幻紅葉


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気を失った紅葉がようやく目覚めた時、窓から見える外はすでに暗く、室内の明かりも眠りの妨害にならない程度に押さえられていた。

シェイリーの姿は無く、机の上には簡単な食事が盆に乗せられている。

お腹が空いたなら食べろということだろう。だが食欲は無かった。

そっとベッドから降りて、裸足のままペタペタと歩いてみる。

まるで地面の感覚がわからないかのようにふらついたが、身体が鈍ってしまっただけだ。

薄手のシンプルな衣服は少し冷たいが、じくじくと熱を持つように痛む肌には心地好い。

「…異世界?」

ふと呟いたのは、自分の周りに浮かんでいた球体が後を追うようについてきたから。

こんな機械を紅葉は知らない。

異世界というなら、映画で見たファンタジーの世界観がしっくり来る。

召喚、宇宙人、別の星。

これは夢なのだろうか。

夢なら早く覚めてほしい。

こんなにも、母に会いたいのだから。

紅葉は窓に近付くと、ぼんやりとガラスに映った自分と目を合わせた。

全体的な容貌は母に似ているらしい。

でも健康な体は父親似。

風邪だって滅多に引かないのだから。

「…お母さん」

気絶する前は、母親には自分が必要だからと焦り慌てた。

病弱な母。

紅葉がいなければ、助けてくれる人がいない。

でも。

「…お母さんっ…」

鏡ごしの自分の顔がくしゃりと歪んだ。

涙がいくつも溢れて、肩が震える。

会いたいのは紅葉の方だ。

早く母に会いたい。

学校で酷い目に合った。

心が擦りきれて、剥き出しになった神経をダイレクトに傷付けていくように。

その傷を癒してくれるのは母だけなのだ。

母に紅葉が必要なわけではない。紅葉に母が必要なのだ。

漠然と、ここが日本でなく、まして地球でも無いことは受け入れた。

だって星の位置が違う。

はっきりと大きく見える天体は、地球では太陽と月しか無かったのに。

こんな綺麗な星空を紅葉は知らない。

とても綺麗だ。綺麗だけど。

帰りたい。

「っく…」

涙をこらえようと必死に目を閉じるが、全く意味が無くて。

「--押すな馬鹿!」

「痛って…見つかるだろ!」

「だぁって…」

ふと扉の方から内緒話のようなコソコソとした声が聞こえてきて、紅葉は慌てて辺りを見回した。

隠れる場所を探すが扉が開かれる方が早く、無意識に窓のカーテンにすがる。紅葉の傍に浮かぶいくつかの球体は、紅葉を守るように身体の前に降りてくれた。

「お邪魔しまぁす…ラッキー、先生いない」

「言ったじゃん!シェイリー先生、キールド先生と一緒にいたって!」

「とっとと入れ!見つかるだろ!」

扉を開けて入ってくるのは、昼間に会ったブルーだ。

その後に続くように、大人びた男女が2人。

しかし見た目に関しては年齢がいまいち紅葉の感覚とは合わないので、その2人もブルーと同じく17歳前後なのだろう。

誰も彼もが白人とも黒人とも黄色人種ともつかない見た目。

同じ人の形をしているのに、そんな人種を紅葉はテレビの中でも見たことが無かった。

「あれ、モミジちゃんもいない?」

ブルーは勝手知ったる様子でさっさとベッドに近付くが、紅葉がいないことに気付いて首をかしげる。

「うそぉ!会いたかったのにー!どこか別の部屋に移動させられたとか?」

女の人はわざとらしいほどに落胆して見せて、しかし男の人は辺りを見回してから、すぐに紅葉に気付いてしまった。

「…ブルー」

ブルーを呼んで、紅葉に指を差して。

「お!いた!よかった!」

びくりと肩を震わせる紅葉とは対照的に、ブルーは満面の笑みを浮かべる。

紅葉がここに連れてこられた原因の男の子。

帰れないと告げられたのだ。素直には近付けなかった。

「モミジちゃん、昼間はごめんね。体は平気?」

ブルーを先頭に3人が近付いてきて、紅葉はカーテンを握り締めたまま俯いた。

「えっと…僕もしかして嫌われた?」

「どきなさい!女の子の事は、女の子に任せなさーい!」

紅葉の様子にしゅんと項垂れたブルーと交代するように女の人が紅葉の前に中腰になるように立った。

「初めまして、モミジちゃん。私はノイエ!ブルーの友達だよー。こっちはグランツ。顔は怖いけど優しいお兄さんだよ!」

「一言余計だろ…」

人懐っこい微笑みは、どこかシェイリーに似ている気がした。

「は、はじめまして…」

挨拶されたのだから返さねばと小さな声で返事をすれば、ノイエは嬉しそうにさらに笑ってくれた。

「可愛いー!妹にしたいー!!ね、私の事はお姉ちゃんって呼んでねー!!」

「お前うるさい。見つかったらどうすんだ」

とたんにグランツがムッと怒るが、ノイエは耳に入れていない。

「やーん…護衛玉さえなかったら抱き締めちゃうのにぃ…これ絶対にキールド先生の術式よね」

「仕方ない。宇宙人だから保護しないとな」

また宇宙人。

紅葉が見上げる先で、嫌われたと拗ねていたブルーが気を取り直したように紅葉に目を合わせた。

「モミジちゃん、自分の星に帰りたいんだよな?」

「……」

言葉の単語が微妙にしっくりこないが素直に頷けば、ブルーは「帰してあげる」と告げてくれた。

「…え?」

「だから、モミジちゃんの星に」

「…帰れないって」

帰れるならば帰りたい。今すぐにだ。

だがブルーよりもっと大人であるキールドが「まだ帰れない」と告げたのだ。

今日会ったばかりのブルーより、紅葉の検査に立ち合ってなおかつシェイリーとも気を許しあっているキールドの方が、紅葉の中での信用度は上だった。

「…少しだけ話、聞いてくれる?」

本日何度目だろうか。とりあえず聞いてくれという申し出に、紅葉はそっと口を閉ざしてブルーを見上げた。ただし、カーテンからはまだ手を離せないが。

「僕が魔法陣で君を呼び出したことは、もう理解してくれてるよね?」

訊ねられて、そっと頷く。

たぶん魔女が悪魔を呼び寄せるようなものなのだろう。そう思って。

「で、君を召喚した後も、何回か君の星から物質を召喚してたんだ。キールド先生は全部壊れて出てきたから、物質が壊れるのに生命体を召喚したらただでは済まないって思っててね。…でもモミジちゃん、召喚される前から死にかけだったんだよね?」

それは裸に剥かれて炎天下の屋上に締め出されたことを言っているのだろう。シェイリーには話したことだが男の子が知っていることが恥ずかしくなり、思わず涙が浮かんだ。

「うわ待ってタンマ!泣くの無し!とりあえず話!話聞いてから!」

慌てるブルーはそのまま会話を無理矢理続けた。

「でね、僕が作った魔法陣って生命体用だから、命の宿らない物質が上手く召喚されないのは当然なんだ。とっとと生命体には可能だってわかってもらえたら次のステップ…えっとつまり、君を元の星に帰す段階に入れるんだけど」

大人って慎重だろ?

帰れるかもしれない可能性を告げられて見上げた先で、ブルーは自信のある表情を向けてくれた。

「キールド先生達は物質で上手くいくまで絶対に生命体の召喚段階に移らせてくれないだろうから、なら僕達だけで生命体を呼び出して、魔法陣は生命体には可能だって所を証明するつもりなんだ。今からね」

「…今から?」

「そ。善は急げってやつ。それで、君も一緒にどうかな?って。ちょっと危険な道中なんだけど」

紅葉を帰す為に。

それを証明できたら、帰れるかもしれないなら。

「…行く…行きたい!」

少し慌てるように願い出れば、ブルー達に「声が大きい」と焦られた。

「よし!じゃあ今すぐ行こう。体調は大丈夫?」

「平気です」

元々体は丈夫な方なのだ。しっかりと返事をすれば、3人は揃って安心したように胸を撫で下ろした。

そこからは、3人の指示に従いコソコソと移動する時間となった。

靴が無いのをグランツとノイエが手近な布を裂いて足に巻いてくれて、誰にも見つからないように進んでいく。

紅葉の周りに浮かぶ球体達は相変わらず一定の間隔を保って浮かんでいたが、紅葉の危機に作用するらしく気にする必要はないと教えてもらった。

初めて見た部屋の外の世界は、紅葉の世界に似ている部分もあれば完全に異なる部分もある。

全体的には木造らしい。だが建物に使われた木はまだ生きている様子で、所々から木の枝や葉が茂っていて。

不思議な場所だった。

もしこんな形でなかったら、紅葉はきっとこの世界を楽しんだだろうに。

「--よっし、何とかここまでは上手くこれたけど…」

「本番はこれからよねー…」

紅葉の前を行くブルーとノイエはどうやら面白がっている様子だが、

「おい、無理そうなら引き上げだぞ」

後ろにいるグランツは慎重派の様だった。

「わかってるって」

「グランツ頭固ーい!」

紅葉には何の事だかはわからないが、ここからは少し危険な場所なのだろう。

見つかったらどうなるのだろうか。一抹の不安がよぎったが、帰る為だと決意を固める。

ブルーの召喚が上手くいけば、紅葉は早く家に帰れるようになるのだからと。

「学園長さえいなけりゃ楽勝なんだよなぁ」

「いたら何て説明する?」

「…あ、とりあえずノイエとグランツで囮になって。その間に僕とモミジちゃんは奥に入って召喚を成功させるから」

「…ちょっと待ってよ。まさか囮の為に私達を連れてきたわけ?」

「いやいや、ただ役に立てと」

「サイッテー!!」

「痛てえ!!」

ノイエの拳は見事にブルーの背骨に命中していた。

その後でブルーはブツブツ文句を言いながらも先に進み始めて、全員で足を忍ばせながら後に続いて。

「…え、何の幸運?誰もいないとかミラクルすぎるんだけど」

「うそ!やった!」

「…無用心過ぎないか?」

どうやら辿り着いた目的地は、運良く誰も居ないらしかった。

「…あーダメだ。鍵がしっかりかかってる」

目的地の部屋を開けようとするブルーだったが、鍵の存在に気付いて一気に落胆する。

「ま、そりゃそうだろうな」

「ちくしょ…グランツ、お前の馬鹿力で開かねえか?」

「…退いてみろ」

紅葉の後ろにいたグランツが渋々といった様子で前に出る。

鍵の形を確認して、何度か扉を軽く開けようとして。

「---っ!!」

力業は、一瞬の間だった。

バキリと音を立てて鍵が潰れ、扉が開かれる。

静かな廊下に物騒な破壊音が響き渡ったが、幸いなことに誰も近くにはいなかった。

「…さすが馬鹿力…」

「グランツって力強いんだね…」

まさか本当に壊せるとは思っていなかった様子で、ブルーとノイエが呆然とグランツを眺めていた。

「術式がかかってたら俺でも無理だ」

「やーんグランツ格好良い!今度グランツに片想いしてる女の子の情報教えてあげるね!」

「いらねぇ!」

開いたならばとさっさとブルーとノイエは中に侵入し、紅葉はグランツに先に入れと促された時にそっと彼の手に触れた。

「…どうした?」

「手、大丈夫ですか?」

心配したのはグランツの手だ。正確には手首か。

隠してはいるが、少しかばっている。

「…ああ、これくらいならな」

気付かれたことが少し恥ずかしいのか、彼は紅葉に目を合わせることはしなかった。

「あの、ありがとうございます」

何もかも、紅葉が家に帰れるように。

謝罪でなく感謝の言葉を告げれば、グランツは優しく笑って頭を撫でてくれた。

「入れ。見つかるとやばい」

「はい」

中に入れば、ブルーとノイエはさっさと部屋のさらに奥に身を寄せていて。

「お、この術式なら僕でも取り除ける。ノイエ、一瞬で術式変わるやつだから、1、2の3でガッて開けちゃって」

「わかった」

グランツと共に室内の奥に向かえば、

「1、2の--」

「さんっ!」

丁度、目的の部屋への扉が開かれた所だった。

開かれた中は真っ暗で、何も見えはしない。

しかしブルーが何か呪文を呟くと紅葉の回りを浮かぶ球体によく似た光の玉がいくつか現れて室内に入っていき、薄く辺りを照らし出した。

「ここが、学園長室の奥の部屋…資料ばっかだね。学園長は頭まで筋肉なのに」

「言えてる。えっと確か僕の魔法陣は…あった!」

ブルー以外は珍しげに辺りを見回すが、ブルーだけは一直線に目的のものを見つけ出す。

それは折り畳まれた布で。

「真ん中開けて」

ブルーの指示に従うように部屋の中央が開かれ、そこに折り畳まれた布は開かれた。

四角い布の中に、直径2メートルはあるだろう魔方陣。

その模様は確かに紅葉の記憶の中にもあった。

紅葉の意識が消えるその一瞬早く。

まるで紅葉を飲み尽くすかのようにその魔法陣は黒い光を伴って現れたのだ。

「これで…生命体を呼び寄せる。…大丈夫だ。モミジちゃんは成功したんだから」

ブルーの言葉の後半は、まるで自分に言い聞かせるような色をしていた。

「私達に手伝えることある?」

「大丈夫。端で見てて」

少し緊張しているらしいブルーの指示に従い、ノイエは壁に背を預ける。

紅葉もその隣に向かい、グランツはさらに隣に。紅葉を中心にするように3人並んで、静かにブルーを見守った。

深呼吸が2つ。紅葉には緊迫した雰囲気が伝わってきたが、ブルーの背中越しだったので、何をしているのかまではわからなかった。

緊張が伝わってくるかのように、紅葉は両手を合わせて握り締めた。

これが上手く行けば、母に会える時間が早まるのだ。

「西日の彼方であなたを思いましょう。あなたの世界が楽園でないのなら、どうか私に手助けをさせてください」

そしてブルーが歌うように何かを口ずさむ。

聞いたことのある歌だ。

「…ここは楽園です。あなたの苦しむ心はこの楽園でのみ清らかに癒されるでしょう」

やがて魔法陣が淡く発光を始めて、次第に終息していき。

「……」

失敗したのかな?

不安になる紅葉を安心させるように、ノイエが肩を抱いてくれた。

そこから数十秒。

やがて再び魔法陣が輝きだして--


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