理想恋愛
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それからは彼女が正式に侍女長として任命されたこともあり、あまり共にいられる時間はなかった。
あっても王城内の人気の無い所で少し会話をするくらいで、外出する機会など無くて。
ようやく二人の休みが丸一日分被ったのは、ふた月も経った頃だった。
王城では何度か会ったが、ゆっくり愛し合えるほどの時間など有りはしない。
普段は王都を散策してからスカイの個人邸宅に向かうのが定番だったが、その日ばかりは急かすように家に連れ込んで、使用人達には遠慮するよう告げて、貪るように愛した。
肌を合わせられない間は禁欲生活が続いていたのだ。暴走しそうになる自我を抑えるのでやっとなのに、彼女の方も我慢していたのか激しく求めてきて。
情けないことに、最初の射精はすぐだった。
悪い、と告げて、でも愛撫は止めなかった。
もう性欲に全てを支配される年ではないので再度勃ち始めるのに数分は必要だろう。その間に彼女の全身に舌を這わせていく。
彼女の性感帯は全て見つけている。
首筋と鎖骨、付け根近くの太股、胸は先端とその周囲が。
興が乗れば指の間を嘗めても腰を跳ねさせる。
全部愛しかった。
このまま、この満たされた状態のままいられたらいいのだが。
一度目の早く終わってしまった分を取り戻すように、二度目はあらゆる体位で彼女を攻めた。
背後から攻めれば声を堪えるように唇を噛むので、無遠慮に口腔を無骨な指で犯して嬌声を上げさせる。
正常位では乳房を揉みながら口付けを堪能した。
上に股がらせて下から何度も突き上げ、また体位を変えようと抱き上げようとしたところで彼女は突然身を強張らせた。
「--やめて…」
熱を帯びた声で、それだけは嫌だと。
「…ああ」
無理をさせたかと素直に聞き入れて、また彼女を下にする。
二度目は男の意地で何度も絶頂を味わわせてから、ようやく自分も彼女の中に放って。
今までで一番激しい交わりだった。
彼女の方はくたりとベッドに伏し、さすがにスカイも少し疲れて彼女を抱き締めるように隣に横になる。
汗をかきすぎて冷え始めていた肩を守るように、足元で邪険にされていた薄手の布団を引っ張って彼女にかけて。
「…熱い」
「我慢しろ…」
まだ侍女長になりたてなのだ。風邪を引かれたらたまらない。
三度目はさすがにもう少し後にならないと無理だな、などとぼんやり考えながら、うつらうつらと目をとろけさせる彼女を見つめて。
休む間も触っていたくて、束ねられず自由に流れる髪を指で梳いた。彼女の体のように艶やかな髪を、何度も何度も。
「…くすぐったい…何?」
睡魔とくすぐったさの間で葛藤している彼女に訊ねられて、その言葉はついて出た。
「…愛してる」
何のへんてつもない、今まで何度も告げてきた言葉だ。
彼女となら、死ぬまで幸せでいられる。
30歳を過ぎたにも関わらず、青臭い思春期の子供のような思いに駆られて。
「結婚しよう」
もはや彼女のいない世界など考えられなかった。
彼女を守りたい。
心からそう思うほど、彼女はいい女だ。
目を見張る彼女は、やはりいつものように逃げるのだろうか。
そうなる前に、彼女の細い手首を掴んだ。
「…返事を聞かせてくれ…お前の仕事とかやりたい事の邪魔なんかしない。だから俺と…」
「返事…しに来たの」
小さな声がスカイを制する。
立っていれば見下ろさないといけない彼女の視線は、今は目の前にある。
真剣な表情は仕事中の彼女に似ている。スカイが初めて彼女を意識するようになった時の表情だ。
返事が、ようやく聞ける。
やっと。
まだ一年弱の付き合いなのに、滅茶苦茶長かったくらいの感動が。
「別れてほしいの」
一瞬で消え去った。
「……は?」
「…別れてほしい」
言われた意味を理解できずに馬鹿みたいな顔になる。
上体を上げて、彼女を見下ろす。
なんで?
今、なんて?
こんなに激しく愛し合った後で?
彼女も激しく求めてきた後で?
「…ふざけるなよ」
冗談にしては笑えない。
冗談にしては酷すぎるだろう。
なのに。
「ふざけてない…本気。…ずっと考えてた」
「何だよそれ!!」
激昂にびくりと肩を竦めてから、彼女もそろりと上半身を上げた。
体を隠すように胸元に布団をたぐり寄せて、悲しげな表情で見つめてくる。
「…何で」
怒りで震えすぎて、言葉が最後まで出てこない。
何の冗談だ。
こんなこと、悪い夢以外に何だというのだ。
「俺のこと…嫌になったのかよ?」
「…違う」
「じゃあ何でだよ!!」
怒鳴って言うことを聞かせたいわけじゃない。だがこんな急に、こんな勝手に。
「好きだから…一緒にいるのがつらい」
「はぁ!?」
訳のわからない理由に切れ気味の相槌を打てば、彼女は髪を振り乱して爆発した。
「私はあなたが考えてるみたいな出来た女じゃないの!!子供相手に凄い嫉妬して仕事が手につかなくなるのよ!!…もうどうしたらいいかわからないっ…」
今まで溜め込んでいた苦しみを全て吐き出すように叫んで、初めて彼女がスカイの前で涙を見せる。
突然の涙に動揺して拭き取ろうとしたが、その手は彼女の弱い力に跳ね返された。
グッ、と心臓を掴まれるような苦しみに苛まれる。
子供相手に嫉妬?子供なんて、どこに…
「…コレー様、か?」
唯一触れ合うとしたら、8歳の幼い姫だ。
可愛らしい国の宝に嫉妬?
ひくっと唇を強く噛んだので、コレーで当たりらしい。
だがなぜ?
姫とはいえ、ただの幼い子供に。
「…馬鹿馬鹿しい」
「わかってるわよ!…わかってるのに…私には無理なの!!」
思わず呟いてしまった胸の内に、彼女はさらに泣き出して。
「あなたがコレー様を抱き上げる度に…コレー様があなたを独り占めする度につらくなるの!まだ子供よ。小さな女の子よ!恋愛対象になりもしない…有り得ないことくらいわかってるわよ!でも私には同じ女なの!!」
「おい…」
「馬鹿みたいでしょ?子供みたいでしょ?失望するでしょ?でもこれが私なのよ!仕事も出来なくなるくらいつらいの!!」
これほど激しく感情をさらけ出すなんて、いったいどれほど自分の中に溜めていたというのだ。
たかが子供だ。
スカイにとっては守るべき姫である以外は、ただの女の子でしかない。
別れる理由になんて、納得がいくはずがなかった。
「…だからって…別れるなんて」
別れなくてもいいはずだ。
それこそ姫がずっとスカイになついて抱っこをせがむとも思えないのに。
成人を迎えれば、他国に嫁いでしまうのに。
だが彼女にはそうではないのだ。コレーの幼い恋心に気付かないほど疎い性格ではない。
スカイは気付かなくとも。
幼くともコレーは女で、今は小さな子供でも、いずれは絶世の美女になる。彼女にはわかるのだ。
「結婚するなら、騎士を辞めてくれる?」
「…はぁ?」
結婚する為に騎士を辞めるなど、できるはずがない。そんな馬鹿な話があってたまるか。
「無理でしょう?私だって無理なの。辞めたくないの。夢だったの!!でも結婚したら…私は絶体もう仕事なんて手につかなくなる…出来なくなる!!」
そしてそれは、彼女も同じなのだ。
土石流のように詰まっていた思いをぶつけてくる彼女に、頭が処理しきれずに混乱していく。
なんでこんなことになる?
ただ傍にいたいだけだ。
他の騎士達が彼女を思うのが我慢ならない時もある。
結婚すれば、彼女は侍女を続けようがスカイの妻として誰にも触らせないように出来て、最後まで二人で。
「…あなたが最低な男ならよかったのに」
ぽつりと独り言のように呟かれた言葉に耳を疑った。
今、何と言ったのか。
訊ね返す前に、彼女はまた涙をぼろぼろと零れさせた。
「みんながあなたの事を最低だって言うから付き合ってたのに…なんでこんな…好きになっちゃうのよ!!」
何だその噂は。
どこで流れて、内容は何だ?
頭を容赦なく殴られるような事実に目が眩む。だが彼女は確かにスカイを瞳に写していて。
「好きよ!好きになったの!!生きてきた中で一番なの!!今までみたいに馬鹿なだけの男だと思ってたのにっ!!なんで…」
あまりの言いぐさに、そしてあまりの愛しさに、拒絶されるより先に強く彼女を抱き締めた。
何度か拒むように離れようともがくが力で敵うはずもなく、最後には諦めて抱き締められるがままになる。
それでも彼女は唇だけは止めなかった。
「お願い…私から仕事を取らないで…」
「お前それ…俺より侍女でいたいって事かよ…」
思わずそう聞いてしまって。
ここまで来て、まだ彼女を手放したくなかった。
別れたくない。
ずっと一緒にいたい。
だが互いに現実を見なければならない年齢に達している。
「そうよ…小さい時からの夢だったんだもの!憧れてたの!現実になったのに手放せる!?あなただってそうでしょう!?それに……今の侍女達は…」
愛や恋が甘く美しいなんて幻想でしかないことに気付いている。いつだって現実が邪魔をするのだ。彼女は新しい侍女長として、凄まじい期待と重圧を背負っているのだから。
「…これ以上一緒にいたら…あなたを選んでしまうから…お願い…別れて。仕事ができなくなるなんて嫌…死んじゃう…」
言葉では拒絶しながら、彼女はスカイの背中に両腕を回して。
そんなことをしたら離れられなくなるのに。
「…どうしても…無理なのか?」
「……ごめんなさい」
声がかすれる。
こんな苦しい抱擁があるなど。
「…別れようって思うんなら、なんで今日抱かれてんだよ…」
離したくなくて、時間を伸ばす為に責める。
今までで一番満たされた行為の後に別れ話など。
「…最後の思い出が欲しかった」
「…」
そう言われて、スカイは彼女を拘束する腕を離した。
思い出にする為に抱かせたのか。
思い出に、過去にする為に。
これ以上無いほど極上の時間があるとスカイに教えておいて。
「…なんて女だよ」
自嘲気味に笑って、項垂れる。
その隣で、静かに彼女が動く気配がした。
ベッドを軋ませながら降りて、スカイに脱がされた衣服を集めて机に置き、下着から手にかけていく。
いつも通りの帰り支度だ。
ただいつもと唯一違うのは、もう二度と彼女はスカイに素肌を晒さないのだという事実で。
次など無いのだ。
別れ話を切り出されて、一方的に別れられた。
しかもスカイに非など無く、直しようもない理由で。
もし自分が彼女の聞いたという話通りのクズなら、まだ付き合えていたのか?
婚約して、結婚して、互いに仕事をこなしながら。
だがそれは、愛されてなどいないという事だ。
スカイの知らなかった彼女の一面。
嫉妬心なんて、人間誰でも持っているはずなのに。
スカイだって彼女を思う騎士達に苛立ったのだ。
女への評価などの話なら男達の暮らす兵舎では尽きなくて、スカイよりも家の位や騎士階級の高い独身騎士が彼女に気があると聞いただけでどれほど焦ったか。
それと同じじゃないのか?
「--行くな」
気付けば身支度を完全に済ませて出ていこうとする彼女の腕を強く掴んでいた。
遠慮の欠片もない、騎士として鍛えた力を全て使って。
「痛っ」
その強さに驚いたのか、彼女は短く叫んだ。
今までどれほど手加減して彼女に触れていたか、これで気付いただろう。
スカイの力の前では、彼女などいとも簡単に壊れてしまう。
鍛えた男と華奢な女の力の差だった。
わずかに怯えた彼女に、それでも腕の力は抜かなかった。
「…別れたくない」
胸が痛い。目眩がする。頭から血の気が引いて、自分が自分ではなくなりそうになる。
脅してでも繋ぎ止めておきたかった。
彼女を手放したくない。
「…頼む」
スカイがスカイでいられる間に。
今なら冗談で済ませるから。
魔が差したのだと納得するから。
だから。
「…行かないでくれ」
抱き締めて、唇を奪う。拒む頭を抑えて、閉じられた口内に無理矢理舌をねじ込んで。
彼女は服を着ていて、自分は裸で。
なんて滑稽な姿だろうか。
でも、馬鹿な醜態を晒してでも、彼女と共にいたかった。
「…さよなら」
だが現実は冷たくて。
力の抜けた隙をついて、彼女がするりとスカイから逃れる。
足早に去る彼女を、今度こそ止められなかった。
扉が開かれて、小さな音を立てて、また閉められた。
軽い足音は聞こえにくいが、訓練を積んだスカイには気配で彼女がどの辺りにいるかくらいはわかる。
使用人が彼女を外に出すのもわかった。
窓に近づいて、もう止められない彼女を眺めて。
彼女の方はちらりと名残惜しむ様子も見せなかった。
使用人が用意していたのだろう馬車に乗り込んで、王城のある方向へと。
「--…」
涙がこぼれたのは、何年ぶりの事なのだろう。
心から愛しいと思う恋人は、スカイの心を置き去りにして、二度と戻ることはなかった。
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「…スカイ殿?」
「スカイ?」
考え込んだまま押し黙ってしまった部下に声を掛ければ、何を思い返していたのか表情をわずかに曇らせていた。
レイトルの方もいつもは煩いスカイがだんまりを決め込むのが意外らしく、どこか心配している様子だ。
「あ、おう…」
「話を聞かせてくれるのでしょう?何をぼんやりしてるんですか」
正気に戻るスカイに安心していつも通りに軽い対応を見せるレイトルに「年上を敬え」などと宣ってみせて。
スカイは一度だって上司であるトリックを敬った試しなどないというのにお笑い草だ。
「二人の女性らしき何かと真剣交際してたんでしょ?とっとと聞かせてくださいよ。人間かどうか判断してあげますから」
「お前マジでぶっとばすぞコラ」
表面上はいつもの調子を取り戻すが、悪酔いしたのかどこか気分は悪そうだ。
「もういい。お前なんかに俺様の美談を聞かせてやるもんか」
「えぇー…まぁ別にそこまで興味無いんでいいですけど」
「そこは興味持てよ。すぐに諦めんな」
いったいどっちだと言いたくなるような絡み方をして腰を浮かせようとしたスカイの肩を押さえて座り直させて。
「まあまあ。レイトルはどうなんだ。23歳なら、気になる女の子くらいいるんじゃないか?」
話題を逸らしてやろうと訊ねたトリックに、レイトルは困ったように眉をひそめた。
「はあ、残念ながらまだ当分は妓楼のお世話になりそうです」
遠回しな返答に笑い返して、王族付きなら仕方ないと三人で頷く。
王族付きは婚期が遅れがちになりやすいのだ。
コレーの護衛部隊長を務めるトリックももう38歳になるが、相手は現れそうになくて。
魔術師団長を務める祖父が持ってくる縁談が唯一の浮わついた話になるのだろうか。
「スカイ殿はともかく、トリック殿はまともな経験も豊富でしょう?もし意中の女性が現れた際の助言などありましたら是非聞かせてください」
「お前は、ほんとに途中途中で喧嘩を吹っ掛けてくるな…」
「弄られやすいオヤジ騎士の宿命ですよ。諦めてください」
「ふざけんな!」
レイトルの言いぐさに不貞腐れて、スカイがレイトルの側にあった果実酒を奪って飲み干す。
「あっ!」
「きっつ!何だよこの酒!!果実酒のカの字も無いじゃねぇか!!」
「…最低ですね」
「仕返しだバーカ」
まだ残っていた果実酒を奪われて、レイトルも少し唇を尖らせる。
「まあまあ。残念ながら私はあまり恋愛経験がないから助言も出来ないかな。スカイの方が上手く助言出来るだろう」
空のグラスにもう一杯果実酒を注いでやり、ちらりとスカイに視線を向ける。
「果実酒の分くらいは何か助言してあげなさい。まだ先の明るい彼に、あなたみたいな間違いを犯させないようにね」
「うわぁ意味深な発言ですね。スカイ殿いったい何をしたんですか…」
「俺じゃねえっつの…」
スカイがどういう恋愛を体験して、どういう失恋をしたか知っている。
どうしようもない恋の終わりは、三年経った今でもまだスカイの中では消化出来ていないのだ。
「助言つっても…」
困惑するスカイが頭を悩ませて、やがてひとつだけ、ぽつりと呟いて。
「…話はしっかり聞いてやれ。些細な事だろうが、向こうには重大なんだ」
オヤジ騎士などと言われる片鱗すら見せずに語ったスカイを、少し驚いたようにレイトルが見つめる。
「…忘れずに受け取っておきますよ」
「何だよ。急に殊勝になりやがって」
どう感じたのか、どう思ったのか。
素直に助言を受けるレイトルを、スカイは気持ち悪そうに眺めていた。
三年が経った。
彼女と別れてから。
別れたといっても、働く場所は同じ王城内で、すれ違うことがあれば、会話をすることもあった。
彼女はいつだって仕事用の表情で応対して。
それはスカイが初めて目を奪われた表情と同じはずなのに、彼女の内面を知った今ではとても味気ないもののように思えて。
許されるなら、もう一度抱き締めたい。
愛していると囁いて、彼女の笑顔を。
だが道を違えた運命は、今後もスカイの願いを聞き届けるはずがないのだ。
理想恋愛 終