2人の少女


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最初に異変に気付いたのはテューラだった。

いつの間にか眠っていたらしい。様子のおかしさに目を開いてみれば馬車内は暗く、男のいる前方の小さな窓からのぞく灯りが少し中を照らす程度だ。

隣ではアエルが丸まりながら横になっていて、他の少女達も各々小さくなりながら眠っていた。

少女達が眠っているからか夜中だからか、馬の足は遅い。

だがその馬が何かに怯えるように、足並みをわずかに乱しているのだ。

テューラにも何をどう説明すればよいのかわからないが、とにかく何かがおかしい。

周りを起こさないようにそっと立ち上がり、窓に近付く。

四頭の馬を操りながら、男はただ前だけを見ていて。

テューラを買った楼主。本当は話しかけたくなどなかったが。

「…ねえ」

足並みを乱した馬の引く車内が気持ち悪くて楼主を呼ぶ。

「…どうした?眠れないか?」

楼主はすぐにテューラに気付いて少し眠たそうな口調で返してくる。

「馬が…なんか変」

「変?」

説明など出来ないが、何かが。

「どうしたの?」

そこにアエルも目覚めたらしく目をこすりながら起き上がり、


突然の衝撃がテューラ達を襲った。

身体が浮き上がったと思った瞬間に頭と肩を壁だったはずの床に叩き付けられて、あまりの衝撃にわけもわからず意識が遠退く。

馬車内は突然の出来事に少女達の悲鳴であふれ返り、外からは馬達の暴れる鳴き声が。

打ち付けた箇所から全身にまわる衝撃は次第に痛みに変わり、心臓の音が耳元で激しく脈打つ感覚。

あまりに突然すぎて頭は働かない中で、テューラは横倒しになった馬車の一部が破壊されるのを見ていた。

バキバキと木の柱が折られて、密室になっていた馬車に無理矢理穴が開く。

夜の闇の中で、何が馬車を壊しているのかわからない。

少女達は一つどころに固まるようになぜかテューラの元に集まり、怯えながら破壊され続ける場所を眺め続けて。

人ひとりが入り込めるほどの穴が空いた時、そこに手をかけて中を覗き込んだのは、兵装を纏った少年だった。

松明に照らされただけなので容姿の全てはわからないが、テューラより数歳年上なだけだろう。

成人を迎えたか、迎える前くらいの。

その少年は中にいるテューラ達を見渡してから身体を外へと引いた。

「…女の子ばっかだ」

冷めた声はやはりまだ若い少年のもので、少年の姿が見えなくなると同時に外からやかましいがなり声がいくつも聞こえてきた。

いったい何だというのか。

少年が兵装を着ていたことを思い出し、もしかしたら売られた子供達を救いに来た兵団かと思ったが、破壊された穴から次に入り込んできた野蛮そうな男の姿にその希望は見事にぶち壊された。

わずかな明かりしかない中でもわかる、下品な薄ら笑い。

その男も兵装を来てはいたが、本能が危険な男だと告げてくる。

「五、いや、六人か。全員ガキだが仕方ねぇ。この際女なら文句無ぇよ。おい坊主、開けてくれや」

男の言葉の後すぐに、バキバキと凄まじい音が響き渡り馬車の扉が破壊される。

少女達は次々に悲鳴を上げて、まるで一つの固まりになろうとするかのように今以上にテューラに身を寄せた。

アエルも怯えた表情をしているが、テューラ以外では唯一悲鳴を上げはしなかった。

扉が完全に破壊されれば、外の景色が嫌でも目に入る。

どこかの山道で、松明を手にした兵士達が何人もいて。

その前で、あの少年が一人で手のひらに鎖を持ちながら静かに佇んでいた。

それは不思議な鎖だった。

少年が持つ鎖は一本なのに、その先は大量に枝分かれして、先端には破壊された馬車の木片や鉄材が絡んでいる。

「さすが、魔力持ち様は違うなぁ。羨ましいぜ」

テューラ達と共に馬車の中にいた兵装の男は破壊された扉から軽く飛び出ると、そのまま少年の頭を無遠慮に撫で回した。

「…痛いやめろ」

嫌がるように少年はその腕を振り払い、乱れた髪に指を通す。

松明に照らされたその髪は、見たこともないような美しい輝きをしていた。

金か、銀か。

夜の闇のせいではっきりとした色はわからないが、テューラ達のようによくある薄茶の色ではない。

「おら出てこいガキ共。新しいご主人様を待たせんじゃねえぞ」

男はテューラ達に出てくるよう命じるが、この状況で動ける者などいなかった。

石のように固まったまま動けずに、怯えたまま様子を窺い続ける。

動かないテューラ達に男はすぐに業を煮やして再び馬車に戻ってきた。

「とっとと出てこい!」

「--きゃああ!!」

男に腕を掴まれた少女が金切り声を上げる。

「やめろ!!」

同時に叫んだのはテューラ達を買った楼主だった。

彼はどこに?

慌ててその声を探れば、二人の兵に掴まれた楼主が片目を腫らし、頭と鼻から血を流しながら破壊された馬車の外の隅に膝を付かされていた。

「この子達は奴隷じゃない!兵がどうして馬車を襲うんだ!!」

頭の傷はわからないが、顔面には殴られた跡がある。

そしてテューラがわずかに思った通り、兵装を着る彼らは兵士のようだった。

地方兵か、傭兵か。

どちらにせよ、馬車を攻撃して無理矢理止めたのだろう。

「奴隷だろうが何だろうが関係ないんだよ。どのみちこいつらはもう俺達の奴隷だ」

身体を地面に押さえつけられた楼主の前に、男が少女の腕を引きながら向かい、楼主の頭をゴミを飛ばすように蹴りつけた。

「ぐあっ!」

とたんに痛みの声が上がり、掴まれた少女が完全に震え上がる。

「おら、早くお前らも出てこい。十妙以内に出てこねぇと指一本ずつ切り落とすぞ。じゅーう、」

まだ中に残るテューラ達に向かってカウントダウンが始まり、指を切り落とすという脅しに火の粉が付いたように少女達は慌てて飛び出した。

一人また一人と、飛び出すごとに兵士に掴まえられる。

何なんだ。この光景は。

守ってくれるはずの兵士が、なぜ少女達を捕らえようとする。

「…」

でも。

捕まるくらいなら、斬り殺された方がまし。

テューラは男達を睨み付けながら馬車に残ろうとしたが、

「ちょ、」

「早く…」

自分自身を抱き締めた腕をアエルに引かれ、強引に外に出されてしまった。

馬車から飛び降りれば、途端に一人の兵士にアエルごと捕まえられる。

「よし、全員出たな。ちゃんと言うこと聞けるなら可愛がってやるよ」

男の数えるゆっくりとした十妙以内に全員馬車から出たので上機嫌な声が響く。

外はやはり暗く、松明の明かりだけではまるで兵士達は化け物のようだった。

子供を好んで食べる化け物。

それはいつだったか両親がテューラに話して聞かせた躾話だ。

良い子にしていないと化け物が現れて、頭から食べてしまうという。

彼らはまさに、その化け物だった。

「どうせ売られたガキ共だろ。誰も捜しゃしねぇ。男の方も生かしとけ。労働用の奴隷として売れるだろ--」

「--待てよ」

全員捕らえられて、立たされて。

どこかに連れていかれるより先に、あの少年が再び前に進み出た。

「…何だよ、坊主」

途端に男の声が警戒に染まる。

その男だけではない。まるで少年ただ一人に怯えるように、兵達は警戒していく。

「女が手に入ったんなら後払い」

その警戒心を浴びても気にする様子を見せずに、少年が催促するように片手を男に向ける。

「…後でいいだろ、んなもん」

「ムリ。今払ってくれないなら全員逃がすぜ?」

逃がす。その言葉に、周りが静かになった。

兵達も、テューラ達も。

静かな空間に、もう片側の少年の手のひらに何か黒い霧が集まる。

その黒い霧は数秒後には黒い片刃の長剣に変わり、テューラは息を飲んだ。

何が起きたのか、見ていたはずなのにわからない。

突然少年の手に刀が握られて。

そういえば、先ほどの異様な鎖はどこに行ったのか。

元より働かない脳内が、理解し難い光景にさらに思考力を無くす。

「た、たすけて!!」

しかし少年は逃がすと言ったのだ。

少女の一人が少年にすがるような救いを求め、その少女を捕まえていた兵士に殴られる。

「残念だったな。この坊主は有料なんだ」

どこからどう見ても可哀想な少女達と悪い男達の図なのに。

男は懐から硬貨の入った袋を取り出すと、それを少年に投げつけた。

少年はその場で袋を開けて中を確認し、そのままあの不思議な刀を消し去って。

有料なのだと男は言った。

この少年は恐らく今の不思議な力のせいで周りから恐れられてはいるが、お金さえ払えば仲間になってくれるのだろう。

だがテューラはお金など持ってはいない。

少年は金さえ貰えたなら様は済んだとばかりに立ち去ろうとするが。

「まぁ待てよ、坊主。お前も楽しまないか?股のゆるい年上の相手ばっかで嫌になるだろ。たまには自分より若い女でも楽しめや。ガキだがな」

硬貨の袋をしまいこむ少年に向かって男が気さくそうに問うが、少年は歩みを止めなかった。

「…兵団のパトロンに呼ばれてる」

「あの女主人にかよ。羨ましいねぇ」

冷やかすように笑う男に向かって、少年も冷めた笑みを浮かべて。

立ち去る少年は、一切テューラ達を見ようとはしなかった。

わざと目をそらした訳ではない。

完全に興味が無いのだ。

少年がお金にしか興味が無いのなら、それは当然の事だった。

誰が好き好んで、無銭の少女を救ってくれるというのか。

これからどうなるのかわからない。

恐らく男達はそれなりの年頃の娘が馬車にいることを見越して襲ってきた様子だが、実際はまだ成人にも達していない少女達ばかりだった。

だからといって見逃す様子もなく。

奴隷だと、男は言った。

そんな言葉、テューラは知らない。

言葉の意味を知らないわけではなく、奴隷が何をさせられるのかを。

だが妓楼に売られるよりも悲惨な状況になるとは本能的に感じ取った。

だって楼主である男はテューラ達を大切に扱ってくれた。

だがここにいる兵達は。

誰もかれも。全員テューラ達を人間としては見ていない。

踏みにじられるだけの雑草程度にしか見られてはいないのだ。

「ほら、歩け」

少年が去れば、今度はテューラ達の番だった。

兵達が歩き始め、捕まえられたテューラ達も捕まったまま歩かされる。

腕を容赦なくねじ上げられ、地獄など生ぬるい世界に。

「…」

それでも、もはやテューラにはどうすることも出来ないのだ。

いや、最初からどうにもならなかった。

売られたその瞬間から。

売られる前から。

まだ自力で生きる力のないテューラに、何ができたというのか。

笑うしかない。

仕方ないと笑うしか。

アエルはそう言った。

この状況でもアエルは笑うのだろうか。そう思い同じ男に捕らえられたアエルに目を向ければ。

「さっさと歩け!」

動こうとしないアエルを、男が容赦なく揺さぶった。

アエルは俯いて表情が見えない。

だが全く足を動かそうとせず。

苛立つ男は無理矢理引っ張ろうとするが、アエルは頑なだった。

「…?」

馬車からは出ようとしないテューラを引っ張ったというのに。

「いい加減に--」

苛立つ男がさらに強く揺さぶったのと、捕まった楼主がその隣を歩かされるのは同時で。

何が起こったのか、テューラにはわからなかった。

二人の男に捕まったはずの楼主がものすごい力で二人を投げ飛ばし、それに呆気に取られたテューラと男にアエルが渾身の体当たりをして。

テューラを捕らえていた男は、アエルに馬乗りになられてテューラから手を離した。

一瞬の自由。

しかしすぐに襟首を掴まれ。

「--走れ!」

掴んだのは、楼主で。

「逃げて!!」

叫んだのはアエルだった。

わけもわからないまま。

テューラは楼主に引っ張られるままに破壊された馬車に連れていかれ、楼主は起き上がっていた先頭の馬を手早く自由にする。

「捕まえろ!!」

すぐに男達は追いかけてきたが、楼主の方が早かった。

テューラを抱えたまま馬に跨がり、強く手綱をしごく。

馬はあまりに突然のことに前足を大きく持ち上げたが、すぐに楼主の言うことを聞いた。

「みんなは!?」

「後で絶対に助ける!!」

必ず。

今の楼主ではテューラを助けることしか出来ないと。

幸いなことに兵達の側には馬がおらず、残された三頭も負傷していたか繋ぎを外すのに時間がかかったかで追ってくる事はなかった。

だがテューラ達の進む方向の先にはあの少年がいて。

「--コル!そいつら捕まえろ!!」

後ろから男の叫び声が聞こえる。

少年は名前を呼ばれて振り返りはしたが。

通り過ぎる瞬間。

テューラは息を飲み楼主は身体を固くするが、少年は動かなかった。

動かず、見逃して。

有料なのだと男は言った。

まだ支払いのされていない状況で、少年がテューラ達の逃亡の邪魔をすることはなかった。

闇の中を、ひたすら馬の手綱をしごき猛スピードで駆けていく。

少女達を、アエルを置き去りにして。

テューラだけが救われて。

がむしゃらに走る馬の背中に掴まり続けて、死に物狂いで二人は安全な場所へと逃れた。

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