第69話


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「…この国に彼はいると思う?」
 からくりの飛行船に乗ってラムタルに到着した次の日の朝、用意された簡単な朝食を囲みながらコウェルズ達五人はこの国にいるかもしれない存在のことを考えていた。
 ソファーに合わせた背の低い楕円形のテーブルの上には果物を中心にさっぱりとした料理が三品ほど並び、シンプルに見えるがラムタル国を象徴するかのように果物に細やかな彫刻が施されている。
 リンゴを彩る美しい彫刻を手にしたジュエルは食べることもせずウットリと見つめて、その様子を隣のルードヴィッヒが呆れるように眺めながらフォークでひと口サイズのパンケーキを選んで。
「彼…あなたとルードヴィッヒは彼を目にしているんでしたね」
「闇色の髪を持った者達と、空に浮かぶ船か…どう聞いても絡繰り技術としか思えない代物だな」
 コウェルズは搾りたての果実水ばかり堪能して、ジャックとダニエルはコウェルズの言葉を静かに脳内で反芻させて。
 コウェルズがファントムとその仲間を目にしたのは、リーンが救い出されたその日が最初だ。その少し前にクレアが国立児童施設でファントムと対峙しており、コウェルズ自身が再びファントムと会えたのはつい数日前。
 闇色の禍々しい髪をなびかせたパージャとファントムの存在感には凄まじいものがあった。
 パージャは騎士として王城に入り込んでいたから顔を覚えて当然だろうが、ほんの少しの時間だけ対峙しただけのファントムをいまだに忘れられないでいるのだから。
 手に入れた情報はファントム達がラムタルにいることを告げてくるが、絶対ではなくて。
「…あせるな、エテルネル」
 思いつめるように頭を使い続けるコウェルズの肩を、彼の偽名で呼びながらジャックが優しく叩いてくれた。
「私たちも彼はこの国にいると考えています。理由は、ラムタル王の性格とでも言っておきましょう」
「…性格?あの説教魔の?」
「それはあなたと王弟殿下限定…陛下はリーン様をとても大切に思ってくださった。それと同じくらい国も大切にしていた。いくら婚約者が大切だったとはいえ、亡くなったのなら他の婚約者を選んだはず。国のためにも。でもそれを、陛下はしなかった」
「“リーン姫以外を迎えない。ラムタルの未来は王弟とその妻の子供から”なんて愚かな言葉を陛下が口にした理由はもはや明白だ」
 リーンが生きていると知っていたから。
 だから新しい妻を、王妃となる者を迎えなかった。
 だから絶対に、リーン姫はここにいる、と。
 コウェルズよりもジャックとダニエルの方が確信している様子に、コウェルズはただ苦笑しかできなかった。
「お前も、最初に自分が確信した考えを尊重してやれ。何があろうが俺たちがいるんだからな」
 何があっても、どう転んでも。
 とても心強くて、焦ろうとする気持ちが少しだけ落ち着いて。
「さあ、朝食の後は少し休憩してからすぐ訓練ですよ。飲み物ばかり口にしないでしっかり食べなさい。ルードヴィッヒ、あなたはパンケーキばかり食べすぎです。バランスを考えなさい」
 ダニエルがコウェルズの小皿に満遍なく朝食を取り分けてくれながら、目を向けていなかったはずのルードヴィッヒにも注意をしてパンケーキに伸びていた手を止めさせた。
「…王城ではあまり食べられませんから」
 気に入ったのだろうパンケーキのおあずけを食らい、不貞腐れたような言い訳を聞かせてくるルードヴィッヒに、それもそうかと納得するのはコウェルズだ。
「王城の食料は侍女達の管轄だから、甘いものは基本的に侍女達の居住区画で占領されてるからね」
「え!?」
 ポツリと呟く真実に驚くのはルードヴィッヒだけで、そのルードヴィッヒは隣のジュエルに勢いよく目を向けて。
 驚くジュエルは少しだけ思案して。
「…そういえば、食堂当番の時に甘いものの献立を見たことがないですわ。居住区画のホールにケーキは数種類常備されていますが」
「昔から食堂で甘いものが振る舞われるのは何か祝い事があった時だけだったな。ビアンカ嬢が侍女長になってもそこは変わらないか」
 侍女しか入れない区画内の無慈悲な現実に、ダニエルも懐かしそうに頷いて。
「ずるくないですか?」
 しんそこ不満そうに眉を潜めながら批判するルードヴィッヒに、笑い声はジュエル以外の三人分だ。
「君か私がこの大会で優勝すれば、帰った時に盛大に甘いものを振る舞ってもらえるよ!頑張るしかない!」
 この悪習は今後も消えないと笑うコウェルズの助言に素直に頷く辺り、ルードヴィッヒ自身もほんのささいな改革者とはなれない証拠だった。
 今後も甘味は侍女の特権だ。
「そういうことなら仕方ない。好きに食べなさい。出場者に選ばれたあなたの特権でもあるからね」
 ダニエルもルードヴィッヒの可愛い一面に微笑ましげに笑い続けて、おあずけを取り下げればすぐにパンケーキに手は伸ばされて。
 あまりに素直すぎる行動にひたすら頬が緩み続けるが、ジュエルだけは不思議そうな表情のままだった。
「そんなにケーキがお好きでしたの?」
「いや…そういうわけじゃないけど…じゃなくて、甘いものは全般好きだよ」
「…クッキーも?」
「うん」
 パンケーキに果物を乗せてみたりクリームを乗せてみたりとそれなりのアレンジを器用にこなしてから食べていくルードヴィッヒに、ジュエルは首を傾げていた。
「…でも、あなたのお誕生月に贈ったクッキーには無反応でしたわ」
 コウェルズ達の目の前でどうやら幼い喧嘩が始まりそうな予感に、少し前まで真剣に考えていたファントムの件も忘れて静かに聞き入る態勢に入ってしまう。
 面白がるように静観の構えを取るのはジャックとダニエルも同じだった。
「…もらってないけど…いつの話?」
「あなたも私も王城にいる時です!騎士団に入団したお祝いのついでではありましたけど、きちんと用意しましたわ!」
「もらってないよ!祝いの品はガードナーロッド家から確かにあったけど、クッキーなんて入ってなかった!」
「そんなの嘘ですわ!上等な花蜜が手に入ったからきちんと作ってお渡ししましたもの!会える機会がなかったからお兄様に渡してもらうようお願いしましたけど!」
 もうその時点で犯人がわかるのはこの場ではコウェルズとルードヴィッヒくらいのものだろう。
「…渡したって…ミシェル殿?」
「そうですわ!お兄様も“渡しておいた”と言ってくださいましたもの!」
 妹溺愛ミシェルの静かな強行手段に、ルードヴィッヒが遠い目をして。
「どうせ私の作ったものなんて忘れてしまうくらい美味しくなかったのでしょう!今だって少し焦がしてしまうんですから!」
 完全に拗ねたジュエルの対応術などもはや誰にも分からなくて。
 ルードヴィッヒも困ったように顔を向けてくるから、言葉を発さずに唇だけで「謝っておけ」と助言したのは三人分だ。
「…その…すまなかった」
 自分は悪くないのに、と不満を表しながらも一応謝るルードヴィッヒにジュエルが何か言葉を返すことはなかった。
「さあ、今日もやることは沢山あるから、とっとと食べて準備を始めるぞ」
 強引に話題を終わらせるジャックの口元は何か気付いたように笑いの形に緩み続けていた。
 ジュエルは相変わらず拗ねていたが気まずそうなのはルードヴィッヒだけで、簡単に今日の動きを全員で確認し合ってから、朝食最後のパンケーキはジュエルの口の中に入っていった。
 今日の動きとは言ってもまだ到着して二日目だ。訓練以外でやるべきことはそれなりに顔馴染みを増やす程度に限られるので、コウェルズからすれば自由に動きまわれない不満は今すぐにでも爆発しそうだった。
 部屋の外に待機していたラムタルの侍女を呼んで、朝食を片付けてもらって。
 部屋に入ってくる侍女達の中にコウェルズの正体を知るイリュシーはいなかったが、皆きっちり仕事をこなしながらもチラチラとコウェルズを眺める視線は隠しきれていなかった。
 試しにしっかり目の合った侍女に爽やかに微笑んでみれば相手は恥ずかしそうに頬を染めてくれて、すぐにジャックから頭に軽いしばきが与えられた。
 そこへ。
「…あの」
 片付けの為に開けられたままだった扉から新しい侍女が頭を下げ、困惑したように後ろを気にしながらコウェルズ達に対話を求めてきた。
「どうぞ、入ってください。何かありましたか?」
 ダニエルが侍女に近づきながら用件はなんだと問えば、侍女はまず手に握っていた綱を引き、飛行船となる絡繰り犬をジャックの元に返した。
「おや…」
「申し訳ございません。飛行船から犬型に戻った後は自動的に魔力提供者の元に戻る仕組みのはずなのですが、なぜか城内を散歩しておりまして…」
 絡繰り犬はコウェルズを見つけると本物の犬のように嬉しそうに駆け寄り、立ち上がってベロベロと頬を容赦なく舐めてきた。
「…はは」
 もはや笑うことしかできないほど精密で自由な犬だ。後で魔力を抜いておこうと心に決めた。
「魔力提供者自体に放浪癖がありますので、移ってしまったのでしょう。お騒がせしました」
 迷惑をかけた侍女にダニエルが軽く頭を下げれば、あと、と言葉は続けられた。
「エル・フェアリアのジュエル様にお会いしたいという戦士の方が…」
 それが本題だとばかりにさらに申し訳なさそうに眉尻を下げるラムタルの侍女の背後から現れたのは、まだルードヴィッヒとあまり歳が変わらないだろう一人の若い戦士だった。

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