第70話


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 なんでこんな状況に陥ってしまうのか。
 ベッドに頭まで潜り込みながら涙をにじませたアリアは、熱くなったままの頬に両手を合わせながら、衝撃が強すぎて回転してくれない頭を何とか稼働させて現状を打開するための策を練っていた。
 打開案とはいっても、閉じこもるしか浮かばないのだが。
 閉じこもってしまった理由はただひとつだけだ。
 レイトルに思いをぶつけてしまった。
 最悪の形で。
 だってまさか、みんな揃っているなんて思わなかった。
「…どうしよー…」
 はぐらかすこともできないほど凄まじい勢いで逃げてしまったのはアリアだし、今に至るまで時間の間隔を開けながらアリアを部屋から出そうと扉を叩いてくれたメンバーの様子からしても完全にアウトだ。
 好きだと自覚してからは怒涛の勢いで意識しかしてこなかったのに、今はレイトルに会うのが怖い。
 アリアを好きだと言ってくれたのはけっこう前だった気がするから、今も好いてくれているとは限らないのだ、とはベッドに潜り込んでから気付いたことだ。だというのに、あんなキレたような告白をするなんて。
 どう思われてしまっただろうか。引かれてしまったのではないか。
 もし願いが叶うなら、今朝に戻してはくれないか。
 何度目かもわからなくなった重苦しいため息をつきながら、アリアは目尻の涙を拭った。
 部屋の扉を叩く音も聞こえなくなったので、本格的に呆れられてしまったのだろうかと少し現実的な不安にも駆られて。
 最初に呼びかけに来てくれたのが兄で、最後がアクセルだった。
 一人一人訪れてくれて、来ていないのはガウェとレイトルの二人だが。
 そろそろちゃんと落ち着こうと上半身を起こせば髪がぐちゃぐちゃに乱れてしまっており、服もよれてしまっていた。
 もしこんな時にレイトルが来てしまったら、と考えて慌てて手櫛で簡単に髪を整えたところで、扉を叩く音がゆっくりと室内に響き渡った。
 しかも。
「……アリア」
 扉の向こうから聞こえてくる声の主は最悪のタイミングでレイトルだ。
 どうしてこんなよれよれの状況の時に彼が来てしまうのだ。
「…ちょっといいかな」
「ま、待ってください!」
 慌ててベッドから飛び降りて、鏡の前で自分の姿を確認する。
 急いで髪を櫛で梳いて、服を綺麗に整えて。
「…アリア」
「い、行かないでください!待って!」
 レイトルが諦めてこの場から離れてしまう気がして、さらに身支度を急いだ。目元が軽く腫れてしまっているのはこの際仕方がない。
 会うのが怖い。でも会いたいのだ。どうしようもないほど。
 胸は高鳴りよりも心臓を掴まれたような痛みを感じるほど怯えているが、それでも。
 くしゃりと捲れ上がっていたスカートの裾をはたいて直して、扉に駆け寄って。
 開けようとノブに手をかけて、そこで身体は止まった。
「……レイトルさん、いますか?」
 ドキドキと痛いほど強くはねる心臓の音が耳にまで響いてくるような感覚。指先は震えて、サァ、と冷たくなっていく感覚まであった。
「…いるよ」
 扉越しに聞こえる声はどこまでも優しい。
「あの…あたし…」
「…できれば、顔を見せてほしいな」
 扉一枚というわずかな距離。彼の静かな息遣いまで聞こえてくる中で。
 震える指先を握りしめてから、扉をそっと開けた。
「…やあ」
 アリアよりも数センチだけ背の高いレイトルが、すぐそばで微笑んでいる。それだけでまた頬が灼熱に舐められたように熱くなった。
「…顔が赤い…意識してくれたから、で…いいんだよね?」
 さっきは間違えてしまったからと言い直すように、レイトルの少し冷たい指先が頬に触れる。
 とたんに涙が滲んでしまったのは、自分の感情の整理がまだできていないからだ。
 勢いで告白して、みんなに聞かれてしまって、逃げてしまったから。
 できるなら、もう一度やり直したいとベッドの中で何度も頭を抱えていた。
「…レイトルさん…あの…」
 やり直させてくれるだろうか。
「あたし…レイトルさんの、こと」
 そこまで口にして、なぜか涙腺が決壊した。
 ぼろぼろと溢れ出す涙が頬を伝ってレイトルの指先をぬらしていく。
 涙が溢れると同時に、喉も締め付けられたかのように声が出なくなってしまった。
 最後まで伝えたいのに、震えて、怯えて。
「…アリア…私が先に言ってもいいかな」
 そんなアリアから離れないでいてくれながら、レイトルは空いていたもう片方の手も涙に濡れる頬に添えて、両手で顔を上向けられた。
「…以前伝えた時から変わらない…いや、以前よりも…君が好きだよ」
 瞳を見つめてくれる真剣な眼差しが、アリアを温もりで満たしていく。
「私と…結婚を前提とした恋人になってくれないか?」
 あまりに優しい声色はアリアだけを気遣うかのようで、これが本当に愛情を与えられたということなのだと全身で理解した。
 以前の婚約者に囁かれた偽りの愛などでなく、そんなちっぽけなものなど吹き飛ばして綺麗さっぱり消してくれるほどの愛情。
「--…」
 口を開いて、はい、と言いたかったのに、強張った喉はまだ音を発してはくれなくて。
 言葉の代わりとなるように、アリアはレイトルの腕の中に身を寄せた。アリアの長身ではレイトルの肩に顔を埋めるような体勢になるが、それはレイトルの息遣いが間近で聞こえるからとても居心地が良かった。レイトルもアリアの様子に気付いてくれたようにそっと抱きしめてくれて、頭を撫でてくれる。何度も何度もだ。
 嬉しすぎて涙が出て止まらなくなる。強くしゃくり上げながら、鼻をすすりながら、アリアはレイトルの胸の中から離れることをしなかった。
 レイトルの腕の中は兄とは違う、全身を甘く疼かせるような居心地の良さがあった。
 少しの緊張感と、たまらないほどの幸福感。
「あたしも…好きです…ずっと、一緒にいたい!」
 泣きすぎて鼻詰まりの声でやっと切実に訴えるのは、どうしようもないほどの恋心だ。
「…ありがとう…すごく…嬉しいよ」
 耳元で聞こえてくるのは吐息混じりの愛おしげな声で、抱きしめられる力を強くされて。
「…ねえ、アリア」
 問いかけられたから顔を上げれば、口付けてしまえそうなほど近くにレイトルの少し苦しそうな顔があった。
「…いや、やっぱりいい」
 あまりの近さにドキリとしたが、レイトルに頭を押さえ込まれるように下げられてしまって。
「なんですか、それ」
 思わず笑ってしまって、それに反応するように頭を強く撫でられた。
「大切なことなんだけど、今言う必要ないかな、って思っただけ…今は、ずっとこうしてたいな、って」
 アリアを抱きしめたまま、離れないよう腕に力を込めたまま。
 先ほどのレイトルの苦しそうだった表情と、今の言葉と。
 その理由に、薄々とではあるが勘付いてしまう。
 レイトルがアリアのそばにいることを良しとしない気配はたまに感じていたから。
「…あたし、何があったって…レイトルさんの傍にいますから」
 まるで高らかに宣言するように強い意志で、でもレイトルにだけ聞こえるほどの微かな声で。
 この人と幸せになりたい。
 そう思えたから、そしてその願いの最初の一歩を今叶えたから。
「私だって同じだよ。私の方が先にアリアを好きになったんだから…それに今までずっと待たされたから…絶対に傍にいてもらう」
 互いに重要な件には触れないまま、先を見越したように誓い合う。
「…待ってくれててありがとうございます…待ちくたびれてしまってたらどうしようって、少し不安でした」
「私なんて、他の男に目を向けられたらどうしようって毎日不安だったよ」
「ふふ」
 嬉しくてたまらない。
 たとえこれからどんな困難に晒されようとも耐えられると思えるほどに。
「…じゃあ、みんなのところに行く?ここにいるみんなは、私達二人のことを祝福してくれてるから」
「…モーティシアさんもですか?」
 思わず口にしてしまって、あ、と気まずくなってしまって。しかしレイトルは笑うだけだった。
「アリアって、私が思ってた以上に聡かったんだね。大丈夫だよ。モーティシアも私たちの味方だから」
 その言葉には少し驚いてしまった。
 モーティシアはいつだって、アリアとミシェルを近付かせようとしていたのだから。
「君の幸せをしっかり考えた結果みたいだよ…だからもしかしたら、私が君を泣かせて不幸せにでもしたら、ニコル以上に怒り狂って私を遠ざけるかもね」
 愛おしそうに頭を撫でながら教えてくれるモーティシアの心情。
「…あたし、幸せ者ですね。みんながいてくれて」
 父が亡くなってから不安ばかりだった村での暮らしとは正反対だ。婚約者が居なくなってからは村の男達によって身体的にも恐怖に晒されたというのに、ここでは怖かったはずの男性が守ってくれたから。
 そしてこれからも、アリアを守ってくれるのだ。
「…みんなのところに行くの、もう少しだけ後でもいいですか?まだちょっと、恥ずかしくて」
 大切な仲間達だ。でも初っぱなに聞かれた大声での告白には恥ずかしさが強く残るから。
「もちろんだよ」
 レイトルの腕の中から身体を離されて、寂しさを感じるより先に手を握られて。
「ニコルから聞いたよ。いくつか服を買ったって。よかったら見せてほしいな」
 恥ずかしいからという理由でまだみんなに会いたくないアリアの為に話題を変えてくれて、思わず笑ってしまって。
「…全部は見せませんよ」
 レイトルを部屋に招き入れる。
 買いはしたが着るといやらしくなってしまう服は見せられないな、なんて考えながら、レイトルが扉をそっと閉めてくれる音を背中越しに耳にした。

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