第82話
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一つしかないベッドで眠るマリオンに背中を向けながら煩悩を振り払うように新たな術式の製作に頭を使っていたモーティシアは、ふとバルコニーの外で大きな鳥が羽ばたきながら手すりに留まるのをカーテンの影越しに見た。
夜の闇の中を警戒しつつ近付いてカーテンを開ければ、そこにいたのは。
「………………茜ですか?」
バルコニーに通じるガラス扉を開けて、見慣れた青い中型の伝達鳥に呼びかける。
セクトルの飼っている伝達鳥は、モーティシアが扉を開けるとすぐに室内に侵入してきた。
「ーーきゃああああっ」
自由度の高い鳥が侵入したとたん、室内からマリオンの悲鳴が響く。
「安心しなさい。知り合いの伝達鳥ですから」 物音に目覚めたマリオンは、ベッドの上で布団に包まりながら怯えた眼差しを茜に向けている。
扉もカーテンも閉めて部屋の明かりを灯せば、マリオンはテーブルに降りた茜に驚いたのかさらに怯えて壁へと逃げた。
茜は中型の伝達鳥の中でも大きな分類には入るが、面白がっているのか威嚇しているのか、マリオンに対して目を合わせたまま翼を広げる始末だ。
「やだ!モーティシアさん!!」
布団を被ったまますぐにこちらに逃げてくるマリオンが、びくびくと震えながら弱々しい力で縋り付いてくる。
「この大きさの伝達鳥は初めてですか?」
「……伝達鳥?」
「そうですよ。知人の飼っている伝達鳥です」
さきほど伝えた言葉はマリオンの耳には届いていなかった様子で、改めて説明すれば怯えたままだが茜に目を向けた。
「……これが大型の伝達鳥なの?」
「いえ、あれは中型ですよ」
「え……じゃあもっと大きな伝達鳥がいるの?」
平民でも貴族でも、一般的に飼われているのは小型の伝達鳥ばかりで、マリオンは中型も見たことがない様子だった。
「…つつかない?」
「どうでしょうね?」
茜が飼い主であるセクトルを見下している様子は見かけていたので何とも答えられない質問だ。
脚に筒が取り付けられていることに気付いて近付けば、マリオンはまだ怖いのか一緒に着いてはこなかった。
茜が来るなんて、何があったのか。
恐らくは騎士達の暴力の件だろうと筒を外そうとしたが、茜は瞬時に脚を動かして筒を外す邪魔をしてきた。
「…………マリオン、下に降りて鳥でも食べられるものを取ってきてください。葉物野菜で十分です」
「え…」
何かよこせと言いたいのだろうとマリオンに食べ物を頼めば、茜が抗議の声をギャアギャアと発してきた。
「あなたの主人のような甘さは持ち合わせていませんよ。お礼はしますが、先に筒を渡しなさい」
布団を落としたマリオンが一階に降りている間に、茜相手に一歩も引かずに見下しながら伝えれば、しばらく睨み合った後に諦めたのは茜の方だった。
ぷいとそっぽを向きながら、大人しく筒のついた脚をモーティシアに向けてくる。賢すぎる伝達鳥も考えものだ。
「まったく…あなたの主人はあなたを甘やかしすぎた様子ですね」
筒の中に入っていた手紙に書かれていたのは。
「………………」
城にすぐ戻るようにと。簡単な理由を添えて。
「モーティシアさん、この葉っぱでいい?」
戻ってくるマリオンにちらりと目を向けて、残っていた野菜から選んできた葉の一枚に小さく頷いて。
マリオンは茜に少し怯えながらも近付き、茜が何もしてこないと分かるとすぐに微笑みながら手ずから野菜を与えた。
「お手紙、何で書いてあったの?」
訊ねられて、一瞬迷って。
「……モーティシアさん?」
「…至急、城に戻ることになりました」
明日の朝までは一緒にいられると話したというのに。
マリオンに目を向ければ、少し寝ただけでは戻らない顔色の悪さにさらに白さが増していた。
「……マリオン?」
モーティシアの目の前で、俯いてしまう。
俯く瞬間、その瞳に涙がじわりと滲んでいたことを見逃しはしなかった。
「…マリ」
「仕方ないもんね…うん……お仕事なんだもん」
まるで自分に言い聞かせるような言葉。
「…申し訳ありません」
「あやまらないで!だって大事でしょ?…お仕事」
パッと顔を上げるから、涙が少し頬に溢れてしまう。
その涙を自分で拭いながら、マリオンは健気に笑ってみせた。
「…モーティシアさんがこんなにもしてくれたんだもん。私は大丈夫だよ」
本当は不安が多いはずなのに。
「……何か欲しいものはありませんか?」
「…え?」
「朝までは家にいると約束したのですから、お詫びですよ」
せめて次に戻る時に、何か楽しみになるようなものがあれば。
マリオンは少し考えて、やがて笑顔を見せてくれた。
「お花!」
無邪気に笑って、花束だよ!と付け足して。
「…花束なんて何の役にも立たないでしょうに…」
「そんなことないよ!お花は心を休めてくれるんだよ。モーティシアさんが私のために買ってくれたお花なら、それだけで元気になれるわ!」
もっと利便性の良い物を選べばいいのにと思うが、マリオンは譲る気はない様子だった。
少し元気を取り戻してくれた表情に、ホッと安堵して。
「…申し訳ありませんが、城内がどういう状況なのかわからないので、いつ戻れるかはわかりません。時間を見繕って少しでも戻るようにしますので、しばらくは我慢してください」
「…わかった。ありがとう。モーティシアさん優しいね」
手に残っていた葉を全て茜にあげて、マリオンはモーティシアの胸に擦り寄ってくる。
甘えるように額を擦り付けて、手を離そうとはしなかった。
「…本音を教えてもらえますか?」
寂しそうなマリオンの背中に手を回して、ぽんぽんとあやしながら。
「……モーティシアさんがちょっと意地悪になっちゃったー」
「そんなことはありませんよ。…本音を聞いておきたいだけです」
何を思っているかなど分かりきっている。
笑顔で送り出してくれるほど、マリオンの心は正常ではないのだから。
でも言葉で聞いておきたかった。
「……行っちゃやだよ…嘘つき」
抱きつく腕にさらに力を込めて、弱々しい声で本音を教えてくれる。
肩が震えているから、そっと顔を上向かせれば、やはり涙をぽろぽろとこぼしていた。
小柄な身体で懸命に縋ってくれる姿が愛おしい。
「なるべく早く戻ります。花束を楽しみにしていて下さいね」
「……うん」
見上げてくるマリオンに、吸い寄せられるように唇が近付く。が。
キイイイイ、と、突然の鳴き声。
存在を忘れられていた茜が、モーティシアが行おうとしていたことを阻止するように羽ばたいて抗議していた。
「…まったく、気を使わない鳥ですね」
「ふふ…可愛い子だね」
「どこがですか」
邪魔されて不貞腐れている間にマリオンは落としていた布団を拾って抱いて、ベッドに戻る。
「……引き留めたくないから、私はここにいるね。…早く戻ってきてね。行ってらっしゃい」
健気に笑ってくれるから、諦めて準備を始めて。
準備の合間に何度かちらりと目を向けるが、マリオンはジャスミンが用意してくれた中身の確認ばかりしていて。
胸の奥がモヤつくのは、きっと自分が考えていたよりマリオンがそばに来てくれないことが原因なのだ。
それを自覚するほどに。
「…しばらくはゆっくり休んでいて大丈夫ですからね」
「うん。…行ってらっしゃい」
「……ええ」
茜を連れて階段を降りる時まで、結局マリオンは自分が言った通り、モーティシアを送り出す為にベッドから降りてくることをしてくれなかった。
第82話 終