地上編
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『──いたぞ!』
遠くから、大人の声。
激しい痛みのせいで、ティアは横たわったまま動くことができなかった。
視界に入るのは、子供の足だ。自分と同じくらいの子供たちの。
冷たいコンクリートに、赤い液体が広がっていく。
声がした直後に、子供たちが走り出した。誰一人としてティアの事を助け起こすこともせず、大人たちの足音から逃れるように離れていく。
『大丈夫か! ──おい、すぐにレスキューを呼べ、頭部を損傷している!』
駆け寄ってきた一人が、ティアの状態を確認してくる。黒いサングラスをかけ、上質なスーツを着込んでいた。
その集団が何者なのか思い至って、ティアは『止めて』と手を伸ばす。
父が言っていた。生まれて来た子供たちに非はないのだと。
母が言っていた。存在を否定することは、してはいけないのだと。
ティアだって、自分が生まれてきてはいけなかったと責められたら、嫌だ。
『君、先生のとこの!?』
別の男が覗き込んで、ティアの素性に気付く。
時々両親のもとを尋ねてくる温和な人物だ。ティアは、お願いだと訴える。
哀しいだけなのだ。傷つけられたから、八つ当たりをされただけ。
自分なら大丈夫だ。両親はきっと報復などしない。
『あの子たちは、いいから。それより、一緒に、いた──』
一緒に、襲われた三人を助けてほしい。
意識が朦朧とするなか言おうとした矢先に、子供たちを追っていった男たちの行った先から、銃声が響き続ける。その一つ一つは、命を奪った音なのかもしれない。
制止の言葉を続けても、応えてくれることはなかった。
ただ、あの子供たちの存在を否定する言葉だけが降ってくる。
『頼むから持ち堪えてくれよ、“君が望んでいない事”が起きてしまうぞ──おい、レスキューはまだなのか!』
銃声の音を認識するごとに、目の前は暗く、音が遠くなっていく。
真夏なのに、どうしてこんなに寒いのか。
そんなことを唐突に考えて、ティアの意識は、そこで途切れた──。
「でもさ、バルジルール少尉のあんなトコ、初めて見たな!」
ティアは、追憶の彼方にあった意識を呼び戻した。
視線の向く先は前方、先導するように歩いているトールだ。おちゃらけた態度を窘めるように、ミリアリアが彼の頬をつねる。
ナタルは生真面目な性格だから、人からあまり好かれない。けれど、実際のところは面倒見も良くて優しい事を知っているティアは、苦笑いした。
「私、隙間時間を活用しながら医者の勉強もしていたので、ナタル姉さんにはずいぶん助けてもらったんですよ。今でもおんぶにだっこの自覚あります!」
「ああーそれ、多分ティアさんだから許されてるんじゃないのかな!」
ナタルのいいところを披露しながら自分の評価は下げるの──そんなことをティアの背後にいるカズイが指摘したのだが、それに被せるようにサイが別の事を言った。
何か聞こえた気がして振り返ってみたのだが、サイの隣のカズイは何事もなかったかのようにしている。
「それにしても、結構艦内は入り組んでいるんですね」
結構歩いている気がするのだが、医務室まで遠い。名簿ばかりを見ていて艦内情報には目を通していなかった。それとも緊張していて感覚が狂っているのかも。
「いや、その、今更なんですけど……遠回りしてたので」
気まずそうに言ったのは、背後にいるサイだ。それを皮切りに、彼らは試すような真似をして悪かったと頭を下げてくる。
警戒されていただなんて──やっぱり自分は何かしてしまっていたんじゃないか。ティアは再び真っ青になった。遠慮しないでとダメ押ししたのが彼らの負担になってしまったのでは。
「実は、途中でアルテミスに立ち寄ったんですけど」
ティアのせいではないことを慌てて否定したミリアリアが、ティアを始めとした他の地球軍軍人を警戒するに至った経緯を教えてくれる。
固有名詞として飛び出した、先日陥落したばかりのユーラシア連邦が保有する宇宙要塞。あそこにはティアも研修で散々な目に遭った。二度と行きたくない。
何かあったのか、とカズイに尋ねられ、ティアは一つずつ指を折り数えながら応えた。
更衣室に仕掛けられた隠しカメラを破壊する。薬品臭のする食事を回避するために非常食で乗り切る。異様に距離感が近くてボディタッチが多い指揮官との会話を我慢する。女性用シャワー室には怖くて入れないので友人の協力の元男性用で済ませる。
「もういいです、あそこがおかしかったんだとわかりました!」途中でミリアリアに止められた。向こうも涙目だ。
そうこうしているうちにきちんと医務室に辿り着いたのだが、中には目当ての人物はいなかった。
怪我人である人物だけが取り残されていて、今さっき医務室を飛び出していった、と明かされたのだ。
酷く緊張していたティアにとっては、眩暈を覚えるほどの衝撃だったのだけれど、話を聞いたハルバートンは無遠慮に笑い飛ばすのだから酷い。
残念だったな、と労ってくれてはいるが肩が震えている。笑いを堪えきれていない。
もういっそ思い切り笑い飛ばしてくれた方がましだ。もう泣きたい。
しかも、この話は何度目だ。
再びアーク・エンジェルを訪れる道中でぶり返されて以降、同行者たちにも笑われる始末。いくら気の長いほうとよく言われるティアだって我慢の限界だってある。
「もう、艦長も皆さんも意地悪です! 私は本当にショックだったのに!」
「いやいや、久しぶりに元気そうな君が見れたからな。調子に乗った」
すまなかったな、と頭を撫でられて、ティアはハッと息をのんだ。これは、お子様扱いされている。もう、成人年齢なのに。考えてみれば自分も甘えにいってしまっているあたり自業自得だが、このままではいけない。
突然の焦燥感。
意味もなく、こほん、と咳払いをして、ティアは背筋を伸ばした。視界の端でハルバートンの背中が震えているが、気にしない。
「ところで艦長はどこへ向かってるんですか? 副艦長を置いてメネラオスに戻るわけではないですよね?」
「先に君に譲ろうと思っていたのだが、私も話してみたくてね」
目当ての人物は一緒、というわけだ。先日はアーク・エンジェルへの労いと支援物資など、今必要とされる部分のみの打ち合わせの為の来訪だった。
補充要員を割くことができないことから、艦体の補修などを急ピッチで進めつつ、こうして再度──最後の訪問と相成ったわけだ。
着いた先は新型MSやMAなどが格納されている空間。
一人の少年が、鋼鉄の機体を見上げている──コーディネイターの少年、キラ・ヤマトだ。
『あいつらがいる限り、世の中に平和なんて来ないんだよ』
途端に、ティアは身をすくめてしまった。自分のような人間が、本当に彼に関わっていいのかと不安になる。けれど、彼──キラ・ヤマトが今どんな心境でいるのか、気にもなって。
委縮してしまっていることに気づいてくれたのだろう。いち艦隊を率いる男は、ティアの肩をぽんと叩いて真っすぐに少年の元へ向かってしまった。
いつの頃からか、ティアの周りにはコーディネイターを否定する人間ばかりになっていた。
コーディネイターは生まれた時から優れていて、自分たちナチュラルを見下してくるのだと非難し、排斥するようになっていった──コーディネイターは、生まれてきてはいけない存在なのだと。
ティアがいくら、そんな考えは良くないと訴えても、現実、彼女自身が生命にかかわるような傷を彼らに与えられてしまっていたから。家族は、止まらなかった。
「どんな夢を託して、君をコーディネイターにしたのか」
ハルバートンのただただ真っすぐな言葉は、ティアの耳にも届いた。
どんな夢を託されたのか。どんな“思い”で生み出されたのか──どんなつもりで、手元に置いているのか。
ああ、やはり駄目だ。自分と関わったら、恐らくキラやその家族に迷惑をかける。ハルバートンやアーク・エンジェルの搭乗員たちには悪いが、ティアはメネラオスに戻ろうと決めた。
格納庫の入り口で、戻ってくるハルバートンにはっきりと告げようとした。
けれども、唇は少しも動いてくれない。
『意思のないものに、何もやり抜くことはできんよ』
ストライクで戦う事の出来る力を自覚している少年は、自身の離脱を推奨してくれた男に戸惑っていた。そんな彼に、力だけでは何も変わらないのだと諭した後に続けられた言葉。
それは、キラ・ヤマトにだけ向けられたものではない。
「ここでの出来事が君の家族に伝わることはない。これを逃せば、あの少年と関わることもない。後悔のないよう、決めなさい」
まだ少しは時間があるのだから──ポンと肩を叩かれ、上官の気配は遠のいていった。
視線は、一人取り残されて立ち尽くす少年へ。
実際、相手がコーディネイターだからといって、何を聞けばいいのか決めているわけではなかった。ただ、自らがコーディネイターであることを、彼はどう思っているのかと、気になっていただけ。
こんな、戦場の一端でするような話ではないと弁えている。
ティアの傍にはコーディネイターはいない。家族や周囲が近づけさせない。話をすることなんて普通は簡単なのに、それが難しかった。
現状、確実にコーディネイターである相手と、コーディネイターである少年が戦いあっているその心境が気になっているとはいえ、敢えて聞くほどのことではないとも思うのだ。
守りたかったから、そこにあった武器を取っただけだろうから。
どうしよう。
ずっと話をしたいとこの数日思ってきたけれど、自分の中だけで話が完結してしまった。ハルバートンの言葉をとれば、メネラオスに残っていいんだと言質を得たようなものだ。
自己紹介をして、責任をもってご家族の元迄送り届けますからね──といった会話が妥当なところか。その後の事は、話の流れ具合でいいだろう。
よし、と気を引き締めたところで、《トリィ》という機械音が耳に入る。
ティアは、なんだろうと音のする頭上を見上げた。暗がりの中、空を旋回するシルエット。
緑色の、甲殻類。
一気に血の気が引く。「やだああああ」悲鳴を上げて、ティアは向かってくる物体から逃げ出した。
明るい格納庫の外に続く通路から遠ざかれば逃げられると思ったのに、羽音は相変わらずの機械音と共に格納庫内を悪戯に飛び回っている。
誰だ。どこから持ち込んでしまったのだ。宇宙空間に虫は存在できるのかわからないけど、どうして今、この状況が。
「あの、ちょっと落ち着いて!」
半ば泣き出しながら逃げまどい、積み荷の隙間に潜り込もうとし始めるティアの事を止めたのは、キラ・ヤマトだった。虫に対して耐性があるらしい相手の登場に救世の念を抱いた矢先、少年の肩に虫が止まったものだから、大きな悲鳴をあげてしまった。
そのまま相手にしがみ着いて「駄目です虫だけはもう」と喚く。
割と近いところで羽ばたきの音。駄目だ、もう泣く。
「大丈夫、もう仕舞いましたから。すみません、この子は僕の鳥型ロボットなんです」
それっきり、羽音も機械音もしなくなった。
宥めるような声音に、恐る恐る顔を上げても緑の物騒なものはいない。周囲を警戒して見回す。「ああ、泣かないでください」涙がぼろっと零れてしまった。
少年キラは、自身の服を握り込んで固まる相手に辛抱強く付き合ってくれた。ティアが落ち着きを取り戻すまで多少時間がかかったけれど、嫌な顔一つせずに。
「大変申し分けありません、お友達からの贈り物になんて失礼なことを」
大失態を犯した事に打ちひしがれ、項垂れるティアを前に、唐突に彼は笑う。
簡単に自己紹介をして、スイッチを切ってくれた鳥型ロボットのトリィを見せて誤解を解いた後の事だ。
「だってあんな、あんなに怯えてたのに、よく見ると可愛いとか、いくらなんでも無理があるでしょっ」
「そんなことないです! チャバネフウキンチョウみたいで可愛いとは本当に──ああだめですごめんなさい近づけないで」
キラの手の中で動かないトリィを差し出され、ティアはその場に這いつくばるようになって目を背けた。両手は頭。完全に拒絶の体勢である。
そこでまたキラに笑い飛ばされて、ぐうの音も出ない。
せめて、もうちょっと色とかなんとかならなかったんだろうか。どうして緑なのだろう。
構造は目を見張るものがあって、いいなあと思うのだ。思うのだけど、自分で作る時はもう少し色を考えよう。
「ティアさんは、さっきの軍人さんと一緒に来たんですよね」
尋ねられて、頷く。トリィをしまってから、キラと格納庫内の適当なところに腰を下ろして、少し話が進んだところだった。
「友達を守る為に、ストライクに乗って。居場所を守る為に、ここまで戦ってきたけど……それは、単なる、自惚れだったのかな」
自分しか戦えなかったから。状況的に周囲から強く反対されることもなかっただろう。けれど、戦えと強制されたわけでもないようだ。
ハルバートンの対応に、キラは相当、驚いたという。
アーク・エンジェルの置かれていた状況と、第8艦隊の状況は違う。たった一隻で敵軍に囲まれてきた彼らと、何隻もの友軍を有する艦隊とでは危機的意識だって変わるというもの。
加えて、ハルバートンはずっと現場に居続けた勇猛な指揮官だ。一個人の戦力だけを重んじるばかりが重要なことではないということも、そうあった時のリスクも弁えている。
「キラ君は、残れと言われたら残るおつもりでしたか?」
「残れと言われるとは思っていました。僕は戦えちゃうし」
嫌だけど、出来るのにやらなかったら後ろ指さされるから──キラは、コーディネイターなのだし。
きっと、これまでの日常生活でもあったのだろうな。コーディネイターだから出来るだろう、という何かが。小さな小さな、積み重ねが。
本当はやりたくないのに、やってきた事もあったのだろう。
「うちの艦長、放任主義なのです。でも、意欲は買ってくれます。背中を押してくれます。逆に、突き放したりも。働く場所の上司としては、すごくいい人選配置ですよ」
「それ、ホワイト企業に例えてますか? わかりやすいですけど」
困ったように笑いながら、キラは一つ息をついて、いいなあ、と呟いた。僕も将来、そんな人の下で働いたり、できるかなあ、と。
この後、キラが戦場に残ろうが、普段通りの生活に戻ろうが、今日に至るまでの経験は鮮烈に残り続けるだろう。オーブのコロニーにいたのだから、オーブの専門医療機関でのカウンセリングを受けていく必要が出てくるはず。
気が回っていなかったけれど、確かにティアは彼と話す必要があった。そして、一時的に保護下に置くとしても、オーブへ引き渡す際にそういった手続きを済ませるにあたり、軍医として関わっておくのは必要なこと。
「責任をもってお送りします、貴方の選んだ居場所まで。私は軍医ですから」
頑張りすぎはダメなんですよ、とそう年の変わらない少年の頭を撫でると、相手は顔を赤くしながら身を引いて。「さっきまで泣いてたのに」と苦し紛れに言い返される。
ティアは非常に恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
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『──話はわかりました』
アラスカ軍本部にて、デュエイン・ハルバートンはモニター越しに交渉する相手を見据えていた。
つい数日前、自分の教え子のもとを尋ねていたらしい、大西洋連邦の重役の青年だ。
ナチュラル至上主義のブルーコスモスの盟主であり、粛清にも加担している人物でもある。そして、ティア・ラードナーの“家族”でもあった。
『いいですヨ、ティアの転属を受け入れまショウ。彼女が直々にあなたに訴え出たというならば、無理やり邪魔しちゃあ、僕、嫌われちゃうし』
『無理な要求をお願いした手前、何か見返りを求められると思っておりましたが』
重い口調で、相手がどんな要求を出してくるのかと身構えれば。
先ほどまでいい加減な態度で応じていた青年が、手に持っていたグラスを置いて、真剣なまなざしを向けてくる。
『確認ですが、ティアはあなたに“自分はコーディネイターであるかもしれない”と言って、転属をお願いしてきたのですよね』
ほとんど宇宙圏に身を置いているハルバートンが、地球に降りてきた機会を見計らって、ティアは助けを求めて来た。優秀な子だと成長を楽しみにしていたが、まさかブルーコスモスを身内に持つ彼女が“該当者”などとはハルバートンも思っていなかった。
半信半疑ではあったが、切実な様子で訴えてくる教え子を見放すこともできなかった彼は、直接的に彼女の身内へ承諾を訴え出たのだ。軍内部で話を進めても、どうせ通るはずがないのだから。
この交渉でうまくいかなかった場合は、友人を頼ってティアを地球軍から隠す事まで考えていたのだが──どうやら、物事の進め方は間違っていなかったらしい。
白いスーツの青年は、両手を組んで大きくため息をついた後、体を投げ出すように椅子に背もたれる。
『デュエイン・ハルバートンさん、あなたの評判は聞いています。ま、下手なところに預けるよりはマシでしょ。特に見返りは求めませんヨ』
『正直、信じられませんな』
『やだなあ本当ですって。むしろ、そんな状態の彼女に催眠なんて施したら、何が起きるかわかりまセンから』
催眠──ハルバートンは思わず怒りに任せて立ち上がった。けれど、催眠を受けているにしてはティアは穏やかで、その人となりは彼の知る頃と何ら変わりはない。
モニターの向こうの人物の表情に誠実な色。正直、戸惑いを覚えた。
『こうして根回しの為に連絡して貰えて、むしろ感謝しています。ですがまあ、そうですね。一つ、条件をつけましょうか』
続けられた言葉を、デュエイン・ハルバートンは唐突に思い出した。
大気圏へ突入していく白亜の艦に残った、難しい星の元に生きる教え子のこれからを思う。
先ほど、どうやって医務室から連絡を寄越したのか、最期に声を聞けたのはよかった。見た目や年齢以上に幼いはずの彼女は、間違いなく大変な思いをしていくのだろう。
『決して、“自分がコーディネイターである”という彼女を否定も肯定もしないで頂きたい。ティアを守ろうと転属を打診してきた貴方にだからお願いします。あの子を生かすためにも、慎重な言動を、くれぐれもお願いしますヨ』
この戦争の根幹をも揺るがすような立場にある愛弟子の未来に、幸多からんことをと、ただただ願う。
この日、地球連合軍第8艦隊はザフトからの攻撃よりアーク・エンジェルを守り抜き壊滅。
旗艦メネラオスは、特攻を仕掛けて来たザフト軍艦一隻を撃沈するも艦体への激しい損傷の末──大気圏の摩擦熱で燃え尽きたのだった。
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『──いたぞ!』
遠くから、大人の声。
激しい痛みのせいで、ティアは横たわったまま動くことができなかった。
視界に入るのは、子供の足だ。自分と同じくらいの子供たちの。
冷たいコンクリートに、赤い液体が広がっていく。
声がした直後に、子供たちが走り出した。誰一人としてティアの事を助け起こすこともせず、大人たちの足音から逃れるように離れていく。
『大丈夫か! ──おい、すぐにレスキューを呼べ、頭部を損傷している!』
駆け寄ってきた一人が、ティアの状態を確認してくる。黒いサングラスをかけ、上質なスーツを着込んでいた。
その集団が何者なのか思い至って、ティアは『止めて』と手を伸ばす。
父が言っていた。生まれて来た子供たちに非はないのだと。
母が言っていた。存在を否定することは、してはいけないのだと。
ティアだって、自分が生まれてきてはいけなかったと責められたら、嫌だ。
『君、先生のとこの!?』
別の男が覗き込んで、ティアの素性に気付く。
時々両親のもとを尋ねてくる温和な人物だ。ティアは、お願いだと訴える。
哀しいだけなのだ。傷つけられたから、八つ当たりをされただけ。
自分なら大丈夫だ。両親はきっと報復などしない。
『あの子たちは、いいから。それより、一緒に、いた──』
一緒に、襲われた三人を助けてほしい。
意識が朦朧とするなか言おうとした矢先に、子供たちを追っていった男たちの行った先から、銃声が響き続ける。その一つ一つは、命を奪った音なのかもしれない。
制止の言葉を続けても、応えてくれることはなかった。
ただ、あの子供たちの存在を否定する言葉だけが降ってくる。
『頼むから持ち堪えてくれよ、“君が望んでいない事”が起きてしまうぞ──おい、レスキューはまだなのか!』
銃声の音を認識するごとに、目の前は暗く、音が遠くなっていく。
真夏なのに、どうしてこんなに寒いのか。
そんなことを唐突に考えて、ティアの意識は、そこで途切れた──。
「でもさ、バルジルール少尉のあんなトコ、初めて見たな!」
ティアは、追憶の彼方にあった意識を呼び戻した。
視線の向く先は前方、先導するように歩いているトールだ。おちゃらけた態度を窘めるように、ミリアリアが彼の頬をつねる。
ナタルは生真面目な性格だから、人からあまり好かれない。けれど、実際のところは面倒見も良くて優しい事を知っているティアは、苦笑いした。
「私、隙間時間を活用しながら医者の勉強もしていたので、ナタル姉さんにはずいぶん助けてもらったんですよ。今でもおんぶにだっこの自覚あります!」
「ああーそれ、多分ティアさんだから許されてるんじゃないのかな!」
ナタルのいいところを披露しながら自分の評価は下げるの──そんなことをティアの背後にいるカズイが指摘したのだが、それに被せるようにサイが別の事を言った。
何か聞こえた気がして振り返ってみたのだが、サイの隣のカズイは何事もなかったかのようにしている。
「それにしても、結構艦内は入り組んでいるんですね」
結構歩いている気がするのだが、医務室まで遠い。名簿ばかりを見ていて艦内情報には目を通していなかった。それとも緊張していて感覚が狂っているのかも。
「いや、その、今更なんですけど……遠回りしてたので」
気まずそうに言ったのは、背後にいるサイだ。それを皮切りに、彼らは試すような真似をして悪かったと頭を下げてくる。
警戒されていただなんて──やっぱり自分は何かしてしまっていたんじゃないか。ティアは再び真っ青になった。遠慮しないでとダメ押ししたのが彼らの負担になってしまったのでは。
「実は、途中でアルテミスに立ち寄ったんですけど」
ティアのせいではないことを慌てて否定したミリアリアが、ティアを始めとした他の地球軍軍人を警戒するに至った経緯を教えてくれる。
固有名詞として飛び出した、先日陥落したばかりのユーラシア連邦が保有する宇宙要塞。あそこにはティアも研修で散々な目に遭った。二度と行きたくない。
何かあったのか、とカズイに尋ねられ、ティアは一つずつ指を折り数えながら応えた。
更衣室に仕掛けられた隠しカメラを破壊する。薬品臭のする食事を回避するために非常食で乗り切る。異様に距離感が近くてボディタッチが多い指揮官との会話を我慢する。女性用シャワー室には怖くて入れないので友人の協力の元男性用で済ませる。
「もういいです、あそこがおかしかったんだとわかりました!」途中でミリアリアに止められた。向こうも涙目だ。
そうこうしているうちにきちんと医務室に辿り着いたのだが、中には目当ての人物はいなかった。
怪我人である人物だけが取り残されていて、今さっき医務室を飛び出していった、と明かされたのだ。
酷く緊張していたティアにとっては、眩暈を覚えるほどの衝撃だったのだけれど、話を聞いたハルバートンは無遠慮に笑い飛ばすのだから酷い。
残念だったな、と労ってくれてはいるが肩が震えている。笑いを堪えきれていない。
もういっそ思い切り笑い飛ばしてくれた方がましだ。もう泣きたい。
しかも、この話は何度目だ。
再びアーク・エンジェルを訪れる道中でぶり返されて以降、同行者たちにも笑われる始末。いくら気の長いほうとよく言われるティアだって我慢の限界だってある。
「もう、艦長も皆さんも意地悪です! 私は本当にショックだったのに!」
「いやいや、久しぶりに元気そうな君が見れたからな。調子に乗った」
すまなかったな、と頭を撫でられて、ティアはハッと息をのんだ。これは、お子様扱いされている。もう、成人年齢なのに。考えてみれば自分も甘えにいってしまっているあたり自業自得だが、このままではいけない。
突然の焦燥感。
意味もなく、こほん、と咳払いをして、ティアは背筋を伸ばした。視界の端でハルバートンの背中が震えているが、気にしない。
「ところで艦長はどこへ向かってるんですか? 副艦長を置いてメネラオスに戻るわけではないですよね?」
「先に君に譲ろうと思っていたのだが、私も話してみたくてね」
目当ての人物は一緒、というわけだ。先日はアーク・エンジェルへの労いと支援物資など、今必要とされる部分のみの打ち合わせの為の来訪だった。
補充要員を割くことができないことから、艦体の補修などを急ピッチで進めつつ、こうして再度──最後の訪問と相成ったわけだ。
着いた先は新型MSやMAなどが格納されている空間。
一人の少年が、鋼鉄の機体を見上げている──コーディネイターの少年、キラ・ヤマトだ。
『あいつらがいる限り、世の中に平和なんて来ないんだよ』
途端に、ティアは身をすくめてしまった。自分のような人間が、本当に彼に関わっていいのかと不安になる。けれど、彼──キラ・ヤマトが今どんな心境でいるのか、気にもなって。
委縮してしまっていることに気づいてくれたのだろう。いち艦隊を率いる男は、ティアの肩をぽんと叩いて真っすぐに少年の元へ向かってしまった。
いつの頃からか、ティアの周りにはコーディネイターを否定する人間ばかりになっていた。
コーディネイターは生まれた時から優れていて、自分たちナチュラルを見下してくるのだと非難し、排斥するようになっていった──コーディネイターは、生まれてきてはいけない存在なのだと。
ティアがいくら、そんな考えは良くないと訴えても、現実、彼女自身が生命にかかわるような傷を彼らに与えられてしまっていたから。家族は、止まらなかった。
「どんな夢を託して、君をコーディネイターにしたのか」
ハルバートンのただただ真っすぐな言葉は、ティアの耳にも届いた。
どんな夢を託されたのか。どんな“思い”で生み出されたのか──どんなつもりで、手元に置いているのか。
ああ、やはり駄目だ。自分と関わったら、恐らくキラやその家族に迷惑をかける。ハルバートンやアーク・エンジェルの搭乗員たちには悪いが、ティアはメネラオスに戻ろうと決めた。
格納庫の入り口で、戻ってくるハルバートンにはっきりと告げようとした。
けれども、唇は少しも動いてくれない。
『意思のないものに、何もやり抜くことはできんよ』
ストライクで戦う事の出来る力を自覚している少年は、自身の離脱を推奨してくれた男に戸惑っていた。そんな彼に、力だけでは何も変わらないのだと諭した後に続けられた言葉。
それは、キラ・ヤマトにだけ向けられたものではない。
「ここでの出来事が君の家族に伝わることはない。これを逃せば、あの少年と関わることもない。後悔のないよう、決めなさい」
まだ少しは時間があるのだから──ポンと肩を叩かれ、上官の気配は遠のいていった。
視線は、一人取り残されて立ち尽くす少年へ。
実際、相手がコーディネイターだからといって、何を聞けばいいのか決めているわけではなかった。ただ、自らがコーディネイターであることを、彼はどう思っているのかと、気になっていただけ。
こんな、戦場の一端でするような話ではないと弁えている。
ティアの傍にはコーディネイターはいない。家族や周囲が近づけさせない。話をすることなんて普通は簡単なのに、それが難しかった。
現状、確実にコーディネイターである相手と、コーディネイターである少年が戦いあっているその心境が気になっているとはいえ、敢えて聞くほどのことではないとも思うのだ。
守りたかったから、そこにあった武器を取っただけだろうから。
どうしよう。
ずっと話をしたいとこの数日思ってきたけれど、自分の中だけで話が完結してしまった。ハルバートンの言葉をとれば、メネラオスに残っていいんだと言質を得たようなものだ。
自己紹介をして、責任をもってご家族の元迄送り届けますからね──といった会話が妥当なところか。その後の事は、話の流れ具合でいいだろう。
よし、と気を引き締めたところで、《トリィ》という機械音が耳に入る。
ティアは、なんだろうと音のする頭上を見上げた。暗がりの中、空を旋回するシルエット。
緑色の、甲殻類。
一気に血の気が引く。「やだああああ」悲鳴を上げて、ティアは向かってくる物体から逃げ出した。
明るい格納庫の外に続く通路から遠ざかれば逃げられると思ったのに、羽音は相変わらずの機械音と共に格納庫内を悪戯に飛び回っている。
誰だ。どこから持ち込んでしまったのだ。宇宙空間に虫は存在できるのかわからないけど、どうして今、この状況が。
「あの、ちょっと落ち着いて!」
半ば泣き出しながら逃げまどい、積み荷の隙間に潜り込もうとし始めるティアの事を止めたのは、キラ・ヤマトだった。虫に対して耐性があるらしい相手の登場に救世の念を抱いた矢先、少年の肩に虫が止まったものだから、大きな悲鳴をあげてしまった。
そのまま相手にしがみ着いて「駄目です虫だけはもう」と喚く。
割と近いところで羽ばたきの音。駄目だ、もう泣く。
「大丈夫、もう仕舞いましたから。すみません、この子は僕の鳥型ロボットなんです」
それっきり、羽音も機械音もしなくなった。
宥めるような声音に、恐る恐る顔を上げても緑の物騒なものはいない。周囲を警戒して見回す。「ああ、泣かないでください」涙がぼろっと零れてしまった。
少年キラは、自身の服を握り込んで固まる相手に辛抱強く付き合ってくれた。ティアが落ち着きを取り戻すまで多少時間がかかったけれど、嫌な顔一つせずに。
「大変申し分けありません、お友達からの贈り物になんて失礼なことを」
大失態を犯した事に打ちひしがれ、項垂れるティアを前に、唐突に彼は笑う。
簡単に自己紹介をして、スイッチを切ってくれた鳥型ロボットのトリィを見せて誤解を解いた後の事だ。
「だってあんな、あんなに怯えてたのに、よく見ると可愛いとか、いくらなんでも無理があるでしょっ」
「そんなことないです! チャバネフウキンチョウみたいで可愛いとは本当に──ああだめですごめんなさい近づけないで」
キラの手の中で動かないトリィを差し出され、ティアはその場に這いつくばるようになって目を背けた。両手は頭。完全に拒絶の体勢である。
そこでまたキラに笑い飛ばされて、ぐうの音も出ない。
せめて、もうちょっと色とかなんとかならなかったんだろうか。どうして緑なのだろう。
構造は目を見張るものがあって、いいなあと思うのだ。思うのだけど、自分で作る時はもう少し色を考えよう。
「ティアさんは、さっきの軍人さんと一緒に来たんですよね」
尋ねられて、頷く。トリィをしまってから、キラと格納庫内の適当なところに腰を下ろして、少し話が進んだところだった。
「友達を守る為に、ストライクに乗って。居場所を守る為に、ここまで戦ってきたけど……それは、単なる、自惚れだったのかな」
自分しか戦えなかったから。状況的に周囲から強く反対されることもなかっただろう。けれど、戦えと強制されたわけでもないようだ。
ハルバートンの対応に、キラは相当、驚いたという。
アーク・エンジェルの置かれていた状況と、第8艦隊の状況は違う。たった一隻で敵軍に囲まれてきた彼らと、何隻もの友軍を有する艦隊とでは危機的意識だって変わるというもの。
加えて、ハルバートンはずっと現場に居続けた勇猛な指揮官だ。一個人の戦力だけを重んじるばかりが重要なことではないということも、そうあった時のリスクも弁えている。
「キラ君は、残れと言われたら残るおつもりでしたか?」
「残れと言われるとは思っていました。僕は戦えちゃうし」
嫌だけど、出来るのにやらなかったら後ろ指さされるから──キラは、コーディネイターなのだし。
きっと、これまでの日常生活でもあったのだろうな。コーディネイターだから出来るだろう、という何かが。小さな小さな、積み重ねが。
本当はやりたくないのに、やってきた事もあったのだろう。
「うちの艦長、放任主義なのです。でも、意欲は買ってくれます。背中を押してくれます。逆に、突き放したりも。働く場所の上司としては、すごくいい人選配置ですよ」
「それ、ホワイト企業に例えてますか? わかりやすいですけど」
困ったように笑いながら、キラは一つ息をついて、いいなあ、と呟いた。僕も将来、そんな人の下で働いたり、できるかなあ、と。
この後、キラが戦場に残ろうが、普段通りの生活に戻ろうが、今日に至るまでの経験は鮮烈に残り続けるだろう。オーブのコロニーにいたのだから、オーブの専門医療機関でのカウンセリングを受けていく必要が出てくるはず。
気が回っていなかったけれど、確かにティアは彼と話す必要があった。そして、一時的に保護下に置くとしても、オーブへ引き渡す際にそういった手続きを済ませるにあたり、軍医として関わっておくのは必要なこと。
「責任をもってお送りします、貴方の選んだ居場所まで。私は軍医ですから」
頑張りすぎはダメなんですよ、とそう年の変わらない少年の頭を撫でると、相手は顔を赤くしながら身を引いて。「さっきまで泣いてたのに」と苦し紛れに言い返される。
ティアは非常に恥ずかしくなって、両手で顔を覆った。
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『──話はわかりました』
アラスカ軍本部にて、デュエイン・ハルバートンはモニター越しに交渉する相手を見据えていた。
つい数日前、自分の教え子のもとを尋ねていたらしい、大西洋連邦の重役の青年だ。
ナチュラル至上主義のブルーコスモスの盟主であり、粛清にも加担している人物でもある。そして、ティア・ラードナーの“家族”でもあった。
『いいですヨ、ティアの転属を受け入れまショウ。彼女が直々にあなたに訴え出たというならば、無理やり邪魔しちゃあ、僕、嫌われちゃうし』
『無理な要求をお願いした手前、何か見返りを求められると思っておりましたが』
重い口調で、相手がどんな要求を出してくるのかと身構えれば。
先ほどまでいい加減な態度で応じていた青年が、手に持っていたグラスを置いて、真剣なまなざしを向けてくる。
『確認ですが、ティアはあなたに“自分はコーディネイターであるかもしれない”と言って、転属をお願いしてきたのですよね』
ほとんど宇宙圏に身を置いているハルバートンが、地球に降りてきた機会を見計らって、ティアは助けを求めて来た。優秀な子だと成長を楽しみにしていたが、まさかブルーコスモスを身内に持つ彼女が“該当者”などとはハルバートンも思っていなかった。
半信半疑ではあったが、切実な様子で訴えてくる教え子を見放すこともできなかった彼は、直接的に彼女の身内へ承諾を訴え出たのだ。軍内部で話を進めても、どうせ通るはずがないのだから。
この交渉でうまくいかなかった場合は、友人を頼ってティアを地球軍から隠す事まで考えていたのだが──どうやら、物事の進め方は間違っていなかったらしい。
白いスーツの青年は、両手を組んで大きくため息をついた後、体を投げ出すように椅子に背もたれる。
『デュエイン・ハルバートンさん、あなたの評判は聞いています。ま、下手なところに預けるよりはマシでしょ。特に見返りは求めませんヨ』
『正直、信じられませんな』
『やだなあ本当ですって。むしろ、そんな状態の彼女に催眠なんて施したら、何が起きるかわかりまセンから』
催眠──ハルバートンは思わず怒りに任せて立ち上がった。けれど、催眠を受けているにしてはティアは穏やかで、その人となりは彼の知る頃と何ら変わりはない。
モニターの向こうの人物の表情に誠実な色。正直、戸惑いを覚えた。
『こうして根回しの為に連絡して貰えて、むしろ感謝しています。ですがまあ、そうですね。一つ、条件をつけましょうか』
続けられた言葉を、デュエイン・ハルバートンは唐突に思い出した。
大気圏へ突入していく白亜の艦に残った、難しい星の元に生きる教え子のこれからを思う。
先ほど、どうやって医務室から連絡を寄越したのか、最期に声を聞けたのはよかった。見た目や年齢以上に幼いはずの彼女は、間違いなく大変な思いをしていくのだろう。
『決して、“自分がコーディネイターである”という彼女を否定も肯定もしないで頂きたい。ティアを守ろうと転属を打診してきた貴方にだからお願いします。あの子を生かすためにも、慎重な言動を、くれぐれもお願いしますヨ』
この戦争の根幹をも揺るがすような立場にある愛弟子の未来に、幸多からんことをと、ただただ願う。
この日、地球連合軍第8艦隊はザフトからの攻撃よりアーク・エンジェルを守り抜き壊滅。
旗艦メネラオスは、特攻を仕掛けて来たザフト軍艦一隻を撃沈するも艦体への激しい損傷の末──大気圏の摩擦熱で燃え尽きたのだった。