第66話


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 アリアとエレッテがフレイムローズの繭に囲まれてから数分は経っただろうか。ガウェが口にした通り中の会話はいっさい聞こえず、不気味な静けさに冷や汗を流してしまう。
 ニコルは苛立つように繭を凝視し続けていた。腕を組みながらも、片手に慣れた長剣の魔具を忘れはしない。それはガウェも同じで、ニコルとは違い苛立つ様子は見せないが、異変があればすぐにでも繭の中のエレッテに攻撃できるように魔具を手にしながら全神経を集中させていた。
『…中は大丈夫だから、そんなにこわい顔しないで…』
 護衛蝶から繭と化したフレイムローズの魔力が彼の声でなだめてくるが、中で何が起きているかわからないのに苛立たずにいられるはずがない。
 時間の経過はあまりにも遅く、圧迫するような気配だけが増していった。
 ガウェがわずかに離れた場所からニコルの隣に訪れたのは、ようやく十分は経とうかという頃だった。
 何か話したいことでもあるのかとガウェに目を向けるが口は開かれない。
「…アリアとあの女が話すこと、なんで許したんだ」
 沈黙がさらに腹立たしさを増長させるから苛立ちを隠さないままガウェに問い詰めれば、一番最初に聞こえてきたのは気を抜こうとするかのような微かなため息だった。
 ニコルに向けてのわざとらしいため息ではない。
「俺が欲しいのはリーン様の居場所の情報だ。あの女に口を割らせるのにアリアが最適だから任せただけだ」
 それはガウェらしい判断だった。
 こちらを少しも見ずに繭だけに神経を使ったまま。
「アリアがリーン様の居場所を聞き出すかどうかはわからないだろう」
 そもそもアリアはニコルに関することをエレッテに聞きたがったはずで、リーンの居場所を聞き出す余裕を持っているかなどわからないというのに。
 だがそれも一応はガウェの頭に入っているらしく。
「…今知れずともいい。あの女がアリアに心を開いた時に聞き出せれば」
 まるでアリアを利用するような言葉に眉間のしわが深くなるが、ガウェが今すぐに口を割らせようとしないことに驚いてしまった。
 いったいどういう心境の変化なのだろうか。ニコルの知るガウェのままだったなら、エレッテをひどく苦しめてでもリーン姫の居場所を聞き出そうとしただろうに。
「…そういやおまえ…あの時ファントムに何を言われたんだ?」
 異常なまでの執着心をリーンに向けるガウェの変化に理由をつけるとするなら、ひとつだけ思い出すものはあった。
 それはニコルがファントムに傷を負わされた時の記憶だ。
 ガウェはファントムとの戦闘で、何かを耳打ちされた。
 怒りを全てぶつけるような荒く激しい戦闘は、ファントムがたった一度ガウェに何かを耳打ちしただけで戦意を喪失させるに至ったのだ。
 その件が今のガウェの落ち着きように関係していないとは思えなかった。
「…リーン様のことなんだろ?」
 ニコルの問いかけにガウェは口を開かない。
 聞こえていないとでも言うような態度はいつも通りで。
「…リーン様を取り戻す代わりに力を貸せとでも言われたのかよ」
 吐き捨てるようにそう呟けば、わずかにガウェが身動いだ気がした。
 まさか図星なのか。そう思い睨みつけるように視線を鋭くすれば、問いただそうと口を開くより早くガウェが繭から目を離して俯いた。
「もしそうすることでリーン様が戻るなら…」
 まるで決意するような声で囁くのは、ガウェの本音で。
「…リーン様を返す代わりに手を貸せと言うなら…そうするだろうな」
 ファントムに耳打ちされた内容は教えずに、可能性の高い未来を呟いて。
「…正気か」
「…リーン様が全てなんだ。この身体の全てはリーン様に捧げるためにある。リーン様を無事取り戻すためなら…他はどうなろうが構わない」たとえ国を裏切ることになるとしても。
 一点の曇りもない意志は、リーンに通じるというだけであまりにもガウェらしい言葉だ。
 ガウェの本質を知らない者が聞いたなら、怖気を全身に走らせてガウェの裏切りの可能性を国に報告しようとしただろう。しかしニコルは危険な思考を持つガウェを何度も目にしてきたのだ。
 普段通りと言い切ることができるほどいつも通りのガウェに、ただため息しか出て来なかった。
「…そう言うってことは、まだ手を貸せとは言われてないんだな」
 まだガウェはこちら側だということがわかっただけで良しとするしかない。
「…フレイムローズ、お前はどうするんだ」
 ガウェは落としていた視線を再び繭に戻すと、その繭がフレイムローズそのものであるかのように話しかけた。
『どうって?』
「もしファントムがまた力を貸せと言ってきたら、もう一度コウェルズ様を裏切るのか?」
 あまりに直球すぎる質問に、空気が一気に冷え込む。
 仲間内では暗黙のうちに禁句となっていたフレイムローズの裏切りを口にするなど。
 ニコルは息を飲んで様子を見守るが、フレイムローズは言葉を無くしたようにしばらく固まったままだった。
 繭状の友はただの繭であるかのように静かに塞ぎ、
『…裏切ったわけじゃない。そんな風に言わないで…俺は、コウェルズ様を裏切ってなんかない』
 ようやく口にした言葉はひどく落ち込んでいるように聞こえた。
 ここにフレイムローズの本体は無いが、その声色だけでどれほど傷ついているかが知れる。
 リーン姫を救い出したあの行為は裏切りなどではないと、まるで言い聞かせるような。
『最終的にコウェルズ様や七姫様達がみんなで笑ってくれることが、俺のやるべきことだから』
 フレイムローズはエル・フェアリア王家に従うようにコウェルズに躾けられた。
 従順で素直で。
 コウェルズもまさかこのような展開になるとは思わないほど心根美しく。
「そこにファントムも入るのか?」
『…わからないよ。リーン様を助け出す為に力を貸せとは言われたけど…それ以降のロスト・ロード様のことは知らないから』
 フレイムローズという特異点がどれほど今後に影響するかわからない。ファントムが命じたエレッテの護衛を忠実に守るのだから。
「もしコウェルズ様とファントムが本気で戦ったら、どちらに付くんだ」
『そういう言い方しないでよ!!』
 幼さを残す激昂が空気を震わせるようだった。
「……フレイムローズ」
「やめろガウェ」
 それでも続けて問おうとするガウェをニコルは止めて、しかしフレイムローズから返答はこない。
 焦っていないように見えてもガウェは焦っていたのだろう。そしてフレイムローズは実体でないことを盾にするように口を開かなくなった。
 仲間であるからわかる。ここがギリギリ許せる範囲の最終地点だと。
 これ以上の追求はわだかまりにしかならないだろう。
 ただの繭と化したフレイムローズにもうガウェが話しかけることもなく、時間を潰すようにふらりと繭の周りを歩き始めるだけとなる。
 ニコルは今の場所から動かないまま、変わらない風景の変化を求めるようにゆっくりと歩くガウェの足元に目をやり続けた。
 静かに時間が流れていく。
 繭の中がわからないニコル達にはどうしようもないほどにつまらなく、そして緊張する時間が。
 それがまた十数分経った頃だろうか。
 フレイムローズは無言のまま、まるで心など無いかのように静かに繭をほどき、元の護衛蝶へと戻っていった。
 中で座っていたのかアリアとエレッテは立ち上がる動作を見せて、お互いに目を合わせないままエレッテはその場に、アリアはニコルの元に戻ってくる。
「…色々聞いてきたよ」
 沈んだは声はアリアがエレッテから聞きたかった言葉をきけなかったことを物語っている。わかっていたこととはいえ、胸の奥が凍るように冷えた気がした。
「これ以上はこの女がいないことがバレる可能性がある。俺たちはもう戻るぞ」
 時間は長く使ったのだ。
 自分たちだけの勝手な行動で重要なファントムの仲間を外に出して、万が一見つかってしまったらもう二度とエレッテとアリアを引き合わせることはできなくなるだろう。
 ニコルからすれば今後も会わせたくはないが、ガウェとアリアの腹の内まではわからない。
「あ……」
 アリアが何を言うより先にガウェはエレッテを連れて背中を向けて行ってしまった。
『アリア、またね』
 護衛蝶姿のフレイムローズがようやく口を開き、誰よりも重い口調を残してニコル達から離れて。
 二人で残され、どちらともなく少し経ってから歩き始めて。
 向かう場所など決まってはいない。ただ歩くだけだが、口は開かなかった。
 ニコルを知るためにアリアはエレッテと二人になった。まだニコルが知りたくないニコルを知るために。
 そのアリアが口を開かないのだ。内容は知れた。
 ニコル自身から聞くこともしない。
 互いに口を開かないのは、互いを傷付けない為だった。

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「…まったく、二人で休むならせめて直接ひと声かけてほしいものですね」
 モーティシアがそう話す相手は今回珍しく組んだレイトルだった。
 普段モーティシアはアリアの護衛にミシェルと組むのだが、そのミシェルが何度目かの彼の妹ガブリエルとの口論に向かい、レイトルが基本的に組むアクセルも別任務を与えられていることからの二人行動だ。
 とはいっても護衛対象であるアリアは朝早くにニコルに奪われたそうだが。
 何もニコルの勝手な行動に怒っているわけではなく、モーティシアだって単純にニコルを気遣いたい気持ちはあるのだ。
 アリアの夫にミシェルをあてがわせたいという意思はあるが、この数日ひどく落ち込み続けている部下をかけらも気遣わないほど冷徹なつもりもない。ミシェルに関しては様子を見たい気持ちが高まっているのだが。
 モーティシアの拗ねたような口調からその内心に気付いたのだろう、隣を歩くレイトルも小さく笑った。
「アクセルの方は順調なの?」
 レイトルが尋ねる内容はアクセルが解読を命じられている謎の短剣のことで、先の見えない様子に少し唸りを返す。
「今まで見たこともない術式のかけられた短剣らしいですからね。アクセルが無理ならエル・フェアリアのどこを探しても解読できる者なんていませんよ」
「へえ、そこまで彼を買ってるんだ」
「当然でしょう。アクセルの最大にして唯一の得意分野なのですから」
 堂々と言い切れば、まず返ってくるのは大笑いだ。
「それ、褒めてるのか貶してるのわからないよ」
「仕方ないでしょう。特化する場所が特殊だったのですから…」
 アクセルは上質な魔力を持つが、言い方を変えればそれだけだった。もちろん上質な魔力というだけで充分凄いのだが、それだけではこの王城では通用しない。
 アクセルを魔術師団内でも高い地位に押し上げたのは特殊能力と言っても過言ではないほどの洞察力だ。
 見る。それだけで難しすぎる高度な術式も解読してしまうのだから。
 そのアクセルがひたすら時間を使う謎の短剣の術式とはどんなものなのか。
「まるで呪いのよう、と言っていましたが…不思議なものです」
 アクセルがわからないなら、モーティシアにわかるわけもない。
 特殊な術式というだけでモーティシアの知的好奇心は凄まじく揺さぶられたが、今は自分を律して短剣を見に行くこともひかえた。
 モーティシアが側にいるとアクセルが少しだが緊張するのも行かない理由のひとつだ。
「エル・フェアリアで一番の突出した能力持ちだというのに、何を怖がって緊張するのか…」
 不満のように呟いた独り言は、耳聡くレイトルに拾われて。
「モーティシアって、何だかんだ言いながらけっこう人を見てるよね」
「…それは褒め言葉でしょうか?」
 感心とも違うだろう感情の声色に首を傾げれば、レイトルは微笑むのをやめずに前を向く。
 二人で向かう場所は政務棟だが、このペースで進めば到着に少し時間がかかるだろう。
「…セクトルからアリアの夫候補のことは聞かされているよ。君がその辺りをまとめてるだろうことも…でも非情じゃない」
「……」
 突然暴かれるモーティシアの立ち位置。しかし隠したいわけでもないので、聞くに徹して。
「アリアの未来を勝手に決めようとするのは正直腹が立つけど…君はそれだけじゃないなと思ってさ」
 レイトルの口調は、自分がアリアの夫候補に含まれていない事実を同時に語る。
「君が非情な人間なら、私はもうアリアの護衛から外されているだろ。でもそうしないのは、君がアリアをきちんと個人として認めているからだ」
 思わず目を見張るのは、そんな風に思われていたことが意外だったからだ。
 自分は国の為になら個を蔑ろにできる人間だと宣言できるから。
 そして今驚いてしまったことも、レイトルにはお見通しのようだった。
「周りに気を配れるのに、自分の姿は見えてなかった?」
「…興味をそそられる話ではありますが」
「君とセクトルが似てるな、と思う時が稀にあったからね」
 稀に、と付け加えたのは、彼がセクトルを幼い頃から知っているが所以だろう。
「セクトルがアリアに好意を向けていたら、君はセクトルの肩を持っただろう?」
「…当然でしょう。ミシェル殿よりセクトルの方が魔力の質は高いのですから」
 何を隠す必要もないとさらりと告げれば、また微笑が返された。
「…どうしてセクトルがアリアを諦めたかわかる?」
「…その言葉では、セクトルがアリアを好きだったように聞こえるのですが?」
「ああ、そこまではわかってなかったんだ。私とセクトルって、好みの傾向とかも似ててさ…私がアリアに好意を持ったのに、セクトルが好きにならないわけないんだよ」
 モーティシアにはわからない幼少期からの絆に絶対的な自信を持つように、レイトルは記憶の中のセクトルを思い出して話した。
「セクトルがアリアを諦めたのは、アリアより国を選んだから。アリアがここに来る前にニコルがそれを嫌がったのは知ってるだろ?セクトルはそれでも友より国を選んだ。自分がアリアの夫候補に選ばれるなんて知る前だったし…まあ知ってたとしても、状況的にあいつは諦めただろうね」
 セクトルは友が苦しむよりも国が潤うことを優先した。それが鎖となって、自分の恋を諦めた。
「…国を思うならば堂々とアリアを狙って欲しかったですがね」
 そう告げれば、隣からはまた大笑いだ。
「それができるほど無情にはなれないんだよ…もし夫候補になれるのがセクトルだけだったとしても…あいつは行けないんだ…負い目に感じる必要なんて無いのに…」
 レイトルの言葉は、恋敵が一人減ったことを喜んではいなかった。恋敵であるはずなのに、セクトルの行く末を案じるように微かに俯く。
「アリアが好きなんだ。私も彼も。だからできないことがある。同じ状況があったら、多分君もそうなるよ。意外と優しいところがあるから」
 再び顔を上げてこちらに笑みを向けるレイトルは、モーティシア自身が知らない内側を知っているというのだろうか。
 思わず眉をひそめていたのだろう。レイトルの視線が一瞬眉間に向かい、そして吹き出すようにまた笑っていた。
「言ったろ?君が非情なだけだったなら、私はもう護衛としてでもアリアの側にはいないって」
「…アリアの夫探しについては、無理強いはしないという方向で決まっているだけですよ」
「うわべだけの方向性だろ?」
 今は何をどう返しても、レイトルはモーティシアの言葉に微笑むのだろう。
 レイトルからはあまり良く思われてはいないと気付いていたが、もし自分がセクトルと似ているというなら、それがレイトルが自分を根本から嫌えない理由になるのだと察しがついた。
 随分と背中の痒くなる話しだ。
 レイトルは今後もモーティシアを信用などしないだろう。しかしだからといってあからさまに敵対することも無い。
 そう漠然と未来を見るのは、アリア個人を、自分が思うほど蔑ろにはしていないからだと気付いてしまった。口や頭では蔑ろにしようとも、無意識の本心がそれをしない。
 そしてレイトルがセクトルの性格を理解しているというなら。
「…もしかして、今の言葉は全て牽制に似たものでしたか?」
 自分にそれを気付かせるための策略にも似た。
 歩みを止めて尋ねた言葉に、レイトルが歩みを止めずにまた微笑むのを目にした。
 なんて食えない男だ、と。
 そうは思っても、ミシェルとは違う誠実な愛をアリアに向けるレイトルの魔力の質量を考えると、世の中を恨まずにいられない程度にはどうやら自分自身に気付いてしまったらしいとため息をつき、再び歩みを再開した。
 敵視するだけの者が多い中で、モーティシアは理解されてしまったのだ。そして自分自身も理解した。
 今後自分のこの感情が治癒魔術師の次代を考えるための邪魔にならなければいいのだが、と誰にともなくため息をついて。
「--ニコル!アリア!」
 前を歩いていたレイトルが突然大きな声で名前を呼んで走り出していき、モーティシアも声をかけられた二人に目を向けた。
 今まで話題の一端を担っていた二人は、朝から気晴らしに出かけたはずだというのに浮かない顔をしていた。
「…ニコル、護衛部隊の副隊長であることをもう少し理解して行動してください。急にアリアを連れ出されてはこちらの予定もずれてしまいます」
 とりあえずその小言だけは言っておきたかったので歩み寄りながら文句を言えば、疲れた顔をしたニコルはさらに顔色を悪くするようにモーティシアから目をそらして俯いた。
「……悪い」
「…あなたも疲れている様子ですから、次はもう少し考えてくださればそれでいいですよ」
 なにもただ責めたいだけではない。
 心配を隠した物言いに、面白がるように笑うのはレイトルだけだった。
「すみませんモーティシアさん。あたしも勝手に出てしまって…」
「…そうですね。次から気をつけてください」
 アリアも申し訳なさそうに頭を下げるから、この話はもう流すように早々に話題を変えようと一瞬考えを巡らせて。
「……あなた達、そんなに疲れた顔をするのならいっそ城下街にでも行ってきたらどうです?ニコルが数日休みをもらったなら、一、二泊してくるといいでしょう」
 ふと浮かんだのは、アリアが国立児童施設の事件以来一度も王城敷地内から出ていないということだった。
 アリアもニコルも驚いた顔をする。レイトルの表情は微妙に読めなかった。
「でも…」
 不安そうに眉をひそめるアリアの次の言葉はわざと無視して言葉を続ける。
「そんな顔をするならいっそ何も考えずに外に出なさい。これは命令です…行きますよ、レイトル」
「待って!二人だけで行かせる気かい!?」
 レイトルの当然の言葉も無視して、さっさと先に進んで。
 ニコルとアリアから遠ざかるモーティシアに仕方なくといった様子で付いてきたレイトルが、久しぶりに護衛騎士としての真面目な表情を見せていた。
 その表情が、先程モーティシアにぬるい目を向けていたという少しの不満を消してくれる。
「君らしくない!なんて浅はかなことを言ったんだ!」
「浅はかでしょうね。否定はしません。ですが無意味でもないでしょう」
 意味があると思いたいのはモーティシア自身なのだろうが。
「日に日に弱っていく部下の心に休暇を与えるのも私の仕事のひとつです。王城内で癒せないなら、外に出てみればいい。それにどうせ、ニコルがアリアを連れて出た時点で今日の職務は全て後日対応です。最近は落ち着いていましたから、数日アリアを休ませても充分許されるでしょう。今までが働かせすぎていたのですからね」
「護衛対象だぞ!」
「ニコルがいれば充分です。それに王都全域には魔術師団の結界が王城並みに張り巡らされているのです。ニコルも城下町から出るほど愚かではないでしょうし、これくらい構いませんよ。上には今から言いに行きますから、あなたは私が怒られる様でも見ていてください」
 アリアへの感情に気付かされた。
 治癒魔術師でなく、アリア個人を大切にしたいという思いを。
 それは恋愛感情ではない。
 大切な部下の心身を気にして何が悪い。そしてそこにニコルも含まれることは当然なのだ。
「…治癒魔術師の警護は重要な任務です。その任務に王都の結界任務につく魔術師達を混ぜるのですから文句はないでしょう。それにニコルの実力はあなたの方が私より理解している…これではいけませんか?」
 アリアの護衛は充分なはずだと。
 問うたモーティシアに、レイトルは数秒考えてから難しい表情をゆるめてくれた。
「…君らしくない」
「いけませんか?」
「……いや、人間らしくていいよ」
 その言葉は今までの自分が人間味を帯びていないかのように聞こえて少し不満だったが、同時に悪くないと思ってしまったのだから、得たものの方がはるかに多いという実感を確かに感じた。
「さて、では怒られる前に、結界任務にあたる魔術師達の方へ行きましょうか」
「君が怒られる姿なんて想像もつかないけどね」
「さすがにお咎めなしとはいかないでしょうからね。リナト団長には久しく叱られていませんから、今日は懐かしみますよ」
「…それって、怒られてる自覚あるのかい?」
 呆れたようなレイトルの視線を楽しみながら、向かうべき場所に向かう。
 ニコルとアリアが本当に城から出るかはわからないが、気分が晴れるのであれば、充分に外を堪能してほしいと願ってしまった。
--結局、モーティシアがリナトに勝手を糾弾されることはなかった。
 アリアというよりもニコルの今の状況を中心に説明した勝手な許可を話す間のリナトの表情は最初こそ怒りに染まったが、それだけだったのだ。
 そして怒りの代わりに聞かされたのは、ニコルがエルザ姫に一方的に別れを告げたという衝撃的な内容だった。

第66話 終
 
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