第62話


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「---くしゅん」
 どこか遠くから響いてきた小さな音に、ニコルは身体がふわりと浮かぶような不思議な感覚に心地好く苛まれながら“気が付いた”
 唐突すぎて何が起きたのかわからなかったが、数秒ほど経ってからようやく眠りから覚めたのだと理解する。
「…ごめんなさい。起こしちゃった?」
 ゆっくりと目を開けると同時に聞こえてくる声は真正面からだが、上から落ちてくるような響きもしていて不思議な気分だ。
「…お前」
「ぐっすり寝てたね」
 まだ状況は掴めていない。
 それでも自分の今の体勢がどういったものかは少しずつ理解していく。
 目の前、といえばいいのか、ニコルのすぐ側にいたのは遊郭の娘テューラで、無意識に身を起こせば、どうやらニコルの胸部で休んでいたらしい小鳥がパタパタと飛び上がってから肩に留まり直した。
 辺りはすでに日の沈む寸前の時間で、自分がテューラの膝に頭を任せて寝ていたのだと状況を理解して。
 だが、ニコルが眠りについた時にはテューラの膝枕は無かったはずだ。
「…なんで」
 寝起きのかすれた声で問えば、薄闇の中でテューラが笑い。
「寝てる間にもう少し肩とか温めてあげようと思って」
 言われてようやく、先ほど感じた身体の浮遊感の理由を知る。
「まさか、俺が寝てからずっとか?」
「ずっとじゃないわ。休み休みよ」
「…店に戻らなくて平気なのか?」
「んー…まぁ、たまにはいいんじゃないかな」
 昼近くから今まで。
「そんなことより、首回りはどんな感じ?」
「あ、ああ…めちゃくちゃ楽になってる。助かった」
 テューラが長い時間をかけてゆっくりと優しくほぐしてくれた首筋は今まで感じたこともないほどスッキリと軽くなっていて、自分で首筋に手を回してみながら改めて驚いた。
 長く苛まれてきた頭痛とこんな形で別れを告げることになるとは。
「寝る前にも言ったけど、毎日自分で肩を回したり揉んでみたりしてみるだけでだいぶ違ってくるわよ」
 そして凝りの改善が一過性であることを改めて告げられてしまう。
「…助かった。ありがとう」
「どういたしまして」
 どこか誇らしげなテューラの笑顔。しかし次の瞬間にまた小さなくしゃみをして身を震わせた。
 明日休みたいが為に風邪を引きに来たとは言っていたが。
「本当に風邪を引いたんじゃないか?」
「そうみたいね」
 笑ってはいるが、小刻みに震える肩は見ていて気持ちの良いものではない。
 辺りの暗さも気になるところだったので、ニコルは一度深く呼吸をしてから、利き手を自身の胸の前で上向けた。
 突然の不思議な行為にテューラは首をかしげるが、ニコルは気にせずに意識を集中させる。
 魔具を出現させることは得意ではあるが、術式は苦手なのだ。
「……」
 テューラのお陰でクリアになった頭を最大限に活用して、魔力を組んでいく。
 難易度の高い術式は魔術師達の領域だが、ニコル達騎士も一応は出来るように訓練をしている。
 そして。
「…わぁ」
 利き手の上で発光を始める不思議な球体に、テューラが感嘆の声を漏らした。
 術式の訓練をずいぶん怠けていたせいで時間がかかってしまったが、持続力のある光を産み出す術に成功してほっと胸を撫で下ろす。
「綺麗…これが、魔術?」
「ああ。こういうのは苦手だから時間がかかるがな」
 ほのかに光る魔力の玉は優しくテューラを照らし、華奢な身体を魅力的に彩る。
「…ほら。持ってろ」
「え?」
 いまだに呼吸の度に肩を微かに震わせているから光の玉をテューラに差し出せば、困惑しながらも両手が伸びてきた。
 手のひらに光の玉は触れはしない。
 物質としての感覚のないそれにテューラがさらに困惑の様子を見せるが、ニコルが手を離せば光の玉はテューラの両手の間で浮遊を続けてくれた。
「不思議…触ってる感覚が無いのに暖かいなんて…」
「揉んでくれた礼だ。半日は消えないはずだ」
「…ありがとう」
 やはり寒かったのだろう。光の玉をそっと胸に引き寄せて暖を取り、しばらくしてからそっとニコルの方にもかざして。
「…こうしてみたら、あなたの銀の髪も金色に見える--」
 かざして、固まって。
「…どうした?」
 ふいに動きを止めるから眉をひそめて訊ねれば、テューラはすぐに光の玉を自分の胸元に戻して小さく首をふった。
「ううん、何でもないわ…ちょっと勘違いしただけ」
 俯かれてしまい表情がわからなかったが、それも一瞬のことだった。
「魔力かぁ。私にも不思議な力が使えたらよかったのに」
 顔を上げて、単純に魔力を羨ましがって。
「…完全に日が暮れたわ…さすがにそろそろ戻らないと心配されるわね」
 少しだけ名残惜しむような声色が、ニコルの胸につかえのように残る。
 まだテューラといたいのだと容易に理解できるほどだった。
「店まで送る」
「え?なんで?」
「…危ないだろ」
 申し出がいとも簡単に即答で切り捨てられて、半ば呆れてしまった。
 夜に一人など、怖くはないのかと思ってしまう。
「それに…前に変なのに後を付けられてるって言ってただろ」
 傍にいる理由を探している自分にも呆れてしまうが、テューラの傍にいることに安心感を覚えてしまったのだ。今は手放したくなかった。
 そうでなければ昼から夕暮れまで熟睡など出来ない。
 だというのにテューラの方はあっけらかんとしたもので。
「後を付けてくる男たちでもこの場所のことは知らないわよ。そうじゃなかったら私も一人で来ないし。それに店までの抜け道も知ってるから本当に大丈夫よ」
 何度ここに来てると思ってるの?
 屈託なく笑われて、ニコルもそれ以上の申し出は諦めた。
「…じゃあ、危なくなったらその光に強く念じろ。それは俺の魔力で出来ているから、危険を感じれば俺にも伝わる」
「うそ、凄い!なら絶対に安全だわ!」
「危なくなった時点で安全じゃないだろ…」
 見た目の年齢以上に落ち着いた姿を見せながら、突然無邪気になって。
 立ち上がるテューラは光の玉を大切そうに胸に抱きながら、持ってきていた籠も手にして改まるようにニコルに向き直った。
「光、ありがとう…じゃあね」
 しとやかに微笑んで、名残惜しむ様子も見せずに背中を向けて。
「…また会えるか?」
 このまま行かせるのがなぜか軽く癪に障り、振り向かせる為にそう問えば。
「…まあ、よくここに来るから…運が良ければね」
 立ち止まりはしたが振り返らずに返答されて、また歩き出す。
 これ以上は本当に馬鹿を見そうで、ニコルは肩に留まる小鳥と共にテューラの持つ光が視界から消え去るまでその背中をゆっくりと見守り続けた。

第62話 終
 
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