第3章 炎を絶やすことなかれ。(全22話)
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第11話 誰に似たか。
——————————————————
『──お前、弟にもあの魚食わせたいっつてたろ。早速行こうぜ』
思い返せば──そう言って労い、迎えてくれる笑顔は温かかった。
煉獄杏寿郎がラシードと出会ったのは、合同任務でのことだった。
それまでも、いくつもの任務を四苦八苦しながら切り抜けて。
時には仲間の犠牲を生み、やむ終えず撤退すらしながら。
選別を共に生き抜いた仲間とも背中を任せあって戦った。
そんな同期も、一年経つ頃には殆どいない。
──ひと月前。
目の前で指揮を取っていた風柱が鬼に殺された。
柱を食らった鬼は一気に力を増して。
『──厄介な血鬼術だったな。大丈夫か、杏寿郎』
下弦の参となった鬼を遂に見つけ出した、はずだった。
陽光が、今し方開け放たれた窓辺から差してくる。
仲間の亡骸を、ちらちらと覗き込むかのように。
その中で、立っていたのは自身とラシードだけだった。
──どうして、あの鬼は自分に手を出して来なかったのか。
杏寿郎は、仲間たちの亡骸だけが残された室内で、小さく問いかける。
数人での合同任務だった。
杏寿郎は実力を認められ、仲間たちを助けられやすい位置に配されていたはずだった。
──それなのに、彼の目の前には守るはずだった仲間たちの亡骸だけ。
杏寿郎は、鬼と遭遇すらしなかった。仲間の悲鳴すら聞こえなかった。
ただ、気配が消えていくのを、追うことのみしかできず。
屋内は死角だらけだ。そうとはいえ、杏寿郎は“鬼が仲間を殺す”瞬間に気付けなかった。
それ程まで恐れられるような力量差があるとは思えない。自分は遊ばれてでもいるのだろうか。
日が落ちる前、笑い合っていた仲間たちのこと切れた顔。
その表情が何を意味しているのか、杏寿郎は捉えることができない。
──言いようのない敗北感。
『鬼は人間とは違う──けど、人間以上に人間らしいところもある』
気づけば、臓物に染み渡るようなどす黒い血の匂い渦巻く戦場から、骨の髄まで浸透する清涼な空気の、山の中にいた。
ぽかん、となっている杏寿郎を放って、ラシードはその場にあるものでてきぱきと火を起こし、すぐそこの小川で水と魚を獲り、焼いて。
『いちばん目立つのは欲求だな。食欲とか性欲とか、独占欲、我欲。あげればキリないけど、“耐性のない鬼”の行動原理は人の欲望に忠実。人のままなら普通は躊躇しそうなことをやれるのが多い』
合同任務の直前で知り合ったのはラシード一人ではなかった。あの任務でいちばん年齢が上の男も初対面だった。
いまはもう、杏寿郎とラシード以外みんな居なくなってしまったが。
『俺は……そこまで鬼のことを考えたことはなかった。言われてみればその通りかもしれない』
『首を切ることを考えるならば、元は人間だったとか深く考えすぎるのは心に毒だ。あんま勧めない』
ラシードだけでも生き残っている事実は、杏寿郎にとって救いだった。
これまでの任務で、犠牲が出なかったことはない。いつも、必ず怪我人や死人は出た。
中でも今回は最悪だったが。
『なんか、あの鬼お前のことえらく警戒してるな。怖がってるってよりは目の敵にしてる感じ。いや、両方か』
『よくわからないが、あの鬼とは因縁がある』
ひと月前のことを話す。風柱との任務は何度かあったが、そんなに会話をした事があるわけではなかった。褒められたこともなければ、叱られたこともない。
距離を置かれていやしないか──と心配して声をかけてくれたのは、当主の座に着いたばかりの耀哉だったが。
『あの鬼の血鬼術さ、劣等感を増幅させるみたいなんだよな。お前も俺みたいにアホだから効かないみたいだけど、仲間は自滅だよ』
否定したいだけだろうけど、お前にも見えたはずだろ──差し出された串刺しの香ばしい匂いをさせた魚。
ラシードの目は、気を抜けば自分が飲み込まれそうな深い色をしていた。
杏寿郎は思わず視線を、受け取るために差し出した手元に落とす。
一瞬だけ見えたのは──自分の刀を、自身の首にあてる仲間の姿。
憎悪の顔。渇望の眼差し。絶望の匂い。
その表情を、ひと月前に見ていることも──。
──ある女性に、化け物である自分のことを畏れないのか、と問われたことがある。
その時に、杏寿郎は応えた。
自分もそういう目で見られることがある。
それは、少し、寂しいと。
力を得れば得るほど、恐れられるのは仕方のないことだ。
遠慮などの気遣いで離れて行くものもいる。
別にそれでもよかった。彼らが生きているならば。
見かけるだけでも。目をそらされるだけでも。
──うまれついてひとよりもおおくのさいにめぐまれたものは──
風柱を食ったあの鬼は、風柱の意識に少し影響されたのだろう。
若くして、近いうちに柱として君臨できる気概と能力を持つ杏寿郎を、嫉妬に狂うような目で見ていた。
それを、杏寿郎は、気づいていた。
実力が伴わなくても序列の関係上柱に据えられる者もいないわけではなかったと言うから、年嵩の者が一時的に据え置かれる一時もある。
風柱がそれだった。面倒見もよく、人格者ではあったが、自分の実力のことももちろん分かっているから彼は複雑だったのかもしれない。
人には弱いところはあるものだ。
けれど、杏寿郎はそれでも風柱を尊敬している。
──てんからたまわりしちからでひとをきずつけること──
同期たちはいつも笑って杏寿郎を囲んでくれていたけれど、彼らが自分たちの話をしてくれることはなかった。
ラシードのように、聞いてくることもなかった。
いつ死ぬともわからない死線。
何度も潜り抜けなければならないのだから、必ずしも仲間のことを、その全てを知らなければ共に戦えないことなどありはしない。
たまたま現場に居合わせた人間が、たまたま事切れた隊士の日輪刀で鬼の首を斬ることだってある。
人と人との繋がりの厚みは関係ないのだ。
共に向かう先が同じならば、それさえ重ねられれば。
──強く優しい子の母になれて幸せでした──
強く、あれただろうか。
優しくいれただろうか。
遺される者としての経験でわかるのは
泣いて旅立つヒトへの、感謝ばかりだったけれど。
いま肩を並べる柱たちや、頼もしい後輩たち。
「逃げるな卑怯者!」
泣き叫ぶ──鬼となった妹と共に戦う少年の背中を見れば。
心も温かくなるというものだ。
「ああ──まったく、誰に似たんだか」
意識が途切れる直前に母の幻影を見ていた杏寿郎は、懐かしい気配に顔を傾け視線を彷徨わせた。
炭治郎と伊之助の間に、ボロ布を纏った困り顔のラシードが立っている。二人も目を剥いていることから、幻ではないらしい。
ほんの少し声が高いのは、声変わりの前だからか。
伸ばしっぱなしにしたような長い髪のせいか、幼く見えるラシードは、杏寿郎の側にちょんとしゃがんで、笑う。
「俺に似ちゃった? それとも私を逃して死んだ“旦那”に似たのかな。まあ、文句は聞くよ。可愛い子孫だし」
ラシードの子供である元鳴柱の桑島慈悟郎は鬼ではなかった。
ずっとずっと、人生を重ねているのだ。家族を作る機会だってあっただろう。その子供たちが鬼になっていたならば遠慮もしたのだろうが。
右頬に伸ばされてきた友の手。
その温もりや感触はもう、感じられない。
「……よもや──」
そう来たか──杏寿郎は、思わず破顔した。
どういう経緯でかつての炎柱が“昔のラシード”を娶ったのかは知らないが、煉獄家は殿勤めをさせる気がなかったのだろう。
なんとなく杏寿郎にはわかってしまった。
悲しい事実は、本当は悲しいだけではなかったのだと。
遺していく幼い火。
いつか暗闇の中で、道標のように力強く──繋がっていく、尊さ。
「こんなに果報者で良いのだろうか」
こんなに心から、無邪気に笑ったのは──いつ以来か──。
「俺は恵まれた」
ぼろぼろと涙を流す赤い眼や。
何かに耐えるように震える、刀を両手に握った腕。
人々を守るために懸命だった、ここにいない少女と少年も。
まるで母のように寄り添ってくれる友人も。
「幸せものだ──」
本当に、自分は誰に似たんだろうな。
耳元で返ってきた言葉に、息が漏れた──。
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『──お前、弟にもあの魚食わせたいっつてたろ。早速行こうぜ』
思い返せば──そう言って労い、迎えてくれる笑顔は温かかった。
煉獄杏寿郎がラシードと出会ったのは、合同任務でのことだった。
それまでも、いくつもの任務を四苦八苦しながら切り抜けて。
時には仲間の犠牲を生み、やむ終えず撤退すらしながら。
選別を共に生き抜いた仲間とも背中を任せあって戦った。
そんな同期も、一年経つ頃には殆どいない。
──ひと月前。
目の前で指揮を取っていた風柱が鬼に殺された。
柱を食らった鬼は一気に力を増して。
『──厄介な血鬼術だったな。大丈夫か、杏寿郎』
下弦の参となった鬼を遂に見つけ出した、はずだった。
陽光が、今し方開け放たれた窓辺から差してくる。
仲間の亡骸を、ちらちらと覗き込むかのように。
その中で、立っていたのは自身とラシードだけだった。
──どうして、あの鬼は自分に手を出して来なかったのか。
杏寿郎は、仲間たちの亡骸だけが残された室内で、小さく問いかける。
数人での合同任務だった。
杏寿郎は実力を認められ、仲間たちを助けられやすい位置に配されていたはずだった。
──それなのに、彼の目の前には守るはずだった仲間たちの亡骸だけ。
杏寿郎は、鬼と遭遇すらしなかった。仲間の悲鳴すら聞こえなかった。
ただ、気配が消えていくのを、追うことのみしかできず。
屋内は死角だらけだ。そうとはいえ、杏寿郎は“鬼が仲間を殺す”瞬間に気付けなかった。
それ程まで恐れられるような力量差があるとは思えない。自分は遊ばれてでもいるのだろうか。
日が落ちる前、笑い合っていた仲間たちのこと切れた顔。
その表情が何を意味しているのか、杏寿郎は捉えることができない。
──言いようのない敗北感。
『鬼は人間とは違う──けど、人間以上に人間らしいところもある』
気づけば、臓物に染み渡るようなどす黒い血の匂い渦巻く戦場から、骨の髄まで浸透する清涼な空気の、山の中にいた。
ぽかん、となっている杏寿郎を放って、ラシードはその場にあるものでてきぱきと火を起こし、すぐそこの小川で水と魚を獲り、焼いて。
『いちばん目立つのは欲求だな。食欲とか性欲とか、独占欲、我欲。あげればキリないけど、“耐性のない鬼”の行動原理は人の欲望に忠実。人のままなら普通は躊躇しそうなことをやれるのが多い』
合同任務の直前で知り合ったのはラシード一人ではなかった。あの任務でいちばん年齢が上の男も初対面だった。
いまはもう、杏寿郎とラシード以外みんな居なくなってしまったが。
『俺は……そこまで鬼のことを考えたことはなかった。言われてみればその通りかもしれない』
『首を切ることを考えるならば、元は人間だったとか深く考えすぎるのは心に毒だ。あんま勧めない』
ラシードだけでも生き残っている事実は、杏寿郎にとって救いだった。
これまでの任務で、犠牲が出なかったことはない。いつも、必ず怪我人や死人は出た。
中でも今回は最悪だったが。
『なんか、あの鬼お前のことえらく警戒してるな。怖がってるってよりは目の敵にしてる感じ。いや、両方か』
『よくわからないが、あの鬼とは因縁がある』
ひと月前のことを話す。風柱との任務は何度かあったが、そんなに会話をした事があるわけではなかった。褒められたこともなければ、叱られたこともない。
距離を置かれていやしないか──と心配して声をかけてくれたのは、当主の座に着いたばかりの耀哉だったが。
『あの鬼の血鬼術さ、劣等感を増幅させるみたいなんだよな。お前も俺みたいにアホだから効かないみたいだけど、仲間は自滅だよ』
否定したいだけだろうけど、お前にも見えたはずだろ──差し出された串刺しの香ばしい匂いをさせた魚。
ラシードの目は、気を抜けば自分が飲み込まれそうな深い色をしていた。
杏寿郎は思わず視線を、受け取るために差し出した手元に落とす。
一瞬だけ見えたのは──自分の刀を、自身の首にあてる仲間の姿。
憎悪の顔。渇望の眼差し。絶望の匂い。
その表情を、ひと月前に見ていることも──。
──ある女性に、化け物である自分のことを畏れないのか、と問われたことがある。
その時に、杏寿郎は応えた。
自分もそういう目で見られることがある。
それは、少し、寂しいと。
力を得れば得るほど、恐れられるのは仕方のないことだ。
遠慮などの気遣いで離れて行くものもいる。
別にそれでもよかった。彼らが生きているならば。
見かけるだけでも。目をそらされるだけでも。
──うまれついてひとよりもおおくのさいにめぐまれたものは──
風柱を食ったあの鬼は、風柱の意識に少し影響されたのだろう。
若くして、近いうちに柱として君臨できる気概と能力を持つ杏寿郎を、嫉妬に狂うような目で見ていた。
それを、杏寿郎は、気づいていた。
実力が伴わなくても序列の関係上柱に据えられる者もいないわけではなかったと言うから、年嵩の者が一時的に据え置かれる一時もある。
風柱がそれだった。面倒見もよく、人格者ではあったが、自分の実力のことももちろん分かっているから彼は複雑だったのかもしれない。
人には弱いところはあるものだ。
けれど、杏寿郎はそれでも風柱を尊敬している。
──てんからたまわりしちからでひとをきずつけること──
同期たちはいつも笑って杏寿郎を囲んでくれていたけれど、彼らが自分たちの話をしてくれることはなかった。
ラシードのように、聞いてくることもなかった。
いつ死ぬともわからない死線。
何度も潜り抜けなければならないのだから、必ずしも仲間のことを、その全てを知らなければ共に戦えないことなどありはしない。
たまたま現場に居合わせた人間が、たまたま事切れた隊士の日輪刀で鬼の首を斬ることだってある。
人と人との繋がりの厚みは関係ないのだ。
共に向かう先が同じならば、それさえ重ねられれば。
──強く優しい子の母になれて幸せでした──
強く、あれただろうか。
優しくいれただろうか。
遺される者としての経験でわかるのは
泣いて旅立つヒトへの、感謝ばかりだったけれど。
いま肩を並べる柱たちや、頼もしい後輩たち。
「逃げるな卑怯者!」
泣き叫ぶ──鬼となった妹と共に戦う少年の背中を見れば。
心も温かくなるというものだ。
「ああ──まったく、誰に似たんだか」
意識が途切れる直前に母の幻影を見ていた杏寿郎は、懐かしい気配に顔を傾け視線を彷徨わせた。
炭治郎と伊之助の間に、ボロ布を纏った困り顔のラシードが立っている。二人も目を剥いていることから、幻ではないらしい。
ほんの少し声が高いのは、声変わりの前だからか。
伸ばしっぱなしにしたような長い髪のせいか、幼く見えるラシードは、杏寿郎の側にちょんとしゃがんで、笑う。
「俺に似ちゃった? それとも私を逃して死んだ“旦那”に似たのかな。まあ、文句は聞くよ。可愛い子孫だし」
ラシードの子供である元鳴柱の桑島慈悟郎は鬼ではなかった。
ずっとずっと、人生を重ねているのだ。家族を作る機会だってあっただろう。その子供たちが鬼になっていたならば遠慮もしたのだろうが。
右頬に伸ばされてきた友の手。
その温もりや感触はもう、感じられない。
「……よもや──」
そう来たか──杏寿郎は、思わず破顔した。
どういう経緯でかつての炎柱が“昔のラシード”を娶ったのかは知らないが、煉獄家は殿勤めをさせる気がなかったのだろう。
なんとなく杏寿郎にはわかってしまった。
悲しい事実は、本当は悲しいだけではなかったのだと。
遺していく幼い火。
いつか暗闇の中で、道標のように力強く──繋がっていく、尊さ。
「こんなに果報者で良いのだろうか」
こんなに心から、無邪気に笑ったのは──いつ以来か──。
「俺は恵まれた」
ぼろぼろと涙を流す赤い眼や。
何かに耐えるように震える、刀を両手に握った腕。
人々を守るために懸命だった、ここにいない少女と少年も。
まるで母のように寄り添ってくれる友人も。
「幸せものだ──」
本当に、自分は誰に似たんだろうな。
耳元で返ってきた言葉に、息が漏れた──。