第104話


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異様なほどの熱気は、その試合を見ていないコウェルズでも肌で感じることが出来た。

大会最終日。

武術の優勝者を決める為の決勝戦が始まっているのだ。

イリュエノッド国のクイと、スアタニラ国のトウヤ。

大会名物を引き起こしたトウヤのことは観戦者達の大半も知る様子で、大歓声は大半がトウヤを応援していた。

昨日までの試合で負けた国の者達もグラウンドの最前列で見守り、その中にはルードヴィッヒもいるのだろう。

イリュエノッドの陣営でダニエルから最終調節を受けながら、コウェルズはちらりと戦闘場へと目を向ける。

「…気になりますか?」

身体をゆっくりとほぐしてくれているダニエルに背中から問われて、そうだね、と微笑んで。

遠目からではトウヤが押して見えるが、クイは岩のように動いてはいない。

大会名物を引き起こしたトウヤを多くの者が優勝候補と見る中で、そのトウヤが恋慕を向けた相手はクイの姪っ子に当たる娘だった為に大会前に掴み合いにまで至っており、注目度もかなり高いのだ。

イリュエノッド陣営にはコウェルズとダニエル以外に人はおらず、隣のスアタニラも同じく。

それは他の陣営でも言えることではあるが、白熱していく歓声が力の拮抗を示しているようだった。

どちらが勝ってもコウェルズには関係無い。

重要なのはコウェルズの試合と、その後のリーンとの時間なのだから。

「…私が勝てる確率はどれくらい?」

問うたのは、どんな感情からだったのだろう。

自分でもわからないまま口をついて出た言葉に、まさか弱気になっているのかと思ってしまった。

「確率ですか。…全力で挑めば、あるいは」

はっきりとした答えはくれないまま、だが不可能ではないと。

「…私の剣術は凡人レベルだと言ったくせに」

「そうでしたか?」

他でもないダニエルがそう言ったはずなのに、はぐらかされたのか、それとも本当に覚えていないのか。

「身体もほとんど緊張していませんね。少し肩に力がこもっているので、そこだけほぐしますよ」

両肩に熱い手のひらが乗り、ゆるやかな緩急を付けながら押され始める。

心地良いマッサージのようにも思えるが、紛れもない戦闘の準備だ。

「…ルードヴィッヒは結局、魔具の飾りをやめませんでしたね」

手を止めないまま呟かれて、コウェルズは無意識のようにルードヴィッヒを探してしまう。だが最前列を陣取っているのだろう。周りの者達より身長の低いルードヴィッヒを見つけることは出来なかった。

今朝コウェルズが目覚めた時、すでに準備を終わらせていたルードヴィッヒは普段通りかのように魔具の装飾で自分を彩っていた。

魔具の操作訓練の延長であるはずだったそれは、暴漢に襲われかけたルードヴィッヒの精神安定剤となってしまっていたのだ。

女のような見た目をコンプレックスに思う割に、ルードヴィッヒが自身に課した魔具は女性の装飾具ばかりだったのだ。

他の若騎士達は籠手などの装備が大半となっていったのに、ルードヴィッヒは頑なに装飾をやめなかった。

それが何を示すのか。

国が誇る医師団はルードヴィッヒの心理分析を行い、その魔具は一種のトランス状態であることを見つけ出した。

女のような見た目。しかし男だから襲われそうになった。

男でありながら襲われかけて、だがその当時ルードヴィッヒが着ていたのは遊女から借りた華やかなドレスで。

混乱と屈辱。羞恥と恐怖。

負の感情はルードヴィッヒの精神をごちゃ混ぜにした。

それが、ルードヴィッヒが強くなる為のあと一歩を踏み出せない足枷となっていた。

「君は今のルードヴィッヒをどう思う?」

その枷は、外れたと思っている。

「…良い意味で魔具訓練を行っているのだと思いますよ。純粋にあの魔具の装飾を気に入っているのではないですか?」

ダニエルも同じ考えの様子で、少しほっとした。

ルードヴィッヒの足枷は外された。

エル・フェアリアに戻れば、騎士として次の段階に進めるだろう。

ルードヴィッヒを筆頭に、他の若騎士達も。

「配属はどうしようか」

「まさか、もう王族付きに?」

「んー…それはまだ早いね。エル・フェアリアに戻ったら、クルーガー達と話し合うよ」

早くルードヴィッヒ達が使いものになるように。

出来ればファントムとの再戦までに、せめて妹姫達の盾となれる程度にはしたい。

そうすれば、他の王族付き達を戦闘に回せるはずだから。

「…決まったか?」

ふと、歓声が静まり返った。

そして。

『ーー優勝者、イリュエノッド国、クイ!!』

ひときわ大きな審判の声が、今年の武術試合の優勝者の名前を高らかに宣言する。

その後轟く爆音の歓声は、耳が潰れるほどだった。

「…大会名物が初めて破られた……」

思わず呟くコウェルズに、ダニエルも頷いている気配を感じた。

戦闘場ではクイとトウヤがすでに穏やかな握手を交わしているシーンではあったが、周りの熱気の凄まじさは二人の戦闘の凄まじさと比例しているはずだ。

「さあ、少し間を開けたら」

「わかってる。私の番だね」

大会の最終試合が迫っている。

ふと視線を感じてコウェルズが目を向けたのは、イリュエノッドの陣営からかなり離れた場所にあるバオルの陣営内からだった。

その陣営からコウェルズを見つめる者はオリクスただ一人だけ。

武術出場者の派閥の者が誰もいない状況で、オリクスも自身の派閥の者達から最終調整を受けているのが見える。

こちらに目を向ける眼光は、恐ろしいほどの強さがある。

負けるわけにはいかないと眼力だけで伝わる強さ。

「…こっちだって、負けるわけにはいかないんだよ」

オリクスは強い。

それは試合を見ていればわかった。

戦闘場では負けたトウヤだけが降りて、残ったクイの元へとラムタル王バインドが祝辞を述べに訪れる。

恭しく膝をついて頭を下げるクイへと、バインドが優勝のトロフィーを渡しながら大会名物を初めて破った功績を讃えていた。

歓声と拍手が鳴り止まない。

素晴らしい試合を勝ち抜いた者だけに与えられる誇らしい舞台に立ち、クイの表情は遠目からでも喜びに満ち溢れているのがしっかりと見えた。

だというのに、コウェルズにはどこか遠くの世界のことのように思えた。

それはオリクスも同じだろう。

最後の試合を残している二人だけが味わう、世界の喧騒から外されたかのような奇妙な感覚。

ダニエルも何かを察したかのように、コウェルズに話しかけることをもうしなかった。

絶対に勝つ為に。

コウェルズは剣穂を握りしめながら、普段の笑顔をしまい込んでオリクスを睨むように見つめ続けた。

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