第69話


第69話

 パチパチと、何かが弾ける音がする。
 それはどこかで聞いたことのある音だった。
 どこで聞いたのだろうと暗闇の中の記憶の引き出しを開け続け探し続けて、ようやくそれと似た音を聞いた場所を思い出した。
 思い出したと同時に、その時に味わった匂いや目の痛みにも苛まれる。
そこは--
「--!?」
 目覚めたパージャが最初に視界に入れたのは、全てを覆い尽くそうとする黒煙の立ち上る空だった。まだ明るい時間のはずなのに、黒煙のせいで異様な暗さが広がっている。
 一瞬意味がわからず、しかしすぐに仰向けに転がされていた体勢を横に変えた。
 両腕は後ろに縛られ、足も動かない。
 焼かれた匂いは木々ばかりだったが、あまりの量に噎せ返った。
「っ…ゲホ!!」
 何度も何度も噎せて、染みる痛みに目を閉じて。
「…目覚めたか」
「ぐあぁっ!!」
 突然肩を遠慮もなく蹴られて、パージャは再び仰向けに戻ってしまった。何の前触れもない痛みに叫んだ喉に煙がダイレクトに侵入し、さらに強く咳き込んでしまう。
「おにいちゃん!!」
 そして聞こえてきたミュズの叫び声に、意識が覚醒するように強く目を開けた。瞬間、顔面を蹴られて身体が倒れていた場所から吹き飛ぶ。
 呼吸が止まるほどの痛み。しかし、傷は出血ごとものの数秒で消え去った。
「おにいちゃん!!」
 またミュズの叫ぶ声が聞こえて、もう一度目を見開いて。
 今度はうつ伏せとなった状態から顔を上げれば、目の前に広がる光景に言葉が消え去った。
 世話になった村の中央に位置する広場、だろう場所。
 確信が持てなかったのは、すべて破壊されて焼かれていたからだった。
 もともと人口の少ない村ではあったが、すべて破壊するなど。そしてパージャから数歩分だけ離れた場所に村人達が集められており、パージャと同じように後ろ手に縛られて座らされていた。
 ミュズは、パージャと村人達と三角を成す場所に立つあの男に抱えられて。
「み--」
「ミュスを離して!!お願い!!」
 パージャがミュズを呼ぶより先に、母親が絶叫するように懇願した。捕らえられて表情を青白くさせているが、これからどうなるかわからない恐怖より我が子を胸に抱いて守る方が大切なのだ。
「…ご婦人の娘さんか。どうりでお美しいと思いましたよ」
 男はミュスを抱えたまま母親に近付き。
「お願いします…ミュスを」
 先ほどパージャにしたように、遠慮のかけらもない強さで母親の胸を蹴り飛ばした。
「きゃあああっ!!」
「おかあさん!!」
 母親の甲高い絶叫と、ミュスの絶叫が重なる。その瞬間の男の恍惚とした醜い笑みを、パージャは見逃さなかった。
 人をいたぶって楽しんでいる。それは、今までパージャが見てきた最低の人間達と同じものだった。
「やめろ!!傷つけたいなら俺にしろ!!」
 倒れ伏したミュズの母親に覆い被さるように、父親が男を睨みつける。だが男は父親にフンと笑って見せただけで、後ろにいる仲間達に目を向けてしまった。
「…準備のほどは?」
 男と同じ衣服を纏った者達が、それぞれどす黒い槍を浮かせて魔力を込めている。まるで槍に魔力を圧縮していくような様子に、それが何かわからずとも悲惨なものだと理解ができた。
「…もう少し時間がかかります」
「そうか」
 仲間の一人の言葉に、男がまた醜く微笑む。
「…ならしばらく、楽しませてもらおうか」
 男がリーダーなのだろう。何かしらの準備を他のものに任せて、ミュズをパージャと両親の間に放り捨てる。
「ぎゃっ!!」
 衝撃と痛みに短い悲鳴を上げるミュズも手と足を縛られており、両手の空いた男はパージャに近づいて頭に片足を置いた。
「ミュス!!」
 両親がミュズを呼ぶ。村人達も。
 それでも動けないまま痛みにうずくまることもできないミュズが、不安を訴えるように静かに泣き始めた。
「なんと可愛らしい泣き声だ…もっと聞きたくなるようだな。なぁ、少年?」
 誰にも助けてもらえないミュズの泣き声に恍惚の笑みを浮かべながら、男がパージャの頭を踏みしめる。
 ミュズを救いたいのに、その痛みを堪えて唇を噛むことしか出来なかった。
「今までのように血生臭い場所に身を潜めていたなら、もう少し発見が遅れただろうに…こんな清涼な場所にいて、気付かれないとでも思っていたのか?」
 やがてミュズの泣き声に飽きたように、男がパージャの頭を踏みしめるのをやめないまま問うてくる。
「…るせぇ…クソ野郎」
 ようやく発した言葉は弱々しくて。
 何度も頭を踏みしめられて口内に砂ぼこりが入り、それが喉に引っかかってまた強く噎せてしまった。
 どうして逃げ続けなければならなかったのか知らないのに、訳も分からないまま理不尽な暴力を受けて。
「あんたの目的は俺なんだろ!なら他の人間なんかいらねぇだろ!!」
 ミュズや村人達を巻き込む必要などないはずだ。そう思い叫んだ瞬間に、頭が踏み潰された。
 突然の虚無。ふいに戻る意識と視界。
 聞こえてきたのは村人達の絶叫だった。
 最初は意味などわからない。村人達が何かされたのかと思い顔を動かしてみれば、彼らの恐怖を含ませた絶叫はパージャに向けられていた。
「…不死の肉体。他者からすれば、ただの化け物のようだな」
 男の言葉が何を示すのかなど、頭を働かせずとも理解できる。
「--ワシらは関係無いだろう!!離してくれ!!」
「そいつを匿ってたのはこの二人だけだ!!巻き込まんでくれ!!」
 村人達がミュズの両親を差し出すように手足の縛られた身体で二人を押しやり、男の方へと倒されて父親が村人達を鋭く睨みつけた。
 その途端に父親の身体からわずかな魔力が黒い霧となり溢れ出すが、敵の一人が突然現れて手にしていた槍で父親の肩を刺し貫き、魔力の霧を霧散させた。
「うわああああああああっ!!」
 肩から空間を開けて地面まで貫通した槍を伝うように大量の赤黒い血が溢れ、父親の痛ましい姿と絶叫に、ミュズの泣き声にもさらに火がついた。
「あなた!!」
「おとうさああぁん!!」
 母子が喉を潰すほどに叫ぶ様を、言葉を無くした村人達はどうとらえたか。
 パージャもあまりの出来事に言葉を無くしたまま、パージャとは違い傷の治らない身体の痛みに震える父親をただ見つめることしかできなかった。
「リステイル、勝手な真似はするな」
「…申し訳ございません。ですがクィルモア様の御子息様の様子でしたので」
 父親の肩を刺し貫いた存在は、フードを目深に被っていたためにわからなかったが、女の声をしていた。女で、そしてどこか仲間であるはずの男を警戒するような声色で。
「…なるほどな。確かにあの魔力はクィルモアの子どもで間違いないだろう。だがあまりにも微小だ。何かできるはずもない」
 下がれという男の指示に、女が槍を引き抜いて一瞬で元の場所に戻る。
 父親は槍を引き抜かれたことによりさらなる激痛に見舞われることになったが、歯を強く食いしばっていたのか低い呻き声だけで堪えてみせた。しかしボトボトと肩から落ちていく血が止まる様子を見せない。
「あなた!!」
「大丈夫だ!!…ミュスの、そばにっ…」
 声を出すことすら苦しそうに、妻にそう告げて。
 母親はあまりの出来事と恐怖と不安に涙を浮かべていたが、強く唇を噛んで頷き、這いずるようにミュスに近付いていく。
 母親が娘を思う姿。
 それすらも面白がるように男は笑みを絶やさなかった。
「母さんはどこだ!その子に何の用がある!」
 父親が痛みをこらえて膝立ちになり、この場にいない老女だけでなくパージャをも案じてくれる。
 その勇ましさに敬意を示すように男が片膝をついて父親の顎を持ち上げるが。
「…クィルモアも使えん子供を産んだものだな…お前が女だったなら治癒魔術も使えただろうに…血が薄まったせいであの子供にも魔力は存在しない…」
 言われた意味を理解できていない様子に、男がため息をついて立ち上がった。
「クィルモアはお前達に何も話していなかったのか…国を蔑ろにするとは、どちらが裏切り者だというのだ」
 まるで独り言のように呟いて、そして。
「頼む!!わしらは助けて--」
 救いを懇願する村人達に、男が魔力を放つ。それは一瞬で燃え盛る炎となり、村人達を襲った。
 村人全員分の凄まじい叫び声に、耳が潰されそうになる。
 同時に強風のような熱波に苛まれてミュズの両親がミュズをかばうように倒れこむが、パージャは村人達から目を離さなかった。
 今はパージャを切り離そうとした人達だ。だがとても優しい人達だったのだ。
 可哀想な生い立ちを語ったパージャの為に果物や服を分け与えてくれた人達。
 その人達が、手足を縛られ身動きが取れないまま焼かれ、まるでウジのように炎の中をのたうちまわって叫び続けている。
「やめろぉ!!」
 生きたまま焼くなど、酷すぎる。
 思わず叫んだパージャの声も、焼かれ続ける村人達の絶叫に掻き消されてしまった。
 やがて声帯も焼けたのだろう、音がひとつひとつ消えるように叫び声が少なくなっていき、男が魔力の炎をようやく消し去った時、その場に残るのは人の形をした大量の炭のような何かと、おぞましい臭いだけだった。
 呆然とその光景を目に映す。
 パージャはそれらが村人であったと知っているから人の形を認識できるが、そうでない者が初めて見たならば、人だと判断するのに時間がかかったはずだ。
 そして男は、炭の塊となった村人達の死体を鼻で笑い、未だに槍に魔力を込めている仲間達に振り返って。
「溶ける方と灰になって消える方に賭けた者達の負けだ。城に帰ったら用意をしておけ」
 パージャ達にはわからない内輪の話しで、男とその仲間達が笑う。
 仲間達全員というわけではなかったが、恐らく村人を使った“賭け”に参加していないのだろう数名以外は男と同じように下卑た笑い声を聞かせてくれた。
 なぜこんなことができるのだ。
 同じ人間であるはずなのに、どうして。
「さあ、まだ準備に時間がかかりそうだ。もう少し楽しもうじゃないか」
 男は再びパージャに目を向けたが、その足はパージャには向かわなかった。
「や…やめろ!!みんなに近付くな!!俺だけ狙えばいいだろ!!」
 用があるのはパージャだけのはずなのだから、パージャだけに拷問でもなんでも行えばいいというのに。
「この娘、お前の心に宿るのだろう?」
 男の足はミュズ達の元に向かい、縛られた手足で必死にかばう両親からいとも簡単にミュズを奪った。
「いやああああぁぁ!!ミュスを離してえぇ!!」
「娘を返せ!!」
 何とかミュズを取り戻そうとのたうちまわる二人を見下ろしながら、男はまるで我が子を抱き上げるようにミュズを胸に抱いた。
 ミュズは目の前で起きた凄惨極まりない出来事に言葉を無くしてただ震えている。
「…クィルモアの孫娘か。治癒魔術を使えたなら記憶を書き換えて城に連れ帰ったが…そうでないなら仕方ない」
 男が恐怖に引きつり真っ白になっているミュズの頬を赤い舌で舐め、ミュズの身体がびくりと震え上がった。
「お前!!その子を離せよ!!」
 老女が守ってくれた今のミュズという名前を隠しながら、ミュズの為に叫ぶ。
「何なんだよお前ら!!俺ばっか追いかけ回してやがったくせに!!何が目的なんだよ!!」
 今まで散々パージャだけを追いかけて苦しめてきたというのに、なぜパージャ以外を手にかけるのだ。
 ずりずりと必死に身体を虫のように動かして男に近付くが、そんな努力を嘲笑うように近付いてきた男がパージャの背中を踏みしめた。
「っぐ」
 バキリと骨の折れる音が全身に響き渡り、呼吸が止まる。
「恨みつらみがお前の身体に溜まれば溜まるほど、彼の流れにその身を浸した時にお前という存在は素晴らしい甘露となり、あのお方への最高の慰みとなるのだ。緋の魂を持っていることも素晴らしい」
 背中を踏まれたまま折れた骨が再生されて、圧迫感に呼吸が出来ず指先から全身が重く鈍くなるような感覚に苦しめられる。
 それでも。
「その子を…離せ…」
 力の宿らない声で、懸命にミュズを救おうと。
 自分にもっと力があればよかったのに、今のパージャは魔力を放出するだけのことすらも出来なくて。
 身をよじって背中に置かれた足をどかそうとしても、無力を見せつけられるだけだった。
「さあ、よく見ておきなさい」
 男はパージャを踏みつけてミュズを抱き上げたまま、片手をミュズの両親へと突き出す。
 いったい何をするつもりなのか。手を向けられた二人は息を飲むように表情を強張らせて様子をうかがうように固まり、その二人めがけて魔力で作られた巨大なムカデが放たれた。
 足の動きひとつひとつがあまりにも滑らかでおぞましいというのに、人の顔ほどの胴体をしたムカデは迷うことなくまとめて捕らえ、男に抱き上げられたミュズと同じ目線の高さに二人を浮かばせる。
 ひっ、とミュズの喉の奥から悲鳴にもならない引っかかったような音がして、巨大なムカデに拘束された両親の姿にガタガタと震え始めて。
「目は閉じるな--」
 男の言葉を合図に、捕らえられた両親の表情が変わっていった。
「あ……ぁぁあああああああ!!」
「熱いぃ!!あああああああ!!」
 炎の影など見えないというのに異常な熱さを訴え始める二人の声は、次第に先ほどの村人達のような絶叫に変わった。
 そして地に伏したままのパージャにも届く、妙な熱波。
 両親二人を捕らえるムカデが段階を踏むように発熱しているのだと気付いた時には、肉の焼ける匂いと煙が立ちのぼり、いつも穏やかだった表情は激痛に苦しむ恐ろしい形相になっていた。
 途切れない悲鳴。火の手は上がっていないというのに焼けた皮膚が硬化し、黒ずみ、ひび割れて血が噴き出した。
「おか、さ……と、さ…」
 目の前で両親がゆっくりと焼かれていくのを、ミュズはただ見せつけられていた。
「見るな!!目を閉じるんだ!!」
 地に伏した状態のパージャですら悲惨な地獄絵図に震えるというのに、ミュズに耐えられるはずがない。
 背中を踏みしめられた状態で大声は出なかったが、それでも力の限り叫んでミュズに目を閉じるよう何度も訴え続けた。
 でも。
「…少し静かにしていろ」
「----っ」
 背中から足が離れたと思った瞬間に、思いきり頭を蹴られ、意識を手放してしまった。


 暗転した意識はその間の記憶を抹消したかのように目覚めたパージャから時間の概念を取り払っており、今までの状況をふと思い出して全力で顔を上げて。
「……ぁ」
 静寂に包まれていた。
 何もかもが。
 ミュズの両親が焼かれる苦しみに叫んでいたはずなのに。
「…ミュ……」
 地面に転がされたままのパージャの前で、ミュズは手足の拘束を外されてぺたんと座り込んでいた。
 男の姿は見えない。
 そして、パージャにも良くしてくれた二人は。
「----!!」
 ミュズの向こう側に見えた二人も地面に降ろされていた。
 恐ろしい形相のまま、炭へと変化して。
 二人の苦しみは指先にまで現れており、身体を焼く熱から逃れたかったのだろう、掻きむしるように指先にまで力が入った状態のままあった。
 身体が曲がっていないのは、ムカデが最後まで二人を逃さなかったからなのだろう。
 両親の凄惨な死体を見つめたままミュズは動かない。
 まるで息もしていないと思えるほどに静かだった。
「ちょうど目覚めたか。こちらも準備が出来たぞ」
 身動ぐパージャの背後から聞こえてきた男の声に、びくりとミュズの肩が跳ねる。
 ミュズは生きていた。よかった。
 そう思える心の余裕などなかった。
 パージャが男の姿を確認しようとするより先に、肩を軽く蹴られて仰向けにさせられる。後ろ手に縛られた両腕が痛んだが、唇を噛み締めて悲鳴をこらえた。
「余興には充分な逸材だったな…お前と出会ったばかりに死ぬ羽目になったのだから」
 男の手には、先ほど男の仲間達が魔力を送り込んでいた黒い槍が一本握られている。その後ろに同じ槍を手にした者達も立っていて、いくつも溢れかえるような禍々しい気配は全てその槍から発されていた。
「…まだこれは研究途中のものだが…捕らえておく程度には充分なはずだ」
 男はわずかに掲げた槍を自慢するようにパージャの目の前にも突き出し、その槍の先でパージャの脚を縛っていた紐に触れた。
 紐すらも魔力で作られていたのだろう。槍が触れた瞬間に紐が消え去って足が自由になり。
「--ぅあああああああああ!!」
 縛られた反動のように軽く開いた左足首に、槍は突き立てられた。
 地面に縫い付けられて凄まじい痛みが足から全身を襲う。
 いつまでも苦しめ続けるような耐え難い痛みに襲われ続けるパージャの空いた右足首にも、もう一本の槍が突き立てられた。
「----っ!!」
 一段と強い絶叫を上げる前に下腹部にさらにもう一本。
 数秒の間だけ開けて、両肩にも一本ずつ槍は突き立てられた。
「…なるほど。五本あればひとまずは充分ということか」
 まるで研究のための実験動物の結果を品定めするような声で、男がパージャの胸部を蹴りつける。
 五ヶ所の激痛に苛まれながらも男を睨みつけてやろうと首を動かしたパージャだったが、それを目にして言葉を無くした。
 下腹部や足には目を向けられない。だが肩に突き刺さった槍の周辺から溢れ続ける血が一向にパージャの体内に戻ろうとする気配がなかったのだ。
 今まで何度か刃物を突き立てられたことはあった。しかし傷から血が溢れたとしても、数秒程度で黒い霧へと変化してパージャの元に戻っていたのだ。それが、鮮やかな赤の液体のままで。
「な、んで…」
 痛みも治らない。むしろ真新しい痛みが軽く身動いで槍の刃が肉を切るたびに凄まじく溢れかえった。
「これはな、対不死者用に武器と呪術の研究を重ねて出来た未完成品だ。槍に貫かれている間は、傷は治らずお前たちを苦しめ続けるようになっている」
「な……」
 不死の者を苦しめ続けるためだけに特化したと、それがどれほど恐ろしいか、本能的に恐怖した身体は漠然と察した様子だった。
「…お前の産まれた気配に気づいてから14年。ようやく捕らえたぞ。まさかここまで長く姑息に逃げ回り続けるとはな…しかしそれももう終いだ」
 貫かれてすぐの時に比べれば激痛は去ったが、それでも槍に貫かれている痛みと恐怖は治らない。
 心臓が凄まじく鼓動を打つからその震えに新たな痛みが生まれ続け、今までここまで苦しんだことのない身体がパージャの思考から逃げるという意思を奪ってしまった。
 浅い呼吸を繰り返し続けるパージャに、男は片膝をついて近付き。
「……おに、ちゃ…」
 聞こえてきた場違いな幼い声に、二人同時に、そちらへと目を向けた。
 ミュズがこちらを見ていた。両親の亡骸に手を添えながら。
 まだ枯れていなかった涙が、パージャに救いを求めるように頬を伝って落ち続けている。
 そのミュズに近付く影があった。
 男の仲間の一人がミュズに近づきながら手の中に魔力で両刃の長剣を生み出し、ミュズに向かって振り上げる。
「--やめっ」
「やめろリステイル」
 さらに強い痛みに苦しめられることも構わず叫ぼうとしたパージャに味方するように、男が仲間を止めた。
 ミュズに剣を振り上げたのは先ほどミュズの父親の肩を槍で刺し貫いた女で、フードを被ったまま蔑みの眼差しを男に向けていた。
「…もうこの子には何の価値もない。このまま苦しめられるくらいならひと思いに殺してしまった方が人道的でしょう」
 まるで殺すことこそが救いであるかのような言葉にパージャは強く眉をひそめたが、男も同じように女を強く睨みつけていた。
「…勝手な真似はするな。その娘にはまだ使い道がある。下がっていろ」
 睨みつけはするが、パージャとはあまりにも違う思考で。
「……私達の最終目的はその少年ではありません。その少年に全ての憎しみを背負わせる必要など無いはずですが?」
 それでも食い下がる女めがけて、男が何かを投げた。
 恐らくは魔力で作り上げた短刀だったのだろう。女の頬をかすってフードを落として短刀は消え、女の容姿が晒される。
 まだ若い、とりたてて美しいというわけではない女。しかしその眼差しは、パージャを助けてくれた老女のように深い世界を知るような凄味を帯びた色を灯していた。
「…下がれ、リステイル。国王派であれ容赦しないぞ」
「この少女を解放すると約束してくださるなら」
「……今さら王子への贖罪のつもりか?」
 最後の男の言葉に、それまで表情ひとつ変えなかった女の眼差しに隠すつもりのない怒気が発された。そして。
「--リステイル!落ち着くんだ!」
 目深にフードを被った別の仲間が女の隣に表れて、その場を取り繕うように女の腕を引いて離れていく。
 離れた場所にいた男の仲間達は、二つのグループに分かれるように互いにわずかに離れて男を見守っており、女がそのひとつに戻った後に、女のいないグループの者達が優雅な足取りで男に近付いてきた。
「…傷の状況はいかがでしょう?」
 一人の問いかけに、先ほどまで不愉快そうだった男が再び笑みを浮かべて。
「このままでも使えないわけではないが、やはり刃を抜けば傷が戻るのは改善の余地がある。こいつを彼の流れに落とすまでは、しばらく我々の研究に役立たせよう」
 痛みに苦しむパージャを囲いながら、見下しながら。
「…道を開けろ。その娘にこいつが見えるようにしてやれ」
 パージャをぐるりと取り囲む者達に移動を命じて、パージャとミュズが再び視線で繋がって。
 震えて怯えて、目の前で両親を焼き殺されたミュズの、またも目の前で。
「…お嬢さん。よく見ていなさい」
 男の手がパージャの顔の上に乗り、そのまま魔力で顔の皮膚が破壊された。
「ああああああっ!!」
 自分自身の絶叫が喉を引き裂こうとする。灼熱に焼かれたかのような痛みが顔面を襲い、そしてその痛みは今までのようにすぐ消えはしなかった。
 おかしな槍に全身を貫かれているためなのか、魔力で強引に顔の皮膚を分厚くぐちゃぐちゃに引き裂かれたまま、いつもならすぐに治るはずなのにその気配が訪れない。
 唇はめくれ上がり、鼻はちぎれ飛び、まぶたも裂けて眼球が露わになる。
 その状態のまま、ミュズと目が合った。
 パージャの顔が破壊されるのを最初から見ていたのだろう。呆然と目を見開いたまま何が起きたのか理解するために固まり、血塗れのパージャと目が合ったことにより全ての恐怖から逃れるように目を剥いて気絶してしまった。
 目の前で村人を焼かれ、両親を殺され、パージャをいたぶられ。
 幼い身体でここまでの悲惨な光景に耐えてきたこと自体が奇跡なほどだった。
 そのミュズを、男は魔力で引き寄せて。
「……目を覚ませ。まだまだ序の口だ」
 片腕でミュズを抱き上げて、額に魔力を注いで。
「--っ」
 何かに驚いたように突然目を見開かせて、ミュズは気絶していた数秒に驚いたように震え、再びパージャを見てしまった。
 言葉は出ない。涙もだ。ただ、ガクガクと身体は強く震え始めていた。パージャを見たまま、目を合わせたまま。
「さあ、ここの皮の下は何だと思う?」
 男はまるで生徒に優しい問題を出す教師のように優しい声を出し、ミュズを無理矢理パージャに近づけて、パージャの顎のあたりにめくれた状態で残っていた皮をつまんだかと思うと一気に首筋へと引きやぶった。
「ッガアアアアアアアアアア!!」
 あまりの衝撃と痛みに絶叫して、その動きに槍で貫かれていた肩と下腹、足にまで新たな痛みが血とともに吹き出す。
「やだ…やめて…」
 小さな声で懇願するミュズの頭を撫でて、強張る手のひらを開かせて、ちぎり取ったパージャの皮膚を置いて。
「やああああああああ!!」
「…美しい泣き声だ…血は薄まろうともメディウム家のものであるはずだ」
 血にまみれた皮膚の生々しい感触に絶叫するミュズを、男は恍惚とした目で見続けていた。
 ミュズにばかり目を向ける男とは異なり、その仲間たちはパージャの身体に群がって衣服を剥ぎ取り始めていた。
「やはりこの術の武器に斬りつけられている間は傷の治りが遅いですが、完全に治らないわけではないようですね」
「槍から近い場所と遠い場所で治りに差があるのかも調べてみましょう。ようやく手に入れた検体です。彼の流れに浸すまでは慎重に…」
「なに、死なないのだから平気でしょう」
 もはや抗う術もないまま、気が狂いそうなほどの激しい痛みに苛まれ続けながら、恐怖に引きつるミュズの視線と合わさることだけが救いのように目を逸らせないまま。
「…皮は全て剥いでおけ。筋肉と内臓への負荷も調べておきたい」
 終わらない責め苦に何度も痙攣を起こす。
 男達がなにを言っているかさえ理解できなかった。
 ただ体から皮膚がちぎり取られ、筋肉組織を切除されていく事が自分からは見えずとも理解できたのは、パージャが見つめるミュズが、全てを目に写していたからなのだろう。
 自分の悲鳴も認識できない状況下で、ミュズの瞳だけがパージャに残酷な現実を教えてくれる。
 救いなど訪れない。
 パージャにもミュズにも。
 過酷な世界を生きてきたパージャでさえ耐えられない苦しみの最中にあって、まだ幼いミュズにその光景が耐えられるはずがないのだ。だというのに、限界を超えたはずなのに鬼畜の所業を無理矢理見せ続けられて--

「 」

 パージャ達を苦しめるだけの中で、ふと響いたその声を、パージャは聞き取ることはできなかった。
 気づかないうちに、ふわりと痛みの波が和らいだ気がして。
「--少し我慢して!!」
 突然パージャの耳に焦りを帯びた艶やかな女の声が響き、同時に片足の槍が引き抜かれた痛みに襲われた。
「っあああああ!!」
 強烈な痛み。しかしそのあと数秒で痛みは和らいで。
 その後にもう片方の足の槍が、さらに下腹部に刺さっていた槍も引き抜かれた。
 引き抜かれる時の痛みさえ堪えれば、後は不死の体が傷を癒して。
 両肩の槍が抜かれた時にパージャが目にしたのは、自分とよく似た闇色の髪を持つ女が懸命にパージャに励ましの言葉をかけながら涙を流す姿だった。
 その女はどこか老女に似ていて、そして、ミュズにも似ている気がして。
 全ての槍が引き抜かれ、身体が修復していくのを感じ取り。
「--よくもここまでやってくれたものだ」
 女に上半身を抱き上げられながらパージャが目にしたものは、パージャとミュズと女を守り抜くように背中を向けている、パージャと同じ闇色の髪を風になびかせて立つ男の姿だった。
 その向こうにはパージャを苦しめた者達が、たった一人に苦戦するかのように険しい表情を向けて戦闘態勢に入っていた。
 助けてくれた女に怯えるように反対側からミュズがパージャに身を寄せてくる中で、パージャの視線は背中を向けてくれる闇色の髪の男から逸れることはなくて。
--ああ、この人が…
 老女の言っていた、救いなのか。
 蓄積された苦痛と疲労と緊張が彼を目にした途端に一気に解放されて、安堵の気絶を受け入れたパージャが最後に視界に映したのは、ちらりとこちらに目を向けた美しい男の横顔だった。

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