第73話


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 まるで他人事のように淡々と語られたロードの過去に、ガイアは涙を止めることができなかった。
 思い出したからだ。
 自分の過去を。その魂がロードであった頃を。
 思い出したとはいっても、はっきりとしたものではない。
 曖昧に宙に漂うような輪郭のない絶望が断片的に記憶の中に蘇ったのだ。
 はっきりとしない理由は、ガイアにとっては覚えていなくて当然の前世の記憶だったからだろう。
 そして、ロードから引き裂かれた後の魂が知る由もないカトレアとの最後の瞬間を聞かされて、涙はしばらく止まらないのだとはっきり自覚した。
 ガイアとして生まれ育った今の魂に、他人事のように聞かされたカトレアとの最後の記憶は、あまりにも悲しすぎるものだった。
 両手の平で瞳を瞼ごと強く押さえても止まらない涙と、荒く呼吸する度に引きつけのように痙攣する喉。
 ガイアは、ガイアの魂は、最愛の存在を二度も奪われたのだ。
 一度目は、それでもカトレアを奪い返せると信じていた。信じ続けていたのだ。
 しかし二度目が全てを奪っていった。
 この国のありとあらゆる重責をロードだけに押し付けておきながら、ロードが唯一心から欲しかった、救いたかった存在は無情にも目の前で殺されたのだ。
 誇り高い貴族の産まれである存在だというのに、晒し者にし、その誇りを辱めて殺した。
 カトレアの無念を思い、ガイアの心に悲しみだけでなく深い憎しみが宿るような暗い感覚が芽吹く。
 その感覚を奪うかのように、目元を押さえていたガイアの両手をロードが包んで離させた。
「…ロード」
 見上げた先にある表情は、まるで全てを諦めたかと思うほど虚ろだ。だがそんなはずがないことをガイアは知っている。
 全てを取り戻す為に彼はロードからファントムとなったのだから。
 ファントムと同じ量の憎しみを、ガイアはエル・フェアリアに向けることが出来るだろうか。
 見つめ合ったまま、少し考えて。
 無理だと気付き、また瞼を落とした。
 彼の過去に触れて、なぜ彼がガイアから子供達を離そうとするのかがわかったから。
 カトレアは子供を愛した。
 ロードとの子供ではなかったとしても、大切に愛したのだ。その間だけは、ロードはカトレアの瞳に映ることができなかったから。
 だから、ロードはガイアが子供を愛することも許せなかったのだろう。
 自分の子供であったとしても、無条件に自分より優先されることが腹立たしくて。
 大国を奪い返すという壮大な野望を抱くはずのロードが、器の小さなただの男になる瞬間。
 その間だけは、彼は非常に人間臭かった。
 なんて愛おしいのだろうと心から思う。
 彼の心に宿る不安を、今なら取り除けるような気がした。
 ロードはガイアが自分から離れていくことを許さない。それがカトレアを失ったことによる心的要因なのだとしたら。
 失い、奪われることを恐れているのだとしたら。
「私はあなたから離れないわ」
 ロードをしっかり正面から見据えて、ロードが掴む両手を離させて、冷たいその頬を温めるように包んで。
「何があってもあなたから離れないから。だから、私を信じて…」
 自分達は一心同体なのだと伝えて、そっと抱き寄せて。
「子供のことも教えて。あなたの大切な子供を」
 ロードがガイアとは別の女にリーンを産ませたことは、酷く悲しかった。
 心が切り裂かれる思いを感じ、まだ他にも子供がいるのだと知らされて、さらに気は動転した。しかしガイアはその後すぐに最後の一人が誰なのか知りたくなった。
 知りたかった理由。嫉妬心があった。どうしようもないほどの悲しみや悔しさもあった。
 だが一番は、彼の子供だったから。
 彼の全てを知りたい。
 独占欲と名のつくほどの愛情。
 子供ごと、彼を愛したい。
 そしてそれを伝えたかった。
 誰との間の子であってもいい。
 今のガイアなら全てを受け入れられる確信があった。
 自分がロードであった頃を思い出した今のガイアなら、ロードと対等な立場から堂々と愛せる確信が。
「あなたを愛してる。あなたの全てを愛せるわ…だから」
 言葉の途中で、彼はガイアの腕の中から離れた。
 ガイアの心が通じたのだろうか。
 そう思い見上げた彼の表情を認識する前に、魔力の霧に視界を奪われた。
「ーーロード!!」
 思わず叫ぶ。
 その魔力は、ロードがガイアの記憶や意思を奪う時に使われ続けてきた情け容赦無い力だったから。
 なぜ、と言葉なく訴える。
 教えてくれたカトレアとの過去を忘れさせるつもりなのか。
 まだ子供がガイアを奪うと思っているのか。
 まだ、ロードはガイアの愛を信じてはくれないのか。
 薄れていく意識の中、ガイアは自分の中にある“今”の感情を忘れないために強く心に刻みつける。
 それは魔力でもなんでも無い、己の魂の力。
 絶対に忘れてはいけない。奪われてはいけない。
 彼の全てを愛して受け入れると決めたのだ。
 だから、足掻いて、足掻いて。
 ロードの魔力に意識が完全に落ちるまで、ガイアは自身を奮い立たせ続けた。

ーーー

 腕の中でガイアが気を失っている。
 それはファントムの魔力が原因で、今まで何度も同じように彼女の意思や記憶を曖昧に消してきた。
 全てはガイアがファントムから離れないようにする為。
 二度と、誰かに奪われないように。
 たとえ自分の子供であったとしてもだ。
 ファントムは覚えている。ニコルを手放すことになった時のガイアの表情を。
 まだ赤子のルクレスティードをファントムに近づけようとしないガイアの警戒心を。
 そして、二度も奪われて発狂しかけた幼い頃のガイアと、愛する者と再会した時の無意識の歓喜を。
 ファントムは全て覚えている。
 リーンはガイアが産んだ訳ではないから、まだ心を保てているのだ。
 だがもしファントムが隠す最後の子供が知られてしまったら、ガイアがどうなってしまうのか、想像出来ないわけがなかった。
 ファントムが他に産ませた子供はリーンだけだから。
「……愛している」
 ガイアがファントムに告げてくれた言葉を、今度はファントムからガイアに伝える。
 ガイアの意識を奪った後だとしても、伝えずにはいられなかった愛情。
 ファントムはガイアを深く愛しているのだ。生まれ変わってくれたカトレアを前にしても、ガイアが最も愛しいと確信したほど。
 だからこそ、知られるわけにはいかなかった。
 ふと、以前パージャが言ったことを思い出す。ファントムを殺せると。その方法を知っていると。
 簡単なことだ。ガイアに真実を伝えれば良いだけなのだから。
 そうすれば、ガイアはファントムから離れていくから。
 そうなればファントムの心は確かに死ぬのだろう。
 目の前でカトレアを奪われて潰れた魂の傷は、未だに治ってはいないのだ。
 潰れた魂が形をやっと保てるのは、ガイアがそばにいるからだ。もしガイアが離れてしまったら、自我がどうなるのか。
 想像は容易だ。
 腕の中で眠るガイアを起こさないように、慎重に抱き上げる。今日のことは忘れてしまえばいい。絶望しかない過去など覚えていなくていい。
 飛行船の中で、何も覚えていないまま、いつも通り目を覚ませばいいのだ。
 ガイアを失うくらいなら、怯えた目で見られ続ける方がまだマシだ。ファントムに怯えて従順に従う間は絶対に離れはしないのだから。
 ガイアを抱き上げたまま進むラムタル王家の庭園。そこから出る前に、ファントムは庭園をぐるりと見回す。
 ファントムとガイア以外には誰もいないその場所に向かって。
「…二度と邪魔をするな」
 告げたのは、目には見えない妖精達に。
 絡繰りの妖精が本当にいるのかなど分かりようも無い。だが一度、妖精達はガイアを悪戯に連れ出した。ファントムの目の前から忽然とガイアの姿を眩ませ、彼と出会わせたのだ。
 その時とまた同じことが起きないとは限らない。
 目に見えない存在に言葉だけの牽制など無駄な足掻きだろうが、言わずにはいられなかった。
 たとえカトレアの生まれ変わりと出会わせてくれた存在だったとしてもだ。
 もう心の動揺など誰にも見せない。
 そう強く決意して、ファントムは今度こそ王家の庭園に完全に背中を向けた。

第73話 終
 
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