第81話
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「…こんな文献があるなんて知らなかった…」
「ジャスミン嬢には頭が下がりますよ」
王城内の一室、アクセルの術式解読の為に用意された場所で、モーティシア達は集めてきた古い文献を中心にそれぞれ唸っていた。
アクセルは素直に驚き、トリッシュは婚約者の手柄に少し自慢気味だ。
レイトルとセクトルはそれぞれ無言のまま文献に記されている文に集中していた。
「……これが本当なら、ミシェル殿をアリアから離せるかもしれないけど…」
アクセルが不安気に眉をひそめながら、様子をうかがうようにモーティシアに目を向けてくる。
「文献が古すぎますからね。…確証さえ得られれば良いのですが、他のメディウム家も行方不明の今、この古い文献に縋るしかありません」
モーティシア達が囲むテーブルの上に開かれた文献に書き記されていたのは、メディウム家の女性が子供を産みにくい体質であるということだった。
ただ産みにくいだけではない。
いくら健康体であれ、メディウム家の女性は、自分が本当に心を許した者との間でしか子を儲けられないと。
精神面が身体に非常に影響を与えてくる様子で、いくら愛し合っていたとしても、そのメディウム家の女性が相手に対して何かしらの不安を抱えていた場合も、子供は産まれなかったという。
この文献があればアリアに無理やり夫を充てがうことは難しくなるはずだと期待する反面、古代文字が所々に使われているほどに古すぎる文献がどこまで通用するかわからない。
せめてメディウム家の者達が王城に残ってくれていたら話を聞けたはずなのに、現存するのはアリアだけなのだ。
「…この文献だけではアリアを守ることは恐らく出来ないでしょう。ですがアクセルとセクトルがアリアに思いを寄せていると示した上でこの文献を上に報告すれば、それなりの時間稼ぎにはなるはずです」
完璧にアリアを守れるわけではない。だがこの文献の使い方次第で、こちらはかなり優位に動けるはずだと信じて。
「アクセルとセクトルが時間稼いでる間にさ、もうアリアとの間に子供作っちまえよ」
トリッシュはポンとレイトルの肩に気安く手を置いてくるが、レイトルの表情は冗談でも笑えるものではなかった。
「そんなことをして、今度はアリアの噂に“誰の子かわからない”なんて最低なものまで追加させるつもり?」
「……悪かったよ。考えが浅かった」
冷めきった声と眼差しを受けて、トリッシュもさすがに罰が悪そうに目を伏せた。
「これが本当なら、医師団で何かしら検査したらわかることとかないのか?」
黙り続けていたセクトルは、産みにくい身体という点に期待をかけるように文献に手を伸ばす。
「アリアの身体を検査して文献通りかそれに似た異常が見つかれば、文献にさらに力を持たせることが出来るだろ」
「…そうですね。この文献の内容を医師団にも伝えましょうか。……問題は、この内容をいつアリアに伝えるか、ですが…」
内容はあまりにもデリケートな問題だ。
子供を成しにくい。愛し合っていたとしても、不安がある場合も難しくなるなど、できれば伝えないままでいた方がアリアの負担にはならないだろう。
だが伝えないことには、医師団の検査も受けさせにくい気がして。
「……それとなくジャスミンに聞いてみるか…」
アリアには悟られずに検査を受けさせる方法を考えてみても、女の体を持たないのでわかるはずもない。唯一婚約者のいるトリッシュの呟きに、誰ともなくため息は溢れた。
「ってか、モーティシアの家で匿ってる子からは何か聞けないか?遊郭にいた子なら、検査のこととか詳しいんじゃないか?」
ふと思い出したように、トリッシュはモーティシアに目を向ける。
モーティシアの個人邸でマリオンを匿ったことはすでにここにいる者達には伝えていたが、こんな形で話題にされて周りからの視線を受けても、モーティシアとしてもどう返答すればよいかわからず困るだけなのだが。
「あまり部外者に話せる内容ではないと思うのですが」
「それとなく訊けばいいんだよ。健康診断どんな時に受けた、的な?」
「……アリアと遊女を一緒に考えるのはやめなさい。彼女たちが受ける検査は特殊なものなのですから」
「それはわかってるけど、訊かないよりは何かしら参考になるんじゃないか?」
女性という点においても、仕事がら子供を授かる可能性においても、自分達より遊女の方がよっぽど理解しているだろうと。
「…聴ける状況になった時に聴いてみますよ。ですがあまり期待しないでくださいね。本人の状況が状況なのですから」
なぜモーティシアがマリオンを匿うことになったのかも話していたので、誰もが憐れみの表情をここにはいないマリオンの為に浮かべる。厳しい訓練を続けるレイトルやセクトルでさえ上官やクルーガーの殺気は恐ろしいと思うのに、おぞましい殺意を向けられて殺されかけたなど普通の女性が平気でいられるとは思えない、と。
「女の子にあんまり怖い思いさせたくないもんね。セクトルの傷も、アリア達が戻ってくるまでに治るといいけど」
アクセルは痛そうに腫れるセクトルの頬の傷を指さして、セクトルも痛みを思い出すように眉間に皺を寄せる。
「セクトルの怪我はなるべく知られないようにしたいですが、城内が張り詰めていますからね…」
セクトルが殴られたことをリナト団長にも報告し、クルーガー団長の元に抗議に向かった際、騎士達側から最初に言われたのは「訓練の延長」というものだった。
訓練に怪我はつきもので、だがレイトルとセクトルは訓練場にはいたものの、訓練外だったと告げて。
結局クルーガーの厳しい問い詰めに、セクトルを殴ったクラークは自分の非を言葉上で認めはした。
だが腹の内では納得していないということは、睨みつけてくる眼差しから誰でも気付けた。
「クラーク殿だけが城内でしばらく謹慎処分で、あとは普通に任務に着くんだろ?罰が軽すぎないか?」
「恐らく他の者達も何かしら命じられたとは思うよ。でもエルザ様の精神面を考えたら、あまり目立った処罰は与えられないんだろうね。護衛騎士として、簡単に怪我を負ったこちらにも非があるから」
レイトルの言葉に、セクトルも無表情のまま頷く。
彼らは護衛騎士なのだ。訓練を受けていない魔術師達のように、殴りかかられて受けた傷を全て相手のせいにはできない。
「……誰か来たね」
「ああ……」
ふとレイトルとセクトルが扉の向こうに同時に目を向けて、何者かが近付く気配に声を低くした。
モーティシア達にはわからない気配の探り方。二人に倣うようにモーティシア達も息をひそめて。
コンコンと、軽く扉を叩く音。そして。
「…………トリッシュ?いないの?」
か弱そうな女性の声に、全員が力を抜いた。
「ジャスミンか?」
名前を呼ばれたトリッシュはすぐに扉に向かって開けてやり、大きな白い布製の鞄を抱えたジャスミンを室内に招き入れた。
モーティシア達が揃っている状況に最初こそ驚いたジャスミンだったが、モーティシアに近付いて抱えていた鞄をテーブルの隅に置いた。
「…あの、たぶんこれだけあれば……」
「ああ、ありがとうございます。…多いですね」
ジャスミンが持っていたのは赤子がすっぽり入りそうな大きさの鞄で、女性に必要な最低限の荷物でいいと伝えていたのに、思った以上の量を持ってこられて驚いた。
ジャスミンはちらりと見えたセクトルの頬の傷に自分が痛みを受けたように表情を強張らせる。
「ありがとな。大変だったろ」
「平気。…それより……正門の所でガウェ様を見かけたんだけど…大丈夫?」
「ん?何が?」
ジャスミンはおろおろとモーティシア達を見回しながら、トリッシュの事態を知らない様子に困惑して。
「…まだ聞いてない?」
「……え、っと…セクトルの怪我のことか?」
「ううん。私も他の子から聞いただけだから詳しくはわからないけど、ガウェ様の邸宅で働いてる人が、騎士に傷を負わされたって」
「「「え!?」」」
ジャスミンの教えてくれる内容に、全員の驚きの声が重なった。
「え、どういうこと?誰が?」
詰め寄るのはレイトルで、セクトルもその後ろについて。
「わかりません…でも正門でガウェ様と一緒に見かけない男性がいたから…たぶんその人が被害者なのかもしれません。…そのことで王城内もちょっと大事になってて」
「怪我させた騎士は誰!?」
「わ、わかりませんっ!!」
レイトルの問い詰めにびくりと肩を窄ませるジャスミンを、トリッシュがそっと抱き寄せて庇って。
「…落ち着きなさいレイトル。…私達にも関係があるなら、すぐに連絡が来たはずです。来ないということは、私達とは別件なのでしょう」 今は、の話だが。
ガウェの邸宅にはニコル達がいる。関係ないとは思えないと、この場にいる誰もが口にはせずとも感じた。
「…ジャスミン嬢、報告ありがとうございます」
「いえ…」
騎士の誰がどんな理由でガウェの家の者を傷付けたかはわからないが、セクトルが傷付けられた時のような軽い処罰では済まないだろう。
ジャスミンはトリッシュに促されて扉まで向かうから、モーティシアは改めてジャスミンが用意してくれた荷物の中身を確認した。
「……こんなに必要なものですか…」
替えの下着程度ではないのかと中を物色してみれば、モーティシアにはよくわからないものがわんさかと詰められていて、どれもこれも小分けの袋や箱に入れられてかさばっている。
「あの、ここで見るのは…」
トリッシュに見送られようとしていたジャスミンが慌てて止めると同時に、モーティシアは鞄の底から軽い小箱を取り出した。
「あの、それ…」
「用意してくれたのに申し訳ないのですが、もう少しコンパクトに纏めることはできませんでしたか?この箱なんて別のものと一緒にできそうですよ」
取り出すと同時に鞄の口にうまい具合に引っかかり、小箱の中身がバラバラとテーブルに転がり落ちた。
入っていたものは。
「……ジャスミンありがとな!後でお礼するから!!」
数秒の静寂の後、トリッシュが慌ててテーブルに散乱したそれらをかき集めて小箱に詰め、袋の中に戻した。
女性にとって必需品である生理用品を。
それはジャスミンがわざわざ用意してくれた、恐らくジャスミンも使用している種類のものだ。
ジャスミンからすれば多くの男性の目に触れていいものではないだろう。
レイトルとセクトル、アクセルはわざとらしく顔を逸らし、モーティシアはさすがに罰悪くジャスミンに目を向けて。
「……ジャスミン嬢…その…申し訳ありません」
ぶちまけられて、トリッシュのお陰で今は鞄に戻されはしたが、止めようとしていたジャスミンは顔を真っ赤にしながら涙目になっていて。
「本当に申し訳ありません!悪気はなかったんですが!!」
「………………モーティシア様って」
いつもなら弱々しく俯いて逃れようとするジャスミンが、今まで見たこともないほど強い眼差しで睨みつけてくる。
その声も、今まで聞いたこともないほど低いものだった。
「……私のことが嫌いなのは勝手ですけど!もう少し女性に対する配慮を学ばれてはいかがですか!?いつもいつも小言ばかり言って!…私を見下すことしかしないから中身が小分けにされてる理由すらわからないのでしょう!!」
爆発、とはまさしくこのことを言うのだろうと思えるほど、真っ赤になって怒るジャスミンは今までの我慢を全て吐き出すように感情を全て曝け出した。
涙をぼろぼろとこぼしながら、怒りで息を震わせながら。
全員が固まる中、動けるのはもちろんジャスミンだけだ。
「いつもいつも私を虐めて楽しんでるモーティシア様ですもの!この状況もとっっっても楽しいんでしょうね!!」
「そん、なつもりは…」
あまりの迫力に口ごもるモーティシアを最後に強く睨みつけてから、ジャスミンは物凄い勢いで部屋の扉を開けた。
「愚図で悪かったわね!!この神経質男!!」
最後の最後に言い捨てて、バンっと扉が壊れるほど強く閉めて。
冷めきった室内で身動きの取れるものなどいなかったが、数秒経ってからようやく我に返って動けたのはトリッシュだけだった。
「ちょっと!待ってくれ!!ジャスミンーー!!!!」
慌てて部屋を出て追いかける様子は、まるでトリッシュがジャスミンを怒らせたようにも見えてしまうほどだが。
「こういう奴なんだってえぇぇ!!!!」
外から響き渡る言葉はフォローにもならないものだった。
「……ま、まあ…モーティシアのジャスミン嬢に対する今までの態度が悪かったんだと思うよ…」
場を取り繕うように半笑いになりながら、アクセルは今までの反省を促してくる。
「あの子あんなに怒れるんだね…」
「…だな」
レイトルとセクトルも、あまり接点が無いが内気なだけだとばかり思っていたジャスミンの怒り狂う姿に目を見開いたままだ。
「たぶんトリッシュが戻ってきたら、めちゃくちゃ怒ると思うよ…」
「……わかっています。…反省していますよ」
ようやく口にできた言葉は喉から渇いてかすれてしまっていた。
まさか怒らせるなどと思ってもいなかっただけに、申し訳なさよりショックの方が大きかった。
「……はぁ」
どうしようもなくて溢れたため息に。
「トリッシュの前でため息はやめときなよ」
すかさず入るアクセルの助言にレイトルとセクトルまでもが同時に頷くものだから、モーティシアは今度こそ完全に口を閉じ、深く強く落ち込んだのだった。
第81話 終