2人の少女


 2人の少女


--終わったな


売られることが決まった瞬間に、冷静に自分の人生をそう判断した。


今年の春の始まりに11歳になった。

親が歳を数えてくれていたので、貧しい家にしては珍しく、テューラは自分の年齢を知っていた。

家族は両親と、兄が二人、弟が三人。

でも三人の弟のうち二人は、数年前の冬を越せずに死別した。

ひもじい中で身を寄せあい、草の根でも見つけられたなら口に入れるような生活。

テューラは唯一の女の子だったから、何でも後回しにされた。

テューラもそれを受け入れていた。

少ない食料を、テューラは自分の分を自ら兄弟達に分けて。

文句一つ言わなかったのは、両親が愛してくれていたからだ。

我慢させてごめんね。

いつか必ず、沢山食べさせてあげるからね。

両親はテューラよりも我慢していることを知っていたから。

両親が愛してくれているかぎり、テューラは貧しくとも幸せだった。

エル・フェアリアは平和な国。

でもそれは、大戦でエル・フェアリアに勝ち取られた大地には通用しない。

今はエル・フェアリアのはずなのに。

テューラが産まれた時にはすでに、ここはエル・フェアリアだったはずなのに。

平和には到底及ばない。

それでも他国や賊からの侵攻戦がないだけましなのだろう。

他国に近い土地では未だに戦闘が起こっているという。

そこに比べたら、まだまし。

貧しい生活ではあったが、自分達より苦しんでいる人達もいるのだと、慰めの言葉はいつもそれだった。

あたしたちはまだ恵まれてるんだ。

でも。


転機が訪れたのが、テューラが11歳になった年の事だった。

寒冷な土地を襲った異常な干魃。

作物は全て枯れ果て、家畜は死に絶えた。

熱に人も殺られた。

あまりの異常事態に国が動いてくれるという話を耳にしたのに、テューラ達の住む村に救いは訪れなかった。

ずっと待っていたのに。

家族の為に遠い土地まで水を汲みに出かけた長男は、枯れた川で首を切られた遺体で見つかった。

水不足が人を狂わせたのだ。

兄の遺体は、切られた首から血を抜かれた状態で見つかったらしい。

家族は最初、両親と兄が二人とテューラと弟が三人だったのに。

両親は子供を、兄一人とテューラと、弟一人を残すだけになってしまった。

それでも干魃の被害は止まらない。

とうとう最後の弟が倒れた時に、その話が出た。

どこかの都市から訪れた男が、テューラを買いたいと家に訪れたのだ。

妓楼を営むというその男は、テューラが村の者達に気を配る姿を見て気に入ったのだと告げた。

いくらテューラがまだ未成年だったとしても、妓楼がどういう場所であるかくらいは知っていた。

だから両親に必死に眼差しで訴えた。

売らないで。

貧しくてもいい。家族といたい。

男は妓楼の娘達は衣食住に困らない生活を送っていると両親に説明していた。

都市の中の妓楼だから、高給取りに見初められる可能性も高いと。

両親は話を静かに聞いていた。

倒れて昏々と眠る弟の頭を撫でながら聞いていた。

兄は話に加わりたくないと、村の手伝いに出てしまった。

テューラは口を挟まなかった。

だが必死に、両親を見つめ続けた。

男が金貨と何かの薬を出した時。

堰を切ったように母が泣き崩れた。

同時に父が俯き。

テューラが耳にしたのは、両親の謝罪の言葉だった。


ああ。

--終わったな


売られることが決まった瞬間に、冷静に自分の人生をそう判断した。

あたしの人生、終わっちゃった

妓楼がどんな場所か。

村の女達から聞かされていた。

可哀想な女が向かう場所。

男に身体を売る場所。

11歳のテューラには、あまりにも残酷な大人の世界。

両親はそこがどんな場所かわかった上で、残された家族を守る為に涙を流しながらテューラを男に売ったのだ。

-----


カタカタと静かに走る馬車には、テューラと同じように買われた娘達が数人いた。

いずれも落ち込んだように俯き、自分の人生を悲観する。

テューラも同じだった。

馬車は外観こそ簡素だが、中はクッションや薄手の毛布が用意されて娘達に不自由が無いように考慮されている様子が窺えるが、扉には鍵をかけられている。

テューラ達は商品と化したのだ。逃げられないようにするためだろう。

元より親に売り飛ばされて、どこに逃げろというのか。

両親は絶対に自分を手離さずにいてくれると思い込んでいた。

だが現実は残酷で。

子供を売る親が非道なのか。

それとも子供を売らなければならないような国が非道なのか。

まだ幼いテューラには前者しかわからない。

両親の涙の謝罪が目に焼き付いて離れない。

--どうせもう、あたしは終わったんだ。

ぐずぐずと鳴き始める少女の隣が煩わしくて、クッションと毛布を掴んで真ん中に移動する。

どの子達も隅に寄るから、足を伸ばせて眠れる場所は真ん中くらいだった。

いくつかの視線を感じながら、気にしないようにつとめてクッションを枕に寝転がって。

「--あ、ウチも寝る!」

ふいにこの場にそぐわない明るい声が馬車内に響き渡った。

「…?」

「一緒に寝ていい?寝たかったけど寝ちゃダメなのかなって我慢してたの!」

見れば、自分と同じ年頃の少女がすっきりと笑いながらクッションと毛布を掴んでテューラに近付くところだった。

近付くといっても端から狭い距離だ。

四つん這いで少し近付いて、少女はテューラの隣に遠慮もなくクッションを置いた。

「ウチ、アエル!あんたは?」

悲観ばかりの少女達の中で明るく名乗る少女は異質にさえ見えて、テューラは警戒し口を閉じた。

無視を決め込んで背中を向けて、頭から毛布をかぶる。

「ウチも寝るー」

だがアエルは全く気にしていない様子で、テューラと同じように横になってきた。

土の匂いがふわりと漂い、自分とは別の他人の泥臭さに眉をひそめる。

「…あっち行ってよ」

「えー、無理だよ。狭いもん」

馬車は狭いから、寝るなら固まった方がいいだろうと。

せっかく狭いなりに足を伸ばせるスペースを確保したと思っていたのに、アエルの距離感は警戒心をくすぐるに充分だった。

「さっき楼主さんに馬に乗してって言ったんだけどね、危ないからダメって言われたんだ」

それどころか眠ろうとしているテューラに話しかけて、寝かせてくれない。

無視していたかったが苛立ちが勝って頭の毛布を剥ぎ、アエルを強く睨み付けた。

「うっさい!黙ってて!寝ようとしてんのわかんない!?」

激昂はビリビリと馬車内を震わせて、少女達がビクリと肩をすぼませる。

だがアエルはキョトンとテューラを眺めるだけで、数秒経てばまた笑顔を浮かべて。

「あんた美人だね。ウチもあんたみたいな顔だったらもっと高く売れたんだろうなぁ」

言われた意味がわからなくて、テューラは言葉を詰まらせながらアエルを睨むことしか出来なかった。

「…あの人、みんな同じ値段で買ったって言ってたよ」

話しに割り込んでくるのは別の少女だが、アエルは笑ったまま少しだけ眉尻を下げた。

「うん。馬車から見てた。一番最初にこの馬車に乗ったんウチやもん。みんなお父さんとお母さん優しそうで良かったなぁ」

心から羨ましそうに。

売られた娘達の前で売り払った両親を優しそうと称されて、溢れ返る感情は怒りだった。

「自分の子供を売る親が優しいのかよ!!ふざけんじゃねぇよ!!」

アエルに掴みかかって、強く床に押し倒す。

ゴンと鈍い音がしてアエルの表情が歪み、馬を走らせていた男が小窓から中に顔を向けた。

「何やってんだ!」

慌てた男の声が遠くから聞こえるようだった。

少女達は怯えながら壁に背中を強く預けて、視線はテューラに集中する。

「--離すんだ!!」

いつの間にか男が背後に回っていて、頭から覆い被さるような怒声にテューラはようやく正気を取り戻した。

ハッと息を飲み、背後から両手首を掴まれた状態の自分に気付く。

テューラはアエルに馬乗りになっており、手のひらは強張り、意識しなければ力が入らなくなっていた。

アエルは首を押さえながら何度もむせていて、真っ赤な顔と滲ませた涙に、彼女の首を絞めていたのだとようやく思い出す。

「大丈夫か?アエル」

「うん…平気」

首を絞められたというのにアエルはつらそうながらも笑い、その様子はただ健気なものだった。

テューラは彼女の首を無意識に絞め続けていたのだ。

「あ…あたし悪くない!こいつが酷いこと言うから!!」

自分のしでかした事が恐ろしくなり、全身を震わせながらテューラは否定する。

自分は悪くないと。

そう口にしなければ恐ろしかった。手のひらにはまだアエルの首を絞めた感触が残っていて、自分が人を殺そうとした事実が浮き彫りにされる。

「こいつが!…父さんと母さんが優しそうだとか言うから!!」

売られたのに。

売り払った両親をそんなふうに言われて嬉しいわけがないのに。

アエルが酷いことを言うから。

「こいつがっ…」

その後は言葉にならなかった。

売られた現実が身に染みる。

愛してくれていたはずの大切な家族に売られた現実が、テューラの胸をすりつぶして呼吸すらままならなくなる。

涙が溢れ出して過呼吸のようにしゃくりあげ、気管が痛んだ。

本当に優しかったら、売ったりなんかするものか。

「わかったから…落ち着け」

男はテューラから手を離して背中をさすってくれるが、そんな優しさはいらない。

背中越しに伝わる温もりを強く振り払い、毛布を引っ掴んで空いていた壁際に身を沈めた。

馬車内は静まり返り、男とアエルがいくつか話をして。

男は再び扉に鍵をかけて出ていき、周りの少女達は恐ろしいものから遠ざかるようにテューラから離れた。

まだ呼吸は正常に戻らず、涙も止まらない。

身体は恐怖なのか怒りなのかわからない感情に支配されて震え、手のひらの感覚を消すように何度も開いては握りを繰り返した。

膝を抱えて、背中を丸めて。

これが夢ならよかったのに。

夢だったなら、まだ希望を持てたのに。

カタン、と馬車が動いて、再び静かな旅が始まる。

この旅の終わりは地獄だ。

すでに地獄だが。

「…ねえ」

呼吸も落ち着き、膝を抱えて周りの気配を遮断していた所に、アエルの声は少し遠慮がちにテューラの耳を苛んだ。

本当は無視していたかったが、アエルを傷付けた負い目がテューラの頭を上げさせる。ただし彼女を睨み付けるような眼差しになってしまったが。

目が合えば、アエルは申し訳なさそうながらも笑顔を浮かべてテューラの隣に座り込んできた。

距離はやはり、先程と同じで近い。

「さっきはごめんね。ウチ、親いないから羨ましかったんだ」

アエルは肩を引っ付けてきながら小さな声で話す。

テューラにはぎりぎり聞こえる声だが、馬車の軋む音の方が大きいので他の少女達には聞き取り辛いはずだ。

突然身の上を話されても、テューラも言葉につまることしか出来ない。それでもアエルは口を止めなかった。

「ウチがもっと小さい頃に賊に殺されたって聞いてる。それからずっと村で育ててもらってたの」

アエルもテューラと同じように膝を抱えて、毛布を被る。

「それで、そろそろ頃合いだからって売られたんだ」

テューラと同じくらいの年頃のはずなのに。

アエルの言葉はまるで他人事のようだった。

どこか遠い土地の子供の話をするように、実感など沸いていないかのように。

「ずっと言われてたから、いつか売られるってわかってたんだ。他の子達はもっと酷い人買いさんに買われてたから、ウチは運が良かった。ここの楼主さん、美味しいご飯くれるもん。ウチ、あったかいスープ飲んだん初めてでびっくりしちゃった」

ご飯って美味しいんだね。

すっきりと笑いながら、アエルはテューラにはわからない世界を語る。

テューラには親に売られた地獄の道中だというのに、アエルの目にはまるで幸福への道のりに映っているらしい。

「村の人、ほんとはもう少し高く買ってくれる人買いさんにウチを売りたかったらしいけど、ウチ、あんまり可愛くないからいろんな人買いさんに値切られて、でも楼主さん優しいから、愛嬌があって可愛いよって言ってくれて、ウチを買ってくれたんだ」

愛嬌って何かなぁ。

そんな疑問を口にしながら、アエルはただ笑う。

この笑顔をあの男は気に入ったのだろうか。

だが周りの少女達が嘆く中では不気味にしか映らない。

「…あんた、なんでそんな笑ってられるの?」

疑問は自然と口からこぼれた。

アエルにとって村が酷い場所だというならここが天国にでも見えているのかも知れないが、きっとアエルは村でも笑っていたはずだ。

そうでなければ男もアエルの笑顔を見かけることはしなかっただろう。

「んー…どうしてだろう?」

なぜ笑っていられるのか。問われたアエルは首をかしげながら答えを探すが、見つからないらしく困ったようにまた笑い、

「でも、笑ってなきゃ仕方ないよね」

どうにもならない世界を。

どうにもならない国を。

もはや笑うことしか出来ないだろうと。

笑って受け入れるしか。

アエルはまだ答えを探すが、テューラにはその言葉こそが答えに思えた。

この世界を。この国を。

弟達が死んでいくのを助けてやれなかったこの世界を。

兄が殺された理由を放置したこの国を。

笑って受け入れるしか、と。

エル・フェアリアは平和な国だと誰かが言った。

自分達もそう思い込んでいた。

だが。

誰がそう言ったのだ。

本当にそう思って口にしたならテューラの前に現れろ。

そしてテューラが納得するように話してくれないか。

栄養をとれず子供が死ぬエル・フェアリアは平和なのか。

兄を殺されても“干魃だから”で済まされるエル・フェアリアは平和なのか。

堂々と売られる子供がいる国が平和なのか。

「…大丈夫?」

ふと頬に何かが触れる。

アエルがテューラの頬に流れる涙を拭ってくれたのだと、数秒経ってから気付いた。

なぜ彼女はテューラにそこまで出来るのだろうか。

首を絞められたばかりなのに。

怖がるなり怒るなりすればいいのに。

「明日の昼にまたどこかの町についたらね、少しだけ馬に乗してくれるって楼主が約束してくれたから、一緒に乗ろう!そしたらきっと楽しいよ!」

慰めようとする言葉が胸に染み込もうとしてくる。

慰めなどいらないのに。

なのに、アエルの笑顔がテューラの頑なになった心をほぐそうとしていく。

「…あっち行って」

顔を隠すように俯いて、拒絶するように毛布をかぶり直して。

なんと言われようが、ここは地獄なのだ。

そう確信したくて。

「…うん。お休み」

少しだけ、アエルが離れる気配がする。

きっと少しだけのはずだ。だが触れ合っていた肩が離れて、そこから一気に冷え込むような感覚がした。


-----

 
1/3ページ
スキ