地上編
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page005:平和の国。
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真っ赤な顔を両手で覆って、ティアは正座で反省する。
これだから、第8艦体の旗艦で従事している中でもお子様扱いされていたのだ。なんでこう、毎度毎度気を付けようと思っているのに駄目なのか。
「申し訳ない……本当にごめんなさい、ああ私はなんでこう……」
「もうわかったから。いい加減にしないと怒るぞ」
さすがに何度も何度も繰り返してしまっている謝罪。わかってはいるのだが言わずにはいられない。失神からの覚醒でぼんやりしていたとはいえ、人違いで抱き着くなんて、本当に失礼だった。
ここ最近に至るまで、随分と立て続けに色々あったから、どうやら自分で思っている以上に精神的に参っていたのだろう。自分がスカイグラスパーの乗り方を手ほどきしたカガリがMIAで、それを探しに来たらザフト兵に彼女が確保されているのがわかって。
いっぱいいっぱいだったところに、とどめの“見逃してあげようかな発言”である。最悪殺し合いだと覚悟していたティアには結構な負荷だった。
平和的に解決できるのであればそれに越したことはない。けれど、もうちょっと前置きが欲しかった。無茶ぶりだけれど。
そこで、ティアはハッと顔を上げて洞窟内を見回した。奥でカガリがすやすやと眠っている。そんなに大声でやり取りしていなかったが、この状況で起きずに寝ていられるとは。キラに見習わせてあげたい。
姿勢を正して、ティアは改めてザフト兵の少年に向き合った。とはいっても、手を伸ばせば肩に触れられるくらい近い位置なのだが。
「まずは、民間人であるあの子を保護していただいた事に感謝を。私は、ティア・ラードナー。軍では、中尉の階級にあります」
「どういうつもりで身元を明かした? 君は今、丸腰のはずだが」
気を失っている最中に、認識票や武器の有無くらいは確認されていただろう。ティアはディンを操縦して来たのだ。戦闘機に乗っていたカガリと比べて、警戒するレベルは高かったはず。
「私の事を拘束していない理由を伺っても?」
「……アスラン・ザラだ。拘束するも何も、ここへ運んで来てすぐに君は目を覚ました。拘束する時間がなかったんだ」
木の枝を火に放り込みながら、どこか疲れた様子で答えてくれる。ティアが色々やらかしているからだろう。居たたまれない。
視線を逸らしたところで、離れたところに暴発して使い物にならない銃の残骸を見つけた。妙な匂いがすると思ったらこれか。「ちょっとすみません」ティアは、がしっとアスランの肩を掴む。
身構えた少年の腹部に傷。簡単に処置してあるが、いつ救援が来るかもわからないのにこんな対処法、軍医としての矜持が許さない。
ちょうどアスランを挟んで反対側に医療バックもある。あの中のものであれば十分対処できるはずだ。と思っていたら、掴んでいない方の肩にも傷。銃の暴発からカガリの事を守ったのかもしれない。
「なんなんだ、いったい!」
「私、軍医なんです。というわけで、脱いでください」
困惑した様子で、アスランは首を振った。拒否である。
確かにティアは地球軍で、アスランはザフト軍。自分たちは敵同士なのだから、これは信用の問題である。そこは理解できる。
けれどアスランは怪我人であり、つまりは患者である。
彼に危害を加える気がまったくないティアには、失礼なことを働いた上にカガリを救ってもらっている恩しかなく、このままでは彼だけが損を被る状況だ。理不尽ではなかろうか。
一気にまくしたてたところ、アスランはびっくりしたような顔で、やがて観念したようにパイロットスーツを脱いでくれた。
まず腹部の傷の状態を確認する。
暴発の仕方がよかったのだろう。銃の破片による外傷程度で済んだようだ。少し火傷の兆候もある。破片が食い込んでいるなどの問題もない。ティアはほっと息をついた。
「もう、心臓に悪いなあ、重火器の取り扱いには気を付けていただかないと困ります!」
「不可抗力だ」
どこか不満そうにそっぽ剥かれてしまった。
ティアは、カガリの方をちらりと見る。誰の過失かわかってしまった。腹部と肩の傷をきちんと処置してすぐ、ティアは三つ指をついて頭をさげた。うちで預かっている子が大変ご迷惑をおかけしました。
「すごく行動が読みやすいかと思いきや、思っている以上にやらかしちゃうんですよ。きちんと叱っておきますので」
困った子なんです、とティアは肩を落とす。それに、アスランが深くうなずいて同意してくれた。カガリを保護してから、色々と大変だったのかもしれない。
その後は、お互い戦意もないことだし、朝になるまで休戦ということでと話が落ち着いた。というより、銃を海に落としたことをティアが暴露した結果、「お前、大概にしろよ」と同じ軍人という立場からの説教をされてしまったからなのだが。
「駄目じゃないですか、ちゃんと寝ないと!」
今度は、ティアがアスランを咎める番だった。
大気圏内に降りて来たばかりだという話を聞いたティアは、まったく休むことが出来ずに今に至っているアスランの現状に気付き、ぺしんぺしん、と相手の頬を両手で叩く。痛くはないだろうがいい音が鳴ってしまったけど、どうでもいい。
「あなたは、明日からの事もあるんですよ!」
「いや、しかしだな」
軍人としての立場以前の問題だ。人間、睡眠は大事である。こればかりは敵味方もコーディネイターもナチュラルも関係ない。
ちゃんと朝になったら起こすから──なかなか折れないアスランに、さすがのティアも痺れを切らせる。ここまで頑なな相手には、いくつか殺し文句があることは習ってきた。
軍医としての指導を受ける中で、強権発動する際のうちの一つを、今ここで使う。
「いい加減いうことを聞かないと、裸で抱き着きますよ」
割りと思った以上に低音で言いきれた。自分でもびっくりだ。
駄々を捏ねる患者を前にした時、最も効果的なのは“これ”だと教えられている。だいたいはいうことを聞くようになるから、常時顔を合わせる相手でなければ状況に合わせて使うように、という忠告付きだったが。
現状ティアはカガリを連れてアーク・エンジェルに戻ることができる。アスランの場合は、自軍に見つけてもらえるかどうかも今は怪しいのだ。休めるときに休んでもらわねば。ティアは、アスランを連れて戻ることはできないのだから。
ところで、ここでアスランが引き下がらなかったらティアは痴女確定だ。言った後に気づいてしまって内心戦々恐々だが、もう相手の良心を信じるしかない。
ぎょっとなってから、しばらく怪訝な顔で固まっていたアスランが、やがて肩を震わせて笑い出した。「お前、意味わかって使ってないだろ」軽く馬鹿にされたような気がするのは気のせいか。
理不尽なことを言う相手に文句を言おうとしたが、降参だ、と声を震わせて横になられてしまえばこちらも引き下がるしかない。正直、ほっとする。「そうして貰えると助かります、危うく痴女になるところでした」
笑いを堪えきれず悶絶しているアスランはさておき、ティアは見事、この駆け引きに無事勝利した。
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──自分は、コーディネイターであるかもしれない。
生まれの経緯など、気にしたことがなかったティアにとって、その事実はあまりにも衝撃的過ぎて、泣き喚いた記憶がある。
だって、自分の家族はコーディネイターを殺すのだ。大好きな人たちに知られてしまったら、今までの関係が無くなってしまう。
あいまいな立場を明確にさせることを避け続けてきた理由は、思えば自己保身の為だったと思う。
コーディネイターだからという理由だけで、親友は殺されたのだ。義理の家族として迎え入れられたティアのことだって、彼らは殺せるだろうから。
けれど、ティアはキラを知って、アスランを知ってしまった。守る為に戦う力を取ってしまった少年。敵兵──イージスのパイロットでありながら、ティアに危害を加えずに解放してくれた少年。
思えば、これまでティアの周囲は極端だったのだ。白黒はっきりした関係性の中に、あいまいなのはティアだけだった。
自分がナチュラルであろうが、コーディネイターであろうが、世界の構図にはなんの問題もない。ただ、ティアの家族にとっては、大問題だった。それで、この度明確にしようと思い立ったのは、家族が好きだったから。
裏切り続けているかもしれないのならば、まずは明らかにするべきだと思った。裏切っているのか、勘違いだったのか。それを、まずは確かめるべきだと。
コーディネイターであるティアの言葉と、ナチュラルであるティアの言葉では、重みも違うはずだから。
紹介された研究施設を出て、ティアは近隣にあった公園のベンチに腰を下ろしていた。
いくつかの細胞を採取してもらい、生体情報を解析してもらうためだ。本当であれば比較できる家族の協力があればもっと早いようなのだが。今のティアには、血のつながった家族はいない。
コーディネイターかどうかの判断材料は──ティアの遺伝子情報を解析して、明らかな調整の形跡がみられるかどうか。
あまり時間をかけられない事を、“モルゲンレーテ”の関係者に事前に伝えられていたからか、受け入れ態勢も万端だった。本日中に“濃厚かどうか”だけはわかるというから、それまで時間を潰さなければならない。
数日前、ヘリオポリスにて奪取されたMS4機による猛攻を受けたアーク・エンジェルは、中立国オーブへの領海侵犯の名目で国防の弾頭嵐に晒された。ザフトのMSたちもその例に漏れず、撤退。
艦体に大損害を被ったアーク・エンジェルは現在は匿われている状況だが、“公式発表”ではオーブを放れたことになっている。
カガリとキサカの正体には正直驚いたけれど、オーブの対応にはとにかく感謝するしかない。こんな“厄介な客”をもてなしたところで損しかないだろうに。
例えMSのOSに関する技術提供などの名目があったにしても、プラントの反感を買うだけだ。ただでさえ、ヘリオポリスにおいて地球連合軍と協力してMSを開発していた事実が明るみになった後、国の長が交替する事態に陥っているくらいなのに。
ちょうど、公園に幼い子連れの親子が入ってきた。それとなく立ち上がって移動しれば、ほっとした様子で彼らがベンチに座って、調達してきたおやつを取り出して堪能し始める。
その穏やかな様子が、ちょっと現実離れして見えてしまう──などと考えていたら、思い切り人にぶつかった。ふらついたところで段差に足を取られ、ティアは悲鳴を上げながらこれから被るだろう傷みを覚悟した。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
二の腕を掴まれ、体を引き寄せられる。それぞれ別の人物が、ほっとしたような顔で覗き込んできた。そのうちの一人の姿に、ティアはぎょっとする。
つい最近、孤島で一緒に一晩明かした仲である、アスラン・ザラだ。
お互い正体を明かしあっている間柄。公式発表が嘘だというのは、オーブ近海に潜んで監視していただろう彼らにはわかっていただろうが。ティアがここにいるということから、確信を持たせてしまった。
いや、でもまだだ。ティアがアーク・エンジェルに乗っていることは言っていない──いや、駄目だった。カガリがオープンチャンネルで正体を明かしていた。アスランも聞いていたはずだ。詰んだ。
「おいおい、いきなりなんで泣く!?」
ぽかんとしていたアスランが慌てた様子で声をかけてくる。
「足、くじいちゃったのかな」
「そこの植え込みまで移動しよう、ニコルは荷物を」
おろおろするニコルと呼ばれた少年がティアの荷物を、アスランがティアの事をひょいと抱えて足早に道の端に避けた。公園から出た先の道端で女の子を泣かしたとあっては目立ちすぎるだろう。
そうされている間、ティアは両手で顔を覆って悶絶していた。恥ずかしい。対応に困ってフリーズした上に、自分の失態でアーク・エンジェルやオーブ政府に迷惑をかけたとか、もう駄目だ。立ち直れない。
「ぶつかったのは私なのに重ね重ねご迷惑を……ああ、もう消えたい」
「物騒なことをいうやつだな。それで、足は平気なのか?」
「どこも痛くないです、ご心配おかけして申し訳ない」
穴があったら入りたい。いや、入ったら入ったで目立つだろうから、もう埋めていただきたい。「僕が前をきちんと見ないで歩いていたから」ニコル少年がティアの自虐に引かれて申し訳なさそうにしてしまった。ティアは慌てて顔を上げる。
「注意力散漫で歩き出した私が悪いのです! 平和だなとか、検査結果のこととか色々ぐるぐるしてたから」
「それなら、少し休憩した方がいいと思います。僕、ちょっと飲み物買ってきますから待っていてください。アスラン、頼みました!」
目尻の涙を指先で拭いながら、全面的に自分に非があるのだと喚いたティアの様子に、気づかわしげな眼差しを向けてきたニコル。彼はアスランに後を託して街中へ消えて行ってしまった。
気遣い無用──伸ばした手は空しく宙を掻く。
空回りばかりだ、と肩を落として嘆くティアの隣に座りながら、アスランは「観念するんだな」と腕を組んで。
「ニコルは優しいやつなんだ。素直に君の事を心配している。関わりたくないならばシャキッとしろよ」
「そう思うならば、潜入中なのだからあまり目立つような行動をしたくないとか言って引き留めてくださいよ」
不満を訴えると、「言ったろう、いい奴なんだって」と困ったような顔で笑った。それならあなたも相当だと思いますよ、とティアは言いたいのを堪えた。
「それで。軍医ともあろうものが検査だとか、どういうことだよ。あの後の戦闘で負傷でもしたのか? なんで街中に出歩いてるんだ」
「ご心配なく。怪我とかではないですし、病気でもないです。ただ、これまでの環境ではやりたくても出来なかったことでして」
敵同士で肩を並べて、会話ができるなんてすごい国だ。
半ば開き直りもあるが、ティアは前かがみになって、両手で頬杖をつく。「私を引き取ってくれた家族は、“ブルーコスモス”なんです」コーディネイターであるアスランたちからすれば、お近づきになれない集団だろう。息を飲む様子が伝わってくる。
「そんな人たちに言えないじゃないですか、私はコーディネイターかもしれないから調べたい、だなんて」
何不自由なく育ててもらった。ちょっと過保護なところはあるけれど、実の家族の代わりに、たくさん大切にしてもらったと思っている。
両親の事はほとんど覚えていない。顔も思い出せない。それほど、ティアにとっては今の家族が、“家族”だった。
「……それは、そうだろうが。お前、結果を知ってどうするつもりだ?」
「まだ、そこまでは。それより、人様の事情に首を突っ込んでくれた覚悟はできてますよね?」
アーク・エンジェルの面々にはこんな話できないし、敵軍とはいえ確実にコーディネイターであるアスランには、この悶々とした鬱屈した思いをぶちまけたっていいだろう。
何言ってるんだお前は、と顔を引きつらせるアスランには悪いが、手放す気はない。
「だって、目的達成できたでしょう?」
「それはそうなんだが。俺一人が確証を得たところでだな」
「決定的な証拠なんて難しいでしょう。オーブのガードは固いですよ」
ぐう、と口ごもるアスラン。地球軍がそう思っているのだから、ザフトだってそういう評価を下していてもおかしくない。現実、そうなのだから。
結局のところ諦めのため息を漏らすアスランと、話し相手を見つけて満足げに姿勢を直すティアのもとへ、哀れな子羊ニコルが合流する。
「そもそも、どうしてコーディネイターかもしれないって思ったんです?」
植え込みのところで話す内容にしては物騒なので、公園内の、芝生の上で三人並んで座った。掻い摘んで──ティアが地球軍で既にアスランと知り合いというのは伏せた──事情を聞いたニコルは、素朴な疑問をぶつけてくる。
両親が既におらず、ティアの出生の秘密を知る人間はいなかったはずだ。
あるとしたら、事情を知る──病院関係者あたりだろう。
血のつながりはないとはいえ、義両親も知っていておかしくないはずだが、状況的に考えてコーディネイターの子供を引き取るとは思えない。知らないと考えるのが自然だし、ティアもそう思っている。
だから、軍に入って距離とを取るようになったのだけど。
「私、小さい頃はよく入院してたんですよね。そこの病院の息子さんと親友で、彼から聞きまして」
「その人から、もっと詳しく話は聞けないんですか?」
アスランが眉根を寄せて考え込む。
ニコルからの質問にどう答えるべきか少し考えて、「彼は避難していて、簡単には会えなくなったんです」というに留めた。それだけで、ティアの親友が“コーディネイター”であった事はわかってもらえたと思う。
「調整に失敗したのか? 俺たちは滅多に病気にかからないはずだが」
「それは私も考えました。捨てられたのかなあとか」
本当のところ、両親がどう思っていたのかはわからないけど、コーディネイターのことを排斥しようとはしていなかった事だけは確かだ。今のティアが、義家族のような思想を拒むのは、両親のおかげだと思う。
アスランの疑問に答えつつ、ニコルが買ってきてくれたジュースを飲む。氷は解けてしまい、味が薄くなってしまっている。随分とこの二人を拘束してしまっているな。
こんなことをしても結局はザフトにアーク・エンジェルがオーブにいることは伝わってしまうのだが、日中に知り渡るよりは日没の方がいいだろうと思ったのだが。
「こう言っては何ですけど……ティアさんの親友は、ちょっと酷いですよ」
どこか、怒った様子でニコルがいう。“ブルーコスモス”の家にいるティアに対して、例え事実だとしてもコーディネイターであることを明かしたのは良い事だと思えないと。
親友がその事実をティアに明かさなければ、ティアはこうして悩む必要はなかっただろうから。
「正直、僕はびっくりしてるんです。自分の出自なんて、確かめようとか思った事がなかった」
「うん。俺も、普通にコーディネイターだと思って生きてきた」
ニコルから同意の眼差しを受けたアスランが、大きく頷きながら答える。
普通に暮らしていれば、自分の出自などに気もしないだろう。特にコーディネイターともなれば、今は成功すれば目の色や肌の色もデザインできるのだから。「お二人には、感謝しなければ」二人が、不思議そうな顔をする。
「こんな話、できる相手なんて限られますからね」
コーディネイター相手でないと、できないだろう、研究者相手だったら問題ないだろうが、倫理観が違う。相手を選ぶ話題だ。
アスランが厳しい顔をする手前で、ティアの置かれている状況を知らないニコルが、優しく笑ってくれる。
「力になれたならいいんです。話を聞くことしかできてないけど」
もう一度お礼を言って、ティアは立ち上がった。アスランが気づいてしまった事がわかった今、早く離れないとどうなることか。ニコルが間に挟まってくれているから出来る逃れ方だが。
「引き留めてしまってごめんなさい。私はそろそろ研究所に顔を出さないと」
本当はまだまだ時間があるのだけど。ニコルとアスランが何か言う前に、短くお礼を言って、ティアは駆けだした。
ティアが身を置くのは対コーディネイターを掲げる地球軍だ。“ブルーコスモス”の義家族から離れているとはいえ、その正体が知られればどうなるかとアスランは気付いてしまった。
おまけに、ティアは女だ。キラとは違って戦力として欠くことのできない人員でもない。悪い考えを持った人間に知られたら、どうなることか。ティア自身がずっと危機感を抱いてきたのだから。
「待て、ティア!」
先ほどニコルにぶつかった公園の入り口には、帰宅時間の為に集団で固まる学生たちの壁。立ち止まったら確実に捕まって、もしかするとニコルにも地球軍であることがばれるかもしれない。いや、もう今更なのだけど。
「あはは、鬼ごっことか、初めてかも!」
独り言ちて、ティアはバク転しながら飛び上がり、体格の良い学生の肩に手をついて、人垣を飛び越えた。そういえばスカートだったけど気にしていられない。
びっくりして転んでしまった学生には申し訳ないが、とにかくティアは公園から逃げる事に専念した。さすがに、コーディネイターと本気で追いかけっこなどしたことはないので逃げ切れるかの自信もない。
でも、ほんの少しだけ思ってしまいもするのだ。
このまま彼らに連れ去ってもらった方が、楽には生きられるのではないか。義兄に引き金を引かせることもなくなるのではないか。
親友を、殺させてしまったようなことは、避けられるのではないかと──。
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真っ赤な顔を両手で覆って、ティアは正座で反省する。
これだから、第8艦体の旗艦で従事している中でもお子様扱いされていたのだ。なんでこう、毎度毎度気を付けようと思っているのに駄目なのか。
「申し訳ない……本当にごめんなさい、ああ私はなんでこう……」
「もうわかったから。いい加減にしないと怒るぞ」
さすがに何度も何度も繰り返してしまっている謝罪。わかってはいるのだが言わずにはいられない。失神からの覚醒でぼんやりしていたとはいえ、人違いで抱き着くなんて、本当に失礼だった。
ここ最近に至るまで、随分と立て続けに色々あったから、どうやら自分で思っている以上に精神的に参っていたのだろう。自分がスカイグラスパーの乗り方を手ほどきしたカガリがMIAで、それを探しに来たらザフト兵に彼女が確保されているのがわかって。
いっぱいいっぱいだったところに、とどめの“見逃してあげようかな発言”である。最悪殺し合いだと覚悟していたティアには結構な負荷だった。
平和的に解決できるのであればそれに越したことはない。けれど、もうちょっと前置きが欲しかった。無茶ぶりだけれど。
そこで、ティアはハッと顔を上げて洞窟内を見回した。奥でカガリがすやすやと眠っている。そんなに大声でやり取りしていなかったが、この状況で起きずに寝ていられるとは。キラに見習わせてあげたい。
姿勢を正して、ティアは改めてザフト兵の少年に向き合った。とはいっても、手を伸ばせば肩に触れられるくらい近い位置なのだが。
「まずは、民間人であるあの子を保護していただいた事に感謝を。私は、ティア・ラードナー。軍では、中尉の階級にあります」
「どういうつもりで身元を明かした? 君は今、丸腰のはずだが」
気を失っている最中に、認識票や武器の有無くらいは確認されていただろう。ティアはディンを操縦して来たのだ。戦闘機に乗っていたカガリと比べて、警戒するレベルは高かったはず。
「私の事を拘束していない理由を伺っても?」
「……アスラン・ザラだ。拘束するも何も、ここへ運んで来てすぐに君は目を覚ました。拘束する時間がなかったんだ」
木の枝を火に放り込みながら、どこか疲れた様子で答えてくれる。ティアが色々やらかしているからだろう。居たたまれない。
視線を逸らしたところで、離れたところに暴発して使い物にならない銃の残骸を見つけた。妙な匂いがすると思ったらこれか。「ちょっとすみません」ティアは、がしっとアスランの肩を掴む。
身構えた少年の腹部に傷。簡単に処置してあるが、いつ救援が来るかもわからないのにこんな対処法、軍医としての矜持が許さない。
ちょうどアスランを挟んで反対側に医療バックもある。あの中のものであれば十分対処できるはずだ。と思っていたら、掴んでいない方の肩にも傷。銃の暴発からカガリの事を守ったのかもしれない。
「なんなんだ、いったい!」
「私、軍医なんです。というわけで、脱いでください」
困惑した様子で、アスランは首を振った。拒否である。
確かにティアは地球軍で、アスランはザフト軍。自分たちは敵同士なのだから、これは信用の問題である。そこは理解できる。
けれどアスランは怪我人であり、つまりは患者である。
彼に危害を加える気がまったくないティアには、失礼なことを働いた上にカガリを救ってもらっている恩しかなく、このままでは彼だけが損を被る状況だ。理不尽ではなかろうか。
一気にまくしたてたところ、アスランはびっくりしたような顔で、やがて観念したようにパイロットスーツを脱いでくれた。
まず腹部の傷の状態を確認する。
暴発の仕方がよかったのだろう。銃の破片による外傷程度で済んだようだ。少し火傷の兆候もある。破片が食い込んでいるなどの問題もない。ティアはほっと息をついた。
「もう、心臓に悪いなあ、重火器の取り扱いには気を付けていただかないと困ります!」
「不可抗力だ」
どこか不満そうにそっぽ剥かれてしまった。
ティアは、カガリの方をちらりと見る。誰の過失かわかってしまった。腹部と肩の傷をきちんと処置してすぐ、ティアは三つ指をついて頭をさげた。うちで預かっている子が大変ご迷惑をおかけしました。
「すごく行動が読みやすいかと思いきや、思っている以上にやらかしちゃうんですよ。きちんと叱っておきますので」
困った子なんです、とティアは肩を落とす。それに、アスランが深くうなずいて同意してくれた。カガリを保護してから、色々と大変だったのかもしれない。
その後は、お互い戦意もないことだし、朝になるまで休戦ということでと話が落ち着いた。というより、銃を海に落としたことをティアが暴露した結果、「お前、大概にしろよ」と同じ軍人という立場からの説教をされてしまったからなのだが。
「駄目じゃないですか、ちゃんと寝ないと!」
今度は、ティアがアスランを咎める番だった。
大気圏内に降りて来たばかりだという話を聞いたティアは、まったく休むことが出来ずに今に至っているアスランの現状に気付き、ぺしんぺしん、と相手の頬を両手で叩く。痛くはないだろうがいい音が鳴ってしまったけど、どうでもいい。
「あなたは、明日からの事もあるんですよ!」
「いや、しかしだな」
軍人としての立場以前の問題だ。人間、睡眠は大事である。こればかりは敵味方もコーディネイターもナチュラルも関係ない。
ちゃんと朝になったら起こすから──なかなか折れないアスランに、さすがのティアも痺れを切らせる。ここまで頑なな相手には、いくつか殺し文句があることは習ってきた。
軍医としての指導を受ける中で、強権発動する際のうちの一つを、今ここで使う。
「いい加減いうことを聞かないと、裸で抱き着きますよ」
割りと思った以上に低音で言いきれた。自分でもびっくりだ。
駄々を捏ねる患者を前にした時、最も効果的なのは“これ”だと教えられている。だいたいはいうことを聞くようになるから、常時顔を合わせる相手でなければ状況に合わせて使うように、という忠告付きだったが。
現状ティアはカガリを連れてアーク・エンジェルに戻ることができる。アスランの場合は、自軍に見つけてもらえるかどうかも今は怪しいのだ。休めるときに休んでもらわねば。ティアは、アスランを連れて戻ることはできないのだから。
ところで、ここでアスランが引き下がらなかったらティアは痴女確定だ。言った後に気づいてしまって内心戦々恐々だが、もう相手の良心を信じるしかない。
ぎょっとなってから、しばらく怪訝な顔で固まっていたアスランが、やがて肩を震わせて笑い出した。「お前、意味わかって使ってないだろ」軽く馬鹿にされたような気がするのは気のせいか。
理不尽なことを言う相手に文句を言おうとしたが、降参だ、と声を震わせて横になられてしまえばこちらも引き下がるしかない。正直、ほっとする。「そうして貰えると助かります、危うく痴女になるところでした」
笑いを堪えきれず悶絶しているアスランはさておき、ティアは見事、この駆け引きに無事勝利した。
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──自分は、コーディネイターであるかもしれない。
生まれの経緯など、気にしたことがなかったティアにとって、その事実はあまりにも衝撃的過ぎて、泣き喚いた記憶がある。
だって、自分の家族はコーディネイターを殺すのだ。大好きな人たちに知られてしまったら、今までの関係が無くなってしまう。
あいまいな立場を明確にさせることを避け続けてきた理由は、思えば自己保身の為だったと思う。
コーディネイターだからという理由だけで、親友は殺されたのだ。義理の家族として迎え入れられたティアのことだって、彼らは殺せるだろうから。
けれど、ティアはキラを知って、アスランを知ってしまった。守る為に戦う力を取ってしまった少年。敵兵──イージスのパイロットでありながら、ティアに危害を加えずに解放してくれた少年。
思えば、これまでティアの周囲は極端だったのだ。白黒はっきりした関係性の中に、あいまいなのはティアだけだった。
自分がナチュラルであろうが、コーディネイターであろうが、世界の構図にはなんの問題もない。ただ、ティアの家族にとっては、大問題だった。それで、この度明確にしようと思い立ったのは、家族が好きだったから。
裏切り続けているかもしれないのならば、まずは明らかにするべきだと思った。裏切っているのか、勘違いだったのか。それを、まずは確かめるべきだと。
コーディネイターであるティアの言葉と、ナチュラルであるティアの言葉では、重みも違うはずだから。
紹介された研究施設を出て、ティアは近隣にあった公園のベンチに腰を下ろしていた。
いくつかの細胞を採取してもらい、生体情報を解析してもらうためだ。本当であれば比較できる家族の協力があればもっと早いようなのだが。今のティアには、血のつながった家族はいない。
コーディネイターかどうかの判断材料は──ティアの遺伝子情報を解析して、明らかな調整の形跡がみられるかどうか。
あまり時間をかけられない事を、“モルゲンレーテ”の関係者に事前に伝えられていたからか、受け入れ態勢も万端だった。本日中に“濃厚かどうか”だけはわかるというから、それまで時間を潰さなければならない。
数日前、ヘリオポリスにて奪取されたMS4機による猛攻を受けたアーク・エンジェルは、中立国オーブへの領海侵犯の名目で国防の弾頭嵐に晒された。ザフトのMSたちもその例に漏れず、撤退。
艦体に大損害を被ったアーク・エンジェルは現在は匿われている状況だが、“公式発表”ではオーブを放れたことになっている。
カガリとキサカの正体には正直驚いたけれど、オーブの対応にはとにかく感謝するしかない。こんな“厄介な客”をもてなしたところで損しかないだろうに。
例えMSのOSに関する技術提供などの名目があったにしても、プラントの反感を買うだけだ。ただでさえ、ヘリオポリスにおいて地球連合軍と協力してMSを開発していた事実が明るみになった後、国の長が交替する事態に陥っているくらいなのに。
ちょうど、公園に幼い子連れの親子が入ってきた。それとなく立ち上がって移動しれば、ほっとした様子で彼らがベンチに座って、調達してきたおやつを取り出して堪能し始める。
その穏やかな様子が、ちょっと現実離れして見えてしまう──などと考えていたら、思い切り人にぶつかった。ふらついたところで段差に足を取られ、ティアは悲鳴を上げながらこれから被るだろう傷みを覚悟した。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
二の腕を掴まれ、体を引き寄せられる。それぞれ別の人物が、ほっとしたような顔で覗き込んできた。そのうちの一人の姿に、ティアはぎょっとする。
つい最近、孤島で一緒に一晩明かした仲である、アスラン・ザラだ。
お互い正体を明かしあっている間柄。公式発表が嘘だというのは、オーブ近海に潜んで監視していただろう彼らにはわかっていただろうが。ティアがここにいるということから、確信を持たせてしまった。
いや、でもまだだ。ティアがアーク・エンジェルに乗っていることは言っていない──いや、駄目だった。カガリがオープンチャンネルで正体を明かしていた。アスランも聞いていたはずだ。詰んだ。
「おいおい、いきなりなんで泣く!?」
ぽかんとしていたアスランが慌てた様子で声をかけてくる。
「足、くじいちゃったのかな」
「そこの植え込みまで移動しよう、ニコルは荷物を」
おろおろするニコルと呼ばれた少年がティアの荷物を、アスランがティアの事をひょいと抱えて足早に道の端に避けた。公園から出た先の道端で女の子を泣かしたとあっては目立ちすぎるだろう。
そうされている間、ティアは両手で顔を覆って悶絶していた。恥ずかしい。対応に困ってフリーズした上に、自分の失態でアーク・エンジェルやオーブ政府に迷惑をかけたとか、もう駄目だ。立ち直れない。
「ぶつかったのは私なのに重ね重ねご迷惑を……ああ、もう消えたい」
「物騒なことをいうやつだな。それで、足は平気なのか?」
「どこも痛くないです、ご心配おかけして申し訳ない」
穴があったら入りたい。いや、入ったら入ったで目立つだろうから、もう埋めていただきたい。「僕が前をきちんと見ないで歩いていたから」ニコル少年がティアの自虐に引かれて申し訳なさそうにしてしまった。ティアは慌てて顔を上げる。
「注意力散漫で歩き出した私が悪いのです! 平和だなとか、検査結果のこととか色々ぐるぐるしてたから」
「それなら、少し休憩した方がいいと思います。僕、ちょっと飲み物買ってきますから待っていてください。アスラン、頼みました!」
目尻の涙を指先で拭いながら、全面的に自分に非があるのだと喚いたティアの様子に、気づかわしげな眼差しを向けてきたニコル。彼はアスランに後を託して街中へ消えて行ってしまった。
気遣い無用──伸ばした手は空しく宙を掻く。
空回りばかりだ、と肩を落として嘆くティアの隣に座りながら、アスランは「観念するんだな」と腕を組んで。
「ニコルは優しいやつなんだ。素直に君の事を心配している。関わりたくないならばシャキッとしろよ」
「そう思うならば、潜入中なのだからあまり目立つような行動をしたくないとか言って引き留めてくださいよ」
不満を訴えると、「言ったろう、いい奴なんだって」と困ったような顔で笑った。それならあなたも相当だと思いますよ、とティアは言いたいのを堪えた。
「それで。軍医ともあろうものが検査だとか、どういうことだよ。あの後の戦闘で負傷でもしたのか? なんで街中に出歩いてるんだ」
「ご心配なく。怪我とかではないですし、病気でもないです。ただ、これまでの環境ではやりたくても出来なかったことでして」
敵同士で肩を並べて、会話ができるなんてすごい国だ。
半ば開き直りもあるが、ティアは前かがみになって、両手で頬杖をつく。「私を引き取ってくれた家族は、“ブルーコスモス”なんです」コーディネイターであるアスランたちからすれば、お近づきになれない集団だろう。息を飲む様子が伝わってくる。
「そんな人たちに言えないじゃないですか、私はコーディネイターかもしれないから調べたい、だなんて」
何不自由なく育ててもらった。ちょっと過保護なところはあるけれど、実の家族の代わりに、たくさん大切にしてもらったと思っている。
両親の事はほとんど覚えていない。顔も思い出せない。それほど、ティアにとっては今の家族が、“家族”だった。
「……それは、そうだろうが。お前、結果を知ってどうするつもりだ?」
「まだ、そこまでは。それより、人様の事情に首を突っ込んでくれた覚悟はできてますよね?」
アーク・エンジェルの面々にはこんな話できないし、敵軍とはいえ確実にコーディネイターであるアスランには、この悶々とした鬱屈した思いをぶちまけたっていいだろう。
何言ってるんだお前は、と顔を引きつらせるアスランには悪いが、手放す気はない。
「だって、目的達成できたでしょう?」
「それはそうなんだが。俺一人が確証を得たところでだな」
「決定的な証拠なんて難しいでしょう。オーブのガードは固いですよ」
ぐう、と口ごもるアスラン。地球軍がそう思っているのだから、ザフトだってそういう評価を下していてもおかしくない。現実、そうなのだから。
結局のところ諦めのため息を漏らすアスランと、話し相手を見つけて満足げに姿勢を直すティアのもとへ、哀れな子羊ニコルが合流する。
「そもそも、どうしてコーディネイターかもしれないって思ったんです?」
植え込みのところで話す内容にしては物騒なので、公園内の、芝生の上で三人並んで座った。掻い摘んで──ティアが地球軍で既にアスランと知り合いというのは伏せた──事情を聞いたニコルは、素朴な疑問をぶつけてくる。
両親が既におらず、ティアの出生の秘密を知る人間はいなかったはずだ。
あるとしたら、事情を知る──病院関係者あたりだろう。
血のつながりはないとはいえ、義両親も知っていておかしくないはずだが、状況的に考えてコーディネイターの子供を引き取るとは思えない。知らないと考えるのが自然だし、ティアもそう思っている。
だから、軍に入って距離とを取るようになったのだけど。
「私、小さい頃はよく入院してたんですよね。そこの病院の息子さんと親友で、彼から聞きまして」
「その人から、もっと詳しく話は聞けないんですか?」
アスランが眉根を寄せて考え込む。
ニコルからの質問にどう答えるべきか少し考えて、「彼は避難していて、簡単には会えなくなったんです」というに留めた。それだけで、ティアの親友が“コーディネイター”であった事はわかってもらえたと思う。
「調整に失敗したのか? 俺たちは滅多に病気にかからないはずだが」
「それは私も考えました。捨てられたのかなあとか」
本当のところ、両親がどう思っていたのかはわからないけど、コーディネイターのことを排斥しようとはしていなかった事だけは確かだ。今のティアが、義家族のような思想を拒むのは、両親のおかげだと思う。
アスランの疑問に答えつつ、ニコルが買ってきてくれたジュースを飲む。氷は解けてしまい、味が薄くなってしまっている。随分とこの二人を拘束してしまっているな。
こんなことをしても結局はザフトにアーク・エンジェルがオーブにいることは伝わってしまうのだが、日中に知り渡るよりは日没の方がいいだろうと思ったのだが。
「こう言っては何ですけど……ティアさんの親友は、ちょっと酷いですよ」
どこか、怒った様子でニコルがいう。“ブルーコスモス”の家にいるティアに対して、例え事実だとしてもコーディネイターであることを明かしたのは良い事だと思えないと。
親友がその事実をティアに明かさなければ、ティアはこうして悩む必要はなかっただろうから。
「正直、僕はびっくりしてるんです。自分の出自なんて、確かめようとか思った事がなかった」
「うん。俺も、普通にコーディネイターだと思って生きてきた」
ニコルから同意の眼差しを受けたアスランが、大きく頷きながら答える。
普通に暮らしていれば、自分の出自などに気もしないだろう。特にコーディネイターともなれば、今は成功すれば目の色や肌の色もデザインできるのだから。「お二人には、感謝しなければ」二人が、不思議そうな顔をする。
「こんな話、できる相手なんて限られますからね」
コーディネイター相手でないと、できないだろう、研究者相手だったら問題ないだろうが、倫理観が違う。相手を選ぶ話題だ。
アスランが厳しい顔をする手前で、ティアの置かれている状況を知らないニコルが、優しく笑ってくれる。
「力になれたならいいんです。話を聞くことしかできてないけど」
もう一度お礼を言って、ティアは立ち上がった。アスランが気づいてしまった事がわかった今、早く離れないとどうなることか。ニコルが間に挟まってくれているから出来る逃れ方だが。
「引き留めてしまってごめんなさい。私はそろそろ研究所に顔を出さないと」
本当はまだまだ時間があるのだけど。ニコルとアスランが何か言う前に、短くお礼を言って、ティアは駆けだした。
ティアが身を置くのは対コーディネイターを掲げる地球軍だ。“ブルーコスモス”の義家族から離れているとはいえ、その正体が知られればどうなるかとアスランは気付いてしまった。
おまけに、ティアは女だ。キラとは違って戦力として欠くことのできない人員でもない。悪い考えを持った人間に知られたら、どうなることか。ティア自身がずっと危機感を抱いてきたのだから。
「待て、ティア!」
先ほどニコルにぶつかった公園の入り口には、帰宅時間の為に集団で固まる学生たちの壁。立ち止まったら確実に捕まって、もしかするとニコルにも地球軍であることがばれるかもしれない。いや、もう今更なのだけど。
「あはは、鬼ごっことか、初めてかも!」
独り言ちて、ティアはバク転しながら飛び上がり、体格の良い学生の肩に手をついて、人垣を飛び越えた。そういえばスカートだったけど気にしていられない。
びっくりして転んでしまった学生には申し訳ないが、とにかくティアは公園から逃げる事に専念した。さすがに、コーディネイターと本気で追いかけっこなどしたことはないので逃げ切れるかの自信もない。
でも、ほんの少しだけ思ってしまいもするのだ。
このまま彼らに連れ去ってもらった方が、楽には生きられるのではないか。義兄に引き金を引かせることもなくなるのではないか。
親友を、殺させてしまったようなことは、避けられるのではないかと──。