愛しい君と夢の中
『愛しい君と夢の中』
豪華な寝具と快適すぎる空間。
大国エル・フェアリアにおいて最も贅を凝らした寝室を個人的に持つコウェルズは、ここのところ毎晩この場所が拷問部屋のように感じ始めていた。
理由は、毎晩コウェルズの隣で何の警戒心もなく眠る娘だ。
小さな島国イリュエノッドの第2王女であり、コウェルズの婚約者でもあるサリア。
今まで自分1人だけだったベッドを共有することになったサリアの登場は、毎晩コウェルズの理性と本能を戦わせる結果となってしまったのだ。
---
「……ねえ、サリア…そろそろその寝間着も肌寒いんじゃないかな?」
本日の政務公務も無事終わり、あとは明日を迎えるために眠るだけとなった時間帯、コウェルズはベッドに腰掛けながら、少し離れた窓際のテーブルで今日の日記を書いているサリアに話しかけてみた。
呼びかけられたサリアは首を傾げながらコウェルズに目を向けてくれる。
「室内は快適ですから、肌寒くありませんわ」
「…そう。…ならよかった」
コウェルズの本当に言いたいところは口が裂けても言えないのでオブラートに包んだが、やはり理解してもらえなかった。
城内ではエル・フェアリア製のドレスを纏ってくれるサリアだが、寝室ではゆったりとくつろぎたいらしくイリュエノッドから持ってきたお気に入りの寝間着に身を包むのだが、これが難なのだ。
1年を通して温暖であるイリュエノッドの服は色鮮やかで模様こそ凝ってはいるが比較的薄着で、エル・フェアリアでは信じられないことだがお腹が丸出しというスタイルだった。
鎖骨もむき出しで腕などブレスレットのみとコウェルズからすれば誘っているも同然の半裸に近いのだが、その服に馴染んで育ったサリアにもちろんその気は存在しない。
サリアがエル・フェアリアに訪れた当初は目の保養とばかりに甘受していたコウェルズだったが、我慢の限界はわりと早くに訪れた。
婚約者ではあっても、サリアは婚姻が正式に済むまでは身体は許してくれないのだ。
それでなくても年頃のコウェルズが、気になる女の子の半裸を目の前にして身体的健康的異変が起きないわけがない。
「…ねえ、せめてお腹は温めておいた方がいいと思うんだけど。風邪を引いてしまうよ」
どうやら日記を書き終えたらしく棚に戻すために立ち上がっていたサリアの背中の健康的な肌を眺めながら、婚約者を心配する自分を装う。
どうかコウェルズの下心には気付かないまま、コウェルズの言う通りにしてはくれないか。でなければそのうち本当に手を出してしまいかねない。
しかしその願いが叶うことなど当然有りはせず。
「心配しすぎです。私達の健康管理の行き届いた侍女達がいてくれるのに風邪を引くはずがありませんわ」
日記を棚に戻した後はいつものようにコウェルズの隣に腰掛けながら、心配の言葉をくすぐったそうに笑う。
2人きりの部屋で、ベッドにお互い近い距離で座って。
いっそサリアに自分がどれだけ我慢しているか伝えてしまいたい気持ちも芽生えるが、そんなことをしてしまったら頭の固いサリアは確実に夫婦になるまで部屋を分けるだろう。
それだけはどうしても嫌だった。
彼女の拒絶は、何よりもつらい。
サリアとの婚約が決まってからずっと、コウェルズにとってサリアは気が強く賢く気高く、エル・フェアリアの王妃に相応しい娘という認識だった。
そこにサリア個人をコウェルズ個人が愛する気持ちは薄かったのだ。
身を焦がすほどの愛欲に気付いたのは、サリアがコウェルズに怯えて拒んだ時から。
何があってもコウェルズから離れないだろうと思っていたというのに、コウェルズが父王を殺したその日、サリアはコウェルズに怯えて、拒絶した。
それはまだ若い娘なら当然の反応で、しかしコウェルズにはそれが許せなかった。
なぜ許せなかったのか。なぜその時からサリアのことが頭から離れなくなったのか。
傍にいて当たり前のはずのサリアが居なくなる。それを想像した瞬間、凄まじいほどの執着心が芽生えたのだ。
だから、コウェルズが王子でなく個人でいられる時は、傍にいてほしい。
片時も離れることなく、サリアにもコウェルズだけを思っていてほしい。
「…そうだ、異国の話なんだけどね、面白い文化のある国があるんだよ」
「なんですの?」
子供1人分の距離だけ開けたまま、サリアの左の手を取る。左手の薬指には、コウェルズと同じ形の指輪がはめられている。
「その国では、夫婦は同じデザインの指輪を左手の薬指にはめて、自分達が夫婦であるということを誰から見てもわかるようにするんだって。その国に行くと、私達はもう夫婦に見られるだろうね」
夫婦という言葉にサリアはどんな反応を示してくれるだろうか。
もしかしたらとても照れて慌てふためくかもしれない。あわよくば、少しくらいは肌を触れ合わせることを許してくれるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱きながら見つめたサリアの表情はコウェルズの思いとは裏腹に冷めていて、それどころか怒りすら浮かんでいた。
「…本気で仰ってます?」
「……そうだよね。…ごめんね」
怒りを込めた口調でこの指輪はそんな甘いものではないと、改めて。
2人の揃いの指輪には、比喩表現などでなくサリアとコウェルズの命がかかっているのだから。
島国イリュエノッドの禁忌の宝具である魔力増幅装置。この指輪は使用者の魔力を強めてくれるが、使用者の魔力が空になったその後は、その命を糧に魔力を放出し続けて最終的には命を奪ってしまう恐ろしい宝具だ。
コウェルズはファントム対策のひとつとしてこの宝具をイリュエノッド王から譲り受けた。王子自らが装着すると誰にも相談せず勝手に。
サリアの指輪はその戒めだ。
コウェルズが魔力を使い果たした後、コウェルズの命ではなくサリアの命から削るように。そうすることで、コウェルズが魔力を乱用しないようにと。
コウェルズの勝手で指輪をはめてから日にちは随分経ったのでそろそろ笑い話に変わってくれた頃合いではないかと思っていたのだが、期待は見事に打ち消された。
「…サリア?」
むっすりと御機嫌斜めになってしまったサリアの顔色を伺うように覗き込めば、普段の気の強さをさらに強くした鋭い眼差しで睨みつけられて。
大国の王子をここまで鋭く睨みつけることができる者などそうはいないだそう。
「…許されない勝手をしたと今は理解しているから、どうか許してくれないか。私は自分を殺すつもりはないし、もちろん君を苦しめるつもりもないから」
サリアの左手を強く握りしめながら誠実に話せば、ようやく怒りの気配は消えてくれた。そして。
「この指輪のあるかぎり、私はあなた様から離れられませんわね。いつまた勝手に危険な行動を取られるかと思うと気が気でなりませんわ」
恐らくは小言だったのだろう。しかしその言葉は、コウェルズを不愉快にさせるには充分な威力があった。
「…それじゃあまるで、この指輪が無くなれば私の傍から離れられると聞こえるんだけど?」
指輪が繋げた絆だと言わんばかりに聞こえてしまったのだ。実際はそうではないとわかっているが、サリアがコウェルズから離れてしまうことを暗に示す言葉は、今のコウェルズにとって何よりも許されないものだった。
「あ…あなた様?」
突然不機嫌になってしまったコウェルズに戸惑いを隠せないままでいるサリアの左手はまだコウェルズがしっかりと掴んでいる。その手を強く引き寄せて、バランスを崩したサリアをそのままベッドに押し倒した。
「以前にも言ったよね?私から離れようなんて考えないように、と。まさかとは思うけど、指輪の件が無かった場合は私との婚約も破棄して他の男のところにでも行くつもりだった?」
突拍子も無い話だと自分自身でもわかっているというのに、言いがかりも甚だしい自分の言葉にさらに苛立って。
自分で自分の首を絞めていると気付きながらも、サリアを失う可能性を考えてしまったことが許せなくて、その苛立ちをサリアにぶつけてしまっていた。
まるで余裕のない情けない姿を晒して、それでもサリアはコウェルズを見つめてくれる。
不安げな眼差しは、いつの間にか悲しげな眼差しに変わっていた。
「……それを選べるのは…あなた様の方でしょう?」
そして、悲しげな言葉のまま。
まるで本当に別れ話を切り出され、受け入れるしかないとでも告げるようなあまりにも悲しい眼差し。
「…サリア」
「もう眠りましょう。明日に響いてしまいますわ」
動揺して押し倒した腕を離したところで、サリアが隙をついてするりとコウェルズの拘束から逃れた。
そのまま一度ベッドから離れて、部屋を照らしていた魔力の明かりをそっと消していく。
その後ろ姿が本当に自分から離れたがっているように思えて、不愉快な痛みを紛らわすように無意識に頭を強く掻いた。
サリアは普段通りを装うかのようにひとつひとつ丁寧に明かりを消し、最後のひとつを消し終えた後、普段より遅い足取りでコウェルズの待つベッドに戻ってきてくれた。
「…中に入りましょう?」
静かにサリアを待っていたから、ベッドの上に座ったままで。
一度ベッドから降り、布団をめくって2人で中に入る。
2人でも充分すぎるほどの広さのベッドで普段なら互いに気を使うように1人分の空間を開けていたが、今日はそっとサリアを自分の胸元へと抱き寄せた。
「あなた様…」
わずかに避難するような声に、離さないと腕の力で示して。
サリアの肌に直接触れる手から全身へと欲望が熱を持たせるように疼こうとするが、それでも今日は離したくなかった。
普段なら自制のためにわざとサリアから離れるが。
「…今日だけ。これ以上は何もしないと約束するから…」
本当は今すぐにでもどうにかしてしまいたい。しかし今ここで自分を戒めなければ、本当にサリアを失いかねないから。
コウェルズに突然引き寄せられて強張っていたサリアの身体も、やがて諦めるように普段の柔らかさが戻っていった。
その力の抜けた身体に、信頼されているのだからとさらに自制心を強くして。
--それを選べるのはあなた様の方でしょう?
ふと脳裏に先ほどのサリアの言葉が浮かんで、サリアがそう口にした理由に唇を噛んで。
選べるのは確かにコウェルズの方なのだ。
大国の王子と、小国の王女。
それは、選べる者と選べない者の決定的な違い。
コウェルズは、いつでもサリアとの婚約を一方的に破棄できる立場にあるのだ。
もちろんそんなことをするつもりなどない。しかし、サリアの中には不安があるのだろう。コウェルズには前科があるのだから。
「…さっきはごめんね」
勝手をぶつけたお詫びをすれば、その返事だとでも言うかのように、サリアはコウェルズの胸に顔を埋めてくれた。
-----