第67話


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「--ねえ、これはどう?」
 元気を取り戻したアリアがどこか照れながら、自分の体の前に衣服を合わせて尋ねてくる。
 白ベースに水色のリボンをあしらった可愛らしい薄手のワンピースだが、リボンが多すぎてどこか子供っぽい印象が拭えない。
「…こっちのがいいんじゃないか?」
「可愛くない!!!!」
 背も高く体のラインも何もせずとも強調されてしまうアリアにその服は不似合いだろうと一番シンプルな深緑のワンピースを手に取れば、食い気味で拒絶されてしまった。
 二人がいる店はハイドランジア家で働く使用人の娘達から教えてもらった衣服屋で、安すぎず高すぎず可愛らしい服がひと通りそろえられる人気店として有名な店らしい。
 服屋に訪れた理由はハイドランジア家で用意された衣服にどうしても袖を通す勇気が無かったからだ。
 貴族間では泊まりの訪問客が身軽に遊びにこれるように衣服は用意しているものらしいのだが、そんな環境にいたことのないニコルとアリアはどうしても借りて着ることが躊躇われ、今日はとりあえず衣服だけ買いに出ることにしたのだ。
 そしてそのことを伝えた時、ネミダラとビデンスは「金額にとらわれず自分が欲しいと思った服を買いなさい」と助言してくれた。
 最初はあまり高くない、むしろ安い店がどこにあるのか尋ねたのだが、今のニコル達にその固定概念は卑屈すぎると軽く叱責された。
 生まれは貧しかろうともニコルとアリアは力を認められて王城で勤めることができた者なのだから、給金に見合った生活をするべきだと。
 欲しいものが安かったのなら構わない。しかし見る前から安いものをと決めつけることは視野を狭めることであり、値段が高いものにはそれだけの価値が付いてくるのだと。それだけの価値のあるものに正当性を示すわかりやすい方法が金額なのであり、節約は素晴らしいが見る前からケチる姿は人として美しくないと諭された。
 アリアのいる村のためにお金を使わずに生活してきたニコルも、数ヶ月前まで極貧生活を送ってきたアリアにもその考え方は素直に受け入れられるものではなかったが、お金を使わないことがお金を大切にするということではないと教えられ、価格は見ないことに二人で決めた。
 どのみち王城からの給金は物価の高い城下町でも凄まじい金額なのだ。今まで使わずにいた二人にとって、販売されている衣服なら価格はほとんど気にするほどのものではなかった。
 ビデンスがハイドランジア家から連れてきた使用人の娘達は遠方から出稼ぎに訪れている貧しい村の娘達だが、村にお金を送るのは勿論だが、自分が働いた正当な報酬として欲しいものもきちんと買っているそうだ。
 いくら働いても貧しい者達からすれば羨ましく映るかもしれないが、彼女達は自分の足でここまで訪れ、自分で働き口を見つけて職にすることができた。それは正当な報酬として充分宣言できるものだと。
 ネミダラやビデンス、そして使用人の娘達から諭され、お金に対する考え方を改め、今までの自分達を労うのだと決めて。
 今までの給金を預ける為の銀行については無知が凄まじく、ネミダラが後日一緒に銀行に行ってくれることに決まっている。
 そうして教えてもらった店に最初に足を踏み込んだ時はニコルとアリアのあまりの衣服のボロさに遠回しに追い出されそうになったが、買いに来たときちんと伝えれば渋々引き下がってくれた。
 それでも売り物を汚されやしないかと監視を受けているので、先に何か一着買って着ておいた方がいいかもしれないと思った矢先にアリアが選んだ服が子供っぽかったのだ。
 ニコルの選んだ服は可愛くないと頬を膨らませたアリアはどうしても自分が選んだワンピースを手放したくないようだが、これがネミダラが言っていた「気に入ったものを」ということなのだろうか。
 しかしニコルには、本当にどうしてもアリアが手にするワンピースが似合うとは思えなかった。
「…あの、ご試着もできますよ…」
 平行線を辿ろうとするニコルとアリアの睨み合いに、遠巻きに監視していた店員が決意するように近付いて話しかけてくる。
「え、着れるんですか?」
「ええ。あちらに個室がありますので、二着とも試されますか?」
 まさか買ってもいないのに試しに着ることができるとは思わず驚いていれば、半ば強引に背中を押されるようにアリアが個室に連れていかれてしまった。
「そちらもお預かりしますね」
 どうやらニコル達を監視していた店員の女性はキビキビと動く性格のようで、一度動き始めると無駄を省くようにニコルが手にしていた深緑のワンピースも奪っていき、どこにいればよいのかもわからず立ちすくんでいたニコルもアリアのいる個室前に移動させてくれた。
「--ちょっと!あんな人達が買ってくわけないじゃない!」
「だってずっと手にとって見てたし!」
 アリアを待っていると少し離れた死角から店員の声が小さく聴こえてきたが、身なりが身なりなので仕方ないかとため息をつく。
 そこに。
「…兄さん…いる?」
「いるぞ。何だよ」
「…お姉さん呼んでほしい…」
 扉で仕切られた個室の向こうからアリアの情けない声が聞こえてきて、何事かと思う前に先ほどの店員が戻ってきてくれて「よろしいでしょうか?」とニコルには見えないように自分だけサッと個室に上半身を入れ。
「あーーー…お次はこちらを着られますか?」
「…はい」
 ニコルには見えない向こう側で、何かを察したかのように店員が妙な納得の声をかけ、アリアはどうやら二着目に入ったようだった。
 そしてサッと戻ってきた店員がニコルに笑顔を向けて。
「お兄さんが大正義でしたね」
 どこか申し訳なさそうな笑顔だが、なぜか嬉しそうでもあった。
 そしてまた少しだけ待ってから、今度はしっかりと個室の扉が開けられる。
 そこには深緑のワンピースを綺麗に着こなしたアリアがいて、ニコルが選んだ服が似合う自分にあまり納得していない表情をしていた。
「とてもお似合いですよ!」
「…ありがとうございます」
 ボロい服を着ていたとはいえ王城ではしっかり入浴していて肌も綺麗なアリアだ。綺麗な服を着れば、最初の薄汚れた印象など見事に吹き飛んだ様子で店員のテンションが一気に上がった。
「お前が選んだ服はどうだったんだよ?」
 自分が選んだ服がアリアに似合っていることは置いておき最初に着たはずの服のことを尋ねれば、アリアは口を開かない。仕方ないので店員に目を向ければ、また先ほどと同じように申し訳なさそうな、だがどこか嬉しそうな表情をして。
「似合っていない、というわけではなかったのですが…」
 そこで言葉を途切れさせる店員に、アリアが諦めたように「全部言ってください」と力なく呟く。
「あの…背が高くて体のメリハリもとても綺麗なので、こちらのドレスワンピースは見た目以上に生地が薄くて切り返しの作りも位置が高いので…」
 そこで一度言葉が途切れてから、
「どうしても夜のイメージというか、少しいやらしくなってしまいますね」
 その事実にニコルは店内であることも忘れて大笑いを響かせた。
「そんなに笑うことないでしょ!ひどい!!」
 アリアもまさか店員がそこまで言うとはと顔が真っ赤になっている。
「似合わないわけではないんですよ!足も長いのでとても綺麗に着ていらっしゃったんです!ただ、イメージとしましてはどうしても“夜”です」
 店員があまりにはっきり言ってくるのでそろそろ笑いすぎでお腹の引き攣りが限界だ。
「もー…」
 アリアは顔を真っ赤にしたまま俯くが、個室内の姿見に写る深緑のワンピースを着た自分を気にしているので、ワンピースを気に入りはしたようだった。
「それはもう着とけ。あと何枚か見るだろ」
「…うん」
「店員さん、この服買うからこのままでいいですか?」
 着替えるのも面倒なのでそう伝えれば、購入に繋がったことが嬉しかったのか店員の顔がさらに明るくなっていた。
「ありがとうございます。では最初のお召し物は預かっておきますね!お会計も最後にまとめてで大丈夫ですから!」
「助かります。お願いします」
 店員はアリアの手からボロい服を大切そうに預かってくれて、その姿はとても好感が持てた。そして「ごゆっくりどうぞ」と離れてくれた。
 どうやら店員に客として認められた様子でホッとして、先ほどよりもゆっくりと服を見ることができるようになった。
「それにしてもショックだったなぁ」
 自分が選んだ可愛い服を見事に夜と言い切られるほどにいやらしく様変わりさせてしまったことにだいぶショックを受けている様子で、手に取る服が今着ているシンプルなワンピースと似たり寄ったりになってきている。
「それにしても、なんで兄さんにはわかったの?まだどっちも着てなかったのに」
 アリアの不満の矛先がニコルに向かい始めるから、どうしてだろうと考えてみるが、思い当たることはひとつしかなかった。
「七姫様達を見てきたからな。なんとなくだが、クレア様がオデット様やコレー様の服を着ようとしてる感じに思えたんだ」
 姫達の中で一番スタイルの良い第三姫が、まだまだ子供である第六姫と第七姫のドレスを。
「……そんな風に見えてたんだ」
 それは確かに似合わないだろうと、ようやく納得してくれた。
「服だけ見た時は可愛かったのになぁ」
 それでもまだ諦めがつかない様子で、手の中にはまだ自分が選んだワンピースを持っている。
「似合わないわけじゃないんだろ?気に入ったものを買えばいいとビデンス殿達も言ってくれてたんだから買うか?」
 少し意地悪をしてみれば、背中を叩かれてしまった。
「そんなことより兄さんの服も探すの!!あたしだけ着替えてるとかなんかイヤ!!」
 拗ねたアリアが男用の売り場に向かうから、笑いながら後に付いていく。
「最低でも三着くらいはいるだろうな」
「何日くらい外にいるか決めたの?」
「いや…でもまあ、多くて十日が限度だろ」
 本当は王城に戻りたくないが、そういうわけにもいかない。髪を切ったからか、前向きな考え方ができるようになったのは有り難かった。
「…あ、兄さん!これ!これがいい!」
 そして男ものを見ている最中にアリアが嬉しそうに手にした服は、パステルカラーのフリルが可愛いロングシャツと揃いのパンツだった。
「…こっちだな」
 それを無視して向かいの黒の味気ないシャツを手にする。下も適当に見繕った。
「なんで!?」
「お前の好みを信じないことにした」
「ひどい!!」
 キャンキャンと抗議するアリアを無視していれば、男物の売り場には男の店員がいる様子でさっそく個室に案内される。中はこうなっていたのかと狭すぎない個室で着替えてみれば、無難に着こなすことができたのでとっとと決めた。
 どうやら自分は服にあまり興味がないようだと思いながら男性店員に購入を伝えたが、アリアと同じように新しい服を着たままもう少し見て回ると伝えると、最初に来ていた服に対して男性店員が吐いた言葉は、
「捨てておきましょうか」
 だった。
 その言葉に、怒りが込み上がる。
 大切なものを踏みにじられた時と同じ感覚。
 突然のニコルの変化に男性店員が言葉を詰まらせて動揺していると、
「--すっごい似合ってますよ、その服!お兄さんの最初の服もこっちで預かっておきますね!他もゆっくりご覧になっててください!」
 助け舟は、最初の女性店員だった。
 気にしてくれていたのか、わざわざこちらまで来てくれて。
「あ、ああ」
 有無を言わせないような笑顔と共にニコルの服を大切そうに預かってくれる姿を見せてくれて、小声で謝罪をくれた。
「すみません。あの子まだ働き始めたばかりで、誰にでもああいう風に言っちゃうんですよ…しっかり注意しておきますね」
 男性店員から離してくれながら女性店員はニコルの怒りを理解するように頭を下げて、男性店員を呼んで店の隅に移動してしまった。
 一連の流れを見ていたアリアも女性店員の動きに毒気を抜かれてしまい、再び衣服を探して。
「……人から見たら汚いかもだけど、大切な服ってわかってもらえたの、嬉しいね」
「…そうだな」
 怒りは最初の店員に免じて許してやる、と。
 二人とも着替えを済ませて店内を見ていけば、身なりの効果なのか、遠巻きにしていた店員も、嫌そうに見下してきた客も、ニコルとアリアに嫌な視線を向けなくなっていた。
「…俺がこだわりすぎてたのかもな」
「え?」
「…服だよ。城内で訓練の時も、勿体ないからってボロくなった昔の訓練着ばっか着まわしてた。俺は自分が気にしてないから身なりに気をつけてなかったけど…ちゃんと気にするべきだったのかもしれない」
 周りを理解せずに平民だからという立場に甘えていた。ニコルの汚れた訓練着を馬鹿にしてくる騎士達だって、自分の実力で騎士になったのだ。彼らなりの努力が確かにあったのだ。
 ニコルやアリアが貰い物のボロくなった服を大切に今も着るのと同じで、彼らも騎士だけの支給品である訓練着に誇りを持って袖を通していたのなら。
 ニコルの行為は人によっては誇りを汚されたように感じただろう。彼らにニコルを倒せる力があったならニコルを負かして分からせたかもしれない。だがそこまでの力がなかったから、陰口という形にしかできなかった。
 現に騎士階級の高い先輩騎士からも何度か服装では注意されていた。その真意をわかろうとしなかったのはニコルだ。
「…兄さんだけが悪いわけじゃないけど、兄さんも悪かった、ってこと?」
「そうなるんだろうな」
 たかが服だ。
 だが、大切な思いや誇りがあるのだ。
「…探そ!掘り出し物の服とかあるかも!」
 話題を変えるようにアリアが元気に腕を引っ張ってくれて、改めて服を探して。
 この店を教えてくれた使用人の娘達が口を揃えて言っていた通り店内でひと通り揃えることが本当に出来て、アリアは途中で最初の女性店員に捕まって小物や下着を見繕い、離れている間にニコルも下着を新調することにした。
 今までよく自分で下着のほつれを直していたものだと思うほど、店内で目にした売り物の下着は機能性が良かった。買わないというスタイルに意固地になっていたのだと思えるほどに。
 アリアもさすがに下着は見せはしなかったが、髪飾りなどの小物や、これからの季節に必要になってくる夜用の羽織などを見つけて、ようやく購入の際には大荷物になってしまっていた。
 購入に関しては最初の女性店員以外はまだ信用ならないという目をちらほらと向けていたが、一括で支払うと一発で全員の目の色が変わったのは面白かった。
「よければお届けもできますよ?」
 料金は割高になるがと告げられるが、すぐに届けてくれるというのでそれなら届けてもらった方が楽だろうとガウェの個人邸宅を指定すればまた驚かれて。
 最上位貴族である黄都嫡子の個人邸宅はやはり有名で、それとなくニコルとアリアは立場を尋ねられることになってしまった。
 城下町では見かけないほどに薄汚れた服を着て店に訪れた客が城下街で最も有名な邸宅に荷物を指定するのだから、そうなることは仕方なかっただろう。
 自分達は旅好きの兄妹で、以前の旅の途中でガウェと知り合ったという設定を付けたところ、無理があったが納得してくれた様子で助かった。
 騎士であることはまだしも、治癒魔術師であるということは隠しておきたかったから。
 ようやく買い物を済ませれば店員全員にお見送りされてかなり恥ずかしい目にあったが、まあ良い買い物ができたので互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
 ニコルもアリアも最初に買うと決めた服を着ているために、行きの道で受けた汚いものを見るような蔑みや憐れみとは違う視線を集めたが、不慣れなアリアはその目線に最初こそ戸惑っていたが、次第に気にしないようになっていった。
「下着もカバンもホントにひと通り揃えられたね。こんな贅沢したの初めてだよ」
 自分が働いて手にした自分のお金で、自分の為の贅沢を。
「ちょっと怖いから、使うお金の額とかはやっぱり決めた方がいいかもね」
「だな。散財しすぎて大変な目にあった騎士もいたからな」
 自分だけが自由に使えるお金というのはなかなか恐ろしいというのは人づてには二人とも耳にしているのだ。そうならないようにしっかりしようと気持ちを改めて、夕暮れ時の帰り道を歩いて。
「帰ったら、晩御飯の時にもう少しお母さんのこと聞いてみよっと」
 買い物のために邸宅を出る前、アリアは自分の母のことをビデンスから聞かされ、涙をこぼしていた。
 時間も少なくあまり多くは話さなかったが、アリアにとってあまりにも少ない母の面影を思い出すに充分な優しい思い出を、ビデンスは語ってくれたのだ。
 もっと聞きたいと思うのは当然のことだ。
「…兄さんと母さんの思い出も聞きたい」
 そして、袖を軽く引っ張るアリアが立ち止まり、少しだけ言いづらそうにしながらも胸の内を出して。
「あたしの赤ちゃんの時とか、まだあたしがいなかった頃とか…いっぱい知りたいなー」
 一度口にしたのだから、あとはもう怖くないとでも言うように甘えてくるから、思わず吹き出してしまった。
「…わかった。俺も話すよ。俺だけが母さんを独り占めするとかずるいもんな」
 今までは罪悪感のせいで話せなかった。
 母を死なせてしまったという負い目は、記憶を懐かしむということすら罪であるかのように。
 でもそうではないと、ふと思えたから。
「じゃあ、あたしもお父さんを独り占めしてた時の思い出いっぱい話すね…病気で苦しんでただけじゃないんだから。いっぱい笑ってたんだからね」
 つらいだけの思い出じゃないからと。
「…すっげー楽しみにしてる」
「あたしも!」
 城の外だからか。髪を切ったからか。服を変えたからか。
 気持ちがここまで清々しく、こんなにも前向きになれたのは本当に久しぶりな気がした。

第67話 終
 
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