幻紅葉


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「ノイエ!先に行って医務室を使えるようにしておいてくれ!」

「は、はい!」

まだ学生達の多くたむろする学生寮の通路を全力で駆け抜けながら、魔術学科の教諭であるキールドは共に走る3人の中で一番足の早い少女に命じ、先に向かわせた。

「先生!その子は誰!?」

「知るかブルーに聞け!!」

「宇宙人だ!!」

後に続くブルーは興奮したように叫び、グランツは自分の側に頭のあるそれに少し離れながら目を向けてくる。

キールド達が急ぐ理由。それはキールドが抱き上げて走る幼い少女にあった。

ブルーとグランツの部屋を最後に出ようとした時、キールドはブルーが放置した魔方陣が発動するのを見た。

魔方陣の文字が黒く輝き、そこから現れたのは一糸纏わぬ幼い少女で、その姿に驚いたキールドはすぐに上着を脱いで意識の無い少女にかけてやり、慌てながら3人を呼び止めた。

すぐに室内に戻り意識を確認しても、気絶しているかのように少女は目覚めない。すぐに危険な状況であることに気付いたキールドはブルーのベッドのシーツを乱暴に取って少女に巻き付け、横抱きにして医務室に急いだのだ。

「やっぱ宇宙人はいたんだ!歴史が変わるぞ!!」

「うるせぇぞブルー!!この子が死んだらお前の責任なんだぞ!!」

「え!?」

周りの学生達が困惑した眼差しを向ける中でブルーだけが嬉しそうにはしゃぐのを黙らせて、キールドは医務室まで立ち止まらずに走り続けた。

そしてようやく到着した医務室では先に到着していたノイエが医術学科の教諭でもある医師に状況を簡単に説明してくれており、上手く女性医師達を呼んでくれていたことも幸いして、キールドは少女を医師達に預けることが出来た。

ようやく手の空いたキールドは少しだけ休むように椅子に座ってから、同じようにだらけるブルー達を近くに呼び寄せて。

「…で、何を召喚した」

もはや聞かずともわかるが、一応再確認の為にブルーに訊ねた。

「…宇」

「1から全部だ」

「…」

宇宙人かどうかは置いておいて、召喚された少女は自分達と同じ形をしていた。しかも、死にかけだった。

死にかけていたのだ。

前例の無い魔方陣での召喚に何らかの失敗があり少女が危険な目に合ったと見るのが妥当だろう。

「あの…昼間に、みんなで宇宙人がいるかどうか話してたじゃないっすか」

キールドの怒りを免れる言葉を探すように、ブルーは視線を右へ左へと移動させながら口を開き始める。

ブルーはキールドの生徒であり、確かに昼間の空いた時間に生徒達が宇宙人について暑苦しく討論していた様子はキールドも他の教諭と共に見ていた。

「で、僕はずっと宇宙人の召喚魔法陣を調べてまして…」

「完成したからさっそく試した、と」

「…はい」

「馬鹿野郎!!」

怒鳴り付ければ、びくりとブルーの肩が跳ね上がった。

「異次元世界用の召喚魔法陣の一部分をテレポート用に変えてあっただけだろうが!!あんなもんで!!」

「で、ですけどあの少女は!」

「どこか別の国からテレポートされていただけならどうする!お前は1人の女の子を拉致したことになるんだぞ!」

そこまで言ってようやく、ブルーは自分が宇宙人以外の人間を召喚した可能性に気付いた様子だった。

人の形をしていたとはいえ、容姿は自分達とはわずかに異なる作りだった。

ならこの星の、ここから離れた国の人間である可能性が高い。

全ては少女が目覚めなければわからない事だが。

「外野、煩くするなら出てってください」

「あ…悪い」

そこに見知った教諭仲間の女がカーテンごしに顔を覗かせて、静かになるキールド達を見据えてから、ようやくキールドを指先1本で呼び寄せた。

「…お前達はまだここにいろ」

ブルー達に帰るなと告げて、自分はカーテンの中に入る。

「…酷い脱水症状を起こしていましたが、もう大丈夫でしょう。ほかは身体中に火傷の後がありますが、こちらは軽度です」

「…そうか」

「いつ目覚めるかはわかりませんが、恐らく言語が私たちと異なる国のものです。言語回路をあらかじめ繋げておいてもらえませんか?」

「…それは」

「少しだけうわ言を。ですが理解できない単語でしたから」

「…わかった」

身体に薄手の布団をかけられた少女は、先ほどとは違い顔色がまだましになっている。

言われた通り言語回路をこちらに合わせる為に少女の頭近くに移動したところで、

『『お母さん』』

少女が何かを呟いた。

何と呟いたのか、言語の違いでわからない。

「どこの国の言葉かわかりますか?」

問われて、静かに首を横に振った。

「…いや、聞いたこともない」

そう言葉を添えれば「ですよね…」とため息を返されてしまった。

キールドは両手に魔力を集め、片手に収まる程度の大きさの魔力の玉を生み出す。

「穏やかな会話を鈴の音と共に。健やかな歌を風の流れと共に。私達は祝福します。あなたとの魅力的な出会いを」

詠唱と共に、小さな魔力の玉を少女の額に乗せる。その玉は少しずつ中に入り込み、やがて完全に少女と一体化した。

「…これで対話可能のはずだ」

「ありがとうございます。後は無事の目覚めを待つことしか出来ませんね」

「ああ。学園長にはこちらから伝えておこう」

「お願いします」

目覚めるまでは。

少女の正体が気になったが、キールドは後の世話を医師に任せて少女から離れ、未だに緊張した面持ちのブルー達の元に戻った。

「…先生」

「お前が勝手に魔術を使ったことは、どのみち学園長ににも伝えなければならない事だ。今から向かうぞ」

「それって俺らもですか?」

状況を理解したブルーは柄にもなく落ち込み、グランツとノイエは云わば巻き込まれただけなので、驚いたように目を見開く。

「お前らはおまけ程度だろうが、一緒にいたことに代わり無い。悪いが来てもらうぞ」

「まじかよ…」

「明日の武芸学科の授業は早朝訓練なのにぃー…」

「状況によっては明日は3人共授業免除だ」

「「行きます」」

免除の言葉に早朝訓練を控えた2人は口を揃えたが、やはりブルーは落ち込んだまま。

カーテンで見えはしないが自分が呼び出してしまった少女に目を向けて肩を落としたので、キールドはため息をつきつつも励ますようにブルーの背中を少し叩いた。

見上げてくるブルーは複雑そうな表情を浮かべたが、キールドが医務室を出ると、グランツとノイエに急かされるように後についてきた。

学園長はひどく恐れる必要は無いが。

もしあの少女が本当に宇宙人だとするならば。

それは世界をひっくり返すほどの大事件となってしまうだろう。


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--お母さん

真っ暗闇の中を走りながら、紅葉は必死に母を探した。

自分以外に何も見えない。

何もわからない。

--お母さん!

ただひたすら母を探す。

母は身体が弱いのだ。

父がいなくなり、母娘2人で支え合いながら生きてきた。

私がいなくなったら、母はどうなる。

戻らないと。

早く、戻らないと。

--お父さん…

どうか、お母さんを助けて

お母さんを


「--お母さん!!」

飛び起きた紅葉の目に飛び込んできたのは、見慣れない風景の部屋だった。

大きな部屋をカーテンで仕切ってあり、紅葉の周りには大きさも色も異なる球体が数個浮いている。

「…?」

何だろう。そう思って球体のひとつに触れてようとしたが、うまい具合にかわされてしまった。

「…あら、あらあら」

そこへ、白人とも黒人とも黄色人種ともつかない不思議な女性が姿を見せる。

「目を冷ましたのね!具合はどうかしら?」

「え…あの…具合?」

「言葉もしっかり通じるわね。さすがキールド先生だわ」

「……」

女性が何のことを言っているのかわからず、紅葉は警戒するように身を縮こまらせる。

ここはどこなのだろうか。どうしてこんな場所に。

「落ち着いて。大丈夫。私はあなたを治療していたの。敵とかじゃないわ」

「…治療?」

「そう。あなた命を落とすくらい酷い脱水症状でここに連れてこられたのよ」

「…脱水…」

そこまで口にして、ようやく自分がどんな状況にいたかを思い出した。

「--」

裸にされて、炎天下の屋上に閉め出されて。

2時限目の授業が終わるチャイムまでは何とか覚えているが、それ以降は。

「落ち着いて。大丈夫よ。お水、飲む?」

急激に緊張が走り身体を震わせるが、女性は優しく話しかけてくれて、紅葉の背中を撫でてくれた。

力なく首を横に振って水分を拒み、もう一度辺りを見回す。

この女性は恐らく病院のお医者さんなのだろうと思ったが、この部屋はどう見ても病院には見えなかった。

どちらかというと、家族3人で見に行ったファンタジー映画のワンシーンのような。

「あの、ここは?」

おどおどとした問いかけに、女性がわずかに固くなった気がした。

しかしすぐにニッコリと微笑まれて。

「私はシェイリー。この学園の医療学科の教諭よ。医師も兼ねてるの」

「教諭…先生?」

「そ。ここはアンジュール学園。…けっこう有名な学園なんだけど、知ってるかな?」

アンジュール学園など、紅葉は聞いたこともない。

横文字の学校なんて、有名所で知っているとすれば海外の大学くらいだ。

「…知りません…ごめんなさい」

申し訳なくて謝れば、シェイリーは「謝る必要無いわよ」と笑ってくれた。

「じゃあ私からも教えて。貴女のお名前は?」

「…私の、ですか?」

「そう。裸で運ばれてきたから、あなたの事が何もわからないの」

「…村本、紅葉です」

「ムラモトモミジ?長い名前ね」

「あ、の…名前は紅葉で、村本は…」

「あら?…じゃあモミジちゃんでいいかな?」

「あ、はい」

ニコニコと優しげな印象を崩さないシェイリーを見つめながら、紅葉は少しだけ不安になってしまった。

なぜ学校の屋上にいたのに、運ばれた先で自分の事が何ひとつわからないのか。

先生が付き添いで救急車を呼んでくれたわけではないのだろうか。

いや、なら運ばれるのは病院のはずで、シェイリーはここがアンジュール学園だという。

「…あの、私の鞄は?」

そして自分は鞄を抱いていたはずで、その在り処を聞いたが、初めてシェイリーの顔が申し訳なさそうに曇ってしまった。

「鞄?残念だけど、本当にあなただけがここに来たのよ。衣服も着ていなかったんだから」

「あ、それなら…脱がされたので…」

「…脱がされた?」

「…いえ…」

少し怪訝な表情を向けられて、思わず俯く。

「うーん、後で色々聞かせてもらうことになるけど、訳ありなら女の人だけで固められるわよ?そうしよっか」

脱がされたという発言を気に留めてくれたらしくシェイリーは気遣ってくれる。

それにはありがとうございますとだけ返して、そのままいくつかの質問に答えた。

住んでいる場所はなぜか国名から、年齢と、職業を。

「…じゃあ14歳の学生さんなのね。もう少し下かと思っちゃったわ」

「…下?」

「ええ。10歳くらいかなって」

「そんなにですか?」

確かに背は低いかも知れないが、10歳に間違えられるほど幼くもないはずだ。困惑しながらもまたいくつかの質問をされてから、ようやく解放される。

「……」

少し疲れたかも知れない。が、鞄が無いという事がなかなか胸に堪えたらしい。鞄の中にはお弁当が入っていたのに。

そこまで思い出してから、紅葉は「あ!」と声を上げた。

「どうしたの?」

「あの…私のお母さんは…」

倒れて運び込まれたなんて、きっと心配している。

母の居場所を訊ねると、シェイリーは困ったようにまた表情を曇らせた。

「…今はまだ会えないわ。あなたの検査が先なのよ。ごめんなさいね」

「…そうですか。検査っていつ終わりますか?お母さん、身体が弱いんです。すぐ倒れちゃうから、私がそばにいないと…」

「なるべく早く終わらせるようにするわ。…少しここで待っていてくれる?人を呼んでくるから」

「あ…はい」

歯切れの悪い様子を見せながら去っていくシェイリーを見送ってから、紅葉は仕方なくもう一度ベッドに横になった。

ここはどこなのだろうか。

家から近い場所ならいいが、アンジュール学園なんて聞いたこともない。

知らなかっただけならいいのに。

そう思いながらも疲れてしまった体は再び睡眠を求め、紅葉は静かに眠りの世界へ戻ってしまった。

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