幻紅葉


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 母に会えなくなって、1週間が立つ。
 紅葉はベッドに腰かけて足を揺らし、何も考えないようにしながら窓の外を眺めていた。
 たまに聞こえてくる笑い声は学生達のもので、紅葉の周りには相変わらず護衛玉が浮かび、入れ替わり立ち替わりで大人達がやってくる。
 それでも、最初の頃に比べれば落ち着いた方だろう。
 あの残酷な現場を思い出させない采配か、魔法陣の件はあまり話されなくなった。
 紅葉の目の前で。
 人がちぎられながら出てきたのだ。
 女の足はまだ動いていた。生きていたのか、それとも痙攣かまではわからないが。
 妊婦と一目でわかる、頭の無い女。
 召喚されなければ、きっと地球で我が子を抱いていたのだろう。
「--っ」
 ちぎられた女性に母親を重ねてしまい、紅葉は込み上げる吐き気を我慢する為に両手で口元を押さえた。
 違う、あれは母ではない。
 そう思おうとしても、思考が勝手に女性と母を繋げようとする。
「--モミジちゃん、ただいま」
 そこへノック音が聞こえてきて、扉からシェイリーが現れた。
 体をそちらに向けて座り直せば、シェイリーの目元が赤くなっている。
 泣いていたのか。そう思ったが、シェイリーが無理に笑うので、聞きはしなかった。
「食欲どうかな?またつらいようなら、柔らかいものを続けてくれるよう言っておくけど」
「…お願いします」
「わかった。無理しないでね」
 食欲はあまり無い。
 というか、あの光景が目に焼き付いて、まだ当分は食欲など沸かないだろう。
 母の作ってくれたお弁当なら、今すぐにでも食べたいのに。
「…大切な話、してもいいかな?」
 紅葉の座るベッドの近くに椅子を寄せて、シェイリーは神妙な面持ちで紅葉を見つめてきた。
 どれほど泣いたのだろう。シェイリーの目元は腫れて痛々しくなっている。
 見上げる紅葉の目線の先に気付いたのかシェイリーは慌てて少し顔を背けたが、隠しきることは出来なかった。
 シェイリーが隠したいならわざわざ訊ねるような真似はしない。
 紅葉は大切な話を待ち、シェイリーが落ち着くまで静かにしていた。
「…まだあなたを帰せる訳じゃないんだけど」
 切り出された話は、紅葉の願い続ける帰路の件で。
「…少しの時間だけ、あなたの星に意識だけを飛ばすことは出来るかもしれない」
 説明を上手く飲み込めず、わずかに眉根を寄せてしまった。
「なんて言ったらいいのかな…まだ帰れる訳じゃないんだけど、少しだけならお母さんの様子を見られるかも知れないわ。窓、みたいなものかしら」
 母を。
 心臓がドクンと強く脈打ち、そこから鼓動が早くなった。
 帰れるわけではないが、母を。
 母が無事かどうかを。
 ほんの少しだけでも。
「…少し時間をあげるから、考えて--」
「--お願いします」
 迷わずに返事をした。
「…少し考えた方がいいわ」
「お母さんが心配なんです。お願いします…お母さんに会わせて…」
 母を心配しながら。
 母を求めて。
 ぽろりと涙が溢れた。
 少しでいい。
 少しで構わないから。
 母の姿を見せて。
「会わせて…ください」
 紅葉の心の拠り所なのだ。
 つらい学校生活を耐えられた、紅葉の心の支え。
「…わかったわ。キールド先生達に話してくるから。少しだけ待っていて」
 シェイリーの表情はわずかに固くなったが、紅葉の頷く様子を見て、顔を隠すように背中を向けてしまった。
 そのまま立ち上がって、部屋を出ていく。
 1人残された室内はとても広く感じたが、紅葉は1人になった事により、我慢せずに声を上げて泣いた。
 帰れる訳ではない。
 そう言い聞かせながら。
 でも、ようやく母に会えるのだと。
 ベッドに伏して、涙の染みをいくつも作って。
「お母さん!!」
 ひたすら泣きじゃくって、母を思って。
 紅葉の泣き声は筒抜けだったろう。
 キールドを先頭に再び扉が開かれたのは、紅葉が泣き止んで暫くしての事だったから。
 難しい説明を何度もされて、日の暮れた時間に部屋を出た。
 向かった先は、会議室のように広い部屋だ。
 そこに、キールドと同じく魔術師だという教諭が十数名。筋肉質な学園長と、別の何人かの教諭と、シェイリーと、そしてブルーが。
 ブルーは表情を無くしたように暗い様子だったが、キールドの話はしっかりと聞こえているようで、説明を一度で理解した様子だった。
 紅葉はキョロキョロと辺りを見回しながら、授業も行われているのか物騒な短剣やらも壁に掛けられているのを目にする。
 床に敷かれた魔法陣の描かれた布は真新しいが、綺麗に洗ったのか新しく作り直したのかはわからない。
 見た目だけなら新しいような気もするが、ここは紅葉の常識が通じる世界ではないのだ。
 もしこの魔法陣が、あの妊婦が死んだ魔法陣だったら。
 恐怖が込み上げて震えれば、後ろからシェイリーがそっと肩を抱き締めてくれた。
「--モミジちゃん、最後にもう一度だけ説明をしておくよ」
 ブルーとの会話を終えて、キールドが紅葉の元へとやってくる。
「君はブルーと一緒にあの魔法陣に座ってもらう。君の星の位置を詳しく理解しているのはブルーだけだからな。俺達は魔力を君とブルーと魔法陣に込めるから、君は身体から意識が抜けたとわかったら会いたい人や場所を強く念じてほしい。肉体はここにあるが、精神だけは少しの間だけ君の星に戻ることが出来る。いいね?万が一失敗…君の星に到着出来なかったら、慌てずに意識をこっちに戻るよう念じてほしい」
 ようするに、母を、家を思えばいいのだ。
 強く頷けば、子供扱いするように頭を撫でられてしまった。
 そのまま護衛玉を体の周りから離されて、魔法陣の上に乗る。先に入っていたブルーの両手を握り合わせて座り込み、少しだけブルーを見た。
 初めて会った時の元気さが嘘のように沈みきった表情。ブルーは紅葉と目を合わせようとしない。
 それほどまでにショックが大きかったのだろう。
 ブルーは誰よりも間近で、妊婦の身体がちぎれる様子を目の当たりにして、大量の血を浴びたのだから。
 ブルーが俯いたままそっと目を閉じたから、紅葉もならって目を強く閉じた。
「--始めよう」
 ブルーの後ろ、紅葉の向かいからキールドの声が聞こえてくる。
 何が起きているのかはわからないが、全身に不思議な温もりや冷たさが走り、やがて身体がストンと軽くなるのを感じた。
 不思議な感覚だった。
 これが、肉体を抜け出した感覚なのだろうか。
 ブルーと合わせていた手のひらの感触も消え去り、紅葉は強く念じた。
 母の元に。
 暖かな家に--


 次に目を開けた時、そこは見知った場所だった。
 古くて小さな部屋。でも見慣れた優しい家。
--帰ってきたんだ
 体はまだふわふわとして、感覚がつかめない。
 それでも念じれば移動できるとわかり、紅葉は母を探した。
 小さな文化住宅の部屋は、すぐに行き止まりにたどり着く。
--お母さん?
 だが母がどこにもいなかった。
 外は昼間だが、電気のついていない室内は薄暗い。
 こんな太陽の日差しが強い時間に母がいないなど。
 紅葉を探しているのか、それとも病院にいるのか。
 家ではなく強く母を念じてみるが、移動しなくて。
--どうして?
 不安になって、思わず思い浮かべたのは隣に住む老婆の事だった。
 念じた通りに体は移動して、見慣れた隣家へ。
 そこでは紅葉にも良くしてくれていた老婆が仏壇にそっと手を合わせて、亡くなった家人にお経を唱えていた。
--…佐藤さん
 聞こえないとわかっていても、声をかけてしまう。
 と、老婆は驚いたように目を見開いて、紅葉の姿を捕らえた。
--え…
 向こうから姿は見えないと言われていたのに。思わず困惑したが、紅葉ではなくその向こうに目を向けたのだろうと思って。
「…紅葉ちゃん、かい?」
 耳に馴染んだ優しい声が、室内に響き渡った。
--…聞こえるの?
 名前を呼ばれたことに驚きながら話しかければ、姿は見えないのか老婆はキョロキョロと辺りを見回すような仕草を見せる。
 やがて。
「…ああ、紅葉ちゃん…あんたやっぱり死んでたんかぁ…可哀想に、可哀想になぁ…わたしに会いに来てくれたんかぁ」
 ボロボロと老婆の瞳から涙が溢れて、その場にうずくまってしまった。
--佐藤さん…
「可哀想になぁ、可哀想になぁ…ちゃんと成仏するんだよ。成仏して、お母ちゃんと、お父ちゃんと一緒になりんさいなぁ」
 呟かれた言葉に、心臓を掴まれた。

--え?

 今、なんと言ったのか。
 言われた意味がわからなかった。
 1週間も行方不明で、声だけの紅葉を死んだと思うのはわかるが、なぜ父だけでなく、母までも。
 --佐藤さん!私まだ死んでない!!
 強く叫べば、弾かれたように老婆が顔を上げた。
「…紅葉、ちゃん?」
--まだ死んでないよ!ちゃんと生きてるよ!!
 紅葉は生きている。生きて、不思議な世界に連れていかれて、少しだけ戻ってこられたのだ。
 だが。
「…お…おおぉ…なんてこと…」
 さらに強く泣き始める老婆に何度も声をかけて。
 紅葉には時間が無いのだ。何がどうなっているのか、教えて。
 そう何度も伝えて、ようやく老婆は顔を上げてくれた。
「…紅葉ちゃんが行方不明になってから3ヶ月後に…紅葉ちゃんのお母ちゃん…心労が祟ってしもうたんだよ…」

--…

 声に、ならなかった。
 3ヶ月?
 心労が祟った?
 それは、いったい。
--お母さんは?
「…可哀想にねぇ…助けになれんでごめんねぇ…」
--お母さんはどこ!!
「…東町の大きいお寺さんあるだろう?あそこにねぇ、無縁仏として、引き取ってもらったんよ」
 教えられた母親の居場所に、完全に喉を潰されてしまった。
「紅葉ちゃんのお父ちゃんのお墓に一緒に入れてやってって言ったんだよ…でもお父ちゃんのご両親が…きつい家に嫁に来たんだねぇ」
 父方の祖父母が体の弱い母を嫌っていたことは知っていた。
 男を産めない役立たずと。
 父が死んだ時も、一方的な誹謗中傷を母にぶつけ、老後の面倒を看させる為だけに紅葉を引き取ろうとしたことを知っている。
--…
「紅葉ちゃん、可哀想にねぇ…ごめんねぇ」
 老婆の声を聞いていられなくて、紅葉は逃げた。
 なんで?
 どうして?
 母がいないなんて。
 がむしゃらに逃げて、でも次第に老婆の話を信じられなくなって。
 道行く人々の身に纏う衣服は、薄手の春物で、真夏に着るものではない。
 紅葉は決心を固めるように、老婆の告げた寺を心に念じた。
 その場所ならば知っている。
 そこに。
 そんな所に、母はいないと信じて。
 だが。
 向かった先で、いくつか気付いた事があった。
 紅葉の声は、誰にでも聞こえる訳ではないということだ。
 どういう原理かはわからない。
 だが多くには声は聞こえず、一部には。
 紅葉は寺の中で、住職の娘が紅葉の声に気付いてくれたことを知り、すぐに事情を説明した。
 母はいるのか。
 何がどうなっているのか。
 住職の娘は最初こそ困惑していたが、紅葉の話を静かに聞き、そして教えてくれた。
 それは現代の神隠しと銘打ち日本全土に流されたニュースらしい。
 紅葉が行方不明になってから、7ヶ月が経っている事。
 紅葉が行方不明になったその日に紅葉の裸体の動画と画像がネット上にアップされており、酷い苛めを受けた少女が裸のまま、閉め出されたはずの屋上から失踪してしまったと全国放送で流れた事。
 紅葉の母は悲劇の母として酷い形で有名になり、しかし同時に娘が苛められていた事実を知らなかった最低な母親と罵られ。
 紅葉の失踪から3ヶ月。
 寺は心労が祟り亡くなった母の遺骨を引き取ったと。
 苛めの主犯格の少女達は既に遠くに越したが、紅葉を裸にさせた動画やネット上の投稿から顔や氏名住所がバレたらしい。
 苛めの問題については主犯格の少女達と教師を吊し上げるだけでうやむやにされ、ニュースは最後に母の死という形で霞んでいった。
 あまりの出来事に、思考が働かなかった。
 紅葉がいなくなってから、地球ではもう7ヶ月も経っていて。
 母は4ヶ月も前に死んでいて。
 父と同じ墓には入れず、無縁仏として葬られて。
 これはいったいなんの冗談だ。
 紅葉はただ帰りたかっただけだ。
 家に帰って、母に会って。
 すぐにちゃんと帰ってくるからね。
 それまで無理せずに待っててね。
 そう告げたかっただけなのに。
 どうしてこんなことになってしまったのだ。
 ここまで苦しまなければならないほどの悪行を、紅葉はいつ行ったというのだ。
 どうして。
 感覚の無い体。
 涙が溢れて---

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