第101話
第101話
気絶したままのルードヴィッヒとウインドは同じ救護室に寝かされて、癒術騎士であるイヴの緩やかな治癒魔術を同時に受けることとなった。
二人とも顔面の怪我は早々に落ち着いたが、身体中に受けた傷は完全に同時に癒されている状況なのでどこまで回復しているかは目には映らない。
ルードヴィッヒを見守るのはジャックで、同じくウインドを見守るラムタルの武人と共に受けた説明では、まだ試合の勝者が決まらない状況なので一気に治癒魔術を施すことは出来ないということだ。
数秒の差であれ、どちらかが先に回復して目覚めることのないように。
次の試合までに先に目覚めた者が勝者となるから。
その為に二人を癒すのは治癒魔術に長けたイヴだけだ。
『ジャック殿、ここは彼女に任せて、殿下の元に行かれてはどうか?』
ラムタルの武人が口にする殿下とは、コウェルズの事なのだろう。
確かにコウェルズの試合が始まる頃のはずだ。
ルードヴィッヒとウインドのせいでおかしな空気となってしまった出場者達と観客の為に行ったエキシビジョン戦の効果は抜群で、剣術試合も無事に始めることが出来たと聞く。
コウェルズの試合は二戦目なので、もうそろそろ始まってもいいくらいだ。
ジャックは心配そうにルードヴィッヒを見つめるが。
『…コウェルズ様の試合が終わったらすぐに戻ります』
ここにいる者はエテルネルの正体を完全に知る為に、名前を偽ることもせず頼む。
イヴとラムタルの武人は頷いてくれて、ジャックは後ろ髪を引かれるような表情を浮かべながらも足早に救護室を出て行った。闘技場内の救護室なので、走れば五分とかからずグラウンドに戻れるだろう。
『…まさかここまでやられるとはな』
ラムタルの武人はジャックを見送ってからウインドに近付き、今は眠ったままの生意気なウインドの額を小突く。
『おやめください…何が引き金で目覚めるかわかりません。勝者が決まるまでは公平な立場でいてください…』
『わかったわかった』
武人は生真面目なイヴの非難に笑いながら、ジャックが去った扉をまた開ける。
そして深々と頭を下げた。
「ロスト・ロード殿下、お待ちしておりました」
救護室へと足を運ぶファントムは、見た目だけならば自分より一回りは歳上の武人へと優雅に笑いかける。
扉の向こうに待機するソリッドはウインドをちらりと目に移したが、入室はせずに扉を閉めた。見張りとして扉前に立つのだろう。
「ウインドの世話は疲れただろう。ご苦労だったな」
「疲れはしましたが、久しぶりに見た太い根性の持ち主だったので楽しめましたよ」
ファントム相手にも気安く話す武人に、イヴが強く眉を顰める。
「エル・フェアリアの少年とは互角の戦いでした。縛りのない状況ならウインドの優勢でしょうが、もしそんな状況で戦っても、かなり苦戦するでしょう」
「紫都の者は昔から武術に長けているからな。この若さでウインドとここまで戦えたなら、将来は実力者となるだろうな」
「そうでしょうね」
武人はルードヴィッヒをかなり気に入った様子を見せながら、イヴに合図を出して治癒魔術を止めさせる。
最低限の治癒は終わっているのだ。それでもイヴは大会の進行が崩れることを不安視するが、武人に背中を押されて救護室から退出させられた。
「我々も扉の外で待ちます」
「感謝する」
ファントムだけが、室内にいる状況。
一気に静まり返る救護室内で、ファントムは眠るルードヴィッヒへと近付いた。
そして傷の治った顔に触れ、瞼に触れて。
片目をゆっくりと開かせる。
鮮やかなほどの紫の瞳と目が合い、ファントムは黄金の魔力を瞳から放ち、ルードヴィッヒの瞳から脳内を読み取った。
ルクレスティードの千里眼の力を使い、ルードヴィッヒの脳裏から一人の若者の記憶を探す。
淡い青髪の、少年とも思えるほどどこか情けない若者を。
ルクレスティードの千里眼と絡まった原子眼の持ち主は、ファントムと対立する可能性のある者か、それとも味方に引き入れられるのか。
魔眼を持つフレイムローズはファントム達に対して無力化することはできたが、もし原子眼の持ち主がその力を以って対立する立場を取るというなら、今後の行動にも影響を及ぼすことになるのだから。
果たして、彼はどうなのか。
ルードヴィッヒの脳裏を探って、探ってーー
ルードヴィッヒの過去の記憶が、ファントムへと流れ込む。
エル・フェアリア城内、アリアも共にいる状況でその若者はいた。
「…アクセル・ソアラ、か」
共にいるのは、エル・フェアリアの貴族としては珍しく薄茶の髪をした青年だ。
ファントム自身にも残る記憶と照らし合わせながら、アクセルの人となりを辿りながら。
残念ながらアクセルは己の力を理解していなかった。
ルクレスティードと繋がったことで自分の力を知った可能性は高いが、それならば今は毒にも薬にもなることはない。
それよりも、ルードヴィッヒの記憶を見るファントムは薄茶の髪と瞳を持つ若者に深い興味を持ってしまう。
エル・フェアリアにてニコルとアリアに礼服を手渡してやった時に“再会”した青年に。
レイトル。無事に産まれて育っていたのか、と。
治癒魔術師となったアリアを誘き出す為に王都の児童施設で事件を起こさせ、ニコルの返答次第では本気でアリアを預かるつもりでいた。
アリアはそれほど重要で危険で、大切な存在だから。
だがアリアを守る為にファントムの前に立ちはだかったのは、ニコルではなく彼だった。
深い興味を持った視線を向けてしまったことには自分でも気付いている。
まさか、再会するなど思ってもいなかったのだから。
かつての仲間が壮絶な運命の後にファントムに助けを求めて産んだ赤子。
魔力を持つ貴族でありながら、魔力がほとんど枯渇した深い理由のあるレイトル。
ルードヴィッヒの記憶にはアクセルとの関わりはほとんど無いに等しかったが、レイトルとの関わりは多く存在していた。
主に訓練場で、レイトルから何度か指導を受けている記憶が。
温和な笑顔も、厳しい指導も、全てがかつての仲間とつながる。
ファントムがまだロスト・ロード王子だった頃の、二人の仲間と。
何十年も昔の記憶が蘇る。
ーーロスト・ロード様…彼には…まだ内緒にして下さい……
思い詰めた表情で、エル・フェアリアで初の女騎士となったリステイル・ミシュタトは自分の身に起きている出来事を話してくれた。
大戦が終結した後のことだ。
ロスト・ロードの護衛騎士だったリステイルは、恋人との子供を身籠ってしまった。
結婚の約束はしていたと聞いていた。だがもう少し後に、国の情勢が落ち着いた頃にと。
しかしそれより早くにリステイルは身籠ってしまったのだ。
同じ護衛騎士だった恋人、クルーガーとの子供を。
騎士でありながら女でもあった彼女は、自分の身に起きた出来事にひどく狼狽えていた。
相談を受けたファントムは当然のようにリステイルの身を一番に考えて行動しようとしたが、その後に魔術兵団との戦闘があり、国にいられなくなってしまった。
ファントムとなった後にリステイルのことを思い出したことはあっただろうか。それすら定かではないほど、ただひたすら己の力と居場所を取り戻す為に、その身に受けた呪いを解く為に行動し続けて。
ある日、リステイルと再会した。
魔術兵団がファントムとその仲間達を探そうとしていることには気付いていたが、リステイルが魔術兵団員になっていたことには驚いた。
かつての仲間と戦うのか。
そう思いながらも剣を向けようとした時、リステイルはファントムへと膝を付いた。
額を地面に付けて、助けてください、と。
理由を訊ねるファントムに、リステイルは語った。
血眼になってまでもファントムを探し出し、独断で近づいた理由を。
リステイルの腹には、赤子がいたままだったのだ。
何らかの理由で魔術兵団へと身を落とすことになったリステイルは、謎の力により不老と不死の身体となってしまった。
腹の赤子を巻き込んで。
赤子は二十年以上の間、リステイルの胎児であり続けたのだ。
だが不老と不死の身体となったのはリステイルだけだった。
赤子は奇妙な状況下でリステイルの腹に宿り続けたが、限界が来てしまった。
このままでは我が子が死んでしまう。
それを直感したリステイルは、ファントムと敵対する魔術兵団員でありながら、我が子の為にファントムを探し出したのだ。
探し出して、救いを求めた。
しかしファントムが出来ることは限られていた。
赤子を育てられる環境を探し、その赤子が受け入れられるよう関わる者達の記憶を操作することしかできなかった。
その間に、リステイルは子を産んだ。
死ねない身体に死ぬほどの凄まじい痛みと苦しみを受けながら、胎児を外に出せるまでに強制的に成長させて、腹を自ら裂いたのだ。
そうして産まれた赤子は、上質な魔力を持っていた両親とは異なり、最低限の魔力しか持たない子だった。
恐らくは二十年以上リステイルの腹の中で生き長らえる為に己の魔力を使い続けたのだろう。
その魔力がとうとう枯渇するまでに無くなってしまったから、我が子の死を察したリステイルは必死にファントムを探し出したのだ。
リステイルから赤子を託された時、その子は長くは生きられないだろうと思っていた。
それほど魔力が枯れていたのだ。
魔力を持つ者達にとって、魔力を失うことは命を失うことに等しい。
それが、立派に成長してくれていた。
それだけでなく、まさか両親と同じく騎士の道を選ぶとは。
リステイルはレイトルが城にいることに気付いているはずだ。
だがクルーガーはどうだろうか。
彼はリステイルが魔術兵団に入ると同時に彼女を記憶から消されてしまった。
リステイルを忘れ、新たな女性と出会い、家族となり、子を成した。
クルーガーはきっと気付いていない。
レイトルが我が子であることを。
ルードヴィッヒの記憶の中のレイトルはアリアをよく見つめていた。
アリアを守る護衛騎士としての眼差しではない。
かつてリステイルがクルーガーに向けていた眼差しと瓜二つで、物悲しくなるほどだった。
ファントムは目を閉じて、ルードヴィッヒからも手を離す。
運命を捻じ曲げられてしまったのは、自分達だけではないのだ。
レイトルを救ったことで、リステイルは自分のできる範囲内でファントムに手を貸すようになった。
パージャやウインドとエレッテを魔術兵団から救い出すことが出来たのも、リステイルが時間を稼いだからだ。
残念ながらリーンは向こうの手にかかってしまったが、リステイルはリーンが埋められた新緑宮の結界が弱まる時期を教えてくれた。
それがなければ、リーンは今も土中に押しつぶされたままだっただろう。
残酷な世界。
でも、生きていかなければならない。
「ーー…」
ふと外から女性達の凄まじい歓声が聞こえてきて、息子の試合が始まったのだと悟った。
二番目の息子であるコウェルズの試合が。
ガイアに産ませてすぐ取り上げた子供は、ファントムが命じずとも思う通りに育ってくれた。
その思考は国の為に己が存在するということを理解している。
「…記憶を見せてくれた礼に、不要な過去を消してやろう」
窓辺に向けていた目を再びルードヴィッヒに向けたファントムは、眠り続ける額にそっと手を置いた。
記憶を覗いた際に知った、今後の彼には必要のない記憶を。
「その努力は、誇るべきものだ」
ルードヴィッヒが昨日の試合で対戦相手に言われた言葉に、手から直接脳に魔力を送り込んで術式で蓋をする。
操作訓練の一環として魔具の装飾を身に纏っていたというのに、それを飾り立てた娼婦だなどと。
確かに整った美貌を持つルードヴィッヒを彩りこそしたが、欲望の為に貶されていいものではない。
眠りを邪魔しない繊細な技術で術式を優雅に使いこなすファントムは、ものの数秒で記憶の蓋を済ませて手を離す。
ちらりとウインドに目を向ければ、こちらも起きる気配は無さそうだ。
どちらが先に目覚めて勝者となるのか。
介入は野暮というものだ。
眠る二人に背を向けるファントムは、そのまま扉へと手をかけようとする。
だが向こう側にいる武人が気配に気付き、先に開けてくれた。
ラムタルは本当に、優秀な者ばかりとなった。
「無事に済みましたか?」
「ああ」
気安く話しかけてくる武人と初めて出会った時、彼は幼いバインドを懸命に守る若き護衛だった。
立派に成長しすぎた武人とファントムの間を頭を低くしながらイヴが邪魔そうに通って行き、室内のルードヴィッヒとウインドの様子を見る。
その様子に苦笑してから。
「これからどちらへ?」
「そうだな…不安要素も無いとわかった。妻と息子を連れて、大会を観戦するとしよう」
ガイアもルクレスティードも、コウェルズを気にするから。
少しだけ離れた場所にいたソリッドに共に来るか訊ねたが、彼は首を横に振った。
“家族”を大切にする方法はまだよくわからないが、ファントムの変化を喜ぶように、武人は穏やかな眼差しで微笑みかけてくれた。
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