2人の少女



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「--まだ調べものを?」

王城御用達遊郭の一軒で、テューラはテーブルに散乱する膨大な資料の一つ一つに目を通す楼主の背中にそっと触れた。

「ああ、テューラ。おはよう」

「おはようございます。もうお昼ですけど」

彼が昨夜から資料に目を通し続けていることは知っていた。

楼主はお昼と聞いて慌てて窓の外を眺め、あちゃあ、と肩を落とす。

「お客が来てたかも知れないのに…」

「マリオンが起きて店番をしてくれましたよ。幸いお客様はゼロです」

「…それはそれで問題だな」

「ふふ」

王城がファントムに襲われてからこちら、最上の顧客達が王城任務に追われてお茶を挽く毎日が続いている。

王城御用達の地位を手に入れているので食うに困ることはないが、それでも仕事が無いのは楼主的には頭を抱える問題なのだろう。

娘達からすればこの上無い自由時間だが、仕事が無ければ個々の給料は王城から支払われる最低賃金のみになる。

だがそれも仕方無いと、テューラは楼主が目を通していた資料の一枚を手に取り、寂しげに微笑んだ。

「…まだ見つからないんですね」

「…ああ」

あの後。

11年前のあの日。

逃げおおせたテューラと楼主はそのまま楼主の営む地方都市の遊郭へと急いだ。

テューラはそこで先輩に当たる娘達から性技を学び、最初こそ辛くはあったが、次第に開き直ることを覚えた。

開き直る為に思い出したのは、アエルの笑顔とその理由だ。

結局テューラはアエルに名前を教えなかった。

楼主はありとあらゆる情報網を使い、兵達に捕らえられたアエル達を捜した。

男達の慰みものにされた挙げ句に性奴隷として売り払われた少女達を、楼主は捜しだし見つけ出して買い戻した。

だが未だに、アエルだけが見つからない。

どれだけ探しても、アエルの消息だけが。

しかし楼主は諦めなかった。

地方都市から王都城下に移ったのが今から八年前で、そこからさらに王城御用達となったのが六年前。

楼主は多くの情報を手にアエルを捜したが、彼女がどこにいるのかはわからないまま。

もしアエルが見つかったら。

見つかったら、今度は名前を教えたい。

「ミルクでもいれてきましょうか?」

手にした資料を戻して、自分を両親から引き離した楼主に労いの声をかけて。

頼む、と言われて、すぐに用意に向かう。

二人で逃げおおせた後も、最初は楼主を恨み続けていた。

だが月日が経つごとに、彼が選ぶ娘達がテューラのようにどうしようもない状況に身を置かれた少女ばかりであると気付いた。

本当に子供を手離すつもりのない親は、楼主を家に入れない。

門前払いを食らわせるのだ。

だが娘を売るつもりの親は。

だから、テューラの両親も。

遊郭にも様々な店があるのだと知ったのも月日が経ってからだった。

劣悪な環境にある妓楼はざらで、村の女達から聞いた妓楼はそういった店ばかりで。

楼主の営む遊郭は比較的まともな店だった。

だから遊女共々王城御用達の地位を手に入れたのだ。

王城御用達の地位を手に入れるには店も娘達も生半可にはいかない。

それでも勝ち取れたのは、楼主の人格のお陰でもあるだろう。

もし両親が自らテューラを売りに行っていたら、きっとテューラは劣悪な環境に置かれてすでに狂うか死んでいたはずだ。

一杯のミルクを注いで、楼主に持っていく。

その途中で、パタパタと軽い足音を聞いた。

「あ、テューラ!楼主起きてる?」

「起きてるわよ」

足音の主は王城からの伝達鳥を肩に乗せたマリオンで、慌てた様子で鳥を指差す。

「急ぎみたい!」

マリオンが慌てるから、テューラも少しつられるように慌てて。

楼主のいる部屋に急ぎ、驚く楼主の元に伝達鳥が移動した。

「なんて書いてるの?」

「待ちなさい」

楼主は伝達鳥の足に取り付けられた筒から手紙を取り出し読み進め、次第に難しい顔になる。

「…少し厄介だな。久しぶりに媚薬抜きの依頼だ」

読み終わる楼主は溜め息交じりに呟き、テューラとマリオンが息を飲んだ。

媚薬を盛られた男達の多くは正気を無くして本能的に娘達を貪る。

テューラもマリオンも数度ほど媚薬抜きの相手となった事はあるが、初めてなら必ず泣いてしまい数日は仕事が手につかなくなるほど辛い仕事だ。

「王城からってことは、騎士様?それとも魔術師様?」

マリオンが恐る恐る訊ねるのは、魔術師であってほしいと願うからだ。

力がある騎士は、それだけ娘に無体を働く。

魔術師ならば、まだ騎士ほどは力が無いからましなのだが。

「騎士様だ。…名前はニコル…家名が無いな…まさか平民騎士か?」

平民騎士と聞いて、テューラとマリオンは互いに目を見合わせた。

平民騎士といえば遊女達の間で知らない者はいないほど有名だ。

騎士達の多くが彼の悪口を言うのに、当の本人は遊郭に訪れたことが無いのだから。

「付き添いはモーティシア・ダルウィッカー。…魔術師様だな」

「モーティシアさん!?」

そして付き添いで訪れる魔術師の名前にマリオンの声が嬉しそうに弾む。

彼の名前もこの店限定で有名だった。

マリオンの思い人だからだ。

以前、一度だけ上官に連れられて訪れたモーティシアの相手をマリオンがしたのだが、マリオン曰く「生まれて初めて優しくされた」らしい。

王城御用達とはいえテューラ達は平民なので、遊びに訪れる貴族の多くは遊女達を見下す。

その中でモーティシアだけは、マリオンに優しく触れてくれて「痛くはないか」と聞いてくれたとか。

それだけで惚れるマリオンに周りは呆れたが、マリオンは一心に思い続けていた。

「私いや!相手しない!」

付き添いにモーティシアが来るとわかった途端にマリオンは平民騎士の媚薬抜きを拒絶し、懇願するようにテューラに眼差しを向ける。

「…私がお相手します」

有名な平民騎士には興味もあったので楼主に願い出れば、すまない、と肩を叩かれ労われた。

どのみち店は暇すぎて、テューラも時間をもて余していた所だ。

それに媚薬抜きの相手をしたなら、王城から破格の特別手当てが手に入る。

ちょうど欲しかったドレスがあったのでとポジティブに解釈すれば、隣ではマリオンが「やった」とガッツポーズをしていた。

「あ…マリオン、もし私の手に負えなかったら、手伝いに来てよ?」

「えー!?他の子呼んでよー!」

「マリオン…」

万が一媚薬抜きがテューラの手に負えなければ助けてと一応願い出るが、恐らく来てはくれないだろう。

楼主は呆れながらしかりつけ、テューラには他に手の空いた娘に声をかけておくと約束してくれる。

「騎士様は恐らくすぐに来るだろうな」

「なら用意に向かいますね。来られたら教えてください」

「わかった」

テューラはすぐに自分に用意された部屋に向かうと、湯を張り、衣服を着替え、ベッドメイクを行った。

そしてすぐに使い物になるように、そっと自分を昂らせていく。

平民騎士。

噂では人相の悪い乱暴者らしいが。

「ん…」

秘部に優しく触れながら、ふと思い出したのは11年前に兵達に襲われた夜の事だった。

自分より少し年上だろう、金か銀の髪をした冷めた眼差しの少年。

彼がいようがいまいが、兵達は馬車を襲っただろう。

そして彼が見逃してくれていなければ、テューラは今頃ここにはいなかった。

だがアエルとは離れてしまった。

感謝するべきなのか、恨むべきなのか。

テューラにはまだ答えの出ない自問で。

楼主に買い戻された少女達は数年ほど遊郭で働き、そして各々の理由でこの世界を後にした。

見初められ結婚した者もいる。

大金を手に家族の元に戻った者もいる。

テューラもこの世界を離れる機会が何度かあった。

だがこの世界に残り続けたのは。

--アエル…

彼女にもう一度会いたいから。

きっと楼主が見つけてくれる。

その日まで。

その日まで辞めるつもりはない。

誰に見初められたとしても。

アエルに辿り着くまでは、ここを離れる訳にはいかないのだ、と。



2人の少女 終

 
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