第78話


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 王城に戻ったモーティシアは、すぐに兵舎外周中間棟の自室に戻り、整頓された部屋で深いため息と共に椅子に座り込んだ。
 部屋の相方は不在だが、モーティシアがいない間に勝手にカーテンを模様替えされていることに気付く。
 モーティシアの仕事は護衛対象のアリアがいないので当分は書類仕事になる予定だ。その為レイトルとセクトルには書類仕事はあまり任せず、最近行えていなかった訓練を優先するように伝えている。
 アクセルも術式解読任務があるのでそちらを優先するよう伝えてあるから、書類仕事はモーティシアとトリッシュで分担することになっているのだが。
 トリッシュも優秀な存在だが、物事を器用にこなしすぎる為に上手い具合にモーティシアの仕事量はちゃんと手をつけずに置いているはずだ。
 それは別に構わないのだが、今日に至ってはモーティシアの分も少しは手をつけていてほしいと思ってしまった。
 身体がひどく疲れているのだ。
 理由は自分自身わかっているので考えないようにしておく。
 そこへ。
「ーーお、帰ってきたか!おかえりー。今日の仕事振り分けてるぞ」
 ノックもせずにドアを開けてくるのは、安定のトリッシュだ。
「また勝手に…アクセルを少しは見習いなさい」
「まーまー。いいじゃん」
 ズカズカと自室のように入ってくるトリッシュは、勝手にモーティシアのベッドに腰を下ろして大量の書類もベッドに放ってきた。
「だいたいは振り分けた」
 自由に振る舞うトリッシュは、モーティシアにちらりと目をやった後に書類にまた目を向けて、二度見するように再度モーティシアに目を向けてきた。
「…なんか疲れてないか?」
「色々ありましたので」
「術式組むのに徹夜してもそんな目の下に隈なんか作らないだろ…」
「…色々あったんですよ」
 詮索するなと暗に告げても、トリッシュは心配そうに理由を訊ねてくる。
 話す予定はなかったが、少し考えてから、やはりかいつまんでは話すべきかと考え直す。
 昨日の件は、王城にも話しが届けられているはずだから。
「…昨日一人の女性を助けましてね。訳あって私の邸宅で保護しています。理由が理由だけに…私はアリアを諦めますよ」
 かいつまみすぎて、恐らくトリッシュには意味がわからないはずだ。だが重要な箇所はうまく拾うと信じている。
 トリッシュも脳をフル回転させている様子で、腕を組んで黙り込んで。
「…そっちの方がいいかもな。アリアに好意を寄せるにしても、急に全員じゃおかしいし。セクトルとアクセルだけの方が現実味あると思う。モーティシアはそういうキャラでもないしな」
 すぐに納得してくれたのは非常にありがたかった。
 アリアとレイトルの恋路を守る為に、護衛部隊内の者達がアリアに好意を持ったように見せかける予定だったが、昨日の事件があるためにモーティシアがアリアに好意を寄せているように見せるのは、下手すれば矛盾から気付かれてしまうだろう。
「で、女性って?家で保護って?恋人いたのか?んなわけないか」
 トリッシュは深く考えていない様子で受け入れてくれるが、そうなってしまった理由については興味を示して身を乗り出してきた。
「私事です。あなたに伝える必要はありません」
「なんだよ。気になるな…」
 ちぇ、と人のベッドに不貞腐れて横たわって。
「…変なことに巻き込まれてるんじゃないよな?」
「…………」
「おいおいマジかよ!?」
「私が蒔いた種でもありますから、仕方ないんです」
 慌てて身を起こすトリッシュに、さらりと簡単にだけ伝えて。何があったかは話すつもりはないが、一応そこは伝えておいてもいいだろう。
 マリオンを邸宅に招き入れたのは、モーティシアの浅はかな正義感が理由なのだから。
「…まー、モーティシアなら器用にこなせるから大丈夫か」
「信用してくださりありがたく思いますよ」
 早口棒読みで流して、トリッシュもまたベッドに横たわって。
 ノックの音が響いたのは、静かな時間が少し流れた時だった。
「アクセルでしょうか?」
「どーぞー」
 モーティシアが扉に向かうより先に、部屋の主人でもないというのにトリッシュが入室を許してしまう。
 強く睨みつけるが、トリッシュはいっさい気にしなかった。
 扉は静かに開かれ、訪問者が部屋に入らないままモーティシアと目を合わせる。
「少し話す時間はあるか?」
「……ガウェ殿?」
 真剣な眼差しを向けてくるのは、肩に伝達鳥を乗せて手紙を手にしたガウェだった。
「…どうされました?」
 すぐに入室してもらい、先ほどまで座っていた椅子に案内する。
「昨日何かあったみたいだな。俺の邸宅から連絡が入った」
 ガウェは座ることは辞退して、トリッシュに一度目を向けはしたが、気にせず会話を続けた。
 ガウェがなぜ知っているのか驚いてしまい一瞬固まるが、すぐにトリッシュに目を向けて。
「…席を外してください」
「なんでだよ」
「いいから!」
 静かに声を荒らげて無理矢理にでも出ていかせようとするが、トリッシュは聞く耳を持たなかった。
「護衛部隊内で稼働してるのは俺とモーティシアだけなんだ。そんな死にかけの顔されてんのに理由聞かずに働くなんて無理だな」
 ばさりと言われて、もう出て行けとは言えなかった。
 昨日何かあったから、こんなことになっているのだ。最初に皆で考えたアリアを守る偽りの恋情をモーティシアだけ反故にするほどの。
 仕方なくガウェに再び目を向ければ、手にしていた手紙を渡された。
「ニコルの知り合いという女が邸宅に来たそうだ。モーティシアの邸宅で預かっているのは、その女の友人だとかで状況を教えてほしいと」
 ガウェから親しげに名前で呼ばれて少し驚くが、それよりも手紙の内容とガウェの説明に眉を顰めてしまう。
「…テューラ…確かに、マリオンと同じ遊郭の娘でしたが」
「は?遊郭の女守ってんの!?」
 事情を全く知らないトリッシュが遊郭という言葉に大声を上げるが、面倒なので無視しておく。
「…殺そうとした男が闇市の人間だから、俺からその男を何とか出来ないか、とあるんだが…詳しく聞かせてくれるか?」
 ガウェも手紙の内容だけでは意味がわからないといった様子で困惑の表情を見せてくる。トリッシュに聞かれるのは少し躊躇したが、モーティシアは仕方ないと腹を括って昨日の事件とマリオンが家に来ることになった経緯を話した。
 ガウェもトリッシュも黙って聞いてくれるが、ガウェの表情は次第に険しいものに変わっていく。
 その理由はモーティシアにも予想がついた。遊郭の娘を狙った殺人未遂。闇市の人間だからという理由で自由の身となった危険な男。
 ガウェは新たな黄都領主として闇市を掌握はしたが。
「…悪いが、闇市の者の動きを制限することは俺にも無理だ」
「わかっています…」
「え、なんで?」
 理由が分からないのはトリッシュだけで、ガウェは改めてトリッシュに説明をくれた。
「闇市は俺の部下になったわけじゃない。協力関係なだけだ。俺が裏社会と表社会の境界線の維持をすることで、互いの平穏が保たれる。簡単に言えばそれだけの関係なんだ。闇市を掌握したと言っても、それは闇市の頭に“闇市を正義の鉄槌から守る為の力はある”と示しただけにすぎない」
「…でも、遊郭の女の子とはいえ表側だろ?闇市側の方からそんな勝手に手を出すなら、止めるくらい」
「…俺の立場は、闇市側を守ることだ。それ以上の干渉はしないことになっている。闇市側が起こした不祥事をどうにかするのは闇市側の仕事だ」
 はっきりとしたガウェの言葉に、トリッシュも黙り込む。
 黄都領主はどうあがいても闇市を守る立場にある。それはたった一人の犯罪者にも当てはめられるのだ。
「…男の動きを制限はできないが、マリオン嬢を守ることも俺にはできる」
 ガウェは手紙をモーティシアの手から離して、改めて読み直す。
 その文章の中身はモーティシアも読んだ。
 ネミダラからの提案だ。
「…モーティシアの家も安全かもしれないが、俺の家で預かる方が犯人の男には牽制になるだろう。俺の家には私兵も魔術師もいるし、今はビデンス・ハイドランジアもいる。それなりに腕の立つ女中も雇っているから、一人でいるよりもマリオン嬢の心の負担は減ると思うが」
 それは、モーティシアにとっても願ったり叶ったりの申し出だった。
 モーティシア一人でマリオンの様子を見るのにも限界がある。だがガウェの個人邸宅で匿ってもらえるなら、それは心身共に最高の盾になるだろう。
「よかったじゃないか!な、モーティシア!」
 トリッシュも何となく事態が好転しそうな様子にあっけらかんと喜んでくれて。
 だが。
「……いえ、そこまでしていただく必要はありませんよ」
 マリオンを思い浮かべ、口をついて出た言葉は拒絶だった。
「…え、なんでだよ」
「気に病む必要はない。俺の家の方が」
「本当に大丈夫です。彼女とも話しているんですよ。身を守る代わりに、彼女には新しい術式の効果を調べてもらっています」
 それは驚くほどサラサラと口からこぼれた嘘だった。
 自分でも意味がわからない。
 ただ、マリオンが自分の家からいなくなるということが癪に障った。
 マリオンはテューラに会いたがる様子を見せたので、ガウェの邸宅で預かってもらえたなら本当にマリオンの心も落ち着けただろうが。
 それが不愉快でならなかった。
「…もうちょい考えてみろよ…その子だって一人より周りに誰かいる方が気も紛れるだろ」
 困惑したように黙り込むガウェとは違い、トリッシュは何がマリオンにとって重要なのか理解するように説得をしてくる。
「休みの度に毎回毎回城を出るなんて、面倒だろ。第一、城でやってる新しい術式の開発はどうするんだよ」
 王城魔術師にとって重要な任務は城や国の結界の維持だが、それともう一つ、新たな術式の開発も非常に重要な任務なのだ。王城に勤める者が王城に部屋を与えられる理由は、それぞれ泊まらなければならないほどの激務があるからなのだ。
 それでも。
「…マリオンにはガウェ殿の申し出を伝えさせていただきますよ。その上で、改めてどうするか決めても良いでしょうか?」
 微笑みながら、その場をしのぐ言葉を告げる。
「ああ…こちらはいつでも受け入れられるようにしておく」
 ガウェも理解を示してくれて、用が済めば任務に戻る為にすぐ部屋を出て行った。
 ガウェの去った扉に向けてため息を付けば、鋭い視線を身に感じ、部屋に残るトリッシュに身体を向けた。
「……何やってんだよこんな時に…」
「申し訳ありません」
 素直に謝罪したのは、逆の立場ならモーティシアも同じことを言うからだ。
 アリアの今後に関わる重要な時期に、たった一人の市民の為に時間をとられるなど。さらにガウェの貴重な申し出すら蹴って。
 それでもトリッシュは、モーティシアほど共感性に乏しいわけではなくて。
「…その子がモーティシアじゃないと駄目だって言うなら家で匿ってやるべきだけど、ガウェ殿の家の方がいいって言うならすぐに移動させてやれよ。んで、今日分の仕事はなるべくやっとくから、もう今日は寝とけよ」
 会ったこともないマリオンの心配もしてくれながら、モーティシアの顔色の悪さも見落とさない。
「…ありがとうございます」
「ったく…間が悪すぎだろ」
 ベッドに散らかした書類を集めていき、モーティシアが目を通すべきものだけを机に置いて。
「とりあえず明日は昼前にアクセルのいるとこに集合な。レイトルとセクトルは訓練でいいよな」
「お願いします。何から何までありがとうございます」
「明日はその顔どうにかしといてくれよ!心臓に悪い!」
 半ばキレながら、トリッシュも部屋を出て行った。
 残された書類にちらりと目を向ければ、今まで行ってきた治癒魔術の情報とアリアが戻ってきてからの活動内容の他に、治癒魔術の一族であるメディウム家に関する書籍のタイトルが走り書きで書かれていた。
 走り書きではあるが、文字がどこか丸い。
 トリッシュの文字でもアクセルの文字でもないそれに少し首を傾げるが、せっかくのメディウム家に関する本だというなら読むべきだろうと疑問は捨てた。
 静かになった部屋で改めて椅子に座って、窓から空を眺める。
 相変わらず虹の多くかかる空。
 その虹は、魔力を持つ者にしか見ることのできない国の防御結界だ。
 マリオンのいるモーティシアの邸宅では、目には見えない結界が今も彼女を守ってくれていることだろう。
 眠れと言ってくれたトリッシュには悪いが、マリオンの為にやっておかなければならないことがある。
 外周棟の配達所に行って、マリオンの為の食料を頼まなければならないのだ。
 次に家に戻れるのは、早ければ明日の夜。
 彼女の為に。
 トリッシュが棟から離れただろう頃合いを見計らって、モーティシアもマリオンの為に自室を後にした。

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 遊郭を一人で出たニコルは、名残り惜しむように上階の窓を見上げる。
 その窓の内側にはテューラがいて、ニコルと同じように名残惜しむような微笑みを浮かべてくれていた。
 気恥ずかしかったが微笑み返して、別れの挨拶のように手を少しだけ振る。
 テューラもまた同じように手を振り返してくるのを見届けてから、ニコルは後ろ髪を引かれるような気持ちを感じながら背中を向けた。
 楼主との対話は緊張の糸を何重にも張り巡らされ、さらにそれを一本でも切れないほどの精神戦に近かった。
 キレ尽くして表情を失ったかのような真顔で、淡々と質問攻めにしてくる。そして僅かでもおかしな返答をしてしまうと、鬼の首を取ったかのように責めてくる。
 まるで父親がクズから大切な娘を守ろうとするように。
 だがそれも仕方のないことだろうと、ニコルは帰り路を歩きながら少しだけ笑ってしまう。
 何度も何度も会ったわけじゃない。
 ふとした偶然をきっかけに会えただけの状況。
 互いに愛を語る時間などなかった。
 愛だと思いもしていなかった。
 大切だというよりは、誰にも奪われたくないというのがニコルの本音で、愛と呼ぶには浅いのではないかという楼主の言葉はとても重いものだった。
 だがそこで言葉を止めはしなかった。
 彼女が近くにいることに、とてつもない安心感を感じたから。
 産まれてから今までの中で感じたこともないような心の安らぎ。
 三度目に出会った森の泉のそばで、そして今日の彼女の部屋で。全身の気が心の深い所から休まるのを確かに感じたのだ。
 今までどれほど自分が緊張し続けていたのかわかったほど。
 楼主の判断は、一年間、ニコルをテューラのただ一人の客として扱うというものだった。
 その額は膨大だが、元々給金を使わないニコルには充分支払える額だった。
 それ以外には、他の娘に手を出さないこと。半月に一度は楼主と面談すること。家族の理解を得ること、一年以内に王城勤めに充てがわれる区画以外に家を持つことを挙げられた。
 テューラにはその身にかけられた借金などがない為、その分の支払いは存在しなかった。
 最後に楼主が話したのは、彼自身の生い立ちだった。
 貧しい遊郭の女郎から産まれ、酷い扱いを受ける遊女達を最も側で見てきた彼は、一人でも多くの遊女達の未来の幸せを願ってきた。
 だから、テューラを苦しめることは許さないと。
 エルザとの噂について聞かれなかったのは意外で、しかし念を押すように、他の娘に手を出さないことを何度も約束させられた。
 ニコルがそれらを守る間は、テューラはニコルだけの遊女となる。そして一年間守られた暁には、遊女の身分から離れることになる。
 だが子供の頃に行方不明となった友を探す為にも遊郭街から離れることをテューラは嫌がり、遊郭街の内々の仕事を請け負うことで話がついた。
 テューラが遊郭街で働くことにニコルはあまり良い顔を出来なかったが、テューラが譲らなかったのだ。
 それらの話し合いを何とか終わらせて、契約のサインをして。
 突発的思いつきでテューラが欲しいと言い出したと思っていただろう楼主がニコルを認めてくれたのは、はたして何と言って説得した時なのだろうか。
 その言葉を思い出せないほどの緊張だった。
 テューラへの思いが伝わったのなら、本当に嬉しいことだった。
 どう伝えたかは覚えてない。だが嘘偽りは全く無かった。テューラを泣かせてしまう可能性も口にした。出自など全てをまだ言えない自分のせいで傷付く事もあると伝えた。
 それでもそばにいて欲しいのだと頼んだ。
 頼んだ結果、ニコルはこれからの一年間はテューラの唯一の客となり、その後問題がなければ本当の意味で彼女の傍にいられることになった。
 テューラを手に入れる、とは違う気がして。
 彼女のそばにいることを、ニコルが望んだのだ。
 誰よりも近くで、共に安らぎたくて。
 ガウェの邸宅に戻る道すがら、寒いはずの道のりだというのに心は暖かくゆるんでいて。
 アリアには何と話そうか。テューラをどう改めて紹介しようか。
 そんなことを考えながらの帰り路、自分の口元が静かに笑んでいることには気付いていたが、ニコルは頬がゆるまるに任せてテューラとの優しい未来をいくつも想像していた。

第78話 終
 
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