第64話
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「--こんなに早くバレるなんて思いませんでしたよ!」
ジュエルを連れて部屋を出て行ったコウェルズが皆の元に戻ってきてすぐに報告した内容に、ジャックの額に青筋が稲妻のように一瞬にして走った。
コウェルズの身バレは前提条件とはいえ、ここまで早くバレてしまうなどと。
「あははは、安心してください。みんな良い人達でしたよ」
コウェルズは面白おかしくエテルネルとして口調を改めてくるが、今その口調はジャックの怒りをさらにら煽るだけだ。
「あの、ジャック様…ほんとにいい人たちばかりでした。一緒にいらっしゃった侍女の方が入浴時間などは一緒にいてくれるとおっしゃってくださいましたし」
コウェルズの肩を持つようにジュエルも相手の安全性を告げてくれるが、ジャックが何を言うよりも先にダニエルがジュエルの肩にそっと触れて、不安げに見上げてくるジュエルに今は口を閉じているよう暗に告げる。
ジュエルにまで粗い口調でまくし立てるつもりなどないというのに、ダニエルもコウェルズの肩を持つつもりか。
「みんなで軽食を楽しみましたが、流石はラムタル。どれもこれも素晴らしい逸品でしたよ。夕食が楽しみですね」
コウェルズの方は口を閉じる気配がなく、面白がっている様子に落ち着くための強いため息をつく。
「…後でその者達を紹介するように。こちらからも確認をしておきたいからな!」
じわりじわりと浮き上がってくる怒りをなんとか抑えながら、まさか王子相手にこんな口調で怒ることがあるだなんてとどこか冷静な自分もいて。
「ああ、それでしたらジャック殿がジュエルお嬢様を入浴場まで連れて行かれますか?ユナディクス国の侍女のメデューサ嬢が待っていてくださる約束ですから。ついでにルードヴィッヒ殿もご一緒すれば、武術試合出場者のラジアータ殿に会えますよ。ハベナリア家の姉弟で、姉のメデューサ嬢がラジアータ殿のサポートに付いているんだとか」
コウェルズが室内にいながらも蚊帳の外状態に陥っていたルードヴィッヒに話しかければ、試合出場者という言葉に素直に瞳を輝かせた。
「ぜひ!」
「煩い!」
スカイ譲りの大声をジャックはそれ以上の声量で咎めて、ルードヴィッヒがしゅんとうなだれる様子にまたため息をついて。
「ひとまず先に入浴場まで連れて行くことは決定事項なんだな…ジュエル嬢、用意してくるといい」
「は、はい」
入浴と簡単に言うが実際はジュエルがジャック達の目から離れてしまう危険な場でもあるのだ。
ラムタル国が用意した場所で万が一など起こるはずがないとは思いたいが、全員の目の届かない場所に幼い侍女を向かわせることに緊張が走る。
それでもジュエルならば身の安全を自身で守れる保証があったからこその人選なのだ。
平和に慣れたエル・フェアリアでは貴族の娘達は魔力を持ちながら何の訓練もしていないことが多いのだが、ジュエルは最近にしては珍しく自主的に魔術訓練を行う数少ない娘だった。
それはジュエルが幼い頃に拉致されかけたことに起因し、兄であるミシェルがジュエルの魔術訓練を怠らせないことも関係しているのだが。
最初に聞いた時には驚いたものだ。
ジャックの知るミシェルは彼のもう一人の妹であるガブリエルとの口論ばかりが目立っていたので、家族愛の薄い人物だと思っていたからだ。
藍都ガードナーロッド家の三姉妹の上二人に振り回された者も多かったので、ジュエルという個を見た時も驚いたが。
ミシェルの末の妹に対する溺愛ぶりは何でもかんでも甘やかさないという点でも見えてきて、恐らくジュエルが上二人の姉に似ず心根腐らずに育っていることもミシェルの影響なのだろう。
愛しているからこそジュエルに魔力の操作方法を厳しく教えたのだ。でなければ未成年でありながらこんな重要な任務に国が就かせるはずがない。
ミシェル自身は今ここにジュエルがいることは想定外なのだろうが。
「あの…用意ができました」
充てがわれた部屋から入浴用の鞄を胸に抱きながら戻ってきたジュエルに、安堵のため息をついたのはコウェルズだった。
ジュエルが準備の為に部屋に向かってから談話室では誰ひとり一切口を開かなかったのだが、同じ部屋にいたコウェルズにはなかなか重苦しく感じたのだろう。
それを考え口を閉じてはいたのだが。
ジュエルは談話室の重苦しい空気に困惑してキョロキョロと周りを見回しており、その肩に触れたのは近くにいたルードヴィッヒだった。
「あの…私とジュエルは外で待機しています」
それはルードヴィッヒなりに気を使った言葉か、それとも空気の重さに逃げたくなっただけか。
どちらかなどわかりはしないが、ジャックは小さく頷いてルードヴィッヒとジュエルが部屋を出て行く背中を見送った。
扉が閉められた後にまた響いたため息は誰のものか。
「…エテルネル。私はジャックと同意見ですよ」
誰も目を合わせない中で最初に口を開いたのはダニエルだった。
「あなたが自由に動くことに関しては何も言うつもりはありません。たた周りの動向もわからず一人きりで奔放に動くなど許されるものではありません。焦る気持ちはわかりますが今日くらいは抑えてください」
幼子をたしなめる口調に返事はなかったが、コウェルズを見てみればわざとらしく肩をすくめて不満そうに口元を曲げている。
コウェルズが考えなしに周りをかき回して動いているわけでないことは理解しているが、それにしても焦りすぎているのだ。
彼にとってかけがえのない大切な妹がこの地にいるかもしれないのだから。
「我々も気持ちは同じなのです。どうかそれを理解してください。あなたは一人で戦っているわけではないのですからね」
たしなめた後は諭すように。
「…我々を選んだのは、力を貸して欲しいという願いも込めてのことだとその口で言われたでしょう。貴方の中で我々はどういう存在なのですか」
ダニエルの言葉の続きを口にするジャックの口調は自然と王子に向けてのものに戻ってしまった。
コウェルズだけに聞かせるかのような小さな声。だが芯の強さが自分自身にも大きく耳に響く。
若くしてエル・フェアリアを背負ってきたコウェルズだ。気さくで飾らない、臣下や民に愛される王子。
生まれた瞬間から定められた指導者としての立場がコウェルズを絡めていたのだろうか。
「…もっと頼ってこい。俺達にその力が無いなんて言わせないぞ」
なにも勝手な行動だけを諌めているわけではないのだ。
それがようやく伝わったのだろう。ジャックを見つめてくるコウェルズの身体から力が抜けていく様子を目の当たりにした。
「…騎士達は誰も彼もが私を子供扱いしようとする。不思議で仕方ない」
「頼ることはなにも子供だけの特権じゃない。そこをわかってないってことは、まだまだ子供だという証拠だな」
コウェルズはもう手前勝手には動かないだろう。そう確信して、ジャックはようやく深く腰掛けていた椅子から立ち上がった。
「お前達はどうするんだ」
「あなた達が帰ってくるまでここでエテルネルの剣術訓練を行いますよ。エテルネルの腕前はまだまだ子供の剣術遊びですからね」
「お前から見れば、だろ?」
不安がないわけではないが、コウェルズが自分だけで動いているわけではないと理解してくれたなら今は言うことはない。ジャックもジュエル達と合流する為に立ち上がり、部屋に残るダニエルとコウェルズの予定に笑いかける。
「大会でいいところまで行けるくらいには腕が立つつもりなんだけどな」
コウェルズも小さな不満を口にして、双子で揃って大きく笑って。
「…エテルネル、忘れるな。お前には俺達が付いている。エル・フェアリアにも多くの仲間がまだまだいるんだからな」
戒めのような言葉。そこに含まれるのはジャックとダニエルだけではない。
「…ありがとうございます。どうやら“また”一人で踊るつもりでいたようだ」
自身の左手薬指にはめられた指輪を撫でながら呟くコウェルズのその言葉を最後に、ジャックはようやく部屋を後にすることができた。
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ルードヴィッヒとジュエルの待つ廊下に出れば、二人分の不安そうな眼差しはすぐジャックに向けられてきた。
自分達が怒られる訳ではないというのに、まるで今すぐ飛び出してくる叱責に身構えるような態度を取るから苦笑しか浮かばない。
「安心しろ。話し合っただけだ。エテルネルも理解して反省してくれた」
「…反省…ですか」
ルードヴィッヒの不安げな声は王子相手に、と続くようだった。
「さあ、早いとこジュエルを送り届けよう。ユナディクス国の侍女の好意を無下には出来ないからな」
ジュエルが大切そうに抱える入浴用の鞄を当然のことのように自然に持ってやれば、なぜか目を見開くのはルードヴィッヒだ。
何を思ったかはわからないのでそのまま歩き始めれば、隣について歩くのはジュエルだった。ルードヴィッヒは様子を伺うようにジャック達の少し後ろだ。
「恐らくラムタルの入浴施設はその手前に談話室が用意されてるだろう。付き添いがそこで侍女が出てくるのを待てるようにな」
「え!?」
ラムタル国でどう用意されているかは知らないがエル・フェアリアや他国の今までの大会期間の施設を考えればそうなっているだろうとの説明にはジュエルが困惑の声を上げる。
「なんだ?」
「…いえ、あの、私が出てくるまで待たれるのですか?」
「…まあ、当然そうなるな」
侍女が数人で固まっていたとしても、護衛になる男を付けないはずがない。
「気にせずゆっくり休んでくればいい。エテルネルとルードヴィッヒ二人分のサポートを兼ねてるんだ。身体を休められるところではしっかり休めないとな」
「あの、いえ…そういうわけじゃ」
「ん?」
「…いえ」
縮こまるように両腕を胸元に寄せて言葉を濁すジュエルは、次第にジャックの隣からルードヴィッヒの隣へと歩みを遅めていく。
「なんだ。本当に気にすることはないんだぞ。ゆっくり絡繰りの風呂を堪能してくればいい」
「……」
結局押し黙ってしまったジュエルの頬は少し赤らんではいないだろうか。
いったい何なんだと首をかしげるジャックに答えをくれたのはルードヴィッヒだった。
「…外で待たれるのが嫌なんじゃ…」
隣に来たジュエルを覗き込みながら呟いたルードヴィッヒへとくり出された幼い拳は、受け身を取っていないルードヴィッヒの脇腹に見事に刺さった。
「っっっ!!」
あまりに突然の出来事にルードヴィッヒがその場で脇腹を押さえて悶絶する。
「…なんだ?そんなことが嫌なのか?」
「そんなことではありませんわ!!」
やや食い気味で言う「そんなこと」が何を表すのかがいまいち掴めずに眉をひそめれば、ジュエルの顔色は赤から青に変わっていくところだった。
怒る表情はジュエルの姉であるアンジェとよく似ているが、ジャックを苦しめたアンジェと異なり随分と可愛らしいものだ。
傲慢と名高い藍都ガードナーロッドの出自でありながらその片鱗を今まで見せてくれなかったので新鮮ではあるが、たかが風呂に足止めするほどの何があるというのだろうか。
「だってアリアさんがあんなに恥ずかしがっていらっしゃるんですもの!殿方に待たれるのはとっても恥ずかしいことに違いありませんわ!!」
何を言いだすかと思えば。
先ほどまで胸元に収めていた両腕をブンブンと振りながら憤慨しているジュエルには悪いが、あまりにも無垢な乙女らしい様子に思わず笑ってしまった。
「わ、笑い事ではありませんわ!」
だってアリアさんは、と続けて同じ言葉を繰り返すジュエルはアリアの言葉だけを完全に鵜呑みにしているのだろう。
ジュエルは他人の言葉を素直に信じきってしまうところがあるとは聞いていたが、いつもこんな調子なのだろうか。
この程度なら微笑ましいものだが。
「彼女はそういう文化に慣れていないから恥ずかしいというだけだろう。現に七姫様方は恥ずかしがる様子なんて見せていないはずだぞ」
かたや貧しい地方で育った元平民、かたや大国の姫君と両極端ではあるが、ジュエルの反応は素直すぎるものですぐに「そうか」と顔色を元に戻した。
「…ですがなぜあんなにも恥ずかしがられるのでしょう?」
護衛が必要なことであると理解しているジュエルはアリアが口にしていたのだろう恥じらいを疑問視するが、そこまでジャックにはわからない。
「帰った時に聞いてみればいいだろう。先を急ぐぞ」
「あ、お待ちくださいませ!!」
長く話して時間を割く話題でもないので歩みを再開すれば、慌てたようにジュエルとルードヴィッヒが続いてくる。
ルードヴィッヒはまだ突かれた脇腹を押さえて痛そうに眉を寄せているが、ジュエルに恨んだ表情を向けてはいない。むしろ諦めたようにため息をつく姿は完全にジュエルの行動に慣れた様子を見せており、それはそれで面白いものがあった。
慣れていなければジュエルもルードヴィッヒに攻撃をしてはいないだろうから、幼馴染みとは羨ましいものだ。
「ジャック様は何度かラムタル国に来られているのですよね。先ほどからくりのお風呂と言われていましたが、何か面白い仕掛けでもあるのですか?」
「そうだな。リーン様に同行したくらいだが…なかなか面白い仕掛けではあったな。女風呂も同じかどうかはわからないが、楽しみにしていいと思うぞ」
かつてリーン姫と共に訪れた数える程度の訪問。懐かしさに表情を緩めながら思い出すラムタル王城は、大人が失った子供心を取り戻すように好奇心をくすぐるものがあった。
「戦闘用の絡繰りばかりじゃないんですね」
ルードヴィッヒの言葉はどこか不満そうにも見て取れたが、視線があちこちと忙しそうに絡繰りを見渡している様は大人ぶった子供のようだ。
「大会出場者には絡繰りの訓練兵を用意してくれるそうだ。明日借りてみるか」
「本当ですか!?ぜひお願いします!!」
やはり子供そのものか。ジャックの提案に一瞬で食らいつくルードヴィッヒの素直に輝く眼差しが面白かった。
ジュエルは特にだが、ルードヴィッヒと揃って子供らしくないところは肝の座り方くらいだろう。
談笑しながら進む道のりは他国の者達からの敵視の視線も多く、不慣れな者なら萎縮するだけのはずだ。しかし二人はそうはならない。
ルードヴィッヒは敵視の気配を敏感に察知しているが、ラムタルに降り立った時のような緊張感はもう見えない。戦場で性格が変わるとでもいうかのように昨日からの異変も消えていた。
実際に消えているわけではないのだろうが、魔具の装飾で彩られた自分を堂々と見せつけるように歩く様は見ている限りでは頼もしい。
ルードヴィッヒの内面まではわからないので今の状況が吉であってほしいものだ。
「--あ!あちらにいらっしゃるのがユナディクス国のメデューサさんです!」
ようやく見えてきた簡易ながら凝った作りの談話室。その壁面に背中を預けている異国の侍女の姿をジャックは目に留めて、その侍女のそばにいる二人の戦士に眉をひそめた。
「…言っていたユナディクスの武術出場者じゃない様子だな。スアタニラの戦士か?」
肌の色からしてイリュエノッド国ではないことは確かでジュエルに確認をとるが、困惑した声で「いえ」と不安そうに返されただけだった。
「…行ってみるか」
侍女が嫌がる素振りを見せていないので平気かと近付けば、あと数メートルというところで向こう側の戦士達がジャック達に気付いて軽く睨みつけてくる。
邪魔をするなとでも言いそうな眼差しだったが、
『ジュエル様!』
囲われた当の本人が嬉しそうにジュエルの名前を呼ぶので構わず近づいてわざとらしく笑顔を向けてやった。
『あなたがハベナリア・メデューサ嬢ですね。私はジャック・サンシャイン・レフト。先ほどは私共の侍女と馬鹿な騎士が世話になったようで感謝しております』
馬鹿な騎士が誰を表すのかすぐに理解した様子で苦笑するメデューサの両隣にいる二人は、まさか合流されるとは思っていなかった様子で罰が悪そうだ。
『伝説の騎士様にお会いできて光栄です。改めて自己紹介させてくださいませ。私はユナディクスのハベナリア・メデューサ。武術試合出場者であるハベナリア・ラジアータのサポートに付いております』
静かなお辞儀の後は自分の側にいた二人の戦士に体を向けて、ありがとうございました、とまたお辞儀をして。
『こちらのお二方は?』
『アークエズメル国の剣術、武術試合出場者のお二人です。ラジアータとはぐれてしまいまして、一緒にいてくれたスアタニラ国とイリュエノッド国の出場者のお二人が探しに向かってくれている間の護衛を買ってくださいましたの』
『…そうでしたか』
どうやらジャックが邪推しすぎていたらしい。
『本当に助かりました。ありがとうございます』
『いえ、お役に立てたなら』
『では我々はこれで』
挨拶の全てをメデューサにだけ向けて早々に立ち去ってしまったアークエズメル国の二人の背中を見送れば、こちらを見ない様子に不信感を覚えたのはジャックだけではないことがルードヴィッヒとジュエルの表情からも見て取れた。
『今日は本当に良い人たちに恵まれた日です!』
当の本人であるメデューサはどうやら気付いていない様子だが、アークエズメルの者達が最後にチラリと向けてきた視線はやはり不穏としか思えないものだった。
『それで、ラジアータ殿とはどの辺りではぐれてしまったのですか?』
『場所までは…あまり遠くではないと思うのですが、なんせフラフラとした弟ですから…あ、ですがご安心ください!口はきちんと閉じる子ですわ!』
コウェルズの件を不安に思うより先にまるで我が子のようにラジアータを語るメデューサの眼差しがふと見開かれて。
『--あ、来ました!お二人が見つけてくださったみたいです!』
先ほどよりもさらに嬉しそうに満面の笑みを浮かべるメデューサにつられて後ろを振り向けば、それぞれ異なる兵装を纏う三人がこちらち近づいてくるところだった。
きびきびと歩く二人に挟まれた男だけが今にもどこかへ行きそうなほどふわふわとしているので、彼がユナディクス国のラジアータで間違いないだろう。
そして近付くごとに両端の二人は顔色を変えていき。
『--まさか伝説の戦士にこんなにも早く会えるとは…初めまして!俺はスアタニラ国のトウヤ・イサナと申します!お時間ある時で構わないので是非稽古をつけていただけませんでしょうか!!』
ジャックからすればまだまだ若者に分類される青年が、後の二人を置いて駆け寄り強引に手を掴んで握手をしてくる。
強引とはいえ悪意は一切見えないので気楽に握り返して応じてやれば、トウヤの顔色が嬉しそうに赤く変化した。
まるでルードヴィッヒをそのまま成長させたかのような性格のトウヤに思わずルードヴィッヒに目を向ければ、案の定嫉妬するような目でトウヤを軽く睨みつけている所だった。
『他国の戦士や師とも自由に稽古ができるのが大会の醍醐味だ。お前も気になる戦士がいれば気兼ねなく声をかけていけ』
『…はい』
あえてラムタルの言葉で注意すれば、ルードヴィッヒは拗ねた様子で俯いて。
『あなたがエル・フェアリアの武術試合に出場されるラシェルスコット家のルードヴィッヒ殿ですか。お若いのに選ばれるとは羨ましい限りです。あなたも是非俺と手合わせをしてください。そして大会で当たれば共に全力で戦いましょう』
歳の分大人なのだろう。トウヤは拗ねた様子を見せたルードヴィッヒにも握手を求め、ルードヴィッヒも素直にその手を握り返して会釈をした。
『--気になる戦士がいれば声をかけずにはいられない性格のようだな、お前は』
そして置いていかれたイリュエノッドの戦士がラジアータを伴ってようやく合流する。
『初めまして。イリュエノッド国から武術試合に参加するクイと申します。お噂は聞いております。騎士の復帰はコウェルズ王子の采配だとか。あなたを慕う戦士の一人としてとても喜ばしい限りです。本当におめでとうございます』
『国外の戦士達にも知られているとは恥ずかしいものだな。ありがとう。こんな男でも慕ってくれているなら嬉しいよ』
トウヤよりは冷静らしいクイは涼しげに握手を求めて来たが、応じてみればトウヤよりも力の強さがしっかりと感じられた。
『トウヤは私の時にもこんな風に突然稽古をしようと声をかけて来たので、悪気は無いはずです』
無礼は許してやってくださいと暗に告げてくるが、彼らはまだ出会ったばかりのはずなのによくここまで心を通わせられたものだと感心してしまう。
他国の戦士達との交流の場ではあるが、同時に相手より上を目指し争う場でもあるというのに。
『彼に似た性格の若者がこちらにもいるから平気だよ。な、ルードヴィッヒ』
『な、なぜ名指しなのですか!』
一気に顔を真っ赤にするルードヴィッヒを皆で笑って、最後にラジアータとも挨拶を交わして。
早々にコウェルズの正体がバレてしまった四人は、コウェルズやジュエルが言うように確かに口を閉じてくれていそうな人物で安心した。
周りの目があるので少しだけ場所を隅に移動して改めて「エテルネルをよろしく」と告げて。
メデューサは同じユナディクスの侍女達も待っていた様子で、合流してからジュエルを連れて男子禁制の入浴場へと向かい、帰って来るまでの間の時間つぶしも兼ねてまずジャックが問うたのは、トウヤとクイがラジアータを探しに向かった際にメデューサの側にいた男達のことだった。
彼らに護衛を変わるように願ったのかと問えば、トウヤとクイは困惑した表情を見せてくる。
『あの…我々がメデューサ嬢のそばを離れた時は彼女を一人残しました…入浴場前の談話室ならば人も多いので安全だと思ったので』
口を開くクイは先ほどのハキハキとした話し方を忘れたかのようにわずかに口ごもる。隣にいたトウヤもだ。
怒られるのを怯えるような姿は先ほどのルードヴィッヒとジュエルのようだ。今回は軽くとはいえ注意をするのだが。
『彼らは好意でメデューサ嬢のそばにいてくれたと思いたいが、腹の中なんざ誰にもわからないんだぞ。異国の者とはいえ護衛を買っていたならどちらか一人は残るべきだったな。人が多ければ安全だという考えはこれからは捨てるんだ。いくら開催国がラムタルとはいえ、人の目の数は限られているんだからな』
今回はエテルネルの件があったからメデューサも自国の者達の側にいなかったのだろうが、やり方はあったはずだと諭していく。
『それと君だ、ラジアータ殿』
『…えっと、俺?』
肩を落とすトウヤとクイをまるで他人事のようにボケッと見ていたラジアータは、突然の名指しに間の抜けた驚きを見せてくれる。
『俺なんかしましたっけ?』
『あのなぁ、そもそも君がメデューサ嬢から離れなければこんな注意するはめにはなっていないんだ。ここはユナディクス国とは違う。特に試合出場者は自分のサポートに付いてくれる侍女を一番に守る役目もあるんだぞ。今後は絶対にふらふらと離れるな』
『…すみませんでした』
頭を下げはするが少し不満そうな様子を見せるラジアータには、ため息しか出なかった。
『…大会は本当に侍女達にとって危険な場所なんだ。エル・フェアリアでも大きな被害こそ確認されていないが未遂は発見している。確認できていない被害も多いだろう。せっかく出場者として選ばれるだけの力を持って生まれたんなら関わった女くらい守り抜いてみせろ。今のお前達はまだまだ旅行気分丸出しの“客人”だ』
これでもルードヴィッヒに口酸っぱく言ったほどきつく注意したつもりはないのだが、三人の消沈具合はなかなかのものだった。
コウェルズと同じか少し歳上程度だろう男達の背中を丸める様子には、周囲の目も何事かと好奇心の眼差しに変化して。
『辛気臭い顔はやめとけ。侍女のことは置いといて、俺はエテルネルの件が君達に知られたことに関しては良かったと思ってるんだからな。これでも信用出来そうな男かそうでないかはわかるつもりだ』
他者の多い場なので言葉を選びつつ話せば、緊張が伝わってくるようだった。
三人とも目を逸らしはしないが、それが逆に硬くも感じさせる。
『エテルネルが言った通りだ。よろしく頼む』
ここで改めて頼みを口にする必要もないだろう事は確かなので肩の力を抜きながら頼めば、ラジアータが首を傾げた。
『そういや…なんでわざわざ彼が?』
単純な質問だが、トウヤとクイは口にしないように気を付けていたのだろう。ラジアータの発言に思いきり凍りついてしまった。
『ああ…まあ、彼の考えている事は我々にも検討がつかない事が多いからな。ま、悪くならない事は確かだ』
はぐらかす答えを納得するものなどいないだろうが、ラジアータはそんなものなのかとでも言いたげにうなすいてくれた。
『深く考えなくていいさ。エテルネルは“自由気まま”な奴だ。見つけたとしても放っておけばいい』
行動の妨げになるような三人ではないはずだ。ラジアータは少し不安がよぎるが。
『堅い話はこの辺りで終わらせておこう。後でダニエルもお前達に会いにくるだろうからよろしく頼むよ』
『あ、じゃああなたがジャックさんなんですね』
最後の最後に放たれたラジアータの言葉には思いきり大笑いしてしまい、チラチラとしたものだった視線が一気にこちらに集中して。
『俺の自己紹介がまだだったな。悪かった。でもおまえ、俺がどっちかわからないまま話してたのか?』
『えっと…双子だそうだからどっちかなんだろうな、と』
笑われるとは思っていなかったのだろう。助け舟をトウヤとクイに求めていたが、二人も同じようにジャックがジャックだったという事実に今気付いたという目をしていた。
『顔の見分けは親でも間違えるからまぁ仕方無いな。この顔を見かけたらどっちかだと思っておいてくれ』
『そんなザックリでいいんですか?』
『仕方ないだろう。俺も向こうももう慣れてるさ』
気にしていたらキリがないものだ。
『えっと、じゃあ姉ちゃん達待ってる間、この外で簡単な訓練します?』
談話室には外につながる扉が開かれており、扉を抜けた向こう側は小規模の訓練用グラウンドがある。ラジアータがたどたどしいラムタル語で指し示すその場所での訓練に無邪気に反応を示したのはルードヴィッヒだけで、トウヤとクイはジャックと同じように困惑した表情を見せた。
『開いた時間に訓練をつけてやりたいのは山々だがな、ジュエルとメデューサ嬢を待っている身としては簡単には頷けないな』
いつ二人が出てくるかもわからないのだ。待っているだけなのが暇なのはわかるが今は控えろと暗に告げれば、平気ですよ、とラジアータは続けた。
『うちの侍女達みんな長風呂なんで短くても二時間は絶対出てきませんから』
いかにメデューサを含めたユナディクスの侍女達が長風呂を譲らないかを確信をもって語り続けていくラジアータの言葉に呆れてしまいそうになるが、ふと耳を澄ませば周りの男達も自国の侍女達が出てこないのを嘆く声がいくつか聞こえてくるところだった。そういえばここは絡繰りの国。珍しい風呂場は誰であろうが楽しもうと時間をかけるだろう。
『……見てやるか』
まあ、長風呂が悪いとは思わない。時間の有効活用になるかと訓練を了承してやれば、真っ先に外に向かおうとするのはやはりルードヴィッヒだ。
しかし咎める間も無くトウヤとクイも無邪気にルードヴィッヒの後に続くので、言葉の代わりに出てくるのは笑みだけだった。
『子供と大人の境界ってどっからなんですかね?』
まるでジャックの胸中を読んだかのように尋ねてくるラジアータには俺にもわからない、とだけ返して。
『えっと、そいじゃあ、よろしくお願いします。伝説っぷり楽しみにしてます』
『お手柔らかに頼むよ。こっちももういい歳だからな』
連れ立って歩きながら訓練場に向かえば当然のように緊張の視線は周りから注がれるが、見たければ見ればいいと気にするつもりはなかった。
ここは交流も兼ねた大会の場なのだ。存分に見て自身を高めればいい。
ジャックの自信に満ちた姿に見惚れるように、特に若い戦士達の眼差しは緊張から憧れに変化していくのがわかった。
第64話 終