第71話


第71話

『エル・フェアリアのジュエル様にお会いしたいという戦士の方が…』
 そう告げた申し訳なさそうなラムタルの侍女の背後から現れたのは、ルードヴィッヒと同じくらいの年齢だろう幼さを残した若い戦士だった。
 ラムタルに到着した二日目の朝、飛行船となる絡繰りの犬が戻ったまでは誰もが予想できる範囲内だっただろうが、訪れた若者は非日常にも程がある存在だった。
 ラムタルの侍女が制止する声も聞かずに勝手にエル・フェアリアの来訪者達に当てがわれた部屋に足を踏み入れ、その目は迷うことなくすぐにルードヴィッヒだけに注がれた。
 コウェルズやジャックとダニエルも若者がルードヴィッヒに注視することに気付いた様子だが、三人は無礼を気にすることもなく静観の姿勢を見せる。
 そしてジュエルは突然すぎる来訪に驚いたように固まってはいたが、背筋は美しく凛と伸ばされて無意識に生まれの良さを漂わせていた。
『どうかお戻りくださいませ。無礼にも程がありますわ』
『大丈夫。少し話すだけさ』
 話す、とは確実にルードヴィッヒにだ。
 戦士だと侍女が告げていたから、どこかの国の出場者だろうかとルードヴィッヒは売られた喧嘩を買うために立ち上がる。その際にルードヴィッヒの顔や頭部を彩る魔具の飾りがシャリ、と音を鳴らし、若者の耳にまで届いたのかニコリと微笑まれた。
 直々に会いに来たということはルードヴィッヒと同じ武術出場者なのだろうか。小綺麗な顔立ちだが、健康的に日焼けした肌に所々奇妙に混ざるのは灰色だ。
 そして同じくらいの年齢だろうに、その長身には羨ましいものがあった。
 若者は戸惑う侍女を気にすることなくルードヴィッヒに向かって歩みを進めてくる。
 時間はたった数秒ほど。
 その数秒間、ルードヴィッヒは若者を睨み続け、若者は微笑み続けていた。
 はたして無礼に訪れた理由はただの宣戦布告なのか。
 睨み付ける瞳に闘志を滾らせるルードヴィッヒの前で、若者はスッと手をさし出してみせた。
 その手も灰色の混ざるまだらの皮膚で、ルードヴィッヒは馴れ馴れしさに一瞬ギョッと表情を強張らせたが、握手程度ならと無言のまま手を伸ばし、
『…初めまして、あなたに会いに参りました。麗しのジュエル嬢』
 握手だと思った手はそっと慈しむようにまだらの手に誘導され、手の甲に若者の唇が触れた。
 突然の奇行に固まるのはその光景を見ていた全員だ。
 差し出した手の甲から全身に広がるのは柔らかくも気持ちの悪い感触で、頭が思考を巡らせるより先に背筋に悪寒が走り身震いしてしまった。
『--っ…な、何なんだお前は!?』
 いまだに握られる手を振り解き、最大級の声量で驚きを隠した怒鳴り声をまき散らす。
 というか今、ルードヴィッヒをジュエルと呼ばなかったか。
『驚かせて申し訳ございません。ですが一刻も早くあなたにお会いしたくて…私はバオル国のマガと申します。昨日貴女に一目惚れをしてしまったのです。ですのでジュエル嬢、貴女に結婚を申し込みに参りました』
 情熱的な瞳はまっすぐにルードヴィッヒを見つめるが、呼ぶ名前はジュエルのものだ。
 何がどうなっているのか、固まるルードヴィッヒの隣で、コウェルズが我慢の限界を迎えたかのように吹き出した。
 俯いて表情は見えないが、小刻みに震える肩がどうしようもないほど笑っていることを示している。
『…マガ殿、でしたね。残念だが君が求婚した相手は我がエル・フェアリアの武術出場者。立派な成人男子だ』
 笑いのおさまらないコウェルズの変わりに説明をくれるのはダニエルだ。ジャックはルードヴィッヒとは反対の方向に顔を向けてコウェルズと同じように肩を震わせていた。
 ダニエルの言葉にマガが驚いたようにルードヴィッヒを凝視してくるが、ルードヴィッヒはそれを気にするより先にジュエルに目を向けてしまった。
 見知らぬ男に名前だけは呼ばれて突然求婚されたジュエルは凍りついたようにマガを見つめて固まっており、ルードヴィッヒの視線の先にいるのが本物のジュエルだと知ったマガは今までのことなと無かったかのようにスッとジュエルの前に膝をついた。
『驚かせて申し訳ございません。ですが一刻も早くあなたにお会いしたくて…私はバオル国のマガと申します。昨日貴女に一目惚れをしてしまったのです。ですのでジュエル嬢、貴女に』
『まて!お前!!』
 先ほどルードヴィッヒに対して口にしたセリフを一語一句間違えることなく語り出すマガに、ルードヴィッヒは割って入るようにジュエルを背中に隠して叫んだ。
『…無粋な野郎だな。俺は彼女に用があってここに来たんだ。邪魔だからどいてくれ』
『何だと!?』
 先ほど一目惚れとのたまってルードヴィッヒに求婚したことも忘れ、吐き捨てるように喧嘩を売ってくるとは。
「…ルードヴィッヒ様」
 背後から聞こえてくるのはジュエルの不安そうな声。思わず振り向いた瞬間に、思いきりマガに肩を押された。
『そのお姿と同じく可憐な声ですね。ジュエル嬢、どうか貴女に一目惚れをしてしまった愚かな私をお許しくださ』
『ふっっざけるなぁっ!!』
 押された肩を押し戻して、一目惚れだなどとまだのたまうマガの肩を突き飛ばして。
『痛ってえな!何すんだよ!!』
『それはこちらの台詞だ!!私に一目惚れだなどと言っておいて、ジュエルに一目惚れをしたなんてよく言えたものだな!!何が狙いだ!!』
『そんな間違えられるような装飾をチャラチャラ付けてるお前が悪いんだろこの女野郎!!』
 女野郎と叫ばれて、頭を殴られたかのように言葉を詰まらせて。
 女顔だということは自覚しているが、こうも面と向かって敵視されながら言われたことなど初めてなのだ。
 正気に戻れたのはジュエルが怯えたようにルードヴィッヒの服を掴んできたからだった。
『…一目惚れだなどと嘘をついてジュエルに近付く理由は何だ?彼女がエル・フェアリアの藍都の末姫だからか?』
 婚約者のいないジュエルの地位を狙う者がいるかもしれないから注意しておけとはコウェルズ達からも忠告されてはいたので警戒心を剥き出しにして尋ねれば、返ってくるのはあっけらかんとした『そうだ』という肯定の言葉だった。
『俺はエル・フェアリアの藍都の末姫に一目惚れをしたんだよ。わかったらとっととどいてくれよ、女野郎』
 ルードヴィッヒがどの言葉に反応するか気付いているとでも言うように嫌味な笑みを浮かべながら、肩をまた押してきて。
『だから、ふざけるなと言っただろう!!』
 腹の奥底から湧き上がるようなムカつきは、女野郎と言われたからか、それとも別の何かが引っかかるからか。
『…君はバオル国の出場者かい?』
 一触即発となるルードヴィッヒとマガを言葉で押さえつけるのは、ようやく笑いを堪えることができたコウェルズだった。
 スマートに立ち上がり、ソファーの後ろを通ってジュエルの隣へ進み、そっと立ち上がらせて自分の背中に隠してしまう。
『初めまして、私はエテルネル。エル・フェアリアの剣術出場者であり、長年ジュエル様の付き人としてお守りしてきた者です』
 ニコリと隙のない笑顔を向けられて、マガがグッと言葉を詰まらせている。その間にコウェルズは指先でラムタルの侍女を呼び、ジュエルを連れてさらに離れるよう指示を出した。
『…マガ殿。あなたの行動は出場者であれ、許される無礼ではありませんよ。もし出場者でないなら、尚更ね』
 男でも見惚れてしまうほどの美しい笑みを浮かべて警戒心をマガにぶつけるが、どこか面白がっている様子だ。
 だが。
『あなたがあの美しい姫君を大切に守り続けてきたのですか!だからあれほど愛らしいのですね!ご安心ください。これからはあなたの代わりにこの私がジュエル嬢の全てをお守りすると約束しましょう!』
 コウェルズに凄まれてひるみはしたが、マガは己の特攻を抑えることはしなかった。
 グッとコウェルズに近付いたかと思うと、その手を取ってブンブンと強引な握手を交わしてきて、さすがのコウェルズも呆気に取られたかのように目を点にしている。
 正体を隠しているとはいえ王子相手に無礼どころの騒ぎではなくなり、ルードヴィッヒはガッツリと固まってしまった。
 ジャックとダニエルが静観の姿勢を崩さないので大丈夫なのかもしれないが、王子であるコウェルズの心情がどうなっているのか、ルードヴィッヒには知ることなどできなくて。
『残念ながら私は出場者ではありませんが、バオル国の戦闘サポートとして共に訪れています!剣術も身につけておりますので、もし練習試合が必要でしたらいつでも声をかけてください!それでですね、ジュエル嬢との今後を話し合いたいと思うのですが』
『いい加減にしろよ!!』
 どうすればいいのかわからない、そう混乱していたはずのルードヴィッヒの頭が怒りで爆発したのは、ジュエルの名前をまた出された時だった。
『…またお前か。邪魔をするな、女野郎』
『邪魔なのはお前の方だ!ジュエルが怯えている事にも気付かない分際で!!』
 マガに言い寄られて怯えたジュエルが助けを求めたのはルードヴィッヒだ。
 たまたま隣に座っていただけかもしれないが、ジュエルは救いを確かにルードヴィッヒに求めた。
『突然現れて無礼な求婚をしてきて、お前ごときにジュエルを守れるはずないだろう!!』
『何だよ、やけに偉そうだな。チビの女野郎のくせに』
『何だと!?』
 女野郎という言葉だけでなく、気にしている身長まで指摘されてさらに頭に血が上って。
「そこまでにしておくんだ」
 マガに掴みかかるより先に、エル・フェアリアの母国語で穏やかに話しかけて身体を止めてくれたのはダニエルだった。
 両肩に少し強い力で手を置かれ、引き離すように移動させられる。
 コウェルズはそのままだったが、マガの奇行に呆気に取られた様子はもうなかった。
『ルードヴィッヒ、ジュエル嬢がまだ怯えている。君がそばに行って、彼女を落ち着かせてやりなさい…君にしかできない事だ』
 我に返ったルードヴィッヒに次に話されたのはラムタルの言葉で、それがマガにも聞かせるためなのだと気付くことはできなかったが、言われた通りにジュエルの元に足を運んだ。
 その途中で怒りをぶつけるようにマガを睨みつければ、何故かマガも先ほどの小馬鹿にしたような態度でなく強く敵視するような視線を向けてきていて。
「…大丈夫か?」
「……うん」
 マガの視界からジュエルを隠せる場所に立って、いまだに不安そうなジュエルを心配する。ジュエルのそばにいてくれたラムタルの侍女もルードヴィッヒと入れ替わるように離れていき、後ろからはダニエル達がマガと話す声が聞こえてくるだけだった。
「…あんな変な人…初めてお会いしましたわ」
「無礼にも程がある…」
 ジュエルがそろりとマガを見ようとするからわざと姿勢を変えて視線を遮る。
 聞こえてくる会話はバオル国へ苦情を告げるというところまで当然のように発展していたが、マガはいっさい気にする様子を見せる声色ではなかった。
 どこからそんな自信が溢れてくるのか尋ねたくなるほどジュエルと自分を結びつけようとするが、一目惚れと口にしながらもルードヴィッヒと間違えていた時点で一目惚れでない事は確かだ。
 本当にルードヴィッヒと間違えていたならまだしも、訂正もせず堂々とジュエルに改めて求婚したのだからタチが悪い。
『…バオル国の者達はエル・フェアリア国を“野蛮な国”と蔑む国柄です。どうぞお気をつけ下さいませ』
 そこへ少し離れていたラムタルの侍女が戻り、そっと小声でバオルの民のことを少し教えてくれる。その内容はどう受け取ればいいというのか。
 バオル国は大会参加国の中でもエル・フェアリアとはかなり離れた土地にある中規模の国で、エル・フェアリアとの国交は皆無だ。当然同盟も結ばれてはおらず、ルードヴィッヒも名前を聞いたことがある程度でしか知らない国だった。
 それでも確か、ファントムが奪ったエル・フェアリアの古代兵器のひとつがバオル国に存在したはずだ。
 遥かな昔は国交があったのかもしれないが、もしマガの性格がバオル国を表すというなら、野蛮なのはどちらだというのか。
 ラムタルの侍女の言葉を思い出してルードヴィッヒは強く眉根を寄せてしまう。
 そこへ、場にそぐわない可愛らしい鳴き声が窓辺から響き渡り、室内に一羽の伝達鳥が飛び込んできた。
 小型の伝達鳥は迷うことなくマガの肩に留まり、手紙を受け取ったマガは内容を読んでみるみるうちに表情を無くしていった。
 喜怒哀楽の消えた表情はマガを人形のような様子に変えてしまう。
『……それでは私はこれで失礼します。また後で改めて伺わせていただきますので、その時にジュエル嬢との今後を話し合いましょう…ジュエル嬢、お会いできて光栄です。後ほどゆっくり話しましょうね』
 ジュエルに対してはあくまでも穏やかなまま、しかし仮面じみた無表情のまま。
 突然訪れたマガは突然帰っていき、後に残されるのは唖然とした者達で。
「……あんなに言葉が通じない人間…初めてだ…」
 最初に笑っていたことも忘れて目を点にし続けるコウェルズは、自分の立場を隠しているとはいえそれなりのショックを受けた様子だった。
「なかなかやばい奴だったな」
「助け舟くらい出せよ…」
 ジャックはひとしきり楽しんだ様子でニヤリと笑っているが、ダニエルは間に入り疲れ切った様子を見せてくる。
『…止めることができず、本当に申し訳ございませんでした…バオル国への抗議は私共から本日中にさせていただきます』
 ラムタルの侍女達は一連の流れに頭を下げてくれるが、あれを止められる者は身分を明らかにしたコウェルズでも無理ではないかと思われた。
 侍女達の謝罪を受け入れて、部屋を出ていく彼女達を眺めて。
「…とにかく、バオル国が何を考えてこんな行動に出たのかわからない以上、強く警戒しておかないといけないね……ジュエル様、くれぐれも、男連中から離れないでくださいね」
 一人になるな、ではなく、力となってくれる者から離れるなと強く告げてくるエテルネルとしてのコウェルズに、ジュエルが口を強く引き結んで何度も頷いた。
「…ルードヴィッヒ、何があってもジュエル嬢から離れるな。絶対にだ」
 そしてジャックからは強い命令を。
--言われなくても、絶対に。
 マガを思い出すと、そう口にしてしまいそうになって、無意識にジュエルに目を向けてしまって。
 女に間違えられたからでもなく、女野郎と蔑まれたからでもない怒りが湧き続けている。
 しかしその原因が何であるのかルードヴィッヒはまだ気付けなくて、ただジュエルの不安そうな眼差しに怒りとはまた別の苛立ちが込み上げてきたことだけは強く自覚した。

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