地上編
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page006:大切な贈り物。
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下校時間の学生たちがたむろしてゲームセンターに入っていく。
隣接する携帯ショップからそれを眺めていたシンは、小さな優越感を抱いていた。本日、自分の通う学校は創立記念でお休みだ。一日を勉学につぎ込んでいた彼らと違い、有意義に過ごすことが出来たのだから。
自分たちが休みだから、母も今日は家にいた。唯一通常通り仕事に向かう父は羨ましそうに出勤していたから、本日は父の好物が夕食に並ぶことになっている。
「おい、マユ! まだかー?」
「もうちょっと待って、二つ迄絞り込んだんだから!」
親との取り決めを守り、この度ご褒美として携帯電話を購入することに成功した妹は、色とりどりのストラップの前で難しい顔をしてしゃがみ込んでいる。こんなことが許されるのも、閑散としているいまの時間だけだろう。
かれこれ三十分くらいああしている。さすがに待ちくたびれた。
シン・アスカは大きくその場で背伸びをして、「ちょっとその辺歩いてくるから」と妹に言葉を投げた。生返事に足を止めかけたが、店員が心得たように会釈してくれるのを見てお言葉に甘えることにする。
とりあえず公園の鉄棒にでもぶら下がっていようかな、と足を向けたところで、女の子がたむろしていた学生たちの人垣をバク転で飛び越えて着地する現場を目撃してしまった。
彼女は何かから逃げるようにこちらに向かって走ってくる。
公園から二人ほど慌てた様子で出てこようとしているのが見えて、シンは彼女に手を振る。「こっち! 着いてきて」ナンパでもされて困っているんだろう。この辺の地理には詳しいから、逃がしてやれるはずだ。
とはいっても、友達の家に転がり込むというやり方なのだが。
相手には驚かれたが、事情を話したら少し匿ってもらうことができた。二人組をやり過ごしたところで、素早く家を出て携帯ショップまで戻る。
「いや、助かりました。迷子覚悟で走り回るしかないかと」
「そんなにしつこい人たちだったの?」
テレビでしかナンパの光景は見たことないけど。
それとなく尋ねてみたら、女の子──ティアが、困ったような顔で笑う。
「んー、親切──いえ、お節介が過ぎる方々が適当でしょうか」
「ナンパされといてその評価はやばくない?」
親切心で相手を油断させておいて警戒心をとく。確か警察24時でそんなことをやっていた気がする。自分より年上の女の子の無防備さに、シンは呆れたような顔で腕を組んだ。
うちの妹だってもう少し相手を選ぶ。人見知りの気がないのはちょっと心配だけど。さっきだって、初対面の少年相手にすぐ様懐いてしまったし。相手がいい人だったから問題なかったとはいえ──いや、なんか駄目な気がしてきた。両親に相談して妹の件については対策を立てなくては。
「お兄ちゃん見て! 可愛くなったでしょ?」
なんて考え事をしていたら、店内からシンのことを見つけたらしい妹マユが、携帯電話にストラップをつけた状態でぶんぶん振り回してくる。新品の携帯電話、新品のストラップ。耐久性は問題ないだろうが万が一が起きたら悲惨である。
「やっと決まったの。お会計は?」
「いまお母さんに電話してくれてるよ」
決まったらお店の人に電話をしてもらうよう言われていた。マユはきちんと店員にお願いして、手続きを進めて貰っていたようだ。
「ねえねえ、可愛いでしょ? でもねえ、本当はこれとすごく迷ってて」
店員のところにお礼を言いに行っている間に、マユはにこにこ笑顔で見守ってくれていた女の子に笑顔を向けている。機嫌が良いのはいい事だが、初対面の相手に気安くし過ぎだ。
シンは慌てて二人に駆け寄った。
「確かにこっちはこっちで目を引くものがありますよね~、でもそちらの方がお似合いだと思います」
身をかがめて目線を合わせて会話してくれる様子にほっとしながら、シンはマユに会計が終わったことを伝え、店員の元へ向かうよう背を押した。手続きは最初から最後まで自分でさせること。それが母親からの厳命だ。
「しっかりした妹さんですね」
「外面がいいだけですよ。ちょっとしたことで機嫌損ねるし」
妹を褒められて、シンはむず痒い気持ちになる。けれど素直に受け入れるのが照れくさくてぶっきらぼうに言うと「可愛いじゃないですか」と笑顔で返された。否定したら妹に睨まれそうな予感を察知し、シンはその言葉を聞かなかったことにする。
「さっきの二人組、まだ探してるかもしれないし抜け道教えてあげるよ」互いに自己紹介をする頃に、マユも合流して、三人で住宅街を抜けて。
この辺りは現地住民以外が歩いているととても目立つ。普段は煩わしいお節介なおばあさんたちの警備力は伊達ではない。
シンとマユががっちりガードしているティアは女の子ということもあって警戒レベルは低下するだろうが、少年二人組では難しいエリアだ。
枝分かれして、軍施設やオフィス街に抜ける道へも続いている場所までやってきたところで、シンは「そうそう」とティアに忠告した。
「逃げるためとはいえ、あれは目立ちすぎ! 自分がコーディネイターだって言ってるようなものだよ」
びくり、とティアが反応したのを見て、シンは肩をすくめる。自分もそうなのだが、ここぞというところでやらかしてしまうのだ。鬼ごっことか、缶蹴りとか。友達を遊んでいるときですら、身体的な優勢は出てしまう。
もちろん、シンにだって足の速さで勝てない友達はいる。けれど、彼がコーディネイターであるかはわからなかった。聞くことでもないだろうし。
それに、結局は出来る事しか出来ないことは友達だってわかっている。シンは運動はできるけど、音楽とか歴史は苦手だ。試験だって並みの成績だし。
外の国ではコーディネイターは過ごしにくいと聞いている。殺されたりしているとも。なんでコーディネイターだからといって殺されなければならないんだろう。外の国は怖いと思った。
「ティアもなの? マユもだよ~あんまり走ったりして汗かきたくないから、運動得意じゃないんだけどね」
「マユはもう少し体育頑張れよ、手抜きだと思われて反感買うぞ?」
「えー、汗臭くなるのやだー」携帯電話をぽちぽちと弄りながら文句を言ってくるなんてなかなか器用な妹だ。うんざりした様子でシンは苦笑いした。ニュートロンジャマーのせいで対した使い道などないのに。決してつながらないというわけでもないのだけど。
「マユは強くて頭良くて、かっこいい人と結婚するんだもん!」だから運動が出来なくても問題ない、と短絡的な将来設計を豪語する妹に、シンは頭が痛くなった。そんなこと考えていたのか。漫画の見過ぎ。
「騒がしくしてごめん。ここから一人で平気?」
「ええ。お世話になりました」
ぺこりと奇麗にお辞儀をして遠ざかっていく背中を、シンは妹と並んで見送る。学校で体操でも習っているんだろうな。そのうちテレビで見ることもあるかもしれない。
そうだったなら、有名人と少し接点を持っていたという事実は誇らしいものになるんだろう。昔ナンパで絡まれていて、逃げるのに人垣を軽々飛び越えていたんですなんてインタビューで自分は話すのだろうか。
仲良く手を繋いで、兄妹は家路につくのだった。
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「なんだあ、センセイ今帰ったのか?」
アーク・エンジェルに戻ってきたティアに気づいたマードックが、すかさず声をかける。MSの操縦も出来てしまう軍医がオーブから提示された技術協力に応じる為に、朝からキラと共に出て行ったのを知っているからだろう。
実は街中に出ていました、というのは内緒だから言わないけれど。
モルゲンレーテの技術者には感謝だった。ティアの相談を真摯に受け止め、手筈を整えてくれたのだから。
「途中からキラ君と別行動でしたので。彼はもう?」
「いや、まだ──あ、ちょうど戻ったみたいだ」
視線の向いた先に目をやると、キラがムウと並んで歩いてくる。どこか二人の様子がぎくしゃくしているように見える。喧嘩だろうか。というより、なんでムウが一緒なんだろう。
ナチュラルでもMSを動かせるようになるOSと聞いて、ムウが意気揚々と着いていったらしい。キラにだけ戦わせているのを心苦しく思っている青年だからこその行動か。
「キラ君、お疲れ様です」
「ティアさん、こっちに戻ってたんですね」
ムウから逃れるように駆け寄ってくるキラの背後では、後は任せた、と片手をあげて苦笑いしているムウの姿がある。
キラがあたりをきょろきょろしているのは、ティアと一緒に行動しているはずの別の人物の影を探しているからだろう。彼とは外出後、合流できなかったので今どうしているかはティアにもわからない。
《トリィ》
ふわりと、キラの肩に乗っていたトリィが不意に飛び上がった。単に羽ばたくだけでなく、許可されていないエリアの方に飛んで行ってしまったから大変だ。二人で慌てて追いかける。
海岸に面したフェンスの方に影を見つけて、二人してそちらへ向かう。フェンスの向こうに人影があることは把握していたが、トリィの姿だけ見当たらない。どこに行ったんだろう。これまでは脱走するなんてことなかったのに。
「最近、ティアさんはトリィに慣れて来たよね」
「さすがにいつまでも怖がっていては。キラ君の大切なものなのですし」
初対面の頃こそ虫のように思えてどうにもならなかったが、今となっては指に止めるくらいならば問題ない。手で持つこともできるけど、肩はまだ無理だ。
すっかりトリィを見失った二人は、こちらを眺めているらしい人影に尋ねてみることにした。彼らが目撃していたことを祈るしかない──けれど、彼らの顔ぶれをみて、ティアは絶句した。その四人が四人、全員ティアは知っていたから。
砂漠の街で助けてくれたディアッカ。つい先ほど話を聞いてくれた、ニコルとアスランだ。三人とも言葉を失っている。唯一、イザークだけは怪訝そうな顔でこちらを見ているから、ティアと砂漠で一度だけ顔を合わせている事を覚えていないのだろう。
ニコルの口が、ティアの名前の形に動く。声にしないでくれたのは、配慮だろうか。
ティアはそっとアスランを見た。顔色を悪くしているところを見ると、ティアの事は仲間には相変わらず公にしていないのだと思われる。ニコルには、どうかはわからないが。
《トリィ、トリィ?》探していたロボット鳥は、アスランの手の中にあった。彼はティアに一瞥くれただけで何もいわず、フェンスの方に一人寄ってきて、両手を──キラの方に差し出す。「君、の?」
イージスのパイロットと、ストライクのパイロット。一人その事実を把握しているティアはごくりと息を飲んだ。
「ティアさん」不意に名前を呼ばれ、顔を向けるとニコルがフェンスの柱を掴んで手招きしていた。慌てて、ティアは彼に駆け寄る。
「探したんですよ、突然行ってしまうから。アスランも随分、心配していたんですから」
「ごめんなさい、なんか泣きそうになっちゃって」
しどろもどろに応じると、困った顔でニコルは続けてきた。「あなたが地球軍なのは聞きました」あの状況ではそうするだろうな。ティアはアスランを見る。潜入中の人間からしてみれば、ティアを探すなんて時間を割くなんてこと許されるはずがない。
ニコルの協力を得るためには、事実を話す必要があったはず。
気づかわし気な目で、少年は続けた。「足つき──あの艦に乗り続けるんですか?」なんとか、この中立国にとどまることはできないのか。または、自分たちのところに来ないか、と。
「窮屈な思いをするでしょうし、色々答えて貰わねばならない事はあると思いますけど。今の情勢では、あなたのいる場所は危険だと思う」
「私の事に時間を割くなんて。後ろのお二人も話を知っているんですか?」
いえ、と彼は首を振る。ディアッカたちは情報を共有していないようだ。
二人だけの意見では、ティアが連れて行ってくれと応じたところで数々の問題が立ちはだかる事だろう。そもそも、投降しようとは思っていないし。
「前線で戦うあなた方は、こんな事実を知るべきではなかった」
躊躇いが生まれれば、生命の危険に直結する。ティアはニコルが命を落とすことを望んでなんかいない。アスランも、ディアッカも、イザークにも、死んでほしいと思っていない。
けれど、アスランがイージスのパイロットなのであれば──彼らは、奪取されたMSのパイロットだと考えるのが妥当だろう。
「ありがとう、ニコル君。だから、どうか自分の身を、仲間を大事にしてください」
決別の言葉を伝えると、傷ついたような──けれど、わかっていたかのような優しい顔で、ニコルは一歩、後退する。
「わかりました。きっと、投降させて見せます」
「まあ。ちゃんと私の話聞いてくれてましたか?」
思わずフェンスに噛り付くようにつかまると、ニコルは同じようにフェンスから離れたアスランに並びながら手を振って。
無茶をしないだろうな。目的意欲を持つのはいいことだが、あまりやりたいことに頑なになり過ぎてはいつも通りの動きなど出来なくなるのに。
「昔、友達に!」
突然、キラが大声をあげた。振り返れば、泣きそうな顔でトリィを見下ろしている。そして、目に涙を溜めて。
「大事な友達にもらった、大事なものなんだ」
その切なそうな視線の向く先は、アスランだ。
それを受け止めた少年が、「そう」と小さく微笑む。
遠くから、カガリが駆け寄ってくるのが聞こえた。大声でキラとティアの名前を叫んでいる。
ああ、これでディアッカにも確信を抱かれててしまったな。アスランとニコルが、彼に軍籍の話までするかは微妙だが。
「どういうことですか?」
ザフトの少年兵たちを見送った後、ブリッジに呼び出されたティアに齎されたのは、オーブに残るようにというアラスカ本部からの命令だった。
オーブの軍人であるキサカより伝えられたことだが、マリューを始め全員が困惑を隠せない中、命じられたティアは俯く。思ったより早かったな。
「大西洋連邦政府より、外交ルートで打診があった。既に迎えの行政官が向かっているらしいが、どういうことだ?」
「よりにもよってそっちでですか? 本気ですね……」
軍からの迎えならばまだ無視のしようがあるが、国家予算を無駄にするのはさすがにまずいだろう。さすがは義兄、ティアの事をよくわかっている。これでは従うしかないではないか。
この後アーク・エンジェルがアスランたちによって足止めされ、全員投降する事態になった時、ティアがいなかったらびっくりするだろうな。
「センセ、随分落ち着いてんな。どういうこった、これは」
「すみません、家族が口出したみたいで」
匿名にさせて貰いたいので義兄の名前は出さないが。
つまりはいいところのお嬢さんだということはばれてしまったわけだが、フレイだって同じようなものであるし、ティアが偉いわけではない。ひとまず、本人にはあったら無駄金を使うなと文句を言おう。
ここは、大人しく従うしかない。ティアが突っぱねれば、オーブに迷惑がかかってしまう。
だからこそ、ティアは話が終わるなり、ナタルたちが声をかけてくる間もなくキラの手を取った。「トリィに発信器をつけます!」先ほどのようなことがあっては今後大変だ。やれるうちにやらなければ。
あまりの剣幕に一同が絶句する中、ティアはキラの手を引いて自室へ踏み込んだ。私物はないが、ものがないわけではない。キラが息を飲む意味も理解している。
ティアに与えられた個室の中は、わりとガラクタだらけだからだ。トリィみたいなペットロボットを作ろうかなと思ったはいいがやりかけだ。即席のレーダーだったり、通信機だったり、とにかく機械が転がっている。
「これ、四つ足のロボットでも作ろうとしてたんですか?」
「これがなかなか進まなくて。色々機能積み込ませたくなっちゃうんですよね。あーっと、すいません、ちょっと座ってお待ちください」
作業スペースを開けるためにガタンゴトン音を立てながら作業を開始すれば、キラが残骸を手に取って興味深そうに眺めている。「トリィは凄いと思いますよ」ちゃんと一貫して“こういうもの”として徹底して作られている。
ティアなど、最初の設計段階から逸脱し過ぎてしまい、取捨選択の段階で止まってしまった。相当我慢強い人物が作ったに違いない。
「そうなんです! その友達は僕よりもずっと色々できるし、しっかりしてるし、いつも僕は助けて貰ってました」
まるで自分が褒められたように嬉しそうだ。どこか誇らしげにも見える。自慢の友達なのだろう。今ここにいないということは、戦争の関係もあって離れ離れになってしまったのだろうな。
「その方は、キラ君の親友になるのかな?」
「うーん、そうなのかな。なんでも相談できて、いつも一緒だった」
懐かしそうな顔で寂しそうな声。
ティアは自分の親友のことを思い出した。彼にはもう二度と会えないけど、ティアにとって彼は自慢の友達だ。気持ちは、ちょっとわかる気がする。
トリィを受け取って、ティアが分解していく様子をキラが心配そうに眺めている。とても緊張する。内部に組み込むのが難しそうだったら別の手を考えなければと思ったが、問題なさそうだ。
「すごいな、ティアさん。僕は毎回恐る恐るメンテナンスしてるのに」
「とんでもない、戦々恐々としてますとも」
人様の大切なものをお預かりしている手前、手は抜けない。発信器とはいっても常時作動のものでは動力に負荷がかかるので、キラが探したいときにだけ追跡できるようにする程度だ。
トリィは、いいな。自由に、いきたいところに行けていいなと思う。
アラスカまでアーク・エンジェルを送り届けて、ティアはキラ達をオーブに返す。それが目的だったのに、こんなところで降ろされるのだ。
孤立無援でアラスカまで向かわなければならないアーク・エンジェルからティアが降ろされるのは、撃沈されることを想定してのことに違いない。
「ティアさん、さっきの子と知り合いだったんですか?」
「オーブの街中で会いまして。トリィを捕まえてくれたの、感謝しなきゃですね」
トリィが首をぴょんぴょんと持ち主の肩まで戻っていく。動作に不具合はないようでほっとしたところで、キラが伺うように尋ねてく来た。
疑問に答える。彼らがザフトの少年兵などということは、キラに伝える必要はない。「アスランっていうんです」泣きそうな顔。
「トリィを作ってくれた友達。さっき、手渡してくれた人。久々だったから、なんか他人行儀で、残念だったなあ」
第8艦体がアーク・エンジェルと合流する前。プラントの最高責任者の娘であったラクス・クラインをキラ達は保護していた。そして、無事にザフト軍へ受け渡してもいた。確か受け渡し相手として現れたのは、イージスだったはずだ。
それだけではない。イージスは何度か、ストライクを捕獲しかけたことがある。破壊するのではなく。つまりは、かなり早い段階からキラとアスランは、互いの存在を認識しながら、戦場に身を置いていたのだ。
ああ。
なんてことだろう。
無理やり作ったような笑顔に、ティアは思わず彼の事を抱きしめていた。こんな時も他人の事を気にして。本当は、泣き喚きたいだろうに。
「先日の孤島で。実は、アスランも一緒だったんです。イージスと共に」
ひゅっと喉を鳴らすキラが体をこわばらせる。けれど、両腕はだらりと脱力して、驚愕に動けないでいる様だった。背中を、さすってやる。
「さっき外出してた時も、あの時も、私アスランに迷惑かけっぱなしで。彼はしっかり者じゃないですか。なんか、気疲れさせちゃったりで申し訳なくて」
「変わってないんだなあ、アスラン」
かすれた声は、でもどこか、確信めいた感情もあった。我慢しているように震える肩を、ティアは抱いてやる事しか出来ない。
彼らは、もう受け入れてしまっているのだ。刃を向けあうことを。ニコルとティアが交わした言葉のように。
艦を降りることになってしまったティアにはどうしようもないし、言ったところで何も変わらない程に。
「ああ、でも、街中でティアさんがアスランたちと会ったって事はつまり、僕がアスランに会わなくてもばれちゃってたってことですよね。僕らがここにいること」
このまま泣かせてあげようと思ったのに、絶妙な切り返しをくらってティアは雷に打たれたようになった。
艦長たちに報告するべきなのだろうけど、どう報告すればいいのか。モルゲンレーテの中で技術協力していたはずの人間が研究施設とはいえ街中に出ていたとか、ナタルが聞いたら烈火のごとく怒るに決まっている。
何より、なんの為にと言及されたらティアの“正体”を知られてしまう。そうなったら、また──。
「ああ、ごめんなさい。言い過ぎました! ほら、もうアスランに僕も会っちゃってるしあんまり気にしないで」
「私の親友もコーディネイターで、彼は私の義兄に殺されました」
もぞもぞと顔をあげたキラが、慌てふためいた様子で宥めてくる。
お互い涙がこぼれそうなくらいに目に涙を溜めて、何をやっているのか。頭の片隅でそんなことを考えながら、キラの片手を両手で握って、抱きしめる。
「義兄はブルーコスモスでしたけど、私の親友とも仲良かったんですよ。私の方が妬いちゃうくらい。でも──」
自分の目の前で、親友は亡くなった。
どうしてそうなったのか、ティアには未だにわからないけど。あんなに、一緒だったのに。
「辿り着いたなら、必ず貴方の事を、トール君たちのことも守ります。守れるようにします。でも負けたっていいです、辿り着けなくてもいいから」
同じような末路を進まないでほしい。何にも救いなどなかったから。
あの時を境に、義兄は更に容赦がなくなった。ティアの声を聞いてくれなくなった。ティアの事を猫かわいがりして。
親友を撃ったことを、いたことをなかったことにして。
「お友達であることも、大切にしてください」
無茶苦茶なことを言っていることはわかっている。理想論ばかりで、キラの事を困らせるだけだともわかっている。
けれども、思っていることを口にできるのは、今しかないのだ。
「無理難題すぎて約束できないや」
これまで必死で守ってきたキラに、投降する道も選んでいいと言ったのに。
キラは怒る様子もなく、泣きながら笑った。どこか安らいだような様子なのは恐らく、彼自身がほんの少しだけ、同じように思っているからなのかもしれない。
友達相手に戦いたくないと思ってもいいのだと。
負けて、投降してもいいのだと。
そう口にしてもキラが許されるようにする為には。
ティアもいい加減、覚悟を決めなければならない──。
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下校時間の学生たちがたむろしてゲームセンターに入っていく。
隣接する携帯ショップからそれを眺めていたシンは、小さな優越感を抱いていた。本日、自分の通う学校は創立記念でお休みだ。一日を勉学につぎ込んでいた彼らと違い、有意義に過ごすことが出来たのだから。
自分たちが休みだから、母も今日は家にいた。唯一通常通り仕事に向かう父は羨ましそうに出勤していたから、本日は父の好物が夕食に並ぶことになっている。
「おい、マユ! まだかー?」
「もうちょっと待って、二つ迄絞り込んだんだから!」
親との取り決めを守り、この度ご褒美として携帯電話を購入することに成功した妹は、色とりどりのストラップの前で難しい顔をしてしゃがみ込んでいる。こんなことが許されるのも、閑散としているいまの時間だけだろう。
かれこれ三十分くらいああしている。さすがに待ちくたびれた。
シン・アスカは大きくその場で背伸びをして、「ちょっとその辺歩いてくるから」と妹に言葉を投げた。生返事に足を止めかけたが、店員が心得たように会釈してくれるのを見てお言葉に甘えることにする。
とりあえず公園の鉄棒にでもぶら下がっていようかな、と足を向けたところで、女の子がたむろしていた学生たちの人垣をバク転で飛び越えて着地する現場を目撃してしまった。
彼女は何かから逃げるようにこちらに向かって走ってくる。
公園から二人ほど慌てた様子で出てこようとしているのが見えて、シンは彼女に手を振る。「こっち! 着いてきて」ナンパでもされて困っているんだろう。この辺の地理には詳しいから、逃がしてやれるはずだ。
とはいっても、友達の家に転がり込むというやり方なのだが。
相手には驚かれたが、事情を話したら少し匿ってもらうことができた。二人組をやり過ごしたところで、素早く家を出て携帯ショップまで戻る。
「いや、助かりました。迷子覚悟で走り回るしかないかと」
「そんなにしつこい人たちだったの?」
テレビでしかナンパの光景は見たことないけど。
それとなく尋ねてみたら、女の子──ティアが、困ったような顔で笑う。
「んー、親切──いえ、お節介が過ぎる方々が適当でしょうか」
「ナンパされといてその評価はやばくない?」
親切心で相手を油断させておいて警戒心をとく。確か警察24時でそんなことをやっていた気がする。自分より年上の女の子の無防備さに、シンは呆れたような顔で腕を組んだ。
うちの妹だってもう少し相手を選ぶ。人見知りの気がないのはちょっと心配だけど。さっきだって、初対面の少年相手にすぐ様懐いてしまったし。相手がいい人だったから問題なかったとはいえ──いや、なんか駄目な気がしてきた。両親に相談して妹の件については対策を立てなくては。
「お兄ちゃん見て! 可愛くなったでしょ?」
なんて考え事をしていたら、店内からシンのことを見つけたらしい妹マユが、携帯電話にストラップをつけた状態でぶんぶん振り回してくる。新品の携帯電話、新品のストラップ。耐久性は問題ないだろうが万が一が起きたら悲惨である。
「やっと決まったの。お会計は?」
「いまお母さんに電話してくれてるよ」
決まったらお店の人に電話をしてもらうよう言われていた。マユはきちんと店員にお願いして、手続きを進めて貰っていたようだ。
「ねえねえ、可愛いでしょ? でもねえ、本当はこれとすごく迷ってて」
店員のところにお礼を言いに行っている間に、マユはにこにこ笑顔で見守ってくれていた女の子に笑顔を向けている。機嫌が良いのはいい事だが、初対面の相手に気安くし過ぎだ。
シンは慌てて二人に駆け寄った。
「確かにこっちはこっちで目を引くものがありますよね~、でもそちらの方がお似合いだと思います」
身をかがめて目線を合わせて会話してくれる様子にほっとしながら、シンはマユに会計が終わったことを伝え、店員の元へ向かうよう背を押した。手続きは最初から最後まで自分でさせること。それが母親からの厳命だ。
「しっかりした妹さんですね」
「外面がいいだけですよ。ちょっとしたことで機嫌損ねるし」
妹を褒められて、シンはむず痒い気持ちになる。けれど素直に受け入れるのが照れくさくてぶっきらぼうに言うと「可愛いじゃないですか」と笑顔で返された。否定したら妹に睨まれそうな予感を察知し、シンはその言葉を聞かなかったことにする。
「さっきの二人組、まだ探してるかもしれないし抜け道教えてあげるよ」互いに自己紹介をする頃に、マユも合流して、三人で住宅街を抜けて。
この辺りは現地住民以外が歩いているととても目立つ。普段は煩わしいお節介なおばあさんたちの警備力は伊達ではない。
シンとマユががっちりガードしているティアは女の子ということもあって警戒レベルは低下するだろうが、少年二人組では難しいエリアだ。
枝分かれして、軍施設やオフィス街に抜ける道へも続いている場所までやってきたところで、シンは「そうそう」とティアに忠告した。
「逃げるためとはいえ、あれは目立ちすぎ! 自分がコーディネイターだって言ってるようなものだよ」
びくり、とティアが反応したのを見て、シンは肩をすくめる。自分もそうなのだが、ここぞというところでやらかしてしまうのだ。鬼ごっことか、缶蹴りとか。友達を遊んでいるときですら、身体的な優勢は出てしまう。
もちろん、シンにだって足の速さで勝てない友達はいる。けれど、彼がコーディネイターであるかはわからなかった。聞くことでもないだろうし。
それに、結局は出来る事しか出来ないことは友達だってわかっている。シンは運動はできるけど、音楽とか歴史は苦手だ。試験だって並みの成績だし。
外の国ではコーディネイターは過ごしにくいと聞いている。殺されたりしているとも。なんでコーディネイターだからといって殺されなければならないんだろう。外の国は怖いと思った。
「ティアもなの? マユもだよ~あんまり走ったりして汗かきたくないから、運動得意じゃないんだけどね」
「マユはもう少し体育頑張れよ、手抜きだと思われて反感買うぞ?」
「えー、汗臭くなるのやだー」携帯電話をぽちぽちと弄りながら文句を言ってくるなんてなかなか器用な妹だ。うんざりした様子でシンは苦笑いした。ニュートロンジャマーのせいで対した使い道などないのに。決してつながらないというわけでもないのだけど。
「マユは強くて頭良くて、かっこいい人と結婚するんだもん!」だから運動が出来なくても問題ない、と短絡的な将来設計を豪語する妹に、シンは頭が痛くなった。そんなこと考えていたのか。漫画の見過ぎ。
「騒がしくしてごめん。ここから一人で平気?」
「ええ。お世話になりました」
ぺこりと奇麗にお辞儀をして遠ざかっていく背中を、シンは妹と並んで見送る。学校で体操でも習っているんだろうな。そのうちテレビで見ることもあるかもしれない。
そうだったなら、有名人と少し接点を持っていたという事実は誇らしいものになるんだろう。昔ナンパで絡まれていて、逃げるのに人垣を軽々飛び越えていたんですなんてインタビューで自分は話すのだろうか。
仲良く手を繋いで、兄妹は家路につくのだった。
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「なんだあ、センセイ今帰ったのか?」
アーク・エンジェルに戻ってきたティアに気づいたマードックが、すかさず声をかける。MSの操縦も出来てしまう軍医がオーブから提示された技術協力に応じる為に、朝からキラと共に出て行ったのを知っているからだろう。
実は街中に出ていました、というのは内緒だから言わないけれど。
モルゲンレーテの技術者には感謝だった。ティアの相談を真摯に受け止め、手筈を整えてくれたのだから。
「途中からキラ君と別行動でしたので。彼はもう?」
「いや、まだ──あ、ちょうど戻ったみたいだ」
視線の向いた先に目をやると、キラがムウと並んで歩いてくる。どこか二人の様子がぎくしゃくしているように見える。喧嘩だろうか。というより、なんでムウが一緒なんだろう。
ナチュラルでもMSを動かせるようになるOSと聞いて、ムウが意気揚々と着いていったらしい。キラにだけ戦わせているのを心苦しく思っている青年だからこその行動か。
「キラ君、お疲れ様です」
「ティアさん、こっちに戻ってたんですね」
ムウから逃れるように駆け寄ってくるキラの背後では、後は任せた、と片手をあげて苦笑いしているムウの姿がある。
キラがあたりをきょろきょろしているのは、ティアと一緒に行動しているはずの別の人物の影を探しているからだろう。彼とは外出後、合流できなかったので今どうしているかはティアにもわからない。
《トリィ》
ふわりと、キラの肩に乗っていたトリィが不意に飛び上がった。単に羽ばたくだけでなく、許可されていないエリアの方に飛んで行ってしまったから大変だ。二人で慌てて追いかける。
海岸に面したフェンスの方に影を見つけて、二人してそちらへ向かう。フェンスの向こうに人影があることは把握していたが、トリィの姿だけ見当たらない。どこに行ったんだろう。これまでは脱走するなんてことなかったのに。
「最近、ティアさんはトリィに慣れて来たよね」
「さすがにいつまでも怖がっていては。キラ君の大切なものなのですし」
初対面の頃こそ虫のように思えてどうにもならなかったが、今となっては指に止めるくらいならば問題ない。手で持つこともできるけど、肩はまだ無理だ。
すっかりトリィを見失った二人は、こちらを眺めているらしい人影に尋ねてみることにした。彼らが目撃していたことを祈るしかない──けれど、彼らの顔ぶれをみて、ティアは絶句した。その四人が四人、全員ティアは知っていたから。
砂漠の街で助けてくれたディアッカ。つい先ほど話を聞いてくれた、ニコルとアスランだ。三人とも言葉を失っている。唯一、イザークだけは怪訝そうな顔でこちらを見ているから、ティアと砂漠で一度だけ顔を合わせている事を覚えていないのだろう。
ニコルの口が、ティアの名前の形に動く。声にしないでくれたのは、配慮だろうか。
ティアはそっとアスランを見た。顔色を悪くしているところを見ると、ティアの事は仲間には相変わらず公にしていないのだと思われる。ニコルには、どうかはわからないが。
《トリィ、トリィ?》探していたロボット鳥は、アスランの手の中にあった。彼はティアに一瞥くれただけで何もいわず、フェンスの方に一人寄ってきて、両手を──キラの方に差し出す。「君、の?」
イージスのパイロットと、ストライクのパイロット。一人その事実を把握しているティアはごくりと息を飲んだ。
「ティアさん」不意に名前を呼ばれ、顔を向けるとニコルがフェンスの柱を掴んで手招きしていた。慌てて、ティアは彼に駆け寄る。
「探したんですよ、突然行ってしまうから。アスランも随分、心配していたんですから」
「ごめんなさい、なんか泣きそうになっちゃって」
しどろもどろに応じると、困った顔でニコルは続けてきた。「あなたが地球軍なのは聞きました」あの状況ではそうするだろうな。ティアはアスランを見る。潜入中の人間からしてみれば、ティアを探すなんて時間を割くなんてこと許されるはずがない。
ニコルの協力を得るためには、事実を話す必要があったはず。
気づかわし気な目で、少年は続けた。「足つき──あの艦に乗り続けるんですか?」なんとか、この中立国にとどまることはできないのか。または、自分たちのところに来ないか、と。
「窮屈な思いをするでしょうし、色々答えて貰わねばならない事はあると思いますけど。今の情勢では、あなたのいる場所は危険だと思う」
「私の事に時間を割くなんて。後ろのお二人も話を知っているんですか?」
いえ、と彼は首を振る。ディアッカたちは情報を共有していないようだ。
二人だけの意見では、ティアが連れて行ってくれと応じたところで数々の問題が立ちはだかる事だろう。そもそも、投降しようとは思っていないし。
「前線で戦うあなた方は、こんな事実を知るべきではなかった」
躊躇いが生まれれば、生命の危険に直結する。ティアはニコルが命を落とすことを望んでなんかいない。アスランも、ディアッカも、イザークにも、死んでほしいと思っていない。
けれど、アスランがイージスのパイロットなのであれば──彼らは、奪取されたMSのパイロットだと考えるのが妥当だろう。
「ありがとう、ニコル君。だから、どうか自分の身を、仲間を大事にしてください」
決別の言葉を伝えると、傷ついたような──けれど、わかっていたかのような優しい顔で、ニコルは一歩、後退する。
「わかりました。きっと、投降させて見せます」
「まあ。ちゃんと私の話聞いてくれてましたか?」
思わずフェンスに噛り付くようにつかまると、ニコルは同じようにフェンスから離れたアスランに並びながら手を振って。
無茶をしないだろうな。目的意欲を持つのはいいことだが、あまりやりたいことに頑なになり過ぎてはいつも通りの動きなど出来なくなるのに。
「昔、友達に!」
突然、キラが大声をあげた。振り返れば、泣きそうな顔でトリィを見下ろしている。そして、目に涙を溜めて。
「大事な友達にもらった、大事なものなんだ」
その切なそうな視線の向く先は、アスランだ。
それを受け止めた少年が、「そう」と小さく微笑む。
遠くから、カガリが駆け寄ってくるのが聞こえた。大声でキラとティアの名前を叫んでいる。
ああ、これでディアッカにも確信を抱かれててしまったな。アスランとニコルが、彼に軍籍の話までするかは微妙だが。
「どういうことですか?」
ザフトの少年兵たちを見送った後、ブリッジに呼び出されたティアに齎されたのは、オーブに残るようにというアラスカ本部からの命令だった。
オーブの軍人であるキサカより伝えられたことだが、マリューを始め全員が困惑を隠せない中、命じられたティアは俯く。思ったより早かったな。
「大西洋連邦政府より、外交ルートで打診があった。既に迎えの行政官が向かっているらしいが、どういうことだ?」
「よりにもよってそっちでですか? 本気ですね……」
軍からの迎えならばまだ無視のしようがあるが、国家予算を無駄にするのはさすがにまずいだろう。さすがは義兄、ティアの事をよくわかっている。これでは従うしかないではないか。
この後アーク・エンジェルがアスランたちによって足止めされ、全員投降する事態になった時、ティアがいなかったらびっくりするだろうな。
「センセ、随分落ち着いてんな。どういうこった、これは」
「すみません、家族が口出したみたいで」
匿名にさせて貰いたいので義兄の名前は出さないが。
つまりはいいところのお嬢さんだということはばれてしまったわけだが、フレイだって同じようなものであるし、ティアが偉いわけではない。ひとまず、本人にはあったら無駄金を使うなと文句を言おう。
ここは、大人しく従うしかない。ティアが突っぱねれば、オーブに迷惑がかかってしまう。
だからこそ、ティアは話が終わるなり、ナタルたちが声をかけてくる間もなくキラの手を取った。「トリィに発信器をつけます!」先ほどのようなことがあっては今後大変だ。やれるうちにやらなければ。
あまりの剣幕に一同が絶句する中、ティアはキラの手を引いて自室へ踏み込んだ。私物はないが、ものがないわけではない。キラが息を飲む意味も理解している。
ティアに与えられた個室の中は、わりとガラクタだらけだからだ。トリィみたいなペットロボットを作ろうかなと思ったはいいがやりかけだ。即席のレーダーだったり、通信機だったり、とにかく機械が転がっている。
「これ、四つ足のロボットでも作ろうとしてたんですか?」
「これがなかなか進まなくて。色々機能積み込ませたくなっちゃうんですよね。あーっと、すいません、ちょっと座ってお待ちください」
作業スペースを開けるためにガタンゴトン音を立てながら作業を開始すれば、キラが残骸を手に取って興味深そうに眺めている。「トリィは凄いと思いますよ」ちゃんと一貫して“こういうもの”として徹底して作られている。
ティアなど、最初の設計段階から逸脱し過ぎてしまい、取捨選択の段階で止まってしまった。相当我慢強い人物が作ったに違いない。
「そうなんです! その友達は僕よりもずっと色々できるし、しっかりしてるし、いつも僕は助けて貰ってました」
まるで自分が褒められたように嬉しそうだ。どこか誇らしげにも見える。自慢の友達なのだろう。今ここにいないということは、戦争の関係もあって離れ離れになってしまったのだろうな。
「その方は、キラ君の親友になるのかな?」
「うーん、そうなのかな。なんでも相談できて、いつも一緒だった」
懐かしそうな顔で寂しそうな声。
ティアは自分の親友のことを思い出した。彼にはもう二度と会えないけど、ティアにとって彼は自慢の友達だ。気持ちは、ちょっとわかる気がする。
トリィを受け取って、ティアが分解していく様子をキラが心配そうに眺めている。とても緊張する。内部に組み込むのが難しそうだったら別の手を考えなければと思ったが、問題なさそうだ。
「すごいな、ティアさん。僕は毎回恐る恐るメンテナンスしてるのに」
「とんでもない、戦々恐々としてますとも」
人様の大切なものをお預かりしている手前、手は抜けない。発信器とはいっても常時作動のものでは動力に負荷がかかるので、キラが探したいときにだけ追跡できるようにする程度だ。
トリィは、いいな。自由に、いきたいところに行けていいなと思う。
アラスカまでアーク・エンジェルを送り届けて、ティアはキラ達をオーブに返す。それが目的だったのに、こんなところで降ろされるのだ。
孤立無援でアラスカまで向かわなければならないアーク・エンジェルからティアが降ろされるのは、撃沈されることを想定してのことに違いない。
「ティアさん、さっきの子と知り合いだったんですか?」
「オーブの街中で会いまして。トリィを捕まえてくれたの、感謝しなきゃですね」
トリィが首をぴょんぴょんと持ち主の肩まで戻っていく。動作に不具合はないようでほっとしたところで、キラが伺うように尋ねてく来た。
疑問に答える。彼らがザフトの少年兵などということは、キラに伝える必要はない。「アスランっていうんです」泣きそうな顔。
「トリィを作ってくれた友達。さっき、手渡してくれた人。久々だったから、なんか他人行儀で、残念だったなあ」
第8艦体がアーク・エンジェルと合流する前。プラントの最高責任者の娘であったラクス・クラインをキラ達は保護していた。そして、無事にザフト軍へ受け渡してもいた。確か受け渡し相手として現れたのは、イージスだったはずだ。
それだけではない。イージスは何度か、ストライクを捕獲しかけたことがある。破壊するのではなく。つまりは、かなり早い段階からキラとアスランは、互いの存在を認識しながら、戦場に身を置いていたのだ。
ああ。
なんてことだろう。
無理やり作ったような笑顔に、ティアは思わず彼の事を抱きしめていた。こんな時も他人の事を気にして。本当は、泣き喚きたいだろうに。
「先日の孤島で。実は、アスランも一緒だったんです。イージスと共に」
ひゅっと喉を鳴らすキラが体をこわばらせる。けれど、両腕はだらりと脱力して、驚愕に動けないでいる様だった。背中を、さすってやる。
「さっき外出してた時も、あの時も、私アスランに迷惑かけっぱなしで。彼はしっかり者じゃないですか。なんか、気疲れさせちゃったりで申し訳なくて」
「変わってないんだなあ、アスラン」
かすれた声は、でもどこか、確信めいた感情もあった。我慢しているように震える肩を、ティアは抱いてやる事しか出来ない。
彼らは、もう受け入れてしまっているのだ。刃を向けあうことを。ニコルとティアが交わした言葉のように。
艦を降りることになってしまったティアにはどうしようもないし、言ったところで何も変わらない程に。
「ああ、でも、街中でティアさんがアスランたちと会ったって事はつまり、僕がアスランに会わなくてもばれちゃってたってことですよね。僕らがここにいること」
このまま泣かせてあげようと思ったのに、絶妙な切り返しをくらってティアは雷に打たれたようになった。
艦長たちに報告するべきなのだろうけど、どう報告すればいいのか。モルゲンレーテの中で技術協力していたはずの人間が研究施設とはいえ街中に出ていたとか、ナタルが聞いたら烈火のごとく怒るに決まっている。
何より、なんの為にと言及されたらティアの“正体”を知られてしまう。そうなったら、また──。
「ああ、ごめんなさい。言い過ぎました! ほら、もうアスランに僕も会っちゃってるしあんまり気にしないで」
「私の親友もコーディネイターで、彼は私の義兄に殺されました」
もぞもぞと顔をあげたキラが、慌てふためいた様子で宥めてくる。
お互い涙がこぼれそうなくらいに目に涙を溜めて、何をやっているのか。頭の片隅でそんなことを考えながら、キラの片手を両手で握って、抱きしめる。
「義兄はブルーコスモスでしたけど、私の親友とも仲良かったんですよ。私の方が妬いちゃうくらい。でも──」
自分の目の前で、親友は亡くなった。
どうしてそうなったのか、ティアには未だにわからないけど。あんなに、一緒だったのに。
「辿り着いたなら、必ず貴方の事を、トール君たちのことも守ります。守れるようにします。でも負けたっていいです、辿り着けなくてもいいから」
同じような末路を進まないでほしい。何にも救いなどなかったから。
あの時を境に、義兄は更に容赦がなくなった。ティアの声を聞いてくれなくなった。ティアの事を猫かわいがりして。
親友を撃ったことを、いたことをなかったことにして。
「お友達であることも、大切にしてください」
無茶苦茶なことを言っていることはわかっている。理想論ばかりで、キラの事を困らせるだけだともわかっている。
けれども、思っていることを口にできるのは、今しかないのだ。
「無理難題すぎて約束できないや」
これまで必死で守ってきたキラに、投降する道も選んでいいと言ったのに。
キラは怒る様子もなく、泣きながら笑った。どこか安らいだような様子なのは恐らく、彼自身がほんの少しだけ、同じように思っているからなのかもしれない。
友達相手に戦いたくないと思ってもいいのだと。
負けて、投降してもいいのだと。
そう口にしてもキラが許されるようにする為には。
ティアもいい加減、覚悟を決めなければならない──。