地上編
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page004:真夜中の捜索。
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「──もう、駄目じゃないですか!」
そう言いながら鼻先に人差し指を突き付けると、紫の大きな目が丸くなった。
街から戻った翌日。何事もなく一日が過ぎ、夜も更ける頃合い。部屋に戻って休むこともせずに格納庫のストライクの足元に佇むキラを見つけた。
今のところ戦闘に至ってはいないが、いつそうなってもおかしくないのだ。眠るべき時は眠ってもらわないと困る。それで、怪我をして痛い思いをするのは彼なのだから。
「まさかとは思いますが、こんなところで寝ようとか思っていませんよね」
「あっもう、ストライクの中で寝ようとか考えてないですよ、約束だし!」
キラがストライクのコクピット内で寝泊りしていた事実が発覚した際、以後見つけたら“ティアが甲板で寝る”と宣言することで禁止した。話を聞きつけたナタルには“冗談です”と言っておいたが本気だ。寝袋ありでもなしでも実地演習などで経験したことはあるから苦ではない。
一度くらいは破ってしまうのではないかと思い、いつでも実行できるよう寝袋を常備しているのだが、今のところ必要なさそうだ。
「ティアさんは、まだ休まないんですか?」
「私は夜勤当番なのです。その前に、少し体を動かそうかと」
先ほどまでは部屋で微睡んだりして過ごしていた。軍医とはいえ一軍人、体を多少なりとも鍛えておくことは必要だ。
交替まで時間があるので、広い格納庫で本格的に体を動かそうと立ち寄ってみれば、こうしてキラとの遭遇である。ある意味よかった。今朝会った時、目元にクマがあるのに気づいていたから。
「キラ君、一緒にストレッチしません? 二人一組でやるやつ」
「いいですよ、お付き合いします」
もとより体を動かす気でいたので、今のティアはパンツのスタイルだ。お互い軍服の上着を脱いで準備した後、ティアは両膝とつま先で体を支え、そのまま上半身を前方に倒しながら両手を床につける。土下座のような格好だ。
「このまま上半身を伸ばしたいので、キラ君は私の肩甲骨あたりを両手でゆっくり押して貰っていいですか?」
立膝で向き合っているキラに指示して、両腕を前に伸ばしながら体を伸ばす。キラに負荷をかけて貰う事で腰と背中が伸びて気持ちいい。
その後は、背後に体育座りをしてもらい、足を伸ばして座るティアの両腕を持ってもらう。そのまま、足裏で背中を適当に踏んで貰い、コリをほぐしたり。
「あーこれ気持ちいい、伸びるー」
「コクピット内で姿勢を変えたりするの難しいでしょう。このストレッチは働く誰もが気持ちいいだろうものなのです」
交替してキラの背中を足裏で刺激してやれば、気持ちよさそうなうめき声。
少しは体を休めようという気にでもなってくれればいいのだが。
体をほぐしたことで、体が眠たい、という気を起こしたのだろう。とろん、とした顔で大人しくなったキラはそのままに、ティアは心を静めてから一人で組み手を始める。
本当は相手がいるといいのだが、こんな夜更けにそんな相手を求めては贅沢だろう。
「ティアさん、すごい動けるんですね。なんか意外」
「一応わたしも士官ですので。指示するだけじゃ従ってくれる相手に悪いでしょう?」
ぽかん、とした様子で問われてしまい、ティアは答えながら動作を少しずつゆっくりしたものに変え、体を動かすのをやめた。久々だったから可動域が少しよろしくない。近日中にムウでも捕まえて体術の所作を矯正しなければ。
深呼吸をして調子を整えていると、キラが預かってくれていたタオルを差し出してくれた。
「憧れるなあ、僕はあまり運動得意な方じゃなくて」
「私も得意というわけでは。格闘術というよりは、護身術のようなものなら一応褒められる出来ではあるのですが」
本格的に体を動かしたわけではないので、そんなに汗はかかなかったけれど、医務室にいったら体を拭こう。そんなことを考えつつ、どこか目をキラキラさせている少年に気づいて、思わず笑った。
「簡単な所作、覚えてみましょうか? 鍛えておいて損はないですよ」
「できるかなあ」
不安そうな声をあげながらも、キラは拒否はしなかった。
アルテミスや、先日砂漠の街でテロに巻き込まれた事で実感しているのだろう。本格的な訓練を受けていれば、もう少しうまく立ち回れたかもしれないのだから。
手元の時計を見ると、交替時間が差し迫っている。医務室に移動しながら、ティアは続けた。
護身術として身につけておきたいと思って選択したサバットという格闘術。もとより武器を持った相手を想定し、守り重視の戦闘スタイルだ。普及は紳士向けだった為、軍服でも動きやすい。杖を使って遠距離を、近接では手足を用い、関節技や投げ技もある。
競技ともなると制限が色々とあるならば、なりふり構わない状況にあっては結構多岐に渡って対応できると思っている。腕の関節や急所について実際に試してやったところ、キラは悶絶してベッドに撃沈してしまったが。
自然と睡魔が襲ってきたのだろう。微睡み始めるキラに布団をかけてやる。
「余計な仕事を増やしてすみません」
「いいえ、むしろ歓迎ですね。ちゃんと寝てくれてるのがわかるもの」
よしよし、と頭を撫でてやると、「子ども扱いして」と文句を言われてしまった。恥ずかしそうに頬を染めながら。
えっへん、と胸を張って聞こえないふりをする。しばらくしたら、寝息が聞こえて来たから、この調子なら朝まで起きないだろう。
実のところ、サイがストライクの操縦に失敗して独房への謹慎が決まってからというもの、キラとフレイの関係がぎくしゃくしている事は、把握していた。
これまた頭の痛い問題の発生に、マリューたちが苦慮しているところだ。フレイは相変わらずキラに与えられた部屋を使用しているから、居づらいのだと思う。
ティアの使用している部屋には私物はないも等しいので、自分は医務室で過ごせばいいからと貸してしまってもいいのだが。いつまでも待遇面をそのままにしておいては、フレイの居場所がなくなってしまう。
現状、ティアにできることは、こうして医務室へ匿ってやって、気分転換になるようなことを提供してやるほかない。
しっかりキラが寝入っているのを確認してから、ティアは端末を手にもって、整備班の面々と密かに練っている計画の進行状況をチェックする。ストライクの設備にちょっとした手を加えたいことを相談したら、任意の協力者たちの手助けを受けることができるようになったのだ。
まだ、ほとんど進んでいないけど。圧倒的にキラへの負担が大きい状況下、万が一の場合に備えて、少しでもキラの生存率をあげてやりたいから。
「よーし、がんばるぞー!」小声で気合を入れながら、ティアは両腕を天高く掲げた。
──それから数日後には、アーク・エンジェルは“砂漠の虎”の異名を持つ敵将を討ち取り、ザフトの駐留軍を撤退させることに成功した。
激戦の末、アーク・エンジェルの艦体は再び負傷してしまったから、現在急ピッチで作業に追われている。ある程度機能面が維持できるところまでは終わらせなければ、アラスカへ向かう途中のザフトとの戦闘に耐えられない。かといって、時間をかけ過ぎれば反撃の準備を与えてしまう。
難しい判断が迫られる中、レジスタンスとの細やかな祝宴をあげ、舞台は砂漠から海辺へと移された。
「──なんとか、なりそうですか?」
ドック構内で、ティアは工具を片手に頭上を見上げる。そこにあるのは、敵軍のMSだ。
先の戦闘が始まる前、ティアは出撃する二人のパイロットにお願いをした。もし可能であれば、敵軍の機体を回収してほしい、と。
半ば冗談半分でもあったのだが、損傷の少ない状態の機体を回収して貰うことができた。恐らくは、海上戦闘という事で大気圏慣れしていないパイロットが大事を取り、脱出を優先させたからだろう。
スカイグラスパーから降りてきたムウが、疲れ切った顔で手柄を自慢してきたのはつい先ほど。その成果にティアは感動して思わず抱き着いて喜んでしまい、ナタルに睨まれたばかりである。
修理までそう時間はかからないだろう──MSのシステムチェックを行っている相手からの返答に、ティアはほっと息をつく。これならば、早い段階で自分もカガリを探しに出ることができそうだ。
──カガリが搭乗したスカイグラスパーが、未だに戻ってこない。
先ほどの戦闘、ムウとキラだけではどうしても対応が難しかった。それを見て名乗りを上げ、余っていた戦闘機に乗り込んで加勢してくれたのは、砂漠で出会った“レジスタンス”のメンバー、カガリ・ユラだった。
戦闘シミュレーションでの成績は、ムウや他の士官に続いて随分と成績がよく、成り行きでティアはカガリに手ほどきしていたのだが。まさかいきなり、行動を起こされた上に行方不明になってくれると思っていなかった。
決して深追いせず、支援にのみ専念するよう言ったのに。
カガリは普段素直で真っすぐな娘だが、思えば思い立ったら即行動、臨機応変ができるかと思えばやり過ぎて空回りするところがあった。しかも、ここぞという時に。
自分の判断が甘かったと、今更判断しても遅い。代わりに自分が乗っていた方がこんな大問題に至らなかったかもしれないと、悔いばかりが先立つ。
「ティア、お前はまた、こんなところで!」
再び、ザフトの機体の整備に取り掛かろうと道具を持って昇降機に乗ろうとしたところで、ナタルの制止の声。小走りで駆け寄ってくる士官に、ティアはあちゃあと苦笑い。
「まさかとは思うが、無茶なことを考えていないだろうな?」
敵軍の機体を整備してどうするのかと、眉を吊り上げて問うてくるから、ティアはぷいっと顔をそむけた。
「乗るんですよ。カガリさんを探しに行くだけだし、問題ないですよね?」
「戦闘になったらどうするつもりだ!」
わかりきっていることだが、アーク・エンジェルの戦闘力は旗艦とMS一機、スカイグラスパーの2機のみである。そのうちの1機が現在行方不明なので、これまで通りムウとキラだけだ。
そこで、たまたまタイミングよく手に入った敵軍機を活用するというのはいい手だと思うのだけど、ナタルは納得してくれない。
「戦闘になった時のことを考えて、“この子”を使うんですよ。さすがに、私だって戦闘出来るほど操縦はできないと思いますし」
荷物運びや整備の関係で機体を移動させる程度ならば問題はないのだけど。
ナタルはティアが過去にやらかしている事件を知らない。公にならないよう義兄に泣きついてほぼ隠滅してもらっているから当たり前だが。
「お前はパイロットではなく、軍医だろう!」
「やってみなければわからないじゃないですか。それに、動かせるようにしておいても損はないですよ。ストライクが損傷した時にキラ君なら使えそうですし」
ナタルはティアの機械いじりの手腕に関しては把握してくれている。けれど理解しているわけではない。だから余計に話がかみ合わない。
整備班の大半は、ティアがストライクのOSを理解していたり、スカイグラスパーの機能や操縦面などを一番把握しているのが彼女だと知っている。やろうと思えば操縦くらい出来るだろうな、と思っているだろう。
「それに、ナタル姉さん知ってるでしょ? 私が頑固なの」
あれこれ並べたけれど結局のところ、ナタルを黙らせるのはこの一言だ。ティアは一度決めたらなかなか折れない。勿論、無理に結果を引き延ばしたりせず、規定を自分の中で立ててからではあるが。
今回は、ザフトの機体を修理して、実際操縦できるかどうか。できなければそこまでだと決めている。「……本当に、まったく」決して納得したわけではない顔で、ナタルが肩をすくめた。
「はあ、センセイくらいだろうなあ。バジルール中尉をあんな風に弄べるのはよお」
「マードック軍曹、ちょっと酷い」
戦闘に出ず、無茶もしない。念押しされそれに答えたティアを残して、ブリッジに戻っていくナタルの背中に、成り行きをちゃっかり見守っていたらしいマードックが歩み寄ってきた。
彼からの評価にティアが頬を膨らませる。弄ぶなんてとんでもない。わがままを聞いてもらっただけである。
「それは中尉に悪いぜ、センセイ。あの人、すげえ面倒見てんじゃねえか。さっきなんて顔拭いてくれたろ」
指摘されて、確かにちょっと甘えすぎな気がしてきた。素直に反省する。
後でちゃんと、お礼を言わないと。しゅんとなって自戒するティアを満足げに笑ったマードックが、ぽんと背中を叩いてくれた。
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ストライクのエネルギーが尽きるギリギリで、アーク・エンジェルに戻ってきたキラが目を丸くしているのを見て、ティアは思わず照れた。パイロットスーツを脱ぎに来たであろう少年と向き合う自身の格好が、今の彼と同じものだったからだ。
「お帰りなさい。カガリさんの捜索は、多分私が引き継げますので休んでください」
「ティアさん、もしかしてあれ……ザフトの機体に、乗ろうとか?」
ストライクは現在調整に入ったばかり。引き継ぐというならば、キラがもう一度出ればいいこと。それでも、少し時間がかかる。
普段何もないところに鹵獲したばかりの敵軍の機体が収まっているのに違和感を感じていたろうが、合点がいったというか、驚愕の表情だ。
「とはいっても、まだ試運転がこれからなんですが。操縦できるなって確信を得てからです」
「無茶ですよ! ティアさんがストライクの簡単な操縦が出来るのは知ってますけど」
みんな同じことを言う。当たり前なのだけど。操縦できなかったらちゃんと諦めるのに。
キラだって、ヘリオポリスでストライクに乗って、OSを弄って現在も乗っているのだ。ティアだってちょっと頑張ればいけるかもしれないじゃないか。
「それは、僕が──」
「よーし。じゃあ、私が“あの子”を動かせたら、キラ君は私のお願いを一個聞くっていうのはどうです?」
ティアはキラの鼻先に人差し指を押し付けて遮った。動かせなかったら、ティアがキラのお願いを一個聞く。賭け事としては可愛い物だろう。
ええ、と固まっているキラを差し置いて、腕を組んで考える。キラへのお願い、何にしよう。ここは宣言しておいた方がいい気がする。でも特に何もないし。うーん。
「じゃ、添い寝で」
「は?」
今なんて言った──ぽかんとなって絶句する少年を置いて、ティアはMSへ向かって歩き出した。ハッとなってキラも着いてくる。「ティアさん、ちょっとそれはおかしくないですか」どこかあたふたしている。
そんなにおかしい事を言っただろうか。もしかして、キラはお泊り会とかしたことないのだろうか。友達と布団を並べて雑魚寝。幼少期と士官学校時代にしか経験はないけど。
「今は他に思いつかなくて。キラ君も考えてください、結果はすぐ出ちゃうと思いますし」
「確かにコクピット入っちゃえばそう時間はかからないでしょうけど、あの、僕はもう、16歳で、男ですよ?」
キラの慌てふためきように首を傾げつつ、ティアはMSのコクピットへ潜り込んだ。キラは確かに可愛い顔立ちをしているけど男だと知っているし、年齢も名簿で見ている。なんなら誕生日だって。
それがどうかしたんだろうか。
OSを立ち上げて、起動させる。万が一ザフト側から遠隔操作などされないように対応策はすでに組み終えているから問題なさそうだ。
後は、実際にカタパルトデッキ内を動き回ったりして様子を見るだけ。
「なんか自信出てきました! キラ君は離れて見ててください」
「ええー……このままじゃ添い寝が確定だけどいいの?」
「うん? 私はそれでいいと思ってますけど……」
呆然とした様子でキラから尋ねられ──敬語が抜け落ちている──ティアは返事をしつつ、ハッとなった。もしかして、キラは嫌がっているのでは。
確かに一緒に寝るだなんてちょっと気安くしすぎているかもしれない。「あ、でも嫌だったら別のを考えるので」ここへ来てパワハラを行っていることに気付いてしまった、軍医なのに。
真っ青になるティアの様子を怪訝そうに眺めていたキラが、どこか諦めたような、困ったような様子で頷いた。
「わかりました。添い寝、僕もそれで」
「嫌なら拒んでいいんですよ、パワハラは本意ではなく!」
むしろ考えが及ばなくてごめんなさい、とティアは真っ赤になる頬を両手でおさえる。久々に盛大にやらかした。恥ずかしい。
「パワハラ?」きょとんとした様子で何やら明後日の方向を見て数秒後、キラは笑顔で「今更取下げは認めません」と手を振って。
「一緒に寝るの楽しみですね!」
ティアの視界から、キラが消える。
ちょっと待ってほしい。ティアが操縦出来たらキラと添い寝。操縦できなかったらティアはキラと添い寝。結局添い寝だ。この賭け事に何の意味が。
話を聞いていたらしい整備班連中から笑われ、ティアは羞恥に震えながらハッチを閉め、一通り呻いてから作業を再開する。
そして、機体を一歩ずつ、ゆっくりと動かした。少し違う部分もあるが、だいたいはストライクと一緒だ。機体の腕回り、駆動の把握、一通りの簡単な操作を試みて操縦に問題ないことを把握する。
格納庫の上部階から、ナタルが目を丸くして眺めているのが見えた。スカイグラスパーの辺りで見上げているムウとキラも、驚いた様子だ。
「フラガ少佐、キラくんも見てください! 操縦できました!」
「あー、ほんとね。お兄さんたちびっくりだよ!」
ほら──機体の両腕をぶんぶん振りながら報告すると、変な顔で笑いながら返してくれる。もっと素直に褒めてほしい。
その後は、カタパルトデッキを歩いて移動して、飛行が出来る機体なので正常に動作するかの確認。問題なさそうだ。
「試運転も問題ないので、早速行ってきたいと思います」
《そんなに楽しそうな顔をされてしまうと、今更駄目だとも言いづらいわ》
ブリッジに出撃することを連絡する旨の通信を入れる。モニターの向こうでは、艦長のマリューが苦笑いしていた。駄目と言われても出るつもり満々なのは口に出さずにおこう。
《ティアさん、本当に大丈夫なの?》
ミリアリアが心配そうに語り掛けて来たので、問題ないと返答した。
「MAですけど、操縦したことがないわけではないので」
《──待て、どういうことだ?》
心配する相手を安心させようとしたところ、墓穴を掘った。ナタルからの介入に、ティアは思わず口元をおさえる。これは調べようと思えば出てくる話題ではあるが、果たしてティアの名前で出てくるかどうか。
正直、言いたくない。
《約束は守れよ》
「ナタル姉さん、大好きです!」
割と長めの沈黙の後、引き下がったのはナタルの方だった。先ほどの格納庫でのやり取りに続いて、甘えっぱなしで申し訳ない。
なので、心から感謝している気持ちを口にした。相手はぎょっとした顔だ。
何か文句を言われそうな気がしたので、ティアは言い逃げの形で通信を切り、カタパルトデッキから飛び出した。ザフトの機体は紫色の、確かディンとかいう機体だったはず。
MSだと戦闘機とは違って間合いの把握が難しい。飛びながら手足を動かしたり旋回したりして、どういう動きをするとどう影響するのか確認しながら、スカイグラスパーが連絡を立った方角へ向かう。
ある程度機体の癖を確認したところで、ティアは自前のノートパソコンを取り出す。スカイグラスパーが辿ったであろう“推測”の行程を何パターン化表示されるよう設定してある。それを機体のレーダーと連動するよう設定し、予想進路のうち、近くもなく遠くもない地点のものに狙いを絞る。
ティアが機械に強くなったのは、確か親友の影響だった。それだけではない、医学書を眺めていたのだってその少年の方が先だった。
緑色の済んだ眼をして、難しいなあとぼやきながら青い髪を弄っては、でも頑張るぞと気合を入れていた。
システム構築の面ではティアの方が得意で、親友は組み立てなどの部分が得意。手先の器用さだったら、彼の方が断然上。
そんな親友は、もういないけれど。
少し寂しい気持ちを抱いたところで、ティアは目当ての機体が孤島の砂浜に打ち上げあれているのを発見した。目に見える範囲に酷い損傷は見当たらないから、カガリが生存している可能性は高い。
「もぬけの殻……日中の外気温を考えれば、降りて日陰へ移動したのかな」
ディンを傍に降下させ、機体の様子をさっと確認する。負傷した形跡は操縦席にはないことを確認した後。コクピットに戻って持ってきた医療セットと──護身用の銃を手に取った。
途端に──真っ白な床に、血まみれで倒れた少年の姿が甦る。
銃を持つのは、白い服の男だ。義兄である。
『俺たちさ、よくあいつと一緒にいられるよな』
窓から吹き込んでくるそよ風が、医学書のページを撫でていく。
あの日、親友は拳銃をくるくると弄んで続けた。コーディネイターは排除すべき対象だと言って平気で引き金を引いている人物の事を口にしながら。
コーディネイターとナチュラルと。それだけの違いで殺していい理由になることを嘆いていた。寂しそうな口調で。
『あいつも、苦しいだろうな──』
手にした銃がティアの手から離れて海に落下する。小刻みに震える手を、抱え込むように抱いて収まるのを待った。
「まさか、こんなに早く捜索が来るとは思っていなかった」
突然の気配に、驚いてティアは見下ろした。機体の足元に影。暗くてわからないが男の声だ。カガリではない。
嫌な予感がした。
「通信がなかなら繋がらなくて困っていたんだ。色々と迷惑をかけた」
警戒する様子もない声に、ティアは返す言葉が見つからない。
相手が普通に語り掛けてくるのも無理はないだろう。ティアが乗ってきた機体は、ザフトの機体なのだから。
「カーペンタリアの方はどうなっているか、教えてほしいのだが」
眩暈と脱力感に、コクピットから落ちそうになる。相手はザフト兵だ。
どうしよう。銃はさっき落としてしまったし、武器になるようなものはない。いや、あるけど医療道具だし。
対応に困っていると、どうした、と下から不思議そうな声。ティアは慌てて返事をした。でもカーペンタリア基地については何もお答えできない。
「とりあえず、こんな視界のはっきりしない中を移動するのは危険だ。この海域に地球軍が潜んでいるようだから、今晩はこのままやり過ごそう」
近くで野営しているから来るといい──そういって引き上げていく兵士。結構肝が据わっている人物だと思う。いつ助けが来るかわからない中であの余裕。声はまだ若々しかったけれど。
「ちょっと、待ってくださいませんか」
ティアは、途方に暮れながらも立ち上がった。自分にはカガリを捜索するという使命がある。あのザフト兵と一緒に行かなくても、ちょっと周辺を見て回ってきますとか言っておけば大丈夫なはずだ。
「この、戦闘機に搭乗していたと思われる人間を探さないと」
「ああ。それに乗っていた奴も一緒だよ」
念のため、これから自分のしたい事を口にしてみたら、知りたかった情報を教えて貰えた。カガリは捕獲されている。探し回らなくて済んだけれど、この場合どうしたらいいだろう。ディンの足元にまだあるだろうか、銃。
「だが、彼女が言うには地球軍ではないらしい。戦闘機は地球軍のOSなんだけどな。これが変な奴で」
カガリの言っていることは間違っていない。彼女は民間人だ。機体が地球軍のものなだけ。ご指摘の通り、全く持って第三者にしてみれば理解不能だろう。
だからこそ、ティアはカガリの身柄を守らなければならない。自分は軍人で、彼女は違うからだ。この場合どうしたらいいだろうか。人身交換が適当だろうとは思うが。ティアがザフトに捕まったら捕まったで、別の問題が発生するけれど。
「もしかすると、手っ取り早くいく可能性も……?」
「何か言ったか?」
「いえ。その女性のこと、連れて帰る、んですよね」
コクピットからワイヤーで砂浜へ降り立ちながら熟考していると、口から出ていたのか、相手が問い返してくる。聞こえてなくてよかった。
相手の出方を伺いながら、距離を詰める。申し訳ないが、カガリは返してもらわなければ。相手の動きを封じる事だけに専念する。
「……状況次第では、必要ないと思っている」
少しの間をおいて、思いがけない返事。驚きの声をあげると、相手は言葉を濁すようにして「救難信号を出しているようだから、迎えが来るようであればだが」と柔軟な対応を考えているようだ。
どうしてそういう考えに至ったのだろうか。カガリの言い分を疑いもせずに信じたのか。
この大気圏内においては圧倒的少数であるはずの、コーディネイターの、ザフトの兵士が。
『戦うしかなかろう、互いが滅びるまで!』
砂漠の激戦の中、ストライクと死闘を繰り広げた敵将の言葉が甦る。ティアはキラのメンタルケアを任されたことから、戦闘中のストライクの通信を傍受していた。キラは中々弱音を吐いてくれない。監視するような真似をして申し訳ないとは思っている。
「このまま、この海域に残していくことになりそうであれば、連れて行くのが望ましいとは思うんだが。協力してもらえると助かる」
コーディネイターである少年兵は、カガリに敵意を抱いていないようだ。
ティアは、思わずぺたんとその場に座り込んでしまった。よかった。
そう思った瞬間、頭がぐわんぐわんと回り始めて。上体を起こしている事もままならず、蹲ってしまう。
「おい、どうした?」
驚いた様子で駆け寄ってきたザフト兵の足が、手前で止まる。
夜闇で視界はきかないとはいえ、ここまで近づけばわかったのだろう。ティアの纏うパイロットスーツが見慣れないものであることに。
「よかった。殺さなくていいんだ……」
緊迫した口調で誰何されたのを認識したところで、意識がぷつんと、途切れたことだけ知覚した。
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「──もう、駄目じゃないですか!」
そう言いながら鼻先に人差し指を突き付けると、紫の大きな目が丸くなった。
街から戻った翌日。何事もなく一日が過ぎ、夜も更ける頃合い。部屋に戻って休むこともせずに格納庫のストライクの足元に佇むキラを見つけた。
今のところ戦闘に至ってはいないが、いつそうなってもおかしくないのだ。眠るべき時は眠ってもらわないと困る。それで、怪我をして痛い思いをするのは彼なのだから。
「まさかとは思いますが、こんなところで寝ようとか思っていませんよね」
「あっもう、ストライクの中で寝ようとか考えてないですよ、約束だし!」
キラがストライクのコクピット内で寝泊りしていた事実が発覚した際、以後見つけたら“ティアが甲板で寝る”と宣言することで禁止した。話を聞きつけたナタルには“冗談です”と言っておいたが本気だ。寝袋ありでもなしでも実地演習などで経験したことはあるから苦ではない。
一度くらいは破ってしまうのではないかと思い、いつでも実行できるよう寝袋を常備しているのだが、今のところ必要なさそうだ。
「ティアさんは、まだ休まないんですか?」
「私は夜勤当番なのです。その前に、少し体を動かそうかと」
先ほどまでは部屋で微睡んだりして過ごしていた。軍医とはいえ一軍人、体を多少なりとも鍛えておくことは必要だ。
交替まで時間があるので、広い格納庫で本格的に体を動かそうと立ち寄ってみれば、こうしてキラとの遭遇である。ある意味よかった。今朝会った時、目元にクマがあるのに気づいていたから。
「キラ君、一緒にストレッチしません? 二人一組でやるやつ」
「いいですよ、お付き合いします」
もとより体を動かす気でいたので、今のティアはパンツのスタイルだ。お互い軍服の上着を脱いで準備した後、ティアは両膝とつま先で体を支え、そのまま上半身を前方に倒しながら両手を床につける。土下座のような格好だ。
「このまま上半身を伸ばしたいので、キラ君は私の肩甲骨あたりを両手でゆっくり押して貰っていいですか?」
立膝で向き合っているキラに指示して、両腕を前に伸ばしながら体を伸ばす。キラに負荷をかけて貰う事で腰と背中が伸びて気持ちいい。
その後は、背後に体育座りをしてもらい、足を伸ばして座るティアの両腕を持ってもらう。そのまま、足裏で背中を適当に踏んで貰い、コリをほぐしたり。
「あーこれ気持ちいい、伸びるー」
「コクピット内で姿勢を変えたりするの難しいでしょう。このストレッチは働く誰もが気持ちいいだろうものなのです」
交替してキラの背中を足裏で刺激してやれば、気持ちよさそうなうめき声。
少しは体を休めようという気にでもなってくれればいいのだが。
体をほぐしたことで、体が眠たい、という気を起こしたのだろう。とろん、とした顔で大人しくなったキラはそのままに、ティアは心を静めてから一人で組み手を始める。
本当は相手がいるといいのだが、こんな夜更けにそんな相手を求めては贅沢だろう。
「ティアさん、すごい動けるんですね。なんか意外」
「一応わたしも士官ですので。指示するだけじゃ従ってくれる相手に悪いでしょう?」
ぽかん、とした様子で問われてしまい、ティアは答えながら動作を少しずつゆっくりしたものに変え、体を動かすのをやめた。久々だったから可動域が少しよろしくない。近日中にムウでも捕まえて体術の所作を矯正しなければ。
深呼吸をして調子を整えていると、キラが預かってくれていたタオルを差し出してくれた。
「憧れるなあ、僕はあまり運動得意な方じゃなくて」
「私も得意というわけでは。格闘術というよりは、護身術のようなものなら一応褒められる出来ではあるのですが」
本格的に体を動かしたわけではないので、そんなに汗はかかなかったけれど、医務室にいったら体を拭こう。そんなことを考えつつ、どこか目をキラキラさせている少年に気づいて、思わず笑った。
「簡単な所作、覚えてみましょうか? 鍛えておいて損はないですよ」
「できるかなあ」
不安そうな声をあげながらも、キラは拒否はしなかった。
アルテミスや、先日砂漠の街でテロに巻き込まれた事で実感しているのだろう。本格的な訓練を受けていれば、もう少しうまく立ち回れたかもしれないのだから。
手元の時計を見ると、交替時間が差し迫っている。医務室に移動しながら、ティアは続けた。
護身術として身につけておきたいと思って選択したサバットという格闘術。もとより武器を持った相手を想定し、守り重視の戦闘スタイルだ。普及は紳士向けだった為、軍服でも動きやすい。杖を使って遠距離を、近接では手足を用い、関節技や投げ技もある。
競技ともなると制限が色々とあるならば、なりふり構わない状況にあっては結構多岐に渡って対応できると思っている。腕の関節や急所について実際に試してやったところ、キラは悶絶してベッドに撃沈してしまったが。
自然と睡魔が襲ってきたのだろう。微睡み始めるキラに布団をかけてやる。
「余計な仕事を増やしてすみません」
「いいえ、むしろ歓迎ですね。ちゃんと寝てくれてるのがわかるもの」
よしよし、と頭を撫でてやると、「子ども扱いして」と文句を言われてしまった。恥ずかしそうに頬を染めながら。
えっへん、と胸を張って聞こえないふりをする。しばらくしたら、寝息が聞こえて来たから、この調子なら朝まで起きないだろう。
実のところ、サイがストライクの操縦に失敗して独房への謹慎が決まってからというもの、キラとフレイの関係がぎくしゃくしている事は、把握していた。
これまた頭の痛い問題の発生に、マリューたちが苦慮しているところだ。フレイは相変わらずキラに与えられた部屋を使用しているから、居づらいのだと思う。
ティアの使用している部屋には私物はないも等しいので、自分は医務室で過ごせばいいからと貸してしまってもいいのだが。いつまでも待遇面をそのままにしておいては、フレイの居場所がなくなってしまう。
現状、ティアにできることは、こうして医務室へ匿ってやって、気分転換になるようなことを提供してやるほかない。
しっかりキラが寝入っているのを確認してから、ティアは端末を手にもって、整備班の面々と密かに練っている計画の進行状況をチェックする。ストライクの設備にちょっとした手を加えたいことを相談したら、任意の協力者たちの手助けを受けることができるようになったのだ。
まだ、ほとんど進んでいないけど。圧倒的にキラへの負担が大きい状況下、万が一の場合に備えて、少しでもキラの生存率をあげてやりたいから。
「よーし、がんばるぞー!」小声で気合を入れながら、ティアは両腕を天高く掲げた。
──それから数日後には、アーク・エンジェルは“砂漠の虎”の異名を持つ敵将を討ち取り、ザフトの駐留軍を撤退させることに成功した。
激戦の末、アーク・エンジェルの艦体は再び負傷してしまったから、現在急ピッチで作業に追われている。ある程度機能面が維持できるところまでは終わらせなければ、アラスカへ向かう途中のザフトとの戦闘に耐えられない。かといって、時間をかけ過ぎれば反撃の準備を与えてしまう。
難しい判断が迫られる中、レジスタンスとの細やかな祝宴をあげ、舞台は砂漠から海辺へと移された。
「──なんとか、なりそうですか?」
ドック構内で、ティアは工具を片手に頭上を見上げる。そこにあるのは、敵軍のMSだ。
先の戦闘が始まる前、ティアは出撃する二人のパイロットにお願いをした。もし可能であれば、敵軍の機体を回収してほしい、と。
半ば冗談半分でもあったのだが、損傷の少ない状態の機体を回収して貰うことができた。恐らくは、海上戦闘という事で大気圏慣れしていないパイロットが大事を取り、脱出を優先させたからだろう。
スカイグラスパーから降りてきたムウが、疲れ切った顔で手柄を自慢してきたのはつい先ほど。その成果にティアは感動して思わず抱き着いて喜んでしまい、ナタルに睨まれたばかりである。
修理までそう時間はかからないだろう──MSのシステムチェックを行っている相手からの返答に、ティアはほっと息をつく。これならば、早い段階で自分もカガリを探しに出ることができそうだ。
──カガリが搭乗したスカイグラスパーが、未だに戻ってこない。
先ほどの戦闘、ムウとキラだけではどうしても対応が難しかった。それを見て名乗りを上げ、余っていた戦闘機に乗り込んで加勢してくれたのは、砂漠で出会った“レジスタンス”のメンバー、カガリ・ユラだった。
戦闘シミュレーションでの成績は、ムウや他の士官に続いて随分と成績がよく、成り行きでティアはカガリに手ほどきしていたのだが。まさかいきなり、行動を起こされた上に行方不明になってくれると思っていなかった。
決して深追いせず、支援にのみ専念するよう言ったのに。
カガリは普段素直で真っすぐな娘だが、思えば思い立ったら即行動、臨機応変ができるかと思えばやり過ぎて空回りするところがあった。しかも、ここぞという時に。
自分の判断が甘かったと、今更判断しても遅い。代わりに自分が乗っていた方がこんな大問題に至らなかったかもしれないと、悔いばかりが先立つ。
「ティア、お前はまた、こんなところで!」
再び、ザフトの機体の整備に取り掛かろうと道具を持って昇降機に乗ろうとしたところで、ナタルの制止の声。小走りで駆け寄ってくる士官に、ティアはあちゃあと苦笑い。
「まさかとは思うが、無茶なことを考えていないだろうな?」
敵軍の機体を整備してどうするのかと、眉を吊り上げて問うてくるから、ティアはぷいっと顔をそむけた。
「乗るんですよ。カガリさんを探しに行くだけだし、問題ないですよね?」
「戦闘になったらどうするつもりだ!」
わかりきっていることだが、アーク・エンジェルの戦闘力は旗艦とMS一機、スカイグラスパーの2機のみである。そのうちの1機が現在行方不明なので、これまで通りムウとキラだけだ。
そこで、たまたまタイミングよく手に入った敵軍機を活用するというのはいい手だと思うのだけど、ナタルは納得してくれない。
「戦闘になった時のことを考えて、“この子”を使うんですよ。さすがに、私だって戦闘出来るほど操縦はできないと思いますし」
荷物運びや整備の関係で機体を移動させる程度ならば問題はないのだけど。
ナタルはティアが過去にやらかしている事件を知らない。公にならないよう義兄に泣きついてほぼ隠滅してもらっているから当たり前だが。
「お前はパイロットではなく、軍医だろう!」
「やってみなければわからないじゃないですか。それに、動かせるようにしておいても損はないですよ。ストライクが損傷した時にキラ君なら使えそうですし」
ナタルはティアの機械いじりの手腕に関しては把握してくれている。けれど理解しているわけではない。だから余計に話がかみ合わない。
整備班の大半は、ティアがストライクのOSを理解していたり、スカイグラスパーの機能や操縦面などを一番把握しているのが彼女だと知っている。やろうと思えば操縦くらい出来るだろうな、と思っているだろう。
「それに、ナタル姉さん知ってるでしょ? 私が頑固なの」
あれこれ並べたけれど結局のところ、ナタルを黙らせるのはこの一言だ。ティアは一度決めたらなかなか折れない。勿論、無理に結果を引き延ばしたりせず、規定を自分の中で立ててからではあるが。
今回は、ザフトの機体を修理して、実際操縦できるかどうか。できなければそこまでだと決めている。「……本当に、まったく」決して納得したわけではない顔で、ナタルが肩をすくめた。
「はあ、センセイくらいだろうなあ。バジルール中尉をあんな風に弄べるのはよお」
「マードック軍曹、ちょっと酷い」
戦闘に出ず、無茶もしない。念押しされそれに答えたティアを残して、ブリッジに戻っていくナタルの背中に、成り行きをちゃっかり見守っていたらしいマードックが歩み寄ってきた。
彼からの評価にティアが頬を膨らませる。弄ぶなんてとんでもない。わがままを聞いてもらっただけである。
「それは中尉に悪いぜ、センセイ。あの人、すげえ面倒見てんじゃねえか。さっきなんて顔拭いてくれたろ」
指摘されて、確かにちょっと甘えすぎな気がしてきた。素直に反省する。
後でちゃんと、お礼を言わないと。しゅんとなって自戒するティアを満足げに笑ったマードックが、ぽんと背中を叩いてくれた。
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ストライクのエネルギーが尽きるギリギリで、アーク・エンジェルに戻ってきたキラが目を丸くしているのを見て、ティアは思わず照れた。パイロットスーツを脱ぎに来たであろう少年と向き合う自身の格好が、今の彼と同じものだったからだ。
「お帰りなさい。カガリさんの捜索は、多分私が引き継げますので休んでください」
「ティアさん、もしかしてあれ……ザフトの機体に、乗ろうとか?」
ストライクは現在調整に入ったばかり。引き継ぐというならば、キラがもう一度出ればいいこと。それでも、少し時間がかかる。
普段何もないところに鹵獲したばかりの敵軍の機体が収まっているのに違和感を感じていたろうが、合点がいったというか、驚愕の表情だ。
「とはいっても、まだ試運転がこれからなんですが。操縦できるなって確信を得てからです」
「無茶ですよ! ティアさんがストライクの簡単な操縦が出来るのは知ってますけど」
みんな同じことを言う。当たり前なのだけど。操縦できなかったらちゃんと諦めるのに。
キラだって、ヘリオポリスでストライクに乗って、OSを弄って現在も乗っているのだ。ティアだってちょっと頑張ればいけるかもしれないじゃないか。
「それは、僕が──」
「よーし。じゃあ、私が“あの子”を動かせたら、キラ君は私のお願いを一個聞くっていうのはどうです?」
ティアはキラの鼻先に人差し指を押し付けて遮った。動かせなかったら、ティアがキラのお願いを一個聞く。賭け事としては可愛い物だろう。
ええ、と固まっているキラを差し置いて、腕を組んで考える。キラへのお願い、何にしよう。ここは宣言しておいた方がいい気がする。でも特に何もないし。うーん。
「じゃ、添い寝で」
「は?」
今なんて言った──ぽかんとなって絶句する少年を置いて、ティアはMSへ向かって歩き出した。ハッとなってキラも着いてくる。「ティアさん、ちょっとそれはおかしくないですか」どこかあたふたしている。
そんなにおかしい事を言っただろうか。もしかして、キラはお泊り会とかしたことないのだろうか。友達と布団を並べて雑魚寝。幼少期と士官学校時代にしか経験はないけど。
「今は他に思いつかなくて。キラ君も考えてください、結果はすぐ出ちゃうと思いますし」
「確かにコクピット入っちゃえばそう時間はかからないでしょうけど、あの、僕はもう、16歳で、男ですよ?」
キラの慌てふためきように首を傾げつつ、ティアはMSのコクピットへ潜り込んだ。キラは確かに可愛い顔立ちをしているけど男だと知っているし、年齢も名簿で見ている。なんなら誕生日だって。
それがどうかしたんだろうか。
OSを立ち上げて、起動させる。万が一ザフト側から遠隔操作などされないように対応策はすでに組み終えているから問題なさそうだ。
後は、実際にカタパルトデッキ内を動き回ったりして様子を見るだけ。
「なんか自信出てきました! キラ君は離れて見ててください」
「ええー……このままじゃ添い寝が確定だけどいいの?」
「うん? 私はそれでいいと思ってますけど……」
呆然とした様子でキラから尋ねられ──敬語が抜け落ちている──ティアは返事をしつつ、ハッとなった。もしかして、キラは嫌がっているのでは。
確かに一緒に寝るだなんてちょっと気安くしすぎているかもしれない。「あ、でも嫌だったら別のを考えるので」ここへ来てパワハラを行っていることに気付いてしまった、軍医なのに。
真っ青になるティアの様子を怪訝そうに眺めていたキラが、どこか諦めたような、困ったような様子で頷いた。
「わかりました。添い寝、僕もそれで」
「嫌なら拒んでいいんですよ、パワハラは本意ではなく!」
むしろ考えが及ばなくてごめんなさい、とティアは真っ赤になる頬を両手でおさえる。久々に盛大にやらかした。恥ずかしい。
「パワハラ?」きょとんとした様子で何やら明後日の方向を見て数秒後、キラは笑顔で「今更取下げは認めません」と手を振って。
「一緒に寝るの楽しみですね!」
ティアの視界から、キラが消える。
ちょっと待ってほしい。ティアが操縦出来たらキラと添い寝。操縦できなかったらティアはキラと添い寝。結局添い寝だ。この賭け事に何の意味が。
話を聞いていたらしい整備班連中から笑われ、ティアは羞恥に震えながらハッチを閉め、一通り呻いてから作業を再開する。
そして、機体を一歩ずつ、ゆっくりと動かした。少し違う部分もあるが、だいたいはストライクと一緒だ。機体の腕回り、駆動の把握、一通りの簡単な操作を試みて操縦に問題ないことを把握する。
格納庫の上部階から、ナタルが目を丸くして眺めているのが見えた。スカイグラスパーの辺りで見上げているムウとキラも、驚いた様子だ。
「フラガ少佐、キラくんも見てください! 操縦できました!」
「あー、ほんとね。お兄さんたちびっくりだよ!」
ほら──機体の両腕をぶんぶん振りながら報告すると、変な顔で笑いながら返してくれる。もっと素直に褒めてほしい。
その後は、カタパルトデッキを歩いて移動して、飛行が出来る機体なので正常に動作するかの確認。問題なさそうだ。
「試運転も問題ないので、早速行ってきたいと思います」
《そんなに楽しそうな顔をされてしまうと、今更駄目だとも言いづらいわ》
ブリッジに出撃することを連絡する旨の通信を入れる。モニターの向こうでは、艦長のマリューが苦笑いしていた。駄目と言われても出るつもり満々なのは口に出さずにおこう。
《ティアさん、本当に大丈夫なの?》
ミリアリアが心配そうに語り掛けて来たので、問題ないと返答した。
「MAですけど、操縦したことがないわけではないので」
《──待て、どういうことだ?》
心配する相手を安心させようとしたところ、墓穴を掘った。ナタルからの介入に、ティアは思わず口元をおさえる。これは調べようと思えば出てくる話題ではあるが、果たしてティアの名前で出てくるかどうか。
正直、言いたくない。
《約束は守れよ》
「ナタル姉さん、大好きです!」
割と長めの沈黙の後、引き下がったのはナタルの方だった。先ほどの格納庫でのやり取りに続いて、甘えっぱなしで申し訳ない。
なので、心から感謝している気持ちを口にした。相手はぎょっとした顔だ。
何か文句を言われそうな気がしたので、ティアは言い逃げの形で通信を切り、カタパルトデッキから飛び出した。ザフトの機体は紫色の、確かディンとかいう機体だったはず。
MSだと戦闘機とは違って間合いの把握が難しい。飛びながら手足を動かしたり旋回したりして、どういう動きをするとどう影響するのか確認しながら、スカイグラスパーが連絡を立った方角へ向かう。
ある程度機体の癖を確認したところで、ティアは自前のノートパソコンを取り出す。スカイグラスパーが辿ったであろう“推測”の行程を何パターン化表示されるよう設定してある。それを機体のレーダーと連動するよう設定し、予想進路のうち、近くもなく遠くもない地点のものに狙いを絞る。
ティアが機械に強くなったのは、確か親友の影響だった。それだけではない、医学書を眺めていたのだってその少年の方が先だった。
緑色の済んだ眼をして、難しいなあとぼやきながら青い髪を弄っては、でも頑張るぞと気合を入れていた。
システム構築の面ではティアの方が得意で、親友は組み立てなどの部分が得意。手先の器用さだったら、彼の方が断然上。
そんな親友は、もういないけれど。
少し寂しい気持ちを抱いたところで、ティアは目当ての機体が孤島の砂浜に打ち上げあれているのを発見した。目に見える範囲に酷い損傷は見当たらないから、カガリが生存している可能性は高い。
「もぬけの殻……日中の外気温を考えれば、降りて日陰へ移動したのかな」
ディンを傍に降下させ、機体の様子をさっと確認する。負傷した形跡は操縦席にはないことを確認した後。コクピットに戻って持ってきた医療セットと──護身用の銃を手に取った。
途端に──真っ白な床に、血まみれで倒れた少年の姿が甦る。
銃を持つのは、白い服の男だ。義兄である。
『俺たちさ、よくあいつと一緒にいられるよな』
窓から吹き込んでくるそよ風が、医学書のページを撫でていく。
あの日、親友は拳銃をくるくると弄んで続けた。コーディネイターは排除すべき対象だと言って平気で引き金を引いている人物の事を口にしながら。
コーディネイターとナチュラルと。それだけの違いで殺していい理由になることを嘆いていた。寂しそうな口調で。
『あいつも、苦しいだろうな──』
手にした銃がティアの手から離れて海に落下する。小刻みに震える手を、抱え込むように抱いて収まるのを待った。
「まさか、こんなに早く捜索が来るとは思っていなかった」
突然の気配に、驚いてティアは見下ろした。機体の足元に影。暗くてわからないが男の声だ。カガリではない。
嫌な予感がした。
「通信がなかなら繋がらなくて困っていたんだ。色々と迷惑をかけた」
警戒する様子もない声に、ティアは返す言葉が見つからない。
相手が普通に語り掛けてくるのも無理はないだろう。ティアが乗ってきた機体は、ザフトの機体なのだから。
「カーペンタリアの方はどうなっているか、教えてほしいのだが」
眩暈と脱力感に、コクピットから落ちそうになる。相手はザフト兵だ。
どうしよう。銃はさっき落としてしまったし、武器になるようなものはない。いや、あるけど医療道具だし。
対応に困っていると、どうした、と下から不思議そうな声。ティアは慌てて返事をした。でもカーペンタリア基地については何もお答えできない。
「とりあえず、こんな視界のはっきりしない中を移動するのは危険だ。この海域に地球軍が潜んでいるようだから、今晩はこのままやり過ごそう」
近くで野営しているから来るといい──そういって引き上げていく兵士。結構肝が据わっている人物だと思う。いつ助けが来るかわからない中であの余裕。声はまだ若々しかったけれど。
「ちょっと、待ってくださいませんか」
ティアは、途方に暮れながらも立ち上がった。自分にはカガリを捜索するという使命がある。あのザフト兵と一緒に行かなくても、ちょっと周辺を見て回ってきますとか言っておけば大丈夫なはずだ。
「この、戦闘機に搭乗していたと思われる人間を探さないと」
「ああ。それに乗っていた奴も一緒だよ」
念のため、これから自分のしたい事を口にしてみたら、知りたかった情報を教えて貰えた。カガリは捕獲されている。探し回らなくて済んだけれど、この場合どうしたらいいだろう。ディンの足元にまだあるだろうか、銃。
「だが、彼女が言うには地球軍ではないらしい。戦闘機は地球軍のOSなんだけどな。これが変な奴で」
カガリの言っていることは間違っていない。彼女は民間人だ。機体が地球軍のものなだけ。ご指摘の通り、全く持って第三者にしてみれば理解不能だろう。
だからこそ、ティアはカガリの身柄を守らなければならない。自分は軍人で、彼女は違うからだ。この場合どうしたらいいだろうか。人身交換が適当だろうとは思うが。ティアがザフトに捕まったら捕まったで、別の問題が発生するけれど。
「もしかすると、手っ取り早くいく可能性も……?」
「何か言ったか?」
「いえ。その女性のこと、連れて帰る、んですよね」
コクピットからワイヤーで砂浜へ降り立ちながら熟考していると、口から出ていたのか、相手が問い返してくる。聞こえてなくてよかった。
相手の出方を伺いながら、距離を詰める。申し訳ないが、カガリは返してもらわなければ。相手の動きを封じる事だけに専念する。
「……状況次第では、必要ないと思っている」
少しの間をおいて、思いがけない返事。驚きの声をあげると、相手は言葉を濁すようにして「救難信号を出しているようだから、迎えが来るようであればだが」と柔軟な対応を考えているようだ。
どうしてそういう考えに至ったのだろうか。カガリの言い分を疑いもせずに信じたのか。
この大気圏内においては圧倒的少数であるはずの、コーディネイターの、ザフトの兵士が。
『戦うしかなかろう、互いが滅びるまで!』
砂漠の激戦の中、ストライクと死闘を繰り広げた敵将の言葉が甦る。ティアはキラのメンタルケアを任されたことから、戦闘中のストライクの通信を傍受していた。キラは中々弱音を吐いてくれない。監視するような真似をして申し訳ないとは思っている。
「このまま、この海域に残していくことになりそうであれば、連れて行くのが望ましいとは思うんだが。協力してもらえると助かる」
コーディネイターである少年兵は、カガリに敵意を抱いていないようだ。
ティアは、思わずぺたんとその場に座り込んでしまった。よかった。
そう思った瞬間、頭がぐわんぐわんと回り始めて。上体を起こしている事もままならず、蹲ってしまう。
「おい、どうした?」
驚いた様子で駆け寄ってきたザフト兵の足が、手前で止まる。
夜闇で視界はきかないとはいえ、ここまで近づけばわかったのだろう。ティアの纏うパイロットスーツが見慣れないものであることに。
「よかった。殺さなくていいんだ……」
緊迫した口調で誰何されたのを認識したところで、意識がぷつんと、途切れたことだけ知覚した。