第67話


第67話

 エレッテを誰にも気付かれることなく無事に部屋に戻したガウェは、怯えた眼差しで見上げてくる彼女に妙な懐かしさを感じていた。
 過去に彼女と会ったことがあるという訳ではない。エレッテの怯えた仕草が、ガウェの愛するリーンとよく似ていたというだけだ。
 リーンはガウェに怯えた眼差しを見せはしなかったが、他者に向ける眼差しにはよく気付いていた。
 闇色だというだけで蔑まれてきた、愛されるべき姫君。
 エレッテの表情だけでなく髪や瞳の色も似ている為にどうしてもリーンを思い出してしまい、エレッテに強く出られなくなった。それは恐らく、エレッテから魂の話をされたからだろう。
 エレッテやパージャを含めたリーンの魂は、ファントムから切り離されたものであるという、あり得ないような話を。
 それを聞かされてから、死の間際にまで追い詰めてでもリーンの居場所を聞き出したいのに、怯えられるだけで踏みとどまってしまう。
 その理由がリーンを思い出させるだけではないと自分でもわかってはいるのだが。
 ファントムはガウェにだけ告げた。
 リーンは必ずガウェの元に戻るのだと。
 真意のわからないその言葉に絡め取られたことも、エレッテに強く出られない理由のひとつとなるのだろうか。
 部屋を出ようとしないガウェに、エレッテは怯えの中に警戒を少しずつ含ませてくる。
「…リーン様は」
 何を口にするつもりなのか自分でもわからないまま発された声色はわずかにかすれていた。
「…無事なんだろうな」
 エレッテから目を逸らして、ただそれだけを訪ねる。礼装の件からリーンがラムタルにいるという確証を得たかったはずなのに。
 返事はすぐにはなかったが、エレッテが怯えと警戒を混ぜているからだと、リーンを愛し続けたガウェには考えずともすぐに理解できた。
 エレッテがただの人間なら数秒程度の沈黙すら苛ついたが、彼女はリーンと似ているから。それだけの理由で。リーンもよく怯えていたから。
「…私達の身体はどれだけ痛めつけられても、最終的には無傷の状態に戻るし、死ねない。リーン姫の身体が癒えるまでにどれくらいの時間が必要かはわからないけど…治らないなんてことはないはず」
 自信がないかのようにくぐもった声を返したエレッテの前に、護衛蝶姿であるフレイムローズはガウェからの視線を弾くように立ちはだかった。
『…もういいでしょ。彼女は疲れてる。何か聞きたいなら、また今度にして…』
 先ほどの口論が尾を引くかのように、フレイムローズにしては素っ気ない言葉だった。
 ガウェはフレイムローズを問い詰めたのだ。ファントムとコウェルズ、どちらに味方するのかと。
 それがどれほどフレイムローズを苦しめる言葉であったか、わからないほど浅い関係ではないというのに。
 フレイムローズにエレッテを遮られ、ガウェはもう言葉を発することはしなかった。
 また来るとも二度と来ないとも告げずに背を向けて、窓へと向かう。
 ガウェの魔力とフレイムローズの魔眼の力で、気付かれないよう結界を歪めて侵入したのだ。入れたのだから、出ることも可能だ。
 そして今後もまたガウェはここに訪れるだろう。
 エレッテはリーンにつながる存在なのだ。ニコルとアリアの件が無かったとしても、ガウェはエレッテに近付いた。
 今回話を聞けたことは、もしかするとガウェにはプラスだったのかもしれない。
 どうあがいてもリーンを思い暴走するガウェだが、エレッテの境遇と、ファントムの分かたれた魂をリーンとエレッテが持つという不遇の共通点が、ガウェの心にエレッテへの同情を芽生えさせたのだから。
「…フレイムローズ…すまなかった」
 最後に大切な友に謝罪を送って。
 フレイムローズが何を言うより早く、ガウェは静かにその部屋を後にした。

-----

 会いたくないのに会ってしまったと居心地悪く感じていれば、思いもよらない命令を下してすぐに去って行ってしまった。
 モーティシアから城下で外泊しろという命令をぴしゃりと受けて、ニコルとアリアはただその場にしばらく立ち尽くすことしかできなかった。
 いったいどういう風の吹き回しだと、顔を見合わせてしまうほどだ。
「…急だと思うんだけど…いいことなの?」
 アリアも自分が護衛される立場であると自覚してか急な外出が本当に許されるのかと問うてくるから、先に無言で首を横に振った。
「アリアは王族じゃないから厳しく外出を咎める必要はないとは思うが…モーティシアだけの決定じゃ無理なはずだ…」
 モーティシアならとっとと許可を得てきそうではあるので、深く考える必要はないのだろうか。
 しばらく考えて、自分が治癒魔術師を護衛する部隊の副隊長であることを自覚して。
「…どうしたい?」
 訪ねたのは、それもいいかもしれないと思ってしまったからで。
 アリアは以前に外に出たくないと言ってはいたが、今も同じ考えなのだろうかと尋ねてみれば、少し困った顔を見せられてからポツリと「出たい」という言葉を耳にした。
「モーティシアさんの言う通りなのかも。いっそお城の外に出た方が、気分も変わるかも」
 それはアリアの気分か、ニコルの気分か。
 エレッテから聞いた事実は二人に希望だけを与えはしなかった。
 打ちのめされるほどの内容も確かにあったのだ。
「…外、行ってみたい。お城のことは少し忘れて、治癒魔術師とか騎士とか忘れちゃって…二人で王都の城下に旅行に来たんだって思ってみたい」
 忘れ去ることはできないが、せめて一日くらい、と。
「…じゃあ行ってみるか」
「ほんとに大丈夫なの?」
「俺は騎士団所属だから当然クルーガー団長には伝えるが…アリアは魔術師団所属だからそっちにも伝えてはおかないと駄目だろうな。…モーティシアが伝えてくれてるだろうが」
 リナト団長に会いたくない、とはさすがに言えない。引き締めるべきところは引き締めておかなければ。
 駄目だと却下されるかもしれないが、外出を頼み込む価値はあるだろう。今の自分たちは、少しでもいいから王城から離れたかったから。
 アリアが大切に胸に抱きしめる礼装に目を向けて、行くか、と声をかけてからクルーガー団長のいるだろう城内に向かう。
 アリアと共に、静かな中で無言を苦しむようにぽつりぽつりとぎこちなく城下の話をしながら。
 執務室にいてくれたクルーガーに城下に一、二日降りたいと願えば、あっけないほど簡単に了承してくれて驚いてしまった。
 聞けばとっくにモーティシアから連絡が来ていたそうで、仕事の早さには脱帽してしまう。
 そしてありがたいことに、許可を得るために魔術師団長リナトの元に行く必要もなかった。
「お前はしっかり休むべきだ。一、二日と言わず数日外泊すればいい…エルザ様のことも、しばらく忘れてこい」
 意味深な言葉はアリアに疑問の表情を浮かばせてしまったが、それ以上深く掘り下げることもなく。ただ「必ず戻りなさい」とだけ最後にもらって、二人で執務室を後にした。
「……なんだか夢みたいにトントン進むね…」
「ああ…俺も驚いてる」
 本来ならアリアの外出はありとあらゆる制限などがつくはずだというのに、こうもあっさりと決まるだなどと。
 しかもただの外出ではない。外泊だというのに。これもモーティシアの手腕であるとするなら、感心よりも恐れてしまいそうだ。
「…一度部屋に戻ろう。準備もある」
「うん」
 二人で夢の中を漂うように兵舎内周棟の自室へと向かえば、途中で再会するのはガウェで。
 エレッテの件からあまり時間が経っていないというのに再会して、気まずく感じはしたが、外泊を伝える。
「日にちはまだ決めてない。モーティシアからは一、二泊とは言われたが、団長からは城下町ならもう少し長く外泊してもいいと言われたんだ」
 あまりにトントン拍子に進むものだから、自分でも上手く把握しきれていないかのように説明をすれば、ガウェはまず思案顔となり。
「…泊まる場所はどうするつもりだ?お前は城下に家を建ててはいないだろう」
 王城に住む者達の半数近くが城下に家を建ててはいるが、ニコルは当然そんなお金のかかる道楽など行わない。
「適当に宿を借りるつもりだが?」
 それしかないだろうとアリアと顔を見合わせながら話せば、ガウェは少し考えるように俯いた。そして。
「…俺の家を使えばいい。ハイドランジア家の者達もまだいるが…悪くはないはずだ。家には術者も魔具を操る者もいるから多少の護衛になるだろう」
「…いいのか?」
「その為の家だ。気にするな。そちらの方が団長達も安心するだろうからな。すぐに伝えて、いつでも家に入れるようにしておこう」
 こちらに顔を向けないまま、ガウェは決まりきった単純作業を繰り返すように簡単に告げる。
 ガウェの個人邸宅は以前入ったことがあるので道は分かっているが、さすがに躊躇わないはずもなくて。
 そしてニコルのその心情を理解するように、またガウェは口を開くのだ。
「アリアの安全を考えろ」
 たたそれだけの言葉で。
「…悪いな。借りる」
「好きに使え」
 アリアの安全は何よりも優先するべきことだ。治癒魔術師だからというわけではない。大切な家族なのだから。
「あの、ありがとうございます」
 アリアも頭を下げて、その姿にガウェも表情をわずかに緩めて去っていく。
 目まぐるしく展開が進んでいくというのに、台風の目であるかのようにニコルとアリアは穏やかに流されていた。
 先ほどあった重苦しい会話など最初から無かったかのようだが、そうでないことを理解しているからこそ、まるで自分たちだけが時の流れの速さに置いていかれたかのように錯覚してしまう。
 はたして朝早くに行われたエレッテとの対話は夢だったのだろうかと思えるほどだ。
 みんなすぐに現れては離れていき、ニコルとアリアの今欲しいものを置いていってくれる。
 城の外の世界、自分たちだけの時間、眠る時も安心できる場所。
 到着した自分たちの部屋の前で一度別れ、互いに城に囚われた服を着替えるために隣り合う部屋に入る。
 着替えといってもニコルの持っている服は以前ガウェ達にボロだと笑われた古い服しかないが、それを恥ずかしいと思う心など存在しない。
 アリアもそうだろう。
 自分達が故郷で大切に着てきた衣服は、心優しい人から譲られた取り替えの効かない服なのだから。
 他に手にするものは有り余る給金だけだ。ニコルは王都でほとんど買い物をしなかったから、この機会に色々と買い揃えるのも有りかもしれないとも考えた。
 欲しいものは浮かばないが、アリアが欲しがるなら買ってやりたいとも思う。
 着替えた後は古ぼけた布切れのような鞄に硬貨の入った重い財布を放り込み、それ以外には何も入れずに外に出る。
 さすがにアリアは時間がかかるかと思ったが、意外なほど早く扉は開かれた。
「あ、ごめんね、遅かった?」
「いや。早いくらいだ。もっと遅いと思ってたからな」
「そう?…あんまり持って行きたいものとか無くて」
 アリアもニコルと同じく中身の軽そうな粗末な鞄だけを持ち物に選んだらしい。
 ただ、ニコルの鞄よりは重みのある様子をしていた。
「…これだけでいいかなって」
 そう言いながら鞄の口紐をほどいて見せてくれるのは、古ぼけた財布と、壊された両親の形見だった。
 思わず言葉を無くすニコルに、アリアは悲しげに微笑んで。
「…家族旅行、だから…みんなで」
 かすかに震えた、涙が混じるような声。
「…そうだな」
 気まずいというよりも悲しみがこみ上げてきて、どちらも言葉を交わすことなく再び連れ立って歩み始めていく。
 今はひとまず王城を出ようと。
 そして、少しの間だけだとしても、自分達の立場を忘れるのだ。
 歩みは遅い。しかし足は軽い。
 冷たい空気は心地良くて、まるで故郷の夏の終わりのようだった。
 王都の冬の始まりは、ニコルと、とくにアリアにとっては穏やかな涼しさを与えてくれた。
 門に向かうまでに騎士達や侍女達のいくつもの視線が向けられ、そのどれもに二人の薄汚れた衣服に対する驚きや侮蔑が混じるが、恥じることなどしない。
 ニコルとアリアはこれで生きてきたのだから。
 そこに、
「--ぁ」
 空からパタパタと軽い羽音が響いて、灰色の小鳥がアリアの肩に留まった。
「…ごめんね、忘れてた」
「…俺もだ。悪かったな」
 ニコル達に譲られた伝達鳥は置いていかれそうになったことを怒るように二人の謝罪の指先をやや強くつつき、そしてすぐに寂しさを紛らわせるようにアリアの首元に寄り添った。
「家族が増えたんだもんね」
 クスクスと笑うアリアに同じ笑みを返して、兵舎外周の正面玄関すぐ側の警備用扉に向かい、そして。
「…まず何がしたい?」
 尋ねるニコルに、
「お父さんならきっと“ご飯”って言うわ!」
 屈託のない返事が朗らかに響いた。
 そして、二人は何に邪魔されることもなく、つかの間の自由の風を浴びた。

-----
 
1/4ページ
スキ