第105話


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 三人で連れ立って進み、途中で見慣れないラムタルの侍女と合流して道案内をされた。
 コウェルズ達が到着した場所は、コウェルズとジャックがマガを引き取ると決めた防音の小部屋だった。
 ラムタルで保護されていたリーンとの再会の場所が、まさかここだなどと。
 部屋の扉の前でコウェルズは蔑むような笑みを浮かべてしまった。それをラムタルの侍女が咎めるように見つめてくるが、動じずに見つめ返せば向こうが先に視線を逸らした。
 終盤で抜けたとはいえまだ閉会式自体は終わっていないだろう。もしかするとバインドもいないかもしれないと思ったが、侍女によって開かれた扉の向こうに彼はいた。
 コウェルズ達が入室すれば扉は閉じられて、以前とは異なる室内に少し警戒する。
 簡素だった部屋は、今は高貴な少女の為の寝室に様変わりしていた。
『そこまで警戒せずともよい。…三人ともここへ来い』
 柔らかな灯りに満たされた室内で、ベッドの前に座るバインドがコウェルズ達を呼ぶ。
 豪華な一人掛けの白いソファーは、バインド専用であるかのようだった。
 ベッドに眠る者とゆっくりと話す為だけに用意されたようなソファーから立ち上がることはしないバインドの元へと近付き、眠っている少女の姿を見て三人同時に息を潜める。
 リーン。
 闇色の緑の髪の、10歳頃の女の子。
 悲しいほどに痩せこけた姿に唇を噛む。五年もの長い間、大切な妹は恐ろしい土中に埋め固められていたのだ。
「ーーっ…」
 コウェルズのすぐ後ろで、どちらかが膝をついて涙をこぼす音を聞いた。
 ジャックもダニエルも、五年間己の罪を背負って生きてきたのだ。
 嵌められたとはいえリーンを守れなかったことは事実で、それは死ぬまで消えない罪だ。リーンが生きていたとしても。
 ジャックとダニエルを置いておき、コウェルズはベッドに近付く。
 バインドは少しも動かなかった。
 コウェルズの動向を注視するように視線が動くだけだ。
 眠るリーンを起こしたくはないが、そっと近付いて、青白い頬に触れて。
 ほのぬるい体温は、大切な妹が生きていることを教えてくれる。
 その事実がコウェルズの胸を強くえぐった。
 生きてくれていた。
 喜びと同時に味わうのは苦しすぎる罪悪感。
 五年間もコウェルズはリーンに気付くことなく笑いながら生きてきたのだから。
 前を向いて生きていこうと、はたして誰に言ってしまった言葉だったか。
 リーンを偲び、黄金に縁取られた深い緑を正装として身に纏い続けた。今コウェルズが纏う夜会の礼装もだ。その滑稽さに自嘲する。
 リーンの頬を撫でて、額を撫でて、柔らかな髪を梳いて。
 やがてすぐ後ろにジャックとダニエルが訪れて、三人でリーンの寝顔を見つめ続けた。
 穏やかすぎて、一切合切の苦しみを知らないように思えるほどだ。
 そうでないことは全員が知っているというのに。
『…あなたは私を騙し続けてきたのか』
 リーンの頬に触れたまま、コウェルズは目を向けもせずに問うた。
 目を向けずともわかるだろう。その問いかけを誰へ向けて発したのか。
『五年間も…』
 バインドから返答はない。
 答える必要などないと思っているのか。
 馬鹿にしているのか。
 コウェルズを。
 全身にブワリと怒りが溢れて、次の瞬間にはジャックとダニエルに両肩を掴まれていた。
 目の前をちらつく黄金の霧は、コウェルズの魔力だ。
 眠るリーンの為に落ち着いてくれと、二人の手のひらが伝えてくる。
 魔力はコウェルズが怒りに苛まれる数秒間留まり続け、やがてゆっくりと消え去った。
 震えるため息をひとつ吐いて、もう一度リーンの髪を梳いて。
『…リーンはエル・フェアリアに連れて帰る』
『ならん』
 コウェルズの言葉に、バインドの拒絶は覆い被さった。
『…一国の姫を攫っていると宣言しても?』
『改めて戦争となれば、かつてエル・フェアリアに領土を奪われた者達が嬉々として手を取り合うだろうな』
 わずかな言葉を一瞬で展開していく頭脳にまた腹が立った。
『……隠し続けるつもりか。私の妹を』
 大国の姫を、大切な人を、永遠に。
 バインドへといっさい視線は向けないままで、リーンに愛おしく触れたままで。
 深い怒りは口から溢れ続けていく。
『お前達にはまだやるべきことが残っているだろう。それにリーンを巻き込む必要はない』
 ファントムとの再戦がまだ残っていると告げられて、唇を噛む。
 確かだからだ。
 ファントムは必ずエル・フェアリアに戻ってくる。
 古代の宝具を手にして、エル・フェアリアの王城に隠された何かを開く為に。
 第五姫フェントが見つけ出したファントムとエル・フェアリアの繋がりが指し示す場所へ。
 それは確実に戦闘になることだろう。
 ファントムが誰であったとしても、その本当の目的がわからないまま両手を広げて迎えるわけにはいかないのだから。
 そこまで考えて。
『…あなたは、ファントムが何者なのか知っているのか?』
 ふと悟る。
 何者なのか、それは単純な姿を示したわけではない。
 リーンがここにいる以上、バインドがファントムと通じていることは確かだ。
 ファントムがリーンをバインドに託した。
 託すほどの仲だというなら。それはいったい
『…いつからファントムと……』
 声が途切れる。
 まるで防音のこの部屋が全ての音を吸収したかのようだった。
 バインドは口を開かない。
 思い返せば全てがおかしい。
 バインドがラムタル国を救う為に父王を討つ力を蓄えていたことは幼少期から知っていた。
 しかしコウェルズの予想より格段に早く、バインドは王を討った。
 国の立て直し速度も尋常ではなかった。
 バインドの力量や絡繰技術だけでは到底追いつかないほどの。
 絡繰を操るにも魔力が必要となる。
 ラムタル国の絡繰は少量の魔力を元に起動するものが多いが、荒れ果て焼き尽くされた広大な土地の為に使用する魔力量は尋常ではなかったはずだ。
 それをわずか数年で均してしまった。
 誰の魔力を使ったのか。
 文献に残るロスト・ロードの凄まじい魔力量があれば、容易だったことだろう。
 ファントムだけでなく、パージャや他の仲間達も手伝っていたなら尚更。
 いつからファントムはバインドと行動を共にしていたのか。
 考えて、コウェルズが彼らより若いことを思い出して。
「ーーお、兄さ、ま?」
 ふと聞こえた声が、思考の全てを吹き飛ばした。
 目に映し続けていたリーンの瞳が、いつの間にか開いていた。
 闇色の緑の瞳も、少し頼りない優しい声も、全てがコウェルズの記憶の中にあるまま。
「ジャッ、ク…ダニ、エル……」
 リーンはコウェルズの後ろに立つ二人にも顔を向けて。
「…お兄」
 またコウェルズを呼ぼうとしてくれたリーンを、強く抱きしめた。
 無意識がそうさせるかのように強く抱きしめてしまい、リーンが脆すぎる身体であることを思い出して慌てて力を緩める。それでも離しはしなかった。
 ガタ、と後ろで音を立ててバインドも立ち上がるが、意識から弾き飛ばした。
「リーン様!!」
「リーン様っ…」
 ジャックは怒声にも聞こえるような声で叫んで、ダニエルは涙を堪えるように言葉を詰まらせながら呟いて。
 二人も身を乗り出してくるから、仕方なくリーンをさらに身体から離した。
「お兄さまぁ…」
 リーンも夢現から目覚め始めたように目の前にいるコウェルズに弱々しくも縋りついて涙を浮かべてくれる。
 会いたかったと、寂しさと悲しみを全て表情に浮かべていた。
 ボロボロと泣き始めてしまったリーンは、コウェルズにすがりながらもジャックとダニエルにも手を伸ばす。
 その手を二人も当然のように取り、ひりつくように震えている吐息が二人の涙をコウェルズに気付かせた。
 五年間。
 こんな日が訪れるなど思わずに絶望を味わい続けた二人にとって、胸を潰すような再会はどれほど感情を揺さぶるのだろうか。
 生きてくれていたと素直に喜べないのは五年分のリーンの苦しみがあるからだ。
 お守りできず申し訳ありません。という自分勝手な謝罪をリーンに聞かせない彼らの理性を讃えたかった。
「……ガウェは?」
 リーンは再会を喜び、涙を溢し続け、そしてもう一人いるはずの自分の護衛を探す。
 たった三人しかいなかったリーンの護衛。その最後の一人を。
「…ここはラムタルの土地ですので、ガウェは来られなかったのです」
 ジャックが説明すれば、リーンは悲しそうに眉尻をさらに下げながら頷いた。
 ガウェがラムタルの土地を永久に踏めなくなった事件を覚えているらしい。
 リーンの状況が全くわからないので深く話せない中で、コウェルズは何度もリーンの姿を目に焼き付けていく。
 痩せこけてしまった悲しい身体だが、表情の全てが五年前のままだ。
 これもファントムと同じ不死の呪いのおかげなのか。
「ゆめじゃ、ないのですね?」
 リーンの手は弱々しいながらも懸命にコウェルズに縋り、再会をどれほど心待ちにしていたかを出しづらそうな声で伝えてくる。
「リーン…皆のところに帰ろうか」
「勝手は許さぬ」
 リーンへの問いかけに勝手に答えてきたのはバインドだった。
 ご丁寧にエル・フェアリア語を使ってくれるバインドへと、コウェルズはリーンを抱きしめたまま振り返る。
「…先に勝手を行ったのは貴方達だ。リーンには家族の待つ場所へ戻る権利がある」
 互いに強く睨みつけながら、一歩も譲らないと眼差しで訴えて。
 ジャックも同調するようにバインドを見つめ、ダニエルは思うところがあるかのように微かに目を伏せさせた。
 安全の為にリーンはここに置けとバインドは言った。
 ファントムとの再戦にリーンを巻き込むなと。
 そんなこと、知るか。
「……お兄さま…」
 掠れた声がコウェルズを呼ぶから、仮面を被るように一瞬で笑顔となってリーンに顔を向けた。
「何も心配はいらないよ。私達と帰ろう。みんなが待っているから」
 姉妹達だけではない。リーンを待つ多くの者達の元へ帰ろうと伝えたのに、リーンは不安そうに眉を顰めて俯いてしまった。
「…リーン?」
「……まだ、帰れません…」
 どうしたのか問おうとしたのに、悲しそうに呟かれた言葉に目を見開く。
 まだ、なんて。
「まだ、身体が治っていませんので…」
 何を言うのかと思えば、何か吹き込まれた様子を見せて。
「リーン?エル・フェアリアで治せばいいんだよ?」
 動きづらそうな身体のことを言っているのかと思ったが、リーンは弱々しく頭を横に振った。
「病気が、うつっては、いけませんので…」
「…病気?」
 噛み合わない会話に思わずバインドを睨みつけるが、向こうもコウェルズを強く睨みつけた状況でいる。
「何を言って…」
「リーン、もう時間だ」
 病気の意味がわからないまま問おうとするが、バインドが言葉を被せてくる方が早かった。
 その言葉に細い肩がビクリと震える。
「お兄さま、二人とも、もうお戻りください…これ以上はうつってしまいます……お顔が見れて、うれしかったです」
 話し辛いだろう声を懸命に発しながら、泣きそうな笑顔を浮かべて見せてくる。
 何を吹き込まれたのか大方の予想は付くが、それは嘘だと伝えようとして、だが言葉は寸前で止まった。
 もうしばらくここにいた方が良いのではないか。
 その考えが頭によぎってしまったから。
 今のリーンを守りながら今後訪れる可能性のある戦闘を勝てるかわからないから。
 敵はファントムなのか、それ以外なのか。
 わからない状況では戦力の確保と温存をしておきたいのに、今の騎士達はあまりにも甘えが多く見える者ばかりだから。
 ジャックとダニエル二人分の戦力すら護衛に回すのが惜しいのだ。
 絶対に連れて帰りたいのに、コウェルズの脳は無情だった。
 国か、心か。
 コウェルズが死守しなければならないものが、あまりにも多い。
 バインドの元なら安全は確約されることも答えの中に導き出されているのだから、なおのこと。
「……リーン」
 もう一度強く抱きしめる。
 リーンは嬉しそうに身を寄せるが、その後すぐに不安そうに身体を萎縮させた。
 リーンが五年間のことをどう思っているのか、何と説明されたのかも知らないが、もし記憶が曖昧なのだとすれば病気だと言われたなら漠然と納得してしまうはずだ。
 五年前、目の前でガウェが父王の命令でクルーガーに斬られたことを思い出せていないのだから。
 どこまで覚えているのか、知りたいとは思わなかった。
「……お兄さま…」
 今でさえ弱々しく兄を呼ぶ臆病なリーンが、自分に何が起きたのか思い出せばひどく怯えるに決まっているから。
「……もう少し大丈夫だよ。みんな鍛えているからね。…だからもう少しだけ、一緒にいられるよ」
 使い慣れた笑顔を顔面に貼り付ければ、リーンは嬉しそうに微笑み返してくる。
 コウェルズの隣に訪れたバインドが忌々しそうな様子を醸すが、さすがにリーンに見える場所で表情を崩しはしなかった。
 彼もリーンの為に告げるべきことと隠すべきことを分けていることを察して、後ろに侍るジャックとダニエルを近くに呼ぶ。
 二人はバインドより前に出ることを躊躇うことなくコウェルズの命令に従った。
 コウェルズの中でバインドへの信頼はすでに消え去っていた。
 たった今、ジャックとダニエルからも消えたことだろう。
 大国の王を、まるで存在しないかのように。
 リーンは必ずエル・フェアリアに連れて帰る。
 その日が今日ではなかったことが酷く忌々しい。

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