幻紅葉


-----

 今日を乗り越えれば、明日と明後日は休みだ。
 2日間の休日を思いながら当校した紅葉は今日1日の“紅葉狩り”の予想をつけた。
 基本はいつも通りの代わり映えしない苛めのはずだ。だが今日は、プールがある。
 3、4時限目の2時間授業。
 プールの日は、いつもより警戒しなければならない。
 前回は更衣室で着替えている姿を写真に撮られそうになったのだ。
 さすがにスマホを向けられてすぐに気付きトイレの個室に駆け込んだが、今日は何をされるか。それこそ押さえつけられでもしたら、味方のいない紅葉に逃げる術はない。
 男子が側にいない分、女子は余計にえげつない本性を剥き出しにする。
 とにかく今日は、2時限目が終わったらすぐに少し離れたトイレに逃げ込んで、そこで着替えてから制服を着直して向かうか。制服はプールサイドで脱いで袋に入れて、先生のすぐ近くの目につく場所にかけておく。
 いくら見て見ぬふりをする先生達だとしても、さすがにその目の前で勝手に他人の袋をさぐる者はいない。
 それは紅葉が考え抜いた先に見つけた逃げ道のひとつだった。
 だが今日は。
「--村本さぁん、ちょっといーい?」
 何か企んでいる甘ったるい声は、教室に入る前に聞かされた。
「……」
 主犯格の女子がいるグループ。
 4人組の彼女達はニヤニヤと勝ち誇った笑みを浮かべて、異変に気付いた周りの生徒達も興味深そうに好奇の眼差しを向けてくる。
 いつもギリギリで教室に入るようにしてたのに。
「…なに?」
「今から皆でトイレ行くの。村本さんも行こーよ!」
 鼻にかかるようなわざとらしい声。同時に運動部の1人が動いて、紅葉の鞄を取り上げた。その中には母が作ってくれたお弁当が入っている。
「や、返して!」
「ひっど!持ってあげただけじゃーん」
「早く行こー!」
 紅葉が鞄を取り返しに来るとわかった上で、4人はさっさと行ってしまう。
 母親が作ってくれたお弁当だけは。
 紅葉狩りのせいで毎日食べられるわけではないけれど、1日1日が大切なお弁当なのだ。
「っ…」
 無事に返してくれるかどうかはわからない。それでも腹をくくってついていき。
 向かった先は、トイレではなかった。
 階段を登り、屋上の扉の前へ。
 安全の為に屋上には入れないようになっているが、扉の上にある小さな窓は、上級生が溜まり場にする為に鍵を壊してあった。
 その噂は紅葉も知っている。
 その扉の前で。
「みんなさぁ、あんたと一緒にプール入りたくないって言ってんのよね」
 主犯の少女が代表するように口を開き、他の3人が一斉に頷く。
「ほら、汚れるじゃん?」
「せっかくのプールなのに、楽しい気分台無しになっちゃうし」
 勝手なことを言われて、それでも性格が暗くなってしまった紅葉には言い返すことも出来ない。
 俯いて、ひたすら今が終わることを考えて。
「でもぉ、村本さんもプールって楽しみでしょ?」
「…休むよ…プール、出ないから」
「そんなの村本さんに悪いよぉ!」
 消えてしまいそうな声で体育を休むと言っても、彼女達の目的は別にあるらしく認めてはもらえなかった。
 何をさせるつもりなのか。
 ちらりと見上げれば、嫌な笑みは健在だ。
「まあ、プールは休んでほしいんだけどさぁ、村本さんに悪いから、ここでプール気分を味わわせてあげるよ!」
「…え?」
 そこで、主犯の甘ったるい声が豹変した。
「脱げっつってんの」
 なにを言われたのか。わかった瞬間に青ざめた。
「村本紅葉のストリップだぁ!」
「写真取ろ!」
「うちロリコンのオッサン知ってるよ!写真買ってくれっかも!」
 固まる紅葉をよそに、4人が面白がってスマホを取り出す。
 撮られる。
 そう思った瞬間に、涙がにじんだ。
「や、やめて!」
「は?」
 紅葉にとってみれば懸命な訴えは、いとも簡単に打ち捨てられた。
「村本のクセにさぁ、うちらに文句言うの?なら鞄返さなーい」
 言うが早いか、弁当の入った鞄が屋上の扉の上にある窓から外へ投げ捨てられた。
「やめて!!」
 紅葉が懸命に訴えたところで、聞こえてくるのは少女達の笑い声と、鞄が落ちる音だけだ。
「ひどい!」
 慌てて窓に近付こうとしても、4人に止められて扉に触れることすら出来なかった。
 冷静な判断が出来たならば職員室に向かって屋上を開けてもらうという判断に至っただろうが、数々の苛めを受け続けてすでに心が弱りきっている紅葉にそんな正常な判断は思い付かない。
「脱げよ。そしたら取りに行かせてあげるからさ」
 まるで女王のように。
 相手を屈服させる為の命令に、紅葉は涙を溢れさせた。
 どうしてこんな目に合うのだろう。
 でも、鞄の中にはお弁当が入っている。屋上は炎天下だ。早く取りに行かないと傷んでしまうだろう。
 紅葉は諦めたように後ろを向くが、
「はぁ?何やってんの?こっち向いて」
 せめての抵抗も却下されてしまった。
「あ、みんな写真?」
「うん」
「あたしもー」
「ザンネーン、充電やばいからパス。後で送って」
「そっか。じゃあうち動画にしよっと」
 ポロポロと涙をこぼす紅葉を完全に無視して、撮影会が始まる。
 もはや紅葉には抵抗する術など存在しなかった。
「みんな呼べば良かったね」
「またやらせりゃいいじゃん」
 唇を噛みながら、夏服の上着を脱ぐ。
「わー、村本だいたーん!」
 面白がって、シャッターの鳴る音が響く。
「早くしろって。授業始まんじゃん」
 こんな日にかぎって、肌着はお気に入りの薄桃色のキャミソールで。
 次にスカートに手をかけようとして、
「あ、先に上からー。ブラとスカートで1枚撮っとくから」
 涙の滴が床に落ちた。
 脱ぎたくなんてない。
 でもやらないと。
 お弁当が。
 それに、弁当箱が無くなれば、母が怪しむ。それだけは。
 さらに強く唇を噛んで、紅葉は俯きながらキャミソールに手をかけて脱いだ。
 とたんにわざとらしい歓声が聞こえてきて、何枚ものシャッター音が響き渡る。
「顔上げろよ村本」
「笑ってー!」
「胸隠すなー」
 聞く必要も無いはずの勝手な言葉達。でも。
「はーい、じゃあ次はブラいってみよーう」
 涙が床に落ちた時点でもう感覚は麻痺していて、紅葉は先程よりも素直に従った。
 虚ろにブラのホックを外して、上半身を晒してしまう。
 また、シャッター音の嵐。
「村本何カップ?」
「ブラ貸してー」
 シンプルなブルーのブラジャーは、母と買い物に出かけた際に買ってもらったものだ。
 中型スーパーで売っている安いものでよかったのに、一目惚れを見抜かれてしまって買ってくれた。
「うわ、Cだ」
「アンダーは?」
「60」
「中2でCとか、大人になったらやばいんじゃない?」
 なんで今日着てきてしまったんだろう。
 お気に入りのキャミソールも、一目惚れしたブラジャーも。
 なんでなんて。
 明日と明後日が休みだから、自分に気合いを入れる為だ。
 でも、こうなるってわかってたら。
「じゃあ次はスカートね」
 命じられるままにスカートのホックを外して、下にストンと落として。
 ブラと同じシリーズの、ブルーのパンツ。
 お決まりのシャッター音の後で、それも脱がされた。
「うっそ生えてないの?」
「村本、ワキ見して」
 腕を上げれば、また悲鳴じみた歓声。
「ワキ毛も無いとか超うらやましー。あたしボーボーだよ」
「ちょ、うち動画撮ってんだよ!あんたの暴露入ったし」
「ぎゃあ!そこだけカットして!」
 裸になった紅葉に、もう彼女達の言葉の意味を理解することは不可能で。
「じゃあ最後に上履きと靴下ねー」
 ただ素直に従って、一糸纏わぬ姿となった紅葉を、4人は嘲笑い続けた。
「よく頑張った!村本えらいえらい!ご褒美に取りに行かせてあげるね。ただしそのカッコでねー」
 4人はまだ撮影を止めようとせず、紅葉が窓に這い上がり、鞄を取りに行くまでを撮影する気らしい。
 窓は高い位置にある。そんなことをしたら、隠れていた場所まで。
「ほら早く!」
 ようやく持ち上がろうとした反発心は、恫喝されてまたすぐに折れてしまった。
 扉の上の窓によじ登ろうと思ったら、ドアノブに足をかけて窓に掴まり、腕の力だけで登りきらないといけない。
 そんなことをしたら、お尻から何から丸見えになることは明白だった。
 それでももはや、弱者である紅葉は狩られるしかないのだ。
 助けも来ないだろう。
「おー、行った行った」
 運動神経はいい方だ。紅葉はドアノブに足をかけてすぐに上に行こうとして、
「やった、マンコゲット!」
「きゃ!」
 シャッター音と無情な言葉に驚いて、腕の力が緩んだ。
 とたんに体勢が崩れて床に倒れた所に、また撮影のスマホが向けられる。
 慌てて足を閉じて俯くが、もはや無意味だろう。
「はーやーく!」
 せかされて、立ち上がって。
 今度は堂々と、下からのアングルを撮られてしまった。
 恥辱に頬が染まる。
 苦しくて胸が潰されそうになる。
 それでも。
 早く終わらせる為に、紅葉は窓に何とかよじ登った。
下からは「おおー」なんてわざとらしい歓声。
 窓のアルミ枠が素肌に食い込んで痛い。
 太陽の熱を受けた鉄の部分が熱い。
 それでも何とか姿勢を変えて、紅葉はようやく屋上へと降り立つ。
 降り立ったそこは、灼熱の地獄だった。
 まだ朝の時間帯だというのに焼けたコンクリートが足の裏をダイレクトに苛み、熱波が身体を舐める。上空からは直射日光が当たり、四方八方から紅葉を焼き殺そうとするようだった。
 そんな中で自分を奮い立たせて鞄を広いに動いて。
 拾った瞬間に、バチンと異様な音が後ろから響いてきた。
 鞄を抱いて、無意識に後ろに目を向ける。
 4人分の笑い声と共に、窓が締め切られていた。
「---」
 すぐにかけよって窓を開けようとしても、何かを引っ掻けたらしく開かない。扉など鍵がかかっているから論外だ。
「開けて!!」
「やーだよ」
 紅葉の必死の訴えは、面白おかしそうな声に却下されてしまった。
「お願い開けてよ!!」
 何度扉を叩いても、笑い声ばかりだ。
「プール終わったら開けてやるって」
「死んじゃうよ!!」
「村本オーバーすぎぃ」
 オーバーなんかじゃない。
 プールの終わる時間まで4時間以上もあるのだ。それまで日陰も少ないこんな屋上にいたら、本当に死んでしまう。
 季節は夏休みが終わったばかりなのだ。
 必死に扉を叩くうちから身体が日光で痛み、汗が吹き出て喉が乾いた。
「じゃーねー」
「大人しくしてなよ?じゃないとストリップ、ネットにばらまいちゃうから」
 最後だと言わんばかりに笑い声が遠退いていく。
「待って!!」
 大声は、ホームルーム開始のチャイムに掻き消されてしまった。
 チャイムが鳴り止めば、もう人の声は聞こえなくて。
 紅葉は懸命に窓を開けようとしたが無駄だった。
 これ以上動いたら駄目だ。
 そう直感で感じて、何とか日陰になっている部分に逃げ込む。
 しかしコンクリートが発する熱波まではどうしようもなく、紅葉は裸の身体を守るように鞄を抱き締めてしゃがみこんだ。
 中にあるはずのペットボトルのお茶を出そうとして、
「…うそ」
 今日にかぎって。
 紅葉は飲み物を家に忘れてきてしまった。
 母の作ってくれたお弁当はある。ボロボロに刻まれた教科書やノートも。
 だが今ほしいのは、水分なのだ。
「…」
 絶望に暮れるように、紅葉は項垂れた。
 どうして自分がこんな目に合うのだ。
 どこで判断を間違えた。
「…あつ」
 地球が動くから、日陰も動いていく。
 逃げ込んだはずの日陰はすぐに太陽にさらされてしまい、紅葉は新たな日陰に逃げ込んだ。
 誰か、助けて。
 お母さん。
 お父さん。
「…助けて」
 我慢し続けた紅葉の唇から、ようやく救いを求める言葉が呟かれる。
 だが聞いてくれる人はいない。
 救いを求めるには、この場所は不向きだった。
 灼熱に身体の感覚は麻痺し、いつの間にか汗が止まり身体に熱がこもっていくような気持ちの悪さに苛まれた。
 チャイムは何度か聞こえた気がする。
「…助けて」
 2度目の救いを求める言葉。
 まるでその言葉に反応するように突然コンクリートの屋上に黒く巨大な魔方陣が現れたが、もはや紅葉にはそれを確認する力は残されていなかった。

-----
 
3/10ページ
スキ