幻紅葉
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ずしりと身体が重くなり、全身にはっきとした感覚が舞い戻る。再び戻ってきたのだとわかった。
両手にはブルーの手の温もり。
頬には涙が伝っている。
「--モミジちゃん、大丈夫?」
肩にシェイリーの手が触れて、
「短い間ですまなかった。だが君が帰れるよう急ぐから--」
正面からはキールドの声が聞こえる。
その言葉を途中で払いのけるように、紅葉はブルーの手を弾き、シェイリーの手も振り払った。
そのまま離れて、誰もいない壁際に逃げる。
ボロボロと涙を溢しながら。
睨み付けるのは、ブルーただ1人だ。
「…あんたが…」
ブルーは動揺したように揺れる眼差しを紅葉に向ける。
こいつさえ。
こいつさえ…
「…あんたが私に変なことさえしなかったらお母さんは生きてたんだ!!」
ブルーが召喚なんてしなかったら。勝手な事さえしなければ。
全ての怒りがブルーに向かう。
紅葉がここに来てから7日が経った。しかし地球の時間では7ヶ月経っていた。
紅葉は3日間眠り続け、目覚めた時には地球では3ヶ月が経っていて。
紅葉が目覚めた日、母は心労が祟って。
周りに好き勝手言いふらされて。
何も知らないくせに、勝手に哀れんで罵って。
紅葉を無くした母を、全てが殺した。
その原因は。
原因となった存在は。
「あんたなんか…」
周りの視線は全て紅葉に注がれている。その中で、紅葉はブルーを睨み付けながら、壁にかけられた短剣の存在を思い出した。
幸いと言うべきなのか、短剣は手を伸ばせば届く距離にあって。
「モミジちゃん!!」
誰もが息を飲む中で、シェイリーだけは駆け寄ろうとしてくれた。
様子を窺う為にそれを押さえるのはキールドで。
怒りで震える手で短剣を構えて、強くブルーだけを睨み付けて。
動揺するブルーと紅葉の間に、状況を察した周りの教諭達がかばうように立ちはだかる。だがブルーと紅葉は視線で繋がっていた。
「絶対に許さないから…」
許されると思うな。
ブルーの視線を絡め取って。
ブルーだけを睨み付けて。
「…ねえ、紅葉狩りって知ってる?」
秋の葉を愛でる優しい風物詩などでなく、紅葉を苛める為の狩りを。
だが今からは違う。
父親が死んでから始まった1年間。
我慢し続けて、全て忘れずに溜め込んできた。
何もかも覚えている。
それを全部、叩き込んでやる。
次は、紅葉が狩る番だ。
「--あんたが死んでも許さないからっ!!」
強く叫びながら短剣を構えて、貫き、引き裂いた。
自ら、喉を。
ブルーの表情が恐怖に歪む。
それを視界に映し続けて。
誰かが紅葉の名前を叫ぶ。
口から何かが溢れ出て。
大人達が必死になる様子がおかしかった。
世界が闇色に染まるまで、紅葉はブルーだけを恨み、睨み続けていた。
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「--なあ、聞いたか?」
アンジュール学園の学生寮で、その会話は至るところで耳にできた。
内容は、最近になって特殊魔術学科に転科となった学生の話だ。
明るく仲間も多かったと聞く学生は、転科の時点で以前の面影もないほどにやつれてしまったのだそうだ。
そして彼の側を通ると、冷たい気配を感じるという。
まるで憎悪の塊を浴びたかのように、全身を冷気が舐めて、恐怖に身がすくむのだそうだ。
そして。
「--なあ、見たか?」
彼が1人でいる姿を見ると、その背中に張り付くような、どす黒い“何か”を目にすることができるという。
その何かは時おり少女の形に見えて、恨むように、憎しむように、彼に向けておぞましい微笑みを浮かべるのだそうだ。
終