第76話


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 ラムタルの侍女が改めてコウェルズ達を呼びに訪れたのは、ほんの数分しか時間が経過していない頃だった。
 さすがに早すぎると、コウェルズは双子に目で合図を送る。二人も同じ考えのようで同時に頷いて、何も気付いていないのは経験の足りない未成熟なルードヴィッヒとジュエルだけだった。
 周りの視線を浴びながら、ラムタルの侍女の後に続いていく。
 向かう場所がおかしいことに気付いたのは、途中で馬車に乗った後、長く歩かされたからだ。
 たかが二国間の謝罪の場に、なぜ王城の奥へと歩いているのか。
 簡単な応接室など訓練場近くにいくつもあるはずだというのに。
 大会関係者程度では絶対に立ち入れないほどの場所まで訪れた辺りで、コウェルズは改めて双子達と目線を合わせた。
 ジャックとダニエルにも覚えがあるはずだ。
 何年も前になるが、コウェルズ達はここを歩いた。リーンとガウェがいた事もある。ミモザ達妹が一緒だった時も。
『…バオル国からの謝罪というには、この場所は不釣り合いなのではありませんか?』
 コウェルズの問いかけは、ラムタルの侍女に完全に流された。
 不穏な空気を感じてジュエルが半歩分ほどルードヴィッヒに近付き、ルードヴィッヒも難しい表情に困惑を浮かべて。
 ラムタルに訪れたことのない二人でも気付いただろう。
 今コウェルズ達が歩いている場所は、王族の住む敷地内だと。
 コウェルズがラムタルに訪れることをバインド王はもちろん知っている。訪れた理由も、今後の大まかな流れも。
 だがそこにバオル国が介入することは無いはずだ。
 奇妙な沈黙は足を進めるごとに重苦しくなり、緊張が敵意に変わる寸前で、ようやく侍女はひとつの扉を示した。
 そこは応接室などではない。賓客用、それも王族レベルの重要な人物に用意される場所だった。
 侍女はコウェルズ達を待たずに扉をノックし、合図を受けると同時にコウェルズ達を中へと促した。
 大きな扉の向こうは護衛が待機に使う小さな部屋があり、そのさらに向こうの扉が開かれて豪華絢爛な部屋が目に入る。
 侍女は全員の入室を見届けてからすぐに出て行ってしまい、室内に残されたコウェルズ達はダンスフロアのように広い談話室の先客に目を見開いた。
 何人もの人間がいる中でひときわ目に飛び込んできたのは、言葉だけならつい最近も交わしたことのある男だった。
 ラムタル王バインド。
 生真面目で精悍な顔を少しも緩ませることもなく、まだ幼かった時代のコウェルズを叱り飛ばしていた過去を思い出させる眼差しで見つめられて思わず二の足を踏んだ。
『何をしている。早く来い』
 懐かしむ様子も見せずに普段通りかのように呼び寄せて、バインドの周りの者達も恐る恐る立ち上がっていく。
 ソファーに座り続けるのはバインドと、見知らぬ姫君だけだった。
 少しふっくらとした体型だが、洗練された誇り高い美しさを備えた少女。年齢ならジュエルと変わらないだろう。
 その周りに立つのは、混乱した様子でこちらを見るバオル国の兵装を纏う者達。
 ジャック達も混乱したまま互いに顔を見合わせる中で、彼女の正体に気付いたのはコウェルズだけだった。
『まさか…アン王女?』
『よくわかったな。アン王女、あちらはエル・フェアリアのコウェルズ王子だ』
 コウェルズの問いかけに微笑んだのはバインドで、彼は隣に座る少女に隠していた正体をさらりと明かしてしまった。
 あまりにも当然かのように正体を告げるから、バオル側も、もちろんコウェルズ達も数秒固まってから互いを凝視する。
『なぜエル・フェアリアの王族がここに!?』
 少女の最も側にいた戦士が動揺したまま威嚇するように低い声と共に睨みつけてくるから、正体をばらされたことに見切りをつけてジャックとダニエルがコウェルズの前に出て警戒の姿勢を相手に向けた。
「コウェルズ様…アン王女というと、バオル国の内乱で行方不明となった、あの…」
「だろうね…まさかラムタルで匿っていたなんて思わなかったよ」
 エル・フェアリアから離れ、同盟国でもないバオル国の情報など聞き流す程度にしか扱っていなかったが、さすがに王族に関する内容は耳に入れている。
 バオル国では数年前に王の一人娘が敵の手にかかり行方不明となっていたのだ。
 コウェルズは一度も目にしたことはなかったが、その行方不明の王女と年齢が近そうで、なおかつバインド王の隣で座ったままいられるという身分から正体に気付けた。
『…バインド兄様…なぜ彼女と我々を会わせたのですか?』
 昔からの親しみを込めて兄と呼びながらも、コウェルズは状況を掴めず強い警戒を示した。
『まあ待て。まずはこの場を設けた最初の理由を済ませてはどうだ』
 コウェルズの問いかけには少し待つよう告げながら、バインドが目を向けるのは側に立つバオル国の戦士だ。
 年齢ならバインドと近いだろうその男の容姿は、つい最近どこかで目にしたような気持ちにさせた。身近な者というわけではないが、面影があるのだ。誰かと問われたら思い出すことができないのだが。
 彼は動揺を落ち着かせようと眉間に強く皺を寄せて数秒言葉を飲み込み続けたが、見かねた王女が立ち上がろうとする様子に気付いてすぐに数歩分だけコウェルズ達に近付いてきた。
 バオル国の者達の酷い態度は昨日だけで充分わかっており、警戒を強めるジャックとダニエルに挟まれたコウェルズが目にしたのは、片膝をついて両拳を床につけ、しっかりと頭を下げる姿だった。
 それはバオル国の正式で最大級の謝罪の姿勢だ。
 驚くコウェルズ達の前で、残りの数名のバオル国の者達もその男の後ろで同じ姿勢を見せた。
『昨日の我が国の数々の無礼、大変申し訳ございません。謝罪の言葉のみで許される範疇を超えていることは重々承知していますが、どうか怒りを鎮めてくださいますよう頼み申し上げます』
 許す必要はないと暗に告げる謝罪は、本当に昨日のバオル国の者達と同じ国の人間なのか疑うほどの誠実さがあった。
『姫君にも大変な恐怖であったと申し訳なく存じております。今後二度と同じことが起きないよう全ての者に言い聞かせることを約束します』
『ふざけるな!』
 ジュエルに向けられた後半の謝罪に食ってかかったのはルードヴィッヒだった。
 怒りを全面に押し出す様子は、あまりにも未熟だ。
『謝らせるならマガ本人のはずだ!』
「やめろルードヴィッヒ」
「ですがっ」
 ジャックが止めることにさえ反発して、だがジャックとダニエルから強く睨みつけられてグッと言葉を飲み込む。
 若さゆえの勢いと言うには場所が悪すぎる。ルードヴィッヒもすぐに我に返って強く唇を噛むが、その眼差しは怒りのままだった。
『あの若者ならまだ我がラムタルで身柄を預かっている。バオル国から返還を求められてはいるがな』キンと冷え切るような空気の中で唯一落ち着いた様子を見せるバインドも、マガのことは知っている様子だった。
『陛下、マガは…』
『安心しろ。彼は大会期間中は我が国で預かる』
 先頭で頭を下げていた男が不安な様子で顔を向けたのか、バインドは優雅な微笑みを浮かべてマガの身の安全を保障した。
『エル・フェアリア藍都の姫に断りなく近づいて婚姻を迫るなど言語道断。それを扇動した者達が返せと求めるなら断るのが道理だ』
 扇動したのは、恐らくは昨日負傷したマガの元に訪れた老人のことなのだろう。
『…我が父が大変な無礼を皆様に働いてしまいました。重ねてお詫び申し上げます』
『……父親なのか?』
 思わず声を上げたジャックが、指先だけで先頭の男に立つよう促した。
 他の者達はまだ謝罪の姿勢を維持したまま、彼だけが緊張した面持ちでこちらに顔を向けて立ち上がる。
『…名前は』
『オリクス・ロディックスと申します』
 遠く離れたバオル国の貴族の名などジャックとダニエルにはわからないだろう。ちらりと目線を向けられて、コウェルズは少し頭を働かせた。
『たしか侯爵家だったね。エル・フェアリアで言うところの中位貴族上家だよ』
『光栄です』
 ちらりと学んだ他国の貴族の名を思い出すコウェルズに、オリクスが静かに頭を下げた。
『…それで、マガは君の?』
 問いかけられてオリクスは言葉を飲み込んだが、すぐに真摯な眼差しを向けてきた。
 観念した目ではない。誠実そのものの目で。
『マガは弟です。父の不義の下に生まれてしまい、正式に家名を与えられてはいませんが…血を分けた私の弟です』
 昨日さんざんコウェルズ達を振り回し、ジュエルを危険な目に合わせた少年の正体。
 それを知ったところでコウェルズ達に何ら影響も利点もない。だというのにバインドが自ら出てきてバオル国の者と合わせた理由は何なのか。
『それで…バインド兄様。あなたは我々に何をさせたいのですか?』
 恐らくバインドが動いたのはエル・フェアリアの為ではない。バオル国の、それも目の前にいる彼らの為だ。
『…何に巻き込もうと言うのですか?』
 あらかたの情勢は察した。
 命を狙われて行方不明となったはずのアン王女。ラムタルに匿われ、今この場にはバオル国の、おそらく精鋭のみが揃う。
『大会ならば他国の者が開催国に訪れることに何の違和感もない。王女を殺そうとした者達が訪れることも、何も知らずにいる者も…王女をこの国に逃した者が訪れることも。そして、それらがどれほど暗躍しようともエル・フェアリアには全く関係がない…はずですよね?バインド兄様』
 にこりと目を細めて笑いかけて、コウェルズはあくまでも関係がないはずだと主張を強めた。
 ただでさえコウェルズ達はリーンとファントムを見つけ出すことに全てをかけてこの国に来ているのだ。
 他国になど構っていられない。
 そう暗に告げるコウェルズに、バインドの隣で幼い王女が動揺して視線を彷徨わせた。
 バインドはアン王女の肩を慰めるように優しく叩き、脚を組み直してコウェルズにまた微笑みかけた。
『そう邪険にすることはない。お前達は私に訊ねたいことがあってこの国へ訪れたのだろう?なら、物事を有利に進める為にもこちらの話を聞いておいた方が良くはないか?』
 余裕に溢れた姿勢のまま、まるでこちらの方が弱い立場だと思わせるように。
 もしコウェルズがこの場にいなければ、ジャックやダニエルでさえバインドの醸す空気に飲まれていただろう。
 尊くも畏れるべき王族であることを最大限に生かす威厳。それはまだコウェルズには持てないものだ。
 コウェルズよりも数年早く産まれたバインドは、コウェルズが育った平和の中とは真逆の危険な世界で雄々しく成長したのだ。
 その威光は、あまりにも強い。
 だが、負けてはいられない。
『…コウェルズ様!』
 誰もが見守る中で、コウェルズは自分が育った場所で培った温和な笑みを浮かべながらバインドの元へと足を運んだ。
 壁となっていたジャックとダニエルを抜けて、オリクスの隣を通り過ぎて、横並ぶバインドとアン王女の向かいに座る。
 バインドが命の危険の伴う世界で誰もを平伏させる力をつけて育ったと言うのなら、コウェルズは他者を味方につけるほどの魅力を育ててきたのだ。
 言葉巧みに囁いて、その恵まれた容姿を最大限活用して。
『…まずは、君の話を聞かせてくれるかな?』
 幼い他国の王女を前に、コウェルズは極上の笑みを浮かべる。
 まるで御伽噺の世界から現れてくれたかのような美しい王子を前にして、アン王女は幼い頬を満開の薔薇色に染め上げた。

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