第57話
第57話
彼を見かけた時、ソリッドは懐かしさよりも先に、物悲しさを強く胸に抱いてしまったのだ。
数日前、魔術兵団という王城から訪れた部隊にアエルは人質として捕らえられ、ナイナーダというリーダー格の男に酷い暴行を加えられてしまった。
それが何の巡りか昔たった一夜だけ世話をした少女の仲間に救われ、しかもその仲間は44年前に暗殺されたはずの悲劇の王子ロスト・ロード、今のファントムだという。
アエルはガイアという美しい女に全身を癒され、今は疲れはてたかのように眠りについていた。
ソリッドとアエルに用意された巨大な船内の一室。
昏々と眠り続けるアエルの額をそっと撫でると、気晴らしのように席を立ち、廊下に繋がる扉を開ける。
静まり返る船内は、船だとわかっていてもそうは思えないほどの規模を誇っていた。
後ろ髪を引かれるようにアエルへと振り返り、しかしそっと部屋を抜けて扉を閉める。
風の流れは存在しないのに空気は冷たく、吸い込むだけで腹の奥から凍てつかせるような独特の冷気が満ちていた。
船内なのでわからないが、ここがエル・フェアリアでないことはすでに告げられている。
ラムタル王城上空。空の上だと。
聞いたのは昨夜だったか。
死んだように意識を失っていたパージャと、ガイアと、ファントム。
ファントムはソリッドの何かを面白がるように、好きなだけこの船内にいることを許した。
それは恐らく、負傷したパージャや捕らえられたらしいエレッテの行く末を案じたが為だろう。
扉から手を離し、もう一度だけアエルのいる部屋へと目を向ける。しかし結局視線は扉に阻まれるだけで、ソリッドはやや俯いてから当て処なく足を進めた。
高価な絨毯が敷かれた、ソリッドには場違いでしかないような上等な通路。
部屋のひとつひとつの間隔も広く、柱や壁の細やかな細工も今まで見たこともないような、一目で上等とわかる代物だった。
貧しい世界に産まれ、戦場で育ち、闇市に居場所を見つけたソリッドには不釣り合いな。
部屋数を数えながら先へと進み続ければ、やがて外の明かりが強く広がるようになり。
通路の最果て、デッキへと通じる扉を開けたソリッドの目に飛び込んできたのは、汚れを消し殺すほど強い青空に、恐ろしいほどに早く流れる霧のような雲、そして戦の神に舞を捧げるように荒々しく武術の型を行う一人の若者だった。
若者は型の合間にちらりとソリッドに目を向けるが、その瞳の苛立ちに苛まれたこと。
ソリッドを完全に無視して、型を続けて。
ふと隣にも気配を感じてデッキの壁面右側に目を向ければ、壁に背中を預けてしゃがんでいた短髪の少女がソリッドを見上げていた。
少女は若者とは違い、じっとソリッドの目を見続ける。見上げてくる様子はどこか無表情のアエルを思い出させたが、この少女にはさらに深い闇を感じて、まるで絡め取ろうとでもするかのような妖艶な眼差しに、ソリッドは無理やり目を逸らした。
視線はまだ感じる。だが気付かないふりをするように、ソリッドは若者の元へと向かった。
目に痛い柄のバンダナから覗くのは、青を交ぜた闇色の髪だ。
懐かしい色。
闇市から駆り出された傭兵として戦線にいた数年前、彼はまだ幼い姿で、勝ち戦の為の道具として使われていた。
傷の治る不思議な身体を使われて、惨たらしい戦場の爆心地として。
ファントムの仲間としてエレッテがいるなら、彼もいるだろうとは思っていた。
「…ウインド、か」
名前を呟けば、荒々しい型を続けていた彼はすぐに反応を見せて動きを止める。
ソリッドからは背中が見えて、二人の間に雲が流れて。
それが流れ去ると同時に、ウインドは闇色の瞳をソリッドへと向けた。
「…俺を覚えているか?」
訊ねたのは、エレッテがソリッドを覚えていなかったからだ。
とは言っても、ソリッドがエレッテに干渉したのはたった一夜だけだったので覚えていなくても当然なのだろうが。
ウインドは、まだ数日間ソリッドと共に戦っている。
「…闇市から回されてきた兵士のオッサンだろ」
その当時を覚えていたかのように、ウインドは身体ごと完全にソリッドに向き直った。
「…覚えてたのか」
思わず訪ねてしまい、ウインドが冷めた笑みを浮かべた。
「まあ、あんたの部隊くらいだったからな。ケツ掘るわけでもなく、トラップとして使うこともしなかったのは」
冷めた笑みを浮かべたまま、思い出したくもないと言うように。
血生臭い、欲望の蔓延る戦線で。
無力で幼く後ろ盾のない子供は大人達の格好の餌食だった。
自分と同じ年の子供達が欲望に飲まれ次々に死んでいく様を、ウインドは死なぬ身体で数多く見てきたことだろう。
「まさか、こんな場所で会うとはな」
何を話せばよいかなどわからず、当たり障りのない言葉を口にして、だがすぐに。
「…エレッテを置き去りにしたことは…悪かった」
謝罪の言葉はついて出た。
ウインドとエレッテ。
特殊だった二人の子供は今も共にいて、しかしソリッドはアエルを救う為にエレッテを狙ったのだ。
どこまでウインドが話を聞かされているかはわからないが、二人は今も変わらず共にいたのに、ソリッドはそれを分かつ手伝いをさせられた。
ソリッドの謝罪に、ウインドの眼差しに怒りが溢れる。
全てを憎むような、深い怒りの眼差し。
年を数えるならウインドは成人を迎えているが、どうしようもなく溢れる憎しみの表情には幼い頃の悲しい面影が激しく残されていた。
全てを物悲しく受け入れていたエレッテとは違い、ウインドは周りの理不尽を恨み続けていたのだから。
懐かしい。そう思ってしまう間にウインドがデッキを踏み潰す勢いでソリッドに近付いて、胸ぐらを掴み上げてくる。
体躯も腕の力も、何もかもが力強く逞しくなった。
成長して、成人を迎えて、大人になって。
「---…」
恐らくソリッドも疲れきっていたのだ。だから。
闇色の髪を、親が子にするように。
自分でも気付かぬうちに、無意識にウインドの頭を撫でていた。
「--何だよっ、気持ち悪い!!」
突然の行為に意味などあるはずもなく、振り払われてからソリッドもようやく自分の手の動きに驚いた。
ウインドは最初こそ警戒するようにソリッドと距離を保ったが、やがて忌々しそうに表情を歪め。
「…もしエレッテに何かあってみろ…パージャだけじゃなくてお前も殺してやるからな…お前が連れてきたあの女もだ」
昔話に花を咲かせるつもりなど毛頭無いウインドは、最後にソリッドを強く押し退けてデッキを後にしてしまった。
残されたソリッドが扉側に目を向ければ、壁に背中を預けてしゃがんでいた少女も立ち上がってウインドの後を追いかけるところで。
少女が去ってしまえば、ソリッドは大空の中を完全にただ一人きりで放り出されたような感覚に苛まれた。
湿気を帯びた冷たい風の中、なぜ自分がここにいるのかふと考えてしまって。
好きなだけいればいいとファントムはソリッドを面白がりながら口にした。
それは降りようと思えば、アエルと共にエル・フェアリアの地に残れたということなのに。
闇市でのひと悶着が自分達にどのような影響を及ぼすかはわからないが、アエル一人くらい簡単に養える程度の野営術は幼少期から備えているのだ。
どうとでもなった。なのに、ソリッドは昏々と眠り続けるアエルを見つめながら、エレッテを、パージャを、そしてウインドを思ってしまった。
たかが数日近くにいただけの子供達や、アエルを救い出してくれたパージャの今後を。
「俺は…何がしたいんだ」
自分のことだけを考えていればそれでいいのに。
ソリッドやアエルは巻き込まれただけだろうに。
なのに。
「--気を揉むな」
ふと響き渡る低い美声に、ソリッドは慌てて後ろへと振り向いた。
扉の開く気配などなかったはずなのに、今まで一人だったはずなのに。
いつの間にか、ファントムが。
「…お前」
ファントム、暗殺されたはずの悲劇の王子。
闇色の髪と瞳には夜に広がる血溜まりのような禍々しさがあり、その美貌と相俟って恐ろしいほどの存在感を醸し出す。
ファントムは優雅な足取りで近付いたかと思えばソリッドを通り過ぎ、デッキの柵に身を寄せた。
長い髪が風にもてあそばれて、黒い翼のように舞い踊る。
「…ここに残ると決めたのはお前自身だ」
ファントムは風が自分の髪で遊ぶがままにさせながら空を仰ぎ。
「“心残り”にしたくなければ、私の役に立て」
静かだというのに風に掻き消されない声で、それが運命だとでも告げるように命じられた。
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見上げる先にあるのは荘厳な天井だが、ルクレスティードの視界を通して脳裏に映るのは遥か上空に浮かぶ飛行船、空中庭園の中だった。
父と母と、年上の仲間達。
そして見知らぬ大きくてこわい無精髭男と、昏々と眠り続ける綺麗な人。
「…何が見えた?」
問われた瞬間に、不完全なルクレスティードの能力は掻き消えてしまう。
千里眼。
全てを見通す力を産まれ持ったルクレスティードは、問うてきた少女に上向けていた顔を合わせた。
ルクレスティードと同じ闇色の、緑を宿したエル・フェアリアの第四姫。
リーン姫が自分の異母姉だと教えてくれたのは、他ならぬ母だった。
最初は驚いたが、姉という存在が妙に心地よくて。
憧れていた兄はルクレスティードを知らないから、リーンが自分を目に映してくれるのが嬉しい。
「…何が見えた?」
もう一度問われて、今度は口を開く。
「知らない人達がいたんだ」
空中庭園内に。
父母がパージャからの緊急の知らせを受けて空中庭園を出したのが一昨日の夜になるのか。そして昨日戻ったかと思えば、パージャが戻ったのにエレッテの姿が無い。代わりに知らない顔が増えていた。
新しい仲間かとも思ったが、中年の怖い男とウインドの関係はどこか奇妙なしがらみのようなものが子供の目からもうかがえて。
「ほう…あの男が知らぬ者を上げるとはな」
あの男とは父であるファントムのことで間違いないだろう。ルクレスティードはベッドに横たわるままのリーンの、事情に通じるかのような口調に微かに首をかしげた。
リーンはひとつの身体の中に、ふたつの人格を持っている。
ひとつは10歳のまま時を止めた幼いリーン姫で、土中に埋められた消しきれない記憶に怯えるように闇を恐がり、ルクレスティードやファントムとの血縁関係を知らない。
そしてもうひとつが目の前にいる今のリーンだ。
このリーンは自分をまがい物だと口にする。
幼いリーンの苦痛を請け負う為に産まれた人格であると。それがどういう意味なのか深くはわからなかったが、そういうものなのだと漠然と認識して。
「リーンは、お父様のことをどこまで知ってるの?」
このリーンは何もかもに精通するかのような様子を見せるので首をかしげるままに訊ねれば、最初に返ってきたのは音にならない笑い声だった。
呪いによる目覚ましい回復能力のおかげでリーンの身体は座る姿勢ならば維持し続けるまでになったが、気を抜けば全身の筋肉は崩れるように力を無くしてしまい、それは声帯にも通じることなのだ。
「私も全てを理解するわけではない…しかし、父上の持つ知識量は越えてしまっているだろう」
最初かすかに掠れた声は次第に力を取り戻し、ルクレスティードにはまだよくわからない答えを教えてくれる。
「お父様よりも?それってどれくらい?」
「わからぬ。だが父上が何をしたいか、その先に何が待っているかは…理解している…父上以上にな」
「…それって、いいこと?悪いこと?」
リーンの口調はまるで恐ろしい何かが口を開けて待っているかのようで、ルクレスティードはふるりと首筋を震わせる。
いったいリーンは何を知っているのだろうか。
「答えを知っていようが、どのみち私には教えられぬ…彼の流れに満たされ、私の身体には誓約がかけられてしまったからな」
畏まるルクレスティードだったが、またよくわからない言葉が返ってくるだけだ。
リーンはそれすらも体力を使うかのように重そうにまばたきを一度する。
彼の流れ。誓約。
わからないことばかりなのは、自分が仲間達の中で最も若いからなのだろうか。
それとも、リーンが口にするように父すら知らぬ知識だからか。
父にわからないことがルクレスティードにわかるはずがない。
「誓約は強すぎる力だ。私では逆らえぬ。だが口に出来ないというだけで、私の身に満たされた恨みまで消えるわけではないのだ…矛盾する身となってしまったが…まあ仕方なかろう」
「…難しくてよくわからないよ」
不貞腐れるように頬を膨らませてそう告げれば、リーンがまた声もなく笑った。
「安心しろ。大切な弟の身を危険に晒しはしない」
大切な。
たったそれだけで、むくれていたはずなのに嬉しくなって。
「リーンは…恨みを晴らすためにお父様の力になるんだよね?何をするの?」
わずかに上気した頬をリーンの目から隠すようにベッドに上半身だけを預けて寝転がり、パタパタと足をぱたつかせながら役目を訊ねる。
父の、ロスト・ロードの魂の欠片を身に宿して産まれた自分達には、それぞれ役目があるのだから。
率先して行いたいわけではない。だがその身に宿ってしまった魂の欠片が、恨みを晴らせと囁いてくる。
何に対する恨みなのか。
あらゆる理由は重なったが、その根本はエル・フェアリアに向かうのだ。
「僕はこの目で全てを見通してお父様の力になるんだ。ウインドやエレッテ、パージャも自由になりたいからお父様に従う。お母様は…お父様の全てだから従うしかないみたい。リーンは何をするの?」
全員に役目がある。ならリーンは何を?
パタパタと続けながら。この場に母がいればきっとやめなさいと優しく諭すように注意された。
動かし続けていた足を止めてしまったのは、以前捕まえたあの白い蝶がふわりと漂いながら隅からこちらへ飛び来たからで。
魔力を持った白い蝶は最初にルクレスティードの眼前で羽ばたいてから、リーンの額に留まった。
それを待ってから、リーンが落ち着いたように気配を優しく変えて口を開き。
「…じきにわかるだろうが…しばしの別れが訪れるだけだ」
「…別れ?しばし…少しだけ?どこかへ行くの?」
リーンが少しの間どこかへ。
「ああ--」
本人の肯定と同時に、部屋の内と外を繋ぐ唯一の扉は開かれて。
扉の軋む音は静かな室内に異様なほど大きく響き渡った。
リーンは視線だけで、ルクレスティードは慌ててベッドから飛び降りながら扉へと身体を向ける。
扉を開けたのは癒術騎士の双子で、その中央にはラムタル王バインドがいた。
昼の光を背中に浴びて、バインドの表情は逆光で見えない。
しかしその気配は強く固まり、今のルクレスティードとリーンの会話が聞こえていたことを知らせていた。
「王…さま」
バインドのあまりの強ばりに、ルクレスティードは恐怖を感じてしまう。
ベッドからわずかに離れれば、それを合図にするかのようにバインドは大きく足を開きながらルクレスティード達に近付いた。
正確にはベッドに眠るリーンに、だろうが。
癒術騎士の双子は室内に入ることもなくそのまま扉を閉めて、緩やかな薄暗さが室内を再び満たし。
「--どういうことだ」
ルクレスティードを目に映さずに、バインドはかすかに声を震わせながら詰め寄った。
リーンを見下ろしながら、有り得ないとでも言うように。
ルクレスティードもどうすればよいのかわからずリーンに目を向ければ、リーンの額に留まっていた白い蝶が飛び上がってルクレスティードの肩に逃れてきた。
バインドに比べてリーンは静かなもので、その温度差が室内を圧迫しようと。
そして小さな唇が動いて。
「言葉通りの意味だ。私は近くこの城を去る。父上の駒としてな」
「ふざけるな!!」
リーンの言葉は激昂と共に潰された。
「お前は…五年もの間…闇に沈められていたのだぞ!!」
五年もの長い間。
深く重く冷たく苦しい土中に、リーンはただ一人でいたのだ。
バインドはそれを知りながら救い出せなかった。時がくるまでとひたすら待ち続けて、ようやく時が来てくれて。だというのに。
「今以上の苦痛などお前には不要だろう!その身を見よ!!齢15になる娘の身体か!?死者よりもやつれ衰えたその身が!!お前にはもう苦痛などいらぬのだ!!」
魂から叫ぶように、バインドはリーンを思いながら、リーンを責め立てる。
いつ折れてもおかしくない細い木の枝のような身体で、これ以上何をするつもりなのかと。
ベッドにのし掛かり、リーンの細い肩を掴み揺さぶる。
「やめて王さま!!」
「煩いっ--」
咄嗟にリーンを庇おうとしたルクレスティードの身体は、バインドの腕を掴んだ瞬間に弾き飛ばされた。
視界の隅で白い蝶が閃光のように遠ざかり、ルクレスティードは大の男一人分の距離は吹き飛ばされ、ゴツリと床と頭が鳴った。
「っ…」
頭から床に落ちて気が遠退くが、何とか意識は留めて。
怪我を許さない身体のお陰で痛みはすぐに消え去ったが、顔を上げれば自責の表情を浮かべたバインドと目が合った。
バインドも頭に血が上っての行動だったのだとすぐに理解できる表情。
互いに固まったのは、頭が働かなかったからで。
「…たかが五年の苦痛でリーンの役目が終ったとでも?生きた年月の半分にも満たないというのに」
呪縛のように動かない中に、リーンの声はおぞましいほど冷たい針として胸の奥深くに突き刺さる。
ルクレスティードは上半身を起こし、バインドが再びリーンに目を向けた様子を見て。
「この忌まわしい身体に満たされた呪いを解かぬかぎりリーンに自由など存在せぬ」
「動けぬ身体で何が出来る!!」
またバインドの気配が荒くなる。
だが今度はリーンを掴みはしなかった。
子供のルクレスティードを投げ飛ばしてしまった結果を恐れるように。しかし言葉だけは止められないと全身で叫ぶように。
リーンを思えば思うほど、バインドは今のリーンの言葉を受け入れられないはずだ。だがルクレスティードは知っている。
自分の人格は紛い物だと笑うリーンも幼いリーンを愛しており、愛しているからこそ自由を手に入れる為に動くのだと。
それを証明するかのように。
「お主達のお陰でここまで回復した。礼を言おうぞ。これで私もようやく自由の為に動けるというものだ」
「何を!?」
「私はリーンの痛みと苦しみ、そして憎しみを引き受ける人格にすぎぬ。私がいるかぎりリーンは自由にはなれんのだ…私が消えなければ、本当の自由など永遠に来ぬ」
全てが終われば自分の人格は消えるとリーンは告げた。
このリーンが消えなければ、永遠に苦痛は終わらないと。
ひとつの身体にふたつの人格が存在して、ひとつは闇を異常に恐れる10歳のまま、もうひとつは。
「私が消えてからリーンを好きなだけ愛せばいい。だが私が消えるまでは…邪魔をしてくれるな。若き王よ」
闇を司るようなリーンの声が、バインドの身体を磔にするかのように固まらせる。
自分より歳上のバインドを子供扱いするような拒絶に怯むのはバインド本人で。
乗り上げていたベッドから身を離し、
「…アダム!イヴ!」
扉の向こうで待つ癒術騎士の双子を強く呼びつけた。
待機していた二人は主の呼び声に素早く動き、扉を開けて室内に入る。
そして扉が閉められるのを待たずに、
「…ファントムを呼べ」
微かに声を震わせながら、元凶にも等しい男を呼び寄せるよう命じる。
命令に戸惑う二人だがバインドは構うことはせず。
「今すぐにだ!!」
今後もリーンを使おうとする存在を。
「…ルクレスティードも連れていけ」
二度目の命令の後すぐに動こうとした二人に新たにルクレスティードを部屋から出すよう告げ、未だに床に座り込んだままの状態だったルクレスティードはイヴの手で立ち上がらされた。
白い蝶はベッドの上部に身を寄せて、ルクレスティード達を見下ろすように羽を羽ばたかせる。
「…急いで」
不機嫌なバインドからルクレスティードを離すために、イヴは小さな声で優しく諭してきた。
どのみちルクレスティードにはこの状況をどうすることも出来ないので素直にイヴに従い、ちらりとだけ名残惜しむようにリーンに目を向けた。
リーンは少し疲れたのか目を閉じていたが、視線に気づいてくれて頭を少し動かし、ルクレスティードを優しく見つめてくれる。
大丈夫だから心配するなと、そう言われた気がした。
後はイヴに促されるまま室内に出されて。
「俺がファントム様を呼んでくる」
「…ルクレスティードは庭に行きましょうか。今なら庭師のおじいちゃんがいるはずよ」
双子の癒術騎士は互いにバインドの命令を遂行する為にそれぞれ分かれて動き始め、ルクレスティードも背中を押されて素直に従った。
まだ子供扱いされる立場にあるルクレスティードは、素直に従うことしか許されないのだから。
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