第80話


第80話

 意識が途切れ途切れになっていた。
 気持ちの悪さから、手で壁をつたいながらズルズルと歩いていたのだ。
 視界が世界ごとブレる感覚。
 足が床を踏んでいないような、思考が霧の中に紛れたまま消滅したような。
 時々ふと意識がもどって、全身を身体の奥から怖気と怒りが苛んだ。
 足がもつれてその場に倒れ込んでも、自分が倒れたと気付けないまま手で壁と床をさぐる。
「……パージャ…」
 呟いた言葉は、喉を強く締め付けられているかのように聞き苦しい音をしていた。
 早く会いたかった。
 この世で唯一、ミュズの大切な人に。
 パージャしか残らなかったのだ。
 ミュズにはパージャしか残らなかった。
 不死の彼以外は、全て死に絶えた。
 ミュズの目の前で。
 奪ったのは、エル・フェアリアだ。
 大切なものを惨たらしく殺しつくして、今また、唯一残されたパージャまで奪おうとしている。
「…うぅ……あああぁぁ」
 這いつくばったまま、立ち上がれないまま、パージャを思う。
 唯一ミュズのそばに残ってくれたパージャを救う術を、そのたった一度のチャンスを、逃してしまった。
 エル・フェアリア王家の力さえ身体に宿せば、ミュズの中に眠る微かな力が目覚めるはずだったのに。
 それを教えたのはファントムだ。
 ミュズの祖母は治癒魔術の力を持っていた。
 だが極端に血が薄れたせいで、ミュズは治癒の力を持たなかったのだ。
 それでも条件さえ揃えば、ミュズにも治癒の力が開花するはずだったのに。
 コウェルズから僅かでも力を奪えば、パージャの傷を癒せる治癒の力が手に入ったはずなのに。
 ミュズの全身がコウェルズを拒絶した。
 もうミュズには、パージャを救える力は手に入らない。
「ああああぁああぁぁぁ……パージャ…パージャパージャパージャ…」
 今までさんざん守られてきたのに、ミュズのそばにいてくれたのに。
 ミュズの為に何度も死んでは蘇ったパージャを、ミュズは救えないのか。
 意識が途切れる。

 また覚醒する。
 身体は床に這いつくばったままだが、先ほどとは違う場所。
 意識の途切れた状況で、どこまで進んだのかさえわからない。
「パージャ……」
 ミュズのそばに彼がいない。
 永遠に失うかもしれない。
 苦しみ続けて、痛めつけられて。
 絶望を顔に貼り付けたまま、永久に離れ離れになるかもしれない。
 そんなの、嫌なのに。
 今すぐにパージャの元に向かいたいのに、身体に力が入らない。
 視界に何も映らない。
「パージャ…」
 ミュズが最後のチャンスを壊した。
 パージャを救える手段をなくした。
 ミュズが。
「いやあああぁぁっっ!!」
 パージャに会いたい。今すぐ。
 視界が真っ暗なまま。
 会いたいのに。
 手足の感覚も消えた。
 どうしてそばにパージャがいないの?
 潰れるような喉の痛みも消滅していく。
 誰のせい?
 全ての感覚が遠退いていく。
 全て、エル・フェアリアに奪われた。

 エル・フェアリアに奪われたのだ。

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 ルードヴィッヒが足取り重く向かうのは、エル・フェアリアに用意された貴賓室だ。
 豪華な広い廊下を、重石のついた足枷をはめられたかのように進んでいく。
 帰る最中という方が合っているのだろうが、冷静さを取り戻した頭では、今からコウェルズ達の元に戻るのは本当に気が重かった。
 自分はいったい何度やらかすつもりなのだろうか。
 頭では冷静に考えているつもりでも、後で考え直すと自分の至らなさばかりが目につく。
 そのうち騎士の称号を剥奪されるかもしれない。
 重すぎる思考に足取りはさらに遅くなるが、残念ながら部屋の前に到着してしまった。
 とっとと開けるべきなのだろうが、開けるのが怖い。
 それでも扉の前でダラダラと時間を無駄にし続けるわけにもいかないので、腹を括って扉に手をかけようとした瞬間。
「ーー遅い」
 先に開けられた扉の向こうから逞しい腕が伸びて、ルードヴィッヒの胸ぐらを掴んで中に引きずり込んだ。
 あっという間の出来事。
 視界に飛び込んできたのは、見慣れ始めたソファーに座るコウェルズ達だ。
「勝手な行動に出たんだ。せめて少しでも情報は掴んできたんだろうな?」
 ルードヴィッヒから手を離しながら訊ねてくるのはジャックだった。
 どう返答すればいいのかもわからないので押し黙ってしまえば、さっさと進めとばかりに背中を押された。
 その手の大きさにゾワ、と背筋を震わせて、しかしすぐ離れたことに我慢して前に進む。
「………………すみませんでした」
 コウェルズ達の前まで重い足を引きずって、言葉を溜めに溜めて俯きながら謝罪して。
「とりあえず座りましょうか。全員揃ったことだし、今までの出来事をまとめておきたいんです」
 お茶を用意してくれるのはダニエルで、その隣ではジュエルが生クリームを添えた焼き菓子を小皿に用意してくれていた。
 コウェルズは無言のまま、ジャックもソファーに戻ってきた段階で部屋全体に結界を貼る。
 黄金の魔力が波のようにぶわりと広がる感覚。
 視界を駆け抜けた金色に、コウェルズがエテルネルの仮面を取っている状況なのだと理解した。
「…さて。君に先に伝えておきたいんだけど」
 場の空気が静まりきる前に口を開くのはコウェルズだ。
 言葉を向けられているのはルードヴィッヒ以外にはいない。
「薄桃色の髪の少女。君が探している子だね?あの子は恐らくメディウム家の血筋だよ」
 冷めた笑みを浮かべながら、コウェルズはミュズを語る。
「……え?」
「アリアと同じ感触があったんだよ。君は恐らくあの少女の魅了下にいる」
 何を言われているのか、理解ができなかった。
「探している少女がいるから捜索隊に志願したと言っていたけど、君とあの少女が出会ったのはいつなんだい?」
 問われて、どこまで知っているのだろうと警戒して、しかしすぐ諦める。
 コウェルズはもうミュズを知ってしまったのだ。
「…パージャが遊郭街で事件を起こした日です」
「ああ…。……君が魔力を暴発させた日でもあるね」
「……はい」
 ミュズと初めて出会った日。パージャが多くの人を殺した日。ルードヴィッヒが男に襲われかけた日。初めて人を殺した日。
 それ以降、ルードヴィッヒは自分を守るように、魔具で生み出した装飾品で自分を彩るようになった。
 レイトルに教えてもらった魔具の訓練は、今はルードヴィッヒの精神安定に欠かせないものとなっている。
 今もルードヴィッヒを彩っているのだから。
 コウェルズはそれを確認するかのようにじっとルードヴィッヒを見つめ、やがて困ったようにこめかみを少し掻いた。
「…ルードヴィッヒ。アリアを目の前にした時、何か感じなかったかい?」
「え?……いえ、何か、とは?」
「んー…難しいね…とても魅力的に感じたとか、好意を抱いた感覚とか」
 何を言い出すのだと思ってしまうが、コウェルズの真面目な様子に、アリアを初めて目にした時を思い出す。
 だがこれといった感情はなかった。
 とても綺麗な人だとは思った。あとは銀の髪がニコルに似ていると、それだけだ。
「…これといって何もありませんが…」
「そうか。二人はどう?」
 ルードヴィッヒの答えに、コウェルズは次にジャックとダニエルに問うた。
 二人は目を合わせ、答えることに困惑するような様子を見せて。
「…私は何も」
 先に答えたのはダニエルで。
「……実は少し、妙に目を離せないな、とは思いました。ただ、好意というには少し違いましたが」
 ジャックは言いづらそうにしながら、自身の感情に起きた事実を教えてくれた。
「うん。安心して。何もおかしくない感情だから。私も実際にアリアに感じた」
 さらりと伝えてくるには聞き逃せない言葉に思わず全員の目がコウェルズに向かうが、コウェルズはあまり気にしていない様子を見せる。
「まず説明させてくれ。メディウム家のことを。アリアが王城に来た後で、私は改めてメディウム家に関する文献を読み直したんだ。そこに書かれていたんだよ。メディウム家の女性達が持つ魅了の能力のことが」
 エル・フェアリアに遥か昔から王家と共にいた治癒魔術師の一族。彼女達は隔離されるように王城の上空、天空塔で暮らしてきた。
「エル・フェアリアの創始の物語にも書かれているだろう?私たちの国の始まりは、美しい虹の女神エル・フェアリアを奪い合う騒乱から始まったと」
「しかしそれは物語の童話でしょう」
 ジャックの問いかけに、コウェルズは静かに首を横に振る。
「私は真実だったのではないかと考えている。虹の女神エル・フェアリアは実在した女性で、メディウム家の先祖だったんだろう。そうだとすれば、メディウム家が天空塔にいた理由も納得できる。血が薄れ続けたおかげでアリアはあの程度の魅了で済んでいるんだろうが、昔は違った。だからメディウム家は天空塔で、人の目に入らない場所で隔離され続けていたんだ」
 稀少な治癒魔術師の保護の為ではなく、彼女達の虜となった者達の奪い合いが起こらないようにする為に。
「…しかし美しい人に好意を持つのは人として当たり前の感情では?アリア嬢は魅力的な女性ですし」
「確かにそうだね。でも、君たちがいない間に騎士達の間でちょっとした諍いがあったんだよ。ルードヴィッヒは知っているだろう?」
 ジャックとダニエルがいない間に起きた出来事。ルードヴィッヒは何があったかと思い出し、あ、と気付く。
 ルードヴィッヒ自身はあまり気にもしなかった小さな諍い。
「慰霊祭後…ですか?」
「そうだよ」
 思い出すのはそれくらいだ。
 何があったかは知らないジャックとダニエルの為の説明は簡単に済まされた。
 慰霊祭の後の晩餐会。そこでアリアは美しいドレスを纏って多くの騎士達の目に触れた。
 その姿は皆が思う“貧民の娘”とはかけ離れた、あまりに美しく、怪しい魅力を振り撒く極上の女だった。
 問題は後日訪れた。
 アリアに直接求婚した者もいる。
 ルードヴィッヒが覚えているのは、アリアを巡って仲違いした騎士達の姿だ。
 単純に恋敵に対する喧嘩から、貧民の娘と侮る者とその侮辱に敏感に反応するようになった者の対立まで。
 その後起きた天空塔での第六姫コレーの魔力暴発事件やファントムの襲撃、そしてアリアを貶めるように流された下品な噂のせいで騎士達の諍いは鎮まっていたが。
「特に隊長達に注意しておくよう伝えたのは、アリアを盲目的に慕う騎士達の動向だ。彼等はアリアに対する侮辱に敏感に拒絶反応を見せて攻撃的になったからね」
 そこまで数が多いわけではなかったが、見過ごせない程度には存在した。
「魔術師達は魔力訓練のお陰かアリアの魅了には落ちなかったみたいだけどね。王城内での事件が頻発しなければ、今はどうなっていたかわからないよ」
「……そんなことが起きていたのですか」
「大事になるほどではなかったんだけどね。血が薄れたとはいえ、メディウム家の血であることに間違いはないんだ。…だからこそ、ルードヴィッヒ。君は気付くべきなんだよ。あの少女に対する君の感情は、魅了下に落ちただけだということに」
 本題だと言わんばかりにルードヴィッヒに視線は戻され、言葉に詰まってしまった。
 返す言葉が浮かばない。
 自分がミュズに対して盲目的な思いに駆られていたとするなら、納得できる程度にはまだ冷静でいられたから。
 暗に精神力が未熟だと言われた。
 それは間違ってはいない。
 無闇矢鱈に彼女目掛けて走り出したことこそが物語っている。
 ルードヴィッヒはミュズのどこに惹かれたのか、自分で自分に説明できないのだから。
 ただミュズの気の強さが、誰かを連想させはしたが。
「……あの…アリアさんのその、魅了の能力のことですけど…」
 言いづらそうに言葉を発したのは、今まで聞くに徹していたジュエルだ。
「お兄様…ミシェルお兄様に掛かっている可能性はありますか?」
 不安そうに訊ねてくるのは、彼女の大切な兄のことだった。
「……さあ。本当の好意なのか、魅了の術下なのかは私にもわからないかな。魅了とはいっても、メディウム家が意識的に行っているわけではないみたいだし」
 ミシェルがアリアに好意を抱いていることは、ジュエルもしっかり気付いていたらしい。
「……そうですか」
 ジュエルはそこでシュンと項垂れてしまう。彼女の問いかけは、それ以上は出てこなかった。 
「…ルードヴィッヒ、君はどうなんだい?あの少女のことで、自分の感情がどちらか説明できるかい?」
 問いかけには、いえ、とすぐに否定の言葉が出た。
 自分の感情などはっきり分かりはしない。メディウム家の特別な力も今初めて聞かされて、急に答えが出るはずもない。だが。
「……彼女を前にした時…考えた時…心配した時…全部……彼女のことしか考えられませんでした」
 答えはわからない。だが、ミュズのことだけしか頭になかった。ジュエルを意識していると自覚したはずなのに、ミュズを思うとその意識が吹き飛ぶのだ。
「…だからさっき、私があの少女を捕らえると聞いて…身体が勝手に動いたのかい?」
「…………はい」
 時間をかけて、はっきりと返事をする。
 魅了の能力に負けていたのだと。
 自問自答しても心は否定すらしなかった。
 虚無感が全身を襲う。それはとても軽いものだったが、確かに胸に小さな空虚が生まれた。
「……それで、あの少女を探しに行って、見つかったのかい?」
「いえ…。……ですが、ジュエルを連れて来た二人と遭遇しました」
 これは言わなければならない事だろう。
 たいした情報にはならないが、名乗りまでした彼らは、ルードヴィッヒ達が捕らえたい者達なのだから。
 ジュエルが攫われた日、その夜にわざわざジュエルを連れて姿を見せた二人だ。
「…闇色の二人で間違いないかい?」
「はい」
 たった二日前の夜の出来事だが、その時に眠っていたジュエルだけが困惑した表情を浮かべて戸惑っている。
「武術出場者の方がウインドと名乗り、子供の方はルクレスティードと名乗りました」
「……え?」
 知り得た情報は名前程度だったが、二人の名前を告げた時、ジュエルが強く眉を顰めて小さな声を上げた。
 全員の視線がジュエルに向かう中で。
「……ルクレスティード様は…ラムタル国の治癒魔術師様の御子息ですわ。彼のお母様に傷を癒していただきましたもの…」
 困惑して眉尻を下げるジュエルが、ルードヴィッヒと離れていた最中の出来事を語る。
「それに闇色ではありませんでした。ルクレスティード様もお母様も、見事な銀の髪と瞳でしたもの」
 慌てた様子を見せながら、ジュエルは姿勢を前に傾けて必死に説明をする。ルクレスティードを庇おうとするその姿が、ルードヴィッヒの神経を強く逆撫でた。
「…いえ、ルクレスティードという子供が闇色の虹の一人で間違いありません!髪の色が闇色の紫に変わるのを見ました!」
 語気を荒立てて、ジュエルを睨みつけながらコウェルズ達に伝える。
「……銀から闇色に…?」
「お待ちください!何かの間違いですわ!」
 深く考えようとするコウェルズと、困惑したまま否定するジュエルと。
「君が帰ってきた時、意識を無くしていたじゃないか!何かされたかもしれないんだぞ!!」
「そんなことをする人ではありませんわ!」
「落ち着けお前達!」
 口論がはじまりそうになるのを、ジャックとダニエルに静止された。
 ジュエルはダニエルに肩をポンポンと優しくたたかれて慰められ、ルードヴィッヒにはジャックから「飲んで落ち着け」とばかりに用意されたお茶を目の前に突き出される。
 コウェルズは深く考え込んでいたので、ぐっとこらえてお茶を一気に飲み干し、テーブルに強くカップを置いた。
「…ジュエル、君が見た治癒魔術師の女性の…見た目の特徴は覚えている?」
 思案の時間はそうかけずに顔を上げて、コウェルズが問うのはルクレスティードのことでも、武術出場者のウインドのことでもなく。
「…美しい人ではなかったかい?髪質は癖毛で、肩にかかる程度の長さで、スタイルも良い…絶世とも呼べる美女では?」
「あ…はい……そうです」
 コウェルズもその人を目にしたかのような詳しい人物像に、ジュエルが何度も頷いた。
「…私も今日見たよ。その女性の髪が、銀から闇色に変わるのをね。…そしてファントムに連れて行かれた」
「まさか…」
「ファントムと遭遇したのですか!?」
 コウェルズの言葉に食いつくのはダニエルとジャックだ。
 焦る二人とルードヴィッヒ達をよそに、コウェルズは冷めたままの笑みをスッと浮かべて。
「…何もかもがこの城にある」
 ため息と混ざる、呆れ返るような。
「……で、でも…あの女性は私を労ってくれて、素晴らしい治癒魔術で癒してくださいました!」
 まるで憧れるかのように庇うが、動揺して震える吐息までは隠せていない。
「銀の髪は、メディウム家の特徴のひとつだよ」
 ニコルとアリアがそうであるように。
 それでもジュエルは何とか擁護の言葉を探そうとするが、やがて諦めてシュンと項垂れた。
「…まあ、銀髪がひときわ珍しいというわけでもないから確証は無いけど、私が見た女性もルードヴィッヒの見た少年もメディウム家の者で間違いないのだろうね。ファントムの周りには、最低でも三人のメディウム家の血筋がいることになる」
 行方不明となっていた治癒魔術師の一族が、一気に三人も見つかった。
「ファントムが保護していたということでしょうか?」
「闇色の母子はわからないけど、ルードヴィッヒと私に接触した少女は保護されていたのかも知れないね」
 メディウム家である“可能性”の枠を超えたのは、中心にいるのがファントムだからだ。
「……ウインドと名乗った奴が、コウェルズ様のお陰でミュズ…あの子が壊れたと言っていました」
「……私のお陰で?」
 ウインドとの会話を思い出しながら伝え、コウェルズの眉間に強く皺が寄るのを見る。
ーー全部ファントムの手の内さ。お前も、王子も、ミュズも、エル・フェアリアがファントムの思い通りになる為の駒なんだよーー
 ウインドの言葉を思い出して、ぶるりと背筋をふるわせて。
「あの少女に何かしたつもりはないけどね…むしろ私が犯されかけたくらいだ」
「はぁ!?」
 自分の身に起きた出来事をさらりと告げるコウェルズに、怒りに似た反応を見せるのはジャックだ。
「……詳しく話してください」
 王子の危険にダニエルも静かな声を怒りに染めて。
「急に衣服を脱いで私に迫ろうとしてきたんだ。拒絶すれば…狂ったように叫び始めた。“お前が死ねばよかったのに”とね」
 あまりに軽く伝えてくる内容は、全員が表情を凍らせるほどおぞましいものだ。
 大国の王子にしていいものではない。
 コウェルズはいつも飄々としているが、昼間に訓練場で合流した時の表情が青白くなっていた理由は、もしかするとそれが原因なのだろうか。
「…全てファントムの駒だと…奴は言っていました。ミュズや…コウェルズ様すら、ファントムの駒なのだと。……ミュズを壊す為に、コウェルズ様に……」
 何もかもがファントムの手中に。
「どうして私なんだ…」
「以前ミュズが言っていました。エル・フェアリアが嫌いだと。…理由まではわかりませんが……」
 初めてミュズと出会った時、そう言っていた。それでもルードヴィッヒには、警戒しながらも笑顔を向けてくれていたのに。
 まるで遥か昔の出来事のようだ。
 ラムタルでやっと再会できたミュズは、もうあの日の面影は無かったから。
「…私は捕らえているエレッテ嬢にも嫌われているんだよね。ウインドという若者も私が嫌いみたいだったし…エル・フェアリアが嫌いとは、つまり王族の私に恨みがあるということなのか?」
 どこか遠い目をしながら考え込むコウェルズがどんな気持ちでいるかなどわかりはしないが、今まで愛情ばかり与えられてきたはずだ。嫌悪感をぶつけられて、動揺はしないのだろうか。
「…パージャは、生きる為なら何でもやったと言っていました。恐らく人を殺めることも…」
 エル・フェアリアを憎む彼ら。パージャの過去も、その片鱗を聞いただけだというのに重苦しい気配を感じた。
「エル・フェアリアを恨むほどの過去か…平和なだけの国なんてどこにもないと思うけどね。……私がもっと万能であればよかったということなのかな」
 長く続く大国をさらに豊かにする為の最善を今以上にしていればよかったのかと問うコウェルズだが、最善を尽くす彼に今以上を求めるなど、あまりにも残酷だ。
 それでも。
「……汚れたものを紙面上でしか知らないというのも、悪かったのかもしれないね」
 視察の大半は臣下の仕事で、コウェルズは報告書類という形でしか目にはしない。
「コウェルズ様、適材適所というものがあるのです。その目で確かめることは重要ではありますが、あなたがこの国で起こる全てに目を通し続けていたら、何も手につかないまま未だに物事に目を向けるだけの存在に成り下がっていますよ」
 それほど膨大なのだ。エル・フェアリアは。
「でも、全てを背負うのは私だ」
 あまりにも哀愁の漂う、達観した声色だった。
「私の知らない所で彼らは国を恨むほどの出来事に会い、私が知らない間に国を統べる私を恨むのか」
「ミュズはコウェルズ様ではなく、エル・フェアリアが嫌いだと」
「つまり私が嫌いということになっているじゃないか。その少女も、捕らえたエレッテ嬢も、ウインドという彼も」
 コウェルズは国そのものであると。
 王家に産まれたと、ただそれだけで。
「エル・フェアリアを恨んで、私のことも恨んで、でもファントムには手を貸す…ファントムの方は彼らを手駒として扱っているようには見えなかったけどね。エレッテ嬢を救う為にニコルを傷付けたくらいだ」
 出された名前には、誰もが居心地悪そうに口をつぐんだ。
 ファントムがロスト・ロードであること、そしてニコルの父であることは、ここにいる全員が知っている。ラムタルに向かうメンバーの一員として、ジュエルにも伝えられていた。
 それでもジュエルはファントムとの戦闘の現場にいたわけではないので、ルードヴィッヒは様子をうかがうようにジュエルに視線だけを向けるが、彼女は不安そうに俯くだけだった。
「もう少し彼らの仲間関係を知ることができれば、何かしら解決の糸口は見つかるかも知れないけど…現状だけだと難しいね。闇色の少年…ルクレスティードだっけ?その子は私に対してもあまり敵意を持つ感じはなかったけど…その子と話せる機会があればいいんだけどね」
 何かしらの進展があったように見えて、結局何の進展もない状況で。
「またラムタル王と話せる時があれば色々とカマをかけてみるつもりだけど、みんなは闇色の少年と会ったら、上手い具合に私のもとに連れてきてほしい。まだ子供だから、何とかなるかもしれない」
 ルクレスティードに狙いを定めるコウェルズに、ジュエルが彼を心配するように眉尻を強く下げた。
 ルードヴィッヒにはその表情がひどく不快で。
「…ルードヴィッヒ。君はその少年と遭遇しても、喧嘩はしないようにね」
 ややため息混じりの注意に、カッと頬が熱くなった。
「…………そいつはジュエルを攫った張本人です」
「それはあなたが私に酷いことをしたからでしょ!ルクレスティード様は私を助けてくださっただけですわ!」
「それは君が!」
「「いい加減にしろ!!」」
 腹の底から叫ぶような注意の怒声はジャックとダニエルから同時に発された。
「…ルードヴィッヒ。少年と遭遇しても喧嘩は絶対に売らないようにね。それからジュエルは、彼らがリーンを攫った敵側であることを忘れないように」
 コウェルズの静かな命令は、双子の怒声より萎縮する力を持っていた。
 言葉もなく項垂れて、大人しくして。
「……私たちの動きの全ては、リーンを見つけ出して救い出すことの為に使うんだ。ルードヴィッヒが誰に心を向けようが、ジュエルが誰と出会い未来の夢を見つけようが一向に構わないが、リーン救出だけは絶対に忘れないでくれ」
 無理やり穏やかにした口調に、本来の目的を改めて認識させられる。
 自分達はリーン姫の捜索のためにラムタルに訪れたのだと。
 頭から抜けかかっていた本来の目的に、ルードヴィッヒは強く唇を噛んだ。
 言われてようやく思い出すなど。
 返事もできないほど自分の愚かさを恥じるのはジュエルも同じようで。
「……話を戻そうか。何とか少年を見つけ出したいところだが」
 その後も淡々と話を続けるコウェルズに、言葉を返すのはジャックとダニエルだけになる。
 それはまるで、リーンを救い出す為の作戦に自分達が省かれたかのような錯覚に陥るほど。
 はたして自分は、何の為にリーン捜索隊に志願して、今は何がしたいのか。
 リーン姫の居場所はわからないまま、しかしミュズとは再会できた。
 ミュズへの想いは自分の未熟さが原因であることに気付かされた状況で、今出来ることは。
 ちらりとジュエルに目を向ければ、幼い彼女は幼いなりに、悔しさに強く唇を閉ざしたままコウェルズ達の言葉にしっかりと集中していて。
 自分だけが会話に真剣に集中できない状況のまま。どれほどリーン姫の捜索について頭を働かせようとしても、頭に浮かぶミュズと、すぐそばにいるジュエルを交互に思うことしか出来なかった。

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