第2章 逃れもののオニ。(全19話)
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【幕間 義勇とご飯を食べよう!】
___________________________________
漆黒の刀が、包帯だらけの少年の首元に突きつけられる。傷が開いたのか。
ところどころが赤黒く。
泥に塗れた、傷んだ黒髪。
『泣けよ』
刀の様に深い色の目。蔑みよりなお昏く、悲しみよりなお冷えて。
でもどこまでも、優しい色だ。
「義勇くんがついに柱ですかぁ」
お汁粉を一口すすったティアが、おめでたいですね、と笑う。
その隣で何杯目かのお椀を空にした炎柱が、うむ、と頷いた。
「彼の剣技の洗練された流麗な流れは見習わねばならんと思っていた! 共に柱として肩を並べることが出来て俺も嬉しい!」
「お前は面倒見がいいよなぁ、炎柱」
お前より一個上だぞあいつ、とぼやいたラシードの調子に違和感を覚えたティアが小首を傾げる。
別に隠すことでもないので、素直に二人に悩みを打ち明けた。
「誕生日祝いか。だが、年上だったとは思わなかった!」
「煉獄さんは誕生日いつなんですか?」
「ティア、また呼び方が戻っている。本当に次は返事をしないぞ!」
ごめんなさい杏寿郎、と慌てて口元を押さえる少女と、満足そうな少年の夫婦漫才にため息をつき、ラシードは頭を抱えた。
普通でいいんだ。言葉だけでもいいのだけど、ご褒美くらいあげたい気分なのだ。なんかいい案ないかなぁ。
「俺はサツマイモがあれば何でも嬉しい!」
「千寿郎くんが畑で育て始めましたものね。焼き芋美味しかったです」
飯か。相手の胃袋を掴みにいくのはいいことかもしれない。
杏寿郎とティアの会話からヒントを得たラシードは、そこから目的達成のために必要な人脈をどう繋ぐべきか考えを巡らせながら立ち上がる。
「何か閃いた様ですね」
「我々も手伝った方が良いならば遠慮するな!」
もはや用済みの二人などどうでもいい。ラシードはそそくさと三人分の会計を済ませて店を出た。
義勇を甘やかしたいのにその他大勢を巻き込んだら、他の奴らまで自分は甘やかしてしまうではないか。
だめだ。今回は義勇限定。
緩みそうになる口元を引き締めて、ラシードは知人の家に足を向けた。
『──なんだそのボロ雑巾』
枕元にある日輪刀。まだ一度も抜いていない。
少なくとも、抜ける様な状態ではなかった。傷の治りが遅いからだ。
手足に力が入らない。呼吸も、上手くいかなかった。
『最終選別を終えた弟子だ』
『こんな死にたがりがか。呼吸で回復力も高められないくらい落ちてんじゃん。こんなの使いもんになんねぇよ』
これじゃ日輪刀が不憫だ──自分と同じくらいの子供だろうか。その声の言う事は間違っていない。
押し黙る鱗滝。別の幼い声が言い過ぎだと怒る。
『ラシードは鬼の体質のおかげですぐに治せますが! この子は出来ないんですから!』
悲鳴を上げる体。抜身の刀の色は青。遅れて響く刃先の交わる音で、頭が痛い。
漆黒の刀が青い刃を受け止めて、丸くなった大きな目と目があった。
日の光が部屋の中に満ちている。刀の持ち主は太陽の光を浴びていても何ともない。鬼の要素はどこにも見当たらなかった。
けど、今し方傷つけた頬の薄い傷が、薄く血をにじませた場所が治っていく。
『──どうやら、この場は俺が預かった方が良さそうだな』
にやりと笑ったかと思えば、弾き飛ばされて土間に転がされる。
女の子の悲鳴。
痛みを殺しながら、相手を睨めつけた。
自分より少し幼いくらいの子供だ。
にまにまと笑って、こちらを見下ろしてくる。
『悪いけど、ティアを産屋敷んとこ連れてって紹介しといて。そんで俺が合流するまで暫くついて手伝ってやってよ──こいつは俺が引き受ける』
そういって振り返った先には鱗滝の姿。
驚くべきことに師は、そうか、と一言だけで応じていた。
「──ここだよ、ここ!」
夜の帳も落ちて、提灯や街灯が行き交う人々を照らす。
牛込の花街として名高い神楽坂の入り組んだ小路を抜け、目的地を指差してラシードは背後を振り返った──水柱の冨岡義勇が遠い目をして固まっている。
牛込門の辺りで居心地悪そうな匂いをさせてはいたが、こうしてついてきてくれる辺り義理堅い奴だ。
逃げ出したそうに目をそらす青年の姿を見なかった事にして、さっさと暖簾をくぐる。
まあ、花街になんか任務でもない限り足を運ぶことはないだろうし、人付き合いが苦手な義勇にとっては「なんで自分はここにいるんだろう。なんで連れてこられたんだろう。なんで?」なんて疑問符で頭の中が埋め尽くされているに違いない。
「こんばんは。シゲさんに紹介されて来た者ですが」
静々とした動作で現れた女性に伝えると、彼女はより丁寧な仕草で一礼して影に消えてしまう。事前にそのように打ち合わせてあったのだろう。
「おい、右京さ──」
「女の子と遊びに来たわけじゃないって。そんなんお前の誕生祝いじゃなくて単なる嫌がらせじゃんか」
どんよりとした雰囲気で声をかけてくる義勇の肩を、ラシードはあやす様にばんばん叩いてやった。そこへ、女将を名乗る上品な女性が現れて、先導してくれる。
「ってか、呼び方が戻ってんぞお前」
「すまない。どうも鱗滝さんとの話っが、強烈……過ぎてなっ」
肩を震わせて言葉に詰まる青年を背後に感じながら、ラシードは肩を落とした。
あのオヤジ、今度会ったらまた文句を言ってやる。まあ話した時自分もその場にいて色々ぶっちゃけてましたけどね。
女将に案内された一室で、並べられた品々の前に腰を下ろす。
落ち着きを取り戻した一方で、花街の一施設にいるという状況が変わったわけではない事を思い出し、また顔色を悪くする水柱も促されて席に着いた。
「俺には敷居が高すぎるのだが」
「いやいや、鬼殺隊に費用出させたりとかしないから。これ俺個人の仕事がらみだし」
ぷるぷるし始める義勇を前に、ラシードは慌ててさらに続けた。「お礼なんだってさ」
つい先日、ラシードは懇意にしているとある筋の連中から助けを求められ、鬼が関わっている可能性が高かったことから、義勇に声をかけたのだ。
たまたま発令されたばかりの任務先が一致したことからすんなり手伝って貰えた為、依頼者から何か礼がしたいと打診があり、今に至る。
「前にここでメシ食ったことあってさ。義勇にも食わせてやりたいんだよな──って相談したら奢ってくれるってなってな」
その人物から仲介者を挟んで現在に至る。
なので、本日は花街目当てではなく、食事目当て。それも、依頼人からのお礼でもある。
「人払いも済んでるし。食ったらすぐ帰れるから! そんな今すぐ窓から逃げたいって顔すんな! 寂しい!」
「……食べ物を粗末にするわけにはいかな……──‼︎」
ぐうの音も出ない──そんな調子で箸を持った義勇の動きが変わったのは、彼の大好物が目に入ったからかもしれない。
そうなのだ。ここの鮭大根が絶品だったから、いつか義勇を連れて来てやろうと決めていた。
けれども、タイミングが掴めなかったのと口実が思いつかず、また仲介者に話を通すのも相手が多忙で──と諸々上手くいかなくて。
「特別に多めに頼んでおいた。おかわりは難しいけどな」
義勇の器に自分の方の品を器用に移してやる。
無言で食べ続ける青年を眺めながら、持つべき者は友人だよなぁ、と共に舌鼓を打つ。
「右きょ──ラシードになってからの人脈なのか。それ以前から?」
「右京のこと知ってるやつなんて鬼殺隊の一部だけだよ。ここ十年そこらで築いた人脈ですとも──まあ、裏技は使ったけどな!」
義勇はラシードが生前の記憶を重ねて生きている人間である事を知っている。ある時代から外見が変わらないので、“死後、すぐ同じ国で生まれた時”は髪型を変えたり印象操作を施さねばならないのが面倒だったが。
ラシードとして他国で生まれて、日本に戻って真っ先に鱗滝を訪ねた時──そこには心身ともにボロボロになった少年がいた。
日輪刀を枕元に置いたまま、傷の治りが思ったよりも遅く、任務に出ることができず。そんな自分の不甲斐なさと、それ以上に深い悔恨と慟哭に膝を抱えていた義勇。
特に何かしたわけでもないが、義勇は日輪刀を手に前へ踏み出す覚悟を持って鱗滝の元を去っていった。
それを見送る時、鱗滝が静かに泣いていたのをラシードは覚えている。
何があったのかは聞かなかったが、義勇以外にもう一つ、匂いが残っていたから察しはついた。「──なあ、義勇」
もぐもぐやりながら視線をよこしてくる青年に、ラシードはにひひと白い歯を見せる。
「オヤジの誕生祝い、ここにしない?」
「──‼︎」
かっと目を見開いた辺り同意のようだ。
費用はラシードが出すので、鱗滝を引っ張ってくるのを義勇に任せる。
義勇は口数が少ない分下手なことは言わない──言えない。一方で、鱗滝は鼻が利くから滅多にない義勇の積極性を前に無碍な態度はとらないはず。
よし、早速アポ取りをしなければ。
ラシードは帰りにシゲさんちに寄らなきゃ──とぼやきながら、食事を再開するのだった。
『──昔、鬼に食われた時な』
目を閉じる前。
友人の、力強いあの背中を見送った。
目を開けたら。
友人の、悲報を告げられた。
幾度も挑んだ相手に打ち負かされた時。
唐突に始まった話に驚いた。
鬼に食われた──その時に、鬼の血を得てしまったのだろうか。
けれど再生能力以外は鬼としての特徴は感じられない。
なのに、時々ラシードは俺に対して“鬼”を見せつけてくるから、間違いなく鬼でもある事は間違いない。
『俺には子供がいてさ。食い殺されてるところを見られたんだわ。今際の際、うわーマジか最悪!って思った』
自嘲の笑みを浮かべる少年は、同じくらいの歳のはずなのに、とても大人びて見える。鬼だから、ずっと長く生きているのだろうか。
けれど、違った。ラシードは記憶を引き継ぐ能力をもともと持っていて鬼の特性は後から追加されたものだということ。
死んで、新しく生まれる時。
食い殺されている自分を見る、子供の顔。
ラシードは、悔しかった、と笑っていた。
友人の背中を見送って、目を覚ましたら失っていた。
悔しい。そうだ、悔しい。悔しくて堪らない。
『でも、右京は恵まれてたよ。成長した子供にも会えたし、好きな奴も出来たし、家族もできたしさ』
『お前は、ずっと鬼と戦ってるのか』
起き上がって尋ねると、ごめんな、と困った様に笑って来た。
そう言わせてしまったことに、酷い罪悪感が湧いてくる。
ずっと前から鬼はいて、鬼を倒すことを目的としてきた先達たちがいた。
けれど現実は、この大正の世まで果たせずにのさばらせている。
もしここに、友人がいたら。
きっといい言葉を返せていたのだろうけど。
少しだけ懸命に考えたが、思い浮かばない。『謝るくらいなら』
刀を構えながら言った。視界がにじみかけるのを、気合で押し留める。
『謝るくらいなら、今すぐ俺に斬られろ!』
友人が生きていたら、きっと鬼から救われる人はいっぱいいた。自分よりもずっとずっと、救ったはずだ。
ラシードの周りにもいただろうか。自分よりももっと強い奴が。その人物が同じような能力を持っていたらとか、思ったりしないだろうか。
死んでもまた生まれて、鬼を倒すならば、もっとふさわしい相手がそうであったならばと。
なぜ自分なのかと──。
振りかぶった一太刀は、これまでで一番重くて痛くて、暫く呼吸が出来なかったほど強烈な技で弾かれた。
岩で殴られたような衝撃。けれど、日輪刀は折れなかった──折れないように配慮してくれたのだろう。
突きつけられた刃先。その先の、優しい目。
『泣けよ。お前にはまだ、“泣かない”資格なんかねぇよ』
いつの間にか納刀し、片膝をついて頭を撫でてくる。
生まれた時、俺はいつも泣いてるよ。泣いて泣いて泣ききって、反省して後悔しまくって。そうやって踏ん張ってきたよ。
悔しかった。悔しいんだ。
友人の後を追って行けなかったあの時の自分が悔しい。
弱かった自分が許せない。遅すぎた自分が憎い。
「『義勇くんはラシードを甘やかしすぎです!』」
義勇が神楽坂での誕生日会の話をしていたところ、唐突にティアが怒り出した。いつものことだけど。
昼寝の為に膝を借りているのに、説教されてしまっては堪らない。
「何度も言うが、俺は甘やかしてない」
「してます! まるで孫を構う祖父母ですよ、あの人! 義勇くんも!」
そこは否定できない。義勇からするとラシードはもう祖父母枠だ。
敬わなければならない相手だし、寿命もあるから労らないと。
ティアがいう甘やかしが何かはわからないが、気づいたら老衰で死なれたりしては目覚めが悪い。特に最近は、調子が悪そうだ。
「眠い」
「っは! すみません、煩くしました」
話を切り上げてしまって悪いが、いつまた任務で出なければならないのかわからない。休める時に休んでおきたい。
「今くらいいいだろう……最期は俺が首を斬るのだから」
師も務めた大役だ。
義勇は元気付けるように撫でてくるティアの手に身を委ねる。
ラシードの首を刎ねるのは義勇の仕事。
これは、約束だ。
それを甘やかしてるって言うんですよ──小さく降って来た幼馴染みのぼやきから逃れるように、義勇は身を縮こまらせて、意識を閉じた──。
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漆黒の刀が、包帯だらけの少年の首元に突きつけられる。傷が開いたのか。
ところどころが赤黒く。
泥に塗れた、傷んだ黒髪。
『泣けよ』
刀の様に深い色の目。蔑みよりなお昏く、悲しみよりなお冷えて。
でもどこまでも、優しい色だ。
「義勇くんがついに柱ですかぁ」
お汁粉を一口すすったティアが、おめでたいですね、と笑う。
その隣で何杯目かのお椀を空にした炎柱が、うむ、と頷いた。
「彼の剣技の洗練された流麗な流れは見習わねばならんと思っていた! 共に柱として肩を並べることが出来て俺も嬉しい!」
「お前は面倒見がいいよなぁ、炎柱」
お前より一個上だぞあいつ、とぼやいたラシードの調子に違和感を覚えたティアが小首を傾げる。
別に隠すことでもないので、素直に二人に悩みを打ち明けた。
「誕生日祝いか。だが、年上だったとは思わなかった!」
「煉獄さんは誕生日いつなんですか?」
「ティア、また呼び方が戻っている。本当に次は返事をしないぞ!」
ごめんなさい杏寿郎、と慌てて口元を押さえる少女と、満足そうな少年の夫婦漫才にため息をつき、ラシードは頭を抱えた。
普通でいいんだ。言葉だけでもいいのだけど、ご褒美くらいあげたい気分なのだ。なんかいい案ないかなぁ。
「俺はサツマイモがあれば何でも嬉しい!」
「千寿郎くんが畑で育て始めましたものね。焼き芋美味しかったです」
飯か。相手の胃袋を掴みにいくのはいいことかもしれない。
杏寿郎とティアの会話からヒントを得たラシードは、そこから目的達成のために必要な人脈をどう繋ぐべきか考えを巡らせながら立ち上がる。
「何か閃いた様ですね」
「我々も手伝った方が良いならば遠慮するな!」
もはや用済みの二人などどうでもいい。ラシードはそそくさと三人分の会計を済ませて店を出た。
義勇を甘やかしたいのにその他大勢を巻き込んだら、他の奴らまで自分は甘やかしてしまうではないか。
だめだ。今回は義勇限定。
緩みそうになる口元を引き締めて、ラシードは知人の家に足を向けた。
『──なんだそのボロ雑巾』
枕元にある日輪刀。まだ一度も抜いていない。
少なくとも、抜ける様な状態ではなかった。傷の治りが遅いからだ。
手足に力が入らない。呼吸も、上手くいかなかった。
『最終選別を終えた弟子だ』
『こんな死にたがりがか。呼吸で回復力も高められないくらい落ちてんじゃん。こんなの使いもんになんねぇよ』
これじゃ日輪刀が不憫だ──自分と同じくらいの子供だろうか。その声の言う事は間違っていない。
押し黙る鱗滝。別の幼い声が言い過ぎだと怒る。
『ラシードは鬼の体質のおかげですぐに治せますが! この子は出来ないんですから!』
悲鳴を上げる体。抜身の刀の色は青。遅れて響く刃先の交わる音で、頭が痛い。
漆黒の刀が青い刃を受け止めて、丸くなった大きな目と目があった。
日の光が部屋の中に満ちている。刀の持ち主は太陽の光を浴びていても何ともない。鬼の要素はどこにも見当たらなかった。
けど、今し方傷つけた頬の薄い傷が、薄く血をにじませた場所が治っていく。
『──どうやら、この場は俺が預かった方が良さそうだな』
にやりと笑ったかと思えば、弾き飛ばされて土間に転がされる。
女の子の悲鳴。
痛みを殺しながら、相手を睨めつけた。
自分より少し幼いくらいの子供だ。
にまにまと笑って、こちらを見下ろしてくる。
『悪いけど、ティアを産屋敷んとこ連れてって紹介しといて。そんで俺が合流するまで暫くついて手伝ってやってよ──こいつは俺が引き受ける』
そういって振り返った先には鱗滝の姿。
驚くべきことに師は、そうか、と一言だけで応じていた。
「──ここだよ、ここ!」
夜の帳も落ちて、提灯や街灯が行き交う人々を照らす。
牛込の花街として名高い神楽坂の入り組んだ小路を抜け、目的地を指差してラシードは背後を振り返った──水柱の冨岡義勇が遠い目をして固まっている。
牛込門の辺りで居心地悪そうな匂いをさせてはいたが、こうしてついてきてくれる辺り義理堅い奴だ。
逃げ出したそうに目をそらす青年の姿を見なかった事にして、さっさと暖簾をくぐる。
まあ、花街になんか任務でもない限り足を運ぶことはないだろうし、人付き合いが苦手な義勇にとっては「なんで自分はここにいるんだろう。なんで連れてこられたんだろう。なんで?」なんて疑問符で頭の中が埋め尽くされているに違いない。
「こんばんは。シゲさんに紹介されて来た者ですが」
静々とした動作で現れた女性に伝えると、彼女はより丁寧な仕草で一礼して影に消えてしまう。事前にそのように打ち合わせてあったのだろう。
「おい、右京さ──」
「女の子と遊びに来たわけじゃないって。そんなんお前の誕生祝いじゃなくて単なる嫌がらせじゃんか」
どんよりとした雰囲気で声をかけてくる義勇の肩を、ラシードはあやす様にばんばん叩いてやった。そこへ、女将を名乗る上品な女性が現れて、先導してくれる。
「ってか、呼び方が戻ってんぞお前」
「すまない。どうも鱗滝さんとの話っが、強烈……過ぎてなっ」
肩を震わせて言葉に詰まる青年を背後に感じながら、ラシードは肩を落とした。
あのオヤジ、今度会ったらまた文句を言ってやる。まあ話した時自分もその場にいて色々ぶっちゃけてましたけどね。
女将に案内された一室で、並べられた品々の前に腰を下ろす。
落ち着きを取り戻した一方で、花街の一施設にいるという状況が変わったわけではない事を思い出し、また顔色を悪くする水柱も促されて席に着いた。
「俺には敷居が高すぎるのだが」
「いやいや、鬼殺隊に費用出させたりとかしないから。これ俺個人の仕事がらみだし」
ぷるぷるし始める義勇を前に、ラシードは慌ててさらに続けた。「お礼なんだってさ」
つい先日、ラシードは懇意にしているとある筋の連中から助けを求められ、鬼が関わっている可能性が高かったことから、義勇に声をかけたのだ。
たまたま発令されたばかりの任務先が一致したことからすんなり手伝って貰えた為、依頼者から何か礼がしたいと打診があり、今に至る。
「前にここでメシ食ったことあってさ。義勇にも食わせてやりたいんだよな──って相談したら奢ってくれるってなってな」
その人物から仲介者を挟んで現在に至る。
なので、本日は花街目当てではなく、食事目当て。それも、依頼人からのお礼でもある。
「人払いも済んでるし。食ったらすぐ帰れるから! そんな今すぐ窓から逃げたいって顔すんな! 寂しい!」
「……食べ物を粗末にするわけにはいかな……──‼︎」
ぐうの音も出ない──そんな調子で箸を持った義勇の動きが変わったのは、彼の大好物が目に入ったからかもしれない。
そうなのだ。ここの鮭大根が絶品だったから、いつか義勇を連れて来てやろうと決めていた。
けれども、タイミングが掴めなかったのと口実が思いつかず、また仲介者に話を通すのも相手が多忙で──と諸々上手くいかなくて。
「特別に多めに頼んでおいた。おかわりは難しいけどな」
義勇の器に自分の方の品を器用に移してやる。
無言で食べ続ける青年を眺めながら、持つべき者は友人だよなぁ、と共に舌鼓を打つ。
「右きょ──ラシードになってからの人脈なのか。それ以前から?」
「右京のこと知ってるやつなんて鬼殺隊の一部だけだよ。ここ十年そこらで築いた人脈ですとも──まあ、裏技は使ったけどな!」
義勇はラシードが生前の記憶を重ねて生きている人間である事を知っている。ある時代から外見が変わらないので、“死後、すぐ同じ国で生まれた時”は髪型を変えたり印象操作を施さねばならないのが面倒だったが。
ラシードとして他国で生まれて、日本に戻って真っ先に鱗滝を訪ねた時──そこには心身ともにボロボロになった少年がいた。
日輪刀を枕元に置いたまま、傷の治りが思ったよりも遅く、任務に出ることができず。そんな自分の不甲斐なさと、それ以上に深い悔恨と慟哭に膝を抱えていた義勇。
特に何かしたわけでもないが、義勇は日輪刀を手に前へ踏み出す覚悟を持って鱗滝の元を去っていった。
それを見送る時、鱗滝が静かに泣いていたのをラシードは覚えている。
何があったのかは聞かなかったが、義勇以外にもう一つ、匂いが残っていたから察しはついた。「──なあ、義勇」
もぐもぐやりながら視線をよこしてくる青年に、ラシードはにひひと白い歯を見せる。
「オヤジの誕生祝い、ここにしない?」
「──‼︎」
かっと目を見開いた辺り同意のようだ。
費用はラシードが出すので、鱗滝を引っ張ってくるのを義勇に任せる。
義勇は口数が少ない分下手なことは言わない──言えない。一方で、鱗滝は鼻が利くから滅多にない義勇の積極性を前に無碍な態度はとらないはず。
よし、早速アポ取りをしなければ。
ラシードは帰りにシゲさんちに寄らなきゃ──とぼやきながら、食事を再開するのだった。
『──昔、鬼に食われた時な』
目を閉じる前。
友人の、力強いあの背中を見送った。
目を開けたら。
友人の、悲報を告げられた。
幾度も挑んだ相手に打ち負かされた時。
唐突に始まった話に驚いた。
鬼に食われた──その時に、鬼の血を得てしまったのだろうか。
けれど再生能力以外は鬼としての特徴は感じられない。
なのに、時々ラシードは俺に対して“鬼”を見せつけてくるから、間違いなく鬼でもある事は間違いない。
『俺には子供がいてさ。食い殺されてるところを見られたんだわ。今際の際、うわーマジか最悪!って思った』
自嘲の笑みを浮かべる少年は、同じくらいの歳のはずなのに、とても大人びて見える。鬼だから、ずっと長く生きているのだろうか。
けれど、違った。ラシードは記憶を引き継ぐ能力をもともと持っていて鬼の特性は後から追加されたものだということ。
死んで、新しく生まれる時。
食い殺されている自分を見る、子供の顔。
ラシードは、悔しかった、と笑っていた。
友人の背中を見送って、目を覚ましたら失っていた。
悔しい。そうだ、悔しい。悔しくて堪らない。
『でも、右京は恵まれてたよ。成長した子供にも会えたし、好きな奴も出来たし、家族もできたしさ』
『お前は、ずっと鬼と戦ってるのか』
起き上がって尋ねると、ごめんな、と困った様に笑って来た。
そう言わせてしまったことに、酷い罪悪感が湧いてくる。
ずっと前から鬼はいて、鬼を倒すことを目的としてきた先達たちがいた。
けれど現実は、この大正の世まで果たせずにのさばらせている。
もしここに、友人がいたら。
きっといい言葉を返せていたのだろうけど。
少しだけ懸命に考えたが、思い浮かばない。『謝るくらいなら』
刀を構えながら言った。視界がにじみかけるのを、気合で押し留める。
『謝るくらいなら、今すぐ俺に斬られろ!』
友人が生きていたら、きっと鬼から救われる人はいっぱいいた。自分よりもずっとずっと、救ったはずだ。
ラシードの周りにもいただろうか。自分よりももっと強い奴が。その人物が同じような能力を持っていたらとか、思ったりしないだろうか。
死んでもまた生まれて、鬼を倒すならば、もっとふさわしい相手がそうであったならばと。
なぜ自分なのかと──。
振りかぶった一太刀は、これまでで一番重くて痛くて、暫く呼吸が出来なかったほど強烈な技で弾かれた。
岩で殴られたような衝撃。けれど、日輪刀は折れなかった──折れないように配慮してくれたのだろう。
突きつけられた刃先。その先の、優しい目。
『泣けよ。お前にはまだ、“泣かない”資格なんかねぇよ』
いつの間にか納刀し、片膝をついて頭を撫でてくる。
生まれた時、俺はいつも泣いてるよ。泣いて泣いて泣ききって、反省して後悔しまくって。そうやって踏ん張ってきたよ。
悔しかった。悔しいんだ。
友人の後を追って行けなかったあの時の自分が悔しい。
弱かった自分が許せない。遅すぎた自分が憎い。
「『義勇くんはラシードを甘やかしすぎです!』」
義勇が神楽坂での誕生日会の話をしていたところ、唐突にティアが怒り出した。いつものことだけど。
昼寝の為に膝を借りているのに、説教されてしまっては堪らない。
「何度も言うが、俺は甘やかしてない」
「してます! まるで孫を構う祖父母ですよ、あの人! 義勇くんも!」
そこは否定できない。義勇からするとラシードはもう祖父母枠だ。
敬わなければならない相手だし、寿命もあるから労らないと。
ティアがいう甘やかしが何かはわからないが、気づいたら老衰で死なれたりしては目覚めが悪い。特に最近は、調子が悪そうだ。
「眠い」
「っは! すみません、煩くしました」
話を切り上げてしまって悪いが、いつまた任務で出なければならないのかわからない。休める時に休んでおきたい。
「今くらいいいだろう……最期は俺が首を斬るのだから」
師も務めた大役だ。
義勇は元気付けるように撫でてくるティアの手に身を委ねる。
ラシードの首を刎ねるのは義勇の仕事。
これは、約束だ。
それを甘やかしてるって言うんですよ──小さく降って来た幼馴染みのぼやきから逃れるように、義勇は身を縮こまらせて、意識を閉じた──。