第101話


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 手に慣れた長剣の柄の先で揺れている剣穂に触れながら、コウェルズは自身に起きた気持ちの変化をゆるやかに堪能していた。
 大会に出場すると勝手に決めた時は、優勝を目指すつもりはなかった。
 そこそこに成績を取って、リーンの居場所を突き止めて、各国の王族も集まるだろう最終日の夜会で王位継承を宣言して、後はエル・フェアリアに戻ってからファントム対策を中心に動く予定だったのだ。
 王座を得た者が行わなければならない外交など今のエル・フェアリアでは邪魔すぎる制度だが、発案国である為に勝手も許されない状況だった。
 そんな中で各国の代表や王家の者達が集まる剣武大会は全てを一度に済ませるには非常に都合が良かった。
 しかも大国ラムタルが主催となれば、多くの国の王家の者達が集まってくれる。
 バインド王もエル・フェアリアの内情を汲んで各国に打診し、多くの国々の重要人物を招待してくれた。
 リーンの居場所も知ることができた。
 これに関しては、残念な結果としかいえない状況だが。
 バインド王はリーンを返さないだろう。せめて明日、大会終了後に合わせてやると言った言葉を信じて待つことしかできないのが悔しいところだ。
 ファントムと繋がっておきながら、リーンを攫っておきながら、バインドはコウェルズより上にいようとする。
 エル・フェアリアにいたなら何とかできたかもしれない。だがコウェルズは最低限の仲間しか連れて来なかった。今になってその腹立たしさに苛立ってしまう。
 そしてその苛立ちを、バインドに向けたくなったのだ。
「…ダニエル」
 じきにコウェルズの第四試合が始まる。
 コウェルズがイリュエノッドの陣営から出て観客席に姿を晒した時点で、女性達の凄まじい声援は耳をつんざくほどだった。
 第三試合の時もそうだったが、今回は女性達の声援に加えて、男性達のヤジも多く聞こえてくる。
 コウェルズの見た目にやられてしまった女性達の多さへの嫉妬だ。
 そのヤジにすら笑顔で手を振って、後ろで見守るダニエルへと身体を向けた。
 ジャック達三人はイリュエノッドの陣営の中だ。
 ルードヴィッヒはラムタルの治癒魔術師に見てもらっており、遠くからでもコウェルズを見ているのがはっきりわかった。
「……試合に集中出来ませんか?」
 ダニエルを呼びながらも辺りを見渡してしまったコウェルズに、ダニエルは苦笑している。
「そうじゃないよ。…ただ少し、一応お伺いでも立てておこうかな、なんて」
 普段なら勝手に決めて勝手に行動するが、一応聞いておこうと思ったのは、どんな気持ちの変化なのだろうか。
「どうされましたか?」
「……“本気”でも構わない?」
 小声で問えば、ダニエルは数秒固まる。
 コウェルズの言う本気が何を示すのかをわかっているからだ。
 もちろん今までの試合もコウェルズなりに本気ではいた。
 だがもう、自分の力をエル・フェアリアの剣術内に納めて戦っていたら勝てない。
 四強とは、それほど強いから。
 コウェルズがこの大会で勝つには、コウェルズとしての本気で挑まなければならない。
 エル・フェアリア王家の者として、王家に伝わる剣術で。
「勝ちたいんだ。この大会に。…少しだけだとしても、ラムタルに一矢報わなきゃ気が済まない」
 ラムタル国が主催する大会だ。
 すでにラムタルの代表は二人とも敗退したが、それだけでは気が済まない。
 リーンを攫って返さない国に、せめて一泡吹かせるには。
 コウェルズがこの大会の主役になる他にない。
 言いたいところを理解したのか、ダニエルはやがて微笑んでくれた。
「お好きに暴れてくださいませ。今日も明日も、あなたこそ全ての注目を集めるに相応しい」
 派手にやれ、と。
 ダニエルの了承に、コウェルズも満面の笑みを浮かべた。
『ーーお待たせ致しました。準備が整いましたので、どうぞこちらへ』
 都合良く呼びに来るものだから、コウェルズは剣を鞘から抜きながら、ダニエルに背中を向けた。
 鞘を預かる審判の一人が、コウェルズの微笑みに一瞬惚ける。
 その姿を眺めてから、コウェルズだけで戦闘場へと上がる為の足場へと立った。
 美しい絡繰りの足場は、コウェルズが乗り上がると同時に黄金色に染まる。
 第三試合の時も同じ黄金色だった。
 対戦相手の足場は深い茶色で、戦闘場で黄金と混ざり合った時は色合いのコントラストが美しかったものだ。
 今回の対戦相手は何色なのか。
 楽しみに待ちながら、足場がゆっくりと動いて戦闘場へと向かう間に呼吸を深くした。
 リラックスするわけではないが、深呼吸を続けていると次第に身体の中の無駄な力が消えていく。
 足場と戦闘場が完全に同化すれば、純白の戦闘場に黄金と真紅が混ざり合う情熱的な美しさへと様変わっていった。
 対戦相手の赤は深い色合いだが、ファントムの闇色の赤を知るからか、目には鮮やかに映る。
 それでも繊細な輝きを持つミモザの髪や真っ赤なフレイムローズの髪に比べれば深いが。
 コウェルズと同時に戦闘場の中央へ進む対戦相手は、短く刈り上げた緋色の髪の青年だ。
 髪の色はエルザに似ている。
 互いに見つめ合い、向こうが先に小さく頭を下げた。
 コウェルズも礼を返し、もう一歩分近付いて。
『只今より、エル・フェアリア国エテルネルと、スェルディー・スェイド国グランツとの第四試合を開始いたします!!』
 宣言と共に花火が打ち上がり、歓声が湧き上がる。
 対戦相手の情報を得ようとしなかったコウェルズには彼がどんな技でかかってくるかわからないが、向こうは凄まじい警戒心を向けてくることに気付く。
 エル・フェアリアから随分と離れた中規模国家の青年は、歳の頃はコウェルズとほぼ同じだろう。
 グランツはチラリと視線を外すと、グラウンドの一点を凝視してから緊張がほぐれたかのようにフッと笑った。
 釣られてそちらに目を向ければ、サポートの一人なのだろう美しい娘が他の誰よりも必死な眼差しをグランツに向けているところで。
 二人の雰囲気から、互いに特別な存在なのだろうと察する。
 少し羨ましく思う気持ちは、嫉妬心だろうか。
『お二方、準備はよろしいでしょうか?』
 戦闘場にいる審判に訊ねられて、すぐに肯定の返事をしたのはグランツだった。
 コウェルズはそっと剣穂に触れてから、了承の微笑みを浮かべるだけに留める。
 整えた呼吸を返事などで崩されたくはなかったから。
 サリアがこの大会にいないのは仕方のないことだが、サリアの応援があったならどれほど心強かっただろうと思ってしまう。
 きっと観客席中の女性達の声援すら霞む。
 ただ一人の声が、どこまでもやる気を引き上げてくれるのだから。
 そしてそれを対戦相手のグランツは手に入れている。
 仕方のないことだが、嫉妬心は燻って消えそうにはなかった。
 コウェルズとグランツの了承に、審判が改めて試合の開始を告げる為に手を振り上げ。
『始め!!』
 高らかな声と共に上がる二度目の花火。
 試合の開始に先に動いたのはグランツの方だった。
 腰を安定させながら走り、突きの型を見せてくる。
 長剣は確かに細身の作りで、切り裂く以外には突きに特化した武器なのだと把握した。
 鍔は小さいが、鉄製だ。
 エル・フェアリアの誇る金剛鉄の長剣と、どちらが勝つか。
 コウェルズは両足を肩幅程度に開けるだけで立ち、向かってきたグランツの突きの剣を先端から長剣で掬い上げた。
 そのまま一気に鍔迫り合い、互いの力量を見極める。
 腕も足も良い筋肉のつき方をしており、力だけならグランツが勝るだろう。
 だがこれは剣術の試合なのだ。
 剣士としては、彼は筋肉を重くしすぎた。
 一瞬で悟る。ダニエルが口にしていた言葉の意味を。
 双子でありながら剣術を叩き込まれたダニエルと、武術を叩き込まれたジャック。
 ダニエルの身体はジャックとは異なり、剣を持つ為に特化した身体となった。
 グランツの肉体は、ダニエルとは違う。
 ジャックに近いのだ。
 そのことに気付いたから、コウェルズは彼にニコリと微笑んだ。
 剣士としての身体に恵まれたのはコウェルズの方だ、と。
 グランツが最初にコウェルズを警戒していたのも、コウェルズの正体を知っていたからではない。
 コウェルズの方が、剣士として恵まれていると悟っていたのだ。
 それでも負けるつもりなと毛頭無いのだろう。
 コウェルズより勝る恵まれた筋肉を使ってコウェルズを押し込もうとするから、フッと右腕の力を緩めた。
 一瞬緩めた分だけグランツの剣がこちらに傾ぐから、1ミリ程度の隙に剣を下から回転させて滑り込ませた。
 狙いは右脇腹。しかしグランツが素早く横へと跳躍したことで剣は空を切り、逆にコウェルズの鳩尾が狙われてしまった。
 迷いのない一閃を、剣を盾にして遮る。
 凄まじい音を立ててグランツの剣先がコウェルズの長剣に刺さろうとするが、欠けたのはグランツの長剣だった。
 欠けたとはいってもほんのわずかで、試合に支障はない。
 コウェルズは自身の剣を逸らしてグランツの剣を地面に向かわせ、踊るように寸前まで近付いた。
 上半身と下半身の重心が合わない。その奇妙な動きに、グランツの眼差しが動揺して揺れる。
 グランツの視界に入るコウェルズの足は体勢を維持する為に低く地面に縫い付けられているように写ったはずだ。
 だが現実には既にグランツの懐に入り込んでいる。
 動揺するままのグランツの眼前で微笑めば、彼はハッと我に返るような表情となった。
「ーーっぐ!」
 その後に痛みを噛み殺す声が。
 コウェルズの剣がグランツの足の脛を裂いたのだ。
 血が溢れる。少量だが。
 一気に後方へと飛び離れるグランツは、コウェルズから目を離さないまま斬られた足を奮い立たせるように一度床を踵で蹴った。
 戦闘場に飛び散る鮮やかな血の赤に観客席の血の気もヒートアップする。
 守りの体制に入るグランツへと、今度はコウェルズから攻撃を繰り出した。
 見極めようとするかのような眼差しの中で、互いの間合いに入ったと同時にコウェルズは肩を低く沈める。
 しかし足は滑らかに動き、跳躍するような動きにグランツは剣を構える位置で困惑を見せた。
 重心の低い上半身と重心の高い下半身の動きに戸惑いを隠せない一瞬の困惑は、試合においてあまりにも長い。
 エル・フェアリア王家に静かに伝えられてきた、ひとつの身体にふたつの重心が存在する剣術。
 コウェルズからの攻撃を避ける為にグランツは迷いを断ち切って一気に姿勢を低くするが、頭を守るよう構えられた細身の長剣はコウェルズの剣から主人を守ることはできなかった。
 横から突き出てきた剣先から逃れることができたのは、無意識に身体が動いたからなのだろう。
 せっかくの攻撃から逃げられてしまったが、コウェルズは慌てることなく深く呼吸をして息を整えた。
 自分に自信のあるコウェルズと違い、どうやら相手は自分の持つ実力ほどの自信は持てていない様子を見せるから、コウェルズは挑発するようにさらに笑顔を浮かべた。
 挑発がどこまで効くかはわからない。
 だがここで負けるわけにはいかないのだ。
 肩で息をして強く警戒してくるグランツは、コウェルズの笑みに一歩下がる。
 負傷した足を庇うことはしていなかったので、その程度の傷は彼にとって気にする必要のないものなのだろう。
 痛みは思考を鈍らせ、焦らせるというのに。
 ルードヴィッヒのような根性型の人間だと一番厄介だ。
 コウェルズの体力は人並みなのだから。
 次で決める。ーーでなければ負ける。
 そう心に暗示をかけて、剣をグランツに向けて構えた。
 コウェルズの剣術の腕は、達人の域になどない。
 しかしここに立って剣を構えているのは実力があるからだ。
 突きの型を取るコウェルズに、グランツもピクリと反応を見せる。そしてニコリとまた微笑んだコウェルズに向けて、ヒク、と頬が歪んだ。
 コウェルズからの挑発を完全に受けたグランツも同じく自国の突きの型の構えを見せて。
「ーーーーっ」
 互いに呼吸を忘れ、同時に相手へと目掛けて走った。
 全身に力を込める為に強く溢れた気合いの声は、どちらが先だったか。
 グランツの突きはコウェルズの右肩を狙い、コウェルズは右肩を捨てたーーように見せかけた。
 欠けた剣先に貫かれる寸前で姿勢を高く変える。
 脇下へと逸れた剣先は空を突き、変わってコウェルズの剣先は流れを大幅に変えてグランツの脳天を叩き割る軌道に乗った。
 全て、一瞬の間の出来事だった。
 グランツも剣の軌道をコウェルズの腹を引き裂く流れに変えるが、わずかに遅かった。
 決まったーーそう思った。
 本当に脳天をかち割る寸前で止めようとした腕を、下から伸びてきた手刀によって先に上へと振り払われた。
 思ってもいなかった反撃に思わず後ろへ下がる。剣を離さなかったことだけは自分を褒めてやりたくなった。
『…………剣術の試合に武術なんて、卑怯じゃないかな?』
 右の手首を手刀により打たれてしまい、ジクジクと鈍い痛みが走る。
『…反則ではありませんので』
 グランツの方も必死だった様子で、全身が緊張で張り詰めている様子を見せた。
 確かに手刀は反則ではない。
 世界中の剣術が集まる大会である為にルールはシンプルなのだ。
 剣を落とさない。
 剣以外の武器は使わない。
 それだけ。
 体術に関しては、剣術の補佐程度なら許されている。
『君は武術試合に出た方が良かったんじゃない?』
 仕方がないと互いに改めて剣を構えて、互いに呼吸を整えて。
『…それは俺も同感です』
 武術に恵まれた身体を持つ彼がなぜ剣術の出場者に選ばれたかはわからないが、審判に口を挟まれる前に、数秒程度の休憩を終わらせた。 やはり一筋縄ではいかない。互いに。
 繰り出される技や動きから情報を得ようとするのはコウェルズだけでなくグランツも同じで、突きの構えが先ほどより下になっていた。
 この短期間でコウェルズの動きの弱点を見抜いた様子だ。
 上半身と下半身の重心が異なれば、それだけ腰に負担が掛かるということに。
 だから、先ほどの一撃で仕留めなければ負けると自分に言い聞かせたというのに。
 突きの構えを片腕で行うグランツも、次で仕留めるかのような凄まじい殺気の眼差しを向ける。
 コウェルズの右手首は残念ながら完全に負傷した。剣の主軸となるのは左腕なのでそこまで不利ではないが、技の多くを奪われたことに変わりはない。
 先に動くのはどちらか。
 ジリ、と数センチ程度にじり寄れば、間合いを取るように同量離れていく。
 タイミングを見計らっているのか、先手を取りたいのか。
 後者だと無意識に察して、コウェルズは先に動いた。
 グランツは忌々しそうに突きの構えを両手に戻し、同じくこちらに向かってくる。
 その流れのテンポを断つ為に一歩ひとつ分だけを半歩に変えてから強く戦闘場を踏み締めて止まった。
 グランツの剣は真っ直ぐにコウェルズの腹を狙うから斜め後ろに下がって剣を左腕だけで持ち、剣先を向かってくる欠けた剣先に合わせた。
 剣の軌道をまた逸らされると考えたのかグランツは構えを高くするから、地面を蹴って飛び上がって。
 グランツの剣がコウェルズの首に狙いを定めたのを見計らって、剣を持つ手首をくるりと回転させた。
 そして負傷した右手首を酷使して、思いっ切り剣をぶん回した。
 まるで子供が木の棒を振り回すかのような動作。それがエル・フェアリアの誇る強靭な鉄で作られた剣なら。
 グランツの剣が弾き飛ばされてすぐに、花火は打ち上がった。
『勝者、エル・フェアリア国、エテルネル!!』
 グランツが無事に戦闘場に着地すると同時に審判が勝者を告げる。
 勝因はグランツの手から剣が離れたから。
『…今のは剣術と言えるのでしょうか?』
 観客達の歓声の中で負けたグランツが、気が楽になったかのような表情で少しだけ意地悪く問いかけてくる。
『子供の頃、剣士ごっこで棒を振り回さなかった?』
 意地悪い答えを返して、グランツの剣を自分の剣を持つ左手で拾ってやった。
『まさか剣が欠けるとは思いませんでした』
『エル・フェアリアは鉄の産出国だよ?大会に出るなら最強の鉄を用意するさ。…楽しい試合だった。剣を欠けさせたお詫びに、君の国へ君宛にわが国の剣を贈るよ』
 剣を渡して、互いに握手しようとして。
『あ、左手で構わない?右手は君に持っていかれたから』
 ズキズキと痛む右手首を庇いながら左手を差し出せば、グランツは笑いながら剣の柄ごと握手をしてくれる。
 そしてそのまま一礼をして、互いの足場へと戻った。
 凄まじい歓声と、美しい花火。
 色とりどりの絡繰りの鳥達も飛び回り、それら全てがコウェルズを祝福するようで。
 下にいた審判から鞘を返してもらって待ってくれているダニエルの方へと目を向ければ、満足そうな笑顔を浮かべていた。
 ふと反対に目をやれば、あちらではグランツの勝利を必死に祈っていた娘が泣きながらグランツの胸に縋り付いているところで。
 負けたというの笑うグランツとは対照的で、宥める為に頭に置かれた手を娘は振り払っていた。縋り付く身体を離しはしないまま。
「…おめでとうございます。あまり剣術試合には見えませんでしたがね」
 ダニエルの小言は甘んじて受け止める。
 それもそうだろう。
 グランツは途中で体術を入れてきたし、コウェルズも勝利を決めた一撃は剣術とは程遠かったのだから。
「勝ちは勝ちだよ」
「まったく…決勝戦の相手に手の内を見せただけになったでしょう」
 コウェルズから剣を強引に預かり、負傷した右手首を早く治す為にラムタルの者達に頼んでいくダニエルの後ろに着いて歩いて。
 エル・フェアリア王家に伝わる剣術はグランツを翻弄こそしただろうが、それが勝因かと問われれば否だ。
 確かに手の内を披露しただけに思うが。
「私だって、あれが全てじゃないさ」
 空いた左手で右手首を庇いながら、ダニエルの小言を聞きながら。
 止まない歓声は、イリュエノッドの陣営に戻るまでの道のりを勝利の余韻にたっぷりと浸らせてくれた。

ーーー

 痛みの消え去った右手首を動かしながら、コウェルズは賓客室から見える夕暮れの空を眺めていた。
 負傷した右手首は骨にヒビが入っており、治すのにしばらく時間がかかった。
 ルードヴィッヒは負けたことに強い悔しさを浮かべていたが、体力を回復する為に早々に寝床に着いている。その間にとジュエルとジャックはアン王女の元へと向かっていて。
「さ、どうぞ」
 落ち着いていた頃合いで、ダニエルが宝石菓子と紅茶を用意して持ってきてくれた。
「勝手に食べたことがバレたらジュエルとルードヴィッヒに睨まれそうだね」
 宝石菓子を貰ったのはジュエルなので一応そう言えば、ダニエルは笑っていて。
「今日の勝者への褒美ですよ」
「それを言うんだったら、ルードヴィッヒだって第三試合には勝って四強入りしたじゃないか」
「ご安心ください。まだ残していますから」
 宝石菓子と、それに合うお茶と。
 明日が決勝戦だというのに、気持ちは非常に落ち着いていた。
 明日は剣術武術両方の決勝戦があるだけで、その後は閉会式と夜会が開かれる。
 武術試合の決勝戦はスアタニラのトウヤとイリュエノッドのクイで、ある意味で因縁の対決などと呼ばれていた。
 そして剣術試合の決勝戦対戦相手は、バオル国のオリクスだった。
 バオル国の者が決勝戦まで辿り着いたのは初めての快挙だそうで、コウェルズも観戦した試合はオリクスの強さを物語っていた。
 あの強さなら数年前の試合からでも大会の上位に食い込めただろうが、出場をラムタル主催の年に合わせたのか。
 三年前のエル・フェアリア主催の時もニコルとガウェをわざわざ用意していたから、その可能性は高い。
 大国主催ともなれば、それだけ関心度も高いから。
 アン王女に国を戻したいオリクス達にすれば、ここで良い意味で名前を上げておくことは近隣諸国との関係性にも良い変化を与えられる。
 アン王女を屠ろうとした派閥にいる者が武術試合で情けなさすぎる結果を残したものだから、なおさら。
 向こうには向こうの理由があって優勝を手にしようとしてくるだろう。
 だがコウェルズも譲れないプライドがある。
 何としてでも勝ち上がって、ラムタルを、バインドを牽制したい。
 そしてリーンに勝利を伝えてやりたい。
 出来ることなら、そのまま連れて帰りたい。
「…連れて戻ることは、無理なのかな」
 思わず弱音のような言葉を呟いてしまうが、向かいに座るダニエルは落ち着いていて。
「君ならどう考える?」
「私ですか?……私は……」
 ダニエルとジャックも、何としてでもリーンを連れて帰りたいはずだが。
「…近いうちに、ファントムとの再戦の可能性があるなら…それが落ち着くまでは、ここで守られていてほしい、とも思ってしまいますね」
 紅茶を飲みながら、ダニエルは俯いたまま本音を呟いた。
「親目線、なのでしょう……エル・フェアリアの王城内の一部や天空塔を壊れさせるほどの戦闘がまたあるというなら…ここの方が安全でしょうから」
 リーンが無事であることが何より重要であると。
「……ファントムの狙いがわかればいいのでしょうが」
 残念ながら、今はまだ本当の狙いが何なのかわかっていない。
 エル・フェアリアの古代兵器と呼ばれる武器や装飾を各国から奪い、何をするつもりなのか。
「対話で済ませてくれない辺り、次も攻撃されるんだろうね」
 パージャとファントムの二人と戦った時点で、いくらこちらに数があっても勝てないことは察した。
 パージャ一人に魔術兵団が押されたのだから。
「私が王座に就いたら、魔術兵団は私の言うことを聞くようになるだろうか…」
 王の為に存在する魔術兵団。彼らを掌握すればファントムの狙いもわかるかもしれないが。
「王座に座るのは、私か、ニコルか……」
「おやめください」
 思わず呟いた言葉は、強い声で制された。
 それは他国の耳があるかもしれないからか、それとも別の感情なのか。
「……明日はどうすれば勝てるか、教えてくれる?」
 話題を変えようと、コウェルズは宝石菓子を一粒つまんでから問いかける。
 エル・フェアリアから伝達鳥と護衛鳥が到着するまでまだ時間があるから、明日の勝率を少しでも上げる為に頭の中を切り替えた。
 全てが優秀な天才だったならよかったのに。
 残念なことにコウェルズにも人並みやそれ以下の分野が多く存在するのだ。

第101話 終
 
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