第72話
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訓練場での厄介事から逃れて、用意された貴賓室で剣術の教えを乞う。
コウェルズはソファーに腰を下ろしたまま左腕一本で片刃の長剣を素振り、敵の頭を割る型通りの位置でピタリと腕を止めた。
風の切れる音を静かに響かせたのち長剣はぶれることなく空に止まるが、剣術の師となってくれているダニエルは少しおどけた様子でクスリと笑うだけだった。
倒れたバオル国のマガをジャック達が救護室に連れて行ってから一時間経つか経たないかのわずかな時間。
三人と離れてからコウェルズとダニエルはしばらくは訓練場にいたが、バオル国の者達との睨み合いが続いたことによりラムタル側から双方離れるよう告げられ、コウェルズ達は客室に戻ってきたのだ。
ジャック達が戻ってくるのはもうしばらく後になるのだろう。訓練場にいなければ部屋に戻るという決め事があるから言伝も誰にも頼んでいない。
どういう状況になっているのかはジャックが戻らなければわからないので、今のコウェルズが出来ることといえば剣術試合の出場者として訓練を積むことくらいだった。
幼少期よりしっかりと剣術を習ってきたコウェルズだが、大会に出場して勝てるかどうかまでは知らない。
自分の剣術が劣っているつもりはないが、歳の近い騎士達でいうならニコルとレイトルに勝てた試しが無いのだ。
ニコルは三年前の大会の剣術試合で優勝するほどの腕前なので悔しくとも納得できたが、レイトルにまで一度も勝てない事には自分自身納得できないでいる。同い年だから尚更だ。
しかも日を追うごとにレイトルとの剣術の腕の差が開いていくことにも気付いていた。彼が若騎士だった頃は引き分けに近い負けだったはずなのに。
その不満は、今の訓練を始めた最初にダニエルに伝えている。
自分の力と、ニコルとレイトルの力の違いは何であるのか。剣術に特化しているダニエルならその答えを教えてくれる気がしたから。
室内ではあったが、軽く剣を流す程度の打ち合いをしたのが不満を告げた後。さらにその後は剣術の型を行い、そして今、ソファーに座って簡単な素振りをしてみた。
その間ダニエルはただコウェルズを見ていただけだったが、素振りを見て笑ったということは、何か話してくれるということなのだろう。長剣を鞘に納めて静かに下ろし、ソファーの隣に置く。
様子を伺うようにダニエルに顔を向ければ、やはり口を開いてくれた。
「歳の近い騎士達でいうなら、セクトルに負けたことは?」
「無い……ありません」
自分がエテルネルを演じていることも忘れて素で話してしまい、すぐに言葉を改める。
「セクトルにもフレイムローズにも負けたことはありません。他の者達なら、勝ち負け半々…勝ちの方が少し上回る程度です」
自分の力を過大評価も過小評価もしない真実を伝える。
「だろうな。剣の実力だけでいうなら君はその歳では強い方だ。大会も、それなりに良い成績を残すだろう」
「…でもあの二人には敵わない…」
負け続けて良い気はしない。でも勝てない根本がわからない。
「…ニコルとレイトルはひとまず置いておこう。君がセクトルとフレイムローズには勝てる理由は、あの二人が剣術に向いていないからだ」
フレイムローズは魔眼を操ることを中心に訓練してきた。セクトルも元々魔術師団入りを切望されていただけあって、その実力は魔力に大きく偏っている。
つまり剣術だけでいうのなら勝てて当然の相手ということなのだろう。
「王城に戻ってから他の騎士達の剣術も見ましたが、まぁ私のいなかった五年間に相応しい上達っぷりだったよ」
「…ニコルとレイトルは?」
「…あの二人は別格だ。ニコルは最初から化け物じみていたけど…特にレイトルだ。ニコルと親しくなったことが、元々剣の素質があった彼をさらに強くしたらしい」
他の騎士達は五年に相応しい上達を見せる中で、その二人は。
「君とニコルとレイトルの違いを話そう」
剣術の訓練で、座学は初めてかもしれない。そう思い、はたして剣を持たない座学など剣術に必要なのかとも感じて。
「ニコルは本物の天才だよ。ニコルに剣を教えた者の腕も確かだが、ニコルは教えられたことを素直に受け取ることが出来て、そのまま訓練に明け暮れたはずだ。不必要な考えなど持たず、ただ純粋に正解の訓練だけを続けることができたからあれほどの剣の腕前を持つことができた」
それはつまり、どういうことなのか。
険しくなる眉間を、ダニエルが指先で触れて戻してくれる。
「そして君とレイトルは、剣の腕がありながら、周り道をしていたんだよ」
「…周り道?訓練のこと…ですか?」
「そう」
ダニエルの言葉にまた眉間に皺が寄り、今度は自分で眉間をこする。
「君とレイトルは、頭を使っていたんだ」
「…考えすぎていた?」
「そう。教えられたことを自分なりに考えてしまった。出来もしないことを自分なりに考えて行動して…はたしてそれは正解になると思うか?」
口調は優しく、だがまるで拒絶するかのように。
「君もそうだが、レイトルもよく頭を使う。レイトルの場合はそのお陰で少ない魔力を緻密に操る術を得たが、元々才のある剣術に関して言うなら邪魔な行動だった」
「私もレイトルと同じく、剣術を考えすぎていたのですか?そんなつもりは…」
「無いと本当に言えるか?こうした方が剣先が届くのでは、ああした方が訓練の効率がいいのでは、そう思ったことも無い?」
その問いかけに、言葉は出なかった。
だが、それを言うならば。
「…みんな同じ道を辿るさ。天才以外の全ての人間が、頭を使って考えるんだからな」
コウェルズの言いたいところを、ダニエルは理解して先に告げてくる。
「それが、周り道の正体」
「そう。ニコルは考えなかった。ただ教えられた正解の通りに動いて、ひたすら身体を作り上げたんだ。それは、それが正解であると無意識に理解できる天才以外には出来ない代物だ。なぜニコルに勝てないのか。そんなもの考えなくていい。剣術だけで言うなら凡人の君は天才のニコルには一生勝てないよ」
辛辣な言葉に胸をえぐられる。
剣の腕前があると自信があったから、尚更だ。
「次に君とレイトルの違いを教えよう。剣の才能で言うならほぼ同程度である二人に差がついた理由は何だと思う?」
その答えなら。
「…レイトルはニコルと親しくなったから」
「…そういえば私がさっき口にしたね」
力の抜ける笑みを二人で浮かべ合って、瞳を本題に戻して。
「君もレイトルも考えて訓練を続けていた。大きな違いが出来たのは訓練中の出来事だ。君の前には剣を教える者達が何人もいた。レイトルの前には、ニコルがいた。二人とももちろん考えて動く。どうすればいいのか、何が一番効率がいいのか…効率とは何なのか、君は気付かず、レイトルは気付けた。ニコルと訓練を続けていたから」
ダニエルの言葉は曖昧模糊として、単語単語を合わせて考えてみてもはっきりとした答えがわからない。剣術訓練において、優秀な者達から手ずから教わっていたコウェルズよりも仲間内での訓練に勤しんでいたレイトルの方が上達した理由なのだろうその効率の意味が、まだ掴めない。
「少し話を逸らすよ。私とジャック。双子だが、私の方が筋肉量は少ない。なぜかわかるか?」
うまく理解できずに悩むコウェルズに向けて、ダニエルは袖をめくり、そのしなやかな筋肉のついた腕を見せてくれた。
決して筋骨隆々としているわけではない。ジャックと比べれば細身で、素人がダニエルを服越しに見たなら鍛えているとも思わないかもしれない。騎士として鍛えているのに、そうは見えない、その理由は。
「私の身体が、剣術に特化した身体だから」
涼しげに微笑む様子に武人としての姿は見えない。少し鍛えている程度。それだけだ。それがなぜ剣術に特化したことになるのか。
「ジャックの身体は武術に特化している。子供の頃からそれぞれ訓練を続けていたからね」
双子の決定的な違いは幼少期からあったと。
「私達の父は変わり者で、ひとつのことだけ集中して訓練させるとどうなるのかを私達双子で実験していたんだよ。子供の頃から私は剣術だけを、ジャックは武術だけを行なっていた。舞踏も勉学も最低限に済ませてね。そのおかげでこの身体は出来上がった」
慈しむように自分の腕を撫でるダニエルは、この腕の筋肉こそ自分の誇りだと自信に満ちた瞳で教えてくれる。
「私の身体は、剣を振るうためだけに特化された身体なんだ。だから筋肉も、剣を使うためのもの以外は存在しない。剣術以外は最低限に抑えていたから。武術も、剣術と合わせたならそれなりだろうが、武術だけに絞るなら騎士達の中でも弱い分類だろう。だが剣術だけにこだわるなら…ニコルでも私には敵わない」
真に剣術だけにこだわりぬいて生きてきた身体。
他の多くの無駄な筋肉を排除して、剣術に使う筋肉のみを育ててきたからこその自信。
「…私もそうなれますか?」
答えのわかりきった問いかけに、ダニエルは苦笑を見せてくれた。
「剣術だけに特化させるには、あまりにも惜しいかな。適材適所だ。君は多くを学ぶべき存在なんだよ」
君の才能は私とは違うものだ、とダニエルは苦笑する。
人それぞれ才能が違うように、コウェルズはダニエルにはなれない。
「だがせめて、大会が本格的に始まるまでは剣の為の身体を作らせてもらう。それが大会に出場する君への、私が出来る最大限の務めだ」
立ち上がるダニエルが、自分の長剣を鞘から抜く。
「室内での訓練はなかなか重要だよ。大立ち回りばかり行う平和慣れした者達を怯えさせる術を教えてあげよう」
なぜニコルやレイトルに勝てないのかはわかった。今後も恐らく勝てないのだということも。
「…来年の剣術出場者には、レイトルが来そうですね」
「そうなるなら、私が一年間みっちり扱かせてもらおうか」
コウェルズも立ち上がり、鞘から剣を抜いて。
しかし訓練はジャックがドアを合図もなく開けて戻ってきたことによりすぐに休止となってしまった。
無遠慮に入室して、辺りをチラリと見て、首を傾げてみせて。
「一人か?」
剣を鞘に収めながらダニエルが問いかけ、コウェルズも鞘に手をかけた。
「ああ。ルードヴィッヒ達は先に帰したんだが…」
ジャックは一度廊下に顔だけ戻して様子を窺う背中を見せてくる。しかしルードヴィッヒとジュエルの姿は見えなかった様子で諦めたように室内に戻ってきた。
「訓練中だったのか。止めさせて悪い」
「平気だ。それよりどうだったんだ?」
こちらに歩み寄るジャックは疲れたとでも言わんばかりに表情だけで難色を示して、コウェルズが鞘に剣を戻してソファーの背面に立て掛ける間にダニエルのお茶を奪って飲み干した。
「ありゃ虐待だな。それも全員グルになったタチの悪い分類だ」
不愉快なものと対峙して気力を削がれた分を取り戻そうとでもするかのように、ジャックは空になったカップを苛立ち交じりにテーブルに戻し、焼き菓子を右手で掴める分だけ掴んだ。
ジャックがここまで苛立つ姿を見るのはコウェルズも初めてだ。バオル国の者達のエル・フェアリアに対する蔑みは酷いものだったが、ジャックはマガを間に置いてかなりやり合ったのだろうか。
せめて新しいお茶でも出そうとコウェルズ自ら動こうとしたが、回避するかのようにダニエルにポットを奪われてしまった。
「昔から不器用なままなのに、触らなくてよろしい」
「……」
訓練も中断となり、善意の行動も遠慮なく切って捨てられて、コウェルズは大人しくソファーに座るのみとなる。
「それで、マガ君は無事だったのか?」
「あいつの目が覚めてから検査した分には大丈夫そうだ。だが今回のトラブルの中心だからラムタルに預けた…強制的にな」
ラムタル側もマガの様子に預かりを快諾してくれた、とジャックは苛立ち混じりに教えてくれる。
「身体中アザだらけ傷だらけ。酷い古傷は縫った跡すらなかった。私生児らしいが、マガの親父だろう豚ジジイが女連れて救護室まで来やがったから脅しかけといた。16歳だからラムタルじゃギリギリ成人前の保護対象だったのが救いだ」
「…何があったのかよくわからないな」
「詳しくは二人が帰ってきてからする…どこ行ったんだあいつら」
怒りを静めるために手にした焼き菓子を次々に口に放り込んでいくジャックの様子は本気で苛立っているのだと見せつけられる。
威嚇するように低くなる声も、普段のカラッとした雄々しさとは真逆だ。
「…それとルードヴィッヒだが…本試合が始まるまでかなり厄介かも知れないぞ」
その言葉はコウェルズに向けられて。
「…トラウマの件なら」
「それとはまた別問題がある。ジュエル嬢を怪我させた」
「……は?」
理解不能な疑問符の言葉はコウェルズだけでなくダニエルからも聞こえてくる。
「マガが訓練場で頭を打った後にルードヴィッヒがジュエル嬢の手首を強く引いただろ。あれがかなり力が強かったみたいでな。ジュエル嬢の手首のアザに気付いて精神的にガタついた」
まさかの事態にコウェルズはダニエルと言葉無く目を合わせた。
「その後に救護室でバオル国の女がジュエルに手をあげようとして、キレたルードヴィッヒが女を魔具で殺しそうになった」
「…本当か?」
「ギリギリの理性で押し留めた感じだが、殺意は確実にあった…ルードヴィッヒは無意識だったろうが」
聞かされた事実は、コウェルズの中のルードヴィッヒとジュエルの関係性を変えてしまいそうな代物だ。
「…エテルネル…ルードヴィッヒとジュエル嬢の仲はただの稀薄な幼なじみとは言えないかもしれないぞ」
「…王城の二人は…」
「恐らくはルードヴィッヒの問題だ…単純な仲間意識というにはジュエル嬢が傷付けられそうになった時の目の据わり方が異常だった…別感情は確実にある」
コウェルズが王城内での二人を思い出すより先に、ジャックが目の当たりにした状況を伝えられて。しかしそれを信じるにはコウェルズの見てきた二人の関係が繋がらない。
魔力の質量や互いの地位から、ルードヴィッヒとジュエルが結ばれることは国の願いではあった。しかし城内での二人は仕事や任務以外では滅多に顔を合わさず、ルードヴィッヒに至ってはジュエルを避けることも多かった。避けていた理由はジュエルの兄であるミシェルの存在が大きいが。
「…当人達の心の内側は他人の目では図れないものだ。エテルネルが城内でどんな二人を見てきたかはわからないが、二人は幼い頃から顔を合わせていたなら…」
考えすぎて眉間に寄る皺をダニエルに人差し指一本でほぐされて。
「…もしジャックの言う通りなら…バオル国の厄介な絡み方はジュエルを通してルードヴィッヒを刺激する…それを吉とするにはルードヴィッヒには精神面の問題が多い…」
言葉は無意識的にエテルネルからコウェルズに戻っていたが、ジャックもダニエルも指摘せずにいてくれた。
「…バオル国がこちらへの刺激を続けるなら、ルードヴィッヒの気が休まらない可能性が高いな…」
「その興奮状態を上手く武術試合に昇華させるには、あいつの精神は脆すぎるぞ」
ダニエルとジャックは大会を最優先で考えてくれるが、コウェルズには気がかりなことがもうひとつ存在する。
ルードヴィッヒに関する報告で、エル・フェアリアにいた頃に聞いたものが。
それはルードヴィッヒが第四姫の捜索隊に志願した本当の理由だ。
ルードヴィッヒには気になる娘がいて、それはファントムの仲間である可能性が高いというものだった。
パージャの妹で、王城にも乗り込んできたことがあるという少女。
ガウェからの報告ではルードヴィッヒが精神的に参るきっかけとなったトラウマの現場にもいた。
ルードヴィッヒはリーンだけでなくその少女も見つける為に捜索隊に志願したはずだ。
だがもし本当にジュエルのことも気にしているというのなら。
「…ルードヴィッヒの戦闘スタイルは怒りを反映させられるかな?」
問いかけに、ジャックが怪訝そうに眉を潜めた。
「いや…いや、まだあいつの戦闘スタイルを完璧には把握していないから何とも言えないな」
「危険な賭けになるかも知れないが、今回のバオル国との件をルードヴィッヒの力の引き出しに使えないだろうか」
返答に被せる新たな問いかけに、ジャックとダニエルが同時に目を合わせて。
「エル・フェアリアの戦力を強化させる為にもルードヴィッヒが覚醒することは必須なんだよ。ルードヴィッヒが使い物になったなら、若騎士達が確実に後に続く……その為にも、使えるものはジュエルお嬢様でも使いましょう」
にこりと慣れた笑みを浮かべながら、最後の言葉でエテルネルに戻って。
五年間も離れていたとはいえ、コウェルズの言葉の意味がわからないほどジャックとダニエルは愚かではない。二人とも若くしてリーンの姫付きとなったほどなのだから。
「…どこまで可能かはわからないが…“引き金”は重要な存在だからな。やってみよう」
「もしジュエル嬢がそうなってくれるなら、まぁ、やりやすくはなるか」
そしてこの二人が他の者達に思われているほど紳士でないことをコウェルズも知っている。
何も野蛮な事を行うつもりはない。エル・フェアリアの男達の本質に習わせることが最も手っ取り早い強者への道だとここにいる三人がわかっているからこそ、強制的に進められるのだ。
「二人が帰ってきたら一度離して、ルードヴィッヒからは軽く話を聞こう」
扉がノックされたのはダニエルの言葉の途中でだった。
噂をすれば、というものだ。
ルードヴィッヒ達が帰ってきたのだろうと入室を待てば、やはり顔を見せるのはルードヴィッヒだった。
しかし。
「…大変だったみたいだね。ジュエルお嬢様は?」
顔色を青白くさせているルードヴィッヒに近付いて話しかけるのはコウェルズだが、ルードヴィッヒが口を開くことはなかった。
「……何か…」
何かあったのか、訊ねる前に扉の外側をコウェルズも確認して、言葉を詰まらせる。
ジャックとダニエルも近付いてきて、それでもルードヴィッヒは無言のまま、部屋を確認するように視線を動かすだけで。
「……ジュエルお嬢様はどこに?」
コウェルズが確認する部屋の外には、ルードヴィッヒと共にいるはずのジュエルの姿がなく、コウェルズの問いかけの返答代わりにルードヴィッヒの顔色がさらに白く変化するだけだった。
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