少しだけ前のお話
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※「執筆応援」にて一時解放されていたお話です。
第一話が物足りない感満載なので、
これを序とさせて戴きます。
なお、初めて読まれる方へ。
決まった相手との夢物語ではございません。←大事
──ある青年が、鬼になる前のこと──
彼は苦労というものを知らなくて
不自由というものも
人から聞いたことしかなかった
だから、いつだって想像することしかできず
そうやって人々の悩みに応えてきた
彼にとっては
人々の様々な感情は
共感できるような次元にはなかった
それでも
彼らが望むことをしてやれる
都合の良い口と舌が
青年を唯一絶対の存在として存続させていた
「──聖女さま?」
難破船の遭難者が
救いを求めて青年のもとに訪れることも
一度や二度ではない
青年は海外の言葉を習ったこともないのに
相手の言いたいことを解すことが出来た
それは見ている者からしてみれば
十分神秘的なことだったが
青年には普通のことだった
人の願い事をなんでも叶えてくれる聖女さま
けれど、叶えた分だけ
眠り続けてしまう欠点がある
その聖女さまは
権力者同士の抗争に巻き込まれ続けていたけど
ついに救い出して
外に出してやることが出来た
今その国は内乱真っ只中だけど
原因はこうして遭難という形で
日本へたどり着いた
まだ眠り続けているとはいうが
遭難者たちは
青年が聖女さまと同様の存在であると思ったらしい
どうか、彼女を助けてやってほしいと
助けを請うてきたのだ
助けを求められれば
青年は無条件に受け入れてきた
勿論、聖女さまが目覚めるまで
信者たちにも手伝ってもらって
──この時は本当に、大切に大切に──
困ったことに
彼女との意思疎通を図る事が
青年にはどうしても出来なかった
何を話しているのかわからず、表情も見えない
声も雑音のような音にしか聞こえない
信者たちは聖女さまの言葉を
普通に解すことができるようで
必ず仲介者が側にいた
聞けば、美人だとかそういう域の顔ではないし
声も妖のような神秘性を帯びたものでもない
普通の、女の子
教主様の目は不思議な色だとか
好奇心の赴くままに話しかけてくれているらしい
信者たちからもそういうものは遠慮があるのか
話題になることはないから
青年は新鮮な気持ちだった
どうして彼女の顔や声がわからないのだろう
きちんと理解してあげたいのに
彼女の家族にも託されたのだ
ちゃんと期待に応えてあげたいのに
聖女さまとやらも、青年と同じように
人々のお願い事を叶える力があった
それは本当だった
彼女も青年も、
同類ということで仲介者を挟まなくとも
顔や言葉がわからなくても
──お互いを大事に思っていた──
けれど──彼女は異国の人間だったから
気に入らないと思う信者だって、存在して
それまで雑音しか聞こえなかったのに、
彼女の悲痛な悲鳴だけは
今も鮮明に、耳の奥に残っている
鬼となってから
やっと、聖女さまの顔を認識できるようになる
まだ癒えない傷を包帯に包まれた彼女は
大きな目を丸くさせて、青年を迎えた
「教主さま、怪我をしたの?」
思ったよりも普通の声だし、
話に聞いていた通り、普通の容姿だ
特別ではないことがやたらと好ましい
「いいや、どこも痛くはないから。安心して」
「私の言っていること、わかるようになったの?」
口元を拭い忘れていた青年の、食った人間の血を
細い指先が拭ってくれる
自分の傷を癒せないのに
他人の傷を癒せる彼女の手は
暖かくて熱くて、痛かった
驚愕の表情で手を離され
青年は震え始めた細い手首をそっと掴む
──じゅうっと、青年の手が焼けた──
「放して、教主さま。私は傷つけちゃうから」
「僕が自分よがりな選択をしてしまったからね」
仕方ないんだよ、となだめても
ぼろぼろと止めどなく溢れていく涙が
青年のために流されている
その現実に
──青年はぞくりと身震いして舌舐めずりをする──
「決めてしまったんだよ」
思えば、彼女は青年にとって
最初から都合がよかった
孤独な人生と諦めていたところへ
ひょこっと現れた同類
なんでもできる自分に
唯一できない何かがあるという発見
自分にはない
相手への純粋な興味を向ける真っ直ぐさ
無垢さ
無邪気さ
──なんて面白おかしい、暇つぶしなのだろう──
「──童磨、貴様のもとにどんな願いでも叶えられる女がいるというのは本当か」
主人に尋ねられ、青年はああ、と声を上げた。
最近忙しくて忘れていたな。聖女さま。
必要な時にしか表に出さなかったし。
「ええ、
ティアならうちにいますよ〜」
途端に半身を抉られてしまったが、その衝撃で青年はうっかりしていたことを思い出した。
少し前に、鬼狩りがこんなことを言ったのだ。
『手放してみてからの方が価値もわかるものだ』と。
そんなわけで、
ティアのことは手放してどれくらい経っただろう。
価値など見出す以前に
すっかり忘れていた。物覚えは良い方なのだが。
代わりに随分とあの鬼狩りとは遊ばせてもらったけれど、逃げ切られてしまったな。美味しそうだったのに。
けれど、青年には目前に迫る主人への報告義務がある。
下手なことを言うと存在を消されそうなのだが。これはどうしたことか──どう乗り切ろうか。
それすらも、久々の楽しみに思えて、青年は舌舐めずりするのだった──。