幻紅葉


-----


溜め息は、夜の闇の中に消えるはずだった。

「--よろしいですか?」

学園の中庭の一角にある長椅子に座って1人静かに休憩していたキールドの元に訪れたのはシェイリーだ。

「…どうぞ」

「遠慮なくー」

「って、こっちかよ」

長椅子は足の低いテーブルを軸に向かい合うように設置されているというのに、シェイリーはわざわざキールドの隣に腰かける。

「あっちの長椅子、背もたれついてないんですもの」

「あーそうかい」

色気の無い回答に再び溜め息を漏らしながら夜空を見上げて。

満天にに輝く星々。美しいが、今はあまり見たくないものだ。

「モミジちゃん、落ち着いてきて色々話してくれましたわ」

「…帰りたがってるか」

「勿論」

気絶してしまったモミジ。吐いた片付けをした後に、キールドとブルーは部屋を追い出されてしまった。

モミジに現状を教えた結果は散々。

学園長達には魔法陣のさらに詳しい解読と、せめて壊さず召喚できるよう改善しろと命じられている。

ブルーは不貞腐れるし、仲間の教諭達はキールドの空いた穴を埋めるのに手一杯。

「優秀なキールド先生も、大変ですわね」

「…そっちも子供のお守り、ご苦労さん」

「あら、モミジちゃんはとってもいい子よ」

おたくのブルー君とは違って。

暗にそう告げられて、さらに脱力しそうになった。

ブルーは天才ではない。だが秀才で、ブルー自身もそれを自覚している。

でなければ学生の身分であんな高度な魔法陣の、さらに応用など出来るはずもない。

「頭はいいが、中途半端だからなぁ、あいつは」

秀才とはいってもまだまだひよっこで、考えの浅い部分も多い。

深く考えないのは悪い癖だと言えるだろう。

「…モミジちゃんの話、してもいい?」

ふとシェイリーの声が真面目に改まり、気付いたキールドはわずかに姿勢を正してシェイリーを見つめた。

彼女のこんな癖はもう見慣れている。

「どうして裸だったのか、わかったわ」

「…そりゃ、服が生命体じゃないからじゃ…」

魔法陣の弱点には気付いている。ブルーの言う通りあの魔法陣は詠唱の影響から、生命体にだけ反応する代物となってしまったのだ。

だからモミジの着ていた衣服は一緒に来られなかった。脱水症状や身体全身の軽度の火傷は、凄まじい距離を移動させられたからだろう。ブルーの魔力では守りきれなかったのだ。

だと思っていたが。

シェイリーはキールドを見ることもせずに、悲しむように首を横に振った。

「モミジちゃんが通っていた学園で、クラスメイトに衣服を脱がされたそうよ」

「…は?」

「“苛め”を受けてたんですって。真夏の炎天下の中で何時間か。酷い脱水症状と全身の火傷は恐らくそのせいね」

感情を出さないように淡々と。だがシェイリーは、自分の事のように深く傷ついている。

「意識を失う際に、黒い光を見た気がすると言っていたわ。恐らく魔法陣の発動でしょう」

「…待てよ、じゃああの子は召喚の失敗で死にかけた訳じゃないのか?」

「最初から死にかけていた、と考えた方が妥当でしょうね。魔法陣は成功していたのよ。…だから、ブルーがモミジちゃんを呼び出していなかったら…」

「…あの子は、死んでいた?」

「…可能性が高いというだけです」

新たな事実に、目が回りそうだった。

なんて世界だ、と。

モミジのクラスメイトということは、モミジと同じ年代のはずだ。それが死に繋がるような凄惨な、それこそ“苛め”だなどという簡単な言葉では済まされないような行いをしていたなど。

「…あの子は、そんな星に帰りたいのか?」

思わず口をついて出た言葉に、隣から小さな笑い声が聞こえてきた。

「何がおかしい」

「いえ…。モミジちゃんが帰りたがっている場所はご家族の元よ。苛めの世界じゃないわ」

「…だが」

「別物よ」

間接的に話を聞いたキールドと、直接モミジから話を聞いたシェイリーの違いか。

シェイリーは満天の星空を眺めて、寂しげな微笑みを絶やさなかった。

「…とにもかくにも、魔法陣の方をお願いしますわ。帰れるようにしてあげてください」

「それが難しいんだよ」

愚痴るように呟けば、細い指先がキールドの頭を撫でる。

「頑張れ頑張れ」

「…他人事だと思ってるだろ」

「私は私の全力を出すだけですもの」

あの子の為に。

互いに出来ることを、と。

-----

ノイエはそれを聞いていた。

武芸学科の科目の中で唯一苦手な馬術の自主訓練を終わらせた帰りに寮への近道に通った中庭の隅を過ぎ去る途中で、意味深な距離を保つ男女が2人。

しかもそれはキールドとシェイリーという共に独身同世代ともなれば、恋の話が好物であるノイエにはご馳走のような状況で。

キールドは武芸学科の女生徒にも人気があるので、学科問わず男子生徒に人気のシェイリーと恋仲なんて事が発覚したら、きっとみんな発狂するだろう。

これはいい情報を得たとばかりに忍び足で近付けば、残念ながら会話に艶は無く。

だが代わりに、あの子についての情報を得た。

ブルーが地味に落ち込んでいることは、彼の同室であるグランツから聞いている。

剣術で腕を競う仲であるグランツとはそのまま普通に友人関係となり、グランツと同室のブルーともそこそこ話す程度には仲良くなっていた。

今回の魔法陣の件はさすがに驚きはしたが、ブルーの作った魔法陣が成功していて難が無いのなら、ブルーは落ち込む必要など無いではないか。

これは緊急速報だとばかりに静かにその場を離れて、ノイエはまず2人の部屋に向かった。

だが2人ともいなくて。

「ブルーは知らないけど、グランツなら屋上に行くって言ってたぜ」

そんな情報を近くの男子から手に入れて早速向かえば、運良く2人とも屋上にいてくれて。

「--2人とも!!朗報ー!!」

ノイエの声に驚いたように、ブルーとグランツはビクリと肩を弾かせて振り向いてきた。

「ノイエ?」

「何だよ、朗報って」

「んー、2人ともっていうより、ブルーに朗報かな?」

手に入れた情報を教えれば、きっとブルーは喜ぶはずだ。

んっふっふ、とにやつけば、グランツから「気持ち悪い」と返ってきたので回し蹴りをさしあげた。

「このクソあま…本気で…」

痛がるグランツは放っておいて、やはり少し落ち込み気味のブルーに向き直って。

「僕に朗報?」

「そー。さっきキールド先生とシェイリー先生が話してるの聞いたんだよねー」

「…モミジちゃんの話?」

「そ」

早速表情を暗くするブルーに、だから朗報っつったじゃん、と笑って背中を叩いてやって。

「いて、痛いって」

「お前なぁ、加減しろよ。こっちは体鍛えない魔術学科様だぞ」

「あ、そか。ごめんごめん。でね、朗報なんだけど」

暗い顔が叩かれた痛みでわずかに不機嫌になったのを見てから、ノイエは満面の笑みを浮かべる。

「なんとなんと、ブルーの作った魔法陣、成功してたんだって!!」

「---」

それを聞いたブルーの表情は、驚きすぎたせいか喜怒哀楽の何も浮かべてはいなかった。

「…あれ?朗報じゃなかった?」

急ぎすぎたか。さすがにノイエはたじろぐが、ブルーはすぐに感情を取り戻した。

顔に浮かぶのは、困惑だ。

「…とりあえず、成功してた理由は?」

「理由?なんかモミジちゃん、召喚される前にもう瀕死状態だったんだって。で、死にかけてた所を召喚されてこっちに来たから、端から見たら召喚の失敗みたいに映ったみたい。だからブルーは召喚に失敗したんじゃなくて、むしろモミジちゃんを助けた英雄なんだよ!」

話せば話すだけ、ブルーの目に元気が戻っていく様子が窺えた。

「へぇ、マジだったらすげーじゃん。やったな、ブルー」

グランツもすっきりと笑いながら同調してくれて、ノイエは波に乗るようにブルーの肩を掴んで右に左にと揺さぶった。

「落ち込むな!英雄ブルー!!君はモミジちゃんの命を救ったんだー!!」

「だから痛いって…はは」

ようやく肩の荷が降りたようにブルーも笑ってくれて、ノイエは思わずグランツに目を向けてしまった。

グランツはよくやったと告げるようにノイエの肩を叩いてくれる。

それが何故だか嬉しくて、少しだけ顔が熱くなる気がした。

「そうか、やっぱりあの魔法陣は生命体にだけ反応するんだ…僕の研究は正しかったんだ!!そうとなれば」

「…何する気だよ」

「決まってるだろ!どのみちキールド先生含めて教諭達は生命体での召喚を許してくれないんだ。なら強引にでもまた生命体を召喚して成功だって所を見せれば、次のステップに移行出来る!!」

「じゃあ今から魔法陣の所に!?」

「そういうことだ!!」

これは面白いことになってきた。モミジの時は見られなかったが、魔法陣から何かが召喚されるところを見られるかもしれないなんて。

「私も行く!手伝う!」

「おいノイエ…」

「何よー、グランツだって見たいでしょ!?」

グランツはやや否定気味だが、ブルーの方は完全に教諭達には内緒で生命体を召喚するつもりでいるはずだ。

「そうだ!せっかくだからモミジちゃんも連れていこう!僕が召喚を成功させる所を見たら、あの子だって少しは気持ちを楽にしてくれるかもしれない!」

「何だかよくわかんないけどナイスアイデア!じゃあ決まり!今からモミジちゃんを迎えに行って、コソコソっと魔法陣のある所に行っちゃおう!で、魔法陣どこに持ってかれたの?」

「…学園長室の奥だ」

今まで元気を取り戻していたブルーの声が、再び沈み込んでいく。その理由は、ノイエとグランツは聞かずともわかった。

学園長は武芸学科出身の、完全武道派なのだ。ノイエとグランツの授業にも突然乱入しては生徒を投げ飛ばしていくのだから、特に武芸学科の生徒達には恐れられていた。

そんな学園長がいるかもしれない学園長室に?

「…やめとこう。無謀すぎる」

グランツの言葉に、ノイエは静かに頷いた。

女生徒であれ容赦無く投げ飛ばすのだから。

「いや…でもここで証明しなかったら、せめて壊さず召喚できるよう改善しろって最低条件をクリア出来なくなる。教諭達は頭の固いのばっかだから…それに」

いつになく真剣な眼差しのブルーなど珍しく、ノイエだけでなくグランツも静かに見守って。

「…それに、言われたんだ。家に帰して、って。…この辺りはやっぱ僕の責任だし…」

モミジちゃんの為にも。

そう口にするブルーに、状況など詳しく知りもしないのに、ノイエは一度は折れた心を再び伸ばした。

「やろう!モミジちゃんの為にも!私もモミジちゃんに会ってみたいし」

「お前なぁ…都合良すぎるだろ」

「だってー…グランツはモミジちゃんを助けたいって思わないの?ブルーの魔法陣は成功してたんだよ?先生達が言ってたんだから!」

自分が直接耳にした情報なのだから、とグランツを説得してみても、難色を示したまま動こうとしてくれない。

「いいよ、グランツは手伝ってくれなくても。僕1人でもやれるし」

「ちょっと、私も行くって言ったのにー!」

どうやらブルーの言葉が決定打となるように、グランツが「あー!」と大声を出した。

「わかった!俺も行く!」

「えー?無理しなくていいよ?」

「そうだぜ?最終的には絶対にバレて説教コースなんだから」

「あのなぁ、怒られんのが恐いから参加しないみたいに言うのやめろ。どのみち話を聞いた時点で連帯責任だ。ならお前の召喚が成功するまで手助けしてやるよ!」

グランツの参加も決まりノイエとブルーは「やった」と喜んだ。

これは単純に説教の分散を喜んだだけだが。

「じゃあ早く行こうよ!まずはモミジちゃんを迎えに行って、それから学園長室に忍び込む!モミジちゃん、どんな子かなー?あんなに小さいのに1人でこっちに来ちゃって、寂しいよね。そりゃ家に帰してほしいわけだよー」

「…言っとくけど、あの子14歳だからな。もうこの学園に入学出来る歳だぞ」

「「うそ!?」」

ブルーがくれた新たな情報には、ノイエだけでなくグランツまでもが驚いて目を見開いていた。

-----

 
6/10ページ
スキ