第63話
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「…なんだ、寝てんじゃねえか」
「シ!静かにしてて!!」
ラムタル王城内の一室に秘密裏に忍び込むのは、神官衣を纏うウインドとルクレスティードだった
薄暗い一室に溶け込む二人の闇色の髪と瞳が覗き込むのは部屋の主役であるかのような巨大な寝台に眠るエル・フェアリアの第四姫で、眠り続けるリーンを前にウインドがさっそくやる気を削がれたかのように溜め息をついた。
リーンに用があったのはルクレスティードだ。しかしリーンとの密談がバインド王にバレてしまってからというもの扉は監視の下に強く閉ざされ、ルクレスティードは姉と会えない時間を無駄に過ごしていた。
ルクレスティードの生まれながらに持つ千里眼は未熟すぎてラムタル神官達の魔術の防御を越えられない。
しかしどうしても会いたくて、助けを願ったのがウインドだった。
城内での自由を与えられているウインドは、過去の癖からか抜け道や見つかりにくい場所をいとも簡単に見つけてくれるし、身体に似合わない身軽さで鼠のように天井裏を駆けてくれる。
ウインドならばリーンのいる部屋にまで連れていってくれるのではないかというルクレスティードの予想は見事に適中し、どういう能力を使ったのか後に続くだけでするりと簡単にリーンの元にたどり着くことが出来た。
からくりの国というだけあって天井裏などの隠され埃にまみれた通路を進むのはそれだけで子供心をくすぐるのに、話して聞かせたい相手が眠っているというだけで落胆は強い。
「中にいることがバレたら厄介だ。とっとと起こしちまえよ」
「え…でも…」
「お前が会いたいって言うから手を貸してやったんだ。無駄骨にさせるなよな」
眠るリーンを前に二の足を踏むルクレスティードをよそに、ウインドはズカズカと普段通りの乱暴さで大きな寝台に片膝をついてリーンの頬を軽く叩いてしまった。
「乱暴はやめて!」慌てて止めに入るが時すでに遅く、ウインドが軽く身を引くと同時にリーンの寝息のリズムが崩れた。
はたして起き上がるのは幼いリーンか、それとも大人びたリーンか。
どちらか片方に会いたいという願いはないので息をひそめて見守れば、まぶたが開いて闇色の緑の瞳が先にウインドを、その後すぐにルクレスティードを映した。
口を開くのは天使か、悪魔か。
「…起こされるのは好まぬわ…」
月光に照らされたかのような青白い唇が発する音色は深い闇に満ちて、ルクレスティードとウインド両方の背筋を粟立たせた。
「久しぶりよの…ルクレスティード。それに、闇を宿した青の子よ」
最初に比べれば随分とましになったとはいえ、枯れ枝のように細い悲しい身体をした少女に見た目とは不釣り合いな口調で話しかけられて、普段は堂々と喧嘩を売りに向かうウインドもグッと言葉を飲み込んだ。
そもそもウインドは最初の救出からこちら、リーンとは一度も話していないはずだ。
「青の子よ、ラムタル開催の剣武大会に出場するのだろう?健闘を祈っているぞ。ラムタル代表とはいえ身体はエル・フェアリアの血肉。同国同士で戦えたならさぞかし素晴らしい戦闘になるだろう」
かすれた声の激励に、ウインドは警戒するように小さく頷くだけだ。
リーンはその様子を見て楽しそうに喉だけで笑うと、ほのかな温もりを宿した瞳で再びルクレスティードに目を向けてくれた。
「会えなくなってリーンも寂しがっていた。起きたのが私でなくリーンならよかったのだがな」
「そんなことないよ!」
思わず否定したのは、リーンの言葉が悲しかったからだ。
今目の前にいるリーンは、自分は紛い物だからいつ消えてもいいといとも簡単に口にしてしまうから。
「…僕は君にも会いたかったから」
本心からの言葉に、リーンの表情が数拍呆けてから少しだけ柔らかくとろける。
「…嬉しい言葉だ。ありがとう」
感謝の言葉に今度はルクレスティードが頬を朱に染めた。
「バインド王もなかなかに頑固で融通がきかぬ。いくら私と父上を離そうが、我らが父の魂を宿している以上意味などないというのに。それにお前とも会えなくするとはな」
「仕方ないよ…王さまはずっと君のことを大切に思っていたんだから」
会えなくなってまだ数日程度だが、ようやく出会えた血の繋がる姉と離されて寂しくないはずがない。それでも健気にラムタルの王を立てるルクレスティードを鼻で笑い飛ばしたのはウインドだった。
冷めた笑い方は、ガミガミと暑苦しいウインドには似合わないというのに。
「あんな日影でしか力になれないような奴、放っときゃいいんだよ。王がどれだけ頑張ったって、俺たちは王の言いなりにはならないんだからな」
卑屈な笑みを浮かべながら、ルクレスティードとリーンには背中を向けながら。
「俺達はどうあがいてもエル・フェアリアの呪縛からは逃げられないんだ。大国だか王だか知らねえけど他国の人間が俺達に制限なんかかけられるはずもねぇんだからな…王ってだけで偉そうにしやがって」
まるで個人的に恨みでもあるかのような口調に、ルクレスティードは首をかしげることしか出来なかった。
そして今度は、ウインドの言葉にリーンがクスクスと楽しそうに微笑む。
「…どうしたの?」
「いや、少し可笑しくてな…青の子よ。いくら武術で王に負けたからといって、そこまで目くじらを立てることはないだろう?」
「っっ…う、うるせえ!!」
ルクレスティードにはわからない出来事をなぞるリーンに、ウインドが指摘された屈辱から頬を赤くした。
「…どういうことなの?」
「そこの青の子は昨日の武術訓練で王に負けているのだ。その恨みが先程の戯言の理由だ」
「…そうなんだ」
「うるせえ…あれが訓練の数になんか入るかよ…だいたいこっちは重い装備をつけさせられたし、王が相手ってだけで周りの奴らから訳わかんねぇプレッシャーかけられた状態で戦わされたんだ。あんなもん、わざと負けんのが顔の立て方ってやつだろ」
納得がいかない様子で当時を語るウインドに、またリーンが笑って。
「大人になったものだと父上が呆れておったぞ」
「ほっとけ!!」
つまりウインドの言葉を汲んでやるならば、望まない負け戦を強いられたということか。
好戦的で負けず嫌いなウインド。以前までならそんな場面に出くわしても容赦なく相手を倒しにかかったというのに、どんな変化があったというのだろう。
「…そうだよね。ウインドが負けるはずないもんね」
ルクレスティードなりに色々と考えた結果として口からこぼれた純粋な言葉に、しばらく間を開けた後にウインドは強い力で頭を撫でてくれた。
まだルクレスティードにはわからないことばかりだが、それでもこの言葉が間違いではなかったという証拠だった。
「…それで、ここに来てくれた理由はなんだ?」
談話のお陰で潤った場の空気から本題へ入る道を見つけたリーンに問われて、ルクレスティードは少しだけ困ったように眉尻を下げる。
「理由とかはなくて…話がしたかっただけなんだ」
用もなくなどと、もしかして怒られてしまうだろうか。そう思ってしまい両指を合わせながら視線を落とすルクレスティードの耳に聞こえてきたのは、静かに優しく微笑む息の抜ける音だった。
「リーンの話し相手になってほしいという私の願いを覚えてくれていたのだな。ありがとう」
「ち、ちがうよ!!」
しかしリーンの解釈はあまりにも悲しく、ルクレスティードは大声を出してしまってから慌てて自ら両手で勢いよく口をふさいだ。
バチンと鳴り響く音にさらに慌てるが、情けないものでも見るかのようなウインドの眼差しに冷静さを取り戻して。
「…それだけじゃないよ。僕は二人に会いたかったんだよ」
リーン身体に、異なる二つの人格があって。
ルクレスティードはどちらか一人にだけ会いたかったわけではないのだ。
その思いが伝わったのかどうかはわからないが、虚を突かれたかのように瞳を丸くするリーンが数秒経ってからようやく表情を表してくれた。
今まで見たこともないような照れたような笑顔。たとえ微かな表情の変化だったとしても、見慣れ始めた変化にはすぐに気付けた。
「…先ほども言ってくれていたな。私にも会いたいと思ってくれていたということか…なかなかに嬉しいものだ。ありがとう」
感謝の言葉にルクレスティードもつられて照れて、二人でクスクスと笑い合って。
「…なんだよ。気持ち悪い奴らだな」
言い捨てるウインドの言葉すら先ほどの警戒も忘れてどこか温かな色を灯すから、薄暗い室内だというのに気配はとても和やかなものになっていた。
「…それで、ここに来た理由はなんだ?」
温まった会話。それを見越してか本題を聞き出そうとするリーンに、あう、と口を閉じたのはルクレスティード以外にいるはずもない。
「どうした?」
「ううん…ほんとにただ会いたかっただけだったから…話さなきゃいけないこととかそういうのじゃなくて」
会う前は話したいことがいくつもあったのに、いざ改まられると言葉は浮かんでこない。
「ま、重要な話はファントムがしてるだろうしな。蝶がどうとか言ってなかったか?」
ウインドの助け舟にようやく思い出すひとつの話題も、ルクレスティードが口を開くより早く。
「お前が匿ってくれていると父上から聞いておる。ありがとう。リーンも心配していたからな」
ルクレスティードが口にするよりも先にリーンが蝶の居場所を言ってしまって、少しだけがっかりと肩を落とした。
ラムタルの庭園で捕まえた魔力を持った不思議な白い蝶すら、バインド王はリーンの側にいることを許さなかったのだ。
「あの蝶は元気にしておるか?」
「空中庭園の僕の部屋でふわふわしてるよ」
問われてようやく現状を話して、
「あの蝶なんなんだ?何も食わねえし、そろそろ寿命じゃねえのか?」
「怖いこと言わないでよ!」
ウインドのいらない言葉にカッと噛み付いて。
「怒んな。普通に変だなって思っただけだろうか」
「…そうかもしれないけど…まだ元気だよ!」
寿命だなんて恐ろしい言葉、聞きたくなんてない。
死ねない呪いにかかったルクレスティード達には関係のない言葉であったとしても、本来の生物にはあって当然のものなのだから。
しかしルクレスティードも気にはしていた。
魔力を持った不思議な蝶は、ルクレスティードの手に戻ってからも何も食べようとはしなかったのだから。
花を大量に持ち込んでも、虫やルクレスティードの食べ残しを持ち込んでも。
リーンに譲る前はどこかで食べているのだろうと気にしていなかったが、白い蝶は本当に何かを食べている様子がなかったのだ。
「…あの蝶は魔力で動く存在だ。食事も何かしらの魔力なのだろう」
「…そんなことがあるの?」
リーンの説明に素直に頷けないのは、魔力が食事などと思えないからで。
魔力は消費するものでしかないはずだ。
そして消費された分は食事からの栄養と休息で回復させる。
「我々の食事と植物の食事は違うだろう?それと同じだと思えばいい。魔力を食料としている生物もいるということだ」
「うーん、そんなものなのかなぁ?」
「難しく考えるな。生命とはそういうものなのだ」
魔力が食料だなんて。聞いたこともないから素直に受け入れられないのだろうか。
「…じゃあ一番側にいる僕の魔力が蝶のご飯になってるのかな?…食べられてる感じはしないけど」
「少量で充分なのだろう。お前の魔力ならば上質であることは確実だ」
「それって喜んでいいの?」
また笑われて、つられて笑い返して。
「…王の気配が近付いているな…じきにここに訪れるだろう」
「え…」
まだまだリーンと共にいたいというのに帰らなければならない現実がこちらに向かっていると告げられて、ルクレスティードは慌ててウインドに目を向けた。
「戻るぞ」
「…うん」
楽しい時間はいつもあっという間に過ぎ去ってしまう。
「いずれ共にいられるようになる。今はまだ我慢の時だ」
「わ、わかってるよ」
まるで子供に言い聞かせるような口調に少しだけ拗ねて、元気でいてね、と告げて。
「また来るからね」
「楽しみにしている。さあ早く帰るがいい」
バインド王が来る前に、と急かされて、ウインドにも腕を掴まれた。
「そんなしょぼくれんな。また連れてきてやるから」
「…うん」
逃げるために駆け足でウインドと向かった場所は扉ではない。部屋の隅、最も薄暗い角だ。
そこの天井からウインドと共に訪れたのだから。
絡繰りの国は王城も不思議な仕掛けが多く、忘れ去られた通路もいくつもあった。
「ほら、乗れ」
背中を向けてしゃがんでくれるウインドの首元に両腕をかければ、足が宙に浮かぶ感覚と同時に視界は一気に高くなった。
まるで重力を感じていないかのように壁の装飾やらを伝ってするすると天井に登っていくウインドの背中から一度だけリーンのいる寝台に目を向けて、
「ほら、早く入れ。王に見つかったらもうこの道使えなくなるぞ。また連れてきてやるから」
「…うん」
急かされて、天井の微かな凹凸から扉を開けて中に入って。
先に埃だらけの通路に上がって、ウインドもすぐに音を立てずに上がった。
「…ギリギリだったな」
「うん…見つかってないといいね」
ウインドが天井の扉を閉めてすぐに聞こえてきた部屋の扉を開ける音。その後穏やかな気配が流れる様子に、二人で同時に安堵の息をついてしまった。
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